アメリカって国民総体育会系脳化社会だよねっていう。

mimisemi2009-12-14

アブノーマルサイコロジーなんだけどさ、自信があったテストの結果が54点とかで「えー!」って感じだったね。選択問題とかっていつもそうだよね。そのことを理解してるつもりなのにテストやるとそんなに点数が良くないんだよね。ケアレスミスなのか引っかけ問題が多過ぎるのかさ、でもさ、引っ掛ける必要ってあるのかな?目くらましをする必要があるの?っていう。


例えばさ、「鬱とはなんですか?」って聞かれてさ、四択が「トラウマのこと」「コンプレックスのこと」「気分が落ち込むなどの症状全般のこと」「パニックを伴う不安症状のこと」ってあったらさ、明らかに3じゃん?でもさ、「身体症状なども含む気分障害のこと」「ストレスなどによる環境的因子による気分障害のこと」「先天的な脳機能障害による気分障害のこと」「認知のゆがみが慢性化したことによる気分障害のこと」とかだったらちょームズいじゃん?っつーかこんな選択肢ないけどさ、いや、だってまぁある意味でどれも鬱だからさ、何性鬱なの?ってことになるわけだけどさ、いや、でも言いたいのはね、同じ鬱でも選択問題次第でいくらでも問いを難しくすることができるってことね。


なんかこれって違うと思うんだよなー。マルクスが支持していたのはどっち?って聞かれてさ、二択で資本主義と共産主義ってあったら明らかに後者だけどさ、社会主義共産主義って二択があったらムズいよね。なんつーのかな?分かりづらいさ、どっちかどっちなのが微妙なのが四択に存在しててさ、消去法でいっても二つ残っちゃって後は賭けとかって違うよね。そういう微妙に思わせないようなスッキリとして選択問題作ればいいのにさ、それやると簡単過ぎるからダメっていうんだけど、でもんだったら色々な罠をしかけるのが問題を難しくするってことなのかな?違うよねー。


ホント、先生次第でグレードが全然違うよね。言い訳とかじゃなくてマジで。あとなんつーのかな?例えば15問あってさ、凡ミスが4つぐらいあるだけでもう70点とかになっちゃうじゃん?一個の点数の割合がデカ過ぎるからちょっとした凡ミスでもすんげー点数下がるのね。だから極めてほぼ完璧を求められるっていうさ、これも結構キツいよな。「あ、なんだこっちだったのか」で済む話でもグレードにはすんげー低く反映されるんだよね。これがどうも納得いかんのだよね。理解してて分かってるのにたまたまテストの点があんま良くないってだけですんげーグレードが下がっちゃうっていうの。いや、まぁテストが全てだからしょうがないんだけどさ、もうちょっと良いテストのフォーマットって無いもんかね?


特に今回のやつなんてさ、完全に把握してた内容で54点だからね。どんだけ点数悪いんだ?っていう。点数的にはフェールね。落第。赤点ってやつだ。完全に理解してて聞かれれば全部答えれるっつー頭の中の内容とテストの結果のギャップが多過ぎてなんか絶妙な気分だよね。完全に準備してこなかったからダメだったとかなら諦めがつくけどさ、今回のヤツとかって分かってたことだからね、余計「なんで!」ってなるのね。完全に理解してるのになんでテストの点数が低いの?って明らかに矛盾だけどさ、でも低いんだよねー。俺ほどじゃないにしてもいるんだよね。アメリカ人で割と詳しいやつでも点数がそこまで高くないってやつ。恐らくテストがトリッキーなんだろう。絶妙に勘違いさせる要素が多い問題とかを多く出し過ぎてるんだろうな。そいつなんて完全に理解してるのにさ、前のテストとか75点とかだったからね。そいつの理解度から言えば90点以上は取ってても良さそうなやつなんだけど、選択問題でミスが多くて・・・みたいなね、そんな感じなのね。それってそいつとか俺のせいかな?いや、そうじゃないと思うんだよねー。分かってるやつでも引っかかるような問題を作ってる人が悪いと思うねー。俺だけが文句言ってるならともかくさ、他の割と頭が良くて元々既存の知識があるやつですらそうだっつーから余計に思っちゃうんだよね。独りよがりとかではなく。


先生によってはさ、「完全には言えないけどこんなやつが出るよ」っつって事前にアナウンスしてくれる先生とかいるわけよ。だから逆にあんまできないやつでも準備ができる。でもあんま言わないでさ、勉強してきてねぇーっつってさ、トリックがふんだんにちりばめられた選択問題とかを出す先生とかって単純に意地悪だよね。例えばマルクスのアレで言えばさ、事前に「マルクス共産主義ね。まぁ社会主義ってのはまぁマルクスで言えば共産主義の前の段階なんだけど基本的にまぁ共産主義って考え方でいいよー」なんていってくれればさ、それがテストに出るよーなんて言ってくれなくてもさ、「そうなんだー」って生徒が思ってさ、んでテストの時に「これって先生が言ってたやつだな!」っつってみんな共産主義って答えられるじゃん?事前にそれっぽいアナウンスがあるのと無いのって差はないよね。理解の差はない。出力は「共産主義」なわけでそれ以下でもそれ以上でもない。だったらみんなそれを選択問題で選べた方がフェアじゃない?なんであえてトリッキーな問題を出す必要があるわけ?初歩的なレベルだったら余計にそうじゃん?


いや、いつも思うんだよね。テストって。その範囲が出るかでないかっつーアナウンスの有無だけで点数が全然変わって来るじゃん?テストの点数は良くないけど今の数学の先生なんて本当にそうだからね。テストの前ぐらいにレビューとかやってさ、んで明らかにそれってテストに出るやつなのよ。出るとは言えないから出るかもよって先生は言うんだけどさ、基本的に先生のディレクションに沿ってれば点数は取れるようになってるのね。思考停止ってわけじゃなくて、単純な詰め込み的な方法論とかってまぁそれしかないじゃん?だから別にアナウンスしていいんだよね。出るよーって言えばみんな準備できるのにさ、なんで知らないようなやつも出すのかな?って思っちゃうんだよね。意図的に問題を難しくさせようとかさ、軽々と点数を取れなくしてるやつとかって本当に分からないよね。どういう目的なんだかな。


