ハーバード白熱教室@東京大学を見たんだけど。

mimisemi2010-10-02

サンデルの東大講義見たんだけどさ、NHKのやつ。「えー!東大生ってみんなペラペラなん?」っていう偏見をもたらすぐらいなんつーか発言者の英語が上手かったね。まぁみんな帰国子女とか留学経験者で、まぁ自分の英語に自信があるからこそああやって自信を持って大勢の前で発言できるってのはあるよね。だからそういう英語の上手い人達が目立つか多いように見えるけど実際は大半が実は英語をあれだけ喋れないだろうっていう。


東大だからあれだけ英語を喋れるってのは恐らく間違いだろうね。「東大生すげー」ってなるだろうけど恐らく違うと思う。分からんけど。そもそも発言する人ってのは論が立ったりさ、ある程度自身がある人達になるわけだから、だからまぁ喋ると際立つんだよね。でもそれは本当に1/1000ぐらいの人なわけで。別に東大生批判とかじゃなくてさ、なんつーか前にも書いたように「東大」っつーと凄いっつーイメージがあるじゃん?で、俺も自動的にそう思うんだよね。「東大生すげぇーなー」とかって。でもよく考えると東大生っつーのと英語力って関係無いからね。そこまで。


あとはサンデルの講義に目を向けてるって事自体でかなりのふるいがかけられてるよね。まぁ必ずしも繋がるわけじゃないんだけど、ただまぁああいう場に英語ができるやつが多くなってもおかしくないってことだよね。だからなんつーかああいうサンデルの講義とかにawarenessが向くような人には英語ができる人も多いみたいなことになるわけだよねってことが言いたかったわけね。つまりは内向きになったりしてないってことだよね。ああいう場で喋ったり考えたりしてるってことは内向きじゃないわけで、だからまぁそういう人達のコミュ力とか英語力とかが高かったとしてもおかしくないってことだよね。


ところでまぁそんなことはどうでもいいんだが、ああいうの見てるとつい意見が言いたくなっちゃうからさ、ただ喋る場が無いんでこの場で喋らせてもらうけどさ、イチローのやつだけどさ、ようはイチローがバカみたいに稼いでて大変なオバマ大統領がイチローの1/40ぐらいの収入ってのはおかしいんじゃないか?みたいなね、まぁおかしいがどうかっつー議論なんだけど、これはしょうがないよね。それは才能に支払われる対価というよりかは市場とか人々のデマンドによって支払いの額が増えるってことだよね。まぁ簡単に言えば市場主義だけど、これは本当にしょうがない。そもそも義務とか責任の重さによって給料って決まらないからね。


まぁ「決まるべき」っていうべき論はあるだろうけどまぁ実際は違うし、そもそも義務とか責任なんて基準値が無いっつーか恣意的なものになるしさ、あとはまぁ給料っつーかペイのウェイトがそこまで責任とか義務の重さというものに依存するのか?ってこともあるわけでさ、まぁそれは仮におかしいと思ってもしょうがないってことだよね。実際は社会とか人々のためになる仕事をしてる人達ってのがいるんだけど、んでもそんなに対価が支払われてないし、リスペクトもされてないっつーよりかは全然知られてないっつー人達なんて腐るほどいると思うわけね。だからといってそういう人達にこそペイされるべきであるってまぁ一見言えてるように見えるけど社会システム的にそりゃ無理だからね。


いや、何が言いたいのか?っていうとさ、人々は責任とか義務の重さに対して必ずしもお金を払うわけじゃないってことだよね。まぁすげー大雑把に言ってしまえばさ、大リーグっつーか野球ってまぁエンターテイメントだよね?でもまぁそれって人々が求めるものじゃん?つまりは市場のデマンドだよね。それが多いからお金が支払われるわけだよね。まぁ求められてない人もエンタメ以外でもすげー額を受け取ってる人っているだろうけどさ、前から書いてるように労働力とか精神労働とかさ、大変さとか辛さとか義務とか責任っつーのに正当なお金なんて支払われないじゃん?


