ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

仮象としてのロック。その4。

寿司屋をディスるつもりはないけどはったりとしてのロックっていうまぁ別に俺が言う仮象ってのが全部はったりっていうわけじゃないしこないだ貼ったアブストラクトロックみたいなのはそのイメージを上手く使ってたり音響的にも上手く使ってたりだとかっていうところがあるわけなんだけどそこであれなんですよね、すきやばしの小野二郎ってロックだよね。

 

「凄い!」って褒めるクリティークがいるロックンローラーみたいなもんで寿司なんてまぁ米にネタが乗ってるだけじゃないですか?ロックもまぁ別に弦を貼った木の板をかき鳴らしてるだけなわけでね、この「所詮は」っていう感じがあるわけじゃん?そこをゴテゴテに装飾することでアートとして成り立たせるみたいな、まぁ高級店とかブランドとかってそうだけどまぁそのベクトルがあくまでラグジュアリーなのに対してロックはまぁカッコよさとか例えばカート・コバーンみたいに恰好がこきたないけどそれがファッションの一つになるぐらいスタイルがあるだとかまぁ視覚情報ですよね。

 

高級寿司屋も「高級」っつー刷り込みと店の評判と大将のカリスマ性とかも含めてただの寿司なのにただの寿司じゃなくなるんだよね。まぁそれ言い出すとショービズ全般そうじゃない?ってことだしまぁ飲食店でも汚い店だったらやっぱり嫌なんだけどさ、ただ別に一等地にある必要はないよね。最低限普通にキレイだったらいいわけで。なんだろうね、逆に所詮寿司感が無い音楽っつーことだとやっぱりすぐクラシックが浮かぶよね。まぁロックもそりゃすさまじいトレーニングとステージングとかっつー努力があるにせよクラシックって別にステージが火を噴いたりとか演奏者が派手なアクションをするわけじゃないじゃん?派手さがあるとすればその派手さとかも演奏として表現するわけだよね。

 

ジャズとかもかなりそうだよねやっぱ。プレゼンスが無くても良いっつーかやっぱ純粋な音楽性が高いってことなんだろうね。それに比べてロックみたいなのは不純物が多いわけだよね。その見た目とかステージングとかっていうね、あとまぁステージ映えする見た目じゃないとダメとかね、まぁでも純粋ロックってのがあるわけでまぁそこを俺は音楽やりたいあんちゃん達が集まって音を出すっつー原始性だと思ってるんだけど結局そこから売れるっつー要素になると不純な要素がどうしても絡んでくるわけだよね。

 

ただの寿司っていうことだとじゃあすきやばしみたいなのが出前やったらどうなるの?ってのがまぁなんだろうね、ネットで聴くロックみたいなもんになるよね(笑)んでもロックの良さってそこじゃないじゃん?でもネット世代ってネットがデフォだからいやーネット世代だなーって思うのがさ、ネットでなんでも聴くみたいな世代が別に日本に限らず過去のロックの映像とかにいちゃもんつけてたりするんだよね。スキルが大したことないみたいなね、まぁそれは意見として別にいいんだけど本当にそのプレゼンスとかロックの要素ってのが分かってないっつーかそういうのが削がれた状態で聴いてるんだなってのがすげー分かるんだよね。

 

で、オタクみたいなのがテク至上主義みたいな「で?」の極致みたいな速弾きとかを披露したりしてるんだけどそもそも全然スピリットが無いしそもそも演奏って表現なんだっつー前提が無いからスカスカなんだよね。ネット世代特有のスカスカさとか浅さってこういうところにあるんだろうなとは思うよね。

 

多分、音楽をネットベースで聴き始めてはいない世代ってのが多分俺ぐらいの世代が最後なんだと思うんだよね。それ以降はネットがデフォだしあとまぁたまに恒例で過去の音楽体験を振り返ることがあるけどまぁ俺の体験にしても怖がりながらも渋谷のシスコに通うとかさ(笑)父親とかおじさん同行でクラブに未成年で入るとかさ、もうそこでの経験があるわけよね。

 

