下痢について。

mimisemi2010-02-04

風邪引いたんだけどさ、引いたってsubtractの引いたじゃないと思うけどまぁいいや。書いたっけ?学校がいよいよ始まるっつー1日前に風邪っぽくなったっていう。でね、最初は鼻水っつーかくしゃみね。鼻がムズムズするみたいな。で、学校はなんとか行けてたんだけど一昨日ぐらいに恐らく発熱してさ、まぁ慣れない環境で疲れたってのもあるんだろうけどっつーかどんだけsensitiveなんだよ!って話だけどさ、んでまぁ次の日は休みっつーか今セメスターは週三なんだよね。月水金っつー休みまたぎなんで気分的に楽なんだけどっつーか仕事とかもまぁこんぐらいの緩さでやってワークシェアリングとかすればいいわけだけどまぁそれはともかくさ、熱が出た日は早退したのね。


月曜は11時から9時までフルでさ、まぁ授業でフルってわけじゃないんだけどまぁ7時ぐらいに帰ったんだけどね、んでまぁオレンジジュースとか買いつつさ、ビタミン剤とか飲んで寝たわけ。で、次の日になったら体が軽くなっててさ、まぁよくある風邪の回復だよね。「あ、楽になったな」っていう。で、外に出始めるとさ、特に冬にずーっと籠ってたっつーのもあってさ、家にいるのが嫌になるんだよねって凄いことだけどね。引き蘢りの俺が家にいるのが嫌になるなんて。で、その日は休みだったんだけど街に出たのね。「街に出た」っていいね。サウンドノベルっぽい。


まぁそれはともかく俺って目的無しに街に出るほど情緒性がある人間じゃないのよ。その辺は徹底的に合理的でさ、どこどこに寄って食材買ってんでここ行って・・・・っつーそういう打算的な動き方しかしない。なんとなくフラっってことが出来ないんでフラっと出かけることが出来る人ってかっこいいなっつーか羨ましく思うっつーかモチーフとして好きだね。俺に無いものがあるじゃん?だからとりあえず本を持って街に出るんだ!みたいな感じの小説っつーか話があると「いいなぁー」って思っちゃう。そういう情緒が無い俺としては羨ましくなるのねっつーかまぁでもいいんだけどね。読書をするために外に出るって。家にいると何かとまぁ気が散るっつーか大体パソコンかアソコンいじっちゃうじゃない?色々なのがあるから気が散るっつーかまぁ俺はADD的だから余計酷いんだけどね、でも外に出てさ、特に電車の中で本を読むとすげー集中できたりするじゃん?あとスタバで読書とか図書館行って勉強とかもまぁそういうことだよね。集中できるって意味で。


だからまぁそんな感じで外に出たんだけどさ、ダウンタウンに着いたあたりでね、なんか急にお腹がゴロゴロするなーとか思っててさ、んでもうそこからは凄まじい腹痛よ。外で腹痛って最悪だけどさ、特にこっちの場合、外にトイレが無いのよね。日本の場合、ジャスコに行くとかさ、サティ行くとかヨーカドー行くとかコンビニ行くとかさ、ホームセンターでも本屋でもトイレあるじゃん?でもこっちってトイレがレアなんよね。だから客じゃなくても誰でもトイレ使えるっつーところがレアだからすんげー並ぶのね。スタバとか。で、みんなトイレ使い過ぎるからすぐ汚れちゃって詰まったりしててさ、使えないってことが多かったりするわけ。で、腹痛ってことで下痢するじゃん?で、下痢って長期戦じゃん?でも長期戦を戦うほどの余裕が無いんだよね。もうそんなことするようならすぐドアをノックだよね。トイレがレアだから早くしろってことで次の人が待ってたりするわけ。そういうのもあって外でクソするってのがあんまメジャーじゃないんだよね。みんなどうしてんのかな?って思うんだけど。


で、すんげー不安になるんだよねっつーか電車の中とか最悪じゃん?誰でも経験あると思うけどさ、もし電車の中で漏らしたら人生終わりだ!みたいなあの不安感ね。それがまた緊張を生んで余計に腹痛を助長させるみたいなさ、で、ああいう時の気分って苦しみながらも分析してると恐怖なんだよね。パブリックな場でクソ漏らしたら最悪だ!っつー恥ずかしさへの恐怖だよね。だから変な話さ、誰もいない電車とかだったら純粋に腹痛だけでまだ楽なんだよね。最悪なのは腹痛と満員電車とかだよね。恐らく人間が日常的な生活の中で経験する地獄だよね。なんつーかもう腸から飛び出るみたいなさ、腸をギューっ!っとして出すっつーのが普通のクソの仕方だけど下痢の場合飛び出る感じじゃん?それを肛門でストップするのってすんげー至難の業だよね。で、なんかで読んだんだけどさ、うんこ我慢しながら歩くときって武道の達人みたいな歩き方になるってまさしくそうだよね。「なんともない」って振る舞うのがすげー大変。外で腹痛ってだから大半は恐怖なんだなってことだよね。漏らしたらどうしよう!っていう恐怖。


