保守界の王子様、中野剛志。その2。

ディッキンの8をアップしたので。


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中野剛志評論集を一気に読まずにゆっくり読み進めてるんだけどさ、こないだ薦めたときに保守独特の保守臭さがないって書いたけど、まぁそれはあくまで「比較的」だね。天皇は日本の象徴だ的な考えをナイーヴに主張していたり、人間は労働を通じて自分の価値を知るんだみたいなことを言っていたり、リアリスト的な面もあるんだけど、いわゆるエリートだなっていう感じがして生活感がないんだよね。庶民感がないっつーかさ、この人もまぁ大衆を軽蔑してるんだけど、あくまでエリート目線だね。本当に庶民のことがわからないんだなぁーっていう育ちのよさを感じる。庶民はそもそも天皇についてなんて考えないし、俺の世代とか俺の世代のちょい上でも下でも天皇についていろいろと考えるやつなんて滅多にいないだろう。なんのためにいるのか?ってのもわからないし、ましてや象徴だ!なんて意識的に思う若い人なんてそれこそ相当右寄りの人以外ありえないと思うんだよね。


天皇ってのは昔にイデオロギー的に天皇打倒!みたいに盛り上がった世代とか万歳!を経験した人とか、まぁいわゆる古い世代の人たちが具体的に割と考えてきたっつーかリアリティがあった話だと思うんだけど、今の世代なんてそんなのないじゃん?だから天皇は日本を象徴するシンボルだ!って言われてもさっぱり響かない。そもそも何も語れないってのが天皇だと思うんだよね。あとは具体的に外交の面なりなんなりでいることが有利になるだとかなんだとか、利点をあげればいろいろあるんだろうけど説得されるような理由ってのはないだろう。まぁ少なくともそれが日本の象徴って意味だったら時代遅れ過ぎるよね。あとはもうイデオロギッシュ過ぎる。それこそ保守っぽい理屈だよね。


イデオロギーってそこなんだよね。「論」ではないようななかなか説得されづらい思想ってのがあるんだよね。あとは前提とか。まぁそれが共有されるなんてことはありえないにしても、もともと俺はそういう意味での保守思想は大嫌いだから、いかにも!ってな感じの保守っぽい評論があると拒絶しちゃうよね。凄い拒否反応が起こる。でもそれは俺が根っこからの左翼だからなのかな?って思うんだけど、いや、そうでもないんだよ。昔ほど天皇について色々と考えなくなったしっつーか昔はいらないじゃん!って思ったけど、今はむしろいらないと言ってそこから色々と進展させるのが面倒だし、無くすっていうことがそもそも大変で利点があったとしてもプロセスが大変過ぎて全然リアルじゃないってことで惰性で続けるってのは今までどおりしょうがないって思ってるんだよね。それしかないよねっていう消極的な感じか。


あと労働に関してはさ、そもそも労働を通じて自分を知ることができる人なんてごくわずかってことだよねっつーかそもそも社畜とかがほぼデフォみたいな時代に何を言ってんだ?って感じになっちゃうよね。そこはやっぱりエリートなんだよなぁー。全然庶民のことを知らないんだよね。それこそ就職!なんつって正規でファミレスなりコンビニの店員になることすらもできない人たちってのが腐るほどいるわけだし、コンビニの店員になったところで何が自分に向いているのか?とか自分とはいったい何者なんだ?なんてことはわかるわけないんだよね。そりゃ自分で考えりゃわかるようになるかもしれないけど労働を通じてってのはまずありえない。


今の俺の仕事にしてもそうだけどまぁ具体的な言及は避けるけどさ、まぁフィジカルワークだよね。あとは本来のすさまじい犬好きという特性がめちゃめちゃ活かせている最高の天職だとは思う。でもこれはたまたまの一致だし、実際俺が天職だ!って思ってやりたいのって学問じゃん?でも今のところは犬好きという点において犬関係のことが向いているってことになるんだけどさ、でも犬好きってだけで成立するもんじゃないし、たまたま俺が担当している部分が犬好きという特性が活かせる部分なんであってさ、なんつーかようはそんなに簡単なもんじゃないってことなんだよね。今の俺の場合は偶然の一致じゃん?そもそも店の手伝いをするなんて思ってなかったわけだし、ここまでがっつり毎日やるとも思ってなかったわけで。


