ギフテッドについて。

mimisemi2009-06-17

では溜めからね。


前にさ、Creampie surpriseっていうアメリカの中出し系の洋物があるって書いたじゃん?俺がえらく気に入ってるやつ。でさ、この中だしされて驚いてる演技っつーか小芝居が最高!って書いたけどさ、Naughty Americaっつー洋物もなかなか小芝居が効いてるんだよね。で、俺がさ、なんで洋物のビデオにオブセッシヴになってるか?って抜けるっつーのがまぁ当然あるとしても、ようはこの小芝居を楽しみにしてるんだっつーのに気がついたんだよね。ようはHGルイス的な楽しみ方っつーのかな?エクスポロイテーションフィルムをあえて楽しむっていうあの映画秘宝的なテイストっつーの?そういうどうしようもないC級感っつーのがさ、洋物のセックスの前の小芝居に多いんだよね。しょーもない演技とかさ、演技がうまいのもあるけどね。あとはプロットがどうしようも無かったりね、あとなんかビリヤードやってたりとかさ、そういうの多いんだよね。


バーで乱交する前の前フリとかさ、そういうのが面白くてしょうがない。まぁ全部が全部面白いわけじゃないけど、抜けなくても小芝居が面白いやつは消さないで保存してあるね。で、将来、ハウスとか音楽で大もうけしたらさ、この小芝居のベストDVDとか出したいと思ったんだよね。ちゃんとライセンスを取ってさ、ようは金持ちの道楽的に赤字覚悟でやるっつーのかな?みんなはオペラをやるとかって言うけどハウスって金になるでしょ?


で、一気に話が変わってドンブロフスキっつーさ、ギフテッド教育とかギフテッドに関する専門家がいるんだけどね、その人が言う「OE(過度激動)」というのが凄く思い当たる気がしたので興味津々。本を買うかもしれない。ウィキからのやつを貼っておくね。ギフテッドという項目から。

OE(過度激動)
ギフテッドの人間には異常なほどの熱情、並外れた集中力、他人とは一風変わった振る舞いが見られる。これは多動性障害、双極性障害自閉症スペクトラムやその他の心理的障害の兆候に似ているが、ギフテッド教育の専門家はドンブロフスキの「積極的な分離」(w:en:Positive Disintegration) [6]という人格形成理論をしばしば引用する。積極的な分離理論の中核を成すのが、刺激に対する並ならない反応(OE Over-Excitabilities 過度激動)である。これは神経の感受性が増すことによって通常の人間よりも刺激を生理的に強く経験する性質であり、ギフテッドの特徴である。


否定的な分離とは、一般社会的な生き方から破滅的に離れることで、精神病や自殺を引き起こす可能性がある。それに対して積極的な分離とは、一般的な受身の人生から離れ、自分から更に高いレベルの生き方を求めることである。一般社会との積極的分離と再融合を繰り返す人間は、自己や世界の概念が変化していき、最終的に独創的な生き方のビジョンを得てその実現を目指す。しかしその過程は、緊張、不安、気分的うつ、恥、罪悪感といった精神的苦痛を伴う。自己の葛藤も深い感情作用に連動しており、人生の要となる出来事も日常の内省行為も、世の中がそうあるべき姿と現実世界とのギャップを思い知る機会となる。そして利他意識や道徳観念といった更に高いレベルでの人格形成につながっていく。


ドンブロフスキは、短時間の単純な感情は人格の成長にあまり影響はなく、否定的感情も含めた激しい感情作用こそが人生を変えるような劇的な体験をもたらし、積極的な分離を起こすと考えた。つまり精神的苦痛は個人が心理的により高いレベルへ成長するために不可欠であり、その深い感情作用を最大にもたらすものはOEであるとしている。ギフテッドの子供がOEという平均以上に敏感な精神状態にあることは、勉学や仕事で著しい成果をあげるだけでなく、日常におけるすべての活動においても精神に特異な反応を起こしている。ようするに、ギフテッドは誕生時より常に外界、内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返していることが、彼らの著しい成長に関連しているという説である。
ドンブロフスキはOEを次の5つの分野に区分けした。


1. 精神運動性OE:一般的に「落ち着きがなく頭の回転が速い」印象を与えるもので、身体的多動だけでなく、話すスピードが速い、話が一気に飛躍する、頭が働いて眠れないという精神的多動も示す。


2. 知覚性OE:「神経質」という言葉で表される性質で、増長した知覚意識を持ち、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。靴下の縫い目や服のラベルが気持ち悪かったり、隣室の時計の時を刻む音が気になって集中できないといった例がある。鋭い感性は、幼少の頃から絶景に息を呑み、名曲に涙を流すといった美的感覚にもつながる。


