現代音楽を作ることにしました。

今はまぁミックス作ってる最中なんだけどさ、こうなってくるとなんかまぁある意味普段の感じに戻るっつーのかな?「とりあえずゲーム」っつー悪癖が無くなっていいなっていう。最近割と頻繁に書いてるのもそういうことなんだよね。あとまぁやっぱり「どうしようか」とずーっと考えるわけじゃん?ミックスに関して。で、その考えるっつープロセスをずーっとやってるわけでまぁだから他のことに意識がいかないじゃん?だからまぁゲームとかどうでもよくなるんだよね。それがなんか逆にいいなーと思ったりなんかして。ゲームばっかっつーのも凄まじく貧しい生活だなって改めて思ったんでしたね。ゲームやりながら考えたりするのはいいんだけど永遠と没入したままっつーのもなんかね、あとなんかやっぱどうでもいいことでも書いてることとかさ、誰も聴かなくてもミックスとかさ、残るじゃないですか?ゲームって何も残らないもんね。まぁもちろんやってる時の強度が得られれば良いので何が残るか?なんてのを基準に判断する必要はないんだけど、とりあえずゲーム的な惰性って駄目だよなぁーって思いましたねっていうかミックス作っててやっぱり作るって作業が楽しいなぁーって改めて思ったんですよね。あとまぁ最近書いてるそのね、アコースティックな音の表現の深さとかね、すげーまた聴き方が変わってきて楽しいんだよね。まぁ単純に聴覚を使うということがまぁ単純に運動をするときに体を使うみたいな使う場所の違いってのがあって他の場所も使うと良いっていう一般論になるんだろうけどやっぱり音楽って自分に必要だね。


あとあれだね、アコースティックにフォーカスするって何気に無かったからね。今まで。まぁ身体性云々の話から生の演奏が究極の音楽だ!ってことはまぁあれじゃん?帰国後すぐぐらいに気がついてんでギター買って鳴らしてたり阿部薫聴いたり高柳聴いてたりしてたじゃん?だからまぁそういうパラダイムシフト的なことはもう前からあったっつーかあれから3年経ってるっつーのが信じられないっつーかこういう年になるともうただひたすらおっさん化していくだけだよなとかって危機感を感じつつ今回のミックスを作ったりしているわけですがね、うん、ただやっぱ現代音楽っつってもエレクトロニクス系以外のは持ってたけど好きじゃなかったし良さが分からなかったけどまぁ前に書いたことの繰り返しになるんだけどクラシックをがっつり聴き始めてまぁある意味あれなんだよな、ちょっとした音楽理論とかも書いてあるクラシックの歴史みたいな本も読んでるから流れが面白いっつーのもあるよね。


こういう流れがあってまぁこんな感じの前衛ってのが生まれてきたんだとかなんだとかっていう。で、まぁCD買いまくってるんだけどシェルシっつー作曲家のやつがすげー良くてさ、一つの音にめちゃめちゃフォーカスするっていうまぁ90年代後半の東京の即興音楽シーンみたいな感じの音へのフォーカスの仕方ってのを独自にやってた人でさ、まぁ作品がすげーいいんだわ。音響派!っつーと安っぽくなっちゃうぐらい良いんだよね。あとは定番かもしれんがノーノとかね。本人の時代による作風の変化とかも含めてすげー面白かったりする。で、まぁ元々持ってたクセナキスとかリゲティとかを改めてちゃんと聞きなおしてみるとやっぱ凄いんだなって今更理解できたような感じですわな。


っつーか今後は現代音楽の研究ってのを生活に組み込もうかなと思っててっていうかテーマになってるんだよね。いや、相変わらず軍事系のやつとかも読んでるけどまぁあれじゃん?例によって今は音楽になってるからそっちにフォーカスしててミックスを作りつつ現代音楽を聴きまくってるんだよね。あ、もちろんクラシックもなんだけど。あ、んでまぁ作ってるミックスなんだけどさ、DJMIXとコラージュの合間ぐらいってイメージでやってたんだけどまぁどんどん激しくなってきてまぁなんかもうあれだわ、現代音楽とか即興演奏なんかの素材を作って自分で現代音楽作ってるみたいな感じになってるんだよね。いや、それがまぁあれじゃないですか?こういう性格だから好きになるとやりたくなっちゃう!ってやつでまぁもうミックスじゃなくなってるっていう(笑)


