リアリティーホラーショー。

いや、スナイパー関係の本を読んでるとさっていうかやっぱりそうなのかぁーっていうね、色々と書くのが面倒だから端折るけど厳しいトレーニングとかとりあえず歩兵からみたいなキャリアとかなんとかそういうのも含めた帰結としてのスコープ越しに敵を覗いて撃つっていうさ、いや、これなんだよなー。居合いもこれなのよ。失敗したら死ぬ可能性がめちゃめちゃ高いって中で凄まじい緊張感の中で抜刀をする瞬間っていうそれ自体が自分の生死を左右するっていうことと同時に技術としてのartっていうのが試される瞬間でもあるって色んなエクスタシーの頂点みたいなもんだよね。それがすげー集約されている瞬間だと思うね。だからまぁ凄いらしいんだわ。アドレナリンっつーか何にも変えがたい快楽なんだそうですよっつっても殺しを楽しむっていうよりかはやっぱりその緊張感とか技術とか生死がかかってるとか色んな要素を含めてそれが成功したときの快楽ってことなんだと思うよね。セックスよりも気持ちいいなんつってさ、いや、快楽ってまぁその種の保存とか自分自体を守る防衛システムに直結するようにできてるじゃないですか?ニュートラルにしてれば基本的に快楽が伴うものに流れるんでまぁようは判断というよりかはその快楽を指標に防衛とか種の保存がなされるっていうさ、まぁでもドラッグとかアルコールとか身を滅ぼすものも多いから一概には言えないんだけど、スナイパーのその敵を射止める瞬間ってのはまさに生存本能とかスリルとか一応まぁ社会的な義務を果たしているっていう達成感だとかなんだとかってのがまぁ集約されてるんだよね。


やっぱり生き地獄って生きるために生きることから生まれると思うんだよね。でも例えば真剣勝負とか戦場とかってまぁ死ぬのは覚悟してるわけじゃん?だからこそ生がよりビビッドに感じられるっつーのかな?戦争ジャンキーって本当に分かるんだよね。実際は良いことばかりじゃないどころか凄まじく退屈で不快な地獄なんだけど一瞬のスリルとか死ぬかもしれないっていう緊張感とかなんだとかってのがまぁそういうのにハマってしまったら抜け出せないものなんだと思うんだよねっつーか人類の起源を考えればそもそも狩猟民族ってデフォで生きるか死ぬか?ってのを毎日やってたわけじゃん?だからそういう本能が残ってるって言っちゃえば話は楽だよね。犬とかでもネズミをかみ殺すっつー仕事があった犬種だとおもちゃで遊ぶときにもその噛み方ってのがネズミを殺す噛み方が残ってたりするんですよっていうかまぁあれなんだよな、大抵の人間は農民だったとしてもそりゃ戦士もいただろうからさ、で、戦士ってのが必要とされなくなってるっつーかまぁそれこそ軍隊とかに入らない限りほかに戦士って道はないじゃないですか?でもまぁ日常の中に戦いがあったってのが人類を見ればそっちのほうが明らかに長いんですよねっつってもまぁ幕末関係の本とか読んでるとよく出てくるのが武道の形骸化なんだよね。畳剣法だかって揶揄されるような実践的ではないっつーかまぁそもそも実線ってのが日常の中で滅多になくなってきてるから剣術ってのがあんまり必要とされなくなったんだよね。いや、あれなんだよな、そのあれよ、「戦いと人間」なんだよね。ようは。


そういう戦いが直に生存そのものと関係していた時代が長かったんだけどそうじゃなくなると基本的に戦いってのはホッブズ的な戦いになるじゃないですか?生存をかけた戦いっていうさ、でもそれは物理的に戦うんじゃなくて少ないポストを取り合うとかその業界でなんとかして生き残るとかなんとかっていうライフラインの死守だよね。それに人生が費やされることになるんで人生がクソゲーみたいになるんだよね。いや、居合いの流れから完全に戦士としての自分に目覚めたのかなんなのか分からないけどさ、戦いって人間にとっては必要なことなんだよね。無いのが一番良いっつっても人間の類型として戦士型ってのがいるわけだし、人類が歩んできた流れってのを変えるってのは難しいことだと思うんだよね。あとまぁ思うに戦士型ってそういうライフラインの死守のために生きるってのが苦手なんだと思うんですよ。過去の剣豪とか現代の兵士とかの話を見たり聞いたりしても生活の中に生死に関わるそのものが内在化されているってのが絶対的に必要な感じがするんだよね。どうやって生きていこうか?なんじゃなくて生きるやり方ってのが用意されているっていう感じか。まぁーでもそれを言い出すとなー、与えられる仕事があったほうが人間は迷わないみたいな話になってじゃあfree willって何なのよ?って話になるもんね。でもそうじゃないでしょっつっても生きていく方法って限られてるもんねってまぁそこをあえて限られてるって思わないほうがいいんだけどまぁ直感的には結局はバイトとか就職じゃないですか?凄まじく死んだ生を生きるためにそういう道を選ぶっていうさ、なんかねーこの仕事とか労働と人間疎外って本当に深いテーマだなって思うんですよねぇ。改めて。


