雑談ですね。今日は。

こないだ渋谷行ってきたんだけどなんかたまに外に出れば虚無感っつーか虚しさって晴れると思うじゃん?昔はそうだったなぁー。まぁ単純にレコード屋に行くのが好きだったからってだけだったんだろうけど、レコード屋にも行かなくなって、あっちで生活してたから都市の雰囲気とかにも完全に慣れてしまってなんか本当につまらないんだよね。やたら電車代だけが高くてどこも行くところもないしウキウキもしないみたいな。ニューヨークでもすんげー寒い時とかに永遠と街を歩いてたことがあったけどさ、いや、ファストファッション系のブランドの店行こうとしたら住所間違って間違った方向に行き過ぎてって俺の人生みたいだけどでもまぁそれ自体が楽しければいいんだけどね。


まぁ俺は全然自分の道は間違ってるとは思わないけどっつーかそもそも道って通ってきたから道って言えるもんなんであってさ、全ては過去形だよね。運命然り。後付けの理由でロマンチックにそれを道とか運命とかって形容できるわけだ。そんな運命を感じていたニューヨークに空虚なものを感じてたって結局まぁどこの都市でも必然だったんだろうなって今は納得してるけどね。現に渋谷行っても不感症もいいところでさ、ただ人が多いだけの何も無い街って感じだよね。あとなんかティーンエイジャー化が著しいなと。街自体が以前にも増してチャラくなってる気がするってまぁ俺が歳をとったってことか。


これってでも老いによる感受性の低下じゃなくて慣れだよね。経験によって慣れるものが多くなってつまらないこととかありがちなことが大半を占めるようになるっていう。お買いもの中毒な俺!だけど、帰国後買うのはもう全部買っちゃった感じでもう無いんだよね。買うのが。まぁ買うってこと自体に楽しみを感じていること自体がかなり現実逃避というか麻薬的なんでやめようとは思うんだけど、ただ物欲が無いって結構寂しいよね。今月はもう買えないから来月にしよう。あー来月まであの本待ちきれない!とかさ、そういうのが無いって結構寂しいよね。本とかも呆然とするぐらい読んでないやつがあるっていうか、本当に一通り揃っちゃっててさ、だからもうやることといったら読書のみだよね。これって贅沢の極みなんだろうけどさ、でも欲望することの楽しさってあるよね。ダンエレが欲しかったときとか毎日欲しいなぁー!って思ってて、なんかそれが楽しかったもんね。で、どう金を作るか?っつーんで何を売るか?みたいなのを考えるみたいな。そのリサイクリングも楽しむみたいなことだよね。


で、渋谷行ってきたのってさ、メガネ売りに行ったんだよね。中古メガネ屋が渋谷にあってさ、んで例のウォーホールのやつがありえないぐらい似合わないっつーか確かに似合わないんだよね。ああいうのって欧米系のイケメンがかけないと普通のただの冴えないおっさんみたいになっちゃうんだよね。メガネって形は凄く好きだけど似合わないってのが多くてさっつーか似合うのっつったらもう持ってるじゃん?鉄板メガネみたいなのは持ってるわけよ。でもそれだけじゃつまらないじゃん?だから飛び道具が欲しい!とかって思うんだけどさ、ロイドメガネは二つもあるからいらないなと思ってっつーかなんで2つも持ってるんだろう?と思ってさ、3年前ぐらいに買ったセリマのやつを売ったんだよね。


で、合計1万円ぐらいだったっつーか5分の1ぐらいか。両方でフレームだけで言えば5万ぐらいだからね。定価は。で、やっぱそれで買っちゃうよね。新しいやつ。いや、むしろそれを買う為に渋谷に行ったようなもんなんだよ。フレームなんて恐らくヤフオクで買ったほうが安いんだろうけどやっぱ試着できないとダメじゃん?メガネは本当にそうだよね。で、俺ってとりあえず一通り好きな形を集めたいっつーか集めたんだよね。もう。フォックス型が前から欲しくてさ、それはまぁ今回のお目当てで買ってきてまぁ差額が7千円ぐらいだったんだけど、もう一つすんげー気に入ったやつがあってさ、んでそれが似合うんだな。うん。だからそれはフォックスのやつをとりあえず買った後に店を出た後に戻って「これもいいですか?」っつって収入無いくせに2つもフレーム買っちまっただ!って感じね。普通に買っちまっただ!って書くとつまらないけど、俺の元ネタはホラー食っちまっただ!だからね。奥さんであるメイをマイクロウェーブで焼いちゃう映画ね。


まぁいいや。そこはまぁ安いよね。俺って今まで身分も弁えずにブランドフレームを定価で買ってたけど、ああいうところを利用すればいい型があればかなりお得だよね。まぁただまた金策考えなきゃいけなくて次は本だなってことでまぁ結構いらないやつとかあるから大量に売ろうかなと思っててさっつーかもう頼んであるんだけどね。段ボールが送られてきて、んでそれに詰める感じなんだけど洋書の買取もしてるから洋書と日本語ので300冊ぐらい殺処分しようかなと思って。いや、レンズいれられないから困ったもんだよね。フレームだけ買ってもね。


