2ちゃんの不謹慎な書き込みについて。

3年前のエキスポランドのジェットコースター事件をいきなり思い出してネットで調べたらさ、2ちゃんに結構スレッドがあってっつーかまぁ2ちゃんで引っかからないものなんてないだろうってぐらい2ちゃんはトピックが多用だけどさ、まぁでも2ちゃんって2ちゃんだからこそっつーか匿名だからこそ流れるマジ情報とかもあったりなかったりしてさ、2ちゃんってだけで俺は差別してないだろうか?って結構反省することもあるんだけどさ、いや、頭ごなしに批判はできないじゃん?あと色んなセクターがあってよく分からんけどニュー速住民とかvip住民とか色々あるみたいでまぁレベルは違うみたいだけど、まぁでもなんつーかエキスポランドのジェットコースター事件に関するやつっつーかまぁリンクとかは貼らないけど本当に唖然としたね。あいつがデブだったから脱線したんだろみたいな、人の死っつーか悲劇をネタにするような書き込みがすげーあってさ、もう呆然としちゃったよね。


色々経験したりまぁリアリティ系の映画とかみたりグロ動画とかも見てリアリティには割と耐性があるっつーかまぁ情報っていうレベルではあるって自負してた俺でも凄まじいダメージだったな。まぁレベルの低い人間なんだろうけどでもあんな書き込みをする人間が少なからずいるってことにまぁビックリしたんだよね。まぁそれでもレベルがあるじゃん?ちょっと不謹慎だけど笑えるぐらいのレベルならまぁあるだろうなって気がするけどヒューマニズムが崩壊するようなレベルのやつって愕然とするね。もう本当に人間とか社会とか政治みたいなものへの希望みたいなのを一掃してくれるようなリアリズムだよね。法的に分からんけど社会は言論の自由って意味なのかは分からないけど、ああいう書き込みというよりかは考えもまぁ人の考えの自由だからってことで認めないといけないんだもんね。


でもあれってスピノザが言う言論の自由っつーかようは頭の中に何が浮かんでようとそいつの自由って意味での思考の自由だよね。あれは。それを匿名だから書けるようになってるんだけど、そこが2ちゃんの醍醐味っつーか、だからああいう書き込みをしている人でも別にリアル社会ではちゃんと振る舞ってたりするわけでさ、だからいいじゃん!的な意見とかがあったけど、まぁそれは一理あるどころか言えてるよなって悲しいながらも思っちゃったよね。いけない!ダメだ!なんて言える道理がどこにあるのか?っていう。他の国にああいうものがあるのか分からないけど、別にあれは日本の民度の低さを表すものじゃなくて、所謂、一般人の心の闇的なところで、まぁ大雑把な言い方をしてしまえば誰もがもしかしたら持ってるかもしれないっつー感覚をポリティカル・コレクトネスとかを気にしなくていいああいう場でぶちまけられるみたいなさ、そういう場なんだっていう、まぁそれでも2ちゃんのレベルの下がりっぷりって半端じゃないけどね。


俺が存在を知ったのって2000年前後だったと思うけどあそこまで酷いのって無かった気がするね。あとたまに学問系でもすんげーまともなやりとりが続いてるスレッドとかがあったりして、でもそういうのって大抵昔のやつなんだよね。シュトラウススレとかもあったりして。まぁそれはジャンルによるのか。色んなスレッドがあるからね。でもまぁなんか凄い劣化っつーかやる人間が変わったんだろうなってぐらいの変わりっぷりだなって思ったね。


かといっていつも書くようにああいうものでも面白いカルチャーもあるから頭ごなしに批判はできないんだよね。まとめサイトとか面白かったりするじゃん?「ドラクエの王様気違いだよな」みたいなのとかかなり笑えるっつーかそういう意味だとまとめサイトは笑えるネタに関しては俺はかなり見てるかもしれないな。感覚的にやっぱダメっつーかさ、俺ってオタクっぽいけどオタクカルチャーはやっぱダメなんだよね。そういう意味でアキバカルチャーとかもダメだし、ネットカルチャーもダメ。んでも生理的に受け付けないようなものでも面白いものとか良いのってあるじゃん?それなりに。そういうのも一緒くたにして批判したりさ、そういうのも知らないでやたら萌え系だってことで批判したりさ、キモいって言ってみたりさ、それってフィルターだよね。どんどん俺の中に俺っつー主観が作るフィルターが作られちゃってさ、ようはアクセプタンスの容量っつーのがすげー減るじゃん?


