なぜは俺は鬱になるのか?

aさんから「なぜ鬱になるのですか?」という質問があったので色々と書いてたら長くなったからエントリーに貼ることにしましたよ。

a 2012/12/31 16:50
何故、鬱になるんですか?


それは自分でも分からないんですよね。凄く良い質問だと思うんですが。でも今はプライベートで鬱になるような要因があるのでそれが原因とも言えなくもないんですが、まぁそれをここで書いてないから分かりづらいってのはありますよね。あまりにプライベートなことなので書けないんですよね。で、それが原因だと仮定して、じゃあそれが取り除かれれば鬱は治るのか?ってマシにはなるでしょうけど根本的には何の解決にもならないんですよね。


aさんがどこまでウォール伝を読んでくださっているかは分かりませんが、この感覚は割と今思えば充実していた頃でもずーっとあった感覚です。ニューヨークにいた頃も今思えば刺激的だとは思いますが、なんとも言えない空虚感があって、それをごまかすためにしょっちゅう本屋に行ったり散財したりしてたんですよね。「何かを買いにいく」みたいなのがあるとその間は意識がそれに向かいますよね。だからごまかせるんですが買っちゃえばそれまでです。


色々と目標があったころは現実的だったかはともかくとして、全ての苦しみや苦労などはそのためにあるものだから我慢できるみたいな感じでごまかしてたんですよね。で、今は色々と思ってたことと違うようになってしまって、まぁこれだけだったらいいですよね。元の思ってたことを目指せばいいわけですから。状況が変わってしまったとしても戻せばいいわけです。アメリカに戻りたいなら戻るために頑張ればいいんですが、まぁここでも色々と書いてますが、過去に価値を見出していたようなことがことごとく崩壊してしまったんですよね。アメリカにいる理由も特になくなってしまったみたいな感じもそういうことだったわけですが。


で、今はというと刺激が無い毎日でしかもルーティンの毎日ですが、別に時間が無いわけではないし、極端なストレスに身をさらされているわけでもありません。でも帰国してからというものこの空虚感は日増しに強くなっていってるんですよね。まぁ帰国した直後は進学しなおすとか今思えば馬鹿みたいな計画もあったわけですが、冷静になってみると進学なんて何にもならないんですよね。あと何も無いから学校に行くのでは学校への期待値が上がりますよね。でも学校から何かが得られるなんて今は思いませんし、ましてや分かりきったことや意味無いことをやらされるなんて苦痛になります。


なので今は目標が無くなってしまって何をしていいか分からないみたいな感じになってるんでしょうね。まぁそれ言い出すと今の若者の大半がこんな感じだと思うんですが。別に生きる意味=目標を持つことではないんですけど、どうやら僕は普通に生きるということができないみたいなんですね。あとはまぁ刺激中毒なのかもしれません。平和でも毎日何もないとそれだけで精神を病んでくるんですよね。刺激だらけだと疲れますが精神的には健康になります。実際、渡米した後は大変ながらも精神的には健康でしたから。


今は大変ではありませんが精神的には相当病んでますね。別に孤独だからとかそんなんじゃないんですよ。会話をしてないからだっていったところで会話をしたところで何も変わりませんからね。ゲームをやったところでまぁアルコールみたいなもんでその場しのぎにしかなりません。哲学には良い意味で価値を感じなくなったので過去ほど没入することはなくなりましたし、哲学的な知の意味の無さというのをある程度の哲学的な知を垣間見た上で痛感したので、その辺は自分の中で大きなパラダイムシフトとなったとは思いますが、思えばその没入が僕の根幹を支えていたんだなって凄く思うんですよね。今はそれがないですから。まぁようは宗教的に帰依するような場所を失った感じですかね。ただこの帰依するような学問のやり方は僕は凄く自分でそうなっていたのもあって嫌になってしまったので数学に関しては帰依するようなやり方ではなく純粋な知的好奇心によってのみ取り組もうと思うようになったんですね。いや、数学といっても食えないらしいですが、食えなくてもとりあえず進学するってモラトリアム的な感じを伸ばす感じがありますよね。浅はかな逃げですが、そういう道が無くなったので行き場が無い感じになってるんですね。それこそ自分で道を作らないといけないようになってしまって、でもそれが全然できてないってことですね。


