存在しないものについてはいかなる命題も成り立つ。

mimisemi2010-10-22

小室直樹が亡くなったのは二週間前ぐらいに知ったんだけど全然言及してなかったな。まぁ碩学 The Giantみたいな人なんだよね。俺もあんな風になりたいなぁーとか思いつつ、まぁ俺のロールモデルの一人である小室先生の「数学を使わない数学の講義」を読んだんだけどっつーかなんで今まで読まなかったんだか。


「数学嫌い」のほうがより数学的で今回読んだやつは数学の論理という感じなんだけど本文中で計算っていう操作「オペレーション」と数学の「論理」は全く別ものだと言っていて、なんつーかまぁこれだよね。ようは俺が書いたこととか思っていたこととかをこれだけの碩学の人が言っていると「やっぱ俺あってたな」みたいなさ、自力でこういう人が考えていることと同じ結論に本を読む前から至ることができていたってまぁすげー嬉しいわけよ。自己満足的ではあるけども。


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20101017


まぁ俺が数学について何を言おうと説得力が無いかもしれないけど、小室直樹の言うことなら説得力があるだろう。そうなんですね。なのでまぁこないだのエントリーは正論が多かったんだねやっぱってことで。まぁ別にジャイアントっつー権威を借りなくてもいいんだけど、ただまぁようは俺みたいな根無し草みたいなやつが言っていることを信じるやつなんかいるか?とかさ、まぁ俺のブランド力の無さだよね。それが説得力にイマイチ繋がらないのかなって気はするよね。


本田透が書いてたことと一緒だよな。本田透は自分のことをキモメンとか言ってるけど、俺はそんなこと無いと思うんだけど、まぁ本田透曰く、俺みたいなキモメンがプラトンやらニーチェと同じことを言っても「キモイ」って言われるだけなんだけど「ニーチェが言っていたことなんだ」とかって言うと「へぇーそうなんだぁー」になるっていうこの哀しさだよね。まぁ俺は本田透に説得力が無いとは思わんのだが。


それはともかくさ、まぁこの本は本当に面白かったね。あまりに白熱し過ぎて一瞬で読んでしまった。小室直樹の本は読みやすさとかユーモアとか分かりやすさのおかげで凄い進むんだよね。もうマンガを読むような感じでペラペラ読めるのが凄い。内容はそこまで簡単なことばかりではないんだけどそこをかみ砕いて説明しているので分かりやすいっていうまぁ凄いwriting skillだよなぁーっていつも関心してしまうんだが。


ところで「存在しないものについてはいかなる命題も成り立つ」っていう話の面白い例え話みたいなのが最初のほうに書いてあるけどさ、まぁ数学的にそうらしいんだけど、つまりはなんつーかプラトニズムってまさしくこれだよね。それが存在論的であれ認識論的であれ神話的であれ、恐らくまぁイデア論ってトンデモ論じゃん?今で言えばね。「そんなバカな」みたいな。なのでまぁ常識的なことから言えば「そんなものあるわけない」ってことでイデアなんて代物は無いということになるっつーかオントロジー的に存在するわけが無いということになるんだけど、そこからプラトニズムが始まるんだよね。つまりは「存在しないもの」という前提から「イデアはある」とか「数学的実在はある」って言えるってことだよねっつーのがつまりは「存在しないものについてはいかなる命題も成り立つ」ってことなんだけど。


いや、まぁ実際、数学を知覚したりする人っていると思うけど、でも存在論的に言えば存在というのは全ての人に知覚されないと存在とは言えないわけで、そんな人によって変わるものはそもそも存在なんて言えないわけだ。んでも人によっては見えたり感じたりするし、あとはイデア論を信じてる人もいたりするわけだけど、こういったイデア論を数学的矛盾やオントロジカルな矛盾によって批判するのはお門違いなのがつまりは「そもそも存在しない」という前提から始まっている議論なので、「存在しないもの」に対する諸命題がつまりはプラトニズムなんだよね。


まぁなんつーか霊感とかと同じだわな。俺は小さい頃に心霊体験らしきものは経験したことはあるけど、んでも今は全然無いけど、んでもテレビとかじゃなくて家族の知り合いとか友人っつーメディアを通さない形で色々聞いたりすると「やっぱいるんだろうなぁ」って思うんだよね。んでも俺にとってはそれは知覚できないんで存在しないものなんだけど、んでも「俺の知覚」みたいな有限の権化みたいなものによって知覚されないものがんじゃあ存在しないことになるのか?っていうとそんなことはないよね。オントロジー的に言えばいないんだけど、んでもその「存在しないだろう」という前提から「存在する」って言えるみたいなことなんだよね。


だからあくまで仮説なんだけど、でも数学をリアルに感じる人も霊をリアルに感じる人もいるわけで、そういう人にとっては「ある」ものなんで、つまりは「ない」という前提から「ある」って言えるわけね。対偶と命題みたいな細かいロジックの話があるんだけど、今の俺には説明できないんで下手な説明はやめとくね。まぁ結局、こうなると神の存在とかもなんでも言えちゃうよね。ただ「数学を使わない数学の講義」の中でネッシーだかまぁなんでもいいんだけどさ、全称命題って例えば「ネッシーはいない」ってことなんだけどこれを証明するのは大変だって書いてあったけど、これって前に俺が霊の話で書いたことだけど、やっぱ特に霊とかの場合さ、いるいないをもっとなんつーか科学的に検証できないもんかね?って思うんだよね。それこそYou Tubeとかに心霊動画なんていくらでも上がってるんだから検証すればいいのにって思っちゃう。


いや、すげー否定する人達いるじゃん?いや、否定はいいんだけどさ、んでも「呪いなんてあるわけないですよ」とかさ、「霊魂なんてのがあったらその辺霊魂だらけじゃないですか」みたいなTVタックル的なことをやってても神学論争みたいなもんで決着がつかないわけでさ、まずはなんつーか「霊はいない」って言えるようなエビデンスを用意したほうがいいと思うんだよね。まぁこれがつまりは「霊はいない」という全称命題を証明するってことなんだけどまぁ大変だよね。悪魔の証明とか言われてるらしいけど、まぁつまりはすげー難しいってことなんだけどね。んでもなんかやっぱ完全にいないって証明できなかったら何も言えないよね。やっぱ。


証明抜きとかであーだこーだ言ってても決着つかないからね。だからまぁ否定したい人達こそリサーチするべきなんじゃないかと思うんだけどねぇ。で、それがありえないぐらい大変だってことで、つまりはまぁ何も言えないんだよね。「私見たんです!」って言った側の意見とさ、「そんなの噓です」とか「なんかの見間違えです」とかさ「霊なんていません」っていう側って難しいっつーか大変なのって存在を否定する側だよね。本当に。それって全称否定命題なわけで、いないのを証明するってことが大変なんだからさ、だから証拠も無しに「そんなのいないんです」って言うのはおかしいよね。まぁ大半の人には見えてないから社会問題にはならないから別にいいんだけどさ、ただまぁ否定っつーか「霊はいません」っていうことがいかに面倒で大変な作業を要するかっては本当にあるよね。でもいないと言い切るならやはりエビデンスが必要でしょう。でもそれを用意するのは難しいんだよね。だからまぁいるいない論争をするよりかは科学的なリサーチとかやったほうがよっぽどいいんだよね。いや、是非やってほしいね。本当に。


なんか意味分からなくなってきたけど今日はこの辺で。




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