いや、ダークソウルにハマっちゃいまして・・・。

最近思うのはさ、いかに虚しさから遠ざかるか?ってことになるんだけどってまぁ前から変わってないけどさ、いや、んで誤魔化すってことになるとやっぱりエンタメじゃないですか?暗い実存の話とかやめにして楽しいことをしましょ!ってことになる。で、楽しいことをやってるとその楽しさ自体に虚しさを感じてくる。ましてや今やってるゲームがダークソウルだから余計にそうなのかもしれないな。ちょっと手元が狂ったとかで何時間の稼ぎがパーになっちゃうっていうさ、まぁこれって死にゲーで知りゲーだからそのプロセス自体を楽しむもんなんだけどまぁエンタメとは程遠いよね。まぁダークソウルの話はいいや。いや、すげー評価をしてるんだけどね。俺は。そもそもキングスフィールドからのファンなのでっつってもデモンズソウルはやったことないんだけど。


で、まぁゲームって何でもそうだけどあるときに作業っぽくなるとゲーム内での実績とか必要な武器とかを手に入れるための苦労をしなきゃいけなくなってくるじゃん?まぁ年始ぐらいに読んでたゲーム系の本によれば社会で極めて得づらい達成感ってのをゲームは与えてくれるっつーことなんだけどまぁそうだけどさ、まぁでもゲームなんだから何でもないじゃん?まぁその達成感のためにやってるぐらいの気持ちがあればアレだけど、何のためにやってるのか?って楽しむためだろうけど、大抵のゲームは楽しむために苦労をしなきゃいけないところがあって、特にダークソウルは顕著だよね。それでもやり通した達成感!というよりかはダークソウルの場合、二度とやり直したくない・・・みたいな疲れる印象なんだけどさ、なんのために疲れてるのか?って楽しむために疲れてるんだよね。


で、特にダークソウルって理不尽な死に方をよくするし無駄に死ぬように作られてるんで仏陀でもイライラするような内容なんだけどさ、まぁでもこれって考えると結局なんでもそうなんだよね。何かをやって達成感!なんてのは主観的なものにしか過ぎないから、だからまぁその達成感というところだけを抽象してきたら手段なんて何でもいいってことにもなるよね。だからそれがゲームだったり山登りだったり何かのコレクションだったり、それ自体に何かがあるってのはそもそも無いんだよね。それは実存的に言ってそうでしょう。そもそも存在ってもん自体がそんなもんなんだからなんつーか微分的に考えるっつーのかな?自分自体が生きるってことはベクトルでしか表現できなくて色々とやったこととか経験したことってのはまぁ一応テンソルっぽく言えるけどもまぁ大森荘蔵じゃないけどそもそもそんなもん記憶なんつーあやふやなもんでさ、客観的に残ってるもんもあるにしてもまぁテンソルと言えるには程遠いよね。そう思うと本当に実体がないなって思う。だからこそ人は有名になりたかったり何かで評価を受けたりしてほしいんだろうな。そのままだとあまりにも無さ過ぎるからね。でもそれは微分的な存在の宿命で、微分っつーかそもそも存在自体がそんなもんなんだからしょうがないんだよね。そこ自体に意味を考えるなんてのは三角関数の意味を考えるのと同じぐらいナンセンスなんだよな。そういうものですピリオド。でしょう。


だからこその強度ってことになるんだけどなかなか毎日強度だらけの生活をするというのも現実的に難しいよね。あともう多分他に無いから俺には無理なんだな。まだ若いけど考える時間が長い人って精神年齢みたいなのがもう爺さんみたいな感じになるのよ。だからもうあとは死を待つのみみたいな感じになる。でもそれにしてはまだ残りの人生が長すぎるから何かやらないと持たないよねってことで何かに没頭するのがベスト!ってことになるんだけど、でもそれだけやってると同じ生活の繰り返しで生きてる感じがしなくなってくる・・・っていうジレンマもあるわけですよ。だからそんな中で思うのはもう我を捨てることだなって思ったね。自分なりの目標を立てて何も考えずにそれを遂行するマシーンみたいにならないとやっていけないなって思ってるんだよね。ようはマシーンになることで我が消えて成すべきことをひたすらやるっていうことになるじゃん?これって禅の三昧ですよね。禅の修行って超ハードコアなのよ。


で、俺は禅の修業をするわけではないけど形式的にはハードコアな禅の修業みたいなのを在野でやり続けるっつーのをひたすらやり続けるしか生きる道は無いなって気がしてるんだよね。そうじゃないと安定しないんだもん。毎日同じことばっか・・・まぁ好きなことをやってるけどたまには他のこともやりたいっつってもゲームぐらいしかない・・・っつってゲームやるっつーこのパターンが好きじゃないんだよね。これやりだすと余計に虚しさが強調されるから、だから虚しさを介在させないような耽溺ではなくひたすら打ち込むってことをやるしかないなって思ったんだよね。耽溺って滅多にできないからね。あとまぁ耽溺できるものとできないものがあるじゃん?単純なデータのインプットなのであればもうそれは理解して覚えるしかない。でもそれは自分にとって必要なことだったらやらないと駄目でしょう。それをやらないとまた待ってるのは虚しさなんですよ。だから我を捨てて三昧しかないなって思ってて。


