今夜の夜食はドギーバッグでお持ち帰り。

カウンターたぶん壊れてるんだな。ありゃ。明らかにおかしい。ところで例のアニメオタクのペルー人にさ、また「マクドナルドいかない?」って誘われたんだけど、さすがにまた奢ってもらうのもあれだし、一応、建前として「お金セーブしなきゃいけないから・・・」っつって遠まわしに断ったんだけど、「いや、行こう行こう」なんつってさ、すげーノリノリで「俺が誘ってるわけだからさ」なんていうんだけど、こうやって日本語にするとホモが誘ってるような感じだけど、まぁニュアンスとしては「また奢るよ」みたいな感じでさ、どんだけいいやつなんだとか思いつつ、まぁ学校終わりに行ったらさ、ペルーでは誰かが腹を空かせてたらご馳走するのが当たり前らしく、ようは恐らく俺の勝手な予想だとみゅ〜ちゅあるな関係性があるんだろうなって思ったわけね。腹を空かせてたらって、まるで俺が一文無しみたいだけど、まぁ実際そうだけどね。前も書いたけど無理に眼鏡買ったから生活費無いのね。そういえば前の英語学校のコロンビア人も基本的に飯を奢るだとかシェアするだとか、コロンビアンはみんなそうなんだみたいなことを言ってたことがあってさ、これまたみゅ〜ちゅあるだなとか思いつつ、基本的に南米ってのは気のいいヤツが多いってーのと文化的にこういう背景があるんだろうなってのは、こないだ書いた社会が人間を作り出すってところで、まぁ社会にそういう習慣とか人とのやりとりが残ってるんで、そういうのがヘリテージされていくっていうような感じなんだろうなとは思ったけど、まぁーそれにしても南米から来たやつって女の子でも男でもそれこそラテン系じゃないけど、陽気なやつが多いんだよね。凄くフレンドリーで笑顔を絶やさないっつーか。あれは血というよりは文化というか社会なんだろうなって思ったわけだけど、そう思うとやっぱ日本人に限らず韓国人はホント暗いなって思うんだけど、まぁ中国人になるとちょっと違うんだけどね。これは対比で見ると暗く感じるだけで、ようは俺はこっちの環境に慣れてしまったから暗く感じるんだと思うんだけど、そう思うとさ、ようはいろんな陽気なやつから話しかけられたり、こうやって飯奢ってもらったりしてるのを見るとっつーかまぁ自分のことだけどさ、俺もかなり明るくなったんだろうなとは思うんだよね。まぁ元々明るいんだけどね、考え方は暗いけど性格的には陰気ではない。ただそういう明るい部分を前面にこっちでは出していけるってのもあってようはなんつーかいろんな国のやつらと波長が合うのかなって気はするんだよね。逆を言えばアジア系の連中とつるもうって絶対思わないんだけど。飯っつってもマックなんだけどでもなんだかこういうことがあると心が温まるっつーかさ、ホント、こっちに来てよかったなぁーとかって思う瞬間でもあるんだよね。こういうやつらと友達になれてなんて幸せなんだろうって思うわけよ。あ、なんだかまたウォール伝っぽくなくなってきた。まぁいいや。簡単に書くとね、で、マック行った後、タイムズスクエアの駅でさ、まぁ別のクイーンズのほうに行く電車に乗り換えるんだけど、このペルー人っつーかホセが「ゲーセン行かない?」とか言い出してさ、なんかね、タイムズスクエアにあるゲームセンターのポイントカードみたいなの持ってて、今日使わないとポイントが無くなっちゃうとかでさ、まぁどの道行こうかってことになったんだけど、このゲーセンってのがなんだかバーとかさ、なんかラスベガスっぽい水商売臭いカジノっぽいような入り口のゲーセンでっつーかゲーセンっつーか、所謂、セガとかさ、ナムコランドみたいな、ああいうゲーセンじゃなくて、割とアダルトな感じなのよね。入り口では黒服の黒人がIDチェックしてたりして、まぁ別にフォーマルな場でもないんだけど、割と若干高級感があるっつーかまぁ日本のゲーセンと比べるとだけどね。