クラブのあの大音量とかシスコにしたって店内の音楽の音量ヤバいからねっていうか当時のレコ屋って大体まぁ爆音だったけどテクノに生もクソもないだろうけどでもなんかやっぱああいうのが生の経験なんだよね。テクノをあるべき姿として聴いていたっていうさ、その体験があると家で聴くテクノとかにしても感覚変わるからね。まぁでもリスニング型のテクノみたいなベッドルームテクノだったかなんだったか、ケン・イシイみたいなのが家でも聴けるテクノみたいな感じでクラブを前提としてないリスニング中心のテクノっつーのが発生したわけなんだけどでもまぁあくまで現場のテクノってのが当然前提としてある中での話だよね。だからあえて「リスニング」と言うわけでさ、それがデフォならリスニングもクソもないじゃん?そこはもう爆音前提だったからでしょ。まぁ今でもそうだとは思うんだけどね。

 

なんでも通販とかネットで済ますっつーんでまぁ別に世代関わらず生活形態とか変わってると思うんだけどそういう原体験の有無ってやっぱ大きいよね。逆にそれが無いと本当にかっこいいギターを弾くような人に下手くそとかって言っちゃうんだろうなっていう、まぁ俺が言いたいのって徹底的なこの仮象擁護なんですよね。批判的に見えるけどそれが本質なんだっていうさ、音のデータだけ見れば下手かもしれないけどかっこいいのって明らかにあるわけでね、あとまぁあれかな、ジャンル関係ないけどRawさのかっこよさとかもだいぶ伝わってないっつーかそういう感覚がゼロなやつらが相当いるんだろうなって思うんだよね。

 

だからまぁ誰でもできる的な野暮ったい意見とかが出てきたりするんだろうなってまぁ別にそれはどういう時代にもあったにせよどちらかというと年長者がロックとか原始的な音楽に対して低俗だっていうのに対して今って変でより若い世代がプリミティヴでテイストの世界みたいなものに単純なテクニックとか打ち込みだったら複雑性とか作り込みとかそういう貧相な観点でしか音楽を聴けなくなってるっていうでもそれって聴けなくなってるんじゃなくてそういう世代なんだよね。

 

家でそこそこの音量で聴いても映えるような感じのリスニング系が中心だから音波そのものとプレゼンスを味わわないと聴いたと言えないみたいなものからだいぶ遠ざかってるっつーかいや、でもそれは俺がロック聴くようになって気がついたことなんだけどね。テクノにしてもなんつーのかな、これはクラブ映えするなっていうかハコで化けるタイプのトラックだなみたいな感覚がデフォだったんだよねってまぁそりゃそうだよね。フロア用のテクノだったらそれが当たり前なわけでさ、でもそういう意味でロックだってそうなんじゃないの?って思うんだよね。爆音で聴くからロックなんであってさ、そこをネットの動画だけ見て上手い下手言うのなんて野暮の極だと思うんだよね。

 

じゃあなんでその若い世代っつーかテクにばっか走るようなくだらないギターを弾くようになるのか?っていうとそもそものロックのベクトルが無いからだと思うんだよね。そもそもロックなんてアマチュアリズムの宝庫なわけで下手だけどかっこいいってのがかっこよさだったりするわけじゃん?まぁそれだけじゃないけどね。

 

でもなんかピロピロやる速弾きとかメタル系の速弾きにしてもそうだけどまぁテイストの違いではあるとは思うんだけど「で?」の極致だよねああいうのも。でも逆にね、ネットでしか音楽を聴いたり見ないって世代にとってはアピールするもんなんだろうなって思うんだよねっつーのが爆音とかプレゼンス関係なく技術論的に凄い!って簡単に思えるじゃん?凄い!ってのとかっこいい!ってのは別だと思うんだけどその辺の混同ですよね。概念エラーというかなんというか。

 