最近だと佐々木中なんかもまず生理的に受け付けないっつーか「うわー・・・」ってなるんだよね。俺の中で。経歴とかみても典型的な秀才タイプだし、まず受け入れられない感じなんだけど、だからこそそういう「うわー」って思うやつにこそ気をつけて受け入れていかなきゃいけないなって思うわけね。そういうフィルターを無くして佐々木中の本を買うかはともかくとして書店でチェックしてみるとかさ、それで内容が仮にまぁ俺的に魅力的だって思えるなら買うべきじゃん?「うわー」のフィルターで拒絶するなんて勿体ないからね。取捨選択は必要だけど、先入観とかでまずもう捨てるってのは良くないってことだよね。ハリウッド超大作だから見ないとかさ、J-POPだから聞かないとか、これも過剰なフィルターだよね。


そういうジャンルに入るものでも良いやつもあるわけでさ、それをなんつーかアプリオリな感覚っつーとあれだけど、ようは自分の主観によってアプリオリになっちゃってる感覚ってのをなるべくゼロにするっつー受容性だよね。俺はギターは大嫌いだったしロックも嫌いだったけど、今はフィルターが外れて割とそうでもなくなってきたしっつーかギターに関しては好きになったしさ、いや、若いときほどフィルターとか、あとは「これだ!」っつーのめり込み感が酷くてあと他は否定!みたいなさ、馬鹿なマルクス主義者と同じような思考法するじゃん?それだと失うものは膨大だよね。まぁ俺が言いたいのは食わず嫌いは良くないっていうまぁシンプルなことなんだけどね。


んでも記憶とかってまぁ蓄積してくるじゃん?過去に嫌いだったという経験っつーか記憶が今も残っているから今も嫌いと感じるみたいなさ、でもそれって「ちょっと待てよ」って思えば違ったりするかもしれないじゃん?あとは自分が変わってるかもしれないよね。まぁ成長しない人はずーっとそのままなんだろうけど、俺はすげー変わったと思うね。で、それは成長だって言えるよね。あとはまぁ色々と受け入れてきたおかげで自分の中に飽和状態みたいなのが生まれてなくもないからさ、いや、だからこそ何にせよ「いいもの」に対する価値観が変わったんだよね。いや、なんにしても本当にいいものって少ないんだよね。いいものが多かったらまぁ幸せだわな。まぁでも俺ぐらいの消費というかまぁこれだけ時間があるとさ、いいものもまぁ見たり聞いたりし尽くしちゃうんだよね。古今東西。だからこそいいもの探しをしたいっつーかまぁいいものに対して敬意を払うわけだよね。


「いい」ってだけですげー価値があるわけだよ。だからその「いい」もの探しをするためにも食わず嫌いはしないっていうか、まぁ人生色々あったほうが面白いからだからまぁ受け入れるっつーかさ、自分の感受性をオープンにするっつーか無駄な好き嫌いとかで判断しないみたいなことだよね。まぁそれでも俺は物理的なことには我慢ならないことがあってやっぱ人が多いとかってダメなんだけど、まぁそれはもうしょうがないよね。好き嫌いというよりかはもう味みたいなレベルじゃん?ゴムの味がするとウエッ!ってなるとんねるずのノリさんみたいなレベルでダメなもんは無理だよね。


でもこういう生理的なレベルの嫌な感じと映画とか文章とか音楽とかって違うよね。ゴムの味は一生ダメだろうけど苦手だったオペラは好きになるかもしれないじゃん?なんつーか俺が言いたいのは生理的なものと感性的なものは違うってことだね。まぁそれでも生理的なレベルでダメ!っていう音楽とか映画もあるかもしれないけど、まぁそれは本当にダメなんだろうね。まぁ俺で言えばやっぱ特にJ-POPとかは無理なんだけど。


