キリスト教に目覚めていく私。その6。

ジーザス・キャンプっつードキュメンタリーがあるんだけどアメリカのド田舎の狂った福音派が子供たちにカルトみたいな手法でキリスト原理主義で洗脳するっつーやつなんだけどまぁググってみてくれ。あとフロム・イーブルっつー2002年ぐらいから表ざたになって世界中でどんどん暴かれることになったカトリックの変態神父達の子供たちへのレイプっつーのがあるんだけど両方とも「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」っつーだいぶ前にやってた日本だと未公開のドキュメンタリーを見るっつー番組があってまぁそれが見事な町山チョイスで面白いんだけどなかなか唖然としたのがまぁジーザス・キャンプもそうなんだけどフロム・イーブルのさ、まぁあれだよね、スポットライト 世紀のスクープっつー映画あるじゃん?

 

っつーかまぁこれに限らずカトリックの変態神父が隠し部屋持っててそこで少年同士で性行為させたのを録画してたとかなんとかまぁ色々スキャンダルがあったのを覚えてるんだけど言い方悪いけど宗教とかどうでもいいとかって考えてた時ってのはまぁ相変わらず宗教ってのはロクでもないなぐらいの認識だったんだけどまぁ今目覚めて色々学んでる中でまぁなんつーか信仰の重要さっていうかまぁ信仰っていう感覚とかまぁあと当事者として信じる側の心理とかさ、あとまぁ信者と教会の関係性とかも関心なかったころに比べたらだいぶイメージが湧くっつーと変な言い方になるけどまぁ割と自分のこととして考えられるようになるわけじゃん?

 

まぁそんな中でさ、事実は知ってたにせよ今書いたドキュメンタリーとかを見て見るとさ、まぁ凄まじいインパクトがあるんだけどカトリックやべーなって思ったのが自明なことにせよバチカンをトップとする人工宗教ですよねって人工宗教ってまぁそりゃ宗教は人工だろうって話なんだけどまぁ露骨にヒエラルキーがあるっつーかまぁバチカンの歴史とかもっとディグるつもりだしあとまぁ教会と児童虐待の歴史とかも色々本出てるから読んでみるつもりなんだけどまぁ一般的にっつーかまぁ今の俺の浅い知識で言うと基本的にまぁローマ帝国の国教になってから元々の原始キリスト教といって良いのか分からないけど元々のキリストの精神からは遠ざかったようなっつってもまぁ元々のキリストの精神って何なの?って話ではあるんだけどまぁ完全になんつーか制度化したっつーかシステム化したようなものになっちゃって元々のインディーズ精神とかストリート精神から遠ざかったような権力的なものになっちゃったんだよね。

 

まぁそれ言い出すと大抵の宗教がそうだろうって話だけど改まった儀式的なこととか聖書まだ読んでないやつが言うのもアレなんだけどまぁこうしろああしろみたいな決まりがあったわけじゃないしそもそもこうしろああしろ的な律法的なものをジーザスは偽善だって言ってたわけでまぁ今の俺の印象だとカトリック的なシステムになってからはもうすでにキリスト教じゃないっつーか律法的なものとか決まりとかを守るような偽善的なものになったっつーような感じがあるんだけど歴史的に色々と虐殺したり当初のジーザスの精神からは考えられないようなブラッディーなことがキリスト教によって行われてきたっつーのは歴史的に明らかなんだけどまぁそんな中でもこのさっき書いた児童虐待のスキャンダルってブラッディーなカトリックの歴史の中でも相当エピックな出来事っつーか実質オワコンになってんじゃん!って感じになってるっつーのがなかなか驚きなんだよね。

 

まぁ調べればわかると思うんだけど世界中の教会で虐待があってシステム的な隠ぺいがあったっつーのが暴露されててまぁそれで例えばさっき書いたドキュメンタリーの中ではそういう疑いをかけられた神父ってのが別の近場の教会に移転になるだけで特に免許はく奪みたいなことにならないでまたその移った先で事件起こしてまたそれを隠蔽して別の場所に移って・・・っつーのを繰り返してっていうまぁなかなか他の職業者ありえないっていうか子供をレイプしたってのが組織的に隠ぺいされて特に裁かれずにそのままその職業を続けるなんてことができるのは逆にカトリックぐらいしかないんじゃないの?っていうさ、違法なんだけど実質隠ぺいされるから合法的レイプになるっていうね。