で、まぁ作ってて思うのがさ、例えば現代音楽を再構成しましたっつってもそれを譜面で書いてアカデミックな作曲法をしてないからって意味で作曲にはならないとかさ、いや、何を持って作曲とするのか?って本当に思うよね。DJMIXでもターンテーブリストの人のやつとかってもう本人の作品じゃん?色んな曲を回してるんだけど再構成とか色んな楽曲を利用して本来の楽曲にはない効果を生み出したりしてさ、これってあれなんだよね、いや、パクリ作曲家とかよりもよっぽどコンポジション寄りだと思うんだよね。こないだ書いたパクリ作曲家系の人たちってまぁコピペを生でやってるわけじゃん?サンプリングではなくて作品を分析してそれを譜面っていうデータにして再構成して自分の作品だって言い張ってるわけでしょ?


んでもあれなんだよな、サンプリングだったらそれはサンプリングという意味でパクリにはならないのか?って話なんだけどさ、いや、どういう違いなのかな?ってことなんだよね。結局まぁすぎやまこういちみたいなのってコピペだらけなんだけどあれをサンプリングと考えるとやけにポストモダン的な雰囲気が出てこない?本人がそういうコンテキストではなくて完全に剽窃という意味でやっているから悪質なだけであって例えばジョンゾーン的なサンプリング感覚でやってればそれは現代音楽的というか凄くラディカルな感じがするんだよね。でもこれって結局は「そういう意図でやっています」っていう外部情報による違いでしかないよね。まぁそりゃ聴けばさ、ジョンゾーンのほうがかっこいいわけだけどさ、まぁソリッドなサンプリング感覚ってあるじゃない?それとパクリ作曲家の剽窃とは全然違うんだけど全く外部情報が無い中で音楽そのものを聴いた場合、結局それはどうなるのか?って話じゃないですか?


まぁこういうところのトリックを悪用してるわけだよね。剽窃作曲家は。で、サンプリング作家とかジョンゾーン的なサンプリング感覚とかってのはそれを効果的に使って「あの有名曲がループしている」とかヒップホップでも「あーあのネタか。かっこいいな」っていうさ、んでもこれって引用ではないんだよね。サンプリングってそのまま使うってことだしまぁある種ミュージックコンクレート的な異化でもあると思うのよ。素材を使ってあとビートとかと合わせて全く新しいものを作るっていう。まぁ基本的に俺が何かを作る場合、どんなものでまぁ基本的にこれなんだよね。これしかできないっつーのもあるしこれが好きだしあとはまぁ手癖でそうなってしまうってのがあるんだけどさ、んでもまぁあれなんだよな、まぁジョンゾーンとかあとヒップホップとかディスコハウスみたいなのは別として、色んな作品から取って来た素材にエフェクトをかけたりなんかして再構成して曲として完成させるっていうのもさ、まぁこれって音響とかでよくやられる手法ではあるんだけど、なんで素材をそのまま使わないのか?っていうとそこがまぁなんなんだろうな?著作権なのかそのまま使ったらそのままになっちゃうからってことなのかさ、なんか分からないよね。


いや、説明が相変わらず下手で恐縮なんだけど、今作ってるミックスだとまぁ自分の作品にしよう!とは思ってなくてあくまでミックスっつー感覚でやってるんだけど、だんだんとやってる中でどんどん再構成っていう方向になってるんだよね。んでも曲はそのままなんだよね。細かく切り貼りしているわけじゃなくてあくまで曲は曲として流すんだけどっていうかまぁその曲自体を流しておきたいんだよね。でもそうなると作曲ではないよね。でもまぁ色んなものを重ねたり部分的に使ったりしてるって意味ではコラージュ的なんだけどでも楽曲をそのまま使ってるって意味ではミックスなんだよね。だから今俺がやっていることは何なんだ?ってことになるわけですよ。ようはさ、現代音楽が作りたいんだけど音楽理論分からないし生楽器なんつーものもないから無理なんだけどでも「こんな感じの」っていう漠然としたイメージはあるわけじゃん?それを実現するために色んな楽曲を使いまくってイメージ通りのを作るってのははたして製作なのかミックスなのか?ってことなんだよね。