そう考えると何か楽しいこともやりたい!なんて発想は無くなるからね。楽しいこともやりたい!が余計な虚しさを生むわけだし、三昧マシーンでいたほうが実は恒常性が保たれるならそうしたほうがいいでしょう。っつって永遠とダークソウル三昧になってたりして、まぁこれは無三昧だよね。ネガティブな意味でのね。覚りという意味では仏陀の覚りも絶望している人の覚りも同じだと思うのね。ただ考え方が違うだけで。まぁ決定的なのは見方ですよね。無の客観的根拠や仏教的、禅的論理ってのは頭でっかちでも理解できる。でもそうじゃないんだよね。同じ悟りでも無であるってことが分かってハッピーになれるのが覚者なわけでそんなわけだから俺は永遠と覚者になれないわけだ。この少しの違いが覚者と凡夫を分けるものなんだよね。で、この見方や感じ方ってのは何かを読んだりして得るものではなくて恐らく会得するもんなんだよね。でも大抵の人は無理ね。まぁ俺の話になるけどさ、人一倍無について分かっていたり感じててもね、でもそれが無理でも逃げるんじゃなくてそれとずーっと取り組むってことだよね。で、ゲームですかって感じだけどさ、まぁようは無という魔が差さないように何かで時間を埋め尽くすってことだよね。本当に俺は凡夫だよなぁー。結局、その辺のやつらとあんま変わらないんだもの。根本的なところでは。でも俺は無からは逃げないぞっていう。空虚な無を悟りの無に変えるしかないってことなんだよね。でもそれは俺には無理だけど、とりあえず逃げずに無と付き合っていく生き方をしていくしかない。


まぁでもハマれるものがあるって幸せなんだよね。ゲームやりまくって飽きた後に読書に飢えるってのもメリハリがあっていいんだよね。おかげで全然進まないんだけど。やることが増えたのにねぇー。あ、前に書いたっけ?ラストレムナントやりながら永遠と経済学の講義を見てるって。でもまぁ今はダークソウルなんで無理なんですよね。パソコンが二台あれば大丈夫なんだけど。あ、んでね、ダークソウルはあれなんだよね、最初は例によって魔術師で始めてまぁ予想通りの苦労をして、んで病み村ってところで詰んで嫌になってすげー直接攻撃をしたくなって技量系の剣士を作ろうと思って放浪者で始めてんでまたこれもそれなりに苦労してアノール・ロンドまで行った結果、やけに魔術師のほうを続けたくなってっつーかもう色々と詰んでるから余裕で攻略サイト見てるのよっつってもマップとかは見ないで武器とかアクセサリのデータね。もう見落とすようなところに重要なものがあったりするわけなんだよね。キングスフィールドから何も変わってねぇーなと。まぁそれがいいんだろうけど。んでもなんか無駄に時間がかかるように設計されてるような感じがあってさ、プレイヤーはボリューム満点!って感じるかもしれないけど、ロストして取り返せない!みたいなそんなもんを効率の良いソウルの稼ぎ方とかで補填しながらやるわけだからただの作業ですよね。そこが冷めるな。経験値と金は分けるべきだよね。


金はあのシステムで良くて経験値はその場で得たらもうそれはその場で経験値でいいじゃないですか。あとやっぱりキングスフィールドもそうだしスカイリムなんかもそうだけど攻撃したものとか行動によってステータスが変わってくるみたいな、そういうのにしてほしかったよね。刀レベルとか斧レベルとかそういうのが細かくあってよかったと思う。これってだいぶ違うよね。ロストしても斧を使いまくってたから斧のスキルレベルはかなり上がったなぁー!とかって思えるじゃん?なんでもかんでもソウルだから効率的に成らざるを得ないんだよね。これが何気に最悪なんだよな。魔法で倒そうが斧で倒そうが何も関係ないんだもんね。敵が勝手に落下してもそれがソウルだもんね。敵が勝手に炎で焼かれて死んでもソウルが手に入るっつーかそれはいいんだけど経験値的なものと同じ扱いになってるからすげー嫌な感じがある。やっぱりあれなんだよね、実感したいんだろうね。やっぱり魔法は使えば使うほど強くなるっつーか術者のスキルが上がるってまぁ日常的な感覚で納得するじゃん?あとはまぁロマサガっつーかラストレムナントみたいに武器も使えば使うほど強くなるっつーそっちのほうが良かったよね。死のうが何しようが何百回と使ってればその武器が強くなるっていう。それ無しだと素材さえ手に入っちゃえば強化できるってまぁ後半は便利なんだけどこれもなんだかなぁー。結局全部ソウルですかっつーか全部金かよ!っていう。呪術に関しては金払えば誰でも強くなれちゃうんだもん。完全に魔法使いの気持ちが分かってないなと。