でも道を作るも何も見失ったし、過去に道だと思っていた道は誤りだったってことが分かったわけですから、心情的にはカルト教団を脱退した後の元信者みたいな感じかもしれません。逆に生活が大変でも帰依できるものとか目的みたいなのがあると生きていけるもんなんですよね。ただもう僕はごまかしがもう凄く嫌になったのでごまかさないようにしてるんですね。結果的にまぁ人生の虚無感というのに真っ向から向かっているみたいな感じになって、それで精神的に参ってるんだと思います。普通はそういうのを本能的にごまかすために刹那的な快楽に身をゆだねたり消費をしたりなんだかんだとりあえず色々とごまかせることをやってやり過ごすわけですよね。でも僕はそういうのはもう嫌なのでやらないと決めているんです。といってもまぁゲームはやりますけどね。あれは単純に面白いからですよね。ごまかしとは違う能動性があるのでこれは別にいいと思っているんですが。


でも結果的にゲームぐらいしか普段やることがなくなってしまったんですよね。あと本を読むことの虚しさみたいなのも凄く感じるんですね。色々と読破しただとかなんだとか結局は自己満足じゃないかと。何冊も本がある本棚をたまに見るとこの本棚の本の内容をどれだけ自分は理解してるのかな?って思ったりすることがあってそれでまた絶望しますね。覚えてないのに読書に時間を割くって馬鹿みたいですよね。だから読むだけではなく読みながら考えたり書いたりするということが重要なんですよね。


でもあれなんですね、自分にとって価値がある知識って数学だけなんですよ。もしくは哲学でも現象学と数理哲学とか凄く限定されるようになりましたね。政治哲学にはもうまったく興味がなくなりました。そもそも実行不可能なことを抽象的にあーだこーだ述べても何もならないですからね。まぁこんな乱暴な言い方ではありませんが、ローティーという哲学者が似たようなことを言っていて凄く共感したんですよね。だからこそ政治的にはプラグマティズムしかないっていうまぁようは実践しかないってことですよね。それは僕が前にも書いたようにブラック企業だとか過剰なサービス残業だとか搾取だとかは駄目だ!っていうことに洗練された政治理論はいりませんよね。ローティーが苦痛の軽減の妥当性を説くのに政治哲学の知識などいらないと言っているのと同じことです。


結局まぁ政治理論だとか政治哲学なんてただの評論に成り下がるわけですよね。逆に人に届く発言とかはそれこそツイッター発であったり何気ない掲示板の書き込みだったりするわけで、そっちのほうがリアリティがあるし、そもそもの政治哲学と普段の生活とのつながりって見出せないんですよね。まぁそれは世界的に政治哲学の話なんて持ち出せるほど余裕がなくなったというか、それ以前のベーシックな部分が駄目になってしまっているので、抽象的な理論の出番が無いということもありますよね。似たようなことをあるジャーナリストが言ってました。あと個人的に抽象的な理論に戻るということはもう無いと思うので。抽象的になればなるほど有用性が増すのは恐らく数学のみだと思いますね。物理なんかでも抽象的になりすぎると不毛なことになるケースが多いみたいですし。


結局こういうことを並べると所詮はニヒリストなわけですね。しかもありがちなニヒリストです。論理的な帰結としてのニヒリズムって僕は近代の宿命だと思っていましたが、全ての道はニヒリズムへ通じると言わんばかりのニヒリズムの強さに圧倒されているというのはありますね。結局、過去の哲学者も形は色々であれこういうニヒリズムと戦ってきたわけですよね。でも結局誰も勝てなかったように思うんですね。全部まともに考えればローティーのようなアイロニストになってしまうというのも凄く痛感するところですね。


そこをナショナリストとか革命家とかは非論理的なことでもそこを諦めないのだ!みたいなポイントがいろんなところにあるんですよ。僕はそういうポイントを死守してきた部分もあるんですが、個人的にそれはさっきも書いたように逃げのようにしか感じられなくなったし、むしろそのポイントを死守することで自分のアイデンティティを守るみたいなことにもなりかねないし、そういうのって思想的にアウトですよね。最高に負けている思想ですよね。だからそういう意味でも逃げが凄く嫌なのでやめるようにしたんです。そういう意味でニヒリズムの超越的なニーチェの話も僕の中では逃げの部類に入ってしまったのであまり価値を感じなくなりました。まぁもっとも僕が実践できていればいいわけですが、実践できてませんよね。でもニーチェ的な思想を実践するってある意味で馬鹿になるってことなので、そういう才能が僕にはないんですね。それも最近痛感します。まぁ別のところではもっといっぱい馬鹿なところがありますから逆にまぁそれによってまだ生きられているというところはありますよね。


何か今、ストレッサーなり困難なことがあってでもそれを乗り越えれば大丈夫だ!みたいなのがあればそれってまだ救いですよね。別にストレッサーを必要としているわけではないですし、逆に今はストレッサーがある生活をしているわけですが、でもそれは冒頭でも書いたように別にそれがなくなったところで気分的に楽になるだけで何の解決にもならないわけです。そういうのが分かりきってしまっているからそりゃ鬱になりますよね。むしろならないほうがおかしいと思います。だから普通の人はどうやって生きているのか?っていつも思いますね。楽しそうに会話をしてたりすると何がそんなに楽しいんだろう?ってマジで思います。別に馬鹿にしているわけではなく、よく生きていられるよなって思うんですね。別に自分が取り立てて弱いとは思いませんけどね。むしろ精神がまともだからこそ病むんだと勝手に思っていますが。


