考えるのをやめたら終わりってことになるのよね。

数学を集中的にやってたときもずーっとそうだったんだけどっつーかこないだ書いたことと同じような話なんだけど、色々とインプットできるときにまぁインプットするじゃん?オーディオブックでも永遠と聴いていられるときとかさ、で、大体次の日に頭が働かなくなったりダルくなったりするよね。まぁこれって脳疲労なのかな?別に頑張ってるわけじゃなくて楽しいからやってるわけだけどやっぱ疲れるのかもね。で、まぁ何も出来なくなってダラダラしちゃうんだよね。んで異様な眠気が来てすげー寝ちゃったりしてさ、んでその異様な眠気を超えると飢えたトラの如くまた過剰なインプットをしようとするのね。まぁやっぱこう思うと俺ってマイルドな躁鬱だよね。で、こういう躁状態のときは性欲も物凄くなるのよ(笑)多分、快楽関係のものってのがすげー過剰になるんだろうね。でもまぁこうなると毎日楽しいんだよね。凄く充実してる感じがするし、永遠と読書をして疲れたらオーディオブックとかもう最高なんですよね。風呂好きの人が永遠と湯に浸かってるのが幸せなように基本的に知識欲ってまぁ風呂の湯に浸かるみたいなもんだよね。子供がプールに行ってテンション上がってるみたいなプリミティブな感じだよね。


んでもまぁ改めて思うのがさ、前にも書いたけど知識と情報は違うってことなんだよね。大体の情報にアクセスできるって言えばまぁそりゃみんなポータブル図書館みたいなのを持ってるみたいなさ、でも別にそのavailabilityがあるからってそれがイコールknowledgeってことにはならないじゃん?knowldgeってやっぱ能動性なんだよね。哲学と哲学するということが違うように情報と知識ってのは違うんだよな。いや、だからまぁインプットだっつって情報を詰め込めばいいのか?っつーとそんなことないんだよね。やっぱそれがどんなものであれそれを検討して咀嚼するっていうさ、んでそれを血肉化するっていうね、これって武道における身体性とかと似てるんだよね。「こうやる」っていうメソッドはあるんだけど結局はそれって体が覚えるものじゃん?で、それを技として使えるようになるってのはそういう体捌きをものにしてるってことじゃん?知識も同じなんだよね。だから暗記とかしても意味無いっつーか暗記ってそりゃただの情報処理じゃん?まぁ場所限らずどこの学校でもやらされるのってこれだよね。っつーかもう学校とかに期待しちゃいけないんだよな。っつーか学校的な場所ではむしろそういう形でしか教育って出来ないっていうような限界はあるよね。知識を教えるって無理だもんね。武道の極意を義務教育で教えるってまぁ無理じゃん?いや、結局これなんだよなー。知識化するってことが知における極意なんだよね。


んだからあれなんだよね、ずーっと新聞読んでれば知識が増えるのか?って増えないじゃん?新聞ってデータなわけだから。それを知識にするってのは頭のプロセスだよね。インテグラルするってことだよね。統合なんだよね。本を読んだりオーディオブックを聞くのもいいんだけどさ、結局なんかその極意の部分が抜けてると何にもならないよなぁーって改めて思うのよ。どんだけ色んなものを膨大に読もうが頭に入れようが極意が抜けてれば全然ダメだわな。それって結局日々の意識と取り組み方なんだよね。あとこれは読むに値するような内容のものなのかな?っていう判断も重要でさってまぁ当たり前なんだけど俺って貧乏性だから買った本は全部読まなきゃいけない!って思っちゃうんだけどやっぱまぁ結構どうでもいい話だったり自分には関心が無い話だったら適当に流し読みして済ませるってことも必要なんだよなって本当に思うんですよね。全部馬鹿みたいにまじめに読んでたらキリ無いし。


そう思うとさ、何を読むべきか?ってのを考えるとこれって難しいんだよね。結局は何を知りたいのか?とか何をやりたいのか?ってことに直結するわけで、それってやっぱ俺の中でクリアなことじゃないんだよね。興味があることが漠然としているから漠然とした感じで濫読して模索するしかないって思ってるんだけど、そんな中で「結局何がやりたいわけ?」って自問すると分からないよね。正直。まぁでもあれね、「これがやりたい」ってあえて決めるよ必要は無いみたいなことを言ってる本があったんだよね。ようはルネッサンスマン的な意味での教養においては目的がどうのっていうことではなく教養を身につけるということ自体が人間の活動っつーか生き方っつーかさ、way of lifeですよね。だからそういう意味でまぁ役に立つ立たないとか仕事がある無いってのは関係ないんだよね。でもそうなってくると例の漠然とした感じが出てきちゃってさ、やっぱ何かしらの目標とかって作らないと五里霧中みたいになるじゃん?色々と手を出してるけど結局何がやりたいのかさっぱり分からない男みたいな感じになるんだよね。そこのバランスが難しいよね。別に好きでやってることだし教養なんてまぁそんな目的とか仕事とかじゃないじゃん!って言いつつもやっぱりそれを社会的活動として活かしたいとかさ、なんかこれで何かをやりたいとかさ、そういうのが無いと生きること自体に虚しさを感じてくるよね。


まぁ知識欲に永遠と身を任せるのもいいんだけどなんか次のstateが必要だなーって本当に思うんだよね。数理ファイナンスをやってるっつってもクオンツになりたいのか?っていうとそれは違うけど、でもクオンツになれるぐらいの知識を身につけるってまぁ目標としてはいいじゃん?でもそれって別にやりたいことではないからさ、だからまぁなんかこれがジレンマなんだよね。なんかやっぱ知りたいことに関して知るということに快感を覚えるっていうこれなんだよね。俺がやりたいのは。だから目標もクソもないだろって話になるんだよね。でもそうなると困るからなんかやっぱね、目標を作らないとなぁーって思うんだよね。だからまぁやっぱあれですよね、こないだ3年って書いたかもしれないけどまぁ5年にしようかな。5年後ぐらいにプロ並みの金融関係の知識を身につけてて、んでそれでなんかを出来るようになってるぐらいの感じになるようにするってまぁいいんじゃないですか?って感じがするよね。まぁ別にクオンツになるとかトレーダーになるとかってことじゃなくてさ、知識のレベルを上げるってことだよね。で、まぁプロも真っ青なぐらいの知識を身につけるってまぁこれも漠然としてはいるけど「プロも真っ青」って相対的な社会のバリューじゃん?勝手にやってるっつーよりかは結果的にプロ真っ青になるっていうほうが社会的コミットメント度が高いよね。まぁそれで何かをやらなきゃ社会的コミットメントにはならないんだけど、でもまぁ純粋数学とかの理論について詳しいとかってよりかはリアル社会とかグローバル経済の金の流れとかについて熟知してるほうがなんか地に足がついた知識っつーのかな?まぁ世界を見る目を鍛えるってことだよね。簡単に言っちゃえば。