イチローに義務が無いって言うわけじゃないんだけどね、でもまぁあれだけ金を稼げるってまぁ社会がそうなってるんだからしょうがないってことだよね。当然の帰結っつーかなんつーか。だからまぁみんな社会のためになるような仕事をっつーよりかはデマンドに自分を合わせて仕事を見つけたりその方向のスキルを目指すわけだよね。


自分が主観的に社会のためのになるであろうってことを個々ができればそれが一番いいけど、それでお金の動きを作り出すのって難しいじゃん?不可能だとは言わないけどね。だからまぁ一見どう考えても役に立ってないっつーかさ、例えばサラ金でも派遣会社でもいいんだけどさ、ああいうヤクザな会社ってまぁ潰れればいいと思うけど、なんで成立するのか?ってまぁデマンドがあるからじゃん?で、デマンドがあるからまぁ当然雇用も生まれるよね。だからまぁ仕事がそこにあるってことで人も集めるわけだよね。でもやってることはえげつない。でもデマンドがあってお金の流れが発生してるんで自分はその流れに乗ることができるみたいなさ、それってデマンドが個々の仕事っつーか生き方を操作してるっつーか規定してるってことだよね。


仕事って自分で決めるもんじゃなくて社会に決められたものから選ぶって感じじゃん?そうじゃなくて自分の仕事を作れる人ってのがまぁ才能があったりっつーかさ、ベンチャー的な感じで設儲けられる場合もあるけど、大半がまぁ既存の雇用っつー中で見つけていくしかないよね。だからボランティアとかってまぁボランティアのままなわけだよね。炊き出しをやるとかさ、お金が無さ過ぎる人達を助けるってことをするってまぁそれはモノにもよるけど善意で行われてるっつーか明らかにまぁそれは善意のボランティアだったとするでしょ?


そしたらまぁそれが仕事でもいいよねっつーよりかはそれを仕事にしてたら偉いよね。偉いって言い方が正しいかは分からんけどさ、んでもそこに収入ってのが介在してなかったらまぁそれって仕事にならないじゃん?だからまぁボランティアになるわけだよね。俺が言いたいのはさ、貧乏な人達からお金を取れってことじゃなくて、そういうボランティアをやってる人達とか団体があったら支援されてもいいだろうってことなんだよね。それはまぁ俺の価値観で言わせてもらえばショービズとか野球とかよりよっぽど必要とされるっていうかさ、偉いものだと思うんだけど、でもまぁ世の中的に仮にそれが大半の意見の中でエライっつーかリスペクトされるようなものだとしてもボランティアはボランティアだよね。それは所詮はボランティアってことではなくてね、尊敬されようがなんだろうがそれをやってお金がもらえないんだったらまぁそれだけってことね。


それだけって批判じゃなくてね、それがつまりはボランティアってことでしょってことなんだよね。まぁお金をもらわないということがボランティアの条件に入るとは思うけどさ、サービスをやる相手からお金をもらわなくてもさ、誰かから支援されたっていいじゃん?俺が言いたいのはそういうことね。それってまぁすげー社会的っつーか社会的に良い行動だよね。でもまぁお金はついてこないっつーかさ、イチローとかにはならないよね。


こういう残念なシステムがあるからだからまぁお金の流れってのはしょうがないんじゃないかな?ってことだよね。計画経済とかってダメだしさ、所得格差を無くすために稼ぎまくるということを規制し過ぎるのもダメだと思うしさ、だからまぁこれは残念だけどしょうがないことだよね。それこそお金っつーのはお金でそれがサラ金の利子だろうがドラッグの売買で得た金だろうがお布施だろうがなんだろうが金は金だからね。それでいいとは思わないけどまぁそれしかないでしょってことだよね。なんつーかこれがまぁあれにも繋がるんだよね。食べ物の話ね。


例えばバラエティ番組で食い物を無駄にするような番組があったとしても、それはそこで流れているお金によって買われた食材とかでなされている行為なんであって、それは食材に対してペイされてるから第三者がどうにか言えるものではないってことだよね。それで言えば別に食べ物じゃなくたって無駄金使ってるようにしか見えないのっていっぱいあるじゃん?今日やってた中居君が池上さんみたいな役に扮して政治とか経済をプレゼンするって番組があったけど、まぁちょっとしか見てないけど、あの巨大ボードとかすげー金の無駄だよね。あんなもん一回使ったら捨てるわけじゃん?んでも俺が勿体ない!なんて抗議はできないよね。