でも結局仕事なんてそんなものだと思うのよ。知らないうちに時間が経っちゃってて今のバイトをなんとなく続けてるとかさ、就職したはいいけど合わなくてやめてどうしようか?って迷ってるとかさ、でもまぁみんな気がついてるじゃん?俺らぐらいの人間が就ける仕事なんてとても自己実現なんかとは程遠いものだってことだし、そもそもそういうレベルの仕事ってのは生活のためにやってるわけでさ、それ以外のこととかね、社会認証だとかなんだとかそんな崇高な理由なんてないじゃん?少なくとも俺が今の仕事を続けてて社会認証を感じられるか?とか自己実現になるのか?とかならないからね。でも職種としては合ってるから向いている仕事であるのは確かだけど、でも家族経営だからやれてるって面が大半なわけで、ほかいったらやれるのか?ってそれはやれないと思うわけで。


なんかさ、たぶん俺が学問で何かやりたいってやっぱり社会認証だと思うんだよねっつーかそれだけじゃないけど自己実現的なものをそこに求めてるってのはあるじゃん?まぁ本来は求めてなかったんだけど求めるともっと多重に学問をやる理由とかができるからさ、いや、そもそも勝手にやってる分にはなんの関係もないじゃん?そんな感じだったんだけど、なんとか社会性を持たせたいっつーか何か社会的なことに繋がらないか?ってことで今みたいな考え方になったわけでさ、でもこれと労働とは何の関係もないよね。むしろ特に就職もせずに親に色々とやらせてもらったおかげで色々なことがわかるようになったわけだよ。むしろ俺の場合、労働なんてのがあったら永遠と何もわからないまま終わってたと思うわけ。そういう意味で俺はニートではなくてモラトリアムだよね。昔から。


ニートってのは何もやらないし何も目標がない人間のことなわけで、俺は自分のことを自嘲的にニートって言うことはあっても実際にリアルニートだったことなんて一度もないよね。常になんかやりたいことってのがあってそれでなんとかならないか?って思ってたり悩んでたりしてたわけだし、そこで大きな決定をしたのが留学だったわけでさ、めちゃめちゃアクティブだよね。今思うと。まぁ今も生活に変化はないんだけど相変わらずアクティブだよね。いろんなことに手を出してるから。


だからまぁしつこいようだけど労働をなんかの社会の媒介とかさ、凄く重要なことが学べるプロセスみたいに思うのはもうやめようってことだよね。それでも学校とか親はそう言うだろうし、この中野剛志みたいな意見は典型的な先生の意見だよね。みなさんは労働を通じて自分を知ることができるのですって朝会とかで永遠と聞かされるみたいなそういうタイプのロジックで全然リアリティがないし、実際に色々と労働を経験してきた身というか、バイトを色々とやってきた身からいうとああいう単純作業からは何も得られないし、得られるものといえばお金だけで何のスキルも得られないし社会的認証なんてのも得られない。だから労働してたって余裕でアノミーになるし頭がおかしくなって暴走するやつとか自殺するやつとかも後を立たないわけで。


これは本当に有害な思想だから根絶するべきだと思ってるんだよね。労働を何か神聖なものだと思ったり必ずやらなきゃいけないことだと思ったりさ、もう宗教じゃん?ドクトリンだよね。そういう意味で中野剛志は天皇にしてもそうだけどある種の宗教がかった保守的な面を感じるよね。ほかの保守がどうしようもないから際立つんであって、別にそこまで取り立ててヒーローだ!というほどではないなってのは評論を読んでて思ったわけよ。俺っていつもそうだよね。最初の印象ではすげー!って思うともうそれですぐ凄い人だ!とかって思っちゃってさ、で、本を読み進めていくとそうでもねぇーなってなるんだよね。過去で言えば郡司ペギオとかあとは著書ではないけど塩谷賢とかね、まぁ勝手にこっちが期待して失望するだけなんだけど、やっぱり失望だよな。