 

まぁんでそのようはレイプされた子供の心の傷ってのがさ、特にまぁそりゃケースにもよるんだろうけど家が貧しくて心のよりどころとか行き場所が教会しかないみたいな状況でそんな中で神父さんっつったらもうそのままそれが神様だ!みたいになるような中でその神父からレイプされるっつーことがようは肉体もそうなんだけどすさまじい精神的レイプになるっていうさ、デフォのレイプでもそりゃ生涯患うレベルPTSD的なものを残すっつーようなことになるんだけどそれがまぁ神の代理人みたいに思える人からレイプされるっつーことのまぁ信仰をぶっ壊すっつーところとかさ、信じられるものが何も無くなるっていうまぁ実際にドキュメンタリーとか映画でも言及されてるけど生きてればまだ良いほうで自殺する人も多いっつーまぁなんかさ、もう本当にオワコンですよね。

 

例えば数件あってそれをバチカンが隠ぺいしてたっつーならまだ分かるって言い方変だけどバチカンをトップにあとはまぁ末端に至るまで基本的に世界中にあるっつーもんならまぁその末端で何らかの事件が起こることもあるだろうっつーのも分からなくもないんだけどそういう児童虐待が世界的にあってしかも量が膨大で訴訟が起こりまくってて合計すると国家予算オーバーするぐらいの金が必要で実質的にガチでそれを払おうとしたらもうその宗教自体が破産するしかないみたいな状況になってるとかっつーのをまぁそこまで知らなかったわけなんですよね。

 

なんだろうね、まぁそれでもそんだけの件数が隠ぺいされてて加害者もさることながら被害者もまぁ天文学的に多いだとか普通にやべーだろって話なんだけど色々と今勉強してる中で前よりかはキリスト教徒にとってのキリスト教とは?みたいな考え方が分かるようになってるっつー立場から見たときのヤバさだよね。まぁ俺は教会とかどうでもいいし関係ないしまぁ関係あったとしてもまぁ基本的にプロテスタント以外ありえねーだろとは思うんだけどまぁカトリックの人たちにしてみたら衝撃だよね。

 

それはまぁカトリック教会の神父さんとか内部の人たちも含めてだよね。チリだったかどっかでまぁ事件が露呈してから神父さんの大量辞職があったみたいなのを読んだんだけど歴史的に大量辞職があったのってあんまりないっていうか多分ほとんどなかったんじゃないか?っていうぐらいレアなことでまぁ黙示録的な意味じゃなくてまぁガチでカトリックが終わっているっていうさ、そんな中でローマ法王だかがジーザスと直にアレコレするような感じの信仰はダメだから絶対教会に行ってくださいみたいなことを言ってたりするとかまぁどんどん自滅していってるんだよね。

 

ただまぁ権力的な意味でも歴史が長いから強固な独裁政権並に組織が強いっつーかまぁでも帰依してるのがジーザスなんだったら関係ないって言い方はアレなんだけど自分のことというわけではないよね。ただまぁもっと調べるつもりなんだけどカトリックってバチカンをトップにしてるっつー体ならもうそのバチカンが隠ぺいしてたってのが分かった時点でもう終わりだよね。んでまぁ2002年以降世界中で被害があったっつーのが報告されてて金も払える額じゃないっつーともうマジで終わりだよね。

 

まぁ色んな国で児童虐待とか関係なくそもそも宗教っつー時代じゃねーよなってことで宗教自体から離れる人が増えてるってのはまぁそりゃ当然っつっちゃー当然なんだけどまぁそういうデフォで信者が減少しているっていう時代でさらに追い打ちをかけるかの如くスキャンダルが歴史的なレベルで露呈してるっつーことでより離れる人が増えるっていうね、ただまぁ児童虐待に限らず色んな犯罪が何世紀も前から隠ぺいされてきたんだろうなっつーのはまぁあんだけ隠ぺい体質があるっつーのを見ても逆にないほうがおかしいっつー話なんだけどまぁ歴史的に見ても明らかな形で犯罪が露呈したっつーのはもう本当に宗教史に残るレベルでの大スキャンダルなんだよね。