3. 想像性OE:隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られ、「おとぎの国の住人」と揶揄されるほどの強い想像力をもつ。白昼夢を楽しみ、前夜見た夢にも過剰に反応する。いわゆる英語圏で言うところの"think out of the box"(枠にとらわれない独創的な考え方)ができる能力として賞賛される資質でもある。


4. 知性OE:一般に広く知られているギフテッドの特徴。知識を渇望し、疑問は研究し、理論的な分析や真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、頭脳パズル、知覚ゲームを好む。


5. 感情性OE:感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。より楽しみ、より悲しみ、より腹立ち、より驚き、より恐れ、より共感する。深く感情移入し、愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。ある程度経験をつんだギフテッドには相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り共感する人もいる。


どの分野のOEが強いかは個人差がある。たとえば高い知覚性OEを持つギフテッドは、外界からの刺激に対して非常に敏感で、五感のいくつかが働きすぎて作業に集中できないため混雑や混乱した環境を避けようとする。一方、知覚性OEが低く、妨害をすべて遮断して作業や思考に集中でき、むしろ五感への刺激が存在するど真ん中に身を置くことを好み、その状況下で上手くやっていけるギフテッドもいる。OEが強いほど、毎日の生活が強烈な体験となるが、特に想像性、知性、感情性において過剰に反応する人間は、他人に比べて日常生活を深遠に体験し、人生の苦楽も激しく感じる。


異常なほどの熱情、並外れた集中力、他人とは一風変わった振る舞いっつーのはまぎれも無く俺だ。ただウィキにもあるように多動性障害や、双極性障害自閉症スペクトラムっつーよりかは恐らくアスペルガーっつーのと似ててさ、ようはこれって単純になんつーのかな?サイコロジカルな線引きが出来てないってことなんじゃない?って思ったよね。特に俺みたいな複合的なやつは医者が診断出来ないってことになるわけ。前にも書いたようにさ、ADDとかでもお転婆娘みたいに精神的には普通のやつもいるんだよね。全然奇抜じゃないし。だから奇抜さとADD加減ってのは分けて考えなきゃいけないなって前に書いたけど、そう思うとさ、数人のADDな人達と会ってみて思ったのはさ、まぁこれも前に書いた事だけど、彼らとも俺は違うぞ?っていう実感だよね。あの大事件の日とかさ、ソーシャルサイコロジーのやつとかさ、あ、お転婆娘じゃない男ね、普通なんだよね。凄くまとも。彼らはもちろん内面的な葛藤をかかえているけど、奇抜さとかさ、言動の変な感じは無いんだよね。凄くディーセントっつーの?


自分で自分の事をギフテッドだっていうなんてどうかと思うけどさ、この可能性も考えておいたほうがいいよね。いずれにしてもある意味での障害には変わりはないんだから。で、この積極的分離ってのを読んで驚いたんだけど、これってまさしく俺がウォール伝でやってきて最近達成したことじゃんね?「ええーえええーーーー!」ってなったもん。読んだ時。以前は否定的な分離だったけど、今は積極的な分離をしているっつーの?だから引き蘢りとか言われる筋合いは無いって話なんだよね。その過程は壮絶だっつーのはウォール伝読者なら恐らく分かってくれるよね?仮にちょっと卓越した能力とか創造力があったとしても、それを羨んで彼のようになりたいとは思わないレベルっつーの?社会的に受け入れられてないし、ウォール伝を読む限り、神経の感受性による人生の強度はあるんだけど、その分の葛藤も多くて、いつも自殺スレスレになったりしているっつーのがさ、リアルに刻印されてるじゃん?ウォール伝ってそういう意味で作ってない独白だからさ、客観的な判断もしやすくなるんだよね。自己カルテっつーのかな?


