人生がむなしいです。その5。

ありがたいことに実家のペットホテルが三泊連続で埋まってさ、で、まぁ三夜連続だったんだけど、なんつーか俺がペットセラピー受けてる感じだよね。世話する側なんだけどケアされてるのは俺の心って感じで。実家にいる犬二匹はやっぱ家族なんだよね。ペット感覚が無い。で、語弊があるかもしれないけどお客さんの犬ってやっぱ犬っていうさ、慣れてくるとまぁどんどん「人化」してきて別れ際とか寂しくなるんだけどさ、あ、基本的に泊まり込みだったんだけどね、あえてパソコン持っていかないで数学の本だけ持っていくとそれ読むしか無いってのもあってハマるってのは前にも書いたけどさ、まぁそれはいいか。


で、別に労働感は全然ないんだけどさ、でもなんか終わった後に清々しさがあるんだよね。何なんだろうね?これは。普段はニートでみっともなくて外も出歩けないみたいなのがあって、んで店の手伝いやった帰りはなんか堂々と出来るみたいな(笑)


この「働いている感」が実存の埋め合わせをするってのはあるよね。それがもう現代では崩れてきてはいるけど「労働=美徳」の場合、いかに長時間労働したか?とか疲れたか?ってのがそのまま美徳になるんで勲章みたいになるんだよね。それがまぁーすげ虚偽意識だってのはいつも書いてるけどさ、まぁでもこんな俺でもやれる手伝いがあるってのはいいよね。まぁやっぱ家族の手伝いができてるからなのかな。俺なりに。バイトじゃ虚しさだけが残るもんね。そこはやっぱり役割というか機能なのかな。ただ搾取されて微々たる金しかもらえない労働とお金はもらえないけど気分的に満たされるものっていうさ、まぁ俺は普段ただ飯食ってるから家族の手伝いをして当然なんだけどね。


まぁいいや。んで色々やっぱ考えるよね。ニューヨークの頃を思い出すんだよねぇー。あの一人で永遠といる感じ。で、まぁ昨日色々書こうと思ったんだけど珍しく時間が無くて書けなかったから昨日書きたい事を書くとさ、微妙に忘れたけど数学者の自殺の話なんだけどさ、いや、別に数学者に自殺者が多いという命題をとなえるつもりはないんだけどね、いや、でも数学者だからこそってのがあるだろうってのがこないだ書いた実存の話でさ、まぁ理由は個々によって違うんだろうけど学問がきっかけで死ぬとかって尋常じゃないじゃん?まぁそれだけが原因じゃないのかもしれないけど、こないだの話で言えばこれはもろに「実存」ってのがそのまま「数学」になっているからこそ、すげー優秀だったり天才みたいな人でも自信が揺らいだりするとそれはダイレクトに実存の危機を意味しちゃってさ、で、ダメになっちゃうと自分がもう死ぬしかない!ってなっちゃうと思うんだよね。


普通って言い方はおかしいけどまぁなんつーか仕事でパッとしなくても良い家族がいるとか彼女がいるとか趣味があるとかさ、人間ってまぁ色んなものによって支えられてるよね。でも人生=数学ぐらいになっちゃう人達って関係無いぐらいそれがもうイコール実存になっちゃうんだと思うんだよね。客観的に見れば死ななくたってトップレベルであることは変わりないのにプロフェッショナルでありすぎるからこそ思い詰めちゃったりするんだと思うんだよね。でもそれが思い詰めるみたいなベタなことじゃなくてまぁようは実存=数学になるからってことなんだけどね。まぁ基本的に何たら人間ってその度合いが強ければ強いほどそうだと思うんだよね。美貌なり名誉なり金なりなんでもいいんだけどそれが実存に繋がっているというか、もうそれ自体が実存であるってものが揺らいだりするとそれはもう死を意味するっていうかさ、実存の揺らぎになっちゃうんだよね。


