naoさんへの返信。

nao 2014/10/30 01:18


ここで紹介されているlove and mathを一週間くらいかかりましたが読みました。洋書を全部読んだなんてはじめてですがそれくらい最高の本でした。一週間の修学旅行ならぬ数学旅行という感じで。こういう壮大なのがほんっと好きです。こういう数学旅行に連れていってくれる本はマジで最高です!旅行としては激安ですし!代数をビジュアル化するというか奥深く探れば位相的なものとかリーマン面的なものが隠れてるんだっていうmagicalなものを改めて感じましたし。代数とトポロジーとかって定理とかで似たの多いなって思ってましたが対応とまではいかなくても互いにアナロジーみたいになってますよね。その関連を説明するなにかとかもあるんでしょうけどmagicalな不思議なものを感じますね。


道路や地図が好きなんですがそれが現実の道路とか地図から数学というイデアの世界の道路とか地図に興味が移行したんだなって思いました。数学の世界地図が本当に見てるだけでも楽しいわけで。いろんな道路走りたいっていうのもありますし(いろんなアプローチで探るみたいな)。これはこじつけとかじゃなくて本当に地図見てたんで距離空間とか位相空間的な感覚があったんだなって思ったんですね。だからトポロジーとかに目覚めたのもまあ納得できるといいますか。場所と道路っていうのを点と直線みたいに考えることでコホモロジーなんかも
理解できたっていうのもありますし、地図見てたことがいろいろ役立ってるなと。実際多様体でも地図的なアナロジーの解説も結構ありますし。mimisemiさんが音楽から思想に自然に移行したように、もしかしたら自分のこの移行も自然だったのかもしれません。


あとは数学の世界の人工衛星的なものを発見すれば地図が完成に大いに近づくので・・・。数学世界の地図は人間の認識みたいなものでしょう。人間が発見するたびに数学の地図は更新され、全く関連のなかった分野に関連が発見されれば地図上にその分野をつなぐ道路がたくさん建設される。地図の位相構造は変化する。もちろん数学の世界自体は人間の発見とかそれにともなう地図の更新に関係なく永遠不変的なものでその道路とやらも人間が発見していなかっただけでもともとあるものでしょう。新たな分野を開拓すれば数学の地図上には島的なものが付け加えられるかもしれません。でもその島は数学の世界にはちゃんとももともからあったでしょう。数学の世界自体が位相空間的な感じがします。


人工衛星的な最強なツールって一体なんなんでしょう。ワクワクするものがありますね。


でも地図を見ていて世界が分かるわけじゃないのと一緒で人間の認識とイデア的なものは一致することはないでしょうけど、そのたとえば二つの分野がこうこう関連しているっていうことでそれを論理でもビジュアル的理解でもそういうのをもとに理解しても、でもそもそもどうしてその関連があるんだろうっていうことってわからない気がするわけでして。


うーん、まとまってませんしおかしいこと書いてるかもしれませんが、とにかく良書と出会えたので感謝です!!




究極的に言ってしまえば数学の諸定理は何らかの他の定理のアナロジーで結局は全部繋がっているという感じだと思うんですよね。全てが相互補完的でただその表現が幾何であったりトポロジーであったり代数だったりするだけで、何を表しているのか?ということに関しては全てが全ての写像であるっていう感じがしますよね。数学の空間って鏡だらけの空間みたいな感じがするんですよね。鏡が増えれば増えるほど写像されるものも多くなるわけで、それが多層的に絡み合っているというのが数学っていう感じがしますね。まさにnaoさんがおっしゃるように数学の世界自体が位相空間的なんですよね。


ここで凄く面白いのがこの様々な像の写像の反射みたいな関係性自体が数学の中だけで完結しているのではなくて、それが我々の空間でも見られるっていうことなんですよね。「これは数学的に表現できそうだ」とか「数学的に表すならこうだな」っていうのが表せるってことはそれって結局は数学的に表せるものは全部数学なんですよね。だから結局、全部数学ってことになってまさに数学は自然の言語みたいな話になるんですよね。別に数学とかを介在させなくても物理的に成立していたりするものって多いと思うんですけどっていうかほとんどのものがそうだと思うんですけど、数学とかを意識せずに発生したものとかすでにある様々なものというのが数学的構造に対応するってようはそれって数学がメタ言語的な機能を持っているってことなんですよね。数学的構造と言えるものや数学的概念や数といった概念もそれが数字や数式という形で表されればそれはそれ自体の表現になっているわけですが、それが表されたところでではなぜそれでそれ自体を表していると言えるのか?というような部分が数学のメタ的な部分だと思います。


naoさんで言えば道路や地図を見るときに使っている感覚や概念というのがそのまま数学の言語でも表せるっていうことなんですけど、ではなぜ数学の言語として表せるのか?という部分が数学が数学たる所以なんだと思うんですよね。地図や道路や距離というような概念自体は体系的な数学の構造を必要としていないのにも関わらず、それらはアプリオリに数学的概念と同様の形を持っているってことなんですよね。距離とか高さとか長さとかってそんなに数学的概念って感じはしないんですけど結局は数学的概念なんですよね。で、例えばそこで速さとか角度とかを加えればより数学的になるんですが、それってつまりは我々の物理的空間に近づいていくってことなんですよね。どんどん似てくるわけです。でもそれは我々の物理空間が数学に似ているのではなくて、ほとんどのあらゆるものは数学的概念に対応しているっていうことだと思うんですよね。逆に数学的概念とは全く関係ないものって探すのが大変だと思うんですよ。