んでもさ、色んな本読んでると大体書いてあるのがMBAなんつって勉強したところで実際のビジネスに役に立つ知識なんて本当に限られてるみたいな話だよね。学校でやってることと実際の社会で行われていることのギャップがあるっていう。いやーでもさ、根本的に思うのはさ、そもそも読んだことってのが役に立つかどうかなんてその時点では分からないし、ようは知識が役に立ったとか血肉化するってのもようはプロセスなんだよね。具体的にどういうところで役に立つのか?って話じゃなくて色々知ってれば結果的に役に立つ蓋然性が高くなるって話だよね。知識は懐刀なんつー言い方もようはそういうことなんだよな。でもそれってまぁただの結果なんだよね。懐刀の切れ味を鋭くするために知識を吸収するわけじゃないじゃん?いやーでもそれで言うとさ、いやね、なんかやっぱ武道とかと似てくるんだよね。強くなるためっつーよりかは修練とか「道」的な意味でのね、まぁある意味で儒教的ってことになるのかな?でもこうなるとさ、イデオロギーっぽくなるんだよね。それ自体を聖域としちゃうみたいなね、結局はなんか宗教における神への祈りみたいなさ、そんな感じになるじゃん?それも虚しいんだよね。んだからまぁよく分からないわけよ(笑)


学究みたいなことを善とするってのは西洋でも東洋でも同じような伝統があるけどさ、まぁイデオロギー的な一面もあるじゃん?まぁそれを良いこととすれば教育が広まるっつーかさ、単純に社会工学的に識字率が高まるだとか、まぁようは統治として宗教を使うみたいなもんだよね。まぁでもそんなのも今はだいぶ廃れてると思うけどね。知識=使えるものっていう効率主義みたいな感じってまさしくオーディオブックとか聞いてると本当に思うのよ。オーディオブック化されるような本って何かしらの使える知識とか読んでおいたほうが良いみたいな本が多いんだよね。まぁ当たり前だけどね。需要があるからオーディオブック化しても売れるわけでまぁそれが商品として成り立つって話だからね。んだから必然的にビジネスとかhow toとかself-helpとか投資とかの本が多くなるんだよね。あとは仏教とかにしてもself-help的な感じに加工されてるやつとかね。まぁでもそりゃそうなんだよなー。元も子もないみたいなさ、「結局どうすりゃいいの?」みたいになっちゃうような内容のものがオーディオブック化されるわけないっつーかまぁそもそも市場の原理ってまぁようはニーズだからそれはしょうがないにしてもなんかね、本読んでればいいってのもなんかさ、ビジネスマンがビジネス書を大量に読んでるみたいな意味での読書じゃ本当に意味ないなって思うんだよね。そういうレベルの知識を求めてるわけ?って思っちゃうわけよ。


なんかさ、まぁオーディオブックのおかげで物凄いペースで色々と聞けるわけだけどまぁ本っつーか出回ってる本って似たようなの多いよねっていう(笑)活字で読んでればそう感じないんだろうけど速めの速度でオーディオブックで聞いてるとまぁ尋常じゃないペースで聞けるわけよ。そうすると大きなストラクチャってのが見えてきたりするんだよね。まぁ原理的には速読で大枠を理解するみたいな現象と同じか。まぁ速読が良いかどうかはともかくとしてさ、アメリカ系の本っつーかある程度売れる本ってやっぱ構造が一緒なんだよねってまぁそれ言い出すとwritingってのをまぁ学校でやらされたりしてまぁフォーマットが決まってるっていうのもあるんだけどさ、なんかでも結果的に読んでよかったなぁーって思える本って少ないんだよね。なんかすげー虚しくなるよね。めちゃめちゃ本を読んでる!みたいな実感をただの儒教的なイデオロギーっつーかまぁ知=善みたいなイデオロギーだって相対化しちゃうとそれ自体に価値を見出せなくなるじゃん?まぁそれで良いんだけどね。だってそれ自体に価値なんてあるわけないんだから。まぁようはだから価値を見出すってことなんだけどさ、でもそれはなんかね、外部からの情報を得ることで見出せるものなのか考えることで見出せたりするものなのか、そのバランスが分からなくなってくるんだよね。ただ読んでるだけってのも馬鹿馬鹿しいし、んでも考えるなんつっても俺がいつもすげー不安なことだって言い続けてるような馬鹿の考え休むに似たりっていうさ、馬鹿が考えてもしょうがないのは自明だけどそれ以外にも圧倒的に足りない知識で物事を考えてもしょうがないじゃん?まぁそれで1から自分で体系化していくってのもいいのかもしれないけどこれはあれだよね、wikiの独学のところにある文章なんだけどさ、

宮崎市定は『論語』のその章の注釈で、「ある貧乏な青年が小学校を出たあと独学[3]で数学の研究に励んでいた。10年後に『数学上の大発見をした』と町の中学の教諭に見せにきたものは、二次方程式の解き方であった」という逸話を紹介して、「学校で学べば1時間で済むことだ。それだけの時間を師に就いて学べば本当に有益な研究が出来たかもしれない」と述べている。しかし一方で、係る分野で常識となっている知識を得ないまま独学で臨んだがゆえに先入観という壁に阻まれることなく、専門家たちを悩ませていた課題を別の切り口から解決してしまうといったようなケースも、枚挙にいとまが無い。