んでまぁ話を戻すとさ、言論の自由だけどさ、いや、その不謹慎な2ちゃんねるの書き込みだけどさ、つまりは過剰に私的な感じだよね。あれって。すげー親しい仲にですらやっぱ公共感ってあるじゃん?まぁさすがにここまでは言わないとかさ、ちょっとは思ってるけど言わないってことはまぁ関係を保つ上でもっていうか、そんなに問題にならないレベルなら言わないでいるじゃん?そういうのを全部言う感じだよね。2ちゃんって。まぁ全てがそうじゃないんだけど、エキスポランドのやつは最たるもんだなって思ったね。2ちゃんってやってるやつがダメニートみたいな属性があって非人間みたいな外道がやるものっていうイメージがあるからこそそこでは放言できるみたいなさ、そもそも人間と看做されないコミュニケーションっつーよりかは意志の顕在化じゃん?


なんつーかフロイトで言うところのイドのレベルだよね。自我と超自我が存在しない衝動そのままみたいな。んでもそれって俺がさっき書いたようにそれって誰でもあるじゃん?俺は不謹慎ネタで笑うようなセンスは持ち合わせてないけどさ、でも完全に無いっていうほど聖人でもないよね。いや、俺は聖人サイドから「不謹慎な!」なんて言うつもりはなくて、一般的なレベルで言ってるつもりなんだけどね、それでもまぁナイーヴ過ぎるんだろうな。結局。聖人の理論みたいになっちゃうのかな。いや、それは俺が聖人ってことじゃなくて俺が他人に求めている基準が高過ぎるって意味での聖人理論ね。


いや、分からないよねぇー。人って。善良そうに見えて障害者差別してるとか普通にあるもんね。でもその人としてはパブリックな場ではそういう発言も振る舞いもしてないからいいだろみたいなところはあってさ、その人が発言していない思考に規制なんてかけられないじゃん?んでも逆にポリティカル・コレクトネスが支配し過ぎていて本音を言えないみたいなムードになり過ぎるのもアレだしさ、そんな中で2ちゃんって結構重要な存在っつーか俺的にはあれは2ちゃんレベルみたいな言い方で済ませられるものなのか?ってのはすげーあったよね。もうそれこそ人間の嫌らしいところとかみっともないところとかダメなところが全部出てるじゃん?それって実は普段人々が超自我的なもので押さえつけているイド的なものかもしれないわけでさ、そのイドを噴出させることに快楽を覚える人なら別にニートじゃなくたって善良そうに見える普通の人だって2ちゃんですげー酷いこととか書いてないこともないよね。


んまぁでもウォール伝も同じようなもんだもんな。書きたい事を書きまくってるって意味で同じだわ。で、衆愚観とかをあえて強調するのもっつーかまぁ強調してるつもりはないけど、まぁ強く感じることとしてまぁ素朴に書くわけだよね。で、そんなのオルテガの時代ぐらいに散々出尽くした議論だって分かってたりしてもやっぱり思っちゃうからしょうがないみたいな。だから書くんだよね。で、俺の場合、その書く事で形成される考え方とかもかなりあってさっつーかまぁ俺はこうやってガーッ!っと書く事で考えてるってところもあるよね。リアルタイムに考えてまぁその考えのプロセスを書いちゃうみたいな。だからまぁ永遠な感じの独白なんだよね。悪く言うとまとまった感じのが書けない。それこそちゃんと書けば良さそうなエントリーになったりするやつとかもあるけどさ、んでもまぁそれはやらないっつーよりかはできないしね、あとはまぁやらないもなにも「良さそうなエントリー」って思える頃にはもう書いてるからあえて直す必要もないってのもあるんだけどね。


思ったことの噴出という意味での規制をするならウォール伝もアウトになるよね。自分で言うのもなんだけどまぁ書いていることのレベルはさすがに違うけど、でもまぁ思った事の噴出という意味では同じなんだからさ、だからまぁ俺はポリティカル・コレクトネスとか気にしないで書いてるわけじゃん?っつーか気にしないから書けるんだよね。2ちゃんの不謹慎ネタ然り。ああいうのがあるから生きていけるって人がいたらそのためにその噴出の場を閉ざしちゃいけないんだよね。ヒューマニティの終わりだ・・・と感じつつもでもまぁ認めなきゃいけないんだよね。


