今のところの救いだね。数学は。

mimisemi2009-11-07

普段は安定剤とか抗ヒスタミン剤とかを色々ミックスして無理矢理寝てるんだけど、こないだ明け方までスカーフェイスやってた時はさ、21時間起きてたわけだからさすがに眠くなるわけよ。で、この日は寝不足だったしさ、で、寝たんだけどね、2時頃に例の睡眠ミックスを飲んだ後も寝ようと思ってたんだけどズルズルゲームが進んじゃってさ、で、やめられなくなって朝までやってたんだけど、この時は時間的にちょうど短気作用型の安定剤とかがきれるぐらいの時間っつーかまぁ4時間ぐらいでしょ?


いや、何が言いたいのか?っつーと久々に自然に寝たわけだよね。安定剤は飲んでいたけどそれは4時間前なんで実質的にまぁ何も飲まずに寝たってことなんだけど、そしたらさ、いや、去年とかもそうだったんだけどっつーかさ、薬飲まないほうが寝起きが良いのは当然として、そこまで長時間寝なくてもいいっつーか起きちゃうのね。6時間とか7時間ぐらいで起きちゃう。で、ちょっと眠いんだけどさ、寝起きはね、かといって薬飲んで寝ると10時間とか寝ちゃってさ、んで逆にまた寝起きが眠いっつーか頭痛くなるよね。だるいっつーか。あとまぁ問題は時間がズレていくってことだよね。そんだけ寝るとその日の夜は定時には眠くならないわけでさ、どんどん前倒しになっちゃうっていうか、社会でまともにやっていくなら6時間〜8時間睡眠じゃないとダメだね。それ以上だとシステム的におかしくなるんだよね。俺がまぁずーっとそんな感じだけど。


だからちょっとこの先実験してみようと思うのね。薬を飲まなければっつーか俺が仮に自然に寝た場合の睡眠時間ってどんぐらいなのか?ってことね。ロングスリーパーだといつも言ってるけど薬のせいもあるっつーか実はショートスリーパーだったりしたら面白いじゃん?っつーか例えばさ、6時に寝て12時半に起きてっつーのってすげーじゃん?一日の活動時間が長いっつーかさ、俺ってすげーそういう意味で短いんだよねっつーかまぁそれが当たり前なんだけど睡眠は必要でもなんかさ、寝過ぎによる翌日の寝不足とその繰り返しっつーサイクルに嫌気がさしてるんだよね。まぁ昔からだけど特にこっちに来てからは学校行くようになったからさ、起きなきゃいけないじゃん?完全に自分時間で生活はできないじゃん?だからすげー睡眠が不安定なのね。


寝なきゃダメだ!っつーかさ、寝ないとまた鬱になるとかさ、寝れないことへの恐怖とかってあるじゃん?そういうのが恐怖症になっちゃうような症状もあるんだけど、逆に俺が実際は7時間ぐらいの睡眠で十分な脳を持ってたらさ、例えば俺がいつも思っている9時間以上寝ないと調子が悪くなるってただの思い込みっつーか薬のせいっつーかさ、いや、それってあるよね。いや、もうここ数年一切ナチュラルに寝てないからさ、まぁたまにあるんだけど、そういう時って大体寝起きが良くて長時間寝ないから体が逆に楽っつーかなんつーか俺って寝過ぎて頭が痛いことが多いよなってすげー思ったね。寝過ぎでボーっとするのとあんま寝てなくてボーっとするのって後者のほうがまだマシだなってことに最近気がついたのね。後者は昼寝とかさ、ちょっとウトウトすることで日中に解消できたりするじゃない?でも寝過ぎのボーっとする感じってどうにもならないからね。あとやっぱ一日が一瞬で過ぎるっつーのがすげー嫌だな。


それはやっぱりなんつーかあれだよね、昔ほど時間が無限じゃなくなったのとあとはまぁ年齢的なこともあるよね。ゆっくり寝てられるほど余裕が無いっつーかさ、とにかくなんかやらないと将来大変になるじゃん?だからやれることは時間があるうちにやっておこうってなんか死ぬ前みたいだけど、んでもそれはあるよね。だからまぁそういう意志が出てきたのかもしれないなーとかは思ったよね。ゲームも時間つぶしっつーよりかはモロに能動的にやってるからね。楽しかったらやるしそこまで面白くなかったらすぐ切り上げるんだよね。おかげで買ったのにやってないソフトとかって結構あるんだよね。クリアしてないやつとか。昔だったらとりあえず買ったらやってたんだけど今ってそれほど余裕があるわけじゃないからねっつーか時間が無限じゃないじゃん?


