無職なのに時間が足りない男、耳蝉。

いや、改めてさ、「分かる」ってことが何なのか分からなくなってきて。うーん。悩むな。本当に。かなり悩んでる。最近は。何もかもが分からなくなってきた。まぁ肯定的には捉えてるけどね。無知の知っぽい意味で。でさ、まぁ読む本なんだけどまず読んでないやつが膨大にあるってのは前に書いたじゃん?で、今はもう新しいのを買わずに今は腐るほど時間があるから読んでなかったややこしいやつとか長いやつを読もうってことで色々読んでるんだけどさ、今までってやっぱりあれですよねぇ、哲学にしても本格的に興味を持ったのって渡米した一年後ぐらいだしさ、意外と長くないのね。学問にハマり始めたのは4年前ぐらいだから意外と長くない。もっと長くやってるような気がしてたんだけど。まぁでも時間的に長いですよね。


4年と言っても俺の場合、一日に物理的に費やせる時間が尋常じゃないから忙しい人が片手間でやる10年分ぐらいはやってきたのかもしれない。まぁやってきたの定義にもよるんだけど、まぁ今までってなんかとりあえず有名どころの哲学者の本とか入門書とか解説本は読んでみるってことでさ、新書から入ってみたりまぁ色々やってきて、んで今はもうそういう入門系のが特に哲学系に関してはいらなくなったってことなんだけどさ、でも改めて例えばシュトラウスでもなんでもいいんだけど読んでみるとさ、俺は何を理解してるのかな?っていうか、まぁ本の一語一句を完全に覚えるなんてそれは暗記で違うしさ、かといってチャート的にキー概念をメモって覚えればいいか?ってそもそも哲学ってそんなことじゃないしさ、でもそれだったら俺が哲学書を読む理由って何なのかな?って分からなくなってきたんだよね。


俺は研究者を目指してるわけじゃないっつーか昔はなろうとしてた気もあったけど今は無いよね。まずここまで哲学の本を読んじゃうとってまぁ偉そうな言い方でさ、すげー読んでる人に比べたら少ないかもしれないけど、でもまぁ哲学科に行くとか考えられなくなるよね。自分でやるようになればなるほど学校的なものがいらなくなるっていうそれはまぁ当たり前なんだけどさ、でもなんかね、興味としての哲学ってもう結構無いんだよね。いや、興味がある時って知らないときなんだよ。それは数学の本を読んでて思ったよねっつーか帰国後とかだよね。ベクトルとか確率論みたいなのが無知な俺にとっては新概念でさ、だからもうそれを知るだけで面白いみたいなさ、なるほど!って感じなんだけど、まぁ計算とかは一切やってないから分からないけど、ある程度概念を理解できちゃうと新鮮味って無くなるじゃん?そこで別にテストで良い点を取るみたいなイニシアチブも無いから演習とかやらないしさ、まぁ分かった気になっているわけではないんだけど、でも計算が出来るのと理解してるのって違うじゃん?ってのは散々前にも書いたけどね。


いやね、前に書いた「分かる」ことの定義ってまぁ数学的な感じでさ、例えばその概念とか言葉自体に意味はないけどまぁ周りの定義によってそれが意味付けされるっていうさ、だからまぁ社会とかって言葉も人によって考え方が違ったりするんだよねってそれは個々の定義の違いがあるからなんだけどさ、んでもなんつーのかな?俺は哲学に細部の理解っつーか学者的な理解なんて求めてないんだよね。ニーチェのなんたらっつー本の何章でこう言ってます・・・みたいに暗唱できるような学者的な知識は全然いらないと思っててさ、ようは思想のエッセンスを理解するっつーかまぁ共感するっつーかなんつーか、んー・・・分からん。本当に困ったな。ゲーデルの本とか読んでても不完全性定理についてはなんとなく分かっているつもりだけど論理式的には理解してないじゃん?でも数学とか知らなくても知る事が出来るすげー専門的なことって意味でアマチュアに人気が高いゲーデルの定理だけどさ、んじゃあそのアマチュアっぽさとプロっぽさを分けているものって何なのかな?っていう。プロフェッショナルな理解ってまぁ細部を解説できたりするっつーかまぁ理解してるってことなんだろうけどさ、あーもう書いてて分からなくなってきたな。


