妙な確信。

mimisemi2009-07-08

近状系の話になるけどさ、なにやってるか?ってまぁ読書だけどあとね、滅多に日本に帰って来ないっつーんでまぁ去年と一緒だけど、レコード売ったのね。100枚近く。ジャズだけども。で、まぁ恐らくあれなんだよね、値段が全体的に低いっつーのはレコードを見てもそうだけどなんつーか全体的に安い気がするね。買うにはいいけど売るには良くないみたいな。で、レコードを売って本を買ってる感じなんだけどね、すでに5万ぐらい使ったと思うんだけど、買った本はっつーと変なことにさ、シュトラウスが三冊もあるのねっつーのはね、ジュンク堂で色々見ててもさ、結局一番好きなのってシュトラウスなんだよね。


いや、読んだやつだし、持ってるからいいんだけどなんつーかあえて日本語でも読んでみたいなみたいなさ、あとは物質的なフェティシズムね。大ファンのシュトラウスの本の日本語版!みたいなさ、日本盤みたいなもんだわ。ボーナストラックが翻訳者の解説とかコメントとかでさ、まぁそれはともかく正直ね、古典的政治的合理主義の再生はさ、後半のソクラテスのやつとか読んでないんだよね。かなり雑な読み方をしてたっつーのはさ、natural rightのやつとかさ、on tyrannyとか他のやつが面白いんで結構雑に読んでたんだよね。だからまぁ今は腐るほど時間があるし、あとはなんつーのかな?雑多に色々読む時期はもう終わったかな?って気がしててさ、雑多に読んでたのがここ2年ぐらい前でさ、で、ここ1年ぐらいはもうフォーカスしてる感じなんだよね。必要ないものはあまり読まないっつーのかな?必要なものを精読するって感じね。で、シュトラウスは英語で読んで日本語で読んでんで英語でもう一回読んで理解を深めるみたいなやり方がピッタリっつーかさ、それをやるだけの価値がある思想家だと思うんでね、だからお金とか時間とか全然惜しくないのね。


で、ホッブズのやつがあるんだけど、それは読んでなかったね。元がドイツ語のやつでプレ・シュトラウジアン期に書かれたやつね。オカザイル前っつーかなんつーか。これは素で楽しみな感じ。ただなんつーのかな?面白いことにさ、実家っつーか今ね、哲学っつーか思想系を熟読するって感じじゃないんだよね。前にも書いたけど、まぁある意味でリア充だからかな?実家にいて平和で会話とかがあったりするしさ、何もかもが平和だからなんつーか自分の世界に入る必要が無いっつーか入る余地がないっつーかさ、常に誰かとかなにかが俺の世界に介在してるんで俺自体が俺に埋没する事が出来ないんだよね。それはリア充だから思想に没頭出来ないってことじゃなくて、誰かがいるっつーか介在者みたいなのがいっぱいいるから俺が俺自身に没頭出来ないっつーのかな?だから全然ウォール伝も書けないっつーか書こうとも思わないしさ、何も浮かばないのね。いや、浮かんでるかもしれないけど、でもなんつーかマジじゃないっつーかさ、レコード売って何を買うか?っつーまぁある意味でね、帰国後のことをもうすでに考えてるっつーのかな?何をあっちに持って帰ろう?って考えてるモードっつーかさ、あとで送ってもらえないぐらい重い本であっちで買ったら高いみたいな本を持って帰ろうっつー基本的になんつーかベースメントなのね。意志が。自分の中のコンフォートゾーンみたいなのはあくまであっちのベースメントとかさ、あっちでの孤独な生活で今はヴァカンスって感じなんだよね。


去年も書いたけど、今みたいな状態がずーっと続いたら地獄なのね。でも一ヶ月ぐらいだから最高なのよ。メシは旨いし買い物行かなくていいし腹へったら何かあるしさ、最高でしょ?でも今の状況ってさ、上昇志向を生まないんだよね。あっちだともうマジじゃん?俺が基盤を作らないとどーしょーもないっつー背水の陣があるから色々なことにシリアスじゃん?でも今って別に今のままでもやってけるっつーかさ、まぁニートだよね。あえて頑張る必要が無いっつーのかな?だからサヴァイヴ感が無くなるのね。だからサヴァイヴと直結している英語とか読書ってのが結構適当になっちゃうのね。だから英語の本とかは読まないで楽に読める自己啓発本とかばっか読んでるしさ、あとはそこまで大変じゃない片手間で読めるような本ばっか読んでたりしてね、まぁある種の怠慢だよね。


まぁこれはこの生活でいいんだけど、でもまぁずーっと続いたらゆで蛙状態になってダメになるだろうなってすぐに分かるっつーかさ、苫米地用語で悪いんだけど、コンフォートゾーンがさ、アメリカでブイブイ言わせてる俺に設定されてるから逆に実家ってある意味でコンフォートじゃないんだよね。だから変な話さ、帰るのは寂しいんだけど、でも早く帰ってまた前の生活ルーティンに戻したいみたいな意志もあるのね。まぁ変な話、ワーカーホリックがヴァカンス中に仕事のことを考えつつ現場に戻りたいって思うのと同じかもね。まぁ俺の場合、仕事じゃなくて思索とか読書なんだけどさ、まぁこれが俺の仕事っつっちゃー仕事だけどさ、やっぱ生産的だよね。質はともかく色々なことが浮かんで色々と書いてたりさ、色々と読んでたりするじゃない?でも今って全然だもんね。ウォール伝ペースで何かを書くなんて絶対無理ね。


