ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

仮象としてのロック。その2。

新作貼り忘れてた。まぁ新作っつーより一発録りシリーズなんだけどね。

 

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例の仮象としてのロックなんだけどあくまでその俺のそのコンセプト内で勝手に評価するって意味でのラリーズってのは凄いんだよねっつーのはその仮象としてのロックの要件を完全に満たしてるからなんだよねっつっても当然リアルタイム世代じゃないし特別当時のことに詳しいわけじゃないんだけど結果的に水谷考という人物に関しては謎が多すぎるわけだよね。全然インタビューとか受けないわけだし当然メディアとかにも出ないわけよね。

 

所謂、そのこないだ書いた平日の日中にジャズ喫茶にいる謎のグラサンみたいなプレゼンスをレジェンドレベルにまで押し上げてるっていうか仮にこれが本人が当時から方法論的にやってたらもう完全にリアルレジェンドだと思うんだよねっつーのは凄まじい方法論的なセルフプロデュースなわけでしかも成功してるわけじゃない?謎にすることで価値を高めるってのは別にそんな新しいやり方じゃないにせよもしくは元々そういうのが嫌いで狙ってなかったにせよ結果的にそういう謎なレジェンドになったって意味でも偶発性という意味で大成功してるんだよね。

 

作品の流通なんかもあんまり望まないとか言いつつ本人が絡んでると噂されるブートだとかまぁ単純に金が必要ってのもあるけど出し方としてレジェンドっぽい出し方だよね。ブートしかなくてプレミアつくとか今は色々聴けるし手に入るけどまぁ俺もそれは知ってたんだよねっつーかノイズ聴き始めた頃はラリーズなんて超レアだったからね。

 

ロックっつーのが音楽性もさることながらその人物像とか雰囲気とか生き方とか見え方っつー像にも多くの要素があるとすればラリーズは最強だよねっつってもその巷で言われるようなレジェンドっていう意味ではある意味もう終わってるよねっつーのが音源も映像も普通に見れるようになった時代だし情報化には抗えないわけだしある意味まぁ化けの皮が剥がれるようなところはあるわけじゃん?

 

youtubeのコメントとかも「歌がヘタ」とかみんな分かってることなんだけど素のコメントが出ちゃうみたいな(笑)雰囲気としてのレジェンドとして語り継がれてきていたのがデジタル化っつーか情報化してそれも相対化された一つになっちゃうっていうことで雰囲気のところの化けが剥がれるっていうところなんだけどロックははったりだって書いたけどそのはったりってところを最大限に使ってたっつー感じがするよね。

 

でもそれはせこいセルフプロデュースの仕方なんじゃなくていや、実際は初期の曲がいくつかあってそこから新作がほとんどなくて永遠と同じ曲をやり続けるみたいなそれってまぁソングライティングのスキルとかが無かったのかもしれないしでもそういう弱点みたいなところを十分補ってるよね。逆にプレゼンスとかはないけど卓越した作曲能力があるとかってのもまぁ足し算引き算でプレゼンスはマイナスだけど音楽的要素でプラスみたいなさ、なんかロックってそういう包括的なもんだよね。ある意味のビジュアル系っつーかさ、ビジュアル系ってのはいかにも!っつー感じのゴテゴテの世界観とルックスとかがあるわけなんだけどラリーズはそれを先取りしていたっつーか水谷考なりラリーズ関係の人たちがすげーロックを理解してたっていうことなんだろうなって勝手に思ってるんだよね。

 

音楽の部分なんつってもその辺で売ってるギターに違いないしエフェクターもアンプ然りだよね。ワンアンドオンリーなんてのは無いでしょ。んで曲なんつってもブルース調とかロック調とか決まってるわけだしインプロのバージョンなんかも決まり切ってるわけでさ、なんかそういう限界にいち早く自覚的だったのかな?とかって思ったりするんだよね。まぁそこも謎が多いから勝手にそう妄想できるみたいなところでもすでに成功してるんだよね。

 

もしかしたらこうなのかな?いや、俺はこう思うなーみたいな無限の解釈を可能にするっつーかさ、あれですよ、庵野監督的なはったりですよ。エヴァも色々な解釈が可能で哲学的な解釈だとか心理学的だとかもうそれ自体が言論空間を形成するようなものになるんだけどいざ時間が経ってみるとただのはったりだったってのが分かるんだけどでもエンタメとして機能してるし深遠そうに見せて実は何もないみたいなゴダール的な感じとかも含めてのエンタメっていうところだとゴダール庵野監督もエンタメとして成り立ってるわけじゃん?