だってそれは番組の制作費の中でなされていることなんだからさ、それが無駄金だろうがなんだろうが無駄なんて言えないんだよね。それで言えば無駄にタレントがい過ぎる番組とかだってギャラの無駄じゃん?でもそれも番組の制作費の中でやられてることなんだからさ、視聴者は文句を言えないよね。「あいつら座ってるだけで金もらってるのか!俺なんか残業を含めて10時間以上働いてるけど生活が大変だぞ!」なんて言いたくもなるけど、それがまぁつまりは一般労働者と芸能人の違いなわけで文句は言えないんだよね。それは大リーガと大統領然りなのよ。仮にそのね、「生活が大変だぞ!」って言ってる人達が介護士とかさ、なんつーかまぁ貢献とかしてたりデマンドがあったり大変な割にペイが少ない職種ってあるじゃん?仮にその大変だぞ!って言ってる人がそういう職種の人達でもさ、それと芸能人は同等に語れないんだよね。


何しろコンテキストが違いすぎるしさ、金の流れも違うしね、俺はそりゃーひな壇で座ってるだけの芸能人とかよりかは全然お金をもらってもいいと思うけど、でもそうなってないからね。そうじゃないシステムってのがあるからしょうがない。そもそも介護士と芸能人は違う職種で関係無い仕事だからしょうがないんだよね。ってことだよねっていうことだよね。


はい。では続き。東大に仮に44億円ぐらい寄付するから入学させてくれって人がいたとして、そいつを入学させていいか?ってまぁそりゃいいよね。額にもよるけど仮に44億円も寄付があったらそりゃー設備も整うだろうし奨学金とか充実させることができるだろうし、まぁその44億円が大学運営に適切に使われるって前提ならそれは許可するべきだよね。そりゃ条件としては金で入学するようなもんだから不正っぽいっつーか汚いけど、でもその44億円からベネフィットを得られる人達ってのはすげー多いわけだからさ、仮にその44億円坊やを入学させることでさ、すげー勉強して頑張ってきたやつ一人を落とすことになってもそれは一殺多生ではないけど、一人を殺すことで多くが生きられるならそれはシビアな理論だがしょうがないってことだよね。


教育という観点から見ればそりゃそうでしょっていう。そういうデカイベネフィットのためなら小さい悪どいことには目を瞑らなきゃいけないよね。完全なる正義なんてほぼありえないわけだしさ、結果を見て正義らしい正義が得られるならそのプロセスの中で若干の不正があってもしょうがないだろうってことだよね。まぁネオコン的な発想かもしれんけど俺は昔からそう思ってきたので。金が無くて死にそうな人が大勢いる村に銀行強盗をしてきた男が命からがら逃げてきてさ、銀行で盗んだ金を全部村に寄付するからかくまってくれ!って言われたら村人はかくまうよね。そのかくまうことは盗まれた金を寄付されるってことでさ、まぁ不正も不正だけども、でもその死にそうな村人何万人が仮に助かったとすればその銀行強盗犯をかくまってもいいんじゃないか?ってことだよね。なんかリアルにサンデルの抗議で出てきそうな思考実験だけども。これもでもcase by caseだよね。


その銀行強盗により例えばすんげーそれが経済的に大打撃を与えることになっちゃってさ、多くの人が大変なことになるってことだったらそりゃアカンけどもさ、んでも仮に何千万とかでね、別にその銀行は倒産もしないし何でも無いってことですんげー極貧の村の人々何万人が助かるんだったら俺はそれでいいと思うんだよね。金の流れとしては良くないけどでも仮にそれによって人命が何万と助かるなら俺はいいと思うわけ。


んでもそれがルーティン化したらダメだよね。銀行強盗が捕まりそうだったら亡命する場所として崩壊寸前の村を選ぶような方法論が生まれてしまってはそれはそれで問題だし、さっきも書いたように額次第ではそれは許されないこともあるとは思うけど、俺が言いたいのはある条件があってこうならこうであるからこうであるべき、とかこうであってはならないとは決められないってことね。TPOっつーかcase by caseっつーかさ、東大入学にしても100万程度じゃダメだよね。寄付っつっても。なんつーか東大的に目を瞑れる額から入学の寄付を受け取るってことだと思うよね。