だからあれだよね、日本の受験カルチャーとかっていかにそのトリックに騙されずに点を取るか?っつー攻略法になってるわけじゃん?過去の問題とかを照らし合わせてさ、設問を作る側がこういうトリックとかを使ってくるから騙されないように!ってさ、ゲームの攻略と一緒だよね。理解してれば点数が取れるテストの何がいけないんだろうな?パッと見でそれを選んじゃいがちだけどよく見ると違うから気をつけるとかさ、だったらパッと見で勘違いしちゃうようなものを作らなきゃいいよね。アメリカ横断クイズのさ、ETを作ったのがスピルバーグですが、スターウォーズと言えばルーカスですが、華氏911と言えば?とかでさ、スターウォーズのスの部分でお手つきしちゃってさ「ルーカス!」って答えちゃうとダメになるじゃん?最後まで設問を聞きましょうとかいってさ、答えはムーアでしたってバカバカしいじゃん?みんな知ってることなんだけどトリックに騙されてクイズ王みたいなのもお手つきしちゃうのとかってクイズっつーよりかは方法論だよね。ただの。


あまりにストレートでやると簡単過ぎるからトリックをちりばめるっつってもさ、別に答えは変わらないじゃん?ETはスピルバーグだしスターウォーズはルーカスだし911はムーアじゃん?でも問題の出し方とかをややこしくしてさ、答え辛くするとかってバカバカしいよね。答えはムーアでも簡単にムーア!って言えない難しさがあるみたいなのってもう問題とかけ離れてるよね。数学で言えばさ、やたら細かい計算を必要とされるような問題みたいなもんだよね。代数学でもさ、概念分かってりゃいいのに複雑にして意図的に計算ミスをおびき寄せようとするような問題とか作ったら分かってる人でも間違える可能性があるしさ、そもそも数学嫌いになる人がより増えるよね。意地悪な問題ばっか出してたら。


今回のフロイドおばあちゃんのやつとかさ、バリバリ準備してきてるやつとかでも70点代しか取れないとかってなんかすげーバカバカしいよね。みんなトリックに引っかかってるんじゃん!っていう。その勘違いしやすいようなのを除外すれば準備してきてるやつとか既存の知識があるやつとかが80点代とか90点代取れるわけでさ、なんでそうしない?って思っちゃうんだよね。無駄にミステイクを増やすような設問の作り方をする意図が分からんのだよね。理解とはかけ離れたトリックとか勘違いとかを増やすような問題を作るって意味分からないよね。


そういうのも含めてすんげーGPAが高いやつとかってもうクイズ王だね。3.0とかでも低いとかっていうやついるじゃん?もう恐れ入るよ。その熱意とグレードへの情熱には恐れ入る。そんなやつらが勝負してるんだと思うと勝ち目無いのが分かるからだから全然競争にjoinしようと思わないよね。だから逆に俺みたいなのって思考力を必要とするようなさ、出力の部分でそういうやつらに勝つっつーかさ、GPAの低さを補えないと終わりなんだよね。最初からそっちで勝負するつもりではいたけどさ、あまりにGPAが低いからマジで崖っぷちだよね。まぁGPAを上げるには数学しか無いよね。とっとと理解して設問を解いて点数を稼ぐしか無い。数学の問題にはさ、まぁあのりんごが二個あって・・・みたいなword problemあるじゃん?ああいうの以外はまぁトリック効かないじゃん?意地悪はできるけどさ、選択するんじゃなくて計算によって答えを出すから答えが出やすいよね。当たり前のことなんだがね。まぁ俺が点数を取れるかはともかくとして、まぁダイレクトに理解力が反映される演習系のテストって考えれば数学においてはテストってまぁ有効だね。これは納得できるな。ある意味でまぁ英検とかTOEFLとか漢字検定的なまぁ直でスキルを計る感じになるじゃん?まぁTOEFLも英検も傾向と対策があってさ、できる人でもそれ用に準備しないと満点に近い点数は取れないとかっつーのがあるにしてもさ、まぁサイコロジーとか社会学の引っ掛け問題とかよりかは幾分マシだよね。


社会学は酷かったな。あのおばさん。すんげー権威的なババアでさ、二週間に一回ぐらいテスト出すんだけどさ、ことごとく暗記ばっかなのね。この理論を唱えたのは誰?っていうカルトQレベルね。プロ倫がウェーバーだろうがマルクスだろうがさ、マックスなんでマルクスと勘違いしやすいとかさ、そういうレベルじゃなくて必要なのって内容じゃん?著者の名前とかじゃないよね?そういうのを聞いて来る問題とかあると付き合ってられない!って思っちゃうんだよね。プロ倫について言えば答えられるからいいけどさ、他のジャンルでこういうのが出てくると反吐が出るね。意味あるわけ?っつーさ、FFXを作った会社は?っつってスクエアって答えたらブブー!みたいなレベルね。答えはスクエアエニックスでした!みたいな。ばっかばかしくてやってられねぇーべ?でもこういうレベルなんだよね。選択問題って。大体がスクエニレベル。どうだっていいじゃん?っていう。


まぁ逆にアレなんだよね、スクエニレベルならそういう小手先のことに騙されずに「スクエニ」ってちゃんと覚えてからテストに挑めばいいじゃん!ってことになるんだけどさ、やり方が分かってくるのっていくつかのテストを受けた後なんだよね。こんな感じでこの人はテストを作るんだなーって分かる頃にはもうセメスターが終わりそうっていうさ、まぁこれも言い訳っつっちゃー言い訳だが。


なんつーか良心的な先生とそうじゃない先生の差によるグレードの違いが大き過ぎるんだよね。みんなAっつーのを促す先生はフェアなテストとかグレードの付け方しかしないけどさ、特にオールドタイプのばばあ型の先生とかってダメなの多いんだよね。あえて落とそうとしてるようなやつもいるし。そういうやつに会ったらこっちの学生で言えばまぁクラスドロップしちゃえばいいんだけど留学生だとそうにもいかないからね。高いし。あ、でもあれだよ、俺のグレードが悪かった学科の先生全員がダメだったっていうわけじゃないよ。最後に仲直りした天文学の先生とかはくだらないシステムではあったけど生徒が上手く利用すれば良いグレードが取れるようにできていたし、あとはヘルスで言えば完全に全部暗記だったけど、先生がわざわざテスト用に授業のサマリーとかを用意してたりして良心的だったな。それでもまぁこの両方で言えばDだったんだけど全然先生とかコースとかに恨みは無いのね。ちゃんとやらなかった俺が悪いってそれだけしかない。でもそうじゃないのもあるんだよね。