で、これまた感心したのが、全てのゲームがようはこのゲーセンのポイントカード制になってて、マツキヨカードみたいなカードでポイントっつーかお金を買って、ゲームやるときはそのカードをゲーム機にスライドさせて使うっていう、なんつーかこないだ書いたカルチャーラグが無いなってことなんだけどさ、まぁ今の日本がどうか分からないし、まぁタイムズスクエアとかああいう感じのところにあるゲーセンだからってのはあるかもしれないけど、ようはアメリカってこういうところはホント、早いんだよね。まぁあと単純にセキュリティの面っていうか、直接金を入れないっていう防犯的なところもあるのかもしれないけど、それにしてもカードスライドさせてゲームやるなんて21世紀だなーとか思ったんだけど、ただまぁ感心できることばっかりじゃなくて、なんつーかさ、このゲーム機がある階っつーかここがメインフロアなんだろうけど嫌にガン系のゲームが多いんだよね。タイムクライシスとかエイリアンとかハウスオブデッドとか、他にもなんだかヘリの操縦席みたいになってるコントローラーに乗って空から爆撃するゲームとかボクシンググラブをはめてボクシングするやつとかっていうか、これはウィーって言ってもハンセンじゃなくてゲームのことなんだけど、まぁウィー的なインターフェースなんだろうけどさ、他にも競馬のゲームとかスロットとか、なんだかすげー悪趣味なのね。日本ってなんだかさ、まぁ俺の感覚が古いのかもしれないけど、太鼓の達人だか名人だとかさ、ビートマニアとか、あとやっぱ格ゲーみたいなのが多いじゃない?場所にもよるんだろうけど、でもなんつーか必ずマージャンとかさ、もちろん脱衣系のも含めてね、そういうのが多いってイメージがあったんだけど、このタイムズスクエアのゲーセンはそれこそアメリカ人の内面が顕在化してるようなゲームのセレクションで、所謂、格ゲーみたいな、あのジョイスティックとボタンがあるようなゲームが一台も無いのね。で、もうひたすらガン系のゲームばっかで、もう夜の11時回ってるっつーのに子供がガン系のゲームやりまくってたりっつーかやりまくるってのは大げさだけど、それこそ幼稚園児ぐらいの子がガン系のゲームをやっててさ、しかも母親とだよ?かなり唖然としたね。なんつーかようはさ、ああいうガン系のゲームってミリタリー系多いじゃん?「Let's Go! Over there!」みたいな、あのミリタリー系の映画でよく出てくるような決まり文句あるじゃない?アーミー系のセリフ。ようは自分もアーミーの一人になってエイリアンとか倒すわけだけど、ああいうのってすげー無意識なすり込みに成功してるよなーって思ったわけね。基本的に武力で異物を排除するのは当然だみたいな、それが正義だみたいなのが当たり前にあって、まぁエイリアンだったら俺はかまわないけど、ようはアメリカのメディアなんて過去には共産国とか今ではテロリストとか、まぁいつでもアイコン的な敵を作ろうとするわけだけど、そういう敵に対しての認識はエイリアンと変わらないんだよね。だから基本的に相手は同じ人間なんだっていう認識が無かったりするわけ。それこそゾンビとかエイリアンっていう絶対的な敵なわけよ。アメリカの戦争映画って大半がプロパガンダ的な部分が多かったりするし、妙に愛国心を鼓舞するものとか、ヒロイズムを前面に出してるものとかさ、俺は銃云々、暴力云々っていうことより、こういうプロパガンダを無批判に無意識に受け取っちゃってるっていうオーディエンスに凄く危機感を感じるね。もちろん暴力描写も鑑賞者に影響を与えるかもしれないけど、あんま報道されないっつーか、まぁ誰か書いてるとは思うけど、こういうアメリカ的ヒロイズムとか愛国心みたいなさ、こういうすり込みによる影響の危険性ってのにもっと意識的にならないとダメだよね。俺は個人的にはこっちのほうがよっぽど危険だと思うんだよね。