惟神の道。

ネットニュースみたいなのダラダラ見てたらガクトが山本一郎を恫喝したみたいなのが出てきてさ、まぁ話すと長くなるんだけどっつーか今から書くけどんでまぁガクトのうさん臭さもさることながら類ともっつーかさ、山本一郎って朝の番組出てるらしいけどこいつ元祖ネトウヨだからね。っつーかテレビって狂ってるよね。勝谷みたいなのも平気で出すし基本的に差別主義者ってのはテレビに出しちゃいけないでしょう。

 

しかも山本一郎って自身のネトウヨ体験からもネトウヨを批判する本とか書いてんのねっつーかこの辺のメディアとか出版のくだらなさとかもうどうでもいいんだけどどうでもよくないことがあるから書いてるんだけどそれにしてもまぁショーンKとかにしてもよく背後洗わないでテレビ出すよなって思うよね。まぁその結果あれでなんでそれで山本一郎がブロガーとかオピニオンリーダーみたいな立場で出てるわけ?ってことだよね。そう思うと変なセッティングとかもいっぱいあって例えば立場的に全然違うであろうあの貧困関係の人の湯浅さんとも対談してたりとかまぁなんか立場をコロコロ変えて
食っていってる山師なんだよね。

 

んでまぁそういう嘘つきは許せない!っつってもあいつが嘘つきだっつーのは2000年代前半ぐらいからネットやってる人だったら大体知ってることなんだけど結局また人気が出てきてるって過去を知らない世代が動員されてるんだなって思ってなかなかヤバいなーって思ったよね。詐欺ハンターでもある町山さんに完全にロックされてて過去を知ってるネット歴長そうな人とかもブログとかに色々書いてるしなんであそこまで情報出てる人がテレビ出てるのかさっぱり分からないよね。

 

んでまぁもう見てると呆れるし嫌になるからネトウヨ関係のやつとかって見ないんだけど桜井誠とかまだバリバリ活動してんだなとかってなんかまた動画とか見ちゃってイヤーな気分になったりなんかしてまぁそれはいいんだけどさって良くないけどね、保田師匠の全集を買ったんでまぁ対談とかから読んでるんだけどっつーか本編も読んでるけど影山正治とか三浦義一とかと対談とかもしててまたこういうのが戦後に特にモブみたいな連中とつるむようになって余計に右翼っつーイメージがついたみたいな批判あるんだけど読んだら全然違うんだよねっつーのは全然モブじゃねーのよ。もう知的レベルが違い過ぎる。

 

そもそも保田師匠と対談が成立するぐらいだからそりゃそうなんだけどまぁこういうモブ扱いされるような右翼ですらもある程度の知識と地頭があったんだよね。んでももはやもうネトウヨとか桜井誠みたいなレベルだとまさにそれがモブでさ、ああいうのが右翼とか保守って言われたりもするから本当に右翼とか保守っつー言葉自体がもうダメになるよね。あとまぁ右翼ぶってるけど実は左翼みたいなリベラル右翼みたいな似非右翼もいたりするしもうめちゃめちゃだなって思うんだけど、まぁそこでやっぱ戦前とかのちゃんとしてた右翼の系譜ってちゃんとした人が受け継がないと本当にダメになるよねって切実に思うんだよね。

 

だって保田与重郎って検索するとチャンネル桜の番組がヒットするからね。あんな低俗でクソみたいな番組がんでもまぁ確かにスタンス的にはそうだろうって思うんだけど全然もう位置が違うんだよね。朝鮮人は出ていけ!なんつってるレベルから一気になぜか日本人としての誇りと名誉を!とか演説で言ってるような輩が評価する保田与重郎なんてただの国粋主義的なクソみたいなもんでしょう。それこそ俗流の理解だよね。

 

んでも当時の右翼にしてもさ、保田師匠にしてもコンテキストが違い過ぎるのよ。もう知的レベルが違い過ぎるし意識とかも全然違う。ただでもそこで日本の誇りだの伝統だのっていうことに関してのバックグランドとか箔をつけるみたいなものとしてああいう過去の保田師匠みたいな偉人が使われるっつーよりかはそれは作為的に使われてるんじゃなくてバカが理解もせずに天然でそういうのやっちゃってるわけだよね。だからなんか本当に深刻っつーかまず真の右翼思想ってのがそういう低俗な扱われ方をしてたりサルみたいなやつらのおもちゃみたいになっちゃっててんでまぁんでも予備知識がないと例えば検索してチャンネル桜が出てきたらあーそういう感じの人なのねっつって偏見もたれたままになっちゃうよね。それこそ俗流の理解である軍部の御用学者だったみたいなさ、実際は保田自身が危険な奴だって思われて監視つけられてたんだけどね。

