ウンコマンさんへの返信。

ウンコマン 2014/06/14 02:26


いまイオンいったら「本田圭佑の夢ノート」っていうのが売ってるんですよ。大きな目標をたてて、「そのためには〜」ってどんどん小目標にブレイクダウンして、毎日の進捗を確認するっていう。イオンでそんなもんが売られるくらいに野心を生活の中心に据えて生活することって今の人たちにとって「良い」生活態度なんでしょうね。でもそれって追い込まれた末の自発性なのかほんとの意味での内発性なのか、私には前者に思えてならないです。プロ倫の宗教的不安の回避みたいに。そういう生活が正直幸せかって言ったらそれも全然別問題ですよね。マイルドヤンキーとかしょっちゅう飲み会とかしてて楽しそうですよ。耳蝉さんは「寂しい」っていってるけどそれってどっから来るんですかね。一緒に飲み会する人がいないからなのか、それともまぁこれは自問自答なんですけど、なんか今回の内容に似た境遇を感じたのでコメントさせていただきました。


いや、おっしゃる通りプロ倫の宗教的不安の回避そのものです。実は人生なんかには何の価値も無いし自分は価値の無い人間だってのを認めるのが怖いので、だから目標を作ったり野心を抱いたりするんだと思うんですよね。何にでも書いてありますけど人間って意味を求めますから意味が無いということを認めるというのは言わば死ぬようなもんなんですよね。なので野心は生存本能なんだと思います。


確かにマイルドヤンキーとかは楽しそうだし、全く意味のない会話なんかをしてて楽しんでる人なんかを見てもまぁ楽しそうだなって思いますけど、まぁ自分は楽しくないわけですよね。あんなのでハッピーになれるなんて羨ましいなぁーって思うこともあるってたまに書きますけど大嘘ですね。あんなのに楽しみを感じられるような人間じゃなくて本当によかったって思ってます。自分は自分としての楽しめることがあるんでそれはそれでいいんですが、自分が寂しいなぁーと感じるのは人との係わり合いが無いというよりかは常に自分にある心の闇というか空虚感ですね。


何をやってても「結局何なの?」っていうのが永遠に付きまとうんですよね。「それをやって何になるの?」ってそれ自体をやって楽しむことでいいじゃないか!って頭では分かっててもどこかでやっぱりそう感じてしまうんですよね。ちなみに自分のことを客観視できているのってうつ病の人が多いらしいんですよ。大抵の人は「自分はイケてる」とか「自分は頭が良い」とか「自分は仕事ができる」とかって錯覚してるんですよね。まぁ逆にそういう錯覚をしないとパワーが湧いてこないのでそれは良い錯覚なんだとは思うんですけど、僕みたいな気質の人間はそういうのが無いですから、だから鬱っぽくもなるし、何にもないなーっていう客観的な事実がそのまま分かっちゃうんだと思います。


ドライに客観視できているからそれは良いことなのか?っていうと違うと思いますね。健常な人はそこそこ色々と勘違いして無いことをあるとかって思い込みつつ日々生活を送れるわけですよね。それが日々生活を送れる基盤を作っているといっても過言ではないかもしれません。基本的に仕事をすることは良いことだって思い込むってまぁつまりはこういう生活の基盤を作るってことですよね。それによって糧も得られるわけなので逆に「仕事って何なの?」とか「人生って何なの?」なんて考えないほうがいいわけです。僕は色々と問うことに意味は無いとは思いませんが、問い続ければ永遠と虚無と向き合うことになるので幸せにはなれないなーって思いますよね。特に自分の場合、精神のバランスを崩すみたいなレベルまでいってしまうので危険だなって思っています。


んでもまぁ僕みたいな宗教的不安を通り越してもう無いことに気がついた人って世界的にも多くなってると思うんですよ。特別に感受性が高いからそうなってしまうみたいなある種の特権的なことではなくなっていて、普通の人が普通に人生を送っててこんな風な心境になるっていう環境になってるってことですよね。まぁ書くと長くなるんで端折りますけど例えば大きな物語の不在とか大昔とかにはあったであろうロールモデルの存在とか、何かしらの大衆のディレクションを画一的に決める括弧付きの目標とか物語とかってのが今は無いしあと壊れていくのを目の当たりにした人たちってのも多いですよね。ここでも散々書きましたがネットの普及も大きいですよね。分かっちゃう人がより分かっちゃう構造になってますから。


で、それが幸せか?って言われたら本当にそれは全然別問題だと思いますっつーかむしろ不幸せでしょうね。僕は特にここ5年ぐらいは幸せを感じるということは本当に無くなってますね。まぁアメリカに居た頃の最後の一年間もそんな感じだったので環境というよりかは心境なんだと思いますけどね。こんな風なのであえてでもくだらなくてもいいから野心とか夢を持つことが実存的な意味で必要になってくるんだと思います。ようは自分で大きな物語を作るってことですね。それは他から見れば馬鹿げていることでも本人の中でそれが物語としてワークしてればいいんですよね。何も出来なくなって鬱になって死ぬよりかはよっぽど良いわけです。活力を得るためにあえて馬鹿になるみたいなことですかね。


あえて馬鹿になるメリットは「どうせ無理だ」とか「どうせ意味無い」みたいなニヒリズムを回避しやすくなるってことですね。そういう意味ではマイルドヤンキーの飲み会と似ていると思います。ニーチェ力への意志もつまりはまぁこういうことですよね。「超人になるのだ!」って気が狂ってますけど、本人がマジならそれでいいんですよね。いや、僕は超人になるつもりですけどね。でもそれだけでは足りないのでもっと馬鹿らしい物語を必要としているっていうそんな感じでしょうかね。それがつまりは自分にとっての生存本能としての野心みたいなことになりますね。