まぁパーフェクト!ってのは求めてないけどさ、なんかでも中野さんに関しては独立した思想家というよりかはやっぱり保守界に属してる人だなって思ったんだよね。派閥の関係なさがかっこいい!って思ってたんだけどかなり保守ズッポリの人なんだよね。しょうがなく西部邁についているっていうよりかはそういう業界の人って感じだよね。そういう意味で萱野さんとかもやっぱりイデオロギッシュだよね。まぁ元がアナーキストだからしょうがないっつーっちゃーしょうがないんだけど、ただ話を聞いてたり本を読んでたりすると凄くそのイデオロギーの部分が色々と邪魔をしてるなってのをすげー感じるんだよね。凄く誤った前提ってのが置かれてる場合があるじゃん?そこから出発してる帰結なんで良い帰結になるわけがない。


労働に関して言えば中野さんも萱野さんもイデオロギッシュにその価値を崇拝している感じだよね。それこそアプリオリに良いものだって思ってる感がある。やっぱり庶民感覚がないんだよなぁー。少しでもバイト経験すればそんな価値観一瞬で吹っ飛ぶと思うんだけどね。そういう意味でさ、東さんとか宮台さんとかもやっぱりエリートで庶民の感覚ってのをわかってないよね。わかっているかのように言ってるけどやっぱり所詮はエリートが考える庶民像で実際の庶民とはかけ離れてる感じがあるよね。だからものによってはそのかけ離れた庶民感なりなんなりが前提となっている言説に関してはさっぱりアクチュアリティがなかったりするんだよね。そこはやっぱりエリートの弊害だと思うんだよね。そういう庶民の世界がわからないわけだから。あとは仮にフィールドワークとか取材をしてもエリートがそこに潜り込んでるって感じで生活してるわけじゃないじゃん?だから主観が庶民になることがまずありえないんだよね。これって何気に思想をやる上では超致命的だよね。でも後天的に得ようと思って得られるような代物ではないのでそれはもうしょうがないっていう。


中野さんの大衆批判なんかも本を読んだり社会の動きを見て言ってる大衆批判でさ、経験じゃないんだよね。いやーもうこれだから大衆はいやなんだ!ってリアルな生活でどうしようもない大衆と接してないから「大衆」という属性の情報の集合として大衆ってのを捉えてる感じだよね。だから生活感というか匂いとか質感がないんだよね。凄くドライな書物の上に情報として存在する大衆って感じなんだよね。まぁそこは別に批判してもしょうがないんだけどね。エリートなんだからそれはしょうがない。でもエリート保守だからこそついてしまう保守臭さがなかなか支持を得づらいというかさ、右左越えて読まれるべきだ!って思ったんだけど保守臭がかなり鼻につくんだよね。そんなに目立たなくでもところどころに出てくる主張にそういうものを感じるから、だからなかなか右左越えるってのは難しいなぁーって思ったね。まぁただ保守界は本当の真性の馬鹿ばっかなんでそれに比べたら全然良い人であることには変わりない。そこがまぁ最初に書いた「比較的」という意味だよね。


変な話、佐藤優のほうがまだそういう保守臭さはないぐらいだよ。あの人のほうが雰囲気的にすんげー保守っぽいけど本を読むとそうでもないんだよね。まぁそれでも当然左翼が読めばそりゃ保守だ!って思う保守ではあるけど、でもそこまで酷いイデオロギー臭さはないよね。まぁでもこれだけじゃわからないから中野さんのほかの本も読んでみるけどね。かなりまぁ好意的に読まないとダメだな。まぁここは保守だからしょうがないかな・・・っていうまぁ保守補正みたいなのはかける必要がある。別に保守っていう立場だから言論のアクチュアリティがなくなるわけじゃないからね。むしろああいう世代では一番アクチュアリティがある言説を展開している一人であることには変わりないんで、相変わらずお薦めではあるけどね。前言撤回!という意味ではないので。