「当時はあんなことがあって俺はこういう風に反応してこんな風に思っていた」っつーのが分かりやすいんだよね。覚えていることは多いけど当時の生々しい文章が残っていると分かりやすいじゃない?だからそういうのを読むとさ、俺の逸脱っぷりとか社会でやってけないっぷりとかがモロに出てるんで、彼みたいにはなりたくないって思うはずなんだよね。「凄いからもしれないけど大変そうで嫌だ」って思われるっつーの?なんつーかさ、「彼の留学生活が羨ましい」って思わないと思うんだよね。まぁ絶望の底にいる人は自分よりかは親の支援を受けられるだけマシだって思って変わりたいって思うかもしれないけどさ、俺の精神的な葛藤って恐らく同族にしか理解出来ないと思うんだよね。


そうそう。だからさ、俺が言う天才のコロラリーってこういうことなんじゃないかな?ようはギフテッドの種類っつーの?ギフテッドにもレベルがあるじゃん?だから俺がこれである可能性は高いよね。一番上でありたいものだけど、リアルに考えて一番下でもカテゴリーに入っているということはありえなくもない。何しろアインシュタインとかノイマンみたいなレア度ではないじゃない?だからそういう意味で十分ありえるってことね。特にこのOEって概念に関してはADD以上のものを感じるね。あとギフテッドって数学に関しては凄いのに何かを書くのがダメとかっていうアンバランスがあるらしいんでさ、この俺のアンバランスさも似てると思うよね。


っつーかOEに関しては12345全部当てはまると思うんだけど・・・・。ある意味唖然。俺ってギフテッドだったの!!!っていう。これの場合、恐らく多動とか注意力欠如にしてもさ、OEの1と2で説明がつくよね。で、3に関しては俺のぶっ飛び具合からあえて言うまでもないと思うけど、4の知性OEに関してもあれだよね、「知識を渇望し、疑問は研究する」という意味ではある意味でADD的じゃない?っつーかADDの過集中と似ているよねっつーかほぼ同じだよねっつーか毎日8時間とか読書してるって時点である意味逸脱なわけだ。これは俺は凄いとは思わないのね。一日中エロサイトとか2ちゃんねるやってるのと同じ感覚なんだよね。全然頑張ってるつもりはないのね。1日2ちゃんやることは無いしエロサイトも1日見ていることはないけどね。あくまで比喩としてね。


で、5の感情性OEに関しても言わずもがなだよね。これがあるから特に最近の宗教的な啓発とかさ、恋愛に対する一喜一憂とかを感じるわけだよね。「いや、そんなの誰にでもあるよ」って一般人代表のキャリアウーマンの人みたいな人はそういうだろうけど、ウォール伝を見ても分かるようにいちいち大げさだと思わない?ちょっといい感じになっただけでさ、外見の態度には出てないかもしれないけどウォール伝見るとすんげー騒いでるよね。「やべべぇぇぇぇぇぇ!目が合ったぁぁぁぁ!!!」とかさ、そういう感じ?だからあれだけ毎日色々書けるんだと思うんだよね。「OEが強いほど、毎日の生活が強烈な体験となる」というのも事実だけど、それと同時に「想像性、知性、感受性において感情に反応する人間は、他人に比べて日常生活を深遠に体験し、人生の暗くも激しく感じる」っつーのもあるよね。なんつーかADDよりOEのほうがシックリくるなー。俺が精神科医だったらこっちを選ぶと思うな。俺。俺のADD的な要素も全部OEで説明ついちゃうもんね。いやーすげぇーな。「素人診断だろ。そんなの」って言われても、こういうのを知らない精神科医とかも多いわけでさ、素人もクソも無いんだよね。精神科医なんて恐らくさ、ちゃんとした人になるならともかくとして、ふつーのレベルなら本とか読めば自分でもやれるレベルだと思うんだよね。


所謂、医学部とかのレベルではないと思う。そんぐらい単純で未開な感じがするよね。テレビに出るような精神科医とか見ても言っていることたいしたことないの多いじゃない?占い師とかと言ってることが変わらないっつーかさ、「分析をしてもらいましょう」とかいってさ、芸人と女の子を企画でデートさせたりしてさ、んでそれを見て精神分析家みたいなのが分析を下すって全部素人レベルじゃん?ああいうの。ようは素人に毛が生えたレベルっつーの?あんなのちょっとぐらい知ってりゃ誰でもやれるよっつーレベル?そう思うと医者とかも俺に言わせてみれば同じなんだよなぁー。適当な診断して適当な薬出すだけで、何かの疑いがあったら総合病院に回すとかさ、総合病院の医者とかも適当な検査してさ、具体的な腫瘍とかがあれば分かるじゃん?そういうのって。


で、分からないと適当な診断下してさ、んで患者の症状が悪くなったりとかさ、そういうので癌の早期発見が出来なくてダメになっちゃう人とかって結構いるじゃない?そういうの考えると医者って相当適当だよね。凄いとか思われている割に凄い医者ってあんまいない。医者とか教授とかさ、なんつーか昔からの風潮で「先生」ってイメージがあるじゃん?でもそれって大衆が今より無知だった時代の名残なんであってさ、今みたいに情報が誰にでも取得可能みたいな状態になるとさ、経済的な差による知識格差とかって無くなるじゃない?みんなネットやってさ、ググってさ、で、然るべき本を読んでればスペシャリストになれる時代だよね?