確かにまぁ収入のために仕事をやってるのはわかるけど即物的にそれを観察したときに「俺は何をやってるんだろう?」的な感覚に襲われるじゃないですか?まぁ俺はこう見えてバイト経験が割とあるからそれは本当に昨日のことのように覚えてるわけよ。だからまぁあんなのは二度とゴメンだ!って思うからこそそうならないように色々とやっていこうってまぁ思うわけじゃないですか?いや、あのね、コンビニでバイトしてた時なんかもおでんとかってまぁずーっと開けっ放しだからごみ入るじゃん?それを取っているときとかさ、もう凄い感覚だったよね。生きてるのか死んでるのか本当に分からないっていうかもうゲシュタルトが崩壊してぶっ倒れそうな感覚になってたよね。自殺する寸前までブログをやってた人の死ぬちょっと前ぐらいのエントリーとかってこういうぶっ倒れそうな感覚に陥っている人が多いっていうかかなり共通の症状だよなって思うんだよね。生きるためにそれをやってるのにそれによって殺されるなんて!っていうさ、でもそれだけで見ると兵隊も一緒なんですよね。生きるためにソルジャーになってるわけだけどまぁそれによってあっけなく死んだりするわけじゃん?全然場面っつーかまぁ状況は違うんだけど構造的に似てるんだよね。


でも皮肉なことにソルジャーとかのほうが割と能動的だよねっていうかまぁそりゃ志願して行ってる人が多いからだと思うんだけどっつってもまぁそりゃ誰でも死にたいとは思わないけどさ、明らかに忍び寄る死とか突然訪れる死とかさ、直感的にそういう死が怖いって思うんだけど最近色々とまぁそういう戦争とかの本を読んでて思うのはね、逆にこのなんつーのかな?現代人特有の内面からジワジワ死んでいく感じっつーのかな?戦場に行けば生きているってこと自体のありがたみが分かるみたいな話ってよくあるけどそれって生きるってことの次元が違いますよね。管理下された中で死んだように生きるのかwild westみたいな環境の中でサバイブしていくのか?って意味が違うじゃん?荒野と管理下された社会の生は違うのが当たり前ですよね。だから戦場に行けば平和とか生きていることのありがたみが分かるってまぁ相当無知な人ならともかく色々と知っている人にとっては全然リアルな話じゃないと思うね。管理下された環境の中では常に内面から滲みよってくるような根本の死と向き合ってるわけじゃん?日々。で、急にメンタルぶっ壊れる人もいるわけだ。でも居て当たり前だよね。それと戦場のストレスってどう違うのか?ってまぁタイプは全然違うんだけどどの道、死と関係するストレスであることには変わりないんだけど、思考実験としてさ、いや、過去の特に嫌だったバイトの環境で永遠とやっていかなきゃいけないっていうことになったとして、んでその一方で戦場に出向いて戦うっつー選択肢があったとしたら間違いなく俺は後者を選ぶってことなんだよね。いつも書くように前者の場合、そっていうれを選択した時点でもう死んでるわけよ。で、それってまぁすげーあれじゃないですか?slow suicideなんですよね。


すげー嫌なやつと毎日顔を合わさなきゃいけない環境と爆弾がどっかから飛んでくる環境とどっちが嫌か?って嫌なやつのほうが嫌なんですよ。内面の死をもたらすものだよね。爆弾は物理的な死じゃないですか?そりゃどっちも無いに越したことはないんだけどね、でも内面の死の可能性があちらこちらにある環境って簡易爆弾があちらこちらに埋めてある環境と変わりないじゃん?って思えるんだよね。まぁそりゃその人の環境次第ですよ。戦場はその人がどういう人であるとかは関係なく物理的な破壊の可能性ってのがあちらこちらにあって管理下された社会ってのはそりゃ人によりますよ。ただまぁね、多いじゃないですか?爆弾が飛んできてるわけじゃないのにストレスから鬱になって自殺しちゃうんだもんなっつーか戦死者と自殺者を比べるっておかしな話なんだけど戦死者ってまぁ生きようとしていてアクシデントで死んじゃった人たちじゃないですか?自殺者って自分から死を選ぶんだから同じ死でも全然違うよね。でも生きるっていう中で死んだんだからKIAでしょう。戦争の異常さとかってのってよくスポットになるっつーか映画でも戦争の狂気みたいなのがテーマになってるのって多いけど俺にしてみれば社会のほうがよっぽど狂ってると思うんだよね。