「ゲーセン行ってまで社会分析ですか・・・」って感じだけど、ホント、こっち来てからようは日本にいたときみたいな無駄な不安とか労力を注がなきゃいけないような部分がなくなったから、脳をフルに使えてるんだよね。だから街に出ると色々なものがもう何かのシンボルに見えたり、何かを考える材料になったりするわけ。あとまぁあんま関係ないけどポイントカードをスライドして金を使うってのも、ようは伊東カードとかクレジットカードと一緒で、キャッシュを直接見ないから、あんま支払ったっていうリアリティが無いんだよね。例えば1万円何かに使うときにさ、キャッシュで一万円出したら、うわー諭吉いっちゃったよーって気になるけどクレジットとか伊東だったらさ、基本的にスライドしてPinナンバー入れるだけだから、あんま払った気がしないんだよね。ただ当然、銀行残高見ると残高は減ってるっていう。ただこれってようは消費者によりお金を使わせる便利なシステムだよなぁーって思うんだよね。財布の紐を緩めるだっけ?財布の紐をきつく締めるでもいいんだけど、電子マネーみたいな感覚だと財布って感覚すらなくなってくると思うんだよね。現にこっちなんてカード社会だからなんでもカードよ。こないだも学校の購買っつーとなんか日本っぽいけどまぁ購買みたいなところでさ、女の子がスニッカーズみたいなのと小さいノートを買っててさ、その小計が8ドルちょいだったんだけど、伊東で払ってたからね。8ドルちょいだったらキャッシュで払いそうな気がするけど、あんなのすらも伊東なんだから。スタバの一杯のコーヒーでもクレジットとか伊東で払ってる人珍しく無いからね。ああいうのって現金っていう感覚を失わせる危ないツールでもあるなって思うんだよねー。ホント。だってカード破産なんてさ、良い例でしょ。アメリカでもアホみたいにカード使って払えないっつってさ、破産したり家売ったりとかさ、そんなこと平気でしてる家庭があるけど、ああいうのってのもようはクレジットで払ってるから、現金っていう感覚がなくなってるんだよね。で、これまた来月の給料から払えばいいみたいな、実在化してないお金を頼りにしてお金を払おうとしてたりさ、完全にヴァーチャル化しちゃってるんだよね。金のやりとりが。ただそれとは対照的に買ったものってのは家に届いたりさ、ようは現物としてあるからマテリアル的な満足度ってあるじゃない?もうその繰り返しよ。何か買うってのが楽しくなっちゃって浪費が止まらないわけ。それをキャッシュでやってるならまだしも、カードでやってるもんだから、負債がガンガン増えていくんだよね。まいこーなんかもさ、完全にあの浪費はカードっつーかチェックで払ってるからだよね。なんか前に日本でやってたさ、あのゴリとぐっさんが真似してたあのバシールとまいこーのコンビの元ネタあったじゃない?あの制作がアメリカだかのやつでさ、まいこーの浪費凄かったもんね。なんか美術品がズラーッっとある店で「これとあれとこれとあれ」みたいな感じで、ミロのヴィーナスみたいな石像とか高そうなヴィンテージのソファーとか時計とかガンガン買ってたでしょ。一個が何千万単位の。あれって明らかに金銭感覚を失ってるというよりは、もうすでにお金というのがまいこーの頭の中でバーチャル化しちゃってるんだよね。あれを買うために銀行からお金を下ろしてきて払わなきゃいけないだとかさ、そういうプロセスが一切無いから、お金っていうリアリティが無くなっちゃう。ましてややつの印税もそれこそバーチャルな量でガンガン入ってくるわけだから、ホント、リアルなマネーっていう感覚と乖離してくるのは必然だよね。ただね、何が言いたいのかっていうと、こういうことはまいこーだけじゃなくて、自分たちにも起こりうるんだよねってことなんだよね。それはさっきのアメリカのクレジット負債家族とかも、すけーるは小さくてもやってることはまいこーと変わらないし、小さい買い物でもリアルなお金っていう感覚から乖離した中でただそのマテリアルを求めたいがために伊東とかクレジットで払うってのはさ、まいこーの始まりだよねっていうか、もうアメリカは慢性的にまいこー状態なんじゃないかと思う。