奥義としての哲学継承について。

mimisemi2009-03-30

はい、では続きです。


あ、んで話は戻るんだけど、シュトラウスの奥義としての哲学継承なんだけど、別にこれはシュトラウス自体が実践していたことではなくてね、これはシュトラウス流の特に古代哲学の読み方だったわけ。これがさっき書いたまぁシュトラウスデリダよりポストモダニストたる所以なんだけど、別にさ、考えれば当然分かるようにね、今難解な文章を書く必要は無いわけっつーのはさ、昔は真実を書くと処刑されたり出版できなかったりしたから背後に意味を隠したわけでさ、それがまぁ特にマキャベリとかスピノザみたいなのに顕著だったわけだけど、インプリケーションで物事の真実を伝えるという意味だとプラトンがそうであったとシュトラウスは言っているわけだし、あとはFarabiって言う哲学者にしてもそうなんだけど。でもシュトラウスがその奥義伝承を自分でも実践しているのでは?って言われる所以はシュトラウスの文の読み辛さにあるんだけど、それは別に奥義伝承として行われていたわけではなくて、単純にシュトラウスの天然によるものだったわけね。ましてやドイツ人だからさ、なんかで読んだんだけど、ドイツ語って所謂、run overだったかover runだったか忘れたけど、ピリオド無しでガーッと色々なことを書いても1センテンスとして書けるみたいなストラクチャがあるらしくてさ、だからなんか難解になりがちっつーかね、それをそのまま翻訳しても分けが分からなくなるんで、あえて分かりやすさのためにセンテンスを分けなきゃいけないみたいなことが必要だったりすることがあるらしいんだけど、そういうなんつーかドイツのインテリみたいな母国語の癖があるからシュトラウスの文は難しいんだと思うんだけど、別にこれが奥義伝承として行われた結果であったということではないわけね。


何しろ今なんてさ、別に特にシュトラウスが生きていた時代にしたって古代や中世ほどは言論弾圧は無いわけだしさ、ましてや奥義的に書く必要が無いんだよね。でも結果的にそれが奥義伝承のように見えてしまうのはシュトラウスの文の分かりづらさとか概念の分かりづらさだったりするんだと思うけど、でもそれは同じドイツ人のまぁシュトラウスとも関わりがあるようなさ、ハイデガーとかフッサールなんてのも同じなわけだよね。概念が分かりづらい上に書き言葉も分かりづらいっていうさ、ニーチェなんかもそうだけど、これはまぁただのドイツ人のインテリの性質っつーかさ、まぁそういうことだよね。ではなぜね、シュトラウスが奥義継承としての読み方なんてのを重視っつーか編み出したっつーか考えたのか?っつーとね、奥義を引き出された哲学にこそ価値があるっつーかまぁ我々を救ってくれる要素になるんだってことでね、それをようは暴く必要があったってことなわけ。暴いてこそ価値があるのが哲学ってことで、ようは読み解く必要性があるのでそういったシュトラウス読みみたいなのをしていたわけだよね。だからね、その逆はありえないわけ。まぁその逆を意味なくやってたのが似而非ポストモダニスト達だったと思うんだけど、似而非ポストモダン系の哲学ってさ、価値がないとは言わないけど、別に新書ぐらいの難易度の書き方とか量でも済むようなことを無駄に長くして晦渋なハードカバーの本に仕立て上げて権威付けしているようなところがあるよね。だからどうも好きになれないんだよな。


だから分かりやすい解説書とかを読めば十分かなって気がしてくるし実際そうなのが多いんだろう。まぁフーコーとかは違うんだけどね。ただドイツ系のさ、ハイデガーとかニーチェとかフッサールとかああいう系統のっつーのは天然の特に言語による晦渋さみたいなのがあってさ、まぁそれをリアルに日本語で体現したのが廣松渉だと思うんだけど、廣松にしてもハイデガーとかフッサールとかシュトラウスにしても晦渋な感じで書かれているからまたどうせポストモダン系みたいなインテリ気取りの文章なんでしょ?っつって解説書だけで済ませられないところがあるんだよね。ようは難しいんだけど原著で読む価値があるようなのがこういう哲学者達の本なんだよね。でもこういう哲学者達のはインテリ気取りのレトリック遊びなんではなく、天然の晦渋さっつーかね、その概念も難しいし本人達も難しい頭してるんで難しい言語になっちゃうっつーようなさ、そういうのがまぁなんつーか俺の勝手に思うところのドイツ語系の言語圏の哲学の傾向なんじゃないかな?って思うんだよね。逆にフランスの連中っつーのはあのマトリックスに出てくる嫌みなフレンチマンみたいなさ、フランス語は世界一美しい言語で言葉自体がまた言葉自体を呼び、それが無限のシニフィアンの連鎖となってパロールという名の芸術が生まれるのだみたいなさ、そういう胡散臭さがあるんだよね。詩なら詩でやってくださいっつーようなさ、ランボーみたいなのがフランス語圏に存在するのも頷けるんだよね。