 

エヴァは言うまでもなくアニメとして面白いわけだしゴダールのもはったりもあるけど単純にビジュアルとか俳優とか雰囲気とかが良いっつーところがあるわけでそれってまぁロックの権化としてのラリーズも同じだよね。難解そうに見せて何もないようなコンセプチュアルな音楽と違って音楽自体の強度が凄い。あんな時代にあんな轟音でやってたのって滅多にいないだろうっつーかそれこそ高柳かラリーズかってなもんだよね。ノイジーなギターじゃなくてノイズギターって意味でね。

 

wall of noiseの元祖でもあるよね。実際はもっと元祖ってあるかもしれないけど狙ったかどうかはともかく結果的にすさまじいフィードバックでハーシュノイズになってるっつー意味でも凄いよね。まぁそこは当然はったりとは別にやっぱり評価されてる部分でレジェンドたる所以なんだけどそこでのまぁああいう謎な雰囲気とメディア的な方法論も謎を突き通すとかさ、作風を一切変えないとかまぁあれしかできなかったっつえばそれだけなんだろうけどでも結果的にそれでよかったっていうね、阿部薫とかもそうだよね。早死にしたことで世界観が壊れることなくレジェンドのまま死ねたっていうね、アイラーみたいに死ぬ前にダサいレコードとか残してないからね。まぁロックの代名詞として早死にってのがあるけどやっぱりこの早死にが形成するレジェンド感って凄いよね。そのロックの音だけじゃないプレゼンスって意味でもう永遠だもんね。

 

大抵のロックバンドは成功してからメジャーに媚びたようなの作るようになったりあとまぁ単純に長生きすることでヨレヨレになった状態で再結成とかしてまぁそれでも人が集まるからいいんだけどまぁ歳を取ったけどいいよねーっつおっさんとかじいさんの実存込みで歳を取った後も評価され続けたりするんだけど早死にの場合、劣化する前に死んでるからね。美人薄命的な感じですよね。美人のまま死ねるとそれで永遠になるからすごいよねある意味。なにしろエイジングには抗えないわけだからね。

 

なんつーかそういうエイジングすらも超越してるよね。ラリーズはっつーかそれは全然公の場に出ないからってことなんだけど結果的にラリーズ像ってのが歪むことなく永遠として刻まれてるっていうそれを50年前に見越してやってたら凄いですよ。まぁ偶然8割ぐらいだろうけど2割ぐらいはやっぱり方法論的だったんだろうなって思うんだよね。

 

例えばそれって水谷考が実はおちゃめな人物でツイッターとか始めちゃってしょうもないことをツイートしてたりしたらもうそれってぶっ壊れるものだもんね。音楽なのにツイッターの発言でぶっ壊れるってすごいよね。まぁそれってだからやっぱこないだ書いた演者ってところなんだと思うんだよね。俳優とかもツイッターの失言とかでイメージ悪くなっちゃうとそれまでの良かった演技すらもあんなことを軽々しく言うやつなんだな・・・って思うと演技はいいのにそういう情報が入ってきちゃうじゃん?

 

そこはまぁ音楽性が良かったり演技力があっても人間的にクズだったらダメなのかどうなのか?っつーところなんだけどまぁでも水谷考がツイッターやったら本当に幻滅するよね(笑)でもまぁこの幻滅するっつーのも幻が滅するってことなわけで仮象が壊れるっていうところなんだよね。まさに抱いているイメージが壊れることで世界観が壊れるってことじゃん?