 

っつーか本当にキリストに目覚めた自分としてはすげーこりゃ迷惑なことだなって思うんだよねっていうかまぁそれは信仰が芽生えたからこそ異端どころじゃない下手なカルトよりもタチが悪いバチカンっつーのはもう本当に解体しなきゃダメだろって思うんだよね。困るのがだからやっぱ神様なんていないじゃないか!なんつーバチカンとか神父っつー名のただの凡夫がやったことをそれを神の思し召しだとか神の名において成されたことだみたいに解釈されちゃうっつーのがまぁ教会に放火してアンチクライストを標榜するようなガチのブラックメタルバンドとかよりも全然神への冒涜度が高いっていうさ、悪魔の行いを神の名で行うってもうある意味インサイダーしかできない外側からどんだけ冒涜をしてもそれには敵わない!っつー冒涜だよね。

 

ましてや福音を伝えるっつー役割をするはずの教会とかまぁ宗教団体っつー媒介が人を不信に陥れるようなことを喧伝するっつーのはもうやってることが破壊的な行為ですよね。逆にまともだとこんなことが露呈してるのに未だにキリストがどうの言ってるやつは頭おかしいってことになっちゃうよねマジで。特に宗教とかに疎い人なんかはカトリックプロテスタントの違いとか分からないわけだしまぁ俺がそうだったから一番よく分かるんだけど本当に由々しき事態ですよね。んで多分こういうのってあれなんでしょ、プロテスタントであっても基本的にキリスト教の中の人だとバチカンって権威なわけで基本的に文句言えないみたいな空気があるわけでしょ多分。まぁそれいっちゃーおしまいよっていうようなことをやってるわけだからみんな言わないってことになるよねそりゃ。

 

まぁなんかどの道あれだよね、もうまずバチカンをトップとするようなシステムはありえないわけで今後あるとすればプロテスタントかあとは無教会派ってまぁ派閥で言う必要はないんだけど基本的に外部の教団とかを通さない個人的な信仰以外ありえないよね。なんかもうそれはあれだよね、どんだけ色んな理想とか理念掲げてても例えばまぁそういう理想的な理念を掲げてる政治政党があったとしてまぁそれが政権握っててんでまぁ隠ぺいされてたけどってありえないんだけどまぁ例えば侵略戦争をしてどっかの民族を大虐殺して民族浄化をしてましたとかってのが分かっちゃったらもうその政党終わりますよねっていうかその政権終わりですよね。

 

倫理的にそんなもん解体以外ありえないしでもまぁ掲げてる理念は良いんだ!とか良いこともやってるんだ!っていう理由があっても侵略戦争してなおかつ大虐殺を行ってたらもう無理ですよね。逆にそれが分かってるのにまだ支持するってことは相当狂ったシンパなんだなって思われてもしょうがないですよね。

 

今のバチカンってそんな感じなんじゃないの?って思うんだけど普通に存在してるのを見るとある意味世界で一番強い組織なんだろうなって思うよね。あらゆるところに権力が行き渡っててどんだけ倫理的にアウトなことをやってても解体できないようになってるっていうかさ、政治的な権力もあるわけでどっかの国が解体を求める!なんて声明を出すわけにもいかないんだろうし暴動が起きるってわけでもないんだろうなっつーのがまぁもう文化的にカトリックに支配されてると暴動がありえないっていうね、まぁせいぜいカトリックから離れるぐらいのことしかできないっつー感じだと思うんだけどまぁでもなんか性的虐待にしても50年以上前からあるだとかまぁ別のやつには1920年代ぐらいからあるとか実際はもっと前からあっただとかなんだとかまぁ基本的にシステマティックな隠ぺい体質ってのが完成しているっていう時点でもう前からあるっつー疑いをかけられてもしょうがないっていうさ、固いエビデンスとして50年以上前からあったっつーのが押さえられてるってのがもう致命的ですよね。

 