 

なんか右翼思想ってそういう意味で大変だよね。バカが「おお!そうだ!日本の心だ!」ってサル並みの感情のレベルで共感できるっていうところがあるから馬鹿でもナショナリストになれるっつーか馬鹿こそがなりやすいってのがネトウヨとかに端的に表れてるんだけどマジのナショナリストって大変だよね。すんげー勉強しないとなれないしモブには絶対務まらないものなわけだ。でも右翼思想っつーとそういう低俗なもんっていう偏見があるからそういう泥沼みたいなところから救い出さなきゃいけないってのもあるんだよね。

 

んでもそういうレベルで保田与重郎を理解してるのってインテリが学者ぐらいなもんでそういう人たちはサブジェクトとして理解しててもその真の心みたいなのを日本人として受け継ごうとかって思ったりしない場合もあるわけじゃん?で、安易に受け継ごう!って思うのがバカなナショナリストだったりするわけでこれはまぁなんだろうね、戦後にあーだこーだ左翼からいちゃもんつけられてレイプされまくったような感じになったとすればバカが受け継ぐ右翼思想とかってまぁ言わばセカンドレイプだよね。

 

それを右翼というかはともかくとしてまぁ保田師匠のも所謂右翼思想とかって言われたりもするわけだからそこでまぁチャンネル桜みたいなので取り上げれたりっつーかそんなのしかヒットしないっつーのが本当にヤバいなって思っててさ、まぁそれは右翼思想全般そうなんだけどね、なんかだから意識高い系の連中がおしゃれでかっこいい思想としてフランス現代思想を勉強するのと同じようなスタイリッシュさっつーかかっこいいものなんだって意味でちゃんとした右翼思想ってのを勉強してもらいたいって思うよね。

 

まぁフランス現代思想なんてもう流行ってないのかもしれないけどたださ、まぁあまりに戦前過ぎるけど浪漫派が出してたコギトって雑誌とかはいわゆるそういう読まれ方をしてたんだよね。モダンガールがコギトを小脇に抱えてキャッフェーに入っていくみたいなのがおしゃれっつーかクールの体現みたいなさ、まぁそういう表層的なもんじゃ意味ないんだけどただまぁこういうほうがまだいいよね。チャンネル桜とかでしか取り上げられないよりイケてる大学生とかインテリが勉強してるほうがいいじゃん。まぁーでも佐々木敦みたいな商売で思想史とかやってるようなレベルのやつがこれがクールだ!なんつって保田与重郎について述べてても全然意味ないしやっぱスピリットだって思うとなかなか難しいものがあるなって思うんだよね。

 

ただまぁさ、こないだやり取りしたSatouさんが決意して体系的にガチでやろうと思ったプロジェクトとかって所謂ガチの日本思想全般ってことじゃん?それがもう自ずと神道だの宗教だの民俗学だのやることが増えるからすんげー壮大なプロジェクトになっちゃうんだけどそういうのを学生時代にやれないものか?って思うんだよね。俺やSatouさんみたいに切実にリアルに考える人はやっぱそういうルーツにたどり着くんだけど大抵行かないじゃん?んでまぁ学生時代はちょっとフランス現代思想ニーチェみたいなのやってましたっていうそこでもっと日本の思想の比率を上げてほしいって思うよね。まぁようはリアルなインテリとかリアルにできる学生は日本の思想を勉強してほしいって切実に思うんですよね。

 

勉強すればまず右翼思想からヘイトなんてのは出てこないしまぁ立場にもよるけど頭山満的なものとかも含めてあと孫文との交流とかまぁそういう意味で根源的に革命家なんだよね。右左じゃない。そういう意味だとまぁ北一輝なんかもそうでしょう。んでもこういうのは結局国粋主義的だったりあまりに民族主義的というかそういう運動のズッポリの人とかが読んでもそういうところしか理解されないんだよね。根源的なunityの部分とかラディカルな部分ってのが全然理解されない。

 