それこそあのアホな大統領がスピーチで「ガンガン働いて消費してください。買い物万歳!」みたいなこと言ってるわけだからさ、もうある意味で末期的なのかなって気もするけど、まぁでもアメリカの社会なんて半分以上がコンシューマーによる消費によって経済が支えられてるわけでしょ?そう思うとその中でカードってものが支払いのメジャーな方法というのも、なんだか良く出来た話だよなって思っちゃったんだよね。ゲーセンで。これ別に今、思いついたんじゃなくて、ずーっとゲーセンでホセと銃撃ちながら考えてたんだけど、ゲームですらさ、コインを入れてコンテニューするのと、カードスワイプしてコンテニューするのとではお金のリアリティが違うわけでさ、こんな小さい支払いからもまいこー症候群の入り口が見えてくるわけよ。ようはアメリカ社会ってのが消費しろって国民に言ってるわけよ。それはアホ大統領がダイレクトに言うこともあれば、町中に溢れる広告やらメディアやら間接的にって言っていいのか分からないけど、まぁ消費してくださいってどれもこれも言ってるわけじゃない?俺にとってはどれもこれも露骨に直接的に金使えって言ってるようににしか見えないんだけど、メディアリテラシーの無い人だったら、それはインダイレクトにすり込みされてるってことだよね。そんなんがゲームにも映画にもテレビにもネットにも溢れてるんだからさ、ホント、師匠2のインテレクチュアル・セルフディフェンスじゃないけどさ、自分たちが自分たちで身を守らないと個々がアホなコンシューマーになっちゃってダメになっちゃうよね。社会全体が国民をそういう風に巻き込もうとしているというよりかは、もう大半が巻き込まれていて、常に巻き込む側はもっと巻き込むように仕向けているわけだけど、そういうのが見えないと自分の人生がいつのまにか外的なものでコントロールされつくしちゃってるなんてことにもなりかねないからね。そういう人多いと思うけど、前の話と繋げると、そういう人が外的なものに幸せを求めようとするんだよね。だからいつまでたっても幸せになれない。消費しても恋愛しても残るのは疲労感だけ。そりゃ当然だよね。だって幸せが無いところに幸せを求めていて労力使っちゃってるんだから、そりゃ疲れるに決まってるよ。ただね、ちょっと話を脱線させるけどってすでに脱線しまくってるけど、オタクの話をすると、ようは古くはギャルゲーとか萌え系のキャラクターとかもそうなんだけど、あれってオタク男の女の子への幻想とか恋愛への幻想の塊みたいなもんでしょ?まぁそういったオタクたちの幻想が実体化した存在っていうか。だからギャルゲーでもデートの状況とかがありえないぐらいベタというか、まず無いようなシチュエーションばっかで、リアリズムゼロだし、それは萌え系のキャラも当然、あんな女の子は現実にはどこに行っても存在しないわけだけど、ここで面白いのが、顕在化してしまったっていうところなんだよね。ようはそういった幻想がある形、まぁそれがゲームなのかもしれないし、キャラクターなのかもしれないけど、オタクたちにとってはそれがリアルで、分からない人達にとっては実体の無いものに夢を抱いているから、ちゃんとした女の子と付き合えとかっていう風に言うけど、大抵のオタク側の意見としては「大きなお世話だ」ってことなわけだよね。自分は萌えているんだから、それでいいんだっていう。でもそれってそれでいいんだよね。というのは買い物とかオタク系ではない、ようは常に理想の恋愛みたいなのを求めているような馬鹿な連中ってのがいつまでたっても幸せを得られないのは、まさしく実体が無いものを追い続けているからなんだけど、オタク系の場合、その幻想がキャラだとかゲームっていう形で実体化しているので、彼らにとってのリアリティをそこに見出すことができるんだよね。それは彼らにとってはリアルなものだから。