なんかもうレベルってのが当時の責任者を裁くとか辞任させるとかっていうので済まないものなわけで宗教的にもう終わってるんだよね。まぁ少なくともジーザスの名前で宗教やるのはやめてくれって話になるよね。でもまぁその辺のバランス感覚とかもどうなってるのかなー?とかってのも気になるところだよね。まぁそれは今後色々とディグるわけなんだけどまぁディグるの増えたよね。いや、まぁそれでさ、例えばまぁ一般論として311みたいなことが起きると神も仏もない!って気持ちになるんだけどまぁ天災とか事故に関して神とか仏は関係ないんだよね。まぁ何もかもを神の思し召しだとするような予定説を取る考えもあると思うんだけどまぁそれってオカルトですからね。

 

何にでも神のメッセージがあるとかさ、だからまぁそこでアメリカのバカな原理主義の神父とかが311はジーザスを信じない日本人への神からの天罰なんだ!って言ったりだとかまぁ基本的に宗教を実践する側とか教団とかの内部の人たちが全員じゃないんだけど基本的にまぁ色々とゆがめるわけだよね。

 

まぁそんなの今に始まったことじゃないんだけどまぁそりゃ当然当初とはかけ離れたものになるよね。んでまぁさらに政治だの金だの権力だのってのが付随するわけでさ、まぁそんな中で当初の教えなんつーのを実践しながら組織も維持するなんてのは無理なんだよね。それはまぁ散々昔色々と政治学をディグってた時に書いたけど基本的に組織自体がもうそういう風になるっつー必然があるからね。

 

ミヘルスの寡頭制の鉄則じゃないけどさ、仮にすんげー志がある革命家たちによって独裁政権なりなんなりが打破されて革命家たちが政権を手に入れても必然的にそれは当初の志と関係ないところで勝手に腐敗するっていうね、あとまぁ腐敗って仮に9割方の人間がまともでも1割ダメだったらもう組織として腐敗するよね。9割がまともに仕事してても1割が汚職してたらもうそれだけでダメになるじゃん?っつーか責任が組織全体にあるわけだし人為的なミスとかならともかくあからさまな悪が行われたっつーことだったらもうダメだよね。

 

ただまぁそこでマックスウェーバーなんかは人間的にクソなことをしてても政治家として良ければそれはプライベートのクソな部分には目をつむって政治家として評価するべきだっつーようなね、ただまぁあれなんですよね、つまりは政治家としてクソなことやっちゃったらどんだけ逆にプライベートで善良な人でもそれは政治家としてアウトになるってことなんだよね。まぁんで百歩譲って政治家ならともかく聖職者が汚職っつーかましてや寄付の無駄遣いとかならともかく迷える子羊として教会に来ている子供をレイプしたっつー事件を隠蔽するとかもう完全にアウトですよね。

 

レイプはレイプで犯罪としては同じでも例えばヤクザとか愚連隊みたいなやつがレイプするのとコンテキストとか意味合いが全然違ってくるじゃないですか?んでまぁそれやっちゃったらもう組織としてダメになるわけじゃん?そもそも宗教なんつーめちゃめちゃ精神的である種観念的なものってのがピラミッド型の組織として成り立つわけがなくてさ、まぁそんなのカルトに限らないんだよねっていうかまぁカルトとの比較はおかしいか。

 

ただまぁ観念的だったり思弁的だったりするようなものってのを100%ピュアな状態に保ったまま大きい組織を運営するって無理なんだよね。もう人がやってる時点で無理だよね。やるとすればルソーが言うような神みたいな人間じゃないと無理だわ。基本的に民主主義が成り立たない原理と同じだよね。民主主義も精鋭の数千人とか多くても数万人ぐらいの単位だったら可能でも何億とかになるとそりゃポピュリズムになりますわな。その何億といる人が民主主義の理念を理解してるかどうかも怪しくなるし何よりポピュリズム的動員が多くなるに決まってるよね。ジーザスキャンプじゃないけどアメリカの田舎の福音主義がまさにそうでしょ。ああいうのが共和党支持するわけだからね。

 

なんか改めてキリスト教を勉強してると世の中にあるキリスト教との乖離が凄まじいっつーかもう世の中にあるものが乖離し過ぎてて別物なんだよね。特に洗練された深い神学者とか哲学者の仕事とかを通して学んでるわけだから世俗臭いものってのは一切ないわけでっつってもまぁN.T.ライトみたいに世間受けする俗っぽい学者の仕事が俗っぽいが故に理解されて支持されるみたいなクソみたいな現象があるのはしょうがないんだけどまぁそういう意味で洗練されたものってのは難解で例えるならまぁ例えが古いけど超訳ニーチェと本当のニーチェぐらいの差があるんだよね。