まぁそいつの脳内キャパっつーか地頭に依存するけど俺なんかが典型じゃない?気になる事はググって、読みたい本は読んでってやってると俺みたいになるわけ。だから俺って凄くないんだよね。俺的な人間のあり方の所産が今の俺なんであって、それは俺が凄いから俺であるわけじゃないんだよね。それがつまりはさ、否定的な分離と積極的な分離に見られるようなさ、OEがあればっつーかギフテッドならば誰からの指示も得ずに勝手にそういう風になっていく可能性もあるっつーのが示唆されているわけでさ、つまりはあれだよね、細胞が勝手に進化する感じっつーの?で、その進化って細胞が凄いからそうなるんじゃなくて、細胞がそうなってるから進化するわけじゃない?だからそれ自体は凄くないのね。ただ他者との比較で凄いって見えるだけで。


素人が診断なんて出来ないっつってもさ、仮にちょっとぐらい頭の良い素人だったら情報さえあれば分かる事だよね?こんなこと。まぁ俺の場合、付き合ってる年月が長いからね、まぁいきなり色々と知ったわけじゃないんだけどね。だから頭の良い精神疾患を抱えたさ、長年こういうのに付き合ってきている人達の精神病に関する知識ってのがさ、精神科医なんかよりもよっぽど凄いものになるっつーのはありえることだよね。患者としての主体と精神科としての主体が両方あるって前に書いたよね?そういうのを常に臨床していけばさ、それこそ色々分かるじゃない?俺が行動して反応するということを精神科医的な俺が分析するって全然不可能なことじゃないしさ、これがむしろ精神病を持った人によるオートノミーだっつーのは前から書いてるよね?で、処方箋とかは医者を操作して自分がベストだと思うのを処方させればいいのね。どうせ彼らは薬の効果とか効き方とか客観的にしか知らないんだからさ、ようは飲んだ事無いわけだからね、で、俺は色々と飲んだから、少なくとも俺にとってどれが一番いいか?っつーのは分かってるんだよね。


で、今の処方箋はベストなんだよね。俺が選んだ感じだもん。「これにしてください」とかって直接言わずにさ、ようは「これは合わないみたいで・・・」とかさ、他を試したかったら「こういうのを読んだんですけど・・・」とかって何気に言えばさ「じゃあ試してみますか?」なんて短絡的な話になるんだよね。これは俺の経験だけどね。だから俺は常にこういう感じで頼りない医者を操作してきたよね。あいつらの言いなりになってたら一生治らないっつーのは昔から知ってたことだからね。あいつらマジでクソだよ。あ、今の先生は良い先生だけどね、患者に「それは甘えだ!」とかさ「んじゃどうしたいわけ?」とかってため口でキレながら言うとかさ、ありえないんだよね。彼らの人間性が。精神病の患者を扱えるっつー人間性を持ってないっつーのかな?まぁ医者って全般そうだと思うけどね。俺のおばあちゃんが入院していたときにさ、俺の親父が医者に言われたのは「まぁババアだから大丈夫でしょう」だったからね。その時に親父は日本的な人だからキレなかったけどね、俺だったらキレてたね。親父って騒ぎを起こさないっつーか面倒を起こさないことを最善のことだって考える人だからさ、だからまぁ他人に利用されやすかったりイマイチ、他人に凄く映らなかったりするんだけどね、それが親父の最大の弱点だと思うんだけどっつーかまぁ親父の話はともかくとしてさ、こういうもんだよね。医者って。俺の経験だとロクなのがいないっつーのがあるかな。


それこそOEの5を持っている俺にしてみれば彼らの人間性のダメさっぷり加減は死ぬほど分かる。一般化は出来ないけどね、でもまぁいつも書くじゃない?今の先生がさ、俺のこういう経験に対して「あぁーーーまぁ・・・・大学病院ってそんぐらいのもんですよー」って言ってたからね。この先生は週何回か大学病院でも診断をしてるんだけど、彼の医者としての経験からも、今の実地での経験からも「そんなもの」らしい。俺の印象が実感に変わった瞬間だったね。俺の考えとかさ、今回のキャリアウーマンの人との話もそうだけど、俺が思ってるだけだとさ、それこそなんつーのかな?ゲーデルの第二不完全性定理じゃないけどさ、自分自身が矛盾してないってことをその内部からは絶対証明出来ないってことなんだよね。で、この証明を他者という鏡で証明するんだよね。ようは信用出来る他者に客観性というか、無矛盾性みたいなのを問うっつーの?で、「やっぱそうだった!」っていう確信に変わるのね。俺が色んなことで確信を得たのってさ、独我論によるものじゃないんだよね。そこに人がいるんだよ。