まぁフランス語で読めばさぞかし美しいレトリックに彩られた無限のシニフィアンの連鎖なんだろうなとは想定できるんだけど、翻訳で読むとさっぱり分けが分からないんですけどっていうね、英語の授業でユリシーズを読んだんだけど、あんなもんさ、英語という言語に依存している詩なんであってさ、翻訳なんてありえないよね。ようはあれなのよ、韻踏みとかね、言葉遊びっつーとあれだけど、例えばcock suck fuck bookみたいなね、地震雷火事親父みたいなね、これだって逆にcock suckのほうも親父のほうも翻訳しちゃったらナンセンスじゃない?この言語だからこそ意味があるっつーさ、まぁちゃんとした言葉があるんだけどね、このcock suckみたいな音の連鎖っつーかそれをなんつーか授業でやったんだけど忘れちゃったんだけど、まぁあるじゃない?で、フランス語の晦渋な哲学ってさぞかしその元の言語で読めば美しいエクリチュールになっているんでしょうねって想定できるわけね。さっきも書いたけど。でも翻訳で読むしかないこっちとしてはもう嫌みな晦渋な文にしか見えないってことなんだよね。元のフランス語が持っている響きや見た目の美しさみたいなのが一気に損なわれるわけでさ、残るのはただの分かりづらさだけなんだよね。ナンセンスに真似したりするやつがいるから困ったもんだねっていうね。ラーメンつけメン僕イケメンが良い例じゃん。これを英語にしたってフランス語にしたって意味分からないし面白くもなんともないよね。


それをありがたがって輸入しまくったのが日本のニューアカブームだよね。モダン無きポストモダン。情けないなぁー。とりあえず狩野の真似してれば今はクールらしいよっつって流行っちゃったようなもんでしょ?来年ぐらいにはどうなってるの?っつーのが狩野だけど、ポストモダン系も一部を除いてはさっぱり意味を無くしてるよね。「え?分からないのって俺が馬鹿だからじゃないの?」って思うのは間違いだよ。もしくは誤学友がね、理解したふりをしていたりして「俺に理解できないはずがない!」なんて頑張るのもやめたほうがいいわけねっつーかまぁそんな風に思う事自体がもうすでにソフィスト的なんで人間的に終わってるからまぁどうでもいいんだけど、例えばね、チョムスキーネグリ・ハートの帝国を読むのに苦労したっつってたわけ。チョムスキーぐらいの地頭の持ち主が読みづらいっつってるんだから、俺らみたいなパンピーネグリみたいなのを読みやすいって感じるわけがないんだよね。なので読みづらいって感じる事に恥じることはないし、読みづらいものは大抵がみんな読みづらいって思ってるわけでさ、前にアルチュセールは分かりやすいって書いたけど、あれはまぁ比較的ってことね。同時期のポストモダン系っつーかまぁあの辺の連中の書き物に比べたら分かりやすいってことで、別に簡単ってわけじゃないんだよ。ちなみに反省したのかネグリ・ハートのマルチチュードは読みやすいんで、帝国を読む気しない人はこっちを読むといいよ。


まぁ内容的に帝国のアップデート版みたいな感じらしいしかなり読みやすいし空虚な哲学って感じではないからね。ちなみにネグリのは英訳で何冊も持ってるけどどれもダメだね。さっぱり読む気が起こらないっつーか、一時期まぁマイブームでさ、二年前ぐらいだけどネグリを買いあさって読んでた時期があったんだけど、当時の読解力もあってか読み辛さが最悪でね、もうネグリのイメージ最悪ね。あ、ちなみにあれはいいよ、ネグリネグリ自身を語るっつーやつね。物書きとしてはいけ好かないやつだけど、基本的によいラディカルなおっさんなんだなっつーのが凄く分かってなんつーか親近感が持てるんだよね。確かドゥルーズだったかガタリが亡命を手伝ってくれたんだよね。そういうエピソードが面白い。ドゥルーズだかガタリだかが家を見つけてくれてそこに囲っててくれたみたいな話ね。あとはまぁ捕まったときの話とか赤い旅団の話とかね。ちなみにネグリ自身を語るってやつもまぁ英訳なんだけど、これは2回ぐらい読んだね。たったの二回だけどでもそのぐらい面白い本なんです。あ、んで話を戻すとだね、シュトラウスの晦渋な文章は何らかの意図があったというよりかは、さっきも書いたようにハイデガーだのフッサールだのと同じような理由で難しいってだけで、別に背後に大きな意味が隠されているってわけではないのね。恐らく。


