リベラルエディケーションと上座部仏教。

mimisemi2009-04-16

どうやらあれだ、敵/味方区別の不在は政治の不在なんだそうだ。まぁシュミットだけどもね。で、俺が思うにホッブズ的な観点に立っていない政治思想っつーのも意味無いんだよねっつーのはこれはシュミットだったかシュトラウスだったか忘れたけど、政治思想っつーのはまず人間が根源的に悪だという前提に立っているんだよねっつーか立っていなきゃいけないわけでさ、分かりやすいのが虎っつーか野獣だよね。襲ってこない虎ってのもいるかもしれないけど、基本的に檻に入れておかないと獰猛だし何をするか分からんので危ないってことでね、檻に入れようじゃないかと。それがまぁ人間というか世の中の場合、政府なわけで、リバイアサン不在の世の中なんて檻の無い動物園みたいなもんってことでさ、これは残念ながら言えてるよね。あれなんだ、あのプラトンのリバプリックに出てくる指輪の話だよね。


つけると透明人間になれる指輪ってのがあって、んでその指輪をつけたら人ってのはルールっつーか道徳みたいなのを守り続けるだろうか?っていうね、まぁ俺は前に透明人間になれたらムラムラくるブロンドの姉ちゃんの家に忍び込んでハァハァするって書いたけど、まぁ大体みんなそうだよね。みんなハァハァするかはともかくとして、まぁルールは守らなくなるだろう。それは些細なもんでもさ、例えば閉店後のデパートに忍び込むっつーか、閉店になるまでずーっと店内にいてさ、んであのロメロのゾンビみたいな「キャッホーウ!」な感じを味わうっつーね、まぁ具体的に物を盗んだりしたら責任は問われないにしてもまぁおかしいぞってことで問題になるのでまぁ他の手を考えないといけないわけだけど、まぁそれはともかくだね、獰猛かはともかくとして危ないんだよね。人間って。だから統治が必要だしイデオロギーが必要なわけ。ここで言うイデオロギーってのは道徳っていうイデオロギーね。人間は本来的に道徳的な感情ってのは持ち合わせてないんだよね。これは例のキャリアウーマンの人が言ってた事だけどさ、俺があのタイムズスクウェアの電気屋でボラれたときにさ、「彼らはあんなことをしていて良心の呵責がないんだろうか?」って言ってたらね、「良心とか道徳っていうのはそれなりの環境に生まれて育たないと身に付かないんだよ」って言われてさ、本当にそうだなって思ったわけ。つまりはああいう下種な人間達にとってさ、ボルってことはつまりは商売なわけで、そこに良心なんてものは介在してないんだよね。それが当たり前のこととしてあるわけで、良心を身につけてないものとしては「良心って何?」って話なわけでさ、そもそもそんなものが彼らにとっては存在してないんだよね。


性善説に立つとこういうことを忘れがちっつーかまぁこれはいつも書いていることだけど、例えばムーア先生みたいなのが典型だけど、人間は良いものなんだって信じたいっつー事実とは違う彼のそう思いたいっていう意志から政治思想っつーか政治的考察がはじまってるとダメなことになるんだよね。そう思いたいのは分かるけど、実際はそうじゃないんだから事実からはじめないと何も答えは出ないよね。何も答えは出ないっていう言い方はあれだけど、まぁあれだ、数学が例えば1足す1は2っつー原則が無いと成り立たないようにさ、性善説ってのは1足す1を3とかって想定しながら数学をやるようなもんなんだよね。これってかなり自明なことなんだけど意外に知られてないっつーかまぁ俺も元は性善説に立つ左翼だったんでよく分かるんだけど、逆にまぁ俺ぐらいの歳でこれに気がつけばまだマシなんだけど、これを信じて生涯を過ごす人とかだっているわけじゃない?間違った観点なのにそれに気がつかずにずーっとその考えをベースに何かを続けるっつーさ、これってある意味で悲劇だよね。