戦場の死は不条理か?ってまぁ不条理に思えるけど覚悟している死じゃん?でも死ぬつもりはないのに死のベクトルに向かうような生しか生きられない環境って凄まじくマッドな環境ですよね。まぁ分からん、自分がまぁ色々と見えすぎるんで不幸になってるタイプっていえばそれまでなんだけどね、まぁでもそれ自体を見れるってのは良いことだと思うね。不幸になっているってのは相対的なもんでそれが分かった上でどう幸福を追求していくのか?っていうまぁ深い生について色々とdigできる感じっつーのかな?そういう余地があるような気がしてならないよね。まぁ別に今は不幸ではないんだけども、俺が恐れているのは内面の死なんだよね。本当に。だから本当に死について考えない日は無いぐらいだよね。そんな中でまぁ死の種類は違えど戦争における死ってまぁ色々あるわけじゃないですか?なんかそんな中でね、色々とまた考えちゃうんだよね。結局は死に方なのか?とかさ、どう死ぬか?ってことなのか?ってまぁ武士道っぽい話になるけどでもまぁソルジャー系の哲学っつーか考え方はやっぱ共通していてどう死ぬかが重要なんだって思っているソルジャーは多そうだよね。


だとすれば死んだように生きているなんてことはありえないわけで、戦場で仕事をしているソルジャーにとってはコンビニの店員なんて戦場以上の地獄なんだと思うわけよ。まぁソルジャーっつっても色んなタイプがいるけどさ、なんかこうね、日常に殺される人ってそんなに少なくない気がするんだよね。いや、ただの日常ならともかく、くそみたいな仕事と同僚と上司みたいな環境に居るってことが日常なんだとすればそれって戦場以上に過酷だと思うんだよね。戦場でのストレスによる下痢と職場でのいじめによる下痢とどっちが辛いのか?ってこれまたあれなんですよ、すげー単純化すると前者は物理的な身の危機による緊張による下痢ですよね。で、後者は精神的なダメージによる下痢っつってもまぁ戦場では精神的ダメージも凄まじいわけだし、ましてや軍隊でもいじめってあるしそれで自殺とかもよくある話だから結局はどうしようもない人間がいる限り内面から人を殺すような要素ってのはなくならないってことだよね。何が人を殺すのか?ってやっぱり人なんだよな。それがいじめであれ爆弾であれ銃であれなんであれ人なんだよな。そういう殺し合いをしてるんだよね。そんな中で平和を願うなんて言ってられるヒッピーみたいな思想とか一方的な反戦運動とか本当に本質突いてないよね。そういうのができる人はまた幸せだと思うのよ。なんかこういう現実のどうしようもなさに気がついてないじゃん?だから戦争とか暴力が無くなれば色々と解決できることもあるなんて考えられるわけだよね。でも人による人に対する攻撃って戦争とか物理的な攻撃以外にあちらこちらにあるわけじゃないですか?


いや、何が言いたいのか?っていうと戦場の異常さによるPTSDが問題になっていますとかってまぁよく言うじゃないですか?でもそれって理解できるよね。いやーそうなるよね。普通は。っていうようなものじゃないですか?そりゃ辛いのは当たり前なんだけど。でも普通に大学でて就職して真面目にやってるのに鬱になって自殺しちゃうとか戦場でもなんでもない場でこんな死があちらこちらにあるってめちゃめちゃ不条理だし報われない死っつーかなんつーかさ、本当に恐ろしい死だよね。死にたくない!妻と子供に会いたい!って思いながら死ぬのと誰とも会いたくないっつーかこの世から消えたいと思って思い残すことはないどころか現実とおさらばしたいから自分で死ぬっていう死とどっちが辛いか?ってまぁ比べられないですけどね、まぁでも俺は後者だと思うんですよ。ソルジャーは仕事柄しょうがないじゃん?それがあってのソルジャーなんだから。でも一般人って別に死ぬ必要ないじゃん?なのに自殺してるんだもんね。こんなもん戦場なんか比じゃないぐらい狂ってるよ。なんつーか真面目にやってるのになんでこんな目にあわないといけないんだ?っていうような不条理って凄まじいじゃない?何に対して怒っていいのか?ってまぁ例えばそれは矛先がブラック企業とかでいいっつっちゃーいいんだけど異常な労働環境が容認されているこの現実とかね、いや、戦場で爆弾が爆発するとか弾が飛んでくるとか当たり前じゃないですか?でも狂った現実の場合、真面目にやってる人が不条理な死に方をするじゃないですか?でもそれが当たり前とされていて狂気の沙汰とはされないんだよね。戦争というものを見て見ぬふりをする人間が一番残酷なんだ!とかさ、戦争関係のこういう言い方とかって腐るほどあるんだけど普通の真面目な人が今もどっかで自殺しているっていうことが当たり前になってるってこれ以上の狂気はないと思うんだよね。だからもうどんな狂気でもその辺で起こっているクソみたいなことのほうがよっぽど狂ってるから狂気をテーマにした映像とか作品とかビジュアルとかなんでもいいんだけどどれも現実に勝てないよね。現実の前ではどんな狂気もエンターテイメントだよね。


