Showing Up。

グレン・ブランカが亡くなったそうです。最近通して聴いてたんでなんかショック・・・。

 

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なんか最近一瞬で時間が過ぎていく感じがするっつーかちょっと書こうかなーと思って前の更新見ると一週間ぐらい経っててこないだ更新した感じがするんだけどそんなに時間経ってんのか!って感じで今年も6月に入ると一年の半分が過ぎたってことになるわけで速すぎっつーか30過ぎると一瞬とか言うけどガチだよね。

 

そんな中でまぁふと思うんですよね。将来について。っつっても考えても意味ないし形而上学みたいなもんだから考えないようにしてるんだけど考えたくないっつーより考えても無駄だからなんだよねっつっても親が相当心配してんだなっつーのが分かったりする瞬間があるわけですよ(笑)しかも父と母両方ね。良い親だよね。マジで。この歳になると親がまともな人で良かったとかって感謝が生まれるよね。

 

まぁ結婚はどうするの?とかそんなことは言われないんですよね。ただまぁ明らかに一人でやってけるタイプじゃないっつーか金ありゃいいけど金の工面が一人じゃ無理だからやっぱなんかビジネス的なこととか金になるようなスキルを得たら?みたいなことだと思うんだけどまぁ特に母はそう思うだろうなーって思うわな。

 

湯水の如く洋服に金を使って最近はギター関係とDAW関係に凄まじい金をつぎ込んで趣味っつー域を越してるからねっつーかまぁそこが自分の良いところだとは思うんだけど周りから見ると破滅するようにしか見えないんだろうなとか思ったりね。あ、ようは趣味の域を超すってのは極めようとするから趣味みたいな温い領域でやってられない!ってことになるんだよね。だからまぁめちゃめちゃこだわるし妥協しないからそりゃ金もかかるんだけどまぁガチでやるっていいことじゃないですか?

 

ただまぁ全然金に直結しないからただの売れないロックンローラーなんですよね。今はまぁ職業ロックンローラーですからね。でもこの前も書いたけど売れないっつーのがまぁ本当に考え方のネックだよね。売れようが売れまいが求道的にその道を究めるということに関しての商業的要素なんて関係ないじゃん?

 

むしろ音楽が金になった時代ってのが特殊なんであって今の方が正常ですよね。どの道、金にならない音楽やってる人にとっては関係ないんだけどそもそも音楽っつーか音楽に限らず人間的活動って金になるかならないか?って二の次じゃないですか?趣味がキャンプですっつっても趣味の領域を越してるレベルですっつー没入っぷりが半端じゃない人がキャンプで金を得ようとするのか?ってそもそもキャンプすることが活動なんであって金とか関係ないよね。金はかかるけどね(笑)

 

結局でも活動ってそれ自体が目的っつーと語弊あるけどそれをやることが肝心なんであってさ、金にならないっつーかダメだなと思って30まで無理だったら諦めるみたいな言い方とかあるけど逆にその程度のものだったら最初からやめた方がいいよね。その30っつーラインも意味分からないし何をもってダメじゃないってことにするのか?ってことだよね。

 

それで食っていけるかどうか?っていうことで活動が制限されるっておかしいよね。ゲームやってるけど食えないからゲームやめるってロジックおかしいじゃん?ゲームやるからソフト買ったりハード買ったりするんであって金になるからやるわけじゃないよね。

 

あとまぁ芽が出るでないみたいな言い方もあるけどこれってまぁほとんど最初から決まってるよね。なんかの創作物を作ってる人ってのは例外はあっても大体最初から決まってるわけでしょう。しょうもない絵を描き続けるとかしょうもない音楽を作り続ける人は永遠とそれを作り続けるわけだよね。で、しょうもなくない人はしょうもなくないのをほぼ最初から作ってるわけでしょ。

 

時間の問題じゃなくてやっぱセンスとか才能の問題だよね。まぁ時間と共に変わることはあるし最初はクソみたいなの作ってたけど色々とやっていく中で覚えていったり経験していって変わっていくものはあるけどそれって変わるっつーより顕在化していなかった才能なりセンスが発揮できるっていうことなんであってそれもまぁ最初から決まってるんだよね。とにかくセンスが無い人はもうとにかくダサいわけでしょ。

 

これが絶望的なのって技巧とかの問題じゃないからなんだよね。例えば絶望的に音楽的センスっつーか音色に対するセンスとか楽曲然りだけどそういうのが無い人が楽器を極めたところでダサいものをテクニックを使って演奏するだけだから上手いけどダサい曲を弾き続けるわけよね。これって別に音楽理論学ぼうが演奏技術学ぼうが変わらないからね。逆にセンスあるやつは演奏がヘタな段階でもすでにセンスの片鱗を見せるものをやるわけでしょ。まぁ磨かれるセンスってのもあるからなんとも言えないけどね。でもまぁそれはセンスゼロからは生まれないと思うんだよね。あくまで磨かれるセンスありきのセンスで元々ない場合磨きようがないからね。