まぁそう思うとパーフェクトなシステムなんて無いからしょうがないんだよね。逆に数学頑張ればGPAはなんとかなるのかな?理解しちゃえばこっちのものじゃん?っつって今の数学の前のテスト二つとかって片一歩は74点でもう一個は65点だったけどね。どんだけ低いんだ!っていう。だからこないだやったテストに関して言えばこのまま低い点数を続けるわけにはいかなかったからちょっと復習したんだよね。で、例のあの4桁の問題で躓いて、んでまぁ恐らくあれ以外は正解だと思うから94点になるのかな?これでまた65点とかだったら泣くしか無いね。なんつーか学校でやっていくっつーことを諦めるしか無い。先生も微妙だろうなー。先生が答えられないような問題とかさ、答えられないような「こうなるのでは?」みたいなguessをしてくる割に初歩的なミスばっかしてるっていうさ、頭が良いのかバカなのか分からないって感じだよね。


先生が俺のことを計りかねてるのがすげー分かるっつーか大抵の他の学科でみんなそうだね。頭は良いはずなのになんでこんなにスクールワークがダメなんだろう?って思われてる感じがするってことが多い。学習障害的な部分はあくまで暗記とかさ、今で言えば英語の文芸とかね、あくまで部分的だから全部を学習障害のせいにもできないんだよね。実際、数学とか天文学とかヘルスとかは俺の怠慢で点数が低いわけでさ、だからなんかグレードが低い理由が色々あるんだよね。怠惰なのもあるし純粋に学習障害的なところもある。だとすればできる今の数学とかをちゃんと準備して挑めばいいのに「もう分かった」っつってやらないのがいけないんだよね。そういうところが自分でも本当に呆れるね。


中国語とか数学なら仮に単純な詰め込みでもそれが理解に直結してたりするから作業的なことにもコミットできるんだよね。中国語っつーが語学全般はそうだよね。だから俺って怠惰なくせに英語は上達し続けてるんだよね。だからまぁ点数取れるところでは取っておこうっていうのは本当に思ったね。今後、数学はバカバカしいのでもGPAを底上げするっつー理由だけでもコミットしないとダメだなって思ったね。俺が唯一GPAを底上げできるのって哲学と社会科学系と数学だけじゃん?で、今は専攻が数学になったから実質数学しかないんだよね。もう社会科学系万能!でなんとかGPAを維持し続けてきたっつー方法論が効かなくなったわけで。


なんかこういう風にさ、学校のこと書いてると本当にバカバカしくなるよね。「で?」って話になるよね。システム的なことばっか話してるから本当にバカバカしくなる。まぁでも学歴無いとどうにもならないからまぁーしょうがないよね。苫米地さんぐらいだったら一気に論文書いて博士号とかなんだろうけど俺ってそういうレベルじゃない中途半端なレベルだからさ、だからまぁ頑張らないとダメだよね。ある程度は。だからなんかさ、俺って前に書いた宮台とか苫米地さんみたいな、ああいうタイプのエリートにすんげー憧れてるところがあるのね。スクールワークとかを問題なくチャチャっと片付けちゃいつつ学歴とかもサラッ!と取っちゃうエレガントな知的さに憧れるのね。俺って詰まってばっかじゃん?奨学金とか得られるほど頭が良いわけじゃないしさ、一気に論文とか書いて飛び級できるようなレベルでもないし、そういう意味だとすんげー落ち込むよね。中途半端に頭がいいって結構キツいなっていう。


なんだろうな?例えば前にこっちで会ったKazさんとかもエレガントなタイプだよね。実際、スクールワークをチャチャッとこなしてるのがかっこいい。俺はチャチャっとこなすようなもんだ!って言ってる提唱者な癖に実践できてないどころかGPA低いっつーさ、そこのアンバランスさだよね。だからやっぱバカなのかな?ってよく思うんだよね。まぁ学校の勉強と実際の知識は関係無いっつーのは分かりつつもやっぱり54点とか取ると「バカか?」って思っちゃうよね。その一方で数学とかだとチャイティンとかゲーデルとかリーマンとかを読んでてさ、そういうのを先生に言うと「何者だ!」って思われるんだけど、その高度な一面がスクールワークに全然反映されてないのね。これがリーマンゼータ関数がどうのって言ってるやつのテストの結果か?っていうのが絶対先生にあると思うな。だから先生はすげー微妙な気持ちなんだと思うよね。


「こいつ大丈夫か?」っていう。「プロジェクトやる気になってるけどバカだったらえらいこっちゃな」みたいなね。まぁバカだったら蹴ればいいだけだからまぁ先生の負担はないだろうけどね。まぁ恐らく予習無しでテストに挑んでるのは俺だけだからさ、まぁあれで予習してきてあの点数だったら完全にアホだけど、一切の予習無しでガチンコでやってあの点数ならまぁいいんじゃない?っていうのは自分でもあるからバカじゃないっつーのは分かるけどさ、でも予習してるかしてないか?なんて関係無い要素じゃん?結果は点数なわけでさ、だからもっと点数にフォーカスしないとダメだなってことだよね。分かってるのを分かってるのは俺が一番分かってる。でもテスト対策をして凡ミスとかをしないように練習をしておくのは重要なんだ!って思い込まないとイタイ目にあうぞ!ってことだよねっつーかもう痛い目にあってるけどね。


数学はダメだな。やっぱ。諦めるって意味じゃなくてある程度まぁ練習問題やらないとダメだなってことだね。若葉ひなたとかコンタキンテみたいな通信空手だけじゃ強くなれないからね。実際、まぁ実践しないと強くならないってまぁ実際、試合とか練習しないと強くなれないっつーのと一緒じゃん?だから数学ってちょっと道場チックなところがあるよね。演習をやるってちょっとした修行みたいなところがある。最近それに気がついたからさ、あんまノート取らないけど数学ノートはちゃんと取ってさ、んで持ち歩いたりしてね、授業中とかに読んでるのね。今日のアブノーマルサイコロジーのクラスでも数学の教科書読んでたからね。こういう時にやれば苦痛じゃないよね。元々ほぼ無駄な時間を何かに活用するってさ、話を聞いてる以外何もできないって時に適応すると最高のレバレッジになるよね。これを今度はやっていこうかなと思って。これをやれば学校以外の時は今まで通り電車の中で本を読めるしさ、家に帰ったらゲームとか読書とかネットとかエロサイト巡りとかオナニーとか映画見たりとかできるわけじゃん?最強の最適化だよね。