逆に出ちゃえば終わりっつー下痢の場合、例えばトイレで下痢してる場合って痛いけど快感だったりするじゃん?不快感が一気に無くなるあの感じっつーかさ、「ハァー」っていうあの感じね。ここにも腹痛っつーのは介在してるけど恐怖は無いどころか排泄欲みたいなのが満たされてむしろ気持ちよかったりするわけじゃん?まぁもっとも今回の俺の場合、恐らく風邪の菌が腹に来たっつーんでね、ずーっと痛いんだよね。激痛ってわけじゃなくてなんか腸が炎症起こしてる感じっつーの?ある意味で最悪の腹痛だよね。力が出ないっつーかなんつーか無駄に疲れるっつーか。


でもなんかさ、外で大変だったよー!って自慢したくなるじゃん?インドで下痢で大変だったとかってこれってようは人生の強度でさ、生きてる!って感じるからまぁ幸せだったってことだよね。ある意味。苦しんでいる時は苦痛に歪んでるんだけど終わると強度の高い思い出になるんだよね。で、これまたインドっつー日常とはかけ離れた場所でさ、怪しいもん食べて腹壊してんで知らない場所で下痢しちゃってちょー怖かったみたいなさ、でもこれって楽しい思い出になるんだよね。そうでもない?俺で言えばさ、この時のね、武道の達人みたいな歩き方しながらやっと家に辿り着くまでのさ「頑張れー!俺。頑張れー!俺。俺ならやれる!あと5分耐えるんだ!」みたいなずーっと神経を下腹部に集中しながら家路に急ぐときの感じってまぁそりゃー辛いけどでも楽しいっつーか楽しいって言い方変だけど普通に家に帰る時よりかはドラマティックだよね。で、やっと家について大急ぎで上着とか脱いでトイレに直行して「ドババアバババ!」で「助かったー!!」っていうあの感じね。これこそが生だなっていう。


九死に一生を得た人とかがそれ以来凄く生を意識するようになるっつーのも死を垣間みるからじゃん?コントラストだよね。何の変化も無い日常の中では生すらも感じないけどその日常的な生を脅かされる出来事というのがあると人間はその生を意識することが出来るんだよね。だからインドでの下痢体験とかさ、俺は無いけどね、そういうのもまぁ生を象徴する出来事として思い出になるっつーか人に話したくなる出来事になるんだよね。それはようは結局は楽しかったからなわけでさ、だからまぁ自慢っつーか他人に話すんじゃん?


今もそうだよね。相変わらず腹が痛くてさ、で、腹痛について色々調べてさ、んであと原因とかも探るじゃん?ここ数日間の食生活とかさ、多分風邪なんだろうけどでも最近いきなり急激に肉を食べだしたとかさ、もう気が済んだからやめるけどさ、あとはまたマックで腹壊したのか?とかさ、色々な要素を考えるよね。風邪だからっつって普段飲んでるビール酵母アミノ酸ってことで多めに飲んだからとかさ、ずーっと使ってなかったペッドボトルを水筒代わりにして飲んだからとかさ、腹痛って一言で言っても色々な原因が考えられるわけですげー難しいよね。判断が。あとはまぁ牛乳か。ここ半年ぐらい牛乳飲んでなかったんだけどこないだまぐれで見つけた駅前のスーパーで牛乳買ってきたんだけどさ、長らく飲んでなかったから腹壊したのか?とかって思ったけどんでも最初は大丈夫だったじゃん?とかさ、なんで今更なの?みたいなね、これについては肉もそうだけどさ。


原因を探って次回からはそうならないように気をつけるって意味でその原因を取り除くって言っても取り除けないんだよね。だから結果的に肉類やめて牛乳やめてジャンクフードやめるしかなくなる。で、いつもの僧侶みたいな食生活に戻るんだよね。まぁずーっとうどんとか米しか食べてない中でいきなり肉食ったら腹壊すかもな。まぁ分からんけどね。風邪の菌が腹に来た可能性もあるわけで。で、腹痛について調べるとさ、あれだよね、下痢を止めないほうがいいっつーのはもはや定説だよね。正露丸が実はなんの根拠も無い薬だっつーのもよく言われることだしさ、そもそも下痢は止めちゃいけないっつーのは下痢って自浄作用じゃん?食中毒の時でも毒物が入ったからそれを排出しようとする一種の防衛機能なわけでさ、それを止めちゃったら毒物が腸に留まっちゃって酷いことになるかもしれないじゃん?だから下痢止めは良くないってまぁそれはメイクセンスだわな。どうしても出せないときはしょうがないけど、出せるときは出したほうがいいわけだ。