 

あ、んでまぁその話はいいんだけどさ(笑)その将来云々の話なんだけどあれなんですよね、貯金VS今でしょ!とか将来を考えるVS今でしょ!っつーか今でしょ!って別に林修のそれじゃなくて単純に今だよね!っていうことなんだけど今でしょ!っつーのが林修の特権になると言語的囲い込みができるからね。んで古い!とか懐かしい!ってことになっちゃうんだけどだから使われなくなるんだけどそれとは関係ない今でしょ!ってのはあるわけで林修とかを意識しなくてもいいんですよってまぁどうでもいい話はともかくまぁ収入がそこそこあるってのが一番いいよね。

 

貯金もできてなおかつ今にもお金を使えるってのが一番いいよね。でもまぁそこまでもらってる人ってもはやそんなにいないわけでどっちかになるぐらいみんな金無いわけよね。だからなんつーのかな、そんなに元々収入が無い中で貯金してても意味ないと思うんだよね。五万貯金してあと節約してなんとか生活みたいな生き方をしてる場合、そもそも貯金ってのが成り立ってないよね。五万貯金したところで貯金できる額はたかが知れてるしそんなもん一瞬で吹き飛ぶような額でしょ。まぁようはそこそこの収入が無いと意味ないってことなんだよね。だからまぁそこそこの収入を目指せ!ってことになるんだけどまぁそんなに簡単なことじゃないからそれだったら今を生きたほうがいいわけよね。

 

結局安定性ってことなんだろうけどこれがようは不安のソースですよね。安定性なんてないですよね。仮に結婚してたとして旦那とか奥さんがいつ不倫するか分からないしいきなり離婚ってこともありえるだろうしあとはまぁ病気とかアクシデントとかまぁそんなネガティヴなことばっかりじゃないけど計画なんてしても意味ないよね。計画好きな人がそれがあるからやっていけるっていうモチベーションになってるならまぁそれでいいんだけど計画って本当にオワコンっつーか前時代的なんだよね。

 

親が直接じゃないけど将来どうするの?的なことを言ってくるって別に俺が直接言われたわけじゃないんだけどまぁたまに遠回しに言われることがあるんだけどっていう話なんだけど親の世代って将来どうする?っつってそこそこ計画してなんとかなった世代っつーかさ、経済が右肩上がりで基本仕事があるって考え方とか感覚だもんね。今みたいにスマホがここまで普及した!とかネットがここまでインフラ化した!みたいなのが比較的今ほど飛躍的にある世代じゃないからなんか考えて資格なり学歴を得て仕事を得るっていうプロセスを準備するということにまぁまぁの価値があった世代なんだよね。

 

そこで思い出したのがマネーの虎なんだけどさ、いや、なんでか分からんけど思い出したのが結局ノーマネーでフィニッシュだったんだけど別にディスとかじゃなくてね、そこに電話すれば例えば今渋谷にいるんだけど美味しいラーメン屋無いですか?ってそのサービスに聴くとサービス代行が検索エンジンで調べてくれて美味しいと思われるラーメン屋の場所を教えてくれるみたいなサービスをビジネス化したいんで出資してくれみたいな話だったんだけど今そういう提案があったら馬鹿か?って感じでしょ。

 

まぁこんなスマホが普及するっつーのが想像できなかったっつーかそりゃプロは想像できただろうけど素人じゃ分からないもんね。まぁ別にビジネスってそれだけじゃないとは思うんだけどね。仮にその教えてくれるサービスがある程度成功してんでもまぁ時代と共にあんまいらなくなってまぁでもそれで運営してた会社の母体があるからまた他のをやりやすいみたいな突破口としてなんか始めるっつーのはあると思うんだけどこんなサービスを始めました!とかこんなのがあります!とかって今でもあるっつーか色々出来ては消えていくけどぶっちゃけ大半が5年後どうなってるか分からないようなもんばっかだよね。今はいいかもしれないけど明らかにテクノロジーが進めばいらなくなるものってのがある場合、そもそもそれをビジネスって言えるのか?ってことだよね。

 

まぁなんか例えがアレだけど実体がないような感じって意味だとまとめサイト的な一般的な情報を書くようなブロガーとかアフィリエイトとかyoutuberとかと一緒だよね。月間このぐらいPVがあってこのぐらいの固定収入があります!っつっても別にその人のスキルに特化したような情報を書いてるわけじゃなくて他にもあるようなのをまとめるスキルがあるからまとめて書いてるようなのなんてぶっちゃけ職業とは言えないよね。