まぁでもネット世代ならネット世代特有の音楽観ってのがあってそういう世代じゃないと作れないものがあって実際にそういうのも出てきてるっていう実例があればいいけど全くっつーのは言い過ぎにしても無いよね。とにかく上辺だけを掬ったような薄っぺらいのばっかだよね。もちろんどんな世代にもそういう薄っぺらいものをやるっていうのが大半で圧倒的に多いんだけどネット世代特有の薄っぺらさってまた異質なんだよね。下手に上手かったりするんだけどテイストの部分が全然ないっつーかさ、情報による模倣とその繰り返しっていうそれだけなんだよね。

 

だからまぁそういう意味だと感受性なんだろうなとは思うよね。自分がかっこいい!と思えるものが圧倒的にかっこいい場合、それがもう原理だからその感性に従ってればかっこいいのにたどり着くしそういうのを探すし自分でもやるわけじゃん?でもその原理が無いとただのスタイルの模倣だったりテクニックってことになったりするんだろうなって思うんだよね。

 

ただまぁなんつーかな、そういう決して音楽的に凄いわけじゃないのにかっこいい!みたいなのってすげーファジーな部分でそれこそAIが楽曲を解析することで何が人を喜ばせる音なのか?ってのが分かったとしても解析不能な良さってところだよね。むしろ解析では演奏はヘロヘロで下手で素人臭いとかさ、音のバランスが悪いとかありきたりな「良い」の感覚でいくと悪いの塊みたいなのが良かったりするわけじゃん?グルーヴ感とかもそうだよね。まぁやっぱその辺って黒人音楽が最強だと思うしまぁ音楽全般全部モダン音楽って黒人音楽がルーツだからまぁそこに行きつくわけなんだけどね。

 

ファンクって感覚を理解できるのか?ってことだよね。ようはその俺が今言ってるネット世代って凄くAI的な思考を持ってるっつーかアルゴリズム的っていうかさ、冷静に解析してここが速弾きでどうのとかめちゃめちゃ速い!とかさ、そういうところで凄さが決まっちゃうみたいなさ、でもなんか例えばグルーヴの黒さとかRawなロックの良さってそんなところじゃないじゃん?感じるものだよね。

 

もしくはそれに感動しなかったらそういう感性を持ち合わせてないっつーかまぁでもそれ言い過ぎると排他的になっちゃうんだけどでもまぁならざるを得ないよね。あまりにも分かって無さ過ぎなのが多いからね。日本は両極端で世界でもトップに君臨するんでは?っていうぐらい分かった人たちとってまぁそれは少数だけどんでまぁ大半が凄まじく民度が低いっつーか音楽の感覚がすんげー低いんだよね。

 

だから国内でもトップに君臨するっていうようなのは実際の知名度とか売り上げとかだとトップからは程遠いんだけど海外からの評価は高いみたいなね、まぁそれって昔からそうだけどまぁ変わってないんだなってのはあるよね。ネットでなんでも聞けるようになってなんか色々とまた面白いのが生まれるんじゃないか?みたいな期待はもうないよね。分かってる感じの音楽をやってるのがギリ俺ぐらいか俺よりちょっとぐらい下ぐらいのやっぱ音楽の原体験が何かしらの生だったりする世代が最後でそれ以降は死んでるよね。

 

だから音楽の高齢化っつーかさ、原体験がある人たちが良い!というものは若い世代には分からなかったりおっさんが良いっていう特有のものだよねみたいな感じになっちゃってオワコン扱いされるっていう、でもそれってテクノとかクラブ音楽にしてもやっぱ90年代がピークじゃん?90年代は黄金期だっていうのはおっさんの思い出補正以外にもやっぱり事実としてあるよね。とにかく革命的だったり凄い名盤みたいなのがすげーいっぱいあるじゃん。前も書いたけどyoutubeのコメントとかでもよくあるもんね。時代はEDMだけどクラブ音楽は90年代のものがやっぱり最高だ!みたいな、まぁ実際にハウスとかでもクラシックハウスリバイバルみたいなのとかってまぁだいぶ前だけどあったわけだし普遍的な良さがあるんだよね。

 