逆に全く別物になっちゃってればもうそれって作曲なんじゃないの?って言えなくもないと思うんだよね。でも作曲という割には楽曲がそのまますぎるっていう。じゃあもっとカットアップ的に細かく切り貼りしていけば作曲になるのか?って別にそれって細かさっていう技術的な問題だよね。あとはまぁ作品として成立させる場合、まぁそれって流通させるわけじゃん?だからまぁ著作権がある楽曲を丸ごと使うわけにはいかないっていうのはただの制度的な問題じゃん?ネットみたいなダダ漏れの世界だとまぁクリエイティブコモンズだって言っておけばとりあえず何をやってもいいわけじゃないですか?(笑)っつーかそういう従来の制度に縛られない世界だからこそ作れてる面白いものっていっぱいあるわけだよね。まぁ映像とかにしてもプロ作家ではないんだけど例えば何かの映画で「ファック」って言っているところだけをまとめてみましたとかさ、素人的なんだけど玄人の映像作品とかよりよっぽど面白くて膨大なアクセス数を稼いだりするわけじゃん?


でも別にそれがお金になるわけでもなく、あとまぁそういうのに「著作権侵害だ!」っつってクレームつけて削除するとダサいじゃん?その映画の製作会社とかのイメージが悪くなるわけでまぁそれってネット時代では絶対やらないほうがいいじゃん?だからまぁ侵害なんだけど商用じゃないんでまぁいっかーぐらいに黙認されてるとかさ、いや、これだとやっぱり二次創作ってことになるんだよね。著作権侵害なんだけど別にそれで金儲けしてるわけじゃないから素材として何でも使いまくっていいじゃないですか?ってことが可能になってるんだよね。そんな中でむしろ大胆に素材を使わないって手はなだろって思えるようになってきたわけで、まぁそれがあれだよね、マッシュアップを作りまくる!っていうことに繋がったわけだよね。「もうこれは俺の作品ってことでいいじゃん!」っていうある種の開き直りっつーかなんつーか(笑)


んで、だったとしたら今の俺は現代音楽が作りたいわけで、だからまぁ現代音楽を使いまくって勝手にごちゃまぜにしたものを作っちゃっても別にいいじゃん?ってことになるんだよねっていうか制度的な縛りってのを考えなくていいし、あと「自分が作曲しました」って名乗りたいわけでもないわけで、だったらまぁ単純に作りたい音を作っちゃえばいいんだよね。いや、んでさ、例えばね、マッシュアップなんかにしてもそうなんだけど「こんな風な曲に入れ替えたい」ってイメージがあったとしても俺って打ち込みが大嫌いだしあと音楽理論とか分からないからそのイメージにぴったりの曲をそのまま持ってきて置き換えちゃうってほうがよっぽどいいんだよねっていうかまぁこれってでもリミックスじゃなくてマッシュアップじゃん?でも音自体はリミックスとして成立してるわけじゃん?それがさっき書いた何を持って作曲とするのか?ってことになるんだけどね。いや、今は全然見てないけどYouTube始めた頃はコメントをしょっちゅう見てて評価とかをすげー気にしてたんだけどマッシュアップだっつって出してるのにリミックスだと思う人がすげー多くて驚いたんだよね。「もうちょっと作りこめば・・・」とか「スネアが邪魔」とかさ、いや、マッシュアップなんで・・・っていうさ(笑)