 

まぁテンポラリーな形ではブロガーっつー職業になるかもしれないけど明らかに5年後には無くなってるか成立しなくなってるだろうなってのが分かるよね。youtuberもスターみたいなのはともかくありふれた製品のレビューとか誰がやってもいいようなものとかでもまぁ微々たる額でも収入があるみたいなのでもまぁそんなのも今だけだしあとなんか色々変わるじゃん?1ビューあたりの報酬が下がるとかさ、でもそういうブログなりyoutubeなりっつー自分っつーより外部のものに依存したようなものなんて大体そういう道をたどるわけだよね。

 

もちろんその時点で金にある程度なるならやってたほうがいいかもしれないけど全然キャリアでも何でもないし職業でも何でもないよね。でもまぁぶっちゃけ今の時代ってそういう職業が必然的に増えちゃうと思うんだよね。ガッツリそこに居ればなんとかなるみたいなのは椅子の取り合いで競争率が熾烈だしまぁあと相当優秀じゃないと勤まらないとかまぁそういう世界のことは別として誰でもやれるようなのってまぁ大体そんなもんだよね。会社自体がつぶれるかもしれないし自分自体もつぶれるかもしれないわけだしって例えばすげー準備して専門学校とか出て例えば美容師になったとしてんでもまぁ職場がブラックすぎて心折れたとかさ、これって運だもんね。

 

それでもまぁ手に職だから他行けばまた再就職できるっつってもその経験がトラウマになってもう美容師なんてやりたくねー!ってことになるかもしれないしどの道ブラックじゃなくても続けるの無理だなって思ってやめたりとかって普通にあるよね。でも別にだからといって人生ダメになるわけじゃないしなんか他のことに興味がいったりっつーかまぁ他のことやりたくなってそれが仕事に直結するようなのであればそれやればいいわけだしまぁ元は美容師の学校行ってたとかエンジニアの学校行ってたっつってまぁそりゃエンジニアなり心理学やってたんだったらカウンセラーなりそういう関係の職業に就こうと思ってるにしてもまぁ結局全く関係ない仕事に就くことになったりもするわけだしそういうのって分からないよね。

 

まぁそんなのの連続ですよね。美容師になろうと思って美容師になって無理だからやめて他の仕事に就いたけどそれがさっき書いたようなテンポラリー系の仕事で一瞬で先行きがなさそうっつーのが分かって辞めたりとかまぁあと数年勤めてたけど業績が怪しくなってきてクビになったとかさ、んでまた他の仕事に就いて・・・ってのの繰り返しだったりとかね、んでもまぁそこですげーフィットする仕事が見つかって結局それをやり続けることになったっつってもそれでいいわけよね。

 

あとまぁ仕事仕事って書いてるけどそもそも仕事に依存するような生き方自体がそもそも間違ってると思うわけでね、どう収入を得るのか?ってのがそのままどう生きるのか?に直結しちゃうようなのってまぁ大体人生ダメになるよね。まぁ仕事が天職とかだったら別だけどどう生きるのか?ってのがほったらかしのまま仕事ばっかしてても大体まぁそこそこ続けてると疑問が浮かぶわけじゃん?こんなんでいいのかな?ってまぁ仕事に就けてるだけありがたいんだけど仮にその職場が安定性があるっつってもこれを定年まで続けるのか・・・っつーと明らかにそれは無理ゲーだったりね、その時々にならないと分からないよね。

 

逆にまぁこれ定年まで続けられたら超ラッキーだな!みたいな仕事だったらそれはそれでいいわけだしまぁなんかこういうのの繰り返しだから計画とかっつー話じゃないんだよね。その時々の環境と選択によってまた色々変わるわけだしそんなに色々とダイナミックに変わるものを大幅に変わる前の環境で色々考えててもしょうがないよね。だからなんつーの、例えば行ったことない国でやっていこうと思って色々計画してるんだけどそもそも行ったことない国だから色々と分からないし思うようにいかなかったりするほうが普通だよね。

 

だからといって分からないから行かないっつーんじゃなくて逆にその環境と選択によって色々と変わるわけだしそうならなきゃ分からないものがあるんだったらそういう場所に飛び込むってのが一番いいんだよね。だからとりあえずやっぱやるとか行動だよね。別にそれは仕事とかに限らず趣味とかでもそうだよね。金かけたいけど続くかどうか分からない・・・っつってもやる前とやった後って全然見えるものが違うわけでさ、だからとりあえずやったほうがいいよね。そういう選択がまた先の選択とか変化に繋がるわけでしょ。