特にまぁあれだわ、Natural Right and Historyってのがすんげー読みづらいんだけど、まぁ恐らく天然だろうね。だからまずはシュトラウスを読むならあれなんだよね、レクチャーの書き起こしとかを読むといいんだよね。これだけは間違いなく言えるのは苦労した割にあまり得るものが無いようなポストモダン系の思想とは違って、廣松渉みたいに難しいんだけど読む価値があるようなね、そんな感じのまぁドイツ系を地でいっているようなのがシュトラウスの思想っつーかまぁ本ってことね。なのでトライする価値はあるっていうか、まぁ少なくとも俺にとっては知的欺瞞とかいうレベルではないね、シュトラウスを読んでいる俺はかっこいいみたいな、そういうポストモダンにあったような「読む事がかっこいい」というようなね、そういったアクセサリー的な意味ではない純粋な知的刺激があるわけ。これは知的欺瞞が大嫌いな俺が言うんだから間違いないことだよ。苦労した分のバックが大きいのがシュトラウスって感じでさ、ようは苦労してでも読む価値があるってことね。そういう意味で俺としてはデリダとかって?なんだよね。読み解くだけの価値があるんだろうか?っていうさ、東浩紀とかの評論読んでればいいんじゃねー?っていう感じがするのがデリダっつーかあの辺の人達のやつなんだよね。


あとポストモダンの悪癖を地でいっているのがラクラウね。やつの文章は本当に酷い。ポストモダン的集積といっていいぐらいジャーゴンが多くて読みづらい。ただ意味が無いわけではないんで読む価値があるんだけどまぁー疲れる。だから嫁のムフの割と分かりやすいテキストを読んでたほうがまだいいかなぁーって感じなんだけど、ラクラウはラクラウでラクラウの持ち味ってのがあったり議論のシャープネスってのがあったりするんで無視できないんだよね。特にラクラウはムフより哲学的造詣が深いっつーかね、色んな哲学的視点とか精神分析とかも含めたね、まぁよくも悪くもポストモダンチックな手法を使いつつも「なるほど!」って思わせるところが多いんでまぁなかなか無視できないんだな。特にラクラウのフロイトの理論を応用した大衆の分析っつーのが面白かったような記憶があるんだけど、まぁ細かい事を解説できるほどまだ読み込んでないんだけどね。翻訳が無いのも頷けるよ。ラクラウの本。誰が翻訳して誰が読むの?って感じだからね。マジで。あ、でもあのヤニス・スタヴラカキスの翻訳はあるのか。途中で挫折したなぁーあれ。さっぱり分からん。ラカンを完全に理解してないっつーのもあるんだろうけど、それにしても分かりづらいよね。ラカンと政治的なもの。


ジジェクの批判をしているらしくて、んでジジェクもその批判に対する批判をしているんだけど、元を理解してないんでジジェクの回答を読んでもあんま意味無いんだよね。スタヴラカキスに関しては斎藤環みたいな人に書評を書いてもらいたいね。解説本とか。ラカニアンはあれをどう読むのか?っつーのが凄く気になるね。元の内容よりも。スタヴラカキスは徹底的なラカニアンっつーかさ、ラカニアンのタームでしか物事を語ってないんで、ラカンを理解してないとさっぱり分からないんだよね。まぁところどころラカンの入門になっているようなところもあるんだけど、半分以上が死語を使うとチンプンカンプンっつーかさ、ラカニアン的概念やタームを理解してないとさっぱりついてけないっつーね、文字を読んでても概念が頭に入ってこないっつーのがまぁラカンの特徴だと思うんだけど、スタヴラカキスにしても全く同じね。「は?」っつーところが明らかに多い。ホント、こういう本って自分の地頭を疑うようになっちゃうような原因を作るんであんま精神的に良く無いんだよね。チョムスキーみたいな人ですら分かりづらいって言うんだろうけど、でもやはり現物を前にして読めない自分がいると情けなくなるっつーね、170キロぐらいの玉を打てないで自信喪失する高校球児みたいなもんだね。これは。