俺の想定なりなんなりもそれを証明するかのような事柄があったり、他人でも同じようなことが起こっていたり、他人も理解してくれたり、そういう事実があるってことが分かったりするときにそれが証明されるんだよね。まぁそれは社会の一部分しか見てなくてさ、だからそれは絶対のものではないっつー意見は分かるよ。でもそれ言ってたらさ、基本的に自分の生活圏で経験出来るものなんて限られてるんだからさ、それを言っちゃえば何も証明できないっつーか確信に変わることはないよね。「これもただの一部だ」とかさ「俺は一部のことしか経験していない」って全部をさ、ポストモダン的な絶対的否定性みたいなのを持ってると全部ダメになるよね。彼らがダメなのは全部がほとんど絶対的否定性みたいなのに帰結してることね。デリダの来るべき民主主義とかさ、ラクラウの恐らくまぁデリダとかの転用の政治の不可能性の話とかさ、それはムフですらもそうだよね。合意=一元的な真理を作り出すものっていう断固な理解があるんだよね。だからヴァーチューとか善の概念っつーのが彼らの政治理論から消えるんだよね。「そもそもそんなものを措定するのは危険だ」っつーさ、これがようは絶対的否定性だよね。真理など存在しないって言い方?で、フッサールはさ、1世紀前ぐらいにこれを見抜いてたんだよね。こうなるだろうと。まぁ彼の場合、恐らくニヒリズムの否定だと思うんだけど、まぁこの態度ってシュトラウスにも引き継がれてるけどね、ようはさ、アリストテレス的なテロスがあるんだって考え方ね。


ヒューマニティーに貢献する全ての人間における到達するべき真理というと大げさだけど、目的があるっていう考え方ね。それは目的論というほど単純なものではないんだけどさ、高いレベルのテロスが人間を救うっていうことなんだよね。ようは。逆を言えばそれが無いと人間っつーか社会ダメになりますよって話ね。完全に読んでないけどハイデガーの解釈学的現象学っつーのはさ、あー書くのやめようかな?まだあんま読んでないからね。まぁなんとなくで言うとね、恐らくテロスの措定がさ、特にハイデガー的な人によって行われるとナチス的にもなるってことでさ、ようは20世紀の悪夢なんだよね。ドイツ観念論って。あ、ドイツ観念論っていうと言い過ぎか。ただ真理を求める姿勢が危険っつーのはさ、それが悪く作用してしまったこともあるので、だからポストモダン的な物言いが一定のプレゼンスを獲得してきたんじゃないかと思うよね。エリックフロムとか他のフランクフルター然り。俺はもうこういう左翼一切信じなくなったけどね。恐らく良心的なハイデガーシュトラウスじゃなかったのか?って思うんだよね。


ギリシャ哲学というかさ、本当の意味での高いレベルのテロスやヴァーチューといった概念を理解しつつ、理論展開をしていたのがシュトラウスなんじゃないかな?って思うんだよね。まぁモデルはマイモニデスでさ、彼のあり方には彼のユダヤ人としてのあり方というのとほぼ同一だけどね、ただ政治レベルでもなんつーのかな?古代ギリシャ的な感覚をハイデガーみたいな失敗をすることなく吸収して継承することに成功した偉大な人だと思うんだよね。だからまぁある意味で20世紀最大の哲学者はレオ・シュトラウスなんだよね。それはフッサールハイデガーなんかよりも結果的に偉大なんだよね。彼は。


ちょっとここで切るわ。一気に話が政治になったんで。あとギフテッドに関して一気に飛躍して天才って思うのは間違いね。ちょっとぐらい感性や知性が高くてんでOEのような諸症状があるっつー条件を満たせばさ、別に天才って言われている人じゃなくてもギフテッドかもしれないんだよね。ギフテッドという言葉がアレだね。まぁ一種の障害だよね。肯定的に言えばギフテッドだけど、否定的に言えばただの精神障害。って意味で書いてるわけね。「俺は天才なのだ!」なんて言うつもりは全く無いから。まぁ天才ってのは社会的なラベリングだからね。あとは所産とかっつー結果ね。それとギフテッドは関係無い。因果関係は大いにあるけどイコールではないってことね。