 

なんだろうね、結婚とかにしても旦那とか妻に浮気されて離婚しましたっつってそれでメンタルやられて仕事続けられないレベルになってやめちゃってんでもまぁその後に良い伴侶と出会って再スタートしたら上手く行ったとかさ、そこでまぁメンタルやられた時点でずーっとふさぎ込んでたら何も選択自体が生まれないんだけどとりあえず生きなきゃいけないからなんとかしようとするわけよね。そういうのがまぁ出会いとかに繋がったりもするわけでしょ。何にもしないと何にも生まれないからね。

 

そこでまぁ逆説的って言い方がいいのか分からないけど結局なんつーか安定性を求める考え方ってこういう生成的な行動が環境や認識を変化させてまたそれが自己生成に繋がるっつーような生き方と真逆なんだよね。行動や選択によって見え方とか考え方が変わって道も変わるかもしれないっつー蓋然性を徹底的に排除するっつーかそういうのが異物になるわけじゃん?予想できないからイレギュラーなわけでしょ。でも安定ってレギュラーで居たいわけだよね。でもそれって結局は環境依存ってことなんだよね。安定してyoutuberやりたいっつっても安定したyoutuberなんてないわけだし(笑)

 

なんかまぁ数年でどうなってるか分からないって意味だと芸能人とかと似てるよね。youtuberは完全にそうだと思うけど別にそういうのに関係なく今ってそういう時代だよね。変わりまくるから先どうなってるか分からないんだけど逆を言えば変わるからこそ可能性もあるってことなんだよね。なんかがすげー固定された形で揺るぎない!みたいな感じで居座って同じ人間が安定してそこに居座ってるよりかはそういう揺るぎないものとかも揺るいだりとか人材が流動的になるとかっていうほうがむしろやりやすいよね。

 

揺るぎなさ過ぎるとそこの椅子取りゲームになるじゃん?まぁ将来公務員になりたいとかって言ってる発想って完全にそういう発想なんだけどこういう発想をし続ける人こそ結局は観念的な安定性ってのに縛られてこれは安定とは言えない!なんつー不安から今をどんどん殺すっつー不安のスパイラルに入るっていうさ、これほど無駄なものはないよね。

 

だから結局今をどうするか?っていうことだよね。今なんかやってることがあったらまぁ先のことも考えてやるってのは良いことだけど不安になるような意味で先のことを考えるようなことがあればそもそも不安になってる時点でなんのメリットも無いからそんなのは考えないで今できるベストなことを選択するなりフォーカスするってことにしたほうがいいわけだよね。それが仕事であれ趣味であれそれにフォーカスすることで今をやっていけたり生活ができるならまずそれを大切にした方がいいよね。

 

それがまぁなんつーかバイタリティってことじゃないですか?そういうのが結果的に先を繋ぐものになるんだよね。不安に押し殺されてるとバイタリティが無くなるから繋ぐものがなくなるんだよね。不安ベースだと選択も思考もロクなものにならないし今を楽しむみたいな発想とかも無くなるか持ち合わせていなかったりするからとにかくアンハッピーなヴァイヴスを発するようになるっつーかそういうのがデフォになってる人ってすげーマイナスのオーラが出てたりするじゃん?雰囲気とか言動で分かるじゃん?そういうのって。そういうのはまぁなんか楽しいことをやってたり何かに生きがいを感じてるみたいなタイプのバイタリティ溢れるような人との関わりを遠ざけるよね。

 

そういう人ほどマイナスのヴァイヴスって感じやすいわけだからこいつダメだなってすぐ分かるからね。もうここで世界の棲み分けになっちゃってるっつーかね、でも別にマイナスのヴァイヴスに満ち溢れた人の方が社会的に見れば安定した位置にいたりしてある一人の活き活きしてる人のほうが今を楽しんでるしある程度満足した仕事とか環境にいるかもしれないけど社会的には不安定に見えるかもしれないんだよね。でも将来性で見ると明らかに活き活きしてる人のほうがサヴァイヴするでしょ。マイナスのヴァイヴスっつーか不安ベースの人はすぐダメになるし良い選択が出来なかったり安定っつー環境に依存し過ぎてるから仮にそれが無くなったときのフレキシビリティみたいなのが無かったりするわけだよね。

 

なんかあとよく言うっつーか今の考え方として一つじゃなくてマルチに色々とやれる可能性がありそうなものは色々と手を出しておくってことだよね。別にそれは金になりそうだからってことじゃなくても興味があったら色々やればいいんだよね。結果的にそれがマルチな可能性なり選択肢に繋がるわけでこれもまた行動ですよね。やるっつー行動ね。で、別にそれは何回も書くけど必ずしも仕事とか収入ってのが前提に無くてもいいんだよね。結局人間がどう生きていくのか?ってのは活動ってことなわけでそれに繋がるようなことであればまぁようはそれも仕事みたいなもんなんですよね。