仮に東大がヤヴァかったとしてさ、一時的に金がもらえるなら経営的にすんげー助かるって状況の時に1000万寄付するから入れてくれってやつがいたら入れるべきでしょう。まぁ1000万って微妙だけどでもそれによって経営がなんとかなりそうならそういう小さな不正には目を瞑るべきだよね。そういう細かいTPOとかcase by case的なexceptionはいくらでもあっていいと思うのね。それが最終的に良い結果に帰結するならプロセスの多少の不正はいいでしょうってことだよね。むしろ世の中的に恐らく全部を正義で通しきるなんてことは難しいだろうし、仮に細かいところで正義を貫こうとして大枠の正義を貫けないようなことになったらそれってダメだよねっていう。


ただこれも絶対的に東大に寄付するということが善じゃないしさ、仮に正義を貫きたくて悶々としてる若者が高利貸しで金儲けして莫大な財産を得た老婆を殺して何億東大に寄付して入学したっつったってそれは正義とは言えないよね。まぁある意味では正義に見えるけど社会的にそれを正義とは言っちゃいけないし、同じ寄付でもこれとさっきの金持ちの44億の話とは違うからね。まぁお金っつっても出所なんて分からないけどね。麻薬王の娘が親の金を寄付したっつったってさ、いや、仮にそれがすんげーbloodyなお金だったとしても、それを相続した娘が何かに寄付したってまぁそりゃー良い寄付だろうけど出所が麻薬だったり暗殺だったりしたら微妙だよね。


んでもそんなこと言ってられないし、その娘が親の罪を何らかの形で償いたいって形で寄付したりしらまぁいいのかもしれないけど、まぁそれも金は金議論でさ、それがロンダリングっつーか名声を高めるためにどこにも置いておけないお金を寄付したってそれは善と言えるのか?ってことだよね。でも帰結としては貧しい人がその寄付で救えたりしたらまぁそれ自体は善だよね。でも動機は悪っていう。でもその莫大なお金が多くの人を良い意味で救えるようになるとしたらまぁそれは寄付されていいんだよね。寄付って額じゃないけどんでもやっぱ額なところもあるわけで。


あと見てるとサンデルはよく「キミは功利主義者ということだね?」とかさ、「何々主義」みたいなのに当てはめる傾向があるけどさ、まぁそのほうが議論を進めやすいから便宜上のことだからかもしれないけど、実際の所さ、ある部分では功利主義的である部分ではリバタリアンである部分では保守である部分ではリベラルであるみたいなさ、主義括りできないっつーのが普通だと思うんだよね。俺なんかそうだけども。何主義ですか?って政治的にとか哲学的に聞かれても答えられないからね。そもそも何々主義っつー土壌で考えてないし、まぁ強いて言えば理想主義的現実主義者って感じか。


あと歴史についてだけどさ、前の世代が罪を犯したことに対して今の世代がそれを償い続けるのか?ってことだけど、これもまぁTPOとかcase by caseだよね。仮に親が人殺しだったとして、んで終身刑なり死刑によって罪を償うっつーかまぁ罪に対する裁きが与えられたらまぁ子供は関係無いよね。んでも心理的に関係無くはないよ。いや、それは子供次第だけど被害者の命日に必ずお墓参りするとかさ、そういうのはあっていいっつーかまぁそういう意味で関係無くはないんだけど、んでもその子供も親の罪を償っていかなきゃいけないのか?っていうとそうじゃないよね。


まぁ歴史的なこととこういう個人的なケースを比べることはできないけど、んでも歴史的なケースでも大半がそうなんじゃないかなぁーとは思うよね。例えば俺は前にも書いたけどアメリカでさ、中国人とかまぁ韓国人でもいいんだけど「お前が侵略したんだろ」とかって言われると腹が立つんだよね。それって俺じゃなくて前の国家なわけで。もちろん俺は侵略を正当化しないけど、でも「お前が」なんて言われる覚えはないし、「お前の国家が」なんて言われて批判される覚えもないよね。かといって「前の世代のことだ」なんてドライには言えないけど、んでも仮にそれで「本当にすまなかった!」なんて俺が相手に対して謝る必要があるのか?ってそれは違うよね。