 

んでまぁ本当のニーチェっつーとニーチェ論も含むわけでハイデガーニーチェとかドゥルーズニーチェとかオリジナルのニーチェならまだ読む人はいるかもしれないけどハイデガーニーチェなんて読む人あんまいないでしょ。でもまぁニーチェに関してリアルに理解しようと思うと基本的にそんぐらいの深さまで行かないと理解できないっていうか最低限必要とされる知力と労力が高いんだよね。

 

だからまぁ宗教っつーのも基本的にセレモニー的っていうか教えがどうのっつーより形式的な儀式だとか日曜日に教会に行くだとかみたいな教義とあんまり関係ないようなところがメインになったりするっていうかそれをして信仰とするようなさ、でもまぁそれってそういう思考停止的な決められたルーティンをやることで信仰しているっていう風に思うっつーのをジーザスは当時の律法学者をディスってたわけじゃん?その律法学者達が人間的にまともだったりむしろちゃんとしててもそういう律法を守ることで神の教えに従ってるとか実践して信仰してるって思ってるっつーのを偽善的だってディスってたわけでまぁ制度化してる宗教ってほぼ例外なくジーザスがディスる類のものだよね。

 

ただまぁジーザスの教えってお釈迦様の教えと同じで大げさなセレモニーとか習慣とかを必要とするものじゃなくて考え方とか認識の在り方ってのがあってそれを日々実践するっていうことなんだよね。あとまぁなんか特定のセレモニーをやることで霊感がアップして神が下りてくる確率が高くなるとかまぁそういうのをジーザスは魔術的なもんだっつってまた批判してたわけで俺は本当にこのジーザスのラディカルさに心酔するからこそジーザスに帰依してるわけでいきなりスピリチュアルなものに目覚めたってわけじゃないんだよね。まぁ召命されたっていう迫害する側から一気にひっくり返ったっつー個人的な回心するまでの出来事ってのはあるにせよまぁ基本はジーザスのラディカルさなんだよね。

 

まぁその回心があってジーザス関係調べてるとそのラディカルさが歴代の革命家とか思想家とかの比じゃない究極的なラディカルさがあってなおかつそこでラディカルすぎるが故に処刑されたっていうそれが旧約的な条件を結果的に満たしたからメシアだ!ってことになったんだけどそれはともかくそういう神話的な要素は別にしても新約のエッセンスってのはやっぱりジーザスの思想のエッセンスだよね。

 

そういうわけでまぁそう考えるとっていうのも変だけどまずあんなデカい教会を構えたり大げさなセレモニーやったり偉そうな衣装を着て仰々しく大げさに儀式をやるだとかっていう後に勝手に付け足されたところとは全く関係ない独立したものとしてジーザスの思想ってのがあってまぁそれが実際のところの原理なんだよね。そういう意味での俺は原理主義者だと思うんだけどでもそれも今の言葉で原理主義っつーとそれは聖書に書いてあることを全部正しいとするみたいな偏屈なものを原理主義とするようなことになっちゃっててだから言葉的になんつーのか分からないけどまぁ歴史的にもあるところで言うとキリスト中心主義っつーのかな。まぁローマ法王とか教会とか関係ないっていうあくまでキリストを軸に考えるっていうところですよね。

 

まぁ一般的にキリスト中心主義って言うのはまた別の意味があると思うんだけどなんかでもやっぱりキリストを軸にすることの重要さってあるよね。相変わらず思うのは何かを述べるときにキリストの話とか新約の話とかアナロジーも出てきたりするんだけど他のところでは旧約のアナロジーとかもあったりするっていうとアルチュセールの認識論的切断じゃないけど旧約と新約って繋げるのが相当難しいレベルでの凄まじい断絶があるわけだよねっていうか両者全く別のものといっても過言じゃないぐらいだよね。

 