いや、あれなんだよね、結構まぁ一通りザックリと読んだからさ、研究をするつもりはないんだけど、やっぱなんつーかでもある種の研究対象みたいなのを絞るみたいな段階になってるのかな?と。矛盾してるけどね。これ。研究ではないんだが、ただ読み込んでいく対象をピンポイントで絞っていく段階なのかな?って意味でそれは結局は研究なんじゃねぇの?っていう。知らないから知りたい!っていう知的刺激を求めるという意味での哲学はもう無いんだよね。まぁあるんだろうけどでもまぁ大枠ではないわけよ。そういうのがずーっとあったってのが過去4年間だったわけでさ、その驚きとか発見をいちいちここに書いてきてたわけだけどさ、でも別に俺ってなんつーか特に例えばアルチュセールを研究しよう!とかシュトラウスを研究しよう!とかって思ってなくてさ、自分で考える材料っつーかまぁパラダイムの材料っつーかなんつーのかな?まぁ知識だよね。考える為の知識かな。で、それを言い出すとそもそも哲学だけで考える為の知識は得られないから、だからまぁ数理系とか経済学とか化学系にも手を出してるっつーかさ、まぁ単純な興味ってのもあるけど、そもそも俺が考えて何か言ったり書いたりする基盤ってさ、まだ全然作られてないんだなってすげー最近思うんだよね。あまりに知識が足りなさ過ぎて。


所詮やっぱ今言ってることだってさ、今ぐらいの知識で言っていることなわけでさ、もっと色々と知れば違った見方っつーかなんつーかな、もっとアドバンスな考え方とかってのが出来ると思うんだけど、んでもそれは常に考えながら生活するってこと抜きでは無理だから、だからまぁ未熟なものでも思った事は書くってのはいい習慣なんだけどさ、ただなんかその膨大さに唖然としてるんだよね。昔はかなり短絡的にとりあえず買ってきた本を全部読めば次だ!みたいな感じでさ、買ってきた本を読むってことが目的化してたっつーかまぁそういう時期だったからそれはそれでいいんだけど、今ってもうさ、その読む対象ってのが凄まじくなってるんだよね。


物理学・数学・経済学・政治学社会学・哲学・・・・って感じでようは買ってくるとか買ってこないみたいな話じゃなくてさ、これ全部をちゃんと体系的にやりつつも考えながらやっていくってことでなんか膨大過ぎてさ、唖然としてるんだよね。終わりが無いっていうか、まぁそれはいいんだけどね。やることが無いよりかはいいよね。俺って無職で拘束時間ゼロだけどフリーな時間もゼロなんですよ。いや、ある意味で忙しいんだよ。まぁそりゃーたまに映画とか見るけど大抵は読書とか調べものだからさ、いやね、んでそれをやってるともうあっという間に時間が過ぎちゃってさ、あれも今日読もうと思ってたのに読めなかった・・・みたいな残念な感じで一日が終わることが多いんだよね。


時間があるはずなのに足りないのね。変だよねー。無職なのにさ、時間が無いなんて!読みたいものとか知りたいものが多過ぎてさ、それはまぁ最初に書いた「分かる」ってことなんだけど、やっぱり今までやってきたのってなんかまぁリベラルアーツ的なもんなんだよね。とりあえず基礎教養としての哲学みたいなさ、だから悪く言えばそんなに深くないわけだ。まぁ物理学とか数学に関して言えばその基礎教養段階だけどね。今が。読みたいものが多くてっつーか物理的に未読なのが多いしさ、あとかなりやっかいな感じの長い本とかすげーあるからね、それは別にやらなきゃいけないというよりかは自発的に読みたいから読むわけだけど、んでもそれ考えてると今読んでるものに集中できなくなるんだよね。