まぁそこから学んでさ、例えばまぁ政治の話でも戦争の話でもいいんだけどさ、「そうだからこそ侵略とか戦争ってことに対しては前の国家のことがあるから深く考えなきゃいけない」とかさ、そういう言葉なり考えがあってもいいよね。でもそれと責任は別だよね。東京裁判の話はともかくとして、まぁやり方に問題があったにせよ戦犯は処刑されたり然るべき罰を受けたりしたしさ、あとよく謝罪してないとかって言われるけど過去に何度も公式に謝罪をしているだろうしさ、あとこの辺は分からんけど、お金も払われてるわけだよね?払われてないっつーのと払われてるって意見があって分からんのだけど、それがつまりは過ちを犯した側がやることっつーか断罪されることだよね。でも連帯責任ではないわけで。


それはサンデルの講義でも誰かが言ってたようにローマ人が過去に攻めて来たとかさ、そんな話にまでさかのぼっちゃうじゃん?それで言えばアメリカなんてネイティヴアメリカン大虐殺の上に成り立ってるわけだから国がもうダメだよね。存在しちゃいけないだろうっていう。でもまぁ適切かどうかはともかくとしてネイティヴアメリカンに対して謝罪があったり対応があったりするわけじゃん?それでいいかはともかくとして今の国家ができることは全てではないけどやれていることもあるわけでしょ?だからつまりは仮にネイティブアメリカンの血筋を引いたアメリカ人が白人に向かって「人殺し!」なんて言えないわけだ。それで言えば黒人と白人の関係だって成立しないよね。


だからこそ市民運動とかさ、差別をなくすっていうことがあるわけで、それは白人が歴史から学ばなきゃいけないことだよね。でも今の白人が黒人を奴隷としては表面上は法的に使っていないわけで、過去のことに対して今のことのように言われる筋合いはないよね。でも何回も書くようだけど過去のことから学ばなきゃいけないことはいっぱいあるんで無知ではいられないってことだよね。それがつまりは歴史を知るってことなわけで。だから歴史とかを改ざんしちゃいけないんだよね。


あと前後するけど弟が人を殺した場合、弟を突き出すかとかさ、そんなの当たり前だよね。まぁ別にこれはコンテンツの一つとしてやってるんだろうからあれなんだろうけど議論の余地はないよね。そんなの突き出して当然だろうっていう。まぁでもTPOはあるよね。あんまり道徳的に言えないけどさ、例えばBlack Mailなんかを受け取っていたりしてさ、弟なりがね、で、相手を殺してしまったけど、弟の話を聞く限り殺した相手は明らかに悪人で、しかもBlack Mailをしていて弟は実質的に何も出来なかったみたいなさ、そんな極限状態で弟が殺したのは知っているけど、んでも世間的には知られてないってことだったら突き出さないよね。


それはまぁ俺の社会とは違った道徳で突き出さないけど、何の条件も無しにただの「人殺し」だったらそりゃー突き出すよね。ようはさ、政治哲学ってまぁ何でも抽象化するから話がこうなりやすいんだけど、いや、そんなのTPOとかcase by caseでしょーっての多いよね。サンデルのは東大のしかちゃんと見てないけど、これを見る限り全部そうだよね。条件によるからこれだって答えれるようなものはないし、答えられないというのが答えだろうっていう。ただ政治哲学はそういう細かいことにまで言及するわけにはいかないっつーか言及してられないから抽象化して大枠を語るんだけどね、でもそれだとエッセンスが無くなっちゃうことが多いわけだし、ましてやモラルとか正義ってそういうことだよね。パラメータで言えば凄く変数的なんでこの場合は4でしょうみたいな帰結はできないんだよね。


unknown variablesの値に答えは依存するってことだよね。自国民のための義務っつーかコミュニティに対するお金の使い方と他の国のお金の使い方もそうだよね。まぁ当然、世界が一国みたいになってないわけだから自分の国を優先するのは当然だけど、それもまた場合にもよるよね。必ずしもそれは自国と他国のコミュニティという比較で得られるものではなくて、その時の状況やら何が起こっていて支援が必要なのか?とかさ、そういうのによるよね。あとは両方の国の経済状況とか、支援を送る側の国は他の国から何かに対して支援をもらえる見通しがあるのか?とかさ、そういうことによるってことだよね。