数学を他のどうでもいい授業の時に勉強するって最強だろう。数字だから読まなくていいからさ、だから授業とかを聴きつつ問題を解いたりさ、フォーミュラを見たりできるのがいいよね。なんつーかエロ本見ながら授業聴くようなもんだよね。エロ本で妄想をしながらも先生の言ってることは聞いてるって可能じゃん?数学も概念だからそれが可能だよね。でも読書は無理だね。言葉同士が被るからなかなか難しい。まぁできなくもないけどラップ聞きながら読書するのが難しいのと同じ原理でちょいムズだよね。でも数学なら電車でラップとかボーカルハウスとかも聞けるからいいなと思ったね。今まではずーっと読書だったから外で聞くのってインストものばっかだったんだよね。だからムンベとかテクノに偏るのね。それってまぁ前にも書いたけどさ、英語がある程度分かるようになると聞き取れるようになるからさ、英語の歌詞のやつとかも若干分かるようになるから追っちゃったりするんだよね。分からないときは完全に音として聞いてるじゃん?「リレーディーイェェーン!」って何言ってるか分からないって完全に声を音として聞いてるじゃん?リレーディーイェェーン!っつー音塊として聞いてるよね?でも聞き取れるようになるとそれがシニフィアンになるんだよね。


で、それがシニフィエに繋がって概念になるので結果的に音声の意味を追っちゃうことになる。だから文字というシニフィアンの塊のものと音声が混在するようになるんだよね。これが分かったときは「リスニングアップしてるな!」って嬉しかったけど、今では結構不便だよね。ボーカルものをBGMとして聞けなくなってるっつーのは結構あるよね。まぁ痛くはないけどね、でも音楽の聞き方は変わるわな。それで劇的に映画とかが面白くなるってだいぶ前に書いたじゃん?特にウディアレンね。英語そのもので理解するとすげー面白いっていうさ、逆にそれ以前がつまらないんだよね。英語を理解せずに字幕だけで理解してるとウディアレンの映画って大半がつまらない。タランティーノとかも面白さが倍増するけどタランティーノは分からなくても楽しめるじゃん?派手だから。でもウディアレンって完全に言語に依存してるからね。それだけまぁ知的とも言えるんだけど。


で、なんで数学をやりながら講義とかボーカルものが聞けるのか?っていうと数学の場合、まぁ俺が思うにだけど、シニフィエシニフィアンによって表現されるっつー文字とか音声とは逆のプロセスを辿ってるじゃない?概念とかが数字とか記号によって表されてるわけで、音声とか文字とは完全に逆だよね。音声とか文字はシニフィアンシニフィエの関係性が成立してないと意味は生まれないって当たり前だけど、まぁそれってジョン・サール中国語の部屋と同じ話でね、記号の結合とか文字の羅列っつーのは本質的に意味を生まないんだよね。その意味は理解する意志によって生み出されるわけで、それがユニバーサルにシェアされてるのが言語であったり数学だったりするわけじゃん?中国語の部屋の場合、ある意味で中国語っていう記号にしか見えないものしか書かれてない部屋に欧米人が入れられるわけでさ、その記号から想起される意味ってのが無いから永遠に理解できないじゃん?でもこの人が仮に中国のどっかにホームステイしたら違うんだよねっつーのはさ、言葉だけじゃなくて動作っつーシニフィアンがあるじゃん?


「ちょんごーつぁい?」「めいごーつぁい?」つぁい?あ、ホットドッグと中華料理が並んでるからツァイは「料理」を意味する言葉だなって、オブジェクトなりさ、喋る人の動作なり生活っつーシニフィアンがあるじゃん?それによって記号が意味を想起されるものとして成立するようになるんだよね。いや、そんな簡単には分からないけどさ、まぁあくまで例えね。日本語でも別にいいんだけどさ「これは「て」」ってLISPみたいな括弧の中にさらに括弧ぐらいの強調の具合で「TE」って音声を強調されてなおかつそこにhandがあったら「handのことを日本語でTE」って言うんだなって思えるじゃない?


さっきのツァイで言えばちょんごーが中国でめいごーがアメリカだなっつーのもそこから色々と分かってくるじゃん?でも具体的な事例とかオブジェクト無しに意味は想起されないんだよね。で、何を書きたかったのかを忘れてしまったよ。なんだったっけ?あ、数学か。あ、まぁそういうことだわ。


で、数学と言えばさ、すんげー話が変わるけどさ、チャイティンの本ってアメリカだとメジャーじゃないっつーかメジャーなのがメタマス!ぐらいでさ、他はすんげー高いハードカバーにしかなってないんだよね。日本って2000年以降とかさ、ちょっと教養系で今まで出てこなかった海外の哲学者とか数学者とかを発掘してんで一気に流行らせようみたいなことをしてた時期があったじゃん?アガンベンとかもそうだし最近だとバディウなんかもそうだよね。チャイティンもそんな流れなんだろうけどさ、まぁ特に哲学系はランシエールにしてもどれもさっぱりビジネス的に成功してないと思うんだけど、チャイティンの本に対する批判がすげーウケたのがさ、アメリカのアマゾンなんだけど自慢話が多くて呆れるっつー意見が散見されるのね。15の時に!とかさ、子供の頃にHow to solve it?を読んでました!とかさ、そんなのが多過ぎてウザいみたいなね、理論的なことだけを知りたいのに著者の自慢話が続いてさ、んで結局自分はチューリングとかゲーデルぐらい凄いやつなんだ!ってことが言いたいだけでしょ?みたいなさ、そのmodestyの無さに呆れるっつー意見があってちょっとウケたね。で、重なるのが苫米地さんだけどさ、まぁゲーデル繋がりでもあるんだけど両者共に自慢話が多くて謙遜一切しないじゃん?