って話でさ、二次方程式の解き方を自分で編み出すことに価値は無いとは言わないけどさ、まぁ今って情報の並列化が出来るじゃん?逆にフラットになり過ぎてるよね。あとまぁフラットになってる人は大体同じような知識とか知識の範囲を持ってて無い人は徹底的に無いっつー二極化が進んでるよねっていつも言うことだけどさ、んでも思うのがね、この「並列化」ってようはただの情報なんだよね。これまたオーディオブックとかになってる本でよく出てくる話でさ、現代は情報化が進んで誰でも膨大な情報にアクセスできるってな結果で情報の並列化が進んでいるみたいなさ、大体まぁこういう話って出てくるんだけどこれってやっぱ情報なんだよね。知識じゃないんだよな。んでも情報に疎いと「こんなことが起きてたのか!」なんてことにもなりかねないし、かといっても時事問題ばかり追ってるとそれだけで時間を取られるし、だからまぁ余計に知識って何なの?って話になるんだよね。もうマジで分からなくなるよね。俺はずーっとこれを繰り返して脱皮してはまた五里霧中になって・・・っつーのを繰り返してるよね(笑)多分これって情報と知識が増えて視野が広くなると同時に色々なものが相対化されたり俯瞰で見るっつー大局的な視野ってのがより磨かれることで逆に本質が分からなくなるっていうね、そういうことだと思うんだよね。で、まぁ例によってまたアメリカとかの本だとtoo much information!!みたいな感じでさ、詰め込みすぎては幸せになれない!みたいな単純化の話が出てきたりね、いや、これって違うじゃん?


知においては別に今に限らず必ず断捨離的な発想があるんだけどさ、これってあれなんだよな、結局話が個に落ち着いちゃってるってことなんだよね。結局まぁ色々と考えても混乱するだけだし自分じゃどうにもならないことだらけだから調和を求めましょうみたいなさ、これって違うよねぇーっていつも思うんだけど、情報系の本だと結構多いよね。こういう話。情報の氾濫が人を不幸にする!ってさ、これって結局はignorance is blissって話なんだよね。結局何にも分からないんだから知ろうとすることの競争なんかに巻き込まれずにもっと本質的なquality of lifeみたいな事にフォーカスしましょうっていうさ、まぁこれってすげー人を無力化させることができる教義だよね。新手の考えさせることをやめさせる感じのタイプのイデオロギーだなぁーって思っててなんか出てくるべくして出てきたなって気がするんだよね。で、同時多発的にっつってもまぁアメリカと日本ぐらいしか知らないけどまぁ似たような話があるんだよね。そういう風潮の本とか考え方とかね、でもまぁなんかさ、考えないほうが幸せだよってやっぱ違うよね。別にこういう話はそういう風にさせることが目的ではないんだけど結果的に論理的な帰結としてignorance is blissになっちゃってるんだよね。なんか本当にあれなんだよな、幸せってことに対する考え方がすげー浅いんだよね。まぁアメリカだからしょうがないんだけどさ(笑)


いや、んでなんか結局世界系な感じなんだよね。self-helpの本って。今ある身近なものにありがたみを感じるだとかさ、まぁようはフォーカスする場所ってのを自分が幸福を感じるようなところにフォーカスしていけ!って話なんだけどこれだと永遠に貧困は無くならないよねっつーかまぁ貧困っつーかまぁ負の部分だよね。なんかそれでいいのか?って気がすんのよね。ある程度本を読む時間があるような平均的な白人階級みたいなのは個の幸福の追求に邁進してればいいっていうさ、んだからまぁアメリカって貧困とか不平等とかってのが放置されたままになるんだよね。多分(笑)なんか凄く堕落を感じるんだよな。いや、まぁ元々アメリカって崇高なもんなんて無い国だからさ、結局なんかその功利的な幸せの感じっつーのかな?feel goodしてればいいっつーさ、feel good societyなんつーのもまさしくそれを統治の方法として使おう!って発想なんだけどね、でもまぁ個人が貧困とか世の中の不条理について考えたところで鬱になるだけだからそんなことばっか考えててもしょうがないっつーのもまぁ言えてなくはないじゃん?それ言い出すとなんかね、まぁ金融関係の本でもそうなんだけどリーマンショックがあったからなんつったってそこから何かを学ぶのか?って学ばないんだよねっていうか別に金融の世界観って崩壊してないんだもんね。あの馬鹿馬鹿しい金が金を生む世界ってのが全く反省されてない。


いや、簡単に言っちゃうと「なんかまぁ色々とまぁ無理ですよね」って話なんだよね(笑)抗えない大きな流れってのがあってさ、あとまぁそれで動いてきたっつー慣性ってのがすげー強いんだよね。だから根本的な見直しなんてしてるとストラクチャが崩壊することになるんで誰もやりたがらないから結局まぁ古いシステムのまま物事は動き続けるってことでまた同じようなことが起きるってのを永遠と繰り返してるんだよね。んでもその反面、金を動かさないといけないから借金を作らせるってのが必ずしも悪いということではないっつー必然性もあるんだよね。例えばさ、日本の学校なんて大抵がホントにただ学資ローンっつー金融商品を作るためだけに作られてるようなもんじゃん?教育の必要性とかこれをやれば仕事がありますなんつー誰かさんみたいにありもしないことをあるって言い続けて誰かに借金をさせるっつーさ、まぁ金を出させるってそういうことだもんね。そこで一回払いで云々じゃなくてローンを組ませるってそういうことだもんね。まぁそれ言い出すとなんでもそうなんだよな。実際に必要なもんってそんなに無いのにんでもそれを言い出すと実際に金を使う必要なんてのはインフラ以外は必要ないってことになって消費の必要性がなくなるじゃん?っつってもまぁそこまで利口な人は多くなくてまぁ物欲が物流を支えてるんだけどさ、んでもまぁ実際に「あんま必要ないよね」って気がついちゃってる人も多いから全然消費しない人も増えてるわけだよね。でもまぁ当たり前なんだよな。それが事実だからね。んでもそれじゃ金使わなくなっちゃうじゃん!ってことになってダメなんだけどね。