ただ逆説的に言えばラカンはある意味でシュトラウス的な奥義としての哲学というのを体現した人かもしれないっつーのはさ、エクリチュールが明らかに理解できるものとして提示されないことによって成立する宙ぶらりんな状態というのがね、逆に読者にまたそのエクリチュールに向かう情熱を惹起させて、その概念の中により深くのめり込ませるようなきっかけを作るのが曖昧で晦渋なエクリチュールかもしれないってことでさ、それはラカン自身も言っていたことだよね。なんで自分がここまで晦渋に物事を語るのか?っつーね、それはまぁある意味で奥義伝承的な立ち振る舞いであると同時に意味を何らかの固有なものへと還元させない宙ぶらりんな概念としてのシニフィアンみたいなのがさ、常に解釈されるときを待ちながらその意味の永久性みたいなのをたたえているみたいなね、ある意味で無限のシニフィアンの連鎖を連想させるためのシニフィアンの入り口なのかもしれないし、それは言語化されない概念レベルでのみ理解されうるような対象aみたいな存在かもしれないんだよね。何かに例えられるほど簡単な概念ではないっていうようなね、これこそがまさしくラカン的教義なんだっつーのを考えるとまぁラカンの晦渋なエクリチュールっつーのも一概には批判できないんだよね。


ラカンをレトリックを操るポストモダン一派として片付けるのは早計だと思うわけね。だからこそ俺は何かのラカン的なものにやっぱり魅力を感じ続けていると思うんだよね。なんか常に引っかかる何かっつーのをラカンが持っているっつーかなんつーか。で、逆に俺はデリダに全くそういう魅力を感じないんだよね。まぁ分かるときがくるのかもしれないけど、それは来るべきものとして常に存在し続けるのかもねなんつったりしてみたりして。でもやっぱ例えられない難しい概念だと言われても俺にとっての対象aは姫なんだよな。俺の頭に残っている姫のイリュージョンが常にそれによっては欲望を実現できないものとして常に存在し続けるっていうね、しかしながら俺はその欲望を持ち続けることが出来るし、象徴的現実として現れないことで維持できる欲望というのがあるんだよね。そのイリュージョンの体系が俺にとっての姫なんだよな。


俺にとっての姫ほど対象aの概念を見事に体現した存在って無いと思うってぐらい対象aなんだよ。姫は。だから俺にとっての欲望は俺の好みのタイプというか、まぁ生まれて初めて電撃が走ったような存在である姫という手に入るわけがない幻想を追い求めることによってのみ俺の欲望は満たされないものとして常に保全され続けるっていうね、そのイデアで行われる精神的な享楽なり愛の体系こそが俺は究極的な愛だと思っているし、まぁプラトニックラブというのはこういうことだと俺は思っているわけね。ちなみに俺にとってのシンボリックな対象aとしての存在は二次元だけど進藤ヒカルの初期から中2ぐらいまでの時ね。いつも書くようでしつこいんだけどヒカルほど理想的なショタキャラっていないと思うんだよ。俺は全然女性キャラには萌えないんだけど、萌えって言葉は使いたくないんだけど、まぁヒカルにおいてその概念が凄く分かるんで、まぁオタクの気持ちって分からなくもないんだよね。俺は不思議なことに女性に関しては3次元にしか興味が無いんだけど、ショタキャラになると一気に2次元が大好きなんだよね。自分でも気持ち悪いと思うんだけどしょうがないね。これは親も妹も知っていることだけども。あまりにも昔からこの傾向が強いんで嫌がられても親とか妹に真実を話したくなっちゃったんだよね。だからあれだもん、ヒカルの碁のテレビ放送が始まった時は母とか妹が引きこもりの俺の部屋に向かって「ヒカルちゃんはじまったよー」って声をかけてくれてたんだよね。