でも恐らく両者共に地頭が良いからさ、ただ本当のことを言ってるだけなんだと思うんだよね。結果自慢になってるけど別にそこまで自慢するつもりもないっていうさ、まぁでも凄いことは凄いんだから別に自分のことでも凄いって言っていいじゃん!みたいな開き直りがあるよね。で、別にそれは凄いことだからいいんだよね。両者共に頭が良いから問題ない。たいしたことないやつが自慢してたらあれだけどそれなりの人が自画自賛しててもまぁ別にそれはいいんじゃないかと。


で、ちょっと秀でたインテリに僻を持つ人ってある意味でのコンプレックスだよね。自分が追いつけないある意味での天才系へのコンプレックスがあるんでさ、歪んだ見方しかできなくなるよね。あいつのことはみとめねぇーよみたいなさ、特になんつーかちょっとアカデミックセレブみたいになってるさ、ジジェクとか全然世界変わるけど茂木さんとか苫米地さんとかチャイティンにしてもさ、ある意味でその業界におけるプレスリーみたいになったからこそアテンションを引くが故に批判も多いっつーさ、それってまぁただの僻だよね。人気者に対するそこまで能力が無いものに対する僻だよね。パンピーからも多いけど恐らく文化人みたいなのからも多いだろう。中途半端なね。それは彼らが追いつけない存在だから目障りなんだよね。自分は自分でコツコツやってるのに天才型が一気にバーン!とやっちゃうと自分の存在意義が無くなっちゃうんで、ある意味で実存を脅かす存在だから余計に排除したがるっつーか煙たがるんだよね。それってある意味で自分の能力の限界を認めてるってことでちょー悲しいことだよね。


全部がそうじゃないんだろうけど、でもなんかさ、人気者のインテリを批判する中途半端なインテリって常にどこでもこういう構造があると思うね。ああいうやつはああいうこと言ってるけど複雑系とかよりもシンプルなマスのほうが素晴らしいんだ!みたいに言っちゃうってある意味で負けを認めてるってことだよねっつーか開き直りじゃん?自分が理解できないものに対しては邪道だ!とかさ、複雑過ぎる!とかさ、有名になりやがって!みたいな僻がありつつさ、自分でも理解できるような単純なフィールドのものに関しては自分のフィールドである意味で家みたいなもんだからあらゆる手を使って積極的に肯定するんだよね。でもそういう姿を見て「やっぱ堅実さが一番だよな!」って思うのってまぁそういうレベルの人だけだからね。


ITも良いけど田植えはもっといいです!みたいな議論のすり替えね。そもそも有名になってる側は他のフィールドのことを批判してないのにさ、他のフィールドの側が「あいつは邪道だ!」とかって攻撃するんだよね。情けなさ過ぎるね。本当に。別にライプニッツが凄い!って思ったのが15の時だったとかさ、飛び級して大学入ったとかさ、別に隠さなくてもいいと思うんだよね。まぁチャイティンは他の本でも自慢を続けてるらしいからまぁやり過ぎだとは思うけどさ、でも実力があるからいいじゃない?特にライプニッツの偉大さについてあれだけ書いてるっつーのは本当になんつーか単純に良いことだと思うよね。ああいう人がいてライプニッツとかを取り上げてるって時点ですで良い。数学界にも哲学界にもコントリビュートしてるじゃん?あれでライプニッツに興味を持つ人が増えたら御の字だよね。そういう意味で全然良い存在なんだよね。自慢も目立つけど成してる業績とか書いてることもいいわけでさ、別にあえて批判しなくてもそのやってることを見れば目を瞑れるレベルじゃん?苫米地さんもそうだよね。レクチャーとか本でも自慢話が続いたりするけど、書かれてることが有用なことが多いからさ、だから別にいいじゃん?一番傲慢なのはさ、凄いって思ってるくせに謙遜する態度だよね。前に書き込みでさ、Carchemishさんに言われたと思うんだけど抽象的な思考はモードであり、それはトライすれば誰でもそれを手に入れることができるって言い張る俺に傲慢さを感じたってそこだよね。まさしく。


もしかしたら俺は他の人とは違った頭脳を持ってるかもしれない?ってちょっと思ってるくせに普通の人ぶってちょっとそういうことも言ってみるって要素があったとしたら「実際はそうは思ってないんでしょ?」ってことを突っ込まれて、んでそれを傲慢だ!って言われたら返す言葉が無いよね。だからまぁ自分は他の人の頭脳とは違うんだって素直に認めるしか無い。だから変な謙遜とかはしなくていいわけだよね。むしろそうなるとパンピーに合わせるみたいな話し方とか書き方をしたらそれこそが傲慢なわけでさ、それは俺は絶対やりたくないよね。だから大乗仏教って最高に傲慢なんだよね。パンピーなんて頭は良くないって知ってるくせに大乗ぶるっつーのかな?


博士の番組で宮台とてっちゃんと苫米地さんが出たやつあったじゃん?あの時に仏教の話になってさ、最後のほうにでね、で、苫米地さんは大乗を説くけど宮台って小乗じゃん?でもグラムシアン的な陣地戦は忘れてないから大乗も一応やるけど実際はあんま信じてなくて小乗っていうさ、そこはなんつーかあれだよね、宮台のほうが地に足が着いてる感じがするよね。苫米地さんは浮世離れしたエリートでさ、あんま普通の人と接してない感じがするじゃない?だから結構理想主義的なところがある。でも宮台は社会学者ということもあるし、長らく教授をやってきたというのもあって社会っつー現場を誰よりも知ってる人間じゃん?


そういう人間が最終的に小乗になるって単純に社会的経験値の違いだと思うのね。で、完全に軍配は宮台に上がってるよね。知能の差とかはまぁ両方とも頭が良さ過ぎて計れないけど、プラクティカルさとか良い意味での泥臭さで言えば宮台が勝ってるっつーか社会的なものを媒体にしたらある意味で勝負になってないよね。一見苫米地さんが凄いように見えるけど社会的経験値が高い宮台はもっと凄いんだよね。抽象的な政治哲学もプラクティカルな社会学として出力できるバックグラウンドを持ってるから、だからまぁある意味で彼は最強だよね。彼の前では苫米地さんが言うことは全部絵空事にしか過ぎないっつーかまぁ社会的なことで言えばね。プラクティカルなレベルではないにしろまぁ戦争と差別をなくすことってちょーナイーヴじゃん?そんなの無理だよって思ってるよね。てっちゃんも宮台も。でもそこは苫米地さんがおぼっちゃまだから言える世間知らずなところからくる信条だよね。


まぁ専門分野の違いがあるから比べられないんだけどさ、苫米地さんのあの大乗な感じってチョムスキーに似てるところがあるよね。天才的な理系が解く理想的な政治ね。チャイティンも書いてるようにさ、ユートピア主義者は社会で絵空事を描こうとするけど、数学ではそれが可能なのだ!ってところだよね。理系の人はイデアの中で可能なことを具体化して実行したりプログラミングしたりして実際それでワークしてるんで社会のシステムもそうだろうみたいにちょっと行き過ぎで考えちゃうところがあるんだろうね。でもさ、それこそあれじゃんね、ゲーデルとかチャイティンじゃないけどさ、常に偶発性ってのがあるわけじゃん?ランダム性を内包した社会に計算可能性なんて無いんだよね。それこそオメガ数みたいな話が社会なわけでさ、ただそれは完全なカオスじゃなくて計算可能なところもあるんだけど、そこに「人々」っつー最大のカオスを生み出してる要素があるわけでさ、そればかりは計算不可能だからね。そこを甘く見過ぎると結局は苫米地さんもマルクスの二の舞みたいになっちゃうよね。資本主義やめなさい!っていう言動もマルクスそっくりでユートピア主義的なのもマルクスそっくりだよね。左翼ではないんだが理想主義的な左翼的言動があるよね。オーラは全然違うけどね。そんなにショボくはないんだけど。