あとこういうのに加えて自分がどうとか世の中がどうとかってのを置いておいて僕は気分障害と診断されているので、まぁようは躁鬱的な自然な感情の流れがあって原因が無くても鬱がくる時はくるという生理的なものとしての鬱があります。ちなみに抗鬱剤をマックスまで飲んでいてこれですから自分でも呆れますね。まだ飲んでいなかったりヘビーに飲んでいなかったらもっと飲むことでちょっとはなんとかなるかもしれないのにマックスでこれですからこれまた辛いですね。でも今まで飲んできた中では一番自分にあってるやつなんですね。心療内科の先生も良い先生で全然この辺は問題がありません。問題があるのは僕のメンタルだけで(笑)ちなみに鬱が原因で寝られなくなることも多いのでもう5年以上寝る前に安定剤とか眠くなるような薬を飲んで無理やり寝ています。疲れていないからでは?とかってよく素人は言いますがそんなのまったく関係ないですね。


で、あまりに寝れないときはちょっと飲みすぎてしまってその副作用で翌日ずーっとダルくて日中何もできないみたいなこともよくあるんですね。で、あまりにダルいからカフェインを摂ってなんとかしようと思ってそれでカフェイン依存になってしまって余計に夜寝れなくなるとか胃腸を壊すとかってのもよくあります。あとカフェイン自体摂りすぎると精神的に不安定になりますからカフェインには気をつけてますけどね。ヘビーに摂るのは本当にダルいときだけにしています。


・・・とまぁ「なぜ?」と言われると思いついただけでこのぐらいありますね。環境性ではなく特にこれといった原因があるわけでもないというところがやはりヘビーだと思いますね。ようは治るタイプの鬱ではないですからね。こんな感じで一生やっていくのかと思うと先が思いやられるわけです。毎日大変じゃなくても精神的に大変なわけですから。だから何か没頭できるようなことを探しているわけですね。そういうのが無いと生きていけないので。


あと凄く嫌なのが分からない人には永遠に分からないってことですね。全く何の問題も無い人に見えるので本当にただの怠け病だって思われます。うちの父がそうですね。理解あると思ってたんですが本当に世の中の中年の人の平均的なうつ病の理解程度のものでどうしようもない感じなので諦めてますけどね。妹と母は本当に調子が悪いときの僕を間近に見る機会もあって理解があります。それが唯一の救いですね。家族の理解が無ければ僕は生きていけませんね。


あと普段は僕は自信がある人に見えるそうで、鬱病とかパニック発作だとかは仮病とか、キャラとしてそういう一面も持ってるみたいな思われ方をするということもありました。そんな風に見えるのか!って呆れましたけどね。まぁ普段のウォール伝の雰囲気からいくとまぁそんな感じにしか見えないのも分かるし、リアルでも自分を完全に出せばウォール伝が素なのでそう思われても仕方ないかなって気はしますけどね。ようは見た目には健康に見えるぐらいの人ってことですね。バリバリのメンヘラーっつって映画とか漫画に出てくるようなああいうような人たちなんてほんの一握りですね。大半の人が別に普通の人に見えると思います。それが怠け病だって言われる原因のひとつですよね。実際に僕と似たような感じの人に対して「ゲームはやれてるじゃないか!」なんていう人は腐るほどいると思いますが、いたとしてもそれを説明しようなんて思いませんね。そういう気力を殺ぐぐらい世の中の理解って低いんですね。だから理解してもらおうなんて思わなくなる人も大勢いると思うんですよ。で、余計に他人との距離を置いてしまうという。まぁこれは民度の問題なのでしょうがないと思っていますが。


そういうわけで色々と長くなりましたがこの辺で失礼します。


追加。


別にそんな人生と向き合わなくてもいいじゃん!っていうさ、まぁ結果的に人生と向き合うことになっちゃって精神的に参ってるんだったらとりあえずそれをやめればいいじゃん!って感じがするけどあれなんだよね、ごまかしはもう嫌だ!じゃなくてごまかしの方法がなくなっちゃったんだよね。せいぜいゲームぐらいしかないっていうそういう感じね。こういう精神状態の中で新興宗教とかにハマる人が出てくるわけだ。オウムなんてその典型でしょう。まぁやっぱりなんらかの原理がほしくなっちゃうんだろうね。