で、俺は「うーん。分かったー」とか言って答えてたんだけども、大体まぁメシの時間だったこともあって、まぁ下に降りてくれば?っていう素晴らしい契機だったわけだけどね。まぁちなみに俺は別に部屋の前にご飯がおかれるぐらいの酷い引きこもりではなかったのね。犬の散歩には行くし、たまに用事があれば外に出るんだけど社会に出るきっかけも動機も無いんで家にいるしかないっつーまぁそういう引き蘢りだったわけだけど、まぁ今も基本的に変わってないけどね。学校が無ければただの引き蘢りだから。ところで少年愛イデアルなものでピュアなものだってだいぶ前に書いたけど、まぁ俺にとってショタコンっつーのはそういうものでもあるんだけど、基本的にオカズでもあるんだよね。特にヒカルでは何回抜いたか分からないってぐらい抜いたからね。もう可愛過ぎてしょうがなくて。姫とかだとまぁ抜こうと思わないんだよ。


同じくアンナ・カリーナとかオドレイとかも全然性の対象ではなく純粋なあこがれっていう感じなんだけど、ショタ系に関しては徹底的にムラムラくるんだよね。かといってゲイではないっていうね。まぁでも成人でも可愛い子とかたまにいるとまぁ好きになっちゃったりするけどね。キューティーのことはマジで好きだったし。まぁそういう意味では俺はバイなのか。ただまぁゲイっていうのとはまた違うんだよなぁー。ふんどし締めた兄さんとかにムラムラするのがゲイっつーイメージがあるんだよね。でも性的には俺は完全にヘテロだと思うんだけど、でも美少年に関しては違うんだよね。でもこれは誰でもそうなんじゃないかな?男って少なからずホモの要素は誰でも持っているっていうからね。あとあれなんだよね、ゲイとかレズでももっと俺みたいに公言しないとダメね。恥ずかしい事じゃないんだからアナウンスしないとダメ。それが自然なんだったら言っていかないとダメだよね。


俺の精神病に関してもそうだけど、そういった自分の自然状態に対してちょっと嫌悪感っつーか後ろめたい気持ちがあるのって本当によくないんだよ。それはそういったちょっと変わった性質ってのも多様性として社会が認めていかなきゃいけないし、そのためにはやっぱり隠してたらダメなのね。こっちだとクラスメートとかでもたまにゲイがいるけど、なんつーか自然なんだよね。別にみんな軽蔑の目で見ないっつーか、英語のクラスに明らかなゲイの黒人がいるんだけど、見た目っつーか顔は完全にDJ Ruptureみたいな感じでさ、ただすげーお洒落なのね。香水の匂いがちょっとキツいんだけど、凄くまぁ繊細な感じっつーか全然嫌な感じがしないのね。ああいう素敵なゲイって素晴らしいと思うね。俺は。ああいう隠さないでなおかつゲイの繊細さみたいなのを自分の魅力にしているところが凄く素敵だと思うわけ。まぁ俺はそういうオカマチックな趣味は無いんだけど、ただまぁゲイっぽいってよく言われるし、なによりまぁ仕草とかが昔から女っぽとか言われて「男女」ってよく言われてたから、まぁ元々ゲイ的パーソナリティだったのかもね。元がゲイなんだけど、どちらかというとやっぱ女性が好きっつーさ、で、今はだから完全になんつーかヘテロなんだよね。元はゲイだからまぁ女っぽい仕草とかなんだけど、基本的に女の子大好きっつーね、それはまぁ普段のウォール伝見てれば分かるでしょ。別にあれはゲイ隠しとしてやってるわけじゃないからね。これってそんなに恥ずかしいことかね?別に自然だからね。


まぁ正直、これで俺が完全にゲイだったらまぁ恥ずかしいかもしれない。俺がゲイであるというのもまぁヘテロあってのカミングアウトっつーかさ、ある意味でゲイ気質だけどゲイじゃないんだよっつーのがあるからあえてゲイだと言えるみたいなね、ヘテロっつー大きい後ろ盾があるからカミングアウトできることではあるかもしれないわけで、まぁ俺は卑怯かもね。そういう意味だと。完全にゲイだったらお前も隠してるだろって言われたらなんとも言えないっつーかなんつーか。でも別にバイっつーかさ、美少年も好きだけど、でも基本的にまぁムラムラくるのはブロンドとか栗子とかあともう一人ね、最近ムラムラする子でまぁソーシャルサイコロジーのクラスの子なんだけど、意外な発見だったんだけど、ファッションが俺好みのときは凄くムラムラするんだよね。この子に。栗子は例外無くムラムラくるけど、ソーシャルサイコロジーの子はファッションによってはムラムラくるっていうね、あ、んで例のお転婆娘じゃないよ。お転婆娘は可愛い顔っつーかまぁお転婆ガールな感じが可愛いっつーのもあってムラムラはこないんだよね。いやー複雑だね。凄く。