まぁ大枠で言えば家族にも言えるだろうな。家族が大変なのに他の人を支援するなんてことはできないでしょ?まずは家族優先っつーのは当然だよね。まぁそれも家によるけどね。親はいつでも死んでいいぐらいに思ってる人ならそんな優先順位は関係無くなるんだろうけど。でも仮にさ、家族も大変だけど、仮にここに100万あって家にあれば家族はやっていけるし、家族は助かるけど、でも親戚の人が難病にかかっていて、凄いお金がいるってことがあったとしてさ、んでその家族がその親戚のことを凄く思っていたりしたらその100万円はその親戚の治療費に充てるかもしれないよね。


でも仮にその100万が無ければホームレスになってしまうとかだったらそりゃー家族は親戚にお金を渡せないよね。背に腹は変えられないってやつだ。まぁでもこのサンデル講義だと「個々の状況による」っつー答えは無いのかな。あくまで抽象化した中で考えて答えを出したり議論するってことなんだろうからね。でもその肝心の議論がつまりはディティールの部分に答えが依存してしまっているって意味でそもそも議論が成り立たないっていうことは大いにある気がするよね。


あとはもしかしたらサンデルの質問とか話ってサンデル寄りの政治思想に何となく導かせるようにしてるのかもしれないからさ、一見普遍的な哲学とか倫理とか正義の問いとか議論とか講義に見えて実はイデオロギーだらけかもしれないけどね。まぁでもそれは洗脳というほど強いものでもないし、あくまで考えるということをprovokeさせるような感じだから、仮に思想的な偏りがあったとしても全然いいし、まぁそもそも思想的な偏りが無いなんてことはありえないからまぁそれはいいんだけどね。


あとはまぁ謝罪なんだけどさ、仮に前の世代っつーか俺の前の世代の人が他の人に対して殺しやら何やら悪いことをしたとするじゃん?で、俺はその子孫に謝り続けてると。んでもその子孫ってのがタチ悪くてさ、なんか集ってきたりしたらそりゃーアウトだよね。毎年、前の世代の被害者の命日には慰謝料的なもんをよこせとかさ、そんなのがあったらダメだよね。それを政治でやったらもっとダメだよね。外交カードとして「謝罪しろ」とかさ「前の世代のことはどうなるんだ?」なんて言われ続けたらやることもやれなくなっちゃうからね。そりゃ親が殺人者の場合も然り。


自分は人殺しではないどころか、すげー良い市民なのに親が人殺しということでその責任を負って一生生き続けなきゃいけないのか?ってそんなことないよね。「関係ねぇー」みたいなことは言えないけど、ただそれによって行動が制限されたりさ、謝罪ということによって凄い負担が子供やその子孫にあるっつーのはおかしいよね。それはあってはいけないだろうっていう。まぁ変な話、大昔にまでさかのぼれば殺人者なんていただろうからね。いや、武士とかそういう時代の話をしてるんだけど。それってさっきのローマ人と同じ話だよね。


まぁいいや。そんなところで。で、サンデル先生がさ、日本人は議論を好かないと友人が言っていたけどそれは間違いであったようだみたいなことを言ってたけど、それはつまりは最初の英語の話なんだよね。わざわざサンデルの講義を見に来るっつーのはawarenessが高いわけでさ、そういう高い人達が日本人をレペゼンするわけじゃないよねってまぁそんなところを突いてもしょうがないんだけど、つまりはまぁ普通の日本の学生もあのぐらいみんな意見が言えたり論を立てたりすることができればいいのになぁーってことだよね。まぁ加えて言うなら英語力然り。まぁ別に学生に限らずなんだけども。あとはまぁああやって論を立てて大勢の前で発言するって連中が帰国子女とかじゃしょうがないんだよな。アメリカンマインドを持った日本人が発言してもしょうがない。むしろ日本人らしい日本人が英語でああいう場で発言できたらいいなぁーって思うんだよね。俺の印象だと英語で喋ってた連中の半分以上は帰国子女とかアメリカ歴が長そうなやつらが多いなってことであんま典型的な日本の学生としてはカウントできないなぁって思ったんだよね。結局、それってようはアメリカ人が発言してるようなもんだからね。見てる側もまぁ異人が喋ってる感じにしか見えないよね。かといって別に英語力があるやつが出しゃばるなとは言わないんだけどさ、まぁ言いたいことは分かるでしょ?なんとなく。


ってことで今日はこの辺で。



エントリーと関係無いけど良いエッセイ集なので。