俺の勝手な推測なんだけどさ、芥川龍之介の谷山豊の自殺ってなんか似てる気がするんだよね。両方とも孤高の天才なんだけどすんげー悩んでるっつーかさ、才能ないやつからみたらそれこそ「何をおっしゃるやら!」ってあんたが不安になっててどうすんだ!ってぐらい凄いのにさ、本人は自覚してないんだよね。もしくはそんな「才能」みたいな概念すら介在しないほど文学なり数学ってのに実存がダイレクトに繋がってるってことだと思うよね。まぁ凄く危険な才能だよね。


ところでハーディーも年を取ってからあんま数学できなくなったりして悩んで自殺未遂したんだよね。あんな勝ち組数学者みたいな人ですらそうなんだもんなぁー。なんちゅーデリケートな世界なんだ!っていう。逆にもう憧れとかないんだよね。すんげーシビアな世界だなって。そんなに才能も無ければ多分没入することでしかその埋め合わせはできないわけでさ、そのコミットメントの度合いだよね。何かをやるということで満足感を得るというとアレだけど、それで言うともう何もないのよ。俺は。数学ぐらいしかないんだよね。だから分からないことがあるとすんげー落ち込むんだよね。死にそうな気分になるんだよね。これしかない!ってもんでダメになったり分からなかったりしてるんだもん。


いつも書くようだけどそれは数学に何かを求めていたりさ、逆に何も確固たるものがないってのが分かっちゃった中で信じられる唯一のものっていうかさ、そういうまぁ真理への憧れってのは大いにあるよね。それをエンジンにして生きていくしかないから、だからそれがダメだったりあんまりやれない自分がいたりすると実存の危機に陥るんだよね。まぁ所謂これって自分を追い込む型の典型なんだろうけどね。ただまぁやっぱでも時間が一番流れるのが早く感じるのは数学なのは確かでさ、数学って死ぬほど時間がかかるっつーけど、それは時間がかかるというよりかは他のものと比べて時間が経っているのが早いんだよね。全然本とかも進まなかったりしてさ、はかどった感がないっつーかなんつーか。


だからまぁ日々満足感を得られるようなもんじゃなくてさ、まぁそれは俺の能力のせいもあるのかもしれないけど、理解度が高まっているとかってなかなか感じられないんだよね。いつも何かモヤがかかってるような感じがあって常に五里霧中みたいな。まぁ独学でやってるから余計そうなんだろうけどね。これが精神衛生上良いのかは分からないけどでもそれによって助けられてる自分もいるんだよね。これが原因で落ち込むことが多いけど助けられることも多いっていうまぁ諸刃の剣って感じだね。調子が悪い時はさっぱりダメなんだけど集中できる時にやると本当に時間を忘れている自分がいるんだよね。これは読書とは違って意味だよね。だって定理一つとか二つに関してずーっとにらめっこしてたりするわけだからね。


で、ちなみに俺はゴールドバッハ予想だとかリーマン予想みたいなのに関して悩んでるんじゃなくて、単純な基礎数学なんだけどね、なんかでもこういう性格だからさ、定理がこうですって言われても納得がいかないんだよね。なんでそうなるのか?ってのが気になるからなかなか進まないのかもしれないけどさ、やっぱ俺は頭が悪いのか?って思う癖がなかなか取れなくてさ、まぁこの癖はやめようと思うんだけど、でもやっぱなかなかねぇ・・・。でもまぁペースとしてはいいんだけどね。今はもう大学数学の1〜2年ぐらいのやつばっか読んでるし、かといって別に受験数学が全部解けるってわけじゃないんだけどさ、んでもまぁすげー進歩だよね。元々はMath10っつー小学生低学年のクラスとかコミカレで受けてたやつがここまでになったんだから、やっぱそこはもっと評価しないとダメだよね。1年前だってlogとか二次方程式とか授業でやってたぐらいなわけでさ、進歩はしてるよね。こういうところを自分で評価してあげないとダメだなとは思うよね。でもこんなの分かって当たり前だっていう自分がいるからなかなかそうならないんだよねぇ。


っつーかもう眠いから寝るわ。続きがあったか分からないけどなんかあればまた続き書くんでヨロシク。