ブルバキ。その7。

ブルバキ集合論からまぁ読み始めてるわけだけど当然まぁ練習問題なんてやってないからもう半分以上読み終えたんだよね。いやーこのしつこいぐらいの徹底的な記述が凄いんだけど前に書いたように記述方法は一貫していて、まぁようは集合論的に基礎付けをしようとしてたんでまぁ全てが集合論的なんだけど、まぁ俺的には位相的構造という感じがするね。トポロジカルに計算の原理とかを説明し尽くしてる感じで、ようは全てがこういうものの拡張なんだってのが良くわかる。


所謂、寄せ集め的なテキストってのはさ、証明が天下り的だったりまぁそれはともかくとして、いろんなもののコピペだったりするんでついていけなくなる率が高いんだよね。それまでは集合論的だったのにいきなり物理的だったり工学的になったりして、んであきれた事に「何々の定理を思い出してみよう」とかいって、それを理解してることが前提になってたりするんで凄まじく不親切なんだよね。んでもブルバキの場合、記述の数学的手法が一貫してるので、前に書いたようについていければまずついていけなくなることがない。


関係だとか同型性だとか写像だとかなんだとか、そういった構造的な記述をしてるので数式そのものが分からないってならないのね。当たり前だけど分かりづらそうなものでもそこにいくまでにその分かりづらそうな数式をパーツに分解して記述してあるんで、そういうものが集まって定理だかなんだかが規定されてるっていう構造主義的な理解が出来るからある意味でこれ以上にないぐらい明快なんだよね。interrelationalっつーのかな?仏教的に言えば個々の公理が言わば事象なんだよね。で、他との関係性が全て縁起で成り立っているっていう。いや、もちろんこれを数学全体に適応しちゃうと問題なんだけど、構造的に記述できたり思考できるところに関しては構造的に考えるというのは手法的にアリなんだよね。あとはそういう考え方のほうが理解できるって人はそのほうがいいだろうし。


で、意味論みたいなのがシンタクス的に浮き上がってくるっていう。倉田令二朗という人がこの辺を凄く明快に当時から理解していて言わば俗流ブルバキの理解が「全てを形式主義にしてしまう思考停止的な手法」だとすれば倉田令二朗はそれは大間違いだと言いブルバキ形式主義現象学的エポケーなんだとまで言っていていやはや凄いなって感じ。倉田令二朗という人は数学者だったんだけど自称アマチュア哲学者というか「哲学もどき」の名の下に哲学も自己流にやってたんだけど、そのセンスが卓越してるんだよね。


まぁそういう人が本当の哲学者なわけだけど、言わば大抵の数学者に欠落している哲学的センスというのを持っている人で、だからこそブルバキ形式主義にしても当時から明確な理解が出来てたんだと思う。色々調べると大抵の批判はお門違いなものばっかなんだよね。別に凄い数学者だろうがなんだろうがそういう無理解があったっていう。別にそういう批判をするのが馬鹿だとは思わないんだよね。そういう批判をしてしまいがちだけどブルバキを理解すればそんなことはないってのは分かるはずなんだよね。


現象学的エポケーってのはまぁ語弊があるかもしれないけど超越的な手法なのよね。事象なり認識なりを一旦括弧に入れてしまうっていう。そういったまぁメタ的な目線なんだよね。ブルバキは直感とかイメージとかを軽視してたわけじゃなくてエポケーのための抽象化を徹底してたと思うんだよね。かといってもヒルベルト形式主義に関して角とか線っていう言葉をビールとかジョッキに変えても公理自体に何の影響もないみたいなことを言ってたのがまぁ誤解の元っつっちゃー誤解の元だよね。これに関して言えば小平邦彦形式主義批判ってのは極めて的を得てるんだよね。いや、それじゃ分からんだろうと。幾何的直感がないと理解できないし、なによりそういった直感やコモンセンス的な概念を取り外したらただのナンセンスになるじゃないか!ってもっともな批判なんだよね。


いや、だからヒルベルト的手法をブルバキが引き継いだというけど、んでも俺としてはやっぱりヒルベルトってそういう批判されがちな形式主義だったと思うんだよね。極度に抽象化をエポケーのために言わば超数学的進めるってのはやっぱりブルバキ特有のものだったんじゃないか?って思うんだよね。ヒルベルトがそう思ってたんだったら逆に線とか点をビールとかジョッキに置き換えても同じことだなんて言わなかっただろうし。倉田令二朗も書いてるように当然数学的な感覚とか直感とかってのがありきでのメタ的な意味での形式主義なんだっていうさ、そういった形式主義的記述のおかげでシンタクスが浮かび上がったり数学そのものってのがクリアに見えてきたりするわけ。