 

それって別にギターの奏法がどうとかアンプがどうとか関係ないことなんだけどでも音楽に関係することだよね。そういうところをプロデュースしたり仮象を管理できる能力ってのもプロデュースなわけでそういう意味での自己イメージ管理の鬼でしょう水谷考は。ロックはそういうイメージとはったりの世界なんだっていうその観念性に自明だったらもう水谷自身がコンセプチュアルアートみたいなもんだよね。勝手に俺が最近そう思い始めてからラリーズの株がめっちゃ上がってるんですよ(笑)

 

それも音楽性ってことを考えると高かった音楽性を一気に商業主義のくだらない音楽とかアングラバンドですらもメジャーデビューなんつって歌謡曲みたいなのもやったりするわけでまぁ音楽性クソですよねそれって。一貫性が無いってのはもはやもうそれは音楽性がクソとしか言いようがないわけだよね。

 

そういう意味での音楽性を失わないでキープするってのは大変なわけでさ、んでも新作は作らなきゃいけない!ってことになりがちなんだけどまぁここも謎なところだけどどうやって生活してるのか分からないんだけど別に売れなきゃいけない!なんつー必要性が無いからあえてイメージを劣化させるような新作を作るよりかは初期の曲を繰り返しやってたほうがいいっていうね、まぁなんかマイブラなんかもある意味結果的にそうだよね。寡作っていうところでレジェンド感が出るっていうね、それは意図したものじゃないにしても結果的にそうなってるわけで仮象としては大成功なわけだよね。

 

これってでも安っぽいイメージ戦略とかとは全然違うんだよね。偶然性も含めた仮象のプレゼンスってことだもんね。この仮象ありきで曲を聴くのか聴かないのかじゃまた全然イメージ違ってくるわけだしそういうのはバカバカしい!音そのものとして聴くべきだ!っつってもそうじゃないジャンルもあるってことだよね。あとそれで言うとアングラのブラックメタルなんかもそうでほとんどバンドのインフォとかメンバーがどういうやつなのか?も分からないまま不気味な録音だけが録音物として出回ってるみたいなさ、その「詳細不明」ってのが威力を発揮するわけだよね。

 

まぁそれも意図したものとたまたまのもあるんだろうけどあとまぁブラックメタルで多いのはメンバーの自殺だよね。危ういことを歌ってたりして実際にそれを実行しちゃったみたいなのもその事実が音楽に与える影響たるや凄いものがあるでしょう。こんなこと歌ってて実際に後で自殺したんだよねこの人っつーアンタッチャブルな感じはファッションで絶望とか暗黒みたいなのをアクセサリ感覚で安っぽく使ってるようなバンドとかを一瞬で蹴散らすよね。やっぱりそこでの重要なところってガチであるってところに尽きると思うんだよね。

 

そのガチさってまぁ伝わるかどうかはともかくでもそれが技術とか音楽性とかと調和して上手いことアウトプットされてるのってまぁレアなわけでさ、まぁそれと散々書いたプレゼンスとイメージよね。まぁこれは必須じゃないけどでも特にロックとかヒップホップもそうだと思うけどすげー関係あるよね。その辺のバランスが絶妙なものはオワコン化しないっつーかまぁ逆に言うと形式的なものがオワコン化してるから凡庸なものはもうダメになっちゃってある種特殊なもの以外ダメになってるってのはあるよね。まぁそれっていいんじゃない?って思うけどね。新鋭化してるってことだから。

 

まぁそのそういう意味でね、まとめみたいになるけどラリーズヤバいでしょっていうことになるよね。ポストモダン以前からポストモダン後の音楽的アパシーを超越してたっていうね。まぐれだったにせよそういう結果になってるってのは事実だからやっぱまぐれも含めてそこはすごいよね。

 