でも正露丸って神経毒だかの作用で胃腸の痛みを麻痺させるんだよね。なんで正露丸っつー名前か?っていうと日本がロシアと戦争してた時にさ、日本兵に腹痛を我慢して頑張れ!みたいな感じで配ってた一種のドーピング剤だったみたいなさ、まぁそういう左翼好みしような歴史的背景はともかくとして、まぁ下痢止めたからロシアを征服できたかはともかくとしてさ、まぁあくまで緊急用なんだよね。でも緊急用っつっても例えばインドとかで菌だらけの卵とか食べて下ってるなら出さないと危ないわけでさ、だから綺麗な水飲みながら出すしかないよね。


あ、んで俺が書きたかったのはね、ようやくだけどっつーかまぁ一瞬で終わるけどさ、アスピリンが腹痛には良いってことなんだよねってよく考えれば当たり前でアスピリンって頭痛薬ってイメージがあるけどさ、そもそもこれって痛み止めなわけでさ、頭痛・生理痛にって言われるぐらいでまぁ痛み全般を緩和するんだよね。だから痛いのを止めたかったらアスピリン飲むのが一番いいわけだ。まぁカフェインとか入ってるから摂り過ぎはあれだけどさ、でも相当楽になったよね。下痢っつーと正露丸で止めるかビオフェルミンで整腸するかって言う定石があるけどアスピリンで痛みを止めつつとりあえず出すってのが一番いいんだってのがよく分かったね。まぁケースバイケースだろうけどさ、痛みに対する対症療法としては痛み止めが一番よくてさ、正露丸みたいに下痢を止めちゃうのは良くないからね、だから痛みを止めつつ出すっつーのはまぁアスピリンが一番いいじゃん!っつーことだよね。なんで頭痛と生理痛が関係あるんだろう?って思ってたけどようはペインキラーってことなんだよね。だから別にアスピリンっつって特に頭痛に特化した薬ではないってことだよね。ただの痛み止めなわけで。


こんだけ腹痛で苦しんでるといかにペインクリニックってのが重要か?ってのが分かるよね。痛みを止めてあげるってのは人権保護そのものだよね。人員が足りないとかお金が無いからペインクリニックにかかれないとかって最強に反人道的だよね。で、その人道的って意味だとやっぱ安楽死とかも人道から考えると許可されるべきだよね。むしろこれこそが人権尊重なわけで。色んな管通して生きてるなんて人によってはそんなのその人に対する冒涜だって思うわけじゃん?俺はそう思うけどね。死ぬのが分かってるのに苦しみを続けるような延命治療なんてしてもしょうがないよね。


あ、まぁいいや。話を戻すとね、サイコロジーでさ、俺みたいなメンヘラーが一生自分のメンヘルな部分と付き合っていくとそのエキスパートになるってまぁフロイトばあちゃんが言ってたから間違いないしさ、俺もそう思うんだけど、それで言うと体全般そうじゃない?メンヘル的なのはメンタルに問題が無いとアレだけどさ、体って常に人間が一生つき合っていくものだしさ、例えば頭痛とか腹痛とかって必ず生活の中であるじゃん?だからその原因とか対処法ってのを知ってれば医者いらずっつーと言い過ぎになるけど自分でマネジメントできるようになるよね?だって今の俺の腹痛で言えばさ、まぁ色々と原因は考えられるけど、今までの経験から言って消化不良もあるわけだよね。


以前もずーっと肉食ってなくてんでいきなり肉食べたら腹壊したってことが二回ぐらいあったからこれもありうるとは思うけどさ、それってある程度分析すれば分かるじゃん?医者も問診っつったら医者の腹痛の知識から患者の条件に照らし合わせて推論していくわけでさ、だからこそまぁこれはある意味でドクサだし、それ故に誤診もあるわけじゃん?でも風邪とかにおいては特効薬が無いからさ、諸症状を緩和させて自然治癒を待つしか無いってことになるわけじゃん?そうなると素人でも可能っつーか俺がいつも思うのは医者がいるのって大病だけだよねって思うんだよね。


結局、普通の風邪とかなら栄養摂って痛みを何かで誤摩化して堪えて治るのを待つしかないわけでさ、それって自分でアレンジできるじゃん?あとまぁ経験からどういう風な状況においてなりやすいか?っていうのを学んで傾向と対策的に予防できるようになるじゃん?日本ってあれだけマスクしてる人が多いのを見ると本当に医療的な知識が無いんだなって思っちゃうよね。そもそもウィルスとか風邪ってことについて全然知らないってことじゃん?まぁ俺はスペシャリストじゃないけどマスクが意味ないことぐらい分かるよね。そりゃー。あれってある意味で自己管理してるようで出来てないっつー良い証拠だよね。だからこそ医者が儲かるんだよ。自分でなんとかなるレベルのことでもなんとかしようとしないし知識が無いからとりあえず思考停止的に医者に行くわけだよね?これはアメリカみたいな医療制度の元じゃ絶対ワークしないよな。まぁある意味で気軽に病院に行けるってのはいいことなのかもしれないけどね。