「あの子いいねぇー」っつーのにも色々種類があるんだよね。ズリネタキングとしてはやっぱ英語学校の頃のメタルさんだよね。メタルさんでは何回抜いたか分からないけど、栗子とまぁエロさの系統が似ているかもね。あのなんつーか飛び抜けて可愛い感じじゃなくてエロい感じが凄くいいんだよね。思うに飛び抜けた美しさとエロさって混在しないと思うんだよ。飛び抜けた美しさを持ってる人っつーのはさ、まぁ姫みたいな人なんだけど、なんつーかもう畏怖の念があるぐらいの存在なんだよね。うわーめっちゃ可愛いなぁー!っつーね、驚きっていうかときめきっていうか。で、エロさってのはさ、顔は可愛く無かったりするんだけど、でもなんつーか顔も含めて体とかファッションとか雰囲気とかの全体でエロさを醸し出している人っているじゃない?こういうタイプがズリネタにピッタリのタイプなんだよね。ソーシャルサイコロジーの子は当日は新鮮な画像を脳内田代に保存したまま抜けるけど、まぁ日が経つとそうでもないんだけど、普遍的なのがやっぱ栗子だよね。栗子ではいつでも抜けるっつーかなんつーか。


あとあれだ、天文学の南米系の子ね。アメリカ人なんだけど親が南米系なんだと思うんだけど、なんかまたすんげーエロいんだよ。この子に関してはちょっと俺に対するアプローチを感じてるんだけど、まぁ俺がアプローチを出しすぎているのかもしれないね。この子でも抜けない事はないね。顔は別にそこまで可愛くないんだけどとにかくエロいっつーね、いやー今セメスターはエロスの宝庫だったな。パッと見だとたいしたことないんでがっかりするんだけど、何回か会うたびにその魅力を感じてくるみたいなね、リア二千みたいなタイプじゃないのね。俺はリア二千みたいな「うわー!可愛い!」っつー子を期待してたんでまぁ残念だなぁーって思ったんだけど、いや、でも魅力がある子は今セメスターにはバッチリいましたね。あ、んでリア二千は可愛過ぎるタイプで全然抜けないっつーか抜こうと思わないタイプの可愛さを持った子ね。お転婆娘も同じ。「可愛いのぉー」っつって抱きしめたくなる感じっつーのかな?栗子とかは押し倒したい感じっつーか、トイレに連れ込んで尺八してもらうみたいな、そういう感じがあるんだよね。スタバでおしゃべりじゃなくてバスルームでおしゃぶりみたいな、そんな感じね。イラマタイプっつーか精液が似合う肉棒美人っつーのかな?それにしても俺ってド変態だよね。マジで。酷いよね。これは。性的にも倒錯してるしさ、俺の性倒錯に関してはさすがに書けないや。あまりに強烈過ぎて恥ずかし過ぎるので。まぁ誰も知りたくないだろうけどね。


ムッツリスケベでなおかつ性的に倒錯していて、んで常にオカズを吟味しつつゲイ的気質があって美少年が二次元でも三次元でも好きでしかも極度のマゾっていうね、こないだもあれだもん、洋物なんだけど、ずーっとカメラに向かって「情けないチンポしてるわねぇー。なんていう負け犬なのかしら?自分でそんな風にシコシコして寂しいやつだねー」みたいなね、アメリカン2人が鑑賞者を罵倒してくれるみたいなビデオがあってそれで抜いたんだけど凄く良かったね。さすがまぁ英語のリスニングはバッチリだから罵詈雑言もバッチリ理解できてチンコギンギンみたいなね、自分でも呆れるぐらい性に対して貪欲だね。俺。童貞なんだけど、童貞だからこそ性に貪欲なんだろうね。でもあれだわ、英語のクラスでもまぁまぁ可愛い子ってのが一人いてさ、まぁ英語のクラスはまぁどうでもいいんだけど、やっぱクリティカルシンキングの日は栗子が強烈だからハッピーになるじゃない?あと口の悪い仲良し2人コンビってのがいるんだけどね、この片っぽがかなり可愛いんだよ。まぁでもやっぱ栗子に軍配が上がるけどね。顔ではこの口悪コンビの片割れのほうが可愛いんだけど、栗子のエロさ半端じゃないんで、まぁやっぱ俺のズリネタセンサーは栗子に行くよね。