だからガチのインテリこそ勉強するべきなんだけどやっぱインテリってそういう泥臭いもんはやりたがらないでしょう。なんかインスタ映えじゃないけど批評映えするようなもんとかさ、なんかとりあえず流行ってる思想家とかっつーとまぁ大体欧米のもんでしょ。あーでも本当のインテリなら違うはずなんだよなー。いや、やっぱ難しいわ。根本的にスピリットで理解するようなものだからやっぱり本質的に理解できる人は限られちゃうんだよね。でも本質的な右翼思想の理解から来るパワーってのは似非右翼を一掃する力があるわけよ。何しろ自分がマジの右翼だ!って言えるわけだし本物なわけだからね。

 

まぁそこであれなんだよね、三島とかは俺がマジの右翼だ!って言おうとしてたんだけどそこで保田師匠と会ってみたらさ、さぞかし獅子のような人なんだろうって期待してたらボソボソ喋る覇気がない人だったみたいながっかり感があったらしいんだけどやっぱそこはあれなんだよな、保田師匠も言ってるような隠遁詩人の系譜なんだよね。日本刀を持ってクーデターを起こすような人じゃないんだけどでも思想的な強さってのはめちゃめちゃあってさ、すげーそれはリアル社会にアピールできるポテンシャルがあるのに全然使われてないって感じがするよね。

 

んでもまぁなんかさ、都市伝説だったとは言えモダンガールが小脇にコギトを抱えてキャッフェーに入るとか最高にクールだろうって思うんですよね。東大とか京大でもやっぱなんか西洋がかったもんがデフォだろうしそれこそ京都学派なんてのは完全に西洋のパラダイムで考えてるからね。意味ないとは言わないけど保田師匠が和辻哲郎が西洋的な枠組みとかパースペクティヴで日本の古い文化みたいなのを再評価するみたいなのにすげー怒りを覚えていたってのもすげー分かるんだよね。

 

なんでそこで西洋なんだ?ってことでしょ。それで言うと九鬼周造なんかも完全にアウトなんだよな。まぁそりゃ当時はデフォだったにせよでもほんとになんでも西洋哲学の枠組みで考えようとするってこれ自体が病理だよね。そこで見えなくなるものってのがすげーあるわけなんだけどただ当然教養として持ってないといけないしそんなのは当たり前に体系的にある程度やってる必要があってんでまぁその上で捨てるってことが出来ればいいんだけどなかなか簡単にはいかないよね。

 

なんかでもそこでさ、Satouさんじゃないけどエッセンシャルなものを求めようとすればするほど異端になっちゃうっていうさ、それってまぁデフォがだいぶおかしいってことなんだよね。本来の正道であるものをより追求するってのが異端になるってのはそういうことでしょう。なんかもこの辺は俺がやっていくしかないなって思ってますよね。まぁやってる人もいるだろうけど中にはただの研究対象とか商売でやってるような人もいるわけでさ、そこで本質的に思想としてそれを受け継いで理解するってのがね、結局それが保田思想に染まるってことじゃなくて最終的に国学そのものをやるっていうことに繋がるんだよね。それがなんか究極のフィロソフィーだなって思うのよね。

 

知への愛であり国への愛であるっていうね、知に偏り過ぎずに日本の生活感とか今は見えなくなったようなものも含めて繊細に感じていくとか見ようとする感じだよね。そこがまぁやっぱ頭でっかちになるんじゃなくて体を持って思想をやるってことだと思うんだよね。ポーズとかスタンスとかじゃなくて生き方としてそれをやるってことだよね。まぁだから右翼って言葉もアレだなーって思うし真正右翼っつーのもなんだかあれだから惟神の道とか自然(じねん)の道とかって言いたいんだけどこうなると一気にニューエイジ感出てくるよね(笑)神道系の宗教団体なんてもってのほかだしね。宗教を否定しないけど俺は思想だからね。

 

それはなんつーか教義とかコアになるようなものがあるにせよそういうのを正当化するようなものだったりするんじゃなくてそれを惟神の道のベースとして考えて常にそれを実践するものとしてどう振る舞うべきか?とかどう考えるべきか?ってのが問われるっていうそういうスタンスだよね。だからこういう思想なんですじゃなくて常に現れるものに対して思考するっていうことだよね。惟神の道を実践するものとしてその媒介者としてどう振る舞うべきか?ってことだよね。それがもう直に日々の行動なり思想として現れるっていうようなattitudeだよね。

 

まぁそんな感じで全集から得られるヴァイヴスは半端じゃないから今後もどんどん深くディグしていくんでよろしく。んじゃまた。