まぁある意味逆ギレなんですよね。俺の。もうこういうシステムなんだったらこだわりとか捨てて効率的にやればいいやと思ってアノール・ロンドまで行った剣士を中断して魔術師をまた進めたんだよねっつーかまぁこれは知りゲーだから色々と分かってると進むのが早いわけだ。で、効率重視でまぁ話を色々と端折るけどもまぁなかなかの高火力の魔術師になったわけですね。で、ローガン先生の発狂イベントが見たくてたまらない!ってのが今の状況ですかね。色々と飛ばしていきなり公爵の書庫に行っちゃってまぁ結構大変だったけど準備は整ったね。あとあれね、もう必須なんですけどまぁこれって勝手にオートセーブされるんでセーブしたいときはフォルダのセーブデータをデスクトップにコピーするっつーのはもうチートっつーよりかは無駄に最初からやらされてそこまでに行く時間が長いとかっつーんでプレイ時間が長くなってるからまぁこれも効率化ですよね。絶対やるまい!と思ってたけどダンジョンのデザインとか悪意がありすぎるんでまぁそれはもうしょうがないよね。で、これやるとまぁ簡単になるわけじゃなくて相変わらず死にまくりだけど死ぬ寸前からまたよく死ぬ場所をトライしなおせるから単純に時間の短縮になるんですよね。あの部屋が気になる・・・落とし穴でもあるんだろうか?みたいなことで迷ってて実際落とし穴だったとか鉄球が転がってきて死んだとかそんなんで何回も死んでて最初からやり直しって昔のゲームじゃないんだからさ、そんなんでプレイ時間稼ごうとしても無駄ですよね。あとここまで効率が悪くなるとそりゃプレイヤーも手を打ってきますよ。


それをやらせないレベルで留まらせるのが絶妙なゲームデザインなのにダークソウルは難しさっていう概念を捉え違えてるね。手元のちょっとしたミスで落下して死ぬってのは難易度ではないんですよ。タクティカルに進まないと絶対無理!とかね、なんかこっちを唸らせるような良い難しさじゃないと駄目だよね。いかにも!ってところを渡らされて落下死しそうな場所を敵が弓で狙ってくるとかカイジみたいな世界じゃないですか?これは正直ダサいよな。いや、カイジはいいんだよ。これでもか!な理不尽さがいいんだけどダークソウルは野暮ったい難しさだよね。神ゲー要素は満たしてるのにすげー勿体無いなっていう。2に期待ですねっつーかまだ終わってないのに2が待てない!!愛憎入り乱れるゲームだね。これは。でもそれを良さにしては駄目だ。やっぱり。まぁ荒いってことですよね。ソフィスティケートされてないんだけど世界観とか雰囲気はさすがにもうバッチリ!っていう。だからまぁ勿体無いんですよね。かといってもライトゲーマーがすぐに手を出せるようなそんなお手軽ゲームにしろ!とはいいませんよ。


もっとマニアを唸らせるようなハードコアさがあったほうがいいよねってことだよね。手元が狂って全部パーとかそれは駄目ね。手汗かきすぎて湿疹できちゃったもん。ノートパソコンのキーボードがベッタベタなんだよね。一説によれば洗ってないキーボードの雑菌って便座と同じぐらいらしいけど俺のっつーか妹のマックのキーボードはもう無残ですね。俺のマックは壊れたままで買ってないんですよ。なんかもう本当に駄目だね。俺って。妹のマックで永遠とゲームやってるとかクソな兄だよなぁー。で、それを分かっててあえて何も言わず自分が必要なときにパソコンをやれる方法ってのを自然に探し出してやってるっつーまぁ俺の妹って俺の駄目さ加減とは真逆のすげー出来てる子なんですよ。で、夕食買ってきてっつって俺がゲームとか小難しい本とかも読んでるせいでカフェインジャンキーだって分かってるからドデカミンとか買ってきてくれるしね。俺は環境に恵まれてるよな。本当に。だからローガン先生みたいに永遠と色々となんかやっていられるわけで。


それを利用して普通じゃ行けないような境地に行くのが俺の目的だからね。これは前から変わってないな。永遠と何かにハマり続けててそれをマスターしていったらどうなるのか?って最終的に素っ裸になって帽子だけ被って「俺の研究の邪魔をするなー!!」とか外で叫びだすかもしれないけどね。ローガン先生は俺の生き写しだな。ゲームの中に俺がいる!って思ったもん(笑)だからこそ余計に魔術師でやる甲斐があるのよ。戦士だとあんまりローガン先生関係で恩恵を受けられないからね。あーもうローガン先生好きすぎてしょうがないな。ローガン先生のスピンオフとか作ってほしいぐらいだわ。「知識を求めて」っつって永遠と世界を旅するみたいな。大量のミイラが守っている伝説の古文書をどうしても読みたい!っつーんで魔法一つでピラミッドに突っ込んでいっちゃうとかね、誰か作ってくれ。マジで。


まぁそんな感じですね。んじゃまた。