だからオタク系ってなんだかんだで幸せそうな人が多いわけでしょ?これが良いか悪いかは別としても、他人に人の幸せのあり方を批判する権利なんてないから、そういった意味だと彼らの中ではそれはもう幸せの形として存在しているんだから、今みたいな何も無い社会を生き抜いていける人達の種類の一つとしてオタクってのがあるんじゃないかなって思ったわけね。そんな意味だとオタクたちってのは、無駄に色々な消費をしたり無駄な恋愛をしてお金と時間と労力を使っている馬鹿達よりは、よっぽど処世術に長けているんじゃないかな?って思うわけ。まぁ処世術っつっても極めて21世紀的な処世術ね。で、自分の話をすると、俺はこっちに来てから特に色々なこともあって、ようは以前にも増して内面的なものに幸せというか安らぎみたいなのを感じることが出来るようになったわけだけど、でもそれを支えている一つとして、まぁ学校があるかもしれないしニューヨークっていう場所もあるかもしれないんだけど、その他ってのはやっぱ考える材料を提供してくれるような出来事とか本とか映画とか音楽だったりするわけでさ、俺の内面的な幸せを司っているものの大半がまぁ俺のオタク趣味なんだよね。だから俺は哲学オタクかもしれないし、社会学政治学オタクかもしれないし、映画オタクなのは明らかで、音楽オタクっつーか音楽に関してはもうオタクっていう次元じゃないんだけどってーことを言うと、全てがオタク程度の次元ではないんだけど、でもまぁ一般的な社会の定義で言うとまぁこれはオタクの一種ですよ。これは前にも書いたとおり、秋葉系のオタクが美少女オタクだったりするんであれば俺はまた別の類のオタクなわけで、基本的にオタクということでは共通しているんだけど、もう一つ重要な共通点というのが、そういったオタク趣味的なものから幸せを感じられているってことなんだよね。俺はまぁありえないぐらい多趣味だと思うけど、まぁ俺の幸せが全て趣味に依存しているわけではないんだけど、でも趣味は相当大きな要素なわけってことで、基本的にオタク系と変わらないじゃんってことになるわけね。だからオタクの種類が違おうが、俺に他のオタクを批判できる筋合いなんて全く無いんだよなって最近凄く思ったわけね。前は秋葉系のオタクのことをぼろ糞書いてたけど、今はそうは思わないな。絶対関わりたくないし、ああいうのは大嫌いだけど、でもだからといって批判はできないわけ。彼らがそれを主体性を持って全身全霊で取り組んでいるのなら、それはリスペクトしなきゃいけないよね。で、俺がディスりたいやつらっつーのは流動的に色々なことに流されまくっている主体性の無いスッカラカンな消費者ね。流行ってるからとかみんな聞いてるからとか有名だからとか、そういう理由で何かを消費したりする類の連中ね。こういうやつらはホント、どうしようもないんだけど、経済の大半がこういうスッカラカンな消費者によって支えられているとなるとさ、こういう人達すらディスれなくなってきちゃうっつーか、それこそ経済にとっての必要悪みたいな存在になっちゃうわけだよね。あーアイロニカルだわぁー。腹減ってきたからバナナを食べよう。っつーか恥知らずの痛みはだいぶマシになってきたんだけど、今日はセリマに念願の眼鏡をピックアップしにいってさ、まぁ相変わらず俺が選んだだけあって生活苦もなんのそのってぐらい素晴らしいめがねなんだけど、まぁこれならまず誰ともかぶらないなってぐらい特徴のあるめがねでね、あのクーロンズゲートのゲームキッズがしてるハイテクメガネみたいな形してるやつなのね。枠がデカイロイドメガネみたいな。まぁーでもセリマ最高ですよ。もう。アランミクリは値上げもあって完全にブルジョワブランドになっちゃったから今後はセリマだな。というかアヴァンギャル度、ヒップ度ではセリマのほうが上のような気がする。今回はアランミクリが買えなかったからセリマで買ったみたいな妥協感一切無しだったからね。