保田与重郎全集購入。

保田師匠の本なんだけど対談集とか座談会ってのが全集でしか出版されてなくて単独で買おうと思ったんだけど結構高くてさ、んで全集について調べてたら全集の目次みたいなのが載ってるサイトがあって文庫になってるのは本当にほぼ一部なんだなーとか思いつつ所謂短編というかなんかに載ったエッセイとかも面白そうなタイトルのやつとかあってもう完全に魅了されたし深くやろうと思ってるから全集買っちゃったんですよね。っつーかほとんどの保田与重郎文庫を買いそろえたところで全集買うっていうこのかぶりっぷりがなんともね。まぁいいんだけどね。

 

んでもぶっちゃけ全集を全部読んだってことは一度もないんだよな。全集とかは断片的に持ってたり気になるトピックのやつだけ買ったりとかっていう全部買いみたいなのは無かったから今回が初かもね。まぁでも全集っぽい読み方をしたのはブルバキかなある意味。やっぱすげー知識に身に付き方のレベルが違うよね。全集読破とかになると。

 

今ってなんでもウィキレベルで知ったかぶりできるし「こうですよね」ってのはぶっちゃけ本一冊読んでなくてもウィキだけで言えたりするからね。こういう表層的な知識ってのに凄く嫌悪感を覚えるんだけどなんでもウィキ時代だからこそ熟読とか精読の価値って上がってると思うんだよね。今はウィキでなんでも見れちゃうから・・・みたいなのであたかも知識欲が満たされてるように錯覚しちゃうんだけど本と百科事典は違うからね。

 

まぁ問題なのってそいつが一冊も読んでないのにあたかも読んだかのように知ってるかのように色々と言えるみたいなクソみたいなことなんだけど結局、そういうのに騙されたり見破るってのもまぁ全集読破しちゃうようなハードコアな読書を普段からしてるってことで偽物に騙されないように結果的になるっていうさ、まぁ具体的には言わんけど「あーこいつウィキだな」って分かるようになるんだよね(笑)

 

まぁ本読んでても読み方が浅かったりそいつ自体が浅いやつだとまぁどうしようもないんだけどさ、でも今保田師匠の全集を買って思ったのはっつーかまだ届いてなくて届いたら写真でもアップするかって思うんだけど全集を読もうと思うぐらいの思想家なり作家に出会えたってこと自体がすでに恵まれてるのよね。だから読まない手はないんだよね。いや、こないだも書いたけどここまで個別の人物に入れ込むってのはシュトラウス以来なんだよね。まぁシュトラウス後もドゥルーズネグリラカンなんかは相当フォーカスして読んでたけどあくまで主要のものばっかりだからね。細かいエッセイとか書簡的なものとかそういうのまで読むってのはめったにないよね。だからまぁすげー時期にさしかかってんなって思っててさ、自分の読書ライフの歴史でもなかなかエピックな時期だろうなって思ってるのよね。

 

まぁ書けば色々とあるんだけど今までと決定的に違うのがそれが本質的なナショナリズムってのと日本人であるということっていう実存に関わっているっていうところだよね。それが抽象化された実存とか普遍的な実存的葛藤とかではないアイデンティティみたいなレベルでの話だよね。ここがまぁまさにその偏屈な民族主義者とか右翼運動をしてるような偏った人じゃなくてある意味そういう意味での右翼さってのは皆無な意味でのナショナリストだよね。

 

まさに単純にそこに生まれついたということとそこが文化的に凄く豊かな場所だったっつーことだけなんだけどそれってのがまぁ別に普通にしてる分には全く感じないわけだよね。んでまぁ色々なもんが相対化されたり経験していく中で帰属っていうとちょっと語弊があるかもしれないけどまぁようは左翼的な夢であるコスモポリタニズムってのがただの絵空事だったってのが分かるわけじゃんね?まぁそれがよくあれだよね、若いころに左翼運動やってないようなやつは信用できないし同じく歳取っても左翼で居続けるようなやつも信用できないっていうことなんだけどまぁそういう意味で変わっていくわけよね。

 

まぁそこで凄く自分が今価値を感じるものが真の意味でナショナルなものっていうことでまぁ去年の年末あたりからロボアニメがどうとか言い始めたけどなんか簡単に言うと例えばインターネットミームみたいなもんでもさ、例えばなんかビートボックスがyoutubeで流行ったとかっつってまぁたとえが古くてアレだけど(笑)こういうのって文化圏とか関係なく拡散するじゃん?ある意味文化依存してないコンテキストだからミームが散らばりやすいんだよね。

 

でも日本のって独特過ぎてさ、例えば最近は廃れたとは言え歴史として考えるとニコ動Madとかでマクドナルドのドナルドが宗教みたいに拡散していく(笑)とかさ、FFの曲をドナルドでやっちゃうとかまぁ当時も散々称賛してたけど改めてなんつーのかな、あ、そういえば昨日急にトト子ちゃんのお魚アイドルの歌が聴きたくなって検索したらニコ動でそこだけループしてるやつがあって(笑)見たんだけどなんか本当にすげーよなって思うんだよね。

 