んでもそれって音的にはリミックスとして成立しちゃってるって話なんだよね。「マッシュアップなんです」っていう外部情報が無ければ分からない人も多いっていう。いや、これを悪用してるのが剽窃作家じゃないですか?で、これを有用に使ってるのがサンプリングとかマッシュアップを作り連中ですよねっつってもこれも何を持って悪とするのか?って話になるわけで、善悪の判断って恣意的ですよね。いや、何回も書くように作曲家が何かをコピーするのとサンプリングで何かを作る人が素材を持ってくるのとは全然違うってのは分かるよ。でも結果的には同じじゃん?例えばさ、俺の今作ってるミックスで言えば「ここにピアノがほしい」とか「ここにこういう電子音がほしい」っつってもさ、ピアノの曲は書けないし、電子音は作れるかもしれないけど1から作るなんて面倒だからイメージにぴったりなものを探してきて貼っちゃったほうが早いんだよね。


「こんな感じの」ってのを作るんじゃなくて面倒というのもあってそのまま何かを持ってきて貼っちゃうってことだよね。いや、んで「これは自分で作った電子音です」っていうのと「ストックハウゼンの曲です」っていうのと言われなきゃ分からないじゃん?っつーか言わなきゃ「自分で作ったって言える」ってのが剽窃で「ストックハウゼンですって言う」ってのがようはサンプリングってことなんじゃないか?っていうさ、いや、根源的に言えばそんぐらいの差しかないよね。悪質なやつだとサンプリングを使っているヒップホップのトラックのサンプリングループをそのまま使って自分のラップ乗っけてるだとかそんなのもあるからね。いや、もちろん素人のやつですよ。でもまぁ素人だろうがプロだろうが基本的には手法の荒さの差なんであってやってることは同じだよね。そもそも完全に1からオリジナルのものを作るなんて不可能でしょっていうかまぁ相当難しいよね。それで言うと即興演奏なんかも竹村延和が特にジャズ系の人が即興だって言い張るやつはうそ臭いやつが多いなんつってたけどようはあれなんだよね、即興っつっても既存のモチーフをその場で持ってきて生で解体して再構成してるだけってことなんだよね。だから本当の即興をやるとかってなるとデレク・ベイリー的にならざるを得ないし、そういう意味だと即興演奏のバリエーションなんて限られてるんだよな。セリー的手法を使っている複雑な現代音楽の楽曲が似通るのと一緒ね。


カルちゃんなんかはそういう意味で実質的な即興演奏なんて不可能だとまで言ってたからね。いや、本当にそう思いますよ。そんな中でも即興音楽を追求するというのはもう求道的な音楽で凄まじくストイックなものになるよね。もはや誰にでも出来る世界みたいな生易しい世界ではなくなるわけだ。まぁこういうところが素人とプロの差なんだろうなって思うんだけどね。


いや、あのさ、んで話を戻すけど今の俺が作ってるミックスを誰かに聞かせて「これは俺が作ったやつなんだけど」って言えばもう完全に詐欺師じゃん?「オーケストラとかも雇ったんだ」とかなんとか。まぁそこで「えー凄い!」ってことになるかはともかくとしてこれってもう外部情報の世界じゃん?「いや、現代音楽を色々と使って・・・」って言えば「あーそうなんだ」ってことになるよね(笑)んでもそこで「現代音楽を使った」っつーのと「自分で作曲した」っていうことの差ってただの外部情報の差だもんね。前者はサンプリング的で後者は剽窃的なわけだ。でもそれによってその出来上がったミックスとやらの内容が変わるわけではないじゃん?それはそれとして現存しているっていう。だからむしろ「誰が作ったか?」とか「スコアを書いたのか?」とかなんてむしろどうでもいいってことになるよねっていうか俺の中ではそうなってるよね。


とりあえず出てる音が面白かったらそれでいいんじゃないの?っていう即物的な世界観になるよね。むしろ現代音楽が書けないとか音楽理論が分からないなんてことで制約を受ける必要ないじゃん?だったらなんかを使っちゃえば?ってことになるじゃん?まぁもちろんそこでそれは「使っている」っていう意識が無いと剽窃になるしそれは言わなきゃいけないんだけどまぁこれってようはあれじゃないですか?ようは嘘か真か?って話ですよね。まぁそこはモラルの話だよね。逆に「全部俺が作った」なんていう嘘をつくことの合理性が全く無いんで「色んなものを組み合わせたやつです」って言ったほうが絶対良いに決まってるってことはあるにせよでもまぁ「自分が作った」って言っちゃうやつもいるんだよね。そういう困ったちゃんは大勢いるけど別にそれは素人に限ったわけじゃなくて高度な剽窃をしているプロの方々も大勢いますよねってことなんだよね。