んでまぁ気がついたのがLo-Fiハウスとかってまさにそのこないだdirty beachesの話で書いたような仮象としてのロックっつーのがまさにハウスで起こってるっつーのがローファイハウスだよね。まぁすげーマイナーなジャンルだけどクラシックハウスのテイストをそのまま抽象化して引き延ばしたみたいなさ、あとまぁイメージとしてのハウスだよね。なんというか基本的にこういうある種ヴァーチャルな感じみたいなのが方法論化するのも出尽くした後の砂漠特有のものなのかもしれないよね。

 

継承した人たちとそうじゃない人たちが分かれるんだけど今はそういう分岐点なんだろうなって俯瞰して思うんだよね。まぁそれは継承する何かを持った人たちがだいぶ高齢化しても存命で活動してるから継承っつー感覚はないっつーかそういう危機感はまだ生まれないと思うんだけどでもなんかテクノとかってやっぱりまだそのオリジネーターっつーかその持ってる人たちってのが50代とかじゃん?それに比べてロックは古いから毎年ロックスターが死ぬよね。んでまぁ継承してても実際にそれで音楽活動をしてる人たちが全員じゃないわけで継承しつつ音楽をやっているって連中になると相当少なくなるんだよね。それがまぁロックのオワコンにも繋がってるんだろうなって思うんだけどね。

 

あ、んでロックの場合あれか、そのゴッドファーザーから継承した人たちとかがまぁまだ若いけど10年以上前に雑誌の表紙とかでんでも後に凄いのが出てきてないからまだ雑誌の表紙で出てくるとか(笑)それ以降無いっつー感じがずーっと続いてんだろうなって思ったんだよねってまぁ今はリアルタイムに色々とリサーチして聴いてる中でのあくまでの今現時点での印象だけどね。

 

あ、でもまぁテクノでもあれか、例えばメタファイヴみたいなのってYMOチルドレンとか言われるけど完全に継承した人たちとゴッドファーザー本人で形成されてるんだけどこれも高齢化ユニットだよね(笑)いや、かっこいいんだけどこういう人たちが常に一番かっこいいっつーのは後から出てきてないってことだもんね。まぁ90年代リアルタイム世代だと夢のようなユニットなんだけどそれに匹敵するような音楽性とプレゼンスを持ったバンドが若い世代でいるか?っつーといないよね。別にそれは日本限らずなんだけどね。なんかだからアラフィフあたりの人たちがだんだんレジェンド化していってでもまぁ結局そのなりつつあるレジェンドでそれ以降が繋がってないとか出てこないって感じになってるんだと思うんだよね。

 

でもそこで若い世代がダメになってるのか?っつーとそんなことはなくてやっぱり分かるやつらとかセンスあるやつらっているんだけどそういうやつに限って最近の音楽知らなくて90年代の音楽ばかり聴いてますとか昔のロック聴いてますとかまぁ所謂黄金期の音源ばっかり聴いてて現状には全然興味ないみたいな人たちが結構いるよね。まぁでも無理もないと思うんだよね。そこがまぁさっき書いた90年代のクラブミュージックは普遍的だ!みたいなのと通じるものがあって分かるやつほど上辺だけのものばっかで溢れてるから現代に興味が無くて音楽がアツかった時代の音源ばかりを聴くってことになるんだよね。

 

まぁ俺も若いつもりだけど(笑)90年代リアルタイム世代=おっさんってことになるともうおっさんになっちゃうのかもしれないけど俺が今の音楽全然知らないし聴かないっつーのは実存で90年代に永遠にノスタルジーを感じてるとかじゃなくてまさにその過去の音源を聴く分かってる若い世代みたいなのと同じ感覚なんだよね。アツかった時代の音源にしかむしろ興味が無いっていうね、まぁ俺はマニアック過ぎるから世間的な感覚とはだいぶ違うにせよでもそれでも分かるよねその昔のやつしか聴かないっつー感覚がね。あとまぁ音源自体が新しくても80年代後半とか90年代ぐらいに結成されたユニットなりそんぐらいから音楽やってる人たちの最新作みたいなのばっかだよね。テイトウワの新作出たらしいよみたいなね。

 