まぁもっと旧約の研究も進めていけば考えは変わるのかもしれないけどやっぱり旧約ってユダヤ教聖典とされるだけあってまぁユダヤ教の話なんだよね。んでまぁ全然ロジックが違う新約を旧約と繋げるっつーのも違う宗教を混ぜるようなものでさ、んでまぁなおかつジーザスはパリサイ的な律法ってのを否定してたわけだから旧約との整合性が無いんだよね。

 

ジーザス自体はユダヤ教徒だったと考えられててもパリサイ人とかが実践しているようなユダヤ教の在り方には批判的だったわけでだからこそ父なる神よっていうような旧約の神に祈りを捧げたりはしてるんだけどそれをどう実践するか?っていうのは旧約を参照としつつもオリジナルなものが多かったわけだよね。まぁようは旧約的に言えばアウトなことをいや、実際はアウトじゃないでしょっつーラディカルな視点で実践していったっていうのがつまりはその生き様というのがキリスト教そのものになったっつーわけで別にキリスト教を立ち上げるためにやってたわけじゃなくてまぁそこはお釈迦様と同じだよね。生き様と言葉が神レベルじゃね?ってことになって宗教の開祖になったっつーところだよね。

 

ただまぁそこで基本的にキリスト教にしても仏教にしてもインテリが色々と教典を研究してそいつが悟るなり救われるなりしてもそれは小乗だけど基本的に理念としてもっとデカい人類を悟りに導くとか救いに導くっつーところでの大乗思想っていうのがあるわけだよね。でも元の教えは仮にシンプルであっても誰が読んでも分かるようなものじゃないからもう世俗化は免れないわけでまぁようは分かりやすくするしかないっつーんでどんどん形が変わっていくわけだよね。まぁ基本信じてこれやってればオッケーとかあとまぁずーっと修行なり勉強なりをできる人ばかりじゃないから時間が無い人でも実践できるようなやり方とかってのがむしろメインになっていくっつーのはもう不可避ですよね。

 

まぁそういう世俗化の結果、本来のものとは全く乖離したようなものになっちゃってもしょうがないんだよね。でもそれは基本的に教典なりなんなりを本当に理解してるかどうか?とは関係ないところで形式的に信仰しているっていうことにすればなんかまぁ基本的にオッケーっつようなところがもうすでにダメなんだよねっつっても普通の人がみんな僧侶みたいな生活を送れるわけじゃないからもうそこは宗教の劣化は避けられないんだよね。お釈迦様の弟子にしてもジーザスの使徒にしても相当な精鋭なわけでしょ?

 

だからあんな風に教えに感化されて布教したりするわけでさ、凡人じゃないんだよね。でも凡人にも理解できるようにしなきゃ!っつーところでまぁお釈迦様の弟子とかジーザスの使徒達よりもっと後になってより劣化は進むんだけどかといってもそれは世俗化による必然的な劣化でちゃんとしたコアの教えの部分は伝達されてるんだけどそれを心底理解して実践するなり伝道するなりってのをできる人ってのは限られてるんだよね。

 

そういう意味ですげーエリート的だよねっつってもエリート主義ではないんだよね。何しろ特に仏教なんかは仏法が難しいわけで万人に開かれてるなんつってもみんなが理解できるほど簡単なものじゃないから結果的にエリートオンリーになっちゃうんだけどそれじゃいかんってことで形式的な形骸化された形で実践されることが多くなって所謂俗っぽい宗教に成り下がっちゃうっていうね。

 

とりわけまぁ際立つのが児童虐待を隠蔽してるような教団が派手な教会で派手な衣装を着てセレモニーをやってるだとかまぁすげー権力を持ってるだとかっていうような倫理的な倒錯ですよね。世俗化はしょうがないとして倫理を侵すってのはアウトでしょう。まぁあと歴史的に権力が絡んでるしとにかくまぁストリートで始まった宗教ってのが国教とかになるわけだから宗教史とかも鵜呑みにできないっつーか批判的に見ないといけないよね。そう思うとまぁ宗教改革の偉大さっていうかルターやべーな!っていう感じになってるのが今の俺なんだけどそう思うと真っ当な正道を行くキリスト教ってのはプロテスタントから始まったと言っても過言ではないわけでまぁそう思うと歴史は400年とか500年ってことになるからまぁ比較的相当新しい宗教だよね。まぁ言わば近代化に成功した宗教って感じになるのかな。