そうなんだよねー。これって慢性的な悩みなんだよな。10時間近く寝ないと生活が成立しないっつーモデルが明らかに社会モデルとの両立性が無いんだよね。で、どこがスタートなのか分からんけどさ、俺のこの思い込みかもしれない9時間とか10時間って基準がただの虚偽意識だったらすげー嫌だなってことなんだよね。俺はあらゆることでそうだけどただ真実が知りたいんだよね。実際どうなの?ってのがすげー知りたい。だからまぁ若干寝付きが悪かったりしても頑張ってやってみるよ。いや、薬無しで寝る実験ね。


まぁ最近どうでもいい話が多いっつーか高度で難解な話とか抽象度が高い話とか無いよね。哲学とか読んでないからなのかな?数学の本ばっか読んでるから書くことが無いっつーかさ、いやでもなんつーか思考は変わるね。今は知らないことだらけの数学にフォーカスが言ってるおかげで政治がどうのとか実存がどうのとかって考えなくなってるじゃん?いや、音楽と一緒だよね。作ろうっつー意識がなくなって久しいけど、そのおかげでネタ系はともかくとして本業のやつって全然作ってないし何も浮かばないからね。そりゃーそうだよね。だって作ろうと思ってないんだから。それでも必死に作るってことに集中し続けることで出てくる何かってのがあるのかもしれないけど、それで言えば哲学もそうだよね。考えるのが辛かろうが大体はまぁ哲学周辺のことに思索を費やすってまぁ思考のモードだもんね。それによって出てくる考えとかってのがあるだろうしさ、今はそれをやらなくなったっつーか数学にシフトしてるから、んだからまぁなんつーかあれだな、いや、かといって数学のことばっか考えてるってわけでもないんだけど、まぁ単純に知りたいことが多いってことだよね。


特に今は微分積分っつーのが結局は何なのか?っつーコアの部分が知りたいのとさ、いや、あんなものを日本の高校生とかって高校でやってるんだって思うと関心しちゃうんだけど、まぁ結局あれだよね、微分積分をやるっつーよりかはこないだ書いたリーマンゼータ関数について知りたいとかさ、よく見るシグマとかリミットとかインテグラルのマークって結局なんなの?っていうさ、とにかくまぁ知りたいんだよね。分からないじゃなくて何なの?っていうさ、今は数式を見ることにアレルギーが無くなっているからだからまぁこれだけ取り組めてるんだと思うんだけどね、ただ数式って高度になればなるほど眺めてるだけで楽しいよね。The Calculus Galleryって本があるんだけどすげー素敵なのがさ、ニュートンやらライプニッツから始まるCalculusのフォーミュラとかのマスターピースを「作品」として見立てて歴史的に鑑賞していこうじゃないかっていうさ、ようはギャラリーにマスターピースである数式が飾ってあるみたいなコンセプトで書いてある本なんだけどっつーかまぁ実際はただのCalculusの歴史みたいな本なんだけど面白いんだな。これが。で、こないだ書いたメタマス!に出てくるやつとかのあれっつーかなんて説明したらいいのか分からないんだけど、なんつーかThe Bernoullisっつー兄弟がいてさ、数学者ね。この人達がすげーエレガントなHarmonic Seriesを書いてるっつーかまぁ知りたいことの一つは結局これだったっつーかなんつーかさ、まぁいいや。かなり自分でも信じられないぐらい数学にどっぷり浸かってるなって感じだよね。


分野によって好き嫌いがあったらどうしよう?とかって思ってたんだけど、そんなの全然心配なかったね。今は興味があることがありすぎて処理しきれない感じだもんね。ただまぁ動機としては何かがあるんだよね。知りたいことがあって、んでまぁそのために微積分とかの知識が必要になるって感じで、だからまぁただ微積分をやるっていうこととは全然違うんだよね。知りたいことを知るために必要なものっていうかさ、で、グラフとか関数が出てくるのとかって全然興味なかったんだけど今は完全に味をしめた感じだね。微積分そのものは別に対したことないけど、微積分のジャンルの中にある証明の数々が凄過ぎて、まぁこういうのに刺激されてる感じだね。特にリーマンはマジでヤバいよね。最近数式とか図を見るだけで鳥肌が立つようになってきたりしてさ、相当感性っつーか脳のチャンネルがあってきた感じだよね。他のジャンルでもまぁ全部そうだからね。絵でも音楽でも映画でも思想でも凄いのってまぁちょっと種類は違うにせよビリビリビリ!!って来てさ、頭にスパークが来てる感じっつーかさ、体中に電流が走るような感じがあるじゃん?で、それが数学にもあったんだ!ってのが最近の凄い発見かな。すげードライな学問だと思ってたけど、こんなに熱いもんだとは思わなかったな。