んだからまぁイデオロギーでもなんでもなくてまぁ言わば普遍的構造と客観性というのを浮かび上がらせる為のエポケーであったり現象学的還元とか形相的還元をするための形式主義的記述だったりするんだよね。そもそもフッサールが元は数学をやってた人なんでこの現象学的なパラダイムというのが数学に見事に合致するんだよね。それはドゥルーズ的な胡散臭いものではなくて客観的構造や超越的主観で物事を見るという言わば主体の意識をどこに置くか?という観察の学なんだよね。もちろん現象学といっても万能ではないけどこれほど物事の見通しを良くするものもなかなかないと思うんだよね。


結局はそれは思想でもなんでもないんだけど、でもこれを知っているのと知らないのとでは雲泥の差があるわけだ。ブルバキが意図したかもしくはたまたまそれが現象学パラダイムに合致したんだがアレなんだけど、ともかくブルバキがやったことというのは数学的にもそうだけど何より哲学的にエポックメイキングだったよね。俗流理解が多いからこそそれはなんつーかちゃんと本質を理解しないとブルバキってただの時代の産物というかさ、時代精神を表したものとかなんとかっていう過去のものになっちゃうからね。資料的価値のみになっちゃうっていう。いやーでもそうじゃないよねーあれは。


あとあのやり方は面倒過ぎて誰もやりたがらないだろうってのがあるよね。そういう意味で代替が不可能だからワンアンドオンリーなんだよね。もちろんブルバキ的手法に影響は受けても手法を徹底することは滅多に出来ないと思うんだよね。まぁおそらくあえてやる必要がないというのもあるだろうし。哲学的センスがない数学者とか哲学を軽視している数学プロパーの人たちによるブルバキ理解とか評価はマジであてにならなしそんなものがスタンダードならそれは大きな間違いだよね。言わば肝心のプロパーの人たちが俗流の理解をしているっていう。あと構造主義という言葉も安易だよね。


哲学とか人文系で使われる意味での構造主義ブルバキ構造主義ってまぁ当然類似もあるけど基本的に異なるものだよね。現象論的手法ありきの構造主義というか形式主義だからね。あと結果にしてもそれが有用か有用じゃないか?で判断するなんて極めてばかげててさ、それはまぁようは数学のみで評価するとそうなるってことだよね。でもそんな評価をしちゃうとブルバキってのは本当に意味がなくなるわけで。


あとは前にも書いたように美学だよね。単純性と一般性という美というかさ、これぞ数学的美!というような美学に即した記述だったと思うんだよね。ごちゃごちゃしたものも集合論的に凄くシンプルに美しくまとめるっていうさ、いや、んでも結果的にすんげーややこしくなっちゃったってところはあったと思うんだよね。でもやっぱその試みは高く評価しなきゃダメでしょ。なんつーか数学的美って凄く形容しづらいものだと思うんだけど、前にも書いたようにこういうブルバキの数学の美学ってのがなんつーか一般的に言われる数学的美というものに凄く近いと思うんだよね。代数幾何っつー美しい理論がヴェイユとかグロタンディークといったブルバキメンバーによって発展させられたってのもなんつーかまず地盤としてブルバキがあるよね。


で、本とかでもよく書かれるようにブルバキ以上にブルバキ的だったグロタンディークがブルバキを脱退して代数幾何の本を書いたっていうさ、まぁんでもこれってやっぱルーツはブルバキ的なものだよねっつっても実質的にほぼデュドネが書いたような感じらしいけど。なんつーか数学の美の系譜としてブルバキって凄くデカイと思うんだよね。歴史的に見てもあれだけ記述の手法にこだわった書き手っていなかっただろうし。


凄く面白いところはブルバキ構造主義的数学は既存の構造主義的枠組みで考えるとどんどん当てはまらなくなってくるっていうさ、記述を構造的にしているだけで「数学とは構造なのだ」と言い切っているわけではないっていう。まぁ言い切ってたのかな?まぁでもその辺の史実はどうでもいいわな。もうどの道、過去のことなんだし有用に解釈していけばいいわけで、まぁ俺にとってはブルバキは最高だね。まさか読むことになるなんて思ってなかったけど、思えば全ての発端はヨストのポストモダン解析学だなぁー。で、デュドネってそんなエレガントなのかぁーと思ってさ、まぁその数学的美についてはずーっとawarenessがあったわけでだから敏感に反応するじゃん?


で、Foundations of Modern Analysisに魅了されて、んでブルバキもこんな感じなのかな?と思い切って買ったらダイレクトだった!っていう。一年前の色々迷っている自分自身にゴーサインを出したいぐらい最高なディレクションだよね。美に向かってまっしぐら!みたいな。エロスそのものですな。結局は美なんだよね。うん。ちなみにデュドネの本はHesperides Pressってところから出てるやつがあるんだけどこれがまぁ酷いフォトコピーの本らしいんだよね。線とか引かれてる中古本のスキャンがそのまま本になってる感じらしくて最低だから元のAcademic Pressから出てるやつを買ったほうがいいわけねってもっと早く書いてればよかったなぁ。


まぁそんな感じで。