いや、何が言いたいのか?っていうとプロもやってるんだし音だけ見ればわからないから何でも使っちゃえばいいんだ!的なアナーキーなことじゃなくて、誰かの楽曲を使っちゃいけないっていう制度的なリミットを作る必要は無いってことね。だからまぁやりたいようにやっちゃえばいいんじゃん?って話になるんだよね。そうなるとまぁヒップホップ的なさ、レコード化されているものはもう大量の音源アーカイブってことになるじゃん?でもそれって別にヒップホップ的な目線に立たなくてもそもそも創作物全般でそれは成立するってことになるんだよね。それが映画であれ文学であれ音楽であれとりあえず持ってきてミックスするとかスクラッチするとかエフェクトかけてみるとか何でもやっちゃえばいいんだよね。あとまぁどの道、食えないからそれはそもそも商用なんてことはありえないから「作家性」なんてのを意識しないでやりたいようにやっちゃえばいいんだよね。作家性を出すなんて欲ですよ。あとはマイナーな分からなさそうなネタを不明瞭にするとかさ、これってまぁ制度的なことに囚われているやり方だよね。まぁ商用で言えばそういうほうがライセンスの問題になりにくいから良いって場合があるにしてもとりあえず作ってネットに出してみよう!的なものだったらそんなの気にしなくていいんだよね。別に大ネタだろうがなんだろうが関係ないでしょう。


いや、1から作れる人とか打ち込みのスキルがある人はいいよ。でもそういうのが出来ないって人でもまぁそんなテクニカルな理由で作れない!なんて嘆く必要は無いってことなんだよね。何でも使っていいわけだし、ようはアウトプットが異化されてればいいんだよね。リミックス的になってたり原型とは全然違う形になってたりすればいいわけでってまぁ別に原型の破壊が目的なんではないんだけどさ、ただ原型そのままってことはありえないじゃん?(笑)バッハの曲をそのまま自分の曲ですって言うようなもんなんだから。でもバッハの曲を使って何かを作る分にはバッハも素材なわけですよ。ターンテーブリズムとかでは当たり前の手法なんだけどこういうのってアヴァンギャルド的なサンプリング音楽とかターンテーブリズムに限られた考え方な気がするってまぁそんなことはないにしてもまぁようは一部のラディカルな音楽の考え方だったんだけどアーカイブ時代の今ではそれがデフォの発想でいいってことなんだよね。だから別に音楽作りたいからっつって音楽学校なんていかなくていいわけで作りたいのを色々と機材とかソフトをそろえて作っちゃえばいいんだよね。どの道食えないわけだからあえて「ちゃんとしたもの」なんてのを作る必要もないじゃん?(笑)あと「誰が作ったか?」なんてのは本当に気にされなくなってるわけよ。それが面白いのかどうか?ってことなのよ。問題は。だからそれが面白ければ何をやってもいいんだよね。


だから俺のミックスとかの場合、特に今回みたいなやつは「現代音楽の二次創作物です」って言い切っちゃえばいいんだよね(笑)そういう意味においては作ったのは俺ですってことになるわけだしそれでいいんだよ。開き直りと言われればそれまでだけど、んでもジレンマの解消ではあるじゃん?現代音楽がマイブームで現代音楽を作りたいんだけど技術も理論も無いわけでさ、んだからまぁ大量の現代音楽を使って二次創作しちゃったほうがいいんだよね。あと変に理論的になるよりそこは素人的な何でもあり!なミックス感覚でいたほうが面白いのが作れると思うんだよね。でもアウトプットが素人臭いってのは駄目でやっぱりそこは完成度に関しては自分なりのレベルで最高まで高めるのよ。でも動機や製作の手法や技術に関しては素人的でも全然良いしそっちのほうが面白いのが作れるような気がするってことなんだよね。