 

権力絡みの腐敗した教会って別にまぁカトリックに限らずプロテスタントでもあるとは思うんだけどそういう意味で別にキリスト教に目覚めたといっても歴史的な見方が変わるとかってことではないよね。まぁ当事者意識はあるんだけど良い面だけ見ようとしたりとかさ、まぁそれこそあれですよね、テキストなんてのも都合が悪いところは無視して整合性がある真っ当な歴史を歩んできたみたいに書いてあったりするかもしれないっつーことを考えるともはやイデオロギーなんですよね。

 

認知的整合性を与えるというような帰依して安心できるような宗教の形を与えるってのはもうイデオロギーなわけですよね。でもまぁきれいごとだけじゃないのが実際なわけでまぁあれだよね、戦後とかに共産主義を信じてた人たちが実際の共産国の隠されてきた事実を知って唖然とするようなさ、なんかまぁ昔の本とかって毛沢東がいかに素晴らしいか?みたいなのを座談会とかでやってたりするもんね。カトリックってまさにそんな感じだよね。

 

まぁそういう醜聞があってでもまぁ帰依するのはジーザスなんだってことを言いだすともうそれは必然的にプロテスタント的にならざるを得ないよね。つまりはそういう信仰によって帰依するわけで教会がどうのとかじゃないわけでしょっていうかその当の教会の組織がダメになったわけなんだから実質的にもうプロテスタント以外ありえなくなってるよね。まさにそういう教会の腐敗にプロテストするっていう立場以外ありえなくなってるよね。そのぐらいカトリックの腐敗がそんぐらいの逆説的な強制力を持ってるっていうかどんだけ擁護しようとももはや不可能っつーかなんつーか酷さのレベルのグラフィカルなレベルってあるじゃん?

 

グラフィカルってまぁ絵的なインパクトってことなんだけど例えばカトリックの神父がジルドレの如く少年少女を誘拐しては隠し部屋に連れ込んでレイプした後切り刻んでいたとかっていう事実は切り刻むっつーところの異常性っていうかレイプの時点で異常なんだけどさらに切り刻むっつーことで絵的なインパクトがあるっていうね、でもまぁ神父が子供をレイプなんつーのは精神的に切り刻んでるようなものなわけでさ、やってることの残酷さってまぁ同レベルなわけだよね。

 

神父が子供を切り刻んで食べていたのを隠蔽したってなるともう隠ぺいした側終わりって感じだけどレイプだとまだ終わりじゃないんだろうなっつーのがあるよね。でもまぁ切り刻んでるのと同じぐらいの倫理の逸脱っぷりなわけでさ、ただまぁそこが言葉においてのリアリティがないのかな?っていうところも感じるよね。ましてや児童虐待っつーとだいぶイメージが和らぐよね。

 

でもまぁやってることはレイプとか切り刻みなわけでね、なんかそういう伝達においても護教的なプロテクトがかかってるっつーかさ、まぁただそこで被害者の話とか聞けばいかにそれが強烈なものであるか?っていうのが分かるんだけど逆にそんぐらいの被害者の言葉ってのが無いとリアリティを感じられないんだなっつー怖いところがあるよね。そんなことが行われているのに児童虐待判明!みたいな言葉で何気に和らいじゃってるっていうね、まぁそれだけでも由々しき事態なんだけどまぁそこでグラフィカルな意味で例えばそれは残酷さにおいて切り刻んだ後食べていたぐらいの異常さがあるわけでね、切り刻んだ後食べてたっつー報道がされたらさすがに教会側も終わるわけだよね。

 

まぁそういうインパクトの問題なのかな?っていうね、インパクトが無いとは言わないけど自体の根源的なヤバさに気がつかないっつーかさ、そこがまぁただのレイプと違うっつーところなんだよね。信仰とか神の名を介することによってレイプが切り刻んで食べるぐらいのものになるわけよね。スキャンダルどころの話じゃないよね。マジで。

 

まぁそんな感じで色々とディグるつもりですけどね。そんな感じで今日はこの辺で。

 

PS

 

あと書き忘れたけどNetflixオリジナルの「キーパーズ」ってやつもおススメなんで是非。