んでもまぁ日本の異様な金の溜め込み率っつったら無いよね。一回「マジでヤバイ!」ってのを経験したような世代はそれがトラウマになって一生金を貯め続けるみたいな話があるけどさ、まぁあれよ、戦後とかに金どころかモノが無かった時代ってのを経験してる人はそれがトラウマで永遠と金を貯め続けるっていうそれなんだけどね、あとまぁ有吉とかそうだよね。まさしくあれよ。地獄を経験してるから金を使うってことにすげー慎重になる。んでまぁ結果、すげー稼いでるのにも関わらずあんま金を使わないってことになるのとあと別にそんな使うものもないっていう「あんま必要ないよね」っていう客観的な事実ってのもあるんだよね。で、今って世界的にみんなそれを経験してるわけじゃん?だったらそりゃ金使うわけないよなぁーっていう。「こんな学校出ても意味ないよな」って分かってるんだけど進路として「進学」を選びたいから借金するっていうさ、まぁそれによって成り立ってる業界ってあるわけじゃん?まぁそんなのもそのうち無くなるだろうなんつってたらまぁ大手の予備校とか縮小してるみたいだけどそれでいいんだよね。それでいいのにも関わらずそれでいいって道を選ぶと職が無くなるんだよね。予備校なんつったってそれだけでそれこそ広告だとかwebデザインだとかテクノロジー的なインフラだとかなんだとかそこだけで金が回ってるわけじゃなくて予備校っつー産業を媒体にしてそこから印刷だのITだのなんだのってのに色々と外注されたりしてそれでまぁ成り立ってるわけじゃん?そういう産業がどんどん無くなるってことなんだよね。


いや、だからホント、俺は必要な労働以外の労働の必要性ってのを全く感じなくなってるのねってこれは昔から言い続けてるけどマジでリアルになりつつあるよね。んでも実際仕事ってそうだよね。無きゃ困る!っていうような必要とされるような職業以外にさ、ただそいつが食っていかなきゃいけないっつー理由で必要ないものをあたかも必要であるかのように見せて金を出させるってことで成り立ってる仕事ってどうなのよ?って話なんだよね。意味無い専門学校とかホント、そうだもんね。食い詰めたミュージシャンとか俳優とかが講師とかやってるわけじゃん?まぁ食い詰めた人が講師をやるってパターンは普遍的なんだけどさ、んでも必要とされてないものに対して必要であるとかあたかも需要があるかのように見せて学校を成り立たせるってほとんど詐欺だよねっていうかあのね、基本的に金融とか株の流れって大体そうなんだよね。これは需要があるとか必要とされてる!とか需要がありそうだから金が集まりそうだ!とかってことじゃなくて本当に実体が無いような「結局何なの?」っていうようなものに一時的に金が集まったかと思うとまた別のところに行ったりバラけたりしてそんなのを永遠と繰り返してるんだよね。まぁケインズ美人投票みたいな例がよく出されるけどマジであれだよね。ロンハーの美人投票の結果が結果的に個々の好みっつーよりかは他が選びそうな顔ってのに集中して結果的に美人投票で1位になりそうな人ってのが1位になるっつー話なんだよね。まぁ別に実際に美人だから文句はないんだけど(笑)


俳優になりたい!とか声優になりたい!っつー欲求はあっても実際の需要は全然ないんだけどその大量のワナビーから金を取る手段として専門学校ってのが成り立つっつーのってさ、結局なんかこれも実体がない経済みたいなもんだよね。ようは株とかについて色々と調べてると別にこういう実体が無い感じって別に株に限った話じゃなくて実体経済とかって思われてるものでも実際はほとんどポンジみたいなもんとかさ(笑)なんかね、何らかの形でそれに対するペイをすれば価値のあるリターンがありますよって嘘をつくパターンって言い出したらキリが無いよねって話なんだよね。なんかもう大体そんなもんじゃないの?っていう話なんだよなぁ。あとまぁ大体なんかしらの形で盛ったりしないと普通にやってても対して利益が出ないからなんかしらのいらないもんってのを抱き合わせて必要であるかのように見せてお得なセットプライスとして出したりして大量に不必要なものを売りつけたりするわけじゃん?モノが売れないとか必要なもんがあり過ぎてあえて買う必要が無いみたいなのが加速するとそりゃそういうのってより顕著になるよね。いらないもんを売らないと成り立たないんだもん。だったらそんな無理にモノを売るような業界なんて無くていいじゃん!ってことになるとまぁしつこいようだけど一つの産業とか業界ってのが無くなるってことはまぁそれって失業じゃないですか?で、結果的に最後に残るのはサービス業か医療とか法律みたいな高度なものに特化したサービス全般ってことになるよね。あとはまぁ公務員か。まぁでも実際に公務員って無駄に雇うのってまぁようは社会主義的な無理やり仕事を作ってそれで雇用を作るっつー政策なわけじゃん?いらないもんを作るってのを民間でやると無駄な専門学校とか無駄な商品を作る会社ってことになって政府でやるとまぁいらない公務員全般ってことになるんだよね。まぁ両方いらないですよね(笑)でもいらないっつーと失業者が増えちゃうわけよ。


んでもまぁこれってあれなんだよね、歴史市場稀に見るぐらい人が必要とされてないっつー状況なんだよね。いや、極論で必ず3kならいつでもどこでも必要とされるみたいな話があるけどそれは極端ですよね。あとあれ、なんかよく分からないのがさ、ベーシックインカムが導入されれば賃金が最適化されて結果的に3k労働とかの賃金が高くなってそれなりに仕事に見合う報酬をもらえるような感じになるだろう的な話があるけどそんなわけないじゃんね。3kならいくらでもあるっつってそれはやらないっつーのはようはあってもそれはさすがに金が必要でもそんな低賃金でそんな待遇のところには行かないってことになるわけよ。だからまぁアメリカとかってそれをやってるのが不法滞在の移民ばっかなわけじゃん?それで成り立ってるんだもんね。で、その頂点に君臨してるのが金融業界の連中と一部のITの連中っていう(笑)ITはいいとして金融ってどうなのよ?っていうさ、まぁでもこれが実際の経済なんだからしょうがないよね。もうこれはなんか構造的に規定されちゃってるんだよね。こういう風な感じのシステムと現状があれば結果的にこうならざるを得ないっていうさ、誰かが意図的にやってるんじゃなくて構造自体がそれを強いてるっていう感じだよね。どんだけピケティみたいな学者が統計とデータを持ってきたところで大枠のところってなんつーか構造的に規定されちゃってるところが多いからさ、「これはおかしいよね」って大抵の人が仮に分かっててもそういう流れがあればそうなっちゃうっつー構造的な力学ってあるじゃない?