で、天文学ではまたエロいさ、さっき書いたすんげーSっぽい南米系の子がいるわけじゃない?あの子に縛ってもらって鞭で叩かれつつ犯されたら最高だなって天文学のクラスがあるたび思うんだよね。で、ソーシャルサイコロジーではお転婆娘と例の割と最近気がついた結構抜ける子ってのがいるわけじゃない?で、政治学のクラスではクラス自体が面白いから可愛い子は必要ないんだけど、お転婆娘が最近モグリで来ているから、まぁクラスに華がそえられたって感じだよね。まぁ馬鹿女っつーのはちょっと言いすぎたかな?っつてもまぁあの時点ではそうとしか思えなかったんだけどね。でも今はまぁちょっとお転婆娘のことが分かってきたからまぁ馬鹿じゃないんだなっつーのは分かったんだけど、何よりあれだ、政治的意識が高いっつーのは俺にとって相当プラスな要因だね。逆に姫みたいな子が保守っぽい感じだったらガッカリだよね。そう。イデオロギーは俺にとって凄く重要な要素なんだよね。で、最近の俺のお転婆娘の評価が上がったのはやっぱ色々な政治活動をしているからなんだよね。まぁ政治活動って言うと大げさなんだけど、ただなんかお転婆娘なりにコミットしているってところが凄く偉いと思うし、そのパワーっつーか頑張ってる感じが凄くいいんだよね。ってことでお転婆娘に関しては政治的なところでポイントが高くなったかなっつーかなんちゅー品定めしてるんだ?って話だよね。本当に俺はポスト喪ダメストなんだなって痛感するよね。


ってことで今日はこの辺で区切りまする。


PS


あ、あれね、ロバートが言ってたオバマムービーってロバートが作ったやつじゃなくて、既存のやつなんだって。ネットで見れるやつのコピー作ってどうするんだろう?それにしても勝手に失望したな。ロバートがムービー制作してるのかと思ってたからね。で、肝心のムービーとやらはマックでもPS2でも再生できなくてさ、んでグーグルで探してまぁ見つけたんだけど、まぁまだ全部は見てないんだけど、なんつーか911系でもこういうのがあるんだけど、まぁどちらかというと陰謀説系なんだよね。911も怪しいところはいっぱいあるけど、911系の告発ムービーとかってちょっと行き過ぎてるところがあるじゃない?そういう感じがまぁこのオバマムービーにも感じるんだけどね。またアンチロスチャイルド同盟だったかなんだったかがそのうち日本語字幕バージョンとか作ると思うんだけど、まぁとりあえず字幕無しなんだけど全編見れますのでアドレスを貼っておきますね。タイトルはThe Obama Deceptionね。それにしてもロバートは何がしたいんだがさっぱり分からないな。あとこないだも話したんだけど、相当ヤバいところまで行ってたよ。ナチスがロックフェラーだかロスチャイルドだかにセットアップされた傀儡国家だとかなんだとか、なんかさ、フリーメーソンが世界を牛耳ってるみたいなことをずーっと言ってるのね。俺は陰謀論は趣味としては好きだけど、当然真面目には捉えないよね。陰謀論がなんで陰謀論なのか?っつーと明らかな証拠が無いからなんだよね。物事と物事をある特定のパースペクティヴから結びつけて意味付けをするっつーまぁ意味論なんだよね。簡単に言っちゃえば。


http://video.google.com/videoplay?docid=7535755025025800195


PS2


んでアンチオバマムービーの話だけど、ムービーに出てくるWebster Tarpleyっつー人はLydon LaRoucheとかDruryのような陰謀論っつーか左翼っつーかまぁ偏ったシュトラウスの評価っつーか解釈をしている人達の解釈を元にシュトラウスネオコンの繋がりを語ってる人だったりするんでまぁ基本的に全然信用できないのね。前にムービーで紹介したかもしれないけど、ニーチェハイデガーとシュミットを出してきてシュトラウスは実はナチのシンパだとかって言うのはもう完全におかしいわけね。まぁいいや。これについてはまた今度書くわ。あとAlex Jonesっつー人も見ての通りただのアジテーターで普段も街宣車みたいなのに乗って「この社会は完全にコントロールされている!」とかって叫びながら活動をしてたりする人でね、この人は911の内部犯行説とかも主張してる人なんだけど、まぁ判断はまかせるけど、まぁ基本的にオバマのやつはこういう陰謀論系の人達が作ったやつってことね。まぁ見れば分かるか。Alex Jonesだけでも痛いのにWebster Tarpleyとか出てきちゃったらもう終わりだよね。信憑性ゼロっつーかなんつーか。で、彼らが好きな構図が一部のエリートが世界を支配していて、政治家達はアメリカを筆頭にパペットだらけであるっつー主張ね。話聞いてると大体この単純なセオリーに還元してるところがあってさ、まぁロバートもこれにどっぷりなんだよね。1ドル札の説明とかしてくれたときもさ、完全にあのやりすぎコージーの関と同じことを言ってたり、ホワイトハウスだかを上から見ると地形を利用したペンダグラムが浮き上がってくるとかね、そんなのばっかなのね。