結構な数の人達が後天的に教育なり環境なりから得るはずの道徳なりなんなりっつーヴァーチュー全般を学ばないっつーか身につけないっつーのはいかにさ、大半の人々が愚かだっていう事実と同時に俺がいつも言う民主主義の不可能性を表しちゃっているんだよね。シュトラウスがリベラルエディケーションについてのエッセイっつーか論文で書いていたことだけど、デモクラシーってのはさ、みんながまぁそれなりのヴァーチューを身につけつつ教養があったり政治的なものを考察するバックグラウンドっつーか能力全般を含めたリソースが必要になるんだよね。でも大半の人達は自分の事で大忙しな教育されてない人達なわけじゃない?大学出たからってそれは教育を受けた人間ってことにはならなくて、リベラルエデュケーションって意味の教育ってのはさ、つまりはリベラルアーツなんてのも哲学の入り口なんだよね。様々なことを考察することの入り口としての教育っつーかまぁ諸学問なわけ。そういう考察のベースを身につけてから様々な考察を出来る人間になるっつーのがまぁ教育の本来の目的というかあるべき姿だと思うんだけど、まぁこれもいつも書いているように学校ってのがただの職業訓練施設になっちゃっている現在みたいな世の中ではさ、まぁアメリカはある意味で日本より酷いかもしれないけど、これってつまりはリベラルエディケーションの不在だよね。考える能力とか徳を身につけてないわけじゃない?そんな輩がただ職業的技術だけを身につけて社会に放たれているわけでさ、そりゃーダメなやつ増えるよね。


民主主義なんてのが不可能なのもまぁ自明なことだわ。民主主義っつーのはつまりはみんながリベラルエデュケーションを経ていないとまずはじまらないんだよね。「何を馬鹿なことを!」って言われるかもしれないけど、いや、まさしくそうでさ、そんなの無理じゃんっつー何気ないツッコミが民主主義には効果的っつーかワークするんだよね。みんながリベラルエディケーションを受けてそれなりの人間になるってのが不可能っつーこと自体がつまりは民主主義の不可能性にダイレクトに結びついているわけでさ、リベラルエディケーション不在の民主主義なんて衆愚政治そのものだよね。なんでこんなものが何百年と良いものだと信じられてきたのかが本当に分からない。まぁこれが一種の洗脳によるものだって陰謀論説的な観点に立ったりすれば言えるのかもしれないけど、いや、マジでそうなんじゃない?って思えてくるぐらいみんな民主主義を信じてるよね。洗脳って恐ろしいよ。


それこそ洗脳ってさ、つまりは疑いを持てなくなるってことだよね。当たり前でしょ?そんなこと?って思われていることが実は洗脳の所産でさ、だからまぁ洗脳されている人達は洗脳されてるって思わないんだよね。カルトの洗脳なんかが良い例でさ、他から見れば明らかに異常なんだけど、洗脳されてる人達はそれに気がつかないよね?それと同じだよね。地球温暖化然り民主主義然り。懐疑心すらも介在しない常識というものの中に洗脳的な要素ってのが多分にあるわけね。これが行き過ぎるとまぁ陰謀論説になるんだけどね。みんな洗脳されてるっつーさ、ロバートみたいに例えばロックフェラーだのフリーメーソンだのっつーのが世の中を支配しているっつー概念に支配されてると「みんな洗脳されている!」って陰謀論説に逆に洗脳されるんだよね。で、全てがユダヤの陰謀に見えてきたりするわけ。俺はそういう意味では全然陰謀論説には立ってないわけよ。実はよく考えば分かる事を言っているだけで。


性善説とか民主主義みたいなドクトリンっつーか思想って厄介だよね。人々を洗脳っつーとあれだけど、人々を真実から遠ざけるっつーかさ、あとあんま性悪説に立ちたくないっつードリーマー達に対しても好都合な思想なんだよね。だから俺はもう温いのが大嫌いになったと前に書いたけど、まぁそういうことなのね。こういう観点を元に色々なことを言ってる人達ってそれはそれで相当邪魔ものだよね。間違った教義っつーか考えを元にまた他の人にそれを伝達しているわけで、つまりはドクサの連鎖だよね。これって。こういうのを左翼がやるから左翼は左翼でタチが悪いのかもしれん。スピノザだかも言ってたように事実と本人がそう思いたいっていうことは大きな違いがあるんだよね。