いや、それは数学が面白いというよりかはあれだよな、過去の数学者達が凄過ぎるんだよね。リーマンとかガウスとかガロワとかカントールとかオイラーとかなんつーかレベルが桁外れに違いすぎる天才が多いんだよね。そういう人達が作り上げてきたような学問なんでっつーか既存のシステムの中に存在するパターンとか事実みたいなのをふつーの人じゃできないような形で証明してるっつーのがまぁ天才たちの仕事なんだなってことだよね。まぁそれは作り上げたというよりかは発見だよね。素材が数字である以上それは事実なんだよね。フェルマーの定理とかもそうじゃん?どうでもいい話だけどよく思いついたね!っていうああいう感じ?それにしても最終定理をワイルズって人が過去に解いたらしいけど、はっきり言って話を聞いただけじゃ難問っつーよりかは無理じゃん!って感じなんだよね。まぁそれは事実だろうけど証明は難しいっつーか無理だろうっていうようなのだよね。ミレニアム問題みたいなのってこういう類のやつが恐らく多いんだろうけど、よくもまぁ解いたよね。で、まぁ証明ってのは一部の人にしか理解できない代物らしいけど、まぁ背理法ってよく使われる手法らしいね。あのあれじゃん?ユークリッド素数のやつとかも背理法だもんね。そりゃー矛盾するからんだからまぁこれはこうに違いないっていうやり方だよね。これってかなり現実的な手法だよね。天才がいきなりインスピレーションを得て解いちゃったっつーよりかはモロに人類的な地道な取り組みが見て取れるっつーかそこがまぁ数学の魅力でもあるね。


確かに過去の数学者達は天才ばかりだけど、かといっていきなり宇宙からインスパイアされるとかじゃなくてすげー重厚な理論的なベースがあるんだよね。そこから発見されたりまぁ偶然見つかったりとかさ、ホント、まぁある意味で考古学とか天文学とかと一緒だよね。考古学はなんつーかさ、マヤにしてもエジプトにしてもあるにはあるに違いないんだが見つかってないやつとかさ、ピラミッドにしても言い伝えによればここに部屋があるに違いないとかさ、あるにしてもないにしても見つかってないってことで取り組むじゃん?天文学もそうっつーか天文学全般とは言えないけど、ようは宇宙っつーか星とかにしてもあるんだけど見つかってないのってあるじゃん?で、それは理論的なことからあるに違いないとされているものからアマチュアがたまたま見つけるものまで色々あるけど共通してるのはすでにあるものを人類が発見するっていうところにあるよね。そういう意味で考古学も天文学も凄くロマンチックな学問だと言えるよね。で、それは数学にも言えることなんだってことがすげーよく分かったね。数という無限の宇宙の中を冒険するということが数学なんだなっていうのがすげーよく分かった。だからまぁそれを楽しむということにおいてはまさしく数楽だよね。音楽の「楽」の部分のキャラクターがなんとなく持つような音を楽しむイメージに凄く近いと思う。


で、俺にとって朗報なのは前にも書いたように社会性とのコンパチビリティだよね。数遊びをするってことが職業的に存在しなくもないっつーのが朗報だよね。それに対する予算は割と多いらしいっつーのがすげー朗報ってことよ。まぁ数学にせよ哲学にせよ政治哲学にせよそれ自体は仕事じゃないじゃん?でも文系に比べるとまだそれを媒体にして食えるような可能性があるっつーのが良いよね。まぁもちろんそれは俺みたいなやつが社会に出てやっていくっていうことと今みたいな世界不況っつー色々な前提があってのことだから、所謂、ふつーの感覚で言う仕事があるっつー感じとは全然違うよね。老人が増えるし人が足りてないから介護系なら仕事があるっつーそういう現実的なものではなくて、もっとあやふやなものなんだけど、俺みたいな限りなくゼロに近い基準から見ている側としては自分ができそうなものでゼロじゃないものがあるってことだけでまぁ救いなんだよね。あとはその絶対性だよね。思想的なものって相対主義とかに陥りやすい傾向もあるし、何より絶対性が無いじゃん?個々の信条に落ち着いちゃうじゃん?でも数学ってこれだ!って言い切れるのがいいよね。その絶対性というか真実性が凄くいい。アホな教師とかに文句を言われる可能性も無いし、証明されちゃったらもうそれは事実として認めるしか無いっていうドクサの介在がゼロなところが良いってのは前に書いたよね。そのまぁ純粋性というか処女性というかなんというか穢れなき知だよね。それに比べて哲学って汚れ過ぎてると思うね。比べてっつーのも変な話だけど俺が嫌いなのは哲学というよりかは哲学シーンだよね。ポストモダン系を見ても明らかなように衒学的なものとの相性が悪い意味で良いっつーか親和性が高いんでそれが鼻につくよね。


まぁだから俺が勝手にピュアなのをピックアップして読んでればいい話なんだけど、仮にアカデミックな分野でやっていくとかってなるとそういうやつらがいるところにいなきゃいけなくなる場合もあるじゃん?まぁ今は終わってるよね。完全に。それは哲学が終わってるんじゃなくて哲学者がいなくなったってことだよね。で、相変わらずソクラテスは追放されてガリレオは裁判を受けるみたいな世界がアカデミアじゃん?恐らく。そういう意味で現代では科学はやっぱり強いよね。事実として出されちゃったら誰も文句が言えないというのが凄く強いと思うっつーかまぁ思想と科学って比べられるようなもんじゃないんだけどね。


あ、いい感じで眠くなってきたから寝るわ。もうちょっと書こうと思ったけどまぁいいや。