そこをなんとかしなきゃいけないんだけどそれを言い出すと資本主義の否定みたいになっちゃうんだよね。で、一気に話が計画経済とか社会主義的な話になっちゃう。んでもそれは資本主義より最悪なわけじゃん?っつーか神みたいなアーキテクトがいれば別だけど実際はそうじゃないから無理なんだよね。これってざっくり言っちゃえば欲がイニシアチブって場合が一番生産性と効率が高くなるって話なんだよね。ようは他人のことより自分のことっていう利己的な人間の本性に立脚した合理的な構造なんだよねってことになっちゃうんだよね。それは否定したいけど実際は利己的なやつが多いからそれは否定できないんだよね。つまりはそういうやつが多いから資本主義が結果的に合理的で効率と生産性が高いものになるんだよね。人を助けるっつーのと自分が儲けるとか得するってのはどっちが本能的に選ばれるか?って後者じゃないですか?そこは変わらなきゃいけないっつっても変わらないんだよね。あとまぁ人のためとかって言えるのも苦労してないからだっていうような話もあるよね。自分のことで精一杯だったらそのことに追われて生きてきたわけだから他人のためなんつー意志が介在するわけないってことでそれは人間の品格っつーよりかはまず自分をなんとかしなきゃいけないっつー単純なプライオリティの問題なんだよね。そこを突き詰めるとそりゃ誰でもまず自分をなんとかしなきゃいけないわけだから自分よりも他人ってことにはならないわけだしさ、他人って言える人は自分ってのを棚に置いておける余裕がある人のことを言うんだってことになるよね。


これはもう単純にそういう量の話だよね。まずは自分って人が大半で資本主義はまずは自分っつー原理に適ったシステムなんだよね。んだからさ、馬鹿の一つ覚えみたいにリーマンショックとかを出してきてgreedは悪なんだ!みたいに言ってても何にもならないんだよね。そのgreedが無いとそもそも成り立たないって話になるわけよ。俺が言いたいのはそのgreedの根本は生存本能ってことなんだよね。だからまぁ元々余裕がある家でなおかつ教養とかがある場合、自分を棚に置いておけるような余裕のある人になるんだけど、1から成り上がったみたいな金融成金とかは他人のためとか社会のためなんて考える余裕も無く自分のことに必死でやってきたっつー場合が多いわけじゃん?っつーか究極的に自分中心だから自分が一番儲かる方法ってのを追求し続けた結果が金融だったりするわけでしょ?まぁね、あれなんだよね、金融関係の詐欺全般に関わらず不正をしてまで金を得ようとするってようはこれだよね。別にこれって金融に特化した話じゃないんだよね。自分は儲かるかもしれないけど社会が大変なことになるぞ!なんつーのをなんで考えられないのか?ってのを考えること自体が愚問なんだよね。そんぐらい金儲けしか頭にないやつは馬鹿なのよ。ブラック企業の社長に倫理を求めてもしょうがないわけよ。あとまぁあれね、独裁者タイプの人間とかCEOタイプの人間って作家とか芸術家に鬱とか躁鬱の人が多いのと同じような感じでソシオパス度が異様に高いんだよね。そういう感じだからのし上がれるっていう結果、のし上がった人間にそういうタイプの人間が多くなるってことだよね。corporationって映画で会社って組織の行動原理とかを人間として当てはめて分析するとソシオパスになるみたいなのがあったけど基本これよね。これを原理にしないと効率化できないっつー人間の限界だよね。そりゃより良い社会のためにとかっつー動機付けで何かをやれる人が増えるに越したことないけど期待できないじゃん?それは。


いや、そのね、さっき自分のことを棚に上げられる余裕がある人の話なんだけどさ、基本的にエリートでやってきた感じで左翼になる人ってまぁこういうタイプなんだよねっつーのは元々あんま苦労する機会がなくてなおかつ大衆に混ざるような必要性も無かったしバイトなんかやる必要も無かったからロクでもない連中と接する機会がないまま大人になって学問を続けて性善説に立脚した話を永遠と展開するってことなんだよね。なんであんな性善説に立脚できるのか?ってこれですよね。それは世間知らずっつーよりかは世の中の大半を占めるロクでもない連中と接する機会が無かったっていうこれに尽きるよね。ソシオパスなんて診断されるような社長とか会長なんて特別な例だろうなんて思えるのもまぁあんなのは氷山の一角だってのが経験的に分からないからなんだよね。だからいくら結局は合理性を突き詰めれば利他的であったほうが結果的に自分へのフィードバックも良くなって良い社会を築けるっていう事実があったとしてもさ、それが分からない連中が大半なんだってことが分かってなきゃまぁ全部空論になるよね。それは理論的な合理性と実際の社会のあり方との違いじゃん?そこを埋められないとダメよね。で、なんでもかんでもgreedは悪だ!なんつって済ませてるようなタイプの議論はそこの埋め合わせは出来てないしやろうともしてないよねっていうかむしろgreedを批判するタイプの話って結局はそのさっき書いた人間の生存本能っつーのを否定することになっちゃってるんだよね。いや、俺はgreedは生存本能に立脚してるから正当化できるとは思ってないよ。