俺が狂ってるように見えるけど普通にしてる普通の人が一番狂ってたりするじゃん?普通にしてるんだけど凄まじい罵詈雑言とかを平気でネットで書いたりしてるやつとかがまぁまったく普段はそんなことをやりそうにない普通の人に見えるわけじゃん?これってもうどんなホラー映画も永遠に勝てないホラーだよね。俺が人間嫌いなのは当たり前なんだよね。人間ってもう本当にホラーですからね。ゾンビとかジェイソンとかのほうが逆に親しみを持てるぐらい普通の人間って狂ってますよね。もうなんかあれなんだよね、世界がホーンテッドマンションみたいなさ(笑)全部お化け屋敷だよね。基本的に。だからお化けなんかより人間のほうがよっぽど怖いんだよねってまぁ俺のおばあちゃんがよく言うことなんだけどマジでそう思いますよね。だからそんな俺にとって犬ってのは本当に救いなんだよね。犬と生活してるから生きていけてるんだなー俺って最近本当に思うのよ。犬ってホラー属性持ってないからね。ましてやちゃんと躾けていればね。人間って生まれながらにして誰でもメガテンで言うところのダーク属性って持ってるじゃん?で、行き過ぎると悪魔みたいな人間が出来上がるわけじゃん?でも見た目では全然そんな風には見えないってところが悪魔より怖いわけじゃん?「うわー!悪魔だー!」って思えるようなガーゴイルみたいな見た目とかさ、そんな見た目があったほうが楽ですよね。無害に見える普通の人が怖いのって内面が全く分からないってことじゃん?上品な紳士に見える人が人食いだったとかってよくミステリーとかホラーのモチーフであるじゃん?でもそんなもんその辺でごろごろしてるじゃん?根本の凄まじいダークの部分を持っている人間こそ隠して生きてるじゃん?それがホラーなんだよね。


だからいかにも悪そうなやつのほうが全然ましなんだよね。さっきのガーゴイルって話なわけですよ。やくざとかギャングとかなんてもう見た目が怖いからその見た目から内面も分かるじゃん?だから見た目は怖いけど存在自体はホラーではないよね。でも何を考えてるのかどういう人なのか分からない人って基本ホラーですよね。見えないところで人の悪口ばっか言ってるとか実はいじめが大好きとかネットでどうしようもない書き込みをしてるとかさ、普通のサラリーマンとかコンビニの店員とか人畜無害に見える人がそういうことやってるから怖いんだよね。明らかにテロリストっぽいやつがAK47ぶっ放してるほうが怖くないでしょう。分かりやすい怖さだからね。これは。呪怨とジェイソンの差みたいなもんよ。日本は特にそういう呪怨的な悪質なホラーが多いんだよね。だから嫌いなのよ。日本は好きだけど日本人はホラー属性を持ってるやつが多いから本当に嫌いなんだよね。なんであんなに嫌なやつが多いのかね。だからこそ善く生きるってことの大事さってのがさ、いや、滅多にいないわけでしょ?で、自分は善く生きられそうなんだったらそれを追求するべきだね。ダークなやつらとは戦わなきゃいけないっつーかまぁ戦わなくて済めばいいんだけど必要があったら戦うべきだよね。っつってもテロリストみたいに明らかな敵って見分けがつかないのもまたベトコン的な普通の格好をしていきなり襲い掛かってくるみたいな恐怖があるわけじゃないですか?そういう恐怖に常に苛まれるっていうさ、で、接する人ってまぁ選べないじゃん?だから選べる立場にならなきゃいけないんだよね。そうじゃないと身を守れないわけで。


まぁそんな感じなんですがね、あとあれなんですね、学問系のことに関しては最近、情報と知識の違いが分からなくなってて混乱してるわけですね。まぁレベルアップですけどね。数学は当然として情報理論みたいなのも読んでるからなんだけど、なんつーかまぁあれなのよ、学問は素晴らしい!っていうか研究はとりあえず良いことだ!みたいな価値観あるじゃないですか?それが崩れてしまってるんですよね。知識自体に価値を感じなくなってきたわけですよ。で、最近はもっぱら知るということよりも経験が重要だなって思うようになってきてですね、で、いきなり「そんじゃまたね」って終わってみるわけです。