俺はまりんとテイトウワを神格化してると思うけどでもリアルに彼らの世代で音楽は止まってるっつーかモダンの最高峰に行きついたんだなって気がしてるんだよね。だからあれ移行出ようがないだろうってのもあるよね。あとまぁ最近サンレコ読むようになったけど所謂そういうテイトウワみたいな世代が完全に大御所になってて結局表紙になってるんだよね。でもまぁ90年代後半とかもテイトウワとかまりんとか卓球が表紙だったような・・・ていうね(笑)ロックもそれが同じなんだよね。表紙を飾るバンドが変わってないという。だからそれは別に特有のジャンル固有の現象なんじゃなくて音楽そのものの現象なんだなって思うんだよね。

 

んでまぁ寿司とロックに話を戻すと基本刺身におにぎりが乗っているだけの寿司にどんだけ付加価値を与えるのか?っていうのがまぁその口コミとかそこに予約して食べるみたいなのがステータスになるとかってまぁブランド品とかと同じラグジュアリーな感覚だと思うんだけどluxuryならぬ何かに何かを乗っけただけというauxiliaryな感じが実は補助的なものではなく本質的っていうまぁイメージの世界っていうまぁこれって世界観完全にヴァーチャルだと思うんだけど何がactualなのか?っていうと刺身におにぎりが乗っているというものが存在そのものでもそれを食べるプロセスなり感じるプロセスで視覚情報とか店っつー場所であったりだとかっていうのが味とは一見関係ない味を決めたりする要素にもなるって本質と離れているようで人間の知覚ということから考えるとそれは当たり前というね、ありがちな話になっちゃうけど好きな人と一緒に食べたから美味しかったみたいなことも残酷に個々の要素を分解していって好きな人と一緒にいて楽しかったからっつー条件付きにするとその状態っつーのがそもそも楽しいっつー状況だから大して上手くないものも上手く感じるっつー知覚の錯覚っつーと言い過ぎだけどさ、まぁ上手くって漢字で言うと旨くだけどまぁ変換とかいちいちやってると時間かかるから普段から気にしてないけどまぁそれはともかくまぁまぁだったら楽しい状態だったら相当その楽しい状態というのに味覚がプラスされるだろうっていうことだよね。

 

セックスはなんで気持ちいいのか?ってオナ専の俺が言うのもなんだけどやっぱり愛じゃないですか?この子とヤッている!ということだよねってまぁそれだけじゃないにしてもやっぱそこでしょ!ってところはそこだったりするわけでそれってまぁ現象で言えば局部のただの摩擦なんだけど摩擦しているのが超好きな子だったらそりゃ興奮するってのと同じで「たかが摩擦」みたいな現象に還元することこそナンセンスなものはないと考えるとたかが寿司されど寿司になるんですよね。木に弦が張ってあるやつだけでロックができる!っつーのは木に弦が張ってあるっていうところに還元すると「は?」だけどロックという現象を考えるとそれはセックスにおける愛と一緒なんだよね。AIとかアルゴリズムとか解析とかクソ食らえ!なまさに人間!ということが成せる業だよね。木に弦が張ってあるというところからの大いなる飛躍ですよね。

 

まぁテイストのある音楽も含めて出尽くしてるっていってもその大いなる飛躍っつー武器がある人類にとっては音楽はやっぱり良いものっていうかやるのに良いものだって言えると思うんだよね。むしろやってこその大いなる飛躍を楽しめるという。音楽は終わったっつーのはそういう意味でAI的な冷静な分析ではそうかもしれないけどヒューマニズムは終わってないだろうっていうところですよね。

 

まぁこの辺の感覚は岡潔的な情緒と数学に似てる気がするわ。ただ数学の場合、数学で情緒?っていう驚きがあるけど音楽の場合、むしろ情緒しかないだろうっていうところででも音楽は終わった的な見方は極めて数学的というか冷静に見ればそうだよねっていうでも情緒は終わってるのか?っていうとそんなことないでしょう。むしろそういうテイストの寛容というのは人間にとっての永遠の目標でしょう。

 