んでもそれはいわば本能で性欲みたいなもんじゃん?どんなやつでもAセクシャルとか性機能障害がある場合は別としてまぁ大体性欲あるじゃん?で、性欲があるってことは否定できないよね。じゃあセックスするなオナニーするなってことになるのか?ってそれは無理なんだよね。まぁんでもね、greedを走らせすぎた連中ってのは性欲をコントロールできないレイプ魔みたいなもんだって言い方も分かるんだけどさ、greedってそこまでプリミティブじゃないじゃん?根本はgreedなんだよね。何らかの形で。それは何も金銭欲に限らず名誉欲とかさ、自分を良く見せたい!っつー虚栄心とかさ、そういうのも全部欲だよね。いや、現代アートとかで多いじゃん?芸術性っつーよりかは金もさることながら話題性とかさ、ネットで話題になりそうな感じのものとかさ、ああいうのを戦略的にやるっつー根本は芸術性に身を捧げてるんじゃなくて自分を前に出そうとするっつー欲じゃん?ああいうのが人の不快感を与えるのはその欲が丸見えだからなんだよね。逆に人が好感を持つのはそんなにガツガツしてないやつだったりするじゃん?ってそんな簡単な話でもないのか。んでもまぁそのガツガツも含めて欲だし、まぁその結果、身を滅ぼすことになっても短期的に話題になったおかげで稼げた金とかってあるわけでさ、結局それってまぁ何らかの形で自分の得することってのに繋がってるんだよね。ようはそれってまぁ生存本能じゃん?だからまぁ馬鹿だなぁーと思いつつも根本の部分は人間である限り否定できないんだよね。


結局まぁその欲ってのが性欲にしても食欲にしても生存ってことにダイレクトに繋がってるわけじゃん?それを原理に動くのが一番効率的で生産的なのはまぁ当たり前っつっちゃー当たり前なんだよね。だから結局、資本主義は理に適ってるってことになっちゃうんだよね。人間の本能に一番忠実な荒っぽい社会システムとしてね。だから社会主義みたいなのは選民みたいな超エリートを選んで何万人単位ぐらいでやらないと成り立たないんだよね。それならまさしく個々が民意を持って民主的に政治を行えるっつー社会を作れるよね。ルソーも人間不平等起源論だかの最後で似たようなことを言ってたよね。んでもルソーの話ってさ、んだからまぁ社会主義が必要なんだ!って話じゃなくて社会主義とか民主主義なんつーのは神の代理人並の民度を必要とするからまず無理で、まぁそれが無理っつー現状があるから結局まぁ不平等ってのが存在して個々が鎖繋がれたままの社会が永遠と続くって話をしてるだけなんだよね。どちらかというとペシミスティックですらあるよね。「まぁ無理だろうね」的な。マルクスにしてもそうなんだけど一部分がやたら過剰に解釈されてなぜか暴力革命に繋がったりテロに繋がったりするんだよね。ルソーもまぁ元祖アナーキズムと言えばそれまでだもんね。まぁもっともアナーキズムってカオスを意味するんじゃなくて相互扶助の自律的なシステムを意味するわけで普通に理解されてるアナーキズムって誤解ばっかなんだけどさ、まぁそれ言い出したら社会主義もまぁ同じなんだよね。社会主義は合ってるに決まってんのよ。


そりゃマルクスが言うように午前中必要なだけ働いて午後はゆっくり出来るっつー社会が良いに決まってるじゃん?個々が自分の必要に応じた労働を必要なだけやって生きてけるような社会があればそりゃそれがいいに決まってるけど構造的にそれは無理っつー現状があるわけじゃん?っつーかそんなのが可能になってたのは奴隷制をベースにした古代ギリシャぐらいのもんなんだよね。だからそれってまぁ大体なんつーか可能なのは特権的なブルジョワみたいな連中はそれが可能でさ、大抵は必要に迫られた生存のための賃労働をするしかないわけだよね。で、自分売出し中なのにも関わらずそういう人が多すぎて誰でも出来るような仕事ですらも競争があるっていうさ、マルクス的な理想から見ればめちゃめちゃな社会ですよね。まぁだから資本主義はダメなんだ!って部分ではマルクスはやっぱ合ってるんだけどさ、んでもまぁ現実的にプロレタリア独裁なんて無理だしっつーか底辺でバイトすれば分かるけどプロレタリアもピンきりでロクでもないやつばっかなんだよね。実際は。あーそんな風になるしか無いよなっていうような連中が納まるところに納まってるっていうことでしかなかったりするじゃん?それは彼らにチャンスが無かったからなんだっつってもまぁチャンスがあれば違っただろうなって思える人なんて相当少ないわけよ。結局これってつまりはさ、社会の理想って社会の理想について考えているようで実際は人間の理想像を描いちゃってるんだよね。でも実情は違うじゃん?で、これってまぁ怖い話なんだよね。人間の理想像を描いちゃったらさ、結局それって選民思想になるんだよね。こういう理念の下に社会でやっていける人間がいればこういう社会が成り立つっつーことになるからまぁそういう社会にとって必要ない人間ってのの居場所が無くなるんだよね。まぁそれはサイコパス食物連鎖の頂点に君臨してるよりかはマシな社会かもしれないけどさ、まぁでも結局まぁジェノサイドの思想ってことになっちゃうんだよね。


人間ってダメだし別にそれは貧困層とかダメ人間とかニートって意味じゃない金持ちだろうが権力者だろうが成功者だろうがヒューマニズム的な観点から見ればダメな人間って腐るほどいるじゃん?ようはマルクスとかルソーが理想とするような人間像ってルネッサンス的な意味での人文主義なんだよね。フマニタスだよね。そういうルネッサンス系の連中なんて今では絶滅危惧種なわけじゃん?それこそ西洋的に解釈された合理的な人間って意味でのヒューマニズム人文主義ってのが書き換えられた結果、ルネッサンス的な人文主義なんて淘汰されてるわけだよね。そんな中でルネッサンス魂だ!なんつって頑張ってもダメなのよね。もう完全に合理主義の下にサイコパスが頂点に君臨するような社会になっちゃってるわけだし、一番幅広くジェノサイド無しで人間を包括できるシステムってそれこそ人間の本能に根ざした資本主義しかないんだよね。それは消極的にそんぐらいしかないだろうって話なんだよね。そりゃ他があれば他がいいに決まってるって話なんだよね。