で、そういうことを言うとさ、ムーア先生もそうだったけど嫌がるんだよね。「これは俺の意見だから」とかって言ってさ、分けようとするわけ。まぁ俺は他人に意見を押し付けるつもりはないけど、意見と真実の差ってまたあるじゃない?俺のイデオロギーとまたイデオロギーとは隔てた場所にあるただのシンプルな真実ってのがあるじゃない?で、まず人間は危険なんですよっつーさ、そういう真実って俺のイデオロギーとか考えじゃなくて真実なんだよね。それがさっき書いた1足す1は2っつーさ、まぎれも無い事実なわけでさ、それを他人に言うことっつーのは俺の考えの押しつけになるのかな?ドクサレベルでしかいられない人達が色々考えるっつーのもこれまたただの浪費だよね。無駄の最たるもんっつーかさ、下手な考えを広めないでほしいって思うよね。これはこれで問題だよね。マジで。特にムーア先生みたいな典型的な左翼を見ると悲しくなるよね。正直。ずっーっとああいうのを信じてあんなオッサンになっちゃってるわけだから悲劇だよね。こういうおっさんが「ウェイクアップ!」って叫んだところで残念ながらそれって全然意味無いんだよね。またドクサを信じる生徒が増えるだけでさ、まぁウェイクアップしない連中が大半だし、ウェイクアップしてもウェイクアップっぷりがまた間違ってるっつーね、どっちに転んでもどの道、真実からはほど遠いっつーのがまぁ現状だよね。教師っていう位置にあるものがドクサを基本に物事を教えてたんじゃマズいよね。しつこいようだけど、これがドクサの連鎖を生むわけだよ。


でさ、まぁ先生は先生なりに頑張ってるからいいじゃないかっていう言い方もありそうだけど、そういうことじゃなくてさ、1足す1は3って教えてる教師が世の中に溢れてちゃマズいわけよ。人畜無害ならいいんだけど、間違った考えってのを元に色々なことを教えてるから、またそういった間違った考えってのがそれだけ広まるでしょ?で、この広まり方が半端じゃないし、問題意識を持っている人も多くは無いと思うから、だからまぁ半ば放置状態なんだろうね。もう手がつけられないっつーか手遅れっつーかなんつーか。だからこそ一部の分かってる人達が奥義としての哲学を後世に伝えていくしかないんだよね。その奥義というのは晦渋に説明するという意味ではなく、上座部仏教みたいなもんでさ、一般には根付かないけど、教えの本質を保存しつつ常に一部の分かる人達にだけ継承していくっていう、まぁそういうスタイルだよね。シュトラウスの奥義としての哲学という概念はもちろんシュトラウス読みという独特な読み方があったりするんだけど、本質的に哲学が常に一部の分かるものにだけその本質が伝わっていきつつ保存されていくのだっていう考え方はまさしく上座部仏教そのものなんだよね。大乗ってのは愚者の船ってわけで、愚者の船を操縦する優秀な人間達ってのが社会には必要なんだけど、こういう操縦側に回る人間ってのがつまりは上座部仏教の徒である必要があるというわけだね。リベラルエディケーションというのは仏教そのものみたいなもんでさ、大乗でも小乗でもいけるんだけど、どっちにするか?っつーのは教える側の考え方とかやり方に依存するっていうね、で、まぁ俺は大乗仏教を信じない人間ってことになるわけね。シュトラウス然り。


もちろんそこでシュトラウスみたいに大乗的なアプローチも必要としつつも根本でその概念に懐疑的っていうね、基本小乗なんだけど、大乗のあり方というのもある程度までは重要視するっていうそういうことだね。政治思想というか哲学というか考え方もまた宗教の分派みたいなもんでさ、もう取り返しがつかないぐらい色々な派があって、んでそれぞれが独立して動いちゃってるんだよね。だから「これが真実なんです」とか「これが実は正しい解釈なんです」って言い方がもうワークしないっつーか、それもまた分派の一意見として見なされちゃうんだよね。「これが真実だ!」と言いきれることは少なくとも概念レベルではそう多くは無いと思うけど、でもまぁあるんだよね。言いきれることが。でもそれもただの一意見というか考え方として見なされちゃうんじゃもうダメでさ、それが学派とか言われちゃうわけよね。まぁいいんだけどね。一部の人への伝達を目的にしていたら、まぁ世間からの見られ方なんてある意味どうでもいいっていうね、まぁそういうことだよね。


ってことで今日はこの辺で。


PS


ドグラ・マグラがあったので。


http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person96.html#sakuhin_list_1

リベラリズム 古代と近代 (叢書 フロネーシス)

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