 

だって仕事以外に何もなかったら無理でしょ。仕事ってあれば生きていけるけどそれ以外に何もないと生きていけないのに対して活動に繋がるものって活動さえできれば仕事がなくてもやっていけるもんね。まぁ結局金の問題っつーかさ、金だけじゃ生きていけないってことだよね。金が無いと生きていけないんだけど金だけじゃ生きていけないわけでなんつーかやっぱり比重としては活動を重視するべきだよね。それはそもそもの仕事の比重が相対的に低くなってるっつーか無くなる仕事とかあるし10年スパンで見るとヤバいでしょ。

 

さっきのマネーの虎で出したようなことが普通にあるわけだよね。でもそもそも10年スパンとかで考える方がよっぽど狂ってるわけだよね。それよりかは細かい変化とか社会とか環境のアップデートに柔軟に対応してフレキシブルに色々やれるっつー行動力とフレキシビリティだよね。あとまぁメンタル面の瞬発性っつーかさ、若さだよね。そういうのを無くすのって不安ベースの考え方なんだよねっつーか常に将来の不安に苛まれているみたいなのがデフォだとメンタルやられるからそんな瞬発性無くなるし行動力も無くなるよね。どんどんニヒリスティックになっていってアパシックになっていくよね。

 

だからそれに対抗できるのが今!っつー瞬間瞬間の強度なんだよね。そういうものの重要性を知るようになってから前にも書いたけど俺は旨いものを食うっつーことを趣味の一つにいれるようになったけど昔は飯なんてただの埋没コストだと思ってたけど今は瞬間瞬間を先に繋げることができるような強度を得られるカンフル剤みたいなものっていう考え方になってるから全然埋没コストだと思わなくなってるんだよね。まぁ食うのは
肉だけど(笑)肉のパワーたるや凄いですよね。ちょっとメンタル的に弱くなってても上手い飯の力って凄くてパワーが湧くのとなんか若干落ちてたような気分が無くなってもっと建設的なことを考えるようになったりとかね、まぁ運動とかもそうですよね。だからまぁ朝のランニングとかはいいんだろうなとは思うよね。

 

なんかすんげー真っ当な話だけど(笑)真っ当な話には根拠があるんだよね。旨いものを食うとか今を楽しむとか今を大切にするとか運動をするとかって当たり前すぎるんだけど何気に深遠な実存の話とか生き方の話と直結してるっていうね、それはまさに実存の問題と同じで形而上学に陥って混乱するよりとりあえず行動すればなんとかなったりするとか考えるよりとりあえず行動でしょってまぁ考えることも必要だけど行動の必要性が明らかな場合、まず行動せよってことだよね。ブッダの毒矢の例えそのものだよね。

 

あとはまぁQOLですよね。メンタル的にもフィジカル的にも良い生活を送ることで養われる英気ってのがあってそれがまたエネルギーになって次に繋がっていくんだよね。だからある程度必要があるレベルでの将来のことはともかく誰も分からないようなレベルでの将来のことの不安なんてのはそのQOLを脅かす毒なわけでavoidするのがベストに決まってるんだよね。進んで毒を飲む人はいないでしょう。クソみたいな人間とかと同じですよね。付き合う必要が無かったら関わらないのがベスト。こいつただの毒だなと思ったらバシバシ切らないといけないよね。

 

結局親の世代って苦労は買ってでもしたほうがいいとかまぁうちの親はそんなこと言わないけど古い考えが今の時代を生きる人の毒になりうるってことは大いにあるってことなんだよね。親の感覚としては将来どうするの?っつーのは極めてdecentな発想なんだけど子供の世代からすると今をベストに生きて色んな可能性のタネを捲いておくっつーような自己生成的な生き方が結果的に今の時代の適応力に直に繋がるっつーようなのが最善と考えられる世界観から今当たり前にあると思ってる仕事が10年後になくなるかもしれないんだよ?って無駄に言われてるようなのと同じ響きになっちゃうんだよね。

 

それが自明だから今を生きるっていうのが一番っつー選択になっているのに親の世代はベタな準備→勉強→就職みたいなのが通用した世代だから準備したら?みたいな発想になるんだよね。まぁ準備は必要だけど今の世代と親の世代とじゃその準備の仕方が全然違うわけだよね。でもまぁ親の世代は良かれと思って子供に言うんだけどそれが結果的に不安ベースの考えに囚われるようなマインドを生み出しちゃってるっていうね、それは良い親悪い親関係なく古い考えがろくでもない結果を生み出すっていうことだよね。