まぁ並列思考的な読書っつーかさ、まぁ同時に10冊ぐらい読むとかでもいいんだけどさ、んでもそういうのをやってるうちにまた分かるってことが分からなくなってきてさ、読んでも頭に入ってるのかな?っていうさ、まぁ無理なことだけどね。俺が言ってるのは。本の内容を全部言えるなんてまぁまず無いじゃん?筋金入りの研究者とかなら特定の分野ではあるんだろうけど、俺が求めているのはそういうんじゃないんだよね。でもそれに近いような理解の仕方は凄く求めていてさ、でもそれやってると一冊一冊がすげー精読になっちゃってすげー時間がかかっちゃってさ、いつまで経っても終わらないんだよね。


まぁそういうもんだけどね。でもなんか凄く読書がハードコアになってきたんだよ。最近。昔はさ、量を読むためにそんなこと言ってたら読めなくなるからっつーんで分からなくてもとりあえず読むってことにしてたけど、そういうやり方をしてきたからこそ結構な量の本を読めてきたんだけど、今はもう精読段階でさ、昔みたいな荒っぽい読み方とかもうダメなんだよね。自分の中で許せないわけよ。とりあえず読み終わったら「読んだ」って言えるからさ、なんかそういう満足感とかやっぱあったわけよ。でもそんなの今の俺に言わせればクソだよね。そんなの読書でもなんでもねぇーなっていう。まぁいいんだけどね。とりあえず多読して感覚を養うってのは凄くいいし、今まで俺はそれをやってきた気がするけど、まぁ何回も書くように今は段階が違うわけだけどさ、でもなんかもう何もできない気がするんだよね。これをやってると。いや、それでいいんだけどね、でもまぁ食い扶持とかやっぱ気にしなきゃいけないわけでさ、かといってもそんなことを考えてる暇なんてないんだよね。そんぐらい最近はハードコアな感じなのよ。


それは自分に課しているというよりかは何かを考える上で必要な知識が欠け過ぎているから色々ともっと学びたいってことなんだけどさ、んでもなんかもう生活が本当にそれだけなんだよね。永遠と終わらないような分厚い本とかを読みつつ、それに飽きたら他の分厚い本を読むみたいなさ、かといってすぐ終わらせたいからっつって速く読むなんてもってのほかでさ、だからまぁ精読しているわけだけど・・・・ってさっきからループ状態だな。今日はもういいかな。まぁ一言で言うならさ、色々と読んできたことで自分が知るべきというか知りたい事の量が多過ぎて呆然としてるって感じだよね。もうすぐにでも全部やりたいんだけど俺が読んでる本なんか速読とかできるようなもんじゃないし、そんなもんもうやりたくないからさ、いや、新書とかならバリバリやるけどさ、学術書とか哲学書は無理じゃん?だからまぁ時間をかけるしかないんだけど、そうなると時間がいくらあっても足りない・・・ってことになるわけね。


多分、一日8時間は読まないとダメだな。そうしないと多分一瞬で歳とっていい歳のおっさんになっちゃうと思うんだよね。いい歳のおっさんになるぐらいの頃には広い体系的な知識が身に付いていてなおかつプロパーな分野には専門的な深い知識を持っているっていうさ、そんな風になりたいって思うんだけど、目標がデカ過ぎるんだよね。やり甲斐はあるけどさ、いや、あれなんだよね、佐藤優の獄中記みたいな感じで生活していかないとそれは無理だなって思っててさ、だから獄中記生活を始めようと思ってるんだけどねって別に犯罪犯して刑務所行くってことじゃなくて、今まで以上に読書の生活に大半を費やすということを意識的にやらないと俺の目標は達成されないなって痛感したんですよね。まぁ俺はやりたいことだけをやるって原理で基本的に動くけどさ、でもこればっかりだとやっぱダメなんだよね。興味無くてもそれをやるなら必要な知識だったらやっぱ得なきゃいけないじゃん?まぁやりたいことのためのあんまり気が進まないことだよね。あんま好きじゃないけどウィトゲンシュタイン関係の本とか読むのもまぁそういうことなんだけどね。


もういいや。今日はもう寝るわ。


今日のオススメ書籍。



普通の人でこんなの読む人いないだろうな。社会学の教科書みたいな感じだもん。ただ情報量が半端じゃなくて、なんつーか社会学に関する時代とかの歴史の流れとかをそのまま感じられるっていう意味で良い本だなって思うんだけど長いね。まぁアメリカのテキストに比べたら全然そんなことないんだけど。