もう「これだぁー!!」っていう。でもさ、めがねってのも話せば長くなるんだけど、これも止揚の歴史ですよ。別に俺、止揚って言葉を正しく使ってるわけじゃないからね。まぁいいや。昔はさ、眼鏡が大嫌いで、一時期コンタクトしてたこともあるんだけど、眼鏡にしてもなるべく眼鏡の存在感が無いようなやつしてたんだよね。ただあるときふと気がついてね、んだったらディスアドバンテージである眼鏡ってのを逆に活かしちゃえばいいんじゃん!って思ったわけ。で、その数年後ぐらいに日本で眼鏡ブームみたいなのがあって、まぁちょうど時代の風潮と同化しちゃった感じだけど、でもいいと思うんだよね。眼鏡ってのがファッションアイテムの一つっていう考えは凄くいいと思う。あえて眼鏡を前面に出すってのもね、いいと思うのね。眼鏡って歴史的にはなんだかハゲ・デブ・眼鏡みたいなネガティブ要素として捉えられてたけど、そうじゃ無くてね、まぁハゲとデブはいつまでたってもネガティブだろうけど、眼鏡ってのはネガティブでもなんでもないわけですよ。かといって伊達とかやってるやつ見ると殺したくなるけど、まぁまぁそれはいいか。あ、書くことが違うぞ。こんなことを書きたかったんじゃないんだよ。あ、んでピックアップして帰ってきたわけだけどっつーかホセは昨日の話でね、眼鏡は今日の話なんだけど、なんかさー疲れてるのよね。睡眠時間は十分なんだけど、いつも週末はもうクタクタになってる。んで恥知らずも痛むと。で、まぁ帰ってきて溜まってたから激しめのオナニーをした後、あんま飯食う気がしなかったんで、うどん食べて吸い込みやったのね。あ、KOFね。どうやら俺は吸い込むとストレスが発散されるらしくて、大門とかクラークでもうとにかく吸い込みまくったらさ、なんか疲れてた気分がだんだん良くなってきてね、で、結局他のゲームも色々始めちゃって、んでなにやったかな。あ、SNKカプコンのキャラが戦うやつとか、まぁこれはそんなでもないんだけど、久々にヴァンパイアセイバーとかね、ヴァンパイアセイバーってキャラいいよね。あの世界観は好きだな。ファンタジックなんだけど、かなりダークでしょ。俺の格ゲー趣味の一つとして各キャラのエンディングを見るってのがあってね、んだからエンディングが無い格ゲーってやる気がしないのね。あとエンディングが手抜きのやつとか。んでまぁー夜の7時ぐらいから吸い込み始めて、んで、終わったのが3時ぐらいで、んで今、これ書いてるんだけど、ようはさ、ゲームやった後ね、「あ、そういえば恥知らず痛くなくなってるな」とか思ってさ、気分的なものなのかもしれないけど、ようはあれなんだよね、疲れってようはストレスなんだよね。恐らく。ストレスっていっても苦痛から来るストレスじゃなくて、疲れから来るストレス。で、免疫系がちょっと弱くなっちゃって、んで口内炎が出来ちゃったり歯茎が腫れてきたりするわけ。ゲームやって口内炎とか恥知らずの痛むが引くなんて凄いことだよね。吸い込みさまさまですな。ってことでやっぱあれだね、ストレス解消って重要だよね。ニート時代は毎日が夏休みだったけど、今は違うから、なんつーか体調管理というか、精神状態の管理と時間の管理の重要さが身にしみて分かりますね。ってことでまぁエクスキューズするわけではないんだが、週末ぐらいグダグダしてもいいんじゃねー?とか思ったわけね。一日中寝ながらゲームやったりオナニーしたり動画サイトで日本のお笑い番組みたり。で、こういう時間の過ごし方をしていてさ「あー今日はグダグダだったなー・・・」なんつって落ち込むのがダメなのよね。ようはダラダラする自堕落な時間というのは、ちゃんと仕事に行くとか学校に行くとかと同じぐらい重要なことなわけよ。だからグダグダでもそれは体がグダグダを求めてるならそれは肯定しなきゃいけないよね。で、すっきりしてまた週明けから学校に通うと。そう思うとあれだね、俺は将来はっつーかもういい歳だけど、なんかあれだよね、自分のグダグダできる時間を確保できるような仕事に就かないと体持たないよね。ってことでやっぱジジェクみたいになるしかないな。最後に職場に行ったのが3年前みたいな、そんな生活ね。まぁ半分ぐらい真面目に言ってるけどね。ってことでゲーセンのことだけ書こうと思ってたんだけど、またいつもの感じで長くなっちゃって、疲れてるから