でもそんなマルクスみたいな人が書いてる本だから売れるに超したことはないんだよね。書いてることが良いことばっかだから基本的に金太郎あめ状態でも彼の言論が流通するってのはいいことだよね。金儲けの理由も研究に金がかかるからっつーのもまぁ上手い言い方だよね。どんだけ本当なのか分からんけど。でも脳機能科学とかっつーのに人々のawarenessを向けさせるっつー作戦も背後にあるっつーのが学者としてのバックグラウンドを感じるよね。金儲けもあるけどやっぱり学問的な目的もあるんだなっていう。そんだけ重要なもんですっつーのを知らせるって意味で茂木さんがよくテレビに出てるのもある意味でいいっつーのもまぁ戦略的だよね。軽薄な面はあれど脳ブームはいいっつーのはまぁそういうことでしょう。ただまぁメディアとかがバカ過ぎるけどね。こないだ日本に帰ったときも「脳」をキーワードに色々と番組やってるんだけどもうクズみたいなのばっかなのね。出てる側も気づいてるだろ!ってぐらいどうしようもないのばっかだったな。普段は動画とかでガキとかアメトークとかしか見ないからあれなんだけど、他のいっぱいある他番組のくだらなさといったら凄まじかったな。完全に日本終わってるなっていう。メディアを見ればその国の実態とか国民性が分かるっつってあんなのやってたら世界から見切りつけられちゃうよ。日本。もしくはずーっと植民地のままだろうね。やっぱジャップは根本バカだな。利用できるなっていう。


あーまたはじまったーになるの?これ?日本批判するとヤツが湧いてくるのかドリームキラーもしくは特定の人批判するとヤツが出てくるのか、まぁどうでもいい話だけど、でも面白いよね。ムカつきながらも気になって読んでるって最高だよな。俺としても嬉しいよね。アンチも気になってスルーはできなくて読んじゃうっつーのがあるっつーのがいい。池田大作みたいな敵無しの身内しか読まないようなものになってないっつーのがいいよね。池田大作と言えば英語のクラスで一緒だった香港から来たやつがいるんだけど日本が大好きでさ、日本映画とか小説とかすんげー詳しくてさ、漫画とかも大好きなんだけど、伊丹十三が大好きでさ、そっから色々と話になったんだけどっつーかだいぶ前から話は続いてるんだけど、彼も「伊丹さんが自殺したとは到底思えない」って言っててさ、んで情報は分からないけど、話によると創価学会関係のことを次の映画でやろうとしていて、んでいつも見たいに創価学会と繋がってると言われているどっかの暴力団に頼んで殺させたらしいよって言ったら凄く驚いててさ、んでそっから創価学会一色になってるんだよね。話が。っつーか彼自身が創価学会のことを全然知らなくてさ、確かにまぁ海外にはあんま出ない情報だろうなーとは思ったよね。国内の闇組織みたいな話だからね。


だから色々とさ、日本語だけどウェブサイトとかユーチューブの動画とかのリンクを貼って送ったらすんげー喜んでたっつーか「こりゃ大変だ!」みたいなことになってさ、んでまぁセメスター後も会うことになってるんだよね。紀伊国屋行って創価学会系の本を紹介してくれみたいな話になってて。でもまぁ右翼左翼関係無く奴らのことを良く思ってない人達が増えてるっつーのは良いことだしネットのおかげもあるだろうって話とかをしてたんだけどさ、ネットってそういう意味だとやっぱ武器だよね。情報制限がある意味でまぁ実質的にかけられないっつってもまぁ検索エンジンとかに制限かけちゃえばさ、ようはインターフェースを利用して間接的なコントロールは可能なんだけどさ、それにしてもまぁ武器っつーのはネット幻想を持った左翼のアイデアだとしてもさっつーか前に俺もそう思ってたけどね、でもまぁ有効だよねーっていう。


これがなんつーか留学の良いところだよね。まさか創価学会の話をするなんて思ってもいないけど彼の食いつきっぷりが半端じゃなかったからね。まぁそんぐらいショックだったってことだろうな。彼が一貫して言ってるのはね、色んな国でギャングとかの話を暴露してる映画とか本とかも出てるのになんで伊丹さんだけ殺されたの?って言う矛盾なんだけどさ、そこはまぁなんつーか「そこが創価学会の怖いところなんだよ」としか言えないよね。マジでいきなり人を殺す可能性があるから一般の人ですら恐れてあんま批判しないみたいな。常にマジで人を殺す2秒前みたいな。こういうのを陰謀論って言う人もいるけどさ、だとしたら911とかもそうだけど陰謀論を潰すためにそうじゃないっつーエビデンスを用意したほうがいいよね。それをやらないで怪しい動きばっかしてるから余計怪しまれるんであってさ。


でもアメリカ楽しみだな。JFK暗殺の情報がいつだったか公開されるっつーしさ、マルコムとかキング牧師とかって絶対あれって政府関係じゃん?どう考えてもそうだよね?でもあんま言えないみたいなのってアメリカ人にもあるっつーかさ、それは感じるよね。それ言ったらおしまいっつーかさ、チョムスキー911陰謀論を否定してたけど、否定してた時に仮にそうだとしたらすんげーunlikelyなことだってちょっと引いてたからね。そうだったとしても信じたくないみたいな顔つきが印象的だったな。まぁ全てが崩壊するからね。あれが内部犯行だったら。911関連の本とかもいっぱい出てるけど全部まぁテロリストっつー名目っつーか前提で話が進んでるじゃん?そういうのが全部変わるわけだからね。俺は陰謀論者じゃないけど、でもいつも思うのは怪しいところがあるんだったらエビデンスを出して解消すればいいじゃん!って思っちゃうのね。その怪しい動きから演算するとさ、何かやっぱ隠す意味があるんだろうなって思っちゃうじゃん?完全にクリアだったらクリアです!って言えばいいわけで。