地下アイドルっつーカルチャーとかあとまぁおた芸とかさ、まぁおそ松さんがすげーポストモダン的で高度なアニメだってのは当時書いたけどポストモダン的なのにも関わらず極めて日本的なんだよね。ポストモダン的というと結局はなんでも相対化されちゃうっていうことでもあったりするんだけどそこで例えばコンテキストが伝統とかって意味ではないジャパニーズカルチャーってことだとまぁなんかやたらガラパゴスとかって一時期叩かれてた時期もあったけどそのガラパゴスって言う目線ってようはその最近書いてる害悪としてのグローバル的な目線だよね。上辺だけのグローバル目線ね。

 

んでもそれがデジタルなもんであっても土着のもんってあるじゃんね?んでまぁおそ松さんとかって例えばまずおそ松君っつーもはや日本の伝統と言ってもいいような古典漫画があってんでそれが近代化されてしかもただの焼き増しじゃなくて凄まじくポストモダン化されて洗練されてるバージョンとして現代によみがえってるみたいなところも例えばありがちなことで古典をリメイクしようとしてもそれがどんな文化圏のものであれリメイクってこと自体で現代性っていうコンテキストと枠組みってのが規定されちゃって多様性が無かったりするじゃん?

 

ようはまぁそれが民話であれ神話であれ映画用にリメイクっつーとなんでもハリウッドバージョンになるみたいなさ、そういう軽薄さとは無縁の逆にまぁローカル過ぎて日本人じゃないと笑えないどころか日本人でも分かってないと笑えないみたいなネタ満載のものって超ローカルだけど超最強だよね。そんな土着の面白いものを貪れるっつーのはすげーことだなって思うんだよね。

 

ようはその日本人の生活っていう中にそのまま循環として存在するようなサブカルチャーとかってまぁ必然的にローカルだよね。別にそれで世界で儲けようとするようなもんじゃなくてまぁ朝の連ドラみたいなもんで生活の中に組み込まれるようなエンタメじゃん?んでもだからこそそういうものにこそナショナルなものって出るわけじゃん?それは作為的に出そうとしてるようなもんじゃなくて生活に組み込まれてるようなものだからこそ必然的にナショナルなものになるんだよね。表現というよりかは表出なんだよね。

 

んでも逆に日本って世界に向けてとかってやるとすげー下手で大失敗することが多いんだけどローカルなもんやらせたら最強だよね。んでまぁ結局そういうのが評価されたりさ、なんか浜ちゃんネタ引っ張るようだけどガキの使いとかも字幕ついてyoutubeとかに載ってたり笑ってはいけないだかなんかの企画がそのまま海外のなんかの番組で使われてるとかさ、全然全く海外意識してない超ローカルな日本人のためのエンタメ番組なのに結果的に面白さって意味で世界でブレイクしたりすんのよね。まぁだからガキもグローバルなんだよね。だからあんな無駄にマッチポンプ的な騒ぎが拡散しちゃうんだろうけどまぁでも日本的なものって強いよね。経済的に負けててもやっぱこういう文化資本っていうところでの底力ってあるよね。

 

で、日本的なものっていうとトラディショナルなものを連想したり伝統的って意味でなんか武道とか茶道とか仰々しいものばっかになるんだけど実際同じコンテキストでめちゃめちゃ日本的でしかも伝統的と言えるものってすでにもう日本的なサブカル全般がそうなんだよね。そういう意味で日本のサブカルを変な海外のやつに叩かれるみたいなもんで委縮しちゃうとかってまぁ海外による伝統の破壊みたいなもんでさ、俺があんだけガキの件で起こるのも文化の破壊だからなんだよね。

 

こういうことに限らずなんでもコスモポリタン的にするということで整合性が保てなくなるローカルなもんってあるでしょ?でもそれって全然グローバル目線に合わせる必要ないんだよね。グローバルってそもそもイデオロギーだからね。ガラパゴス化というよりかは元々ローカルな発想しかないものを生産して享受して自給自足してるのってまさに保田がいうところの米作りそのものでしょう。

 

そこをグローバルだなんだっていう西洋目線は全部その西洋的な目線で見て平気で破壊するしそれをデフォにしようとするじゃん?でも違うんだよね。違い過ぎるでしょうそれは。あとそもそも英語喋れたらいいとかなんか国際人がどうのとかって言われてるけどそもそも海外も中国とかは別にして色んな先進国は行き詰ってて別に資本ってこと考えればどこも寒いわけだよね。なんか英語圏的なものって一個上だった気がするのが並列化しちゃってるんだよね。

 

まぁ英語はできるに越したことないし色んな目線は持ってた方がいいってとでまぁ理想的なのは俺みたいな西洋目線とかも経由したナショナル路線ってのが一番いいんだけど結局まぁ色々と相対化したとしても結局日本って面白いんだよね。アメリカってもはや昔みたいな魅力ないし街はつまらないしっつってもまぁ街のつまらなさはどこも一緒か。

 

街まで画一的なもんになって全部つまらなくなってるからこそ異様さを保ち続ける日本的なものが相対的に魅力的に感じるようになるってのはあるよね。ポストモダン後の砂漠にあるオアシスみたいな感じがある。あ、んであれなんだ、別にこんな長く書くつもりはないし別に書くことないとかって言いながら色々書いてるけどまぁそんな感じなんだわ。とりあえずまぁそんなんで全集買いましたよってことで写真は後ほどアップするぜよ。

 

んじゃまた。

 

あとあれだ、すげーフォーカスした個人としてゲーデルを忘れてたわ。帰国後はブルバキゲーデルって感じだったよね。