早く寝ようと思ってたのに、もう朝になっちゃったけど、脳の膿を出せたからプラマイゼロだね。ってことで俺の2007年流行語大賞鳥居みゆきの「プラマイゼロだぁー」です。でもあれだよね、吸い込みによって気分が良くなるんだったらさ、それこそ左手だけにグローブはめて、「デスバレーボム」ってプリントしてあるシャツを自分で作って着ようかなって真剣に思ったんだよね。でもいつもあれ、まぁ2003ではデスバレー!って言うだけになっちゃったけど、2002とかさ「デスバレー一本!」って聞こえるんだよね。すごくいいよね。デスバレー一筋って意味でしょ?ってことであれだなデスバレー一本Tシャツを作ろうかな。まぁ作れないけどね。作った気分でいるのもいいかなって。でさ、同級生の中国人の女の子さ、廊下ですれ違ったときに「ハーイ」とか声かけたんだけど、なんか凄い恥ずかしそうにしてるんだよね。まぁあんま親しくないからってのもあるんだけど、なんかあの声をかけた後のリアクションとか、眼を逸らす感じとかがさ、すげー生娘っぽくて可愛いなって思ったんだよね。まぁこの子、可愛らしい顔はしてるけど、まぁ特別可愛いわけではないんだけど、何が言いたいのかっつーと、ようはああいったリアクションというのは日本人女性にはもう失われたものだなという風に思ったわけ。特に日本のあの無駄に着飾った娼婦みたいな格好をした淫売女達さ、少しは内面を磨くということにフォーカスを置いたらどうなのかね?男が女の子を「可愛いなぁー」って思うときの感じって、例えばこの女の子みたいな生娘っぽいピュアな仕草だったりするわけじゃない?娼婦みたいに着飾ることがどれだけ自分の品格を下げているのか?っていうのにどうして気がつかないのかね?だってああいう格好してるのって男から注目されたいからっつーかファックしたいからでしょ?ってことでまぁ本質的にはそれが商売かそうじゃないかの差ってだけで同じ娼婦なんだけども、なんかあれですよ、中国人に限らず韓国人の女の子も貞操ちゃんとしてそうな子多いわけだけど。少しは見習ったほうがいいね。KOFで言うとアンヘルみたいなビッチでしょ。日本の娼婦みたいな女って。そういう女がいてもいいけど、そういう女が多いのは問題だよね。貞操繋がりで行くとでも俺はあれだね、キングオブ貞操だね。守ろうとしてるわけではないんだけど、ファックに興味が無いから。もう寝るわ。恥知らずの腫れを冬眠で治さなきゃ。でもさ、ホセと帰りの電車で話してるときに大体ゲームの話になるっつーか、それぐらいしか共通の話題が無いってのもあるんだけど、まぁ詳細は端折るとして、ユリがどうこうみたいな話をホセがしてたから、俺は「あー彼女はインフォーマルな日本語を使うんだけど、あれってのはイージーゴーイングな日本の女の子みたいなのを表してるんだと思うんだよね」とか適当なこと言っちゃったんだけど、日本の女の子って誰も「ばみょーん」とかって言わないよなって家に帰ってから思ったね。あの日は。そう思うとあれなんだよね、さっきのキャラクターと現実の女性の乖離じゃないけど、特に萌えみたいなものがキャラクターメイキングの中で重要な位置を占めてからってーのは、その男の勝手な妄想ってのが、顕著に女性キャラクターに出てるんじゃないかと繰り返しだけど思うよね。まぁユリはさておき、男の妄想に忠実な女性キャラクターに人気が出るわけでしょ?んーやはり病んでおるな。まぁいいや。え?俺の好きなキャラクター?ううーーん?最近のやつだとスラヴォイ・ジジェクかなぁ?