いや、俺は前から書いてるようにそもそも貨幣のシステムがおかしいって思ってるからさ、金なんてなくなったほうがいいってマジで思うんだけどさ、あとはまぁその交換する媒体を変えるとかさ、なんかあとは「ソーシャルポイント」みたいなさ(笑)ソーシャルポイントが稼げるような仕事とそうじゃない仕事って分けるべきなんだよねっつーかまぁそりゃ上手くいかないだろうけど尊い感じの労働で得られたお金もギャンブルとか詐欺で得たお金も同じお金として扱われるってのに違和感を感じるわけじゃん?それは同じお金でも違うでしょっていうさ、まぁこれ言い出すと近代的な所有権とかの否定になるし何にも成り立たなくなるからアレだしさ、そもそも社会的にソーシャルポイントが得られる職種とそうじゃない職種なんて決めること自体がそもそも計画経済的じゃないっすか?例えば介護職はソーシャルポイントが高いってことになるとまぁそれってようは政府がイニシアチブをコントロールするってことになるからまぁ計画経済的になっちゃうよね。こんなのは上手くいかないわけだ。だから設計なしにほったらかしが一番良いって考える新自由主義ってのが推奨されるってのにも一理あるどころか論理的な必然性しか感じないんだよね。合理性だけを考えればね。それはほったらかしが良いってことじゃなくて計画的なことをすると大体失敗するっていう事実においてほったらかしぐらいしかやりようがないだろうってことになるんだよね。あと実際にそれは生存本能で成り立ってるから誰かはめちゃめちゃ損をするけど誰かは得をするみたいなシステムは勝手に成り立つっつーかまぁ見えざる手ってやつですねってまぁ微妙に違うけどまぁ似たようなもんだよね。それを成り立つっていえるのか?って話なんだけど計画経済をやって失敗したら経済が破綻するってのを考えれば若干マシって意味でまだ成り立ってるって言えなくもないでしょうってことになるんだよね。


んだからまぁ金融関係の連中が金融関係のことに関して政府の介入を凄く嫌がるっつーのもおぞましいことながら理解できるんだよねぇ。そりゃthere is no alternativeみたいなスローガンと共に新自由主義が跋扈するようになるよなぁーっていう必然性を感じるよね。良い悪いじゃなくてしょうがないって意味で。実際にオルタナティブが無いからやつらの言う通りになっちゃってるんだよね。んでもまぁ若干陰謀論っぽくなるけど新自由主義系ってまぁ例えばアダムスミスだとかさ、今の新自由主義に繋がるような古典とか文献っつーの都合よく解釈して書き換えたりするからねっつーかアメリカの新自由主義系の連中ってアカデミックなレベルでそういうことを平気でやってるから「実際にこれぐらいしか方法が無いよね」って思わされてるだけかもしれないってところもあるんだよね。そもそも新自由主義に関する事実とか学説ってのは都合よく解釈されてたり社会工学的に利用されたりしているっていう事実があるわけでさ、あ、それは金融恐慌でもあれじゃんね、ハーバードの教授なんかがモロに金融関係の連中に都合が良いような論文とかデータの改ざんをしてたなんつって暴露されてたよねっつってもハーバードビジネススクールって昔から評判悪いんだよね(笑)今に限らず特にアメリカってデータの改ざんとかデータ操作ってのを平気でやるからね。


資本主義は社会主義よりかはマシなように見えて実際はどっちもどっちぐらいのレベルかもしれないっていうさ、ようは逆を考えればアレなのよね、ようは社会主義独裁の国で出される経済データが客観的に信用できるか?って話なんだよね。まぁそのあれね、昔のソ連とかああいう時代の話ね。あとまぁ今で言えば北朝鮮とかね。そりゃまぁ基本的にどこの国でも現状の権力を維持するってのが目的としてあるわけだから権力維持に不都合な事実とかデータってのは隠蔽したり改ざんしたりするのが普通でしょっつーか歴史的にそれはどこでも行われてきたから当たり前なんだよね。それで言うとまぁさ、ようはアメリカが言うような資本主義的な新自由主義的な民主主義ってまぁようは新自由主義独裁みたいなもんなのよね。客観的にそれが一番良いみたいな感じで科学的に納得がいくような感じに思わせるっていうcrowd controlなわけじゃん?統治の原則がそれなんだとするとまぁそりゃどこでもそれやるよねって話になるよね。


だからこの場合さ、資本主義の自明性って崩れるんだよね。そもそもアカデミックに言われてるものってのがそもそも客観的じゃないっつーか都合が良いように改ざんされてるっつーかようはあれだよね、中国政府が中国にとって都合が良いような科学研究の結果を捏造して御用学者に論文を書かせるみたいなもんなんだよね。反日教育とかまさにその賜物じゃん?その結果があれだからね。日本を外交的に手玉に取るってのが目的なんだとしたらまぁ政府のやり方は成功してるわけだよね。最悪だけど。あそこまで世論をコントロールするってさすがは全体主義国家だな!って思わせるんだけど俺が言いたいことはアメリカも似たような世論形成の捏造をしてるわけだからようは媒体が中国政府が言う共産主義なのかアメリカ政府が言う資本主義なのか?っていう違いでしかないんだよね。だって客観的にそれが良いんであれば別にほうっておいてもそれでいいわけじゃん?それをあそこまで共産主義は脅威だ!潰さなきゃいけない!なんつって戦争をするとか異常じゃん?それ自体がようはそれもただのイデオロギーなんだってことを示してるんだよね。だからそういう意味で俺が「だから資本主義しかない」っつってもそれもまぁ結局はそう言わされてるだけかもしれないっていう可能性があるわけね。かといってもじゃあ社会主義がそこまで悪いとされてるのもアメリカの洗脳では?ってことになるんだけどそれに関してはいつも言うように俺は基本左翼だからそんな洗脳は受けないわけよ。むしろ社会主義は良いって思いたいんだけどどうしてもそれはやっぱり財政的に成り立たないっつー事実があるわけでだから支持できないんだよね。