ただやっぱさ、思想家とかでもそうなんだけど普通にやっぱかっこいいんだよね。作家とかもそうだけどこんな感じの高尚そうな見た目でこんなエッジーな思想なのか!っていうのがあるよね。ドゥルーズとかデリダとかは雰囲気出過ぎだろ。逆にめちゃめちゃそういう意味ではったり的なロックなのはラカンだろう。思わせぶりな動作とか喋り方とか思わせぶりな無駄な動作をするロックそのものだよね。

 

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あとまぁミステリアス度って意味では澁澤龍彦とかヤバいよね。

 

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そして水谷考。

 

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キャラ被ってるっつーよりミステリアス属性っつーと大体そうだろうっつーね、見た目と音楽って関係ないはずって意味だと文学と見た目だって関係ないのに結局関係あるんだよね。それを含めて消費されてるという。声優がアイドル化するとか見栄えの良いガールズバンドが売れるだとか、アイドル性って別にアイドル的なものに限らずイコン的なものってのはもうアイドル性が介在しちゃうんだよね。それはイコンがアイドル的なのかアイドル的なものがイコン的なのか?ってことなんだけど結局それって偶像崇拝って意味で宗教と同じなんだよね。カッシーラーのシンボル形成だよね。音楽的オントロジーってのが当然それは解釈されるものだから知覚の構成によって認識として形成されるんだよね。で、もうそれは見た目ってのが完全に関わってくるわけよね。

 

単純にシンセとかサイン波とかでも音楽は作れるしそこにシンボル要素はないじゃないかとも言えるけどそれこそ前にディスりまくった池田亮司なんかはデジタルっつー俗っぽい意味での最大公約数的なイメージとしてのデジタルっつー世界観を乱用したプログラム音楽なわけだしそれは構造はモンドと同じだって書いたけどそもそも音楽自体がそうなんじゃね?って感じにはなってるよね。考えが。ようはそれはモンドやらデジタルっつーイメージの乱用とかに限らず音楽に付随するものとしてよくあるものだってことだよね。

 

デジタルなりエキゾなりスペースなりっつーのはイメージの乱用だけど音の概念ではなくて音以外の視覚情報って意味で演者の見た目なりプレゼンスっつーのもまぁ乱用なんだよね。ミステリアスというイメージの乱用やら美人ガールズバンドの見栄えっつーイメージやらね、アイドル的なものにばっかり所詮は見た目だろうっつー批判が行きがちだけど音楽全般そういう要素があるってことだよね。

 

でもそれは世界観とかリリックとか人物的背景みたいなのを前提としたそもそも人間を前提としてるロックとかヒップホップみたいなものはそれは当然だし乱用でも何でもないよね。それ自体がそもそも要素の一つなわけだからね。まぁそれ言い出すとアイドル音楽なんてのはそんなのは自明だからそれも別に乱用でもなんでもないってことになると音楽全般そんなの当たり前ってことになるよね。

 

そう思うと仮象としてのロックなんつー考え方が別にロックに限らず少なからずそうなんであってそれはジャンルによって若干の違いがあるだけで音楽の本質的な部分の一つなんだってことになるとまぁややこしくなるんだけど一旦そう考えてみるってのは必要かな?って思うよね。クラシックとかジャズならともかくポピュラー音楽ってまぁ言わばポップカルチャーっつーカルチャーなんであってそのカルチャーっつー要素を抜いて本質的に音楽だけを考えるってのも現代音楽とかエレクトロニカならともかくロックとかの場合、結構ナンセンスだなって思うんだよね。まぁそれでも俺は見た目なんてどうでもいいっつー前からの考えが当然あるけど自分的にどうでもよくてもカルチャー的にそうではないっていうところをまず自明にしなきゃなって思ったよね。

 

音楽にしたってそれをイコン的に消費してる場合、変な話音楽なんてどうでもいいっつーイコンに付随するもの程度のものだったりするわけだよね。CDが握手券になるみたいなもんだわ。バカバカしいっつっても何気にそれが音楽の特性の一つを突いてるわけだよね。

 

まだ続きあるかもしれないけどとりあえず今日はこの辺で。