 

不安ベースな人が多いとかやたら将来を気にする人が多いっつーのもこういう親の世代からの刷り込みって相当多いと思うんだよねっつーかぶっちゃけ大半がそれなんだろうと思うわけよ。計画経済ならぬ計画人生みたいなのがまだ可能だった頃の話を今されてもしょうがないし今はそういう時代じゃないし計画人生が可能だった頃の将来という言葉の響きと不安定だけどフレキシブルで逆に固定されてるよりかは流動的な方が色々な可能性が残ってるって考えられる今みたいな時代における将来っていう言葉の響きは全然違うんだよね。

 

例えば散々さっきディスり気味に書いた芸能人とほぼ変わらないような今だけの職業にしても別に今できそうでやりたいならそれはやればいいんだよね。でもそこで将来どうすんの?って言われると躊躇しちゃうよね。こんなもんが10年後も成立してるとは思えない・・・とかって考えちゃうけどそんなのどうでもいいんだよね。ほぼ全域にわたって10年後どうなるか分からないっつー環境でそれがデフォなんだからそれに慣れなきゃいけないよね。

 

逆にあとみんなそうだし今安定してると思われる人もそうじゃない日が来るわけで別にその不安は自分だけじゃないわけだしまぁね、周りがみんなガッツリ就職して半世紀ぐらいは余裕で続きそうな職業に就いてて家庭を持ってて・・・っつー環境で自分だけ・・・って不安になるならともかく今は本当に不安定な時代なわけでね、もう杞憂なんだよね。

 

不安定デフォだからそんなもんはみんなにとって自明の感覚だから取り立ててそれを出してきて不安になることもないんだよね。10年後病気になってないかな?って不安になって健康に気を使いまくるとかなかなかサイコじゃん?それと同じだよね。まぁかといっても健康を気にしなくていいのか?っつーと違うじゃん?最低限の気遣いは必要だけど過剰だとただのパラノイアになるってことだよね。将来もこれと同じなんだよね。

 

なんかイケイケの実業家が書くような本とかTedみたいなプレゼンとかで必ずってほどでもないけどよくそういう実業家タイプがいうのってパーティーに誘われたら必ず行くとか安っぽい人脈みたいな意味じゃなくてなんか偶然的にせよ出会いがあるかもしれないようなものには積極的に行くっつーことを言うじゃん?

 

それはまぁよく考えれば時間も金も労力も費やすことになるんだけど結果的にそういうところから広がることがあったりするし仮になくてもそれでいいっていうただ動かないと何も生まれないから少しでもそういう可能性があるなら広げるという選択を選ぶっていうのはイケイケの実業家みたいなタイプとは違う庶民にも言えて俺が書いた仕事が趣味かとか関係なくとりあえずやりたいこととか興味があることをやるってのはこのイケイケの実業家がパーティーに行くのと同じことなんだよね。

 

そこから広がるという可能性があるわけでしょ。変な話、それは個人的な物事なんだから実業家が行くパーティーよりよっぽど今よりいろいろ広がる可能性があるよね。で、別にそれは庶民でも実業家でもそのパーティーが実益に繋がらなくてもいいんだよね。そのパーティーが楽しかったとか良い経験になったとか知らない世界を見てきたとかさ、なんつーか世界に対してのプレゼンスを表すべきなんだよね。showing upっつーのかな。

 

別にそれはネットとかで具体的にPRするとかってことじゃなくて意志と表象としての世界みたいなことなんだよね。世界に対してこうありたいですとかこれやりたいですとかっつーイデーの表出だよね。それを世界に対して表現していくということで生成していくっていうことだよね。行動せずに不安にかられるってのはこういう世界への表現を将来の不安っていう形で表現しているわけで結局それが自分の世界を作り上げちゃうわけよね。

 

で、それを繰り返してると不安ベースの世界観ができてもうそれが恒常的になると壊すのが大変になるんだよね。行き過ぎると不安神経症とかになるわけで。意志を表出したところでそれが思ったように帰ってくるかは分からないけどまずそうやって意志を示すってことだよね。

 

で、それを思っているということではなくて実際にやるという表現によって世界に表すわけだよね。んで世界はそれに対して何らかのフィードバックをそれを表現した人に戻すわけだよね。それは別に決まった形じゃないんだけどそのフィードバックっての分かりやすく例えばフェイスブックにいいね!がつくみたいなことじゃなくてやってみたら世界が変わったとか認識が変わったってのがフィードバックなんだよね。それはもう明らかにやったことに関してのフィードバックによるものじゃん?でもそれはやらないと得られないわけだよね。だから表出することが必要なわけだ。