ああいうのを認めないとそれこそ政治って始まらないからね。そっからの政治とか社会でしょうっていう。まぁだから余計に俺は民に期待できないなって思うんだけど。2ちゃん系の思考する人が6割にならないという保証はないからだから民主主義はヤヴァイよね。2ちゃんぐらいの民度で政治が行われたらそれこそ程度の低いナチスみたいなのが出来上がるだろうな。それも民主的にそうなっているからという意味で別に独裁ではないっていう。ファシズム的な民主国家ってことになるよね。障害者とかメンヘラーは税金食いだからみんな処刑でしょ。恐らく。ああいうロジックだと。そういう書き込みも見かけるしね。ってことでまぁ俺も処刑になるんだろうな。韓国人とか中国人に対する差別とかも凄いから国内にいる人達はみんな排除になるんだろうなぁ。合法的にね。


まぁ2ちゃんを出して衆愚を語るなんてくだらないんだけど、そこが肝だよね。「所詮2ちゃんだろ?」って言えますか?ってことだよね。俺は少なくともあそこまで気にしない感じの無法地帯的な書き込みを見てそうじゃないなーって思ったよね。あれはもう悪意というよりかは思った事をそのまま書いてるだけだなっていうまぁ俺のウォール伝とある意味で同じだなって思ったわけね。思った事をそのまま書いていいなら何でも書くって人はいるだろうっつーか「そんな書き込みはしない」ということを公的なパフォーマティブな振る舞いとしてやってないと誰が言えるのか?ってことじゃん?


2ちゃんってのが低能のシンボルだから「俺はそんな人間じゃないから」みたいな理由で書き込んでない人だっていないわけじゃないじゃん?全くそういうパフォーマティヴな振る舞いとか言動が必要ないところだったら普段ちゃんとしてる人だって憂さ晴らしみたいな感じで書く事だってあるかもしれないよねってことだよね。それってストリップ劇場みたいなところは低俗だから行かないってパフォーマティブな意味とか公的な意味で行ってないってだけで、そんなの関係無い!ってことになったら性欲だけが残って行くって人いると思うんだよね。まぁストリップっつーか風俗全般ね。そもそもほとんどの人がAVとか見て抜いてる時点でそれは無いとは言えないよね。


「私、これで抜いてます」って公の場では言わないっつーのは「言わない」というパフォーマティブな行為じゃん?下ねた大好きだけど言わないとかってのもまぁアイドルのキャラ作りっつーか下ねたに対してトボけるみたいなのと同じレベルじゃん?そういう作ってるっつーレベルだよね。で、そのアイドルのキャラ作りしてる女が実は阿婆擦れだったとしてもそれはそいつの自由だからそいつが阿婆擦れであるということを規制できないじゃん?これと同じ事が2ちゃんにも言えるよね。ヤリマンの自由的なズボズボな自由をあそこに感じたね。本来そもそもああいうカオスを求めてる人だって少なくないだろうって思ったわけで。


まぁ2ちゃんってアイコン的な意味もあるから「2ちゃんやってます」みたいに有名人が言うこともあるよね。あれはまぁ違った意味でのパフォーマティブなことだよね。まぁただ本当のことを言っただけかもしれないけど。なんつーか乱交の自由ってあるよね。多分。乱交中出しもののAVっつーか洋物の裏ものっつーか自分で撮りましたみたいなやつは俺は大好きでさ、あのインモラルさってたまらないじゃん?あえてno birth controlとかって書いてあるのとかやけに興奮するのはイドそのままだからだよね。そのたまらないインモラルさって性的なものでは顕著だと思うからだからまぁ痴漢とかレイプモノのAVとかあるんだろうけど、んでも2ちゃんもAVみたいなもんだよなーっていう。