あとまぁ草の根活動とかもなかなか行き渡ってない感じだよね。消防士だかの生き残りだかでさ、完全に内部犯行だっつーことを主張してる人とかが講演とかもしてたみたいだけどあくまでマイノリティーリポートだもんね。そうだったとしてもテロリストのせいにしておこうって思うアメリカ人のほうが多いだろうな。そんぐらいあれが内部犯行だったら全部崩壊しちゃうんだよね。まぁおかしいところだらけだけどね。あれ。だってダメージを食らってない近くの他のビルとかもdemolishしたかのように無くなったんだよね?で、イギリスだかのレポーターがまだ崩壊してないのに崩壊しましたってフライングしちゃってそれまた余計に怪しさに拍車をかけてるっつーかさ、怪しい所だらけだよね。創価学会並に怪しいんだってば。アメリカ政府って。JFK暗殺も笑っちゃうよね。狙撃不可能な場所から狙撃されましたっつって狙撃した場所っつーのがメッカになってるっつーさ、どんだけアメリカバカなんだ?って話だよね。


こういうレベルになると怪しいねっつーエビデンスのほうが多くなるわけでさ、陰謀論者とかじゃなくても怪しいって言いたくなっちゃうぐらいナチュラルに怪しいんだよね。だったらそうじゃないです!っつーカウンターエビデンスを出すべきでさ、それをやらないってことは無いか何かを隠しておきたいわけでしょ?パンケーキ理論とかも信じてる人多いよな。骨組みで言えばあれは火災にも耐えうる強度を持った材料で作られたビルだったって設計者だか設計の関係者だかが言ってるのにパンケーキ!パンケーキ!ってアメリカ人だからパンケーキにとろけるバターと蜂蜜のアイデアしか浮かばないんだろうな。そんぐらい頭がとろけてるよね。


だからハニーとかって軽々しく呼んだりするんだろうな。ハニーにパンケーキにとろけるバターの国だからね。それでセックスはスポーツと来たもんだ。基本的にマインドが土方だよね。差別的な言い方で悪いけど体育会系のマインドがベースだよね。だから数学とかダメなやつが多いわけ。まぁ俺も人のこと言えないけどね。だからアンチインテレクチャリズムが凄いって言うけどそれってよく感じるよね。専門用語をよくBig WordだのFancy Wordだのっつって避けたりバカにしたりする風潮があるのもアンチインテレクチャリズムだよね。アンチに迎合してたほうが味方がつきやすいからっつーんで難しい言葉とかジャーゴンをファニーなものとして扱うっていうさ、まぁ国民総土方脳化社会だよね。もしくは国民総体育会系脳化社会。


セックスがスポーツで数学が苦手で難しい言葉をbig wordとかfancy wordっつって避けたりパンケーキパンケーキ!とか言いつつ恋人とか妻のことをハニーとか呼んで、んでとりあえず何にでもバターを塗るみたいなさ、苫米地さんの用語で言えばすんげー抽象度低いよね。日本の安っぽさとは違った大衆の安っぽさがあるよね。アメリカって。基本的に大衆ってどこもまぁこんな感じなんだろうけどね。アメリカはこんな感じってことで今日はこの辺で。こんな書くつもりじゃなかったんだけど色々書けて良かったな。なんか今日はすげー楽しかった。


PS


あ、んでね、冬休みなんだけど相変わらず読書以外やることが無いんで日中のダルい時間っつーかあんま集中できない時間をどう過ごすか?ってことでまぁゲームになるじゃん?必然的に。でもやるの無いんだよね。もう。他の機種を買うか?ってことにもなりそうだけど周知の通り金がないんでそんな荒技できっこない。で、必死に無い中でPS2でできるRPGを探したんだけど無いんだよね。・・・と思ってたら興味深いのを見つけたっつーかもうすんげー前になっちゃうけどさ、ウィザードリー外伝みたいなのを岡田さんが作ったってやつがあるんだよね?いや、これだろ!って思ったね。ウィザードリーがアダルトなゲームな理由はさ、あれって想像力なんだよね。FFみたいな派手なグラフィックとかモーションが無い代わりに戦闘をしてるとか進んでるとかさ、仲間の感じとかを全部想像するんだよね。で、「何々が飛びかかった!」とかさ、そういう文字だけを見て全部想像するんだよね。それがディティールになる。ようはイマジネーションを媒体にした関数みたいなもんだわな。個々のイマジネーションが関数になってビジュアルはイデアの世界で出力されると。いや、まぁまだこれやってないけどウィザードリーは特にそういうゲームだよね。で、調べたら出てるのね。NEOっつーのは無いけど最初のはあるみたいで。ただなぜか定価が110ドルとかになっててさ、んでマーケットプレイスで中古が9ドルってことで早速注文してみた。こんぐらいならさすがに買えるって。ただ届くのに時間がかかるけどね。あと驚いたことにキングスフィールドも出てるのね。キングスフィールドは俺の暗黒期を象徴するゲームでさ、登校拒否になっておばあちゃんにPS買ってもらってさ、んで父の会社の同僚が同情してくれて色々とゲームを貸してくれた中にキングスフィールドが入っててさ、一気にハマったよね。あのダークな世界観。死ぬ時の「あー!!」っつーのとかたまらんね。一向に明るくならないのね。外ですら暗い。ずーっとおぞましいのね。


ちょうど小学校の頃の先生と同時の同級生が「なんで学校に来なくなったの?」とかいってさ、わざわざ家に来て説得をしてくれたことがあったんだけど、そのときもずーっとキングスフィールドやってたけど、すでに結構当時からさ、「もういいや」っつー厭世観があってイデアの世界に逃げてたんだよね。当時から。だからキングスフィールドやりながら先生の話とか聞いてたからね。褒められたもんじゃないけども。あの暗い世界と当時の俺の暗い世界とが全く一緒なんだよね。まさしくあれは俺のイデアだったね。一方でときメモとかペルソナとか幻想水滸伝とかやってたけどっつーかあの頃はやっぱピークだったな。96年から2000年ぐらいまでの間ね。それにしてもときメモはギャルゲーっつージャンルを作ったのも大きかったけど、あのゲーム性は凄いよな。本当に。だから当時はハマれたんだろう。まぁ最悪だけどね。分裂病とかパニック症候群とか鬱とか自律神経失調症とか色々と発症しまくってひたすらそれを誤摩化すためにゲームやってるとかさ、リアルな女の子と付き合い始めるっつー一番大事な時期にそんなんでギャルゲーに逃げてるとか人間的に終わってるよな。まぁ童貞だけにDTMもやってたけど。当時のしょーもないMIDI曲をアップしたいけど無いんだよね。全部データ消えたから。シミュレーションはできるけどやる気しねぇーな。