でも「分かるかなー?これ」みたいな完全なオナニーの世界になると一気にクソになるからそこでやっぱり客観性っていうか自分がいいかもしれないけど客観的にどうなのよ?っていう目線は必要だよねっていうかそれが無いと完全に終わりだからね。だからただ没入すればいいってことでもないわけで。これってどうなのよ?的な冷静な目線と馬鹿みたいに没入するっていうのを同時にやるのは大変だけどその辺がまぁ理性と感性のバランスって気がするんだよね。まぁ別に感性が突き出てれば理性なんていらないと思うけどね。ただまぁ理性的な人間があえて理性を無くす必要はないし理性が感性を邪魔してるとかならともかくエフェクターの如く両者のシナジーがあればそれでいいわけですよね。

 

なんかこのネタすげーあるな。色々。まぁ別にネタって寿司とかけたわけじゃないしもっと寿司とかけて色々と書こうと思ったけど逸れたんだけどまぁ大体こんな感じだけどまだあるっぽいから続くかも。ただまぁロックのオワコン化ってさ、やってる人たちが終わらせてる感じもあるんだよね。そこはなんかロック特有っつーか例えば最初はジャーン!とかってギターが入ってきてベースとかドラムが入ってくるんだけどそれがただのアンカリングっつーかバンドのロックなんですよって認識させておいて曲自体はほぼ歌謡曲的EDM+ポップスみたいな驚きの構造があったりするんだよね(笑)

 

何のためのギターやベースなんだ?と思ってギターを追うと最初はすげー歪んだギターが鳴ってるのにEDMチックなトラックのシンセとかリズムとデカすぎるボーカルで楽器が空気になってるっていう(笑)まぁこりゃ誰も聴かなくなるわなって思いつつでもなんで誰も聴かないしみんなクソだなって思ってるのにそれが売れ路線として売り出されてある程度成立しているのかが不思議だよね。

 

まぁもはやロックっつーよりそれは今に始まったことじゃなくて歌謡曲化したロックとか商業ロックとか自体がその今のEDM+上辺だけのロックみたいなものと同じで別にロックとして聴かれていたわけじゃないんだなっていうところに尽きるんだよね。ただまぁロック的にもロック史的にもロックと言えるものが実際に売れてもいたっていう意味ではロックがそういうポップス的な位置を占めていた時代が長かったんだよね。


それが最近になって完全になくなってるっていうそれだけな気がするんだよね。ソニックユースを通して聴いたりしてたけどなんかやっぱりロックのポップ化って病理なんだよね。ソニックユースも売れたのは良かったと思うけど所謂売れ路線になってから形骸化した前衛要素+ノイズが残ってるだけで他の部分が大体同じな単調なありがちなオルタナ系ロックっていう、ギター関係のムックとか雑誌も読んでたりして知らないロックバンドの名前をガンガン知る機会しかないような現在なんだけどまぁあとディスクガイドとかもだいぶ読み漁ったけど大体まぁこんな感じだよね。マジでロックだな!って思うのは所謂有名だったりメジャーだったりするのに滅多になくてそれはこないだスーサイドのロック性とかパンク性みたいなのでも書いたけど別にロックバンドっつー形式じゃないもののほうがむしろロック!って思うやつの方が多かったりするんだよね。

 

まぁでもなんか凄い天啓ですよね。今流行りのAIのようなものが理解できなかったりそういうもので作れないものこそがロック!というね、まぁそれはロックに限らないと思うけど逆にそれだけAIがそのうち作れそうなものばっかになってるからみんな音楽聴かなくなってるんだよね。これって逆説的に音楽の未来は明るいってことだと思うんだよね。AIはつまんない最大公約数的な良い音楽しか作れないわけでまぁ今時の音楽と同じでさ、そうじゃないものがエッセンシャルなわけでしょう。なんかすげーな。壮大なヒューマニズムの話になってきたわ。んで最終的にロック的ロマンティシズムが勝つという夢とかロマンとかではない論理的帰結としてロマンティシズムが勝つっつーのが最高にロマンティックだわ。

 

あ、もうそろそろ終わるわ。まだあるね。色々。んじゃまた今度ね。