http://jp.techcrunch.com/archives/20081231apples-washington-dc-store-facing-opposition-or-part-of-a-mass-conspiracy/


こういうレベルね。ロバートって天才と思ってたらただの電波だったというわけです。まぁ悪い奴じゃないんだけどねぇ。残念だわ。マジで。まぁでも知識とか凄いんだけどね。でもその知識も全部が陰謀論に還元されちゃうからホント無駄なんだよね。もったいないやつだなーって感じね。あとあれね、George Humphreyっつーエコノミスト陰謀論系の人達のお仲間ね。彼らはフリーメーソン陰謀論とかもマジで信じてたりするから、まぁ信憑性については言うまでもないね。あ、んでジョーンズなんだけどさ、政府を嘘つき呼ばわりする前にまず自分の嘘を止めた方がいいよね。まぁズラってことなんだけど。ウィキペディアで見たら左翼じゃなくて自称超保守主義で、んでコミカレドロップアウトらしいよ。テキサス出身だしなぁー。田舎のハゲが暴れているようにしか見えないよね。全く知性を感じないっつーかなんつーか。


http://www.prisonplanet.tv/articles/march2007/190307humphrey.htm


あとあれね、Webster Tarpleyのシュトラウスのやつを見つけたんで貼っておくね。


http://www.youtube.com/watch?v=wx2Dqe6-wqo&feature=related


このナチからシュトラウスに続くっつーアホな構造がLaRoucheやDruryによって作られた勘違いっつーかまぁ彼らの歪曲したシュトラウス理解によるもので、これがメディアに広まったどころかシュトラウス理解の定番みたいになっちゃったんで、まぁネオコン陰謀論っつーかまぁシュトラウス陰謀論だとかが盛んになっちゃったわけね。あとダイレクトにシュトラウスの影響を受けたやつで実際の政治やってるのっつーのはほとんどいなくて、実際のシュトラウシアンみたいなのは主に狭いアカデミアの中でブランチが分かれて存在してるだけの超マイノリティなのね。まぁ今後はシュトラウスはもっと読まれていくとは思うけど、少なくとも2000年前後まではそうだったってことね。で、ウォルフォウィッツはシュトラウスの生徒だったけど、実際、本人がでシュトラウスからの影響を否定してるわけね。政治家じゃないけどウィリアム・クリストル然り。実際、ウォルフォウィッツが主に外交面での影響を受けたのはAlbert Wohlstetterっつーエコノミスト・戦略思想家らしくて、まぁとにかくシュトラウスじゃないのね。あとネオコン自体もシュトラウス派っつーのはまぁネオコンのブランチには入るかもしれないけどっつーか前にも書いたようにシュトラウスっつーでっかい柱があってネオコンがあるんじゃなくて、ネオコンと呼ばれる人達にシュトラウスの生徒やシュトラウス派ってのが含まれるだけで、マルクス主義で言えばアルチュセール学派ってぐらい大枠から見ればマイナーな存在なのね。あとなんだっけ?コジェーヴシュトラウスが仲が良かったのは秘密結社繋がりだみたいな話もあるけど全部インチキね。あとまぁあれだ、シュトラウスの生徒だった連中ってのはそれこそシュトラウスが先生だった期間を考えれば相当な数になるわけで、別にシュトラウスの生徒=シュトラウシアンってわけじゃないのね。なんか特別なクラスで英知を授けるみたいなイメージがあるかもしれないけど、シュトラウスは政治哲学の教授だったわけでね、それこそ政治哲学の観点は違えどロールズとかと同じような存在なわけ。ロールズの生徒だったからっつってロールズ主義になるわけじゃないじゃない?まぁそういうことね。


マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)

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