思うにまともにアカデミアとかに行く人はこういう時期にゲームとかじゃなくて学問に行くんだろうね。でも今の俺って当時の俺のやり直しだよね。まさしく。で、大成功してるとは思うけどさってことでまぁ本来書きたかった数学の専攻の話なんだけどっつーか書こうと思って忘れてたんだけどさ、あれなんだよね、社会科学系のコースとかがさ、取り過ぎっつーか6単位ぐらいしか認められなくてさ、んで俺は12単位とか取ってるから残りの6単位とかがカウントされないどころかさ、微積分とか幾何学とかっつー必須科目があって、んでなおかつそれを取るには基礎コースが必要とかですんげー時間かかりそうなのね。なんかまた最初からって感じっつってもまぁ数学専攻っつっても6割ぐらいはリベラルアーツだからさ、英語とかヘルスとか外国語とかは数学でもやんなきゃいけなくて、それはリベラルアーツでやってたのがあるっつーか大体終わってるから後は数学だけなんだけど、でもまぁ卒業までの道は長くなったよねっつーか金が続くのか?っていう。あとは方法論的にさ、今の学校にずーっといることになっちゃうけど、今の学校で取れそうな数学のコースは全部取っちゃってさ、オーバーとかになってもいいから取っちゃって、んで4大に転入したら学費が高くなるけど一瞬で卒業できるぐらいにしておけば安く上がるかな?とは思ったね。


そもそも数学なんて授業のクオリティもへったくれもないだろう。あ、でも4大のほうが可愛い子多そうだから早く行きたいけどね。いや、クオリティはあるけど基本的に自分でやるつもりだからさ、あんま学校に何かを求めないよね。まぁいいや。その話は。まぁとりあえず正式にマスターベーション専攻になったってことで。いや、凄いよね。専攻「マス」って書いてあるとかなり笑える。まぢで?って感じになるもん。


あ、んでゲームなんだけどさ、キングスフィールドって全部やってきてるんだよね。で、PS2で認識的断絶があるんだけど今は持ってるからできるじゃん?ほぼ10年越しの再会って感じになるな。こっちは9ドルちょいでした。やっぱ2000年初頭は90年代の渋めのゲームとかがPS2で出たってやつもあるからいいね。今は完全に終わってると思うけどね。


それにしてもマス専攻でさ、マス科に可愛いマスガールとかいたらいいよね。完全にまた妄想の世界だけどさっつってもまぁ別に学部ってのがあってクラブになってるわけじゃないから関係無いんだけどね。でも大体こういうオタク系の学科って無理だよね。可愛い子はそもそもやらない。こんなのやる必要ないからね。基本的に。すんげー気色悪い男の世界なんだろうなー。女っ気マジで無さそうな世界だよな。まぁ学校通ってれば誰かとは会うだろうけど基本的に数学ばっかになるからさ、数学の学科で会える子ってどういうジャンルの子になるのかな?ビジネスとか科学の子もまぁ数学は取るか。でも専門的なものになると絶望的だな。分からんけど。哲学とか政治学とか社会科学全般って結構可愛い子いるイメージあるけど科学系とか数学とかってそういうの無いよね。


あ、まぁいいや。一応報告でしたってことで。4大はあれだね、分からんけどチャイティンが通ってたっつーシティーカレッジとかに行ければいいね。まぁ凄かったのは昔で今はそうでもないらしいけど、一応まぁメッカだった場所ってことで。シティーカレッジって歴史がいいよね。プロレタリアのハーバードとかいってさ、ネオコンに移行する前の左翼系やらトロツキストユダヤ知識人とかシティーカレッジにいたんだよね。ニュースクールとシティーカレッジって歴史的に面白い場所なんだよね。結構有名な人が絡んでるっつーか。いや、俺が入れればの話だけどね。ニュースクールはまず無理ね。一年間の学費で結構良い車とか買える感じだからね。相変わらずでもニュースクールって左翼のたまり場なのかな?日本人とか多いっつーよね。それ聞くと全然行きたいって思わないんだけどね。日本人のボンボンがマルクスについて語ってたりしたらぶっ殺したくなっちゃうだろうな。あとはまぁ数学と言えばハンターカレッジね。ハンターかシティーカレッジが数学ではなかなかいいらしいよ。まぁレベル高いんだけどね。割と。まぁ俺的レベルね。本当にレベル高い人から言えばそんなでもないんだけど俺指標だと高めな感じっつーかまぁそういうイメージがあるね。


っつーかこういうリアルな話すると俺に数学できんの?って相変わらず不安になるよね。プロになろうとしてるわけじゃん?できるの?っていう。まぁ進んでいけば分かるようになるかな。いやーまさしく留学前と同じ気分だわ。実際はマルクスとか左翼系の政治理論を勉強したかったんだけど、そんなの英語でやるなんて絶対俺じゃ無理だからっつって音楽を選んだつもりだったんだけどさ、そんなこと無かったよね。全然やれたんだよね。俺。だからまぁ大丈夫だろう。今もその留学前の低い自己イメージっつーか、全く数学ダメなイメージがこびりついてるからね。今は変わってきてるけど、でも4大に転入とかいってさ、マス専攻です!とか言ってるとなんかリアルになるじゃん?本当にプロフェッションにするんだよなーこれを・・・っていう感じがあるよね。で、そこそこやれれば誰でもできる数学とかやるつもりはないからすんげープレッシャーなんだよね。それこそバイナリみたいなもんで0か1かだよね。トップレベルになれなければほぼ終わりなんだよね。普通の数学教師とかには絶対なりたくないわけで。だからすんげープレッシャーなの。スクールワークやってりゃーいいっつー話じゃないから怖いんだよね。それと同時に楽しみでもあるわけでさ、なんか報告のつもりが1エントリー分ぐらいになりそうだからやめるけどさ、まぁそんな感じなのよ。正式にマス学専攻になったってことで。


あとまぁ現在ではシティカレッジもニュースクールもまぁ名前は有名だけど、別に過去の凄さは両方とも無いと思うよ。レベルは高いだろうけど、まぁ両方とも普通の学校だと思う。ただ過去にメッカだったっていうまぁミーハーな興味だよね。チャイティンが出た学校とかっつー理由も完全にミーハーじゃん?