まぁだから別に資本主義しかないって考える必要も無いし、資本主義しかないんだよなぁー結局・・・って考えちゃうっつー論拠ってのが社会主義とか共産主義は上手く行かないからってことだったとすれば別に社会主義とか共産主義は上手くいかないってことでだから資本主義しかないってことにはならないだろうってことでいいってことなんだよね。アメリカの世論誘導って巧みで合理的に結局資本主義しかないんだって思わせるようなやり方をしてるんだよね。なんかもっと他のストラクチャが必要なんじゃないか?的なことを言うとso what?ってことになるわけよ。今のこれしかないでしょっていうのがもうなんか完全な前提になっちゃってるんだよね。そうじゃないかもしれないのに。で、まぁそうじゃないかもしれないってことを模索するエコノミストとかが圧倒的に少ないってことだよねっつーかあとはまぁ金もらってるやつらが多いってことだね。まぁそりゃそうだよな。経済なんて国の根底みたいなもんじゃん?で、まぁ逆にそういうエコノミスト的な分析で現状の政府の政策とかを理論的に批判するってことをやると干されたり攻撃されたりするんだよね。まぁそういうことをやる人がやっていけないようになってんのね。言論の自由なんつっても結局みんな生活かかってるから背に腹は変えられないってことになってまぁ大きなものには抗えないってことになるんだよね。んだからまぁ俺がいつも思うのはその生活自体を何かに依存させないで勝手に自分でやってけるようにして干される干されない関係ないところで色々と考え続けて勉強し続けるのが一番良いってことになるんだよね。


経済的に何かに依存するってことでそれを無くすリスクは負えないってことで言えなくなることが多くなるってのは何気にこれは生政治ですからね。自発的な言論の封殺を促す最適なシステムの一つだよね。まぁ色んな意味での自主規制がこれにあたるんだけど。いやそんなのネットがあるから関係ないでしょ!って思ってたけどモロにネットも操作されてるし操作されてるっつー結果がデータになっててそれがまた世論を形成するっつーパターンが出来上がってるよね。でもその操作ってのが従来と違って誰かが具体的に操作してるっつーよりかは勝手に誰かが思いこんだものが世論形成に繋がっちゃったりブラフを真に受けるみたいな素の天然のリアクションだとかようは当たり前なんだけど人間の素のリアクションがそのまま出てるっつー場になってるんだよねって当たり前なんだけどね。結局まぁ何かに対して脊髄反射的に反応したっつー何かがまた伝わってっつーさ、その良い例がツイッターだったりするじゃん?もっと洗練された使い方をされると思ってたのにバカッター呼ばわりされるぐらいのモロに衆愚性の特性そのものを表すものみたいになっちゃってるんだよね。まぁんで悪い場合がまぁデマとかが以前に比べて一瞬で出回っちゃうってことだよね。逆にこれがまぁ権力化してるっつーかさ、なんかネットに書かれたら終わりみたいなね、自由な言論の場って思ってたネットってのは実はただのパノプティコンでようはまぁ結局は実際の社会のダメな社会性ってのがそのままネットに現れるのもそりゃネットってのは社会と繋がってるからダメなところも当然そのまま持ってこられるから衆愚化しちゃうよねってことなんだよね。まぁようは昔は一部の人しか使ってなかったんだけど今は馬鹿が馬鹿な行動をそのままネットで発表!ってことになるぐらいネットがインフラ化したってことだよね。


でもどうなんだろうね?一時期はネット社会なんて言われてたけど今では普通の人が普通に日常を実況中継してるみたいな感じになってるじゃん?まぁそのほうがいいんだけどね。変にネットだけで変な社会が形成されるよりかはネットもまた現実の一面であるってほうが結果的にネットとして健全なんだよね。だからまぁバカッターってネットの健全さの表れなんだよね。それ自体が良い悪いっつーよりかは良くも悪くも馬鹿なことも馬鹿なことのままありのままで発表できるってことじゃん?これってオタクな連中ばっかいるよりよっぽど健全だと思うんだよね。なんか俺が漠然と感じてるのはネット特有の暗さって逆に昔はネットをやらないような連中もやるようになって根本明るくなったっつーか良い意味で馬鹿になったって感じがするんだよね。まぁもちろん暗部もあるわけだけどさ、でもまぁ暗部も情報として並列化されてたほうが安全っつっちゃー安全だからね。で、俺が言いたかったその情報ではない知識の部分ってのがようは攻殻機動隊で言うところのゴーストなんだよねってことなんだよね。情報の中に存在する知だよね。それ自体が情報を認識して思考しているっていう現象そのものが知識なんじゃないかって思ってるのね。ようはそれは意識っつー現象なんだから情報とは全然違うわけよ。それはデータなんじゃなくて思念体なわけじゃん?あとはやっぱ最初にも書いたような技巧だよね。テクネーだよね。情報が情報を参照してまた別の情報を得るっつープロセスは情報だけじゃ成しえないじゃん?かといっても人間はその情報の橋渡しをするエージェントってことでもなくてさ、いや、そこが知の本質というか俺の言いたい奥義の部分がさ、ようはそこから何かを生み出す力だよね。まぁそれが情報同士の相互作用の必然によって導き出されたものなのかインスピレーションによるものなのかは分からないけどなんかやっぱそこに希望を感じませんか?ってことなんだよね。結局まぁそこにしか希望は無いでしょってことになるんだよね。だから考えるのをやめたら終わりって話になるのよ。


んでも今日はもう朝になっちゃったことだし考えるのを一旦やめて寝ようかなと(笑)なんつーかあれだよね、いつも思うんだけどこんな長く書くんじゃなくてもっとこまめに色々と書けばいいのにって思うんだよねっつってもまぁある程度まとまらないと書こうと思わないってのもあるんだけどそれ言い出すとそもそもなんで書こうと思ったのかが分からないからっつーかまぁ大体書いてるうちにエンジンがかかってきてんであとは暴走って感じになるんだけどね。んまぁでも色々と書きたかったことがあったんですねってことでまぁ色々と書けたから良かったですねっていう。


ってことでんじゃまた。