相対的・主観的。その11。

 Spastique Manの新作出したんだけど今回のはどうにもこうにも流れ的に他のやつに入らなかったやつとかを雑多に並べた感じの合計77分の膨大な金太郎飴アシッドが詰まっとりますんでよろしくね。

 

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All The Same in Spite of Doing Different Thing

All The Same in Spite of Doing Different Thing

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

まぁあと残りは連作みたいなのがあるんだけどそれをまとめたやつと作りかけのやつがいくつかあるんでそれをまぁ来年ぐらいに出せたらなって感じですかね。今年は多すぎるからもういいやって感じで。

 

ってことで続きです。

 


あとまぁ結果的にラグジュアリーっぽくなってちょっとリッチ感が出てもそれはただの結果なんであって衒示的消費をするために買ってるわけでもなければコーデしてるわけでもないっていう、究極的な自己満足というのが必要だよね。見せびらかしという要素が出た時点でもうアウトだからね。だから変な話、見た目は普通だけどただジャケットにしてもシャツにしてもシルエットのディティール見るとヤバい!みたいなやつがいいよね。あとまぁ素材感とかね。モロにブランドのロゴがあって「めっちゃ高いですこれ!」って服が主張するようなものではなくてパッと見じゃ分からないディティールの部分にこだわりがあるっていうそこだよね。

 

あとまぁ個人的にそれがツボってのもあるんだけどね。分かりづらかったりあと変な話、外に出ない裏地が凝ってるとか(笑)まぁでもいいんですよ。自分が満足すればいいわけで「裏地凝ってるんだぜ!」って見せびらかすために着てるわけじゃないからね。

 

まぁそんな感じでその例の今後徹底的に集めるハマったブランドはプラダみたいなグレードの値段ではないにせよまぁ相当毎回覚悟して買わないといけない感じだから余計なもん一切買わないでそこにフォーカスしようと思いますね。んで額が額だから爆買いできない結果、通うしかないというサステイナビリティもあるしね(笑)

 

何より音楽機材とかもう買わないだろうしソフトも色々あるしカンフーの道具とか本もあるしレコードもちょっとは買ったとしても前みたいにバカみたいに買わないだろうから注ぎ込める準備が出来てるってのはあるよね。まぁコロナ禍で大変ではあるんだけどファッション無くなったらマジで死ぬからな。俺。だって聴き過ぎてアシッドとかテクノに一時的に飽きててもファッションは興味無くなったことないからね。

 

昔は今みたいに買えなかったけどそれこそ若いころから常にそれはあって今は昔よりは自由になる金があるっつーのと色々とやり尽くして飽きた結果、他の出費が無くなったことで全額それにBetできるっていうね、んでまぁ着た時の幸福感と言ったらヤバいよね。買ったときの幸福感がある場合、ただ買うことが目的化してる買い物中毒でまぁ人ってカードを切ったときに快感を感じるらしいんだけどそうなったら終わりなんだけどそうじゃないなってのを改めて今回思ったんだよね。

 

本当にこれが着たかった!とかチャレンジしてみて良かった!っていうフィードバックから幸福感があるってのはその洋服が本当に好きということだし着る度に初期ほどの感動はないにせよ毎回着心地とかシルエットとかが良かったりして「かっこいいなー」って言うのがあるわけじゃん?そこは「俺かっけーな」っていうナルシズムじゃなくて「頑張って投資しただけあって洋服めっさかっこいいな。店員さんのアドバイスのおかげもあるし最高やな」っていうかっこよさがあるといいよね。

 

だからまぁそれってベクトルは今自分がやってる太極拳とか詠春拳とかと同じで完全なるインナートリップだよね。自己陶酔ではないそれそのものを好きになって酔うということだよね。だからそれは自分に酔うということとは真逆というか全く違うベクトルなんだよね。

 

だからまぁなんだろう、洋服を着るために体系維持しようとかまぁ太極拳やってるから相当締ってきたってのもあるけど自分っつーより洋服基準なんだよね。んで自分はある意味トルソっていうか洋服を着るための器でしかないっていうメインが洋服なんだよね。その主従といっていいのか分からないけどそれが逆なんだよね。かっこつけるためのファッションじゃなくて洋服を際立たせるためのファッションだからトルソが不格好だとダメだから体幹もしっかりしてて姿勢も良くて体も締っているっていう要諦が必須のものになるっていうね。

 

まぁでもこれってよく考えると俺の音楽に対する考え方と同じでしょ。まぁ元は大友さんの言葉だけどミュージシャンは音を出すだけの無力な存在に過ぎないっていうことでそれはファッションも一緒なんだよね。ある意味自己を捨てるというかさ、すんげー前にノイズと主体性の話を書いたけどミュージシャンシップを否定するovalの姿勢は最高だ!っていうまぁただマーカス・ポップ自体はあんま好きじゃないんだけど(笑)DJにしても音楽にしても「俺が俺が!」っていうエゴじゃなくて音がメインなんだよねって当たり前なんだけどね。

 

でもまぁ一般的にDJっつーと世界レベルはともかく一般レベルだとどういう曲か?とかどういうセレクトなのか?ってことより誰が回してるのか?とかっていうタレント性のほうが重要視されるっていうね、まぁそれはハコも経営厳しいから下手くそでも集客力があるセレブとか芸能人がDJやったほうが人が集まるからしょうがないんだけどまさにDJなんて人前に出なくていいよね。人を見ることは大事だけどDJがかっこつける必要は全くないしかっこいい曲をかけてるからいいんであってかっこいい曲をかけている自分に酔ったらもうダメでしょ。

 

アシッドにしてもあのビヨビヨサウンドに酔ってるんであって「この音出してる俺かっこいい!」じゃないじゃん?それとは対極にあるからアシッドが好きってのはあるよね。その主体性が無いノイズと一緒だわ。自分はただ音のメディアというか仲介を行うただの身体なんであって自分が音のメインなんじゃなくていかに303の音をよく響かせるか?っていう裏方でしかないんだよね。だからメインは303なんだよね。人間なんてどうでもいいしまぁ実際テクノとかアングラ系のグライムとかガラージなんかもアーティスト名が極めてアノニマスな記号みたいなやつが多いからね。

 

まぁスターみたいな人は別だけどまぁ音ってそれが一番いいよね。作者が出過ぎてると本当に気持ち悪くなるよね。なんかそれってまぁようは意識してたかどうかはともかくクラフトワークとかってまさにそうじゃん?ロボットが音を出していますみたいな感じで人間性を排除するっていうね、でもまぁ音楽はそうあるべきだ!ってことじゃなくて逆に人間性とか身体性が前面に出てれば出てるほどいいのはまさにファンクとかジャズとかっていうような人力音楽全般よね。

 

だからそういう意味でヒップホップのブリンブリン文化は最高なのよね。スタイルとしてね。成り上がったぜメーン!っていうようなブリンブリンを身に着けて自分を見せつけるというスタイルだよね。でもまぁあれって見せつける厭らしさというよりああいうスタイル自体がかっこいいっていうものだよね。だからある意味見せつけってのは歴史的背景なんであって結果的に出来上がったストリートスタイルってのは人間から独立して一つのスタイルになっててそれ自体でかっこいいってことになってるよね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。