今回の俺のアスピリンにしたって思考の結果だからね。いや、そんな大げさなもんじゃないけどさ、胃腸炎というほど酷いものではないというのは食欲があることからも分かるじゃん?胃が痛いわけじゃないしさ、ただ腸が動いてて痛いっつーんだったらその動く際の痛みを緩和するか炎症の痛みを麻痺させればいいわけで。あとはまぁ放置だよね。基本的に。栄養摂って放置。「あーいてぇー・・・」じゃなくて「どうにかならないものか?」って考える事も重要だし、まぁ俺みたいな暇人以外は無理かもしれないけど何が原因か考えるのも今後の予防って意味で重要だよね。余裕があれば一個一個試してみて原因探れるしね。後で牛乳飲んでみるとかさ、肉をまた食べてみるとかね。あ、んでも物事って複合的でさ、牛乳と肉と風邪とストレスってのの偶然の複合みたいな所産で下痢してる場合もあるわけで、原因が一個に帰属するって考えるのって危険なんだよね。


あとね、あれなんだよね、福岡さんいるでしょ?生物学者の。この人が言ってるのはさっつーかまぁ考えりゃ分かる事なんだけど重要なのって免疫力じゃん?人間が自然に治すっつー自然治癒力だよね。福岡さんの言葉で言えば動的平衡を保つってことだよね。薬とかが治すのがデフォルトじゃなくて、それは生物の自然のあり方としての動的平衡という意味でのウィルスvs人体ってことなんであってさ、薬が病気を治すわけじゃないんだよね。まぁ大病とかにしたら別なんだろうけど、でもまぁ基本は自然治癒力だよね。で、俺が思うにね、俺はすんげー潔癖性だったけどさ、これが変わったのがさ、ある程度の菌を体に入れる事も重要だっていう考え方ね。ちょっと汚くなった食べ物とかでも腐ってたりしなかったら食べるとかね、ちょっとぐらいの菌なら体が抗う力を持ってるんだからそれをトレーニングするって意味でもちょっと入れるぐらいが一番いいじゃん?っていうね、オブセッシヴになんでも殺菌殺菌とかって言ってるとウィルスvs人体っつー動的平衡っつーある種の自然状態を壊すことにもなりかねないんじゃないか?ってことだよね。


福岡さんはそこまで言ってないけど俺は福岡さんの話を聞いていてウィルスもまた生体というものを構成する流れの一部なんだなっていう気がしてるよね。それに抗って下痢するなり発熱するなりっつーのも動的平衡を保つためのプロセスの一部っていう。そう考えるようになってから俺の場合、風邪=悪とは考えなくなったよね。むしろ年に数回ぐらい引いて克服してったほうが体のためになるっつーかなんつーか。一番いいのって風邪の菌が入ってきても耐性があって全然大丈夫っつータフな免疫機能を持った体だからね。


風邪ってだからあれだよね、新しいのはいつも来るわけだから予防っつーよりは対処法を知ってるということだよね。かかったら方法論的に休んで完全に治せるっつーシステム的な方法論を持っているってことが重要なんだよね。かかることを恐れていてもしょうがないっつーのはウィルスってどこにでもいるわけじゃん?で、いつ感染するか分からないっつーか多分常に感染してるわけじゃん?で、たまたまウィルス優性になると体が免疫機能発揮して発熱したりってことなわけじゃん?そう思うとウィルスと人間との関係性って恐らく均衡点を見いだすことだよね。完全にウィルスに抗おうとするから抗生物質に対応した新たなウィルスとかが出来たりするわけでさ、ウィルスも人体もまぁバイオな存在である限りはケミカルというか人為的な力の介在ってそのバランスを壊す事にもなりかねないんだよね。


なんかまぁそういう意味だと風邪の対処法が諸症状を緩和っつーか誤摩化すっていうことに終始するってメイクセンスだよね。菌自体の特効薬は無いわけだし、恐らく無い方がいいんだろうね。自然治癒力で治すのが一番いい。治さないと死ぬやつとかは別としてもね。だから別にlaissez-faireってわけじゃなくて、まぁバランス良い人為的な力の介在ってことでまぁちょっと社会主義的な新自由主義って感じか。ベストなのは。


もういいや。書きたい事書いたから。んじゃあ今日はこの辺で。