そもそもパンクとかニューウェーブとかなんつーのも楽器すらまともに弾けない連中とかが音楽やってめちゃめちゃ面白いのを作ってたわけじゃん?だからなんかそういうパンクとかニューウェーブとかはたまたノイズとかっていうようなそういう「弾けないギターを弾く」みたいな感覚で現代音楽やっちゃっても全然いいんじゃん!ってことなんだよね。所詮は現代音楽のお堅いイメージってああいうなんかまぁアカデミックな雰囲気とか威厳じゃないですか?でも今の時代、そんなの関係ないしそんなのもう無いじゃん?それこそ「その辺の素材」の一つとして残酷に切り刻んでやっちゃったほうがいいんだよね。パンクは「とりあえずバンドやろうぜ!楽器の練習はそれからで」みたいな衝動で出来るのになんで現代音楽は無理なのか?って話じゃん?いや、無理じゃないんだよね。それもそういうノリでやっちゃったほうがいい。


それはなんちゃって現代音楽になるでしょうっつってもさ、そんなのあれよ、本当に分からないから(笑)俺が作ったっつって怪奇な現代音楽を聞かせたら「あー素人臭いなんちゃって現代音楽だねー」なんていわれるんだろうけど実は有名な現代音楽作曲家の作品でした!とかさ、まぁあれじゃん?現代アートなんかも一緒じゃん?アカデミックなコンテキストがあるから成立してるようなものっていっぱいあるじゃん?で、実質的に内容は同じだったりコンセプトすらも同じなのに「素人である」とか「フリーターである」ってことだけで見向きもされないわけじゃん?そういう意味で評価とか鑑賞ってこと自体がコンテキストに依存してるんだよね。だからあの佐村河内みたいな事件が起きるわけでしょ?でもあれって事件っつーよりかは一体リスナーは何を聞いてるのか?っていうアイロニカルな問題を露呈させたわけじゃん?逆ソーカル事件的な話ですよね。


んでもまぁ音だけで言えばそいつの耳が聞こえようが聞こえまいが関係ないじゃないですか?アウトプットってのはそれとしてあるわけでさ、外部情報は干渉しないじゃん?まぁもちろんそこでね、前にも書いたような剽窃ってのはさ、大衆の無知に付け込んで「自分が作りました」っつっても大部分のモチーフはどっかからの盗作だったりするわけじゃん?聴く人が聞けば分かるけど普通の人は分からないしあとは所詮消費されるような音楽だからそんなのはどうでもいいってことになるんだよね。んでもまぁ世の中で特に音楽の分野で天才!とかって囃し立てられるようなのってまぁなぜか剽窃系の作家が多いですよねっていう(笑)確かに全部を1から作ってれば凄いけど実際はもう色んなものの混ぜ合わせとかパロディじゃないですか?だからまぁ逆に広義な意味で「リミックス的ではないもの」なんてのを探すほうが大変でしょう。クラシックを意図的に聴き始めるようになってから映画を見ててもスコアに耳が行くようになるけどまぁパクリだらけですよね(笑)オリジナルなんてものはないですよ。ほとんど。もちろん大友さんとかジムオルークみたいな人がやってる映画音楽は別なんだけどね。所謂、典型的な映画音楽なんてコピペだらけなんですよね。


まとめるとさ、ポストモダン的!とも言えるようなクールさとシニカルさを持ってるのってやっぱジョンゾーンとか大友さんとかマークレイとかオズワルドみたいなラディカルなサンプリング感覚を持った人たちによるものじゃん?でも結果的にポストモダン的なコピペになっちゃってるものってのは何気に日々消費されているようなものってのは大半がそれなんだよね。意図的な方法論的なポストモダンではなくてそうなっちゃったっていう所産的なポストモダンだよね。ポストモダンと消費って切っても切れない関係にあるじゃん?その一つが今書いてるようなことだったりするのよ。ポストモダンなんて言葉や概念を知らなくても作ったものが結果的になし崩し的なポストモダン的な産物になっちゃったりするのよね。まぁだからそれを利用して「これは作品です」って言っちゃえばいいと思うってのが俺の言いたいことね。そんぐらいのあつかましさがあっていいんだよ。


