怠ける権利について。


いやー同じようなことを考えてる人って過去にいるもんだなって改めて思ったっつーか労働=美徳と考えることへの批判ってここで結構長くやってきたと思うんだけど、同じようなことがこの本に書いてあって笑えたね。マルクスの娘婿らしいんだけど、基本的になんつーか日本教ってのを労働=美徳みたいに考えるエートスって考えると、この本にある資本教とかさ、つまりはなんつーか資本が神で労働が神に対する祈りみたいな感じっつーのかな?まぁやたら何の意味も無く祈ったりするじゃん?宗教って。その「神」とか「祈り」の部分が「資本」とか「労働」に置き換わってるみたいな感じだよね。


別に売春だろうが工場での労働だろうが労働は労働で金は金だもんね。この観点から言うとっつーか俺もそう思うけど別に格別に風俗嬢とかキャバ嬢とか批判できないよね。別に現状のシステムの中でやたら時給が高いってことで合理的にそれをやってるってことなだけであって、労働力を売っているという意味で同じだもんね。そもそも労働のコンテンツに何かを見出すってのがそもそもおかしいっつーかさ、まぁ何かを見出せるようなことをやってる人ならいいけどさ、見出せない人のほうが多いよね。多分。


キャバ嬢とか水商売に不快なものを感じるのは労働を美しいものだと考えているからだよね。利己的な経済活動として考えれば合法的に金が得られるんだったら何でもいいわけじゃん?かといってグレーゾーンの詐欺紛いのことをやれとは言わないんだけどさ、でもまぁ合法的な詐欺なんていっぱいあるじゃん?それこそ銀行なんて胡散臭い合法的な詐欺の元凶みたいなもんじゃん?そういうシステムの中で金が動いてるんだから、金を利己的に稼ぐ主体を批判してもしょうがないってことだよね。だったらシステム批判にならなきゃ。なんでこんな人のためになる仕事をしていて給料が低くてキャバ嬢はあんなにもらえるんだ?ってそれがシステムだからだよね。そういう意味で凄まじく相対的な世界だから倫理もへったくれもないわけだよね。ある意味で究極的なズボズボの悪い意味での相対主義と言えるよね。だからこそそこに美徳も何もないじゃん?っていうさ、そんなの主観的なもんでしょ?ってことになるわけだ。


まぁ俺はもっとフェアな社会がいいといつも書いてるけどそうじゃない中でそのアンフェアさに異議を申し立てずに労働に美徳を感じてるとかってのがアホの極みだから是非やめてくれって思うんだけどね。あ、んでこの本は別にみんなニートになれ!って言ってるわけじゃなくて、労働なんて一日3時間ぐらいでいいだろっていうさ、マルクスとは仲違いをしていたらしいけど、俺には根本的には一緒に聞こえるっつーのがようはマルクスも労働は尊いとはしながらも共産主義社会では朝には狩りができて昼には魚を云々・・・っつー比喩が出てくるじゃん?つまりは過剰な労働のために人間の活動への疎外が起こらないのが共産主義社会だみたいなことを言ってるわけだよね。マルクスは。まぁワークシェアリングでもしながらゆっくり生きなさいってことだね。まぁそれが共産主義社会で可能になるかは別として、まぁ別に言いたいことは同じなんじゃないの?っていう。いや、同じってのは言い過ぎだな。ただまぁあれだよね、必要性によってのみ強いられる労働からの解放を求めていたという意味では両者は一緒だよね。


で、なんか訳者の後書きだったかにデュシャンとかが言及されててさ、怠惰が芸術の元になるみたいなことを言っていたらしいけどっつーかつまりはそれって怠惰なのではなくてleisureだよね。余暇だね。余暇でゆっくりしながら何か考えたり本を読んだりまぁまったりしながらっつーそういう生活がインスピレーションの元になるってことで、それはJosef Pieperとかも書いてたようなleisureってことだよね。これに関してはシュトラウスも全く同じことを言っていて、だからまぁつまりはアレントっぽく言えば人間らしい活動とか仕事ってのがまぁようは人間らしさっつーかさ、それは必要性から迫られる労働ではなくて、leisureから来る哲学的思索とか哲学的随筆とかまぁ創作活動全般なんでもいいんだけど、これがまぁようは活動と仕事ってことだよね。