いや、結構いらない本あるんだよね。特にADHD系の本とか一時期すんげー読んでた時期があってさ、んでもうgeneral informationみたいなのはもう頭の中に入ってるからいらないんだよね。ADHDとcreativityみたいなやつも大体の論の展開とかって似たようなのが多いしまぁもう結構読み尽くしたっつーか決定版みたいなYaleから出てたやつだったと思うんだけどそれ一冊で十分なんだよね。あとはまぁSelf-Help系の本とかもあっちで実存的に悩んでたりしたから結構買っててさ、そういうのももういらないし、あとは哲学の入門書的なやつとか新書の類もいらないから入門系は全部売ろうかなと思ってて。まぁレベルが上がれば初歩的な本がいらなくなるのは当然だよね。むしろいるのは専門書ばかりになるじゃん?まぁそれでも全然たいした額にはならないだろうけどメガネの分ぐらいは払えると思うんだよね。あとレンズね。


ってことでメガネはもう欲しい!ってやつを全部買っちゃった感じだね。一通り型が揃ってるんだよね。スニーカー然りだが、まぁだからもういらないよね。これは我慢しないでとりあえず欲しいのは全部揃えちゃうってことの利点だよね。そこからもう買う必要性というのを感じなくなるから買うのも無くなるみたいな。まぁこれはこれで寂しいってのは事実なんだがね。いや、それにしてもウォーホールのやつの似合わなさは尋常じゃなかったな。型は大好きなんだけどみっともないってレベルで。だから全然使ってなかったんだよね。断捨離とリサイクリングって本当に良い循環だと思うんだよ。いらないものを手放してお金にしてそれで今必要なものっつーか欲しいものを買うっていう。ただ今って外に出る機会がないからメガネとか買っても全然意味ないっつっちゃー意味ないんだけどね。でもメガネの形にたまらないものを感じるって好きな人なら分かると思うんだよね。


俺ってまぁお買いもの中毒的なところはあるけど、でも「うわー!これだ!」ってのしか買わないからねっつー割に似合わないメガネとかを買ってしまうんだが、例えばダンエレとか全然後悔ないよね。分割払いになってるおかげで払えそうだけど、やっぱポイントはこれだよね。買った後もそれがちゃんと機能するものっていうかさ、使うものっていうか必要なものっていうか、あとは凄く気に入ってるものとかさ、そういうのを買う分にはいいよね。一番ダメなのが所有欲を満たすためだけの消費だよね。俺にとってレコードなんて本当にそうだったわけだ。だからモンド系は売ってないけど、んでもかなり売ったよね。もう300枚も無いかもしれん。その300枚ですらも本質的に言えばいらないんだけど、でもムード音楽とかエキゾ音楽はやっぱ持っておきたいんだよねっつーのはそれが本当に好きなレコードだからだよね。前にも書いたようにジャズ系ってやっぱなんつーかクラブ的な価値とかそういうどうでもいい感じの基準で買ってたのが多くてさ、そういうのってもう嫌だから全部売ったんだよね。


あとさ、実験音楽のCDとかも売ろうかなぁー?って思ってるんだよね。もう聞かないんだよね。はっきりいって。いや、アメリカでたまに買ってたやつが結構あって、それももういらないかなと思って。もう音楽聴くっつったら俺のミックスか阿部薫高柳昌行ぐらいだもんね。それですらも割と稀なんだよ。それですらも滅多に聞かない。なんかまた新しいミックスでも作ろうかな。前から構想があるやつがあるんだけど、これまた35みたいな感じで実験的な感じなんで音楽的な快楽が無いからどうなのかな?とか思ったりしてるんだけどっつーかもう今日は寝るわ。完全なる雑談でしたね。今日は。


今日のオススメ書籍



オススメでもないかな。英語のやつを帰国前ぐらいに買ってんで読んでないんだけど、どうもこの言語がどうのとか論理学がどうのっていう所謂分析哲学みたいなのってどうも面白みが感じられないんだよね。リテラシー程度に読んでるぐらいの感覚なんだけど、ウィトゲンシュタインとかもイマイチ好きじゃないね。まぁでもそのうち好きになるのかな?そもそも俺自体が言語ってものにそんなに重きを置いてないっつーか、言語に関しては浮遊するシニフィアン的な感じで捉えてるっつーのもあって、あんまり俺の思考法との相性が良くないんだろうなとは思うね。読んでて常に書かれていることに対して距離感を感じるんだよね。それは俺の個人的な問題でクリプキとかウィトゲンシュタインが悪いわけではないのは当然だけどね。