まぁーでもいいんじゃないかな?日本に帰って来たら気が緩んじゃって実家が恋しくなっちゃうみたいなことが一切無いってことだもんね。むしろ俺は異邦人でありたくて、んで異国で孤独に生きたいみたいなさ、まぁこう書くとかっこいいけどさ、でもそれが合ってるんだろうね。俺に。家族に囲まれて平和に暮らすのもいいんだけど、でもまぁそうじゃないんだよなーっつのは思ったよね。ようは最終的に経済的に自立して自分の生活を出来れば最高なんだよね。あとはやっぱ日本があんま好きじゃなくて、んでアメリカっつーかニューヨークが好きなんだなっつーのはあるよね。あっちが俺の居場所でこっちは違うっつーのは凄く感じるしさ、まぁ改めてって意味でね、なんつーかさ、始めてニューヨークに行ったときに感じた「ここが俺の居場所だ!」ってことなんだよね。あんときの妙な感覚的な感じっつーかさ、あれがあってたってことだよね。ようは。なんなんだろうな?なかなか言葉で言い表しにくいんだけど、大変で金が無くてもあっちのほうがいいんだよね。今は物理的にも環境的にも食事とかも最高に恵まれてるんだけどでもニューヨークのほうがいいのね。それはジャック・ケルアック的にさ、バックグラウンドがあるからあえてストリート的な生活を満喫出来るみたいな意味じゃなくてね、まぁ後ろ盾があってのものっつーのはあるんだけど、でもそういうレベルじゃない何かがあっちにはあるんだよね。


一人暮らしが好きとかっていうそういうことでもないのね。日本のどっかで一人暮らしするなら実家のほうが断然いいわけ。だから実家が嫌だとかさ、そういうことじゃないのね。ただあっちがいいんだよね。あっちで上昇志向で常に上がり続けてる感じっつーのを背水の陣で続けるっつーそれがようは俺のコンフォートゾーンなんだよね。だから今っつーか実家は生温いんだよね。死を全く感じないし、死を全く感じないので生もある意味で感じないんだよね。ただただ平和に流れていく毎日でさ、俺はずーっとフリーライダーって感じなのね。あっちの場合、俺がなんとかしないとマジでヤバいっつーさ、危機感があるじゃない?ダメになったら日本に帰ればいいみたいな選択肢とかも無いじゃん?だから野垂れ死にと紙一重なんだよね。そういう中で育まれる精神性っつーかさ、魂への配慮だよね。だから今の生活っつーか実家での平和な生活って前にも書いたかもしれないけど精神的には有害なんだよね。いや、幸せだし最高なんだけどさ、でも最高ではないのね。前に書いたようにさ、ようはマトリックスなんだよね。今は。生が剥き出しになるニューヨークがマトリックスの外なんだよね。ずーっと毎日同じような味気ないメシとさ、良いとは言い切れない環境っつーのかな?その中で育まれる力とか生への意志ね。これが今の俺を規定してるんだよね。あとはまぁあれだね、過去の俺も過去の俺の満足はしてなかったんだよね。今の俺は今の俺に完全に満足してるしさ、何か変な確信があるから余計にまぁ言い切れるんだろうね。


なんだろうなぁ?異国の地で一人っつー客観的っつーかさ、条件的なもんでもないんだよね。何かの要素があるんだよね。あっちっつーかあっちの生活にね。やっぱ将来の夢っつーか俺の先がある場所って確信している場所だからなのかな?まぁまた同じような話になるけど、コンフォートゾーンがあっちに設定されてるって話ね。まぁいいや。まぁ帰った後もまた同じ感じなんだろうな。帰った後の数日間はちょっと寂しくなって、んで数日後には「やっぱここが俺の場所だ!」とかって感じてさ、んで妙なパワーが出てくるっていうね、あの感じだよね。あれに乗ってれば俺は間違いないっていう確信があるから、それは俺がニューヨークに始めて来た時に感じた「これだ!」っていう感覚と同じものだと思うんだよね。つまりは絶対間違えてないってことね。こういう直感があるといいね。合理的に客観的に説明出来る何かではないんだけど、でも言い切れるっつーか確信がある何かが俺の中にあるのね。で、それを感じるアンテナっつーか感覚みたいなのが俺にあってさ、それが常に俺にとっていつもそれが合っていることなんだよね。「これだ!」っつー感じが常に合ってるっつーのかな?


まぁいいや。そんな感じで。また帰ったら色々と書くと思うので。とりあえず今は今の生活を満喫って感じね。

古典的政治的合理主義の再生―レオ・シュトラウス思想入門 (叢書フロネーシス)

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ホッブズの政治学

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リベラリズム 古代と近代 (叢書 フロネーシス)

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自由への構造―現象学の視点からのヨーロッパ政治哲学の歴史 (理想哲学選書)

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↑これは今読んでる本なんだけどすげー面白いっつーかよく書けてるなぁーって感じ。質が高いっつーかなんつーか。