naoさんがおっしゃるような「どうしてその関連があるんだろう?」ということ自体が数学の本質っていう感じがするんですよね。それ自体は実在論的な答えは一切出さないんですが、ただでもどうあれ関連してしまっているという事実があるっていうことですよね。だからそれってmatter of factなんですよねだから数学を数学と呼ぶのには語弊があるんですよね。言葉を見るとそれは数に関することのように思えてきちゃうんですけど、実際はmatter自体のことなのでそれは数といった特定の狭い分野のものではないんですよね。


naoさんがおっしゃる「人工衛星的な最強のツール」ってまさにこの本の読者が研究しているラングランズ・プログラムのことだと思うんですよね。大局的な数学の俯瞰図を与えるようなものという意味でまさにこれだと思います。それが代数的で数論的というのに凄くロマンがありますよね。


ところで自分が金融にハマっている理由としては金融や経済と言ったようなものがどれだけ数学的概念に対応しているのか?とか数学的に記述できるのか?っていうところなんですよね。で、経済的なものが目指すところって結局は永久機関的なものなんですよね。無理でもイデアとして永久機関的なものをアプリオリに想定してると思うんですよね。そこがなんか究極的な数学との対応を感じるんですよね。結局、金融におけるポートフォリオの概念って原理的には永久機関的なものなんですよね。完全には無理でもそういった動的なダイナミズムを維持しようとするシステムを作るというところでは同じだと思うんですよね。ではなんでそれを維持しようとするのか?ってまぁ金融のポートフォリオで言えば端的に利益の追求ということになるんですが、この「維持する」ということ自体にすでに多様な数学的概念が組み込まれていて、それを維持しようとするなら数学的言語を使わざるを得ないというところに数学の究極的なオントロジーを感じるんですよね。


なんか金融とかで数学のオントロジーって何なの?って感じが自分でもしてしまったんですが(笑)僕が言いたいのはこの「維持」という機能自体が数学的概念無しには成立しないということなんですよね。でもま金融のポートフォリオや経済ということであれば人工的なものなので人がそれを能動的になんとかしようとするということにおいて数学を使う必然性が出てくるという人間の都合のような感じがするとは思いますが、「維持」ってそもそも動物の体全般の恒常性とかって維持のシステムが働いてたりするわけですよねっていうかそれ言い出すと自然全般そうなんですよね。体にしても具体的に何かの温度が何度異常になったらこういう風に反応して何かを防ぐといったような防御とか生態維持のメカニズムが自然に働いているわけですが、でもこれって人工的なものじゃないんですよね。動物っていう生物そのものがそういった機構を持っていること自体に驚きを感じずにはいられないですよね。


それは生物としてみれば「熱すぎたら死ぬし寒すぎても死ぬ」という当たり前のことだったりするんですが、防御や維持のシステムが常に働いているものとして考えるとある種のアルゴリズムの集合体みたいなものになるんですよね。というよりかは凄くアルゴリズム的ですよね。それが生体のいたるところに存在しているからその生体が生きていけるということなんですよね。生体というプリミティブな次元で高度なアルゴリズム的システムが存在しているということ自体に数学のオントロジーを感じるということですね。それは生体に限らず何らかのものの「維持」なのであれば細部の差はあれど目的はそれ自体の維持なのでアルゴリズムが似てきますよね。言わば「維持系のアルゴリズム」みたいなのが存在するっていうことなんですよね。でもそれは結局は様々なアルゴリズムのパーツの集積みたいなものなので、結局は分解すれば数学の断片ってことになるんですよね。


僕が言いたかったのはこういう感じで分解していくとほとんどのものは数学的なものの断片なんだってことなんですよね。数学的構造といったことばかりではなく、計算ということを原理的に考えていくと全ての動的な現象はある種の演算であるということが言えるわけで、まさしくマトリックスみたいな世界の話になるんですが、でも原理的にマトリックスなんですよね。それがデジタルなのか生なのか?という差なだけであって。でも自分としては両者の差はないんですよね。仏教的な悟りというのもつまりは色々なものの差など存在しないのだということであったりもするわけで、まさに梵我一如なんですよね。こういった悟りの構造みたいなものも数学的な同一性のアナロジーとして捉えられたりもするわけで、だから多分、過去の物理学者の多くが仏教に関心を抱いていたんだと思います。


そういったわけで自分にとって数学って凄くラディカルで原理的なものなんですよね。naoさんも今回の読書体験でその原理的なものを凄く感じたんだな!と思いました。本当に色々とここで本を紹介したり書いたりしていて良かったな!って思える瞬間です。自分が凄く良い!と思った本を誰かが読んで良い!って思ったというのは紹介した側としてはめちゃめちゃ嬉しいことなんですよ!まぁーなんというか数学最高ですよね!是非、naoさんの地図や道路などに異様に研ぎ澄まされた感覚を持っているというその感性で数学にも没頭していただきたいと思いました。多分、マンデルブロとかと同じで何でも幾何的に考えられるっていう凄い脳を持ってるんだと思いますよ。勉強をしてやれるようになる数学なんてたかが知れているので、結局、本当に数学が得意な人っていうのは大体そういう独特な感覚とか感性を持っている人なんですよね。だからずば抜けているわけです。


長くなってしまいましたが、僕もまぁそりゃー数学大好きなんで長くもなっちゃいますよね(笑)というわけでこの辺で失礼します。