世間的に言う仕事って労働じゃん?お仕事は何をされてるんですか?って床屋とかでもこっちで聞かれたりしてさ、んで無職ですみたいなことを言うとやたら「就職しないんですか?」みたいに言われたりするんだけど大きなお世話だよなぁー。なんでゴールが就職なんだか。2年ぐらいすると辞める人が多いっつーけど、これってようは就職をゴールとしちゃうからさ、その後の仕事ってのがロクでもない雑用だったりロクでもない人間がしてくるパワハラとかに耐えられなくて辞めたりするわけでしょ?あとはまったくその仕事いうよりかは労働に価値を見出せないっつーかまぁそれはまさしくこのマルクスの娘婿が書いてるようなそれ自体では何にも意味が無いってことだよね。いや、いつも書くようにそれは利己的な経済活動なんであって、それ以上でもそれ以下でもないじゃん?


俺の読書も意味無いかもしれないけど、かといって労働してないからっつって俺のことを責められないよね。世間的には責められるらしいけど、俺の読書が社会的には意味が無いのと同じっつーのは労働なんてのも意味ないからね。生活費を稼いでるだけじゃん?税金払ってるとかっていうアレがあるけど、そんなのただの言い訳でしょ。自分の立場を正当化する言い訳だよね。そんなこと言ったら俺は売れなさそうな学術書を買ってたりするわけでさ、まぁいいかこれは。いやさ、俺がこのままどうなるか分からないけど、でもそれって俺の責任じゃん?昔のうちの状況だったらいや、はっきり言うけどまぁなんとかなってたよ。親父の給料が凄かったからね。でも今はそうじゃないわけでこのままいったらまぁダメだよね。別に一家がダメになるってことじゃなくて、俺が経済的に自立しないと将来はまぁダメになるよねっていうことですよね。だからすんげー危機感があるんだよねって家族もそんな風に俺を見てないだろうけど、だからこそなんつーかやれるときに学問はやっておきたいんだよね。今はまだやってていいみたいだから、だからまぁやらせてもらってるわけだよね。


いやさ、俺は俺の読書は意味が無いとは思ってないけど、社会的には意味ないってことになるじゃん?でもそれはさ、働いてるってだけで労働が意味のあることなのか?っつったらそれは俺の読書と変わらないぐらい社会的には意味が無いことなんだよ。いや、だからそれは必要性でやってるわけじゃん?それは自分の為にやってるわけだよね。まぁそういう意味で俺も自分のために読書をしてるんだけどさ、そんなところでまぁ別にディスってこなくたっていいじゃんね?親のすねを齧ってるかもしれないけどずーっと読書して思索してるわけでさ、これが永遠と続くわけではないにせよ、でもまぁ佐藤優の監獄状態だよね。今は。学校とかもないから本当にそんな感じだよね。余暇だらけだからそれを利用してるわけよ。まぁ生産性はあんまり高くないかもしれないけど、でもダラダラ過ごしてるわけではないからね。


ダラダラ過ごしててさ、あとはまぁバイトやったりやらなかったりでさ、でも実家が金持ちで親が死ねば遺産が入ってくるから問題ないとかさ、そういう人が親の仕送りと、親が死んだ後は遺産でやっていくみたいなそんな生き方があったっていいわけじゃん?それはその人がやっていけるわけでさ、文句を言う筋合いはないよね。それでも文句を言いたくなるのはやっぱなんかフェアじゃないって感じるからでしょ。俺はこんなに頑張ってるのにあいつは親から仕送りもらって気が向いたらバイトやって将来は親の遺産かよ!っていうさ、それって結局まぁ妬ましいってだけで、結局のところ自分の否定だよね。自分の生き方に満足してないからそういうやつに反感を覚えるわけだよ。そんなに仕事してるということを自慢してればさ「留学なんて羨ましいなぁー」とかって言わないと思うんだよね。羨ましかったらやればいいのにって思っちゃうってまぁこれは前にも書いたけどね。


まぁいいや。それにしてもさ、最近まぁ前にも書いたかもしれないけど、今まで読んでなかった本を読むキャンペーンをやってるもんでさ、それが凄まじいんだわな。量が。数学から物理学から哲学から政治哲学からニューロサイエンスやらさ、こんだけ読んでないのがあれば新しい本なんていらないだろ!って感じなんだよねってまさしくそうなんだけど。だからなんかもういくら時間があっても足りない感じなんだよね。俺ですらそうなんだよ?一日に本当に集中できる時間なんて限られてるからさ、毎日10時間読書とかって無理だけど、でもまぁ毎日本を読んでてさ。でも量が膨大で終わりそうにないんだよね。