別に普段女をレイプしてるわけじゃないんだからレイプモノで抜こうが俺の勝手だろ!って言われたらそうだもんね。そこまで規制できないじゃん?2ちゃんで具体的な女の名前挙げて「あいつをレイプしてやる!」なんて言ったら多分捕まるだろうからやらないだろうけど、なんつーかでも捕まらない範囲で自分の身を守りながらいかに平気に酷い事を言うかみたいなところはあるよね。なんつーかそのインモラルさってすげーAVに近いと思うな。AVはパッケージ化されてるからあれか。まぁようは流出ものだよねっつーかyou pornとかに出てくるやつね。


アイズワイドシャットの2ちゃん版とかホステルの2ちゃん版とかあっていいと思うねっつーかリアルな恐怖として2ちゃんはあるなっていう。すげー地位の高い人がそういう人が集まる乱交パーティーに匿名で参加してるとかさ、まぁこれは本当にあるだろうからあれだろうけど、まぁホステルにしてもフィクションにしてもさ、ある程度の金持ちみたいな設定じゃん?客が。そういう客が金を武器に人を拷問するっていうエンターテイメントがあるみたいなさ、あれって低俗な人間が集まってやってるんじゃなくて社会的地位が高そうだったり金持ちっぽい人がやってるから怖いわけじゃん?アメリカ映画って多いよね。会員制のスナッフみたいなモチーフのやつ。


2ちゃんの場合リアルスナッフだよなぁ。「え!あの人があんな書き込みを!」って絶対バレないからこそ書いてる人がいないわけでもないわけじゃん?それが怖いなぁーと思って。それが言いたかったわけね。2ちゃんレベルだからそういう人しか書き込んでないだろうっていうとそんなことはないだろうって思うわけで。そういう人の「フリ」をして書き込んでる人って絶対いると思うんだよね。でもそれを言ったところで「だからどうした?」だもんね。まぁその通りなんですけど。規制したところでそう思う人の数は減らせないし変わらないじゃん?だから規制したところでしょうがないんだよね。ただそういうのが噴出してる場を垣間みると普通のグロ画像とかよりよっぽどヘビーですねって思うわけですよね。


まぁそんな感じですかね。今日は。まぁ一言で言うなら2ちゃんを批判してもしょうがないってことだよねっていうかまぁ今日の解釈で言えばあれは人間のイドの集合体みたいなもんだってことだよねってユングフロイトを混ぜたような理論だけどもって前に似たようなことを書いたかもね。そいつが悪い!って書き込んだ人を批判できないんだよね。だってその人は普段は別に真面目なサラリーマンだったりするわけじゃん?で、オフの時に何やろうがその人の勝手だもんね。そういう意味で公の振る舞いとプライベートな振る舞いって当然混同できないよねっつーか混同して判断できないよね。プライベートではクソだけど社会人としては立派みたいな人っているわけじゃん?俺は逆だと思うんだけどね。社会人としてはクソだけどプライベートだと立派な人だと思うんだよね。で、日本的な人間の判断ってやたらその「社会人として」のところにウェイトが行き過ぎてるっていう。だから俺とかもまぁ無職でパラサイトってだけでクズになるわけだよね。まぁそれよりも由々しきことはプライベートでのクズさだよね。それって直接民度ってことになるから逆に公の部分なんて全然どうでもいいことだよね。みんな仮面をかぶって利己的な経済活動をしているだけなんだから何の基準にもならないじゃん?


まぁそんな感じで。


今日のオススメ書籍。



あっちのブックオフかなんかで買ったまま放置プレーになってたんだけどっつーか途中まで読んで長いし難しいからやめててさ、んで最近のまぁ読んでない本を読破しようキャンペーンの一環で読んでいる本なんだけどクオリティ高いね。これ。いや、逆に今だから読めるようになったのかなって思ったんだけどね。結構仏教の本とか現象学の本とかも読んだからね。いや、なんかさ、もうこんだけ凄い本あると哲学ってやることないよね。まぁ自分で哲学するなら別だけど、哲学研究的なもんってもう極まってるんだなぁーって改めて感じたよね。いや、これは本当になんつーか衝撃的なぐらい良いっつーか、新しく買ったわけじゃないからこそその驚きがデカいっつーかさ、こんなすげーのがずーっと手元にあったのか!みたいな衝撃もあるよね。