実際にプロの方々はもっとあつかましいことをしてるわけで素人がなんで謙虚でいなければいけないのだ!って話じゃないですか?オノヨーコの作品なんてオノヨーコっつ物語が無いと見向きもされないものがMomaに展示されたりしてるわけじゃん?あと豪華メンバーをそろえて音楽アルバム作れたりさ、いや、そんぐらい適当なものだらけじゃないですか?で、適当なことを素人がやると適当すぎるって言われるのにプロがやると特に手の込んだ適当さって適当だって言われなかったり適当なのに適当だって認識されなかったりするじゃん?ようはこういうのって全部外部情報による錯覚なんだよね。色々な情報や物語によって作り出されたリアリティの中で評価される作品ってことでまぁイリュージョンの中のイリュージョンなんだよね。


まぁでも作家が与える幻想ってのはまた違うものですよ。それはむしろ本当の作家がやることでしょう。イリュージョンという物語の中で評価される作家なのではなくて幻想を作り出すのが作家だよね。んでもメディアとかで囃し立てられてるようなのって大半が幻想を与えてる作家じゃなくて幻想の中で評価されてる作家なんだよね。まぁそもそもメディア自体が幻想生成マシーンだから必然といえば必然なんだけども。


あ、んで話をミックスに戻すとさ、別に今回作ってるのって新境地!っつーよりかは手法とかやってることは前と一緒なんですよ。あのデヴィッド・リンチのやつとかと同じねってまぁ誰が聴いてるのか?って話なんだけどさ(笑)あとはロアラトリオのやつとかも「リミックス」だからね。まぁそうやって開き直る姿勢だとか「作れない!」っつって作らないことをしないって姿勢だとかは別に今始まったことじゃないし、まぁ今回のはその素材が現代音楽に集中してるっていうことだけね。「アセンブラージュ」と言うとそれっぽく聞こえるっていう(笑)だからそんなの言い方次第なんですよ。でもまぁそんなのどうでもいいんだよね。作りたいのがあれば作っちゃえばいいって話なんだよね。あとまぁこないだも書いたように誰も聴かなくてもとりあえずどっかにアップしておいたほうがいってことですよ。アクセス数至上主義にならないってことね。まぁ相当派手でもない限りそんなに目立たないから聴かれないのが当たり前ぐらいでいいんですよ。そもそもネットにアップロードできて実質的に誰でも聴ける状態になってるってこと自体が良いわけじゃん?それでいいんですよね。あと無駄に装飾を施したcdrとか時代に逆行するようなカセットテープリリースとかっていうまぁコモディティ化させることで付加価値を与えるっつーのも最高に余計じゃないですか?っつってもまぁ金があればやりたいけどね(笑)


まぁそんな感じでさ、「何でもかんでもマインドセット次第」ってだいぶ前の俺のテーマじゃないですか?で、それをまさしく今、実行するときだな!って思っててさ、ようは「現代音楽をやりたいので現代音楽を作る!」ってことだよね。傍から見ればただの馬鹿なんだけど(笑)なんかでもさ、色々とやりたいことやりまくりつつ最高な美人に扶養されるって本当に俺の夢なんだよね。これほど最高なことは無いだろうってマジで思うもん。


ってことで今日はこの辺で。


追記。


ところで歴史的に見ればフルクサスなんてのは「なんか面白いことをやろう!」っつってバンドをはじめるレベルのその辺のちょっと変わった兄ちゃん姉ちゃんのムーヴメントだったわけじゃん?そういうパンクみたいな雑草みたいなレベルの連中がアカデミックなケージとかに触発されて「これなら俺にも出来る!」って勘違いしてグラフィックスコアだのヴォイスパフォーマンスだのってやってたんだよね。いや、それでいいんだよねってことなんだよね。もっと前を遡ればダダなんかも同じようなパンクムーヴメントみたいなもんだったわけじゃん?別にムーヴメントになる必要はないんだけど、音楽を作るとか何かをやるってことに対しての敷居の低さを見習えってことなんだよね。で、仮にやりたいことが現代音楽でも別にそんなに改まらなくても勝手にやっちゃえばいいって話なわけで。