ってことはこれにプラス雑事とかさ、労働とか加わったらほとんど無理になるよね。なんかどっかの大学教授のツイッターで見たんだけど、仕事と雑事と育児なんかで時間を取られ過ぎていて全然研究に時間が取れないみたいなことなんだけどさ、別にこの人を批判するつもりはないんだけど、基本的にやっぱ文献読むとか研究するっておぞましいぐらいの時間が必要なわけよ。だからもう俺は在野の研究者というとアレだけどさ、在野の人でいいじゃんね。それでなんであかんの?ってことじゃん?まぁ別に誰から文句を言われているわけでもないんだけどさ、床屋行ったときとかに「それじゃあ就職しかないですよねー」とかって言われるとすげー腹立つんだよね。なんなのその短絡的な人生観?って思っちゃうわけ。俺は就職すれば万事解決するような短絡的な人生は生きてないからさ、それは俺の人生だから放っておいてくれって感じだよね。あとまぁまずやっていけないというのはもう確定してるからね。


昔以上に色々と深く考える癖がついたんでまずコンビニの店員とかやってられないよな。昔ですら鬱っぽくなってたのに今やったら気が狂うだろうなって思うわけね。そういう意味で俺は経験があるからいいよね。バイトを一回もやったこと無かったら本当にちょっとかなりニート臭いけど、ある程度はやってきて、んでまぁもう俺には無理ですって言うのが明らかになってるわけだからさ、もう何か他の道を探すしかないじゃん?そもそもコンビニで働こうなんて思わないんだけどさ、でもOEとかある人間がレジとかやっちゃダメよ。それこそそれって骨が先天的に弱い人が運送業者で働くようなもんだからね。


まぁかといって収入が無いと困るから怠惰でいいじゃん!なんて言ってられないけどさ、んでもなんか俺的にはもう読書で生活が覆われてるから他の事ができない感じだよね。時間が割けない感じだよねってまぁウォール伝は書くけどね。まぁただテンポラリーかもしれないけど今は余暇があるわけだからニューヨークの頃以上に最大限にそれを活かしてる感じだよね。帰国して半年ぐらい経ったのかもしれないけどさ、帰国後の読書量って全然あっちに居た頃を凌ぐよね。学校とか雑事が無いから全部読書に注入できるじゃん?まぁギターやり過ぎてた時期もあるけどさ、でもまぁ読めた量は半端じゃなくてさ、で、しかも急いで読む感じじゃなくて時間があるからこそ熟読出来てるわけよ。これって最高だよね。まぁとりあえず3月ぐらいまでには読んでない本は全部読み切ろうかなと思ってて。あとどの道、今年は経済的に受験は無理になったからまぁまた今度って感じなんだけど、まぁこれに関しては決まったらまた書くわ。


っつーか話が逸れたっつーかいつもの癖で自分の話を永遠な感じで書いちゃったけど、本の話に戻るとさ、怠惰万歳!って言う読み方は大間違いで、必要性としての労働は3時間ぐらいでいいじゃん?っていう提案なのと、あとまぁその労働を神聖化とか美徳かするんじゃねー!っつー批判だよね。で、求めているのは怠惰なのではなくてしつこいようだが人間的活動をするための余暇の確保ってことなんだよね。それを必要性による労働によって侵害されているから、そういうのにまぁ「ノー!」って言うみたいなさ、そういう意味でニート万歳!みたいな主張ではないのね。アナーキズム系の思想でもこういう考え方って広く見られるけどダラダラして過ごすのを推奨してるってのは少なくとも俺は見た事無いな。全てにおいてそれは前提として健全な人間的活動をするための余暇の確保ってのがあると思うわけね。だからダラダラニートじゃ全然ダメなのよ。ただ寝てるだけとかまぁそれもそいつの自由だからいいんだけどさ、俺はやっぱそこに活動が無いとダメなんじゃないかなぁ?って思うね。活動が前提じゃないとそんなの人間的退廃を進めるようなデカダンスになっちゃうじゃん?それは違うんじゃない?って思うよね。


ってことでもう寝るよ。朝の8時だもの。まぁみんなが起きる時間っつーか出勤する時間だよね。