 

で、見栄えとかインスタ映えとかそんなの気にしないで別にそれが自己完結してようがネットに何か出すということになるにしてもダサいってことに躊躇しちゃいけないんだよね。ダサくても全然いいんだよね。こんな歳になって別に発表するわけじゃないけどこんなことをやるなんてダサい・・・みたいな観念とかいらないわけよ。今はダサいかもしれないけど続けていくことで洗練されていってかっこよくなるかもしれないしとにかくそれは世界と自分との関係性だからそれが他者にどう写るか?なんてのはどうでもいいんだよね。

 

そこで最初の方に書いたギターに没頭し過ぎる俺を心配する母に戻るけど(笑)俺はそういう考えをもってしてギターをやってるし深く凝るものに関しては常にそういう考えでやってるけど他人から見るといきなりロックスターになる!とかって言いだしてるぞあいつ!とかいい歳してロックに目覚めたとかアホじゃない?とかそもそもロックってダサくない?とかまぁ色々あるよね。まぁ趣味もいいけど将来のことも考えろって言いたくなるよね。確かに。

 

でも自分の行動に確固たる信念があるっていうことは常にそういう世界と自分との関係性における自己生成と生命を先に繋げていく瞬間瞬間の強度っていう自明性の中で行われているものだから他人から見るとバカにしか見えなくても本人からすると一番先に生命を繋げていくという行動をしているわけででもそれは他人には分かるわけないよね。ようはそこでそういう信念を持つということだよね。逆にここ数年ヤバかったのはこういう先に繋げていけるようなソースになるようなものが無くなってきているっていうことだったんだよね。

 

んでギターがブレイクスルーになるなんて思ってもみなかったしこれはなかなかドラマティックでうわーもういよいよヤバいなやることなくなってきたなっていうときにまぁここでも書いてたけどやろうと思っててやってなかったことはもうやり尽くそうってことでそういえば二年ぐらい放置状態になってるギターがあるな・・・ってことになったんだけどこのギターってのも部屋を整理しててギターはもうやることもないからもうしまおうかなって思った矢先にちょっと待てよ・・・っつーんでやってみるかっつって今に至るわけなんですよね。

 

まさに分からないことですよね。ギターがブレイクスルーになるなんて思わなかったしやるとも思わなかったからね。何しろ自分は楽器をやるタイプじゃないっつー思い込みがあってやらなかったっつーのもあるんだけどそんなのもただの思い込みだったってことも分かるわけだしあとまぁ暗示じゃないけどたまに夢でギターを超絶に弾く夢とか見てたんだよね。

 

んでまぁ夢から覚めてあー夢みたいに弾けたらなぁーとか思ってたんだけどじゃあなんでやらなかったの?って話だけどそもそもあんな夢みたいに弾けるわけないしそんなパワーも無いって感じだったしまぁあと他にやりたいことがその時あったりだとかね、まぁでもそういうやりたいこととかもいよいよ無くなってきたっていうのが過去にも何回もあったけど今回もいよいよヤバくなったときにしまおうと思っていたギターに手を伸ばしたのがきっかけで・・・っつーんで今のギターに没頭して楽しい毎日に繋がってるわけだよね。まさに生命とバイタリティを繋ぐものだよね。でもこんなもんは計画して得られるものじゃないよね。本当にまぐれみたいなもんだからね。

 

昔で言えば自分にとっての数学みたいなもんですよ。コミカレで足し算引き算のクラスからやり直してた自分がまさか数学に向いてるなんて思わなかったわけだしっつっても集合論は最初から分かったけど微積分とかさっぱり分からなくてこんなの高校でやるんだと思うと自分に絶望したけどやってるうちに分かるようになって分かるどころかもう自分の認識とか世界観にまで数学が影響していくレベルで没入するようになるなんて足し算引き算のクラスをとっていた頃とかまぁそれに限らずそもそも数学が大嫌いっつーのが小学校以来あるからそれ以来考えられなかったことなんだよね。

 

まぁんで今は別にそこまで数学にフォーカスしてないけどでもまぁすんげー認識の武器になってるよね。もう知ってるのと知らないのとじゃ雲泥の差があるわけよ。それこそ音楽理論とかギターにしたって結局は比だとかエンジニアリング的なこととかって数学じゃん?昔は感覚だけでやってたようなところが今は感覚と数学的論理っつーのが加わってるわけで数学が人生そのものに及ぼす影響っつったらないですよね。

 