たださ、労働と一言に言っても色々あるじゃない?で、唖然とするのが中野さんが立脚している労働の基準だよね。それこそ切磋琢磨して自分を磨いていけたり知ることができるようになる労働なんてさ、それこそ中野さんぐらいのエリートしか就けないじゃん?大抵の能力が並かそれ以下の大衆にとっての労働なんてのはまさしく生活のためにやるっていうそこの一点しかないと思うんだよね。労働がないと人生の意義が失われるなんてとんでもない意見だよね。逆じゃん?労働があるからこそ人生の意義が失われてるんだよ!もうそればっかになっちゃって疲れちゃって何もできないぐらいの心労や身体的苦痛を伴うのが労働でしょ?まぁようは数で言ってしまえばね、今はそんな労働ばっかりじゃん?それこそ切磋琢磨していけるぐらいの、それによって人生の意義が見出せるような労働なんてのはほんの一握りだよね。あと俺の例ではないけど、たまたま就いた仕事が自分に向いていたというラッキーなことはあるけど、でも向いているということがイコール自己実現ではないし、それこそ労働による自己実現なんて諦めたほうがいいとさえ思うぐらい労働は人間を疎外するもんなんだよね。


それは精神的に束縛するというよりかはさ、「食ってかなきゃいけない」っていう必要性の重さじゃない?みんなそれで必死なわけだ。それによって人生の意義なんて考える前にその手段を得たりそれを維持したりするのに必死なわけじゃん?で、それをやってるだけで歳月は勝手に流れていってお金も全部必要なものへと消えていくだけで何も残らない・・・っていうむなしさじゃん?で、中野さんが言うようなタイプの労働はさ、ベーシックインカムとかが導入されたってやる人はやる労働だよね。それこそ人生の意義がそこから見出せるようなものなんて社会がどうなろうがやる人はやるもんだよね。でも大抵の労働なんてのはベーシックインカムが導入されたらやめるもんでしょ。そんぐらいの価値しかないわけだ。価値っつーかようは食うためにやってるだけなわけで。


そんなもんに人生を振り回されるなんてのはもってのほかだからもっとみんなが食える世の中にしていこうってことじゃない?競争もいいけど激化しすぎていてついてけないって人たちが多いわけだし、それこそ昔はやってけて今は勝ち抜け世代みたいなさ、団塊の世代の連中なんてのも今の世の中じゃやっていけないって人が多いと思うんだよね。昔だからやってけたって人たちはめちゃめちゃ多いでしょう。昔はそれでやっていけたからいいんだよ。会社社会だったかもしれないけど会社が人々の面倒を見てたんだったらそれはそれでまぁいいじゃない。でも今はそうじゃないんだから。で、結果的にもうインフラがズタズタなわけですよ。そんな中で労働に人生の意義だのなんだのって言うなんて暢気を通り越してるよね。あまりにも今の世の中のリアリティを知ってなさすぎるって気がするんだよね。


食うためっていう必要性の強さが人間を支配しすぎているからそこから解放させようってのが今後の社会のあり方でしょう。あとはまぁそこそこやっていければなんとか食っていけるっていうさ、4時間ぐらい日に働けばなんとかやっていけるぐらいの緩い生き方もできるっていう社会じゃないとだめでしょ。で、その余暇で何かを考えたり見出したりするもんじゃないの?って俺は思うんだよね。そもそも余暇がなけりゃ何も生まれないでしょうっていう。そもそも時間がなけりゃ金も使わないし。


まぁいろんなタイプがいるとは思うけどさ、労働に生きがいを見出せるなんて本当に優れた人たちだけだよね。あとは相当それに合っている人とか好きなことを労働にしてる人とかでさ、あまりにもデフォにするにはキツすぎるってぐらいめったにないことなわけだ。いわば奇跡的なマッチングよ。でも大抵の人はそんなもんないわけで食うために仕方なくやってるわけだから。それは理念がどうとかってレベルじゃなくて実際そうなんだからしょうがないでしょう。俺が言いたいのはそういうリアルだよね。こういう事実っつーか現状を見据えてないで労働がどうのいっても何にもならないよね。それはまぁ労働に限らないことなんだけど。天皇の感覚にしてもそうだよね。庶民なんて天皇を日本の象徴だ!なんて普段から思ってないって。今の若い人なんてなんで天皇がいるのかわからない人が多いと思うんだよね。それの良し悪しではなくそれは事実でしょうってことだよね。だから象徴なのであるとか言ったところで何にもならないでしょうっていう。仮に啓蒙でやってるならまず効果はないよね。真性右翼かネット右翼ぐらいしか共感しないでしょう。そういうところが変に思想的であったり右翼的であったりするともうマイナスでしかないよね。何にも良いことはない。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。