ギターにしたって触ってたことはあるけどノイズ発生器としか考えてなかったけど今年になってやっていくうちに真っ当な道もある程度やると楽しいってことが分かったしちゃんとしたノイズを出すにはちゃんとした演奏法を知っておく必要があるってのも分かったってのもあるしっつってもこれも以前では考えられないことだよね。まぁ特に一切楽器触らずに打ち込みとか最低限の鍵盤弾けるぐらいの人間だったらよく分かると思うんだよね。一切ギターとかに縁が無いやつがギターに目覚めるっていうね、でもまぁそれがブレイクスルーだったわけでね。

 

ただこれも同じで別にいつ熱が冷めるか分からないしいきなり飽きるかもしれないよね。まぁ投資額が凄いから簡単に辞めはしないけど飽きるというのは大いにありえるわけででもまぁハングリーにはなるよね。友達と遊んで女の子と遊んで・・・みたいな他にも楽しいことがいっぱいある若者ならともかく色々やり尽くして詰んできているというやつがようやく見つけた数学以来のハマれそうなまぁようは数学ぐらいの規模でやれそうなのを見つけた!っつったらそれに食いつくでしょ。それこそ金とか仕事じゃないこれで食ってやる!ならぬこれで生きてやる!みたいなハングリーさだよね。何しろ他にやりたいことが無いわけだから。

 

ただでもこれで生きてやる!っていうのも不安定なわけだよね。別に辞めるときがきたら辞めるでそれでいいわけだし。ただその世界に対する表出という自分の表現を意志のオプティミズムとバイタリティによって常に発信し続けていれば不安に押しつぶされるよりかは相当マシな可能性があるよね。逆のその意志が無くなったら終わりとも言えるよね。

 

だから生きてるだけでゾンビ状態ってのはウォーキングデッド状態なわけでさ、そういうデッド状態は世界への表現っつーパワーを本当に遠ざけるからね。まぁでもゾンビ状態にある人とかオプティミスティックに色々やり続ける人がムカつくっつータイプの地に落ちたゾンビとかってのはそういう世界に対する表現が出来なくなった去勢状態っつーとフロイトとかラカンっぽくなってややこしくなるしだいぶ意味合い違うからインポ状態って言うけどまぁそこでガンガン世界に対して勃起したペニスで突きまくるやつが妬ましくてしょうがないわけだよね。ペニス羨望ならぬ勃起羨望ですな。

 

そういうバイタリティってのが羨望とか妬みの的にもなりえるってことだよね。終始ナチュラバイアグラ状態だからインポがそれが羨ましくてしょうがないわけだ。勃起できるパワーと突っ込むことで得られる快感と達したときに得られるオーガズムととにかくそれができない人にとっては妬ましいよね。まぁそれがさっき書いたマイナスのバッドなヴァイヴスビンビンの人とナチュラバイアグラ状態の人との世界の違いだよね。両者の接点はないよね。まぁ職場とか他の接する強制力が発生しちゃうような場所は別として。

 

まぁでもこのナチュラバイアグラ状態ってガンガン色々やる!みたいなことに限らないんだよね。自然体で日々ハッピーにやっていくっていうスローライフも自分がやりたいライフスタイルができているって言う意味でガンガン突いてるイメージはないけどガンガン突いてるんだよね。ガンガン突いて世界に射精することでまた次の生命を繋いでいくってことだよね。そこで世界に何かが生まれるとか作れるってのが言わば種が発芽した結果なんだけど別にそれはただの結果なんであって種無しでもオーガズムに達することができて日々やっていければそれでいいんだよね。

 

まぁそこで見栄えとかインスタ映えとかってさっき例え出したけどこれが最悪なのは関係性が自分と他者の世界の間で自分の生を考えているっていうことだからなんだよね。人にどう思われるか?とか羨ましがられるか?ってのは本当に虚空の世界だよね。そこでの表現なんてのは表層的なもんで根源的な世界と自分の関係性じゃないでしょ。そういう人と自分とでの間での実存ってのは本当に無駄だしまぁ競争みたいなのが良い結果を生む場合もあるけどでもそういうのは大体後になって虚しくなるわけで最初から世界を相手にガンガン突きまくってたほうがいいのよ。まぁそれをやれてる人ってのは多くないだろうけどやれてる人はそれだけで相当プログレッシヴですよね。

 

見た目のレベルで言えばインスタ映えするプチセレブみたいなセレブ未満の幸せそうに見える素人のほうが良さそうに見えるけどインスタ映えしなくても世界に勃起したちんぽを挿入してガンガン突けているやつのほうが実際は根源的に幸せだからね。

 

しばらく書いてないと書きたいことがザーメンの如くパンパンに溜まりはてて一気にそれをぶちまけるっつーいつもの感じになったけどまぁそんな感じっすね。

 

んじゃまた。