感覚の世界。

病院行った後って必ず書いてると思うんだけどさ、いや、5週間に一回しか外に出ないってことなんだけど外に出たときのムラムラが凄いっていつも書くじゃん?これってあれなんだよね、囚人とかが刑務所の娯楽で映画を見るときに女性に異様に興奮するのと同じなんだよね。滅多に視ないから女性自体がすげーレアなんで見ると興奮するっていう。まさにこれなんすよね。散々神木ラブとか言っててあれなんだけどやっぱ基本へテロだよね。で、まぁなんかさ、いやーあんな子とデートでもしたら天にも上るような気持ちになるだろうなぁーとかって心から思ったりする感じなんですよね。外に出るともう基本これしかないよね。「うわーあんな可愛い子と付き合いたいわぁー」っていう。いや、んでさ、病院行って先生に色々と話すときに言葉にすることで客観的に自分がこんな風に考えてるんだってことが自分で分かるっていつも書くけどさ、まぁあれなんだよね、金融工学なんかにしても数理モデルだけで云々やってるってのに限界を感じるっつーかなんかまぁあれなんだよな、科学って本だけでどうにかなるもんじゃなくてやっぱフィールドワークとか現場にいるってこととかさ、ようは俺みたいに本と知識だけでどうこうするっていうのに限界があるって話なんだよね。当たり前のことなんだけどねぇー。よく考えると。


あとさ、犬の本読んでてね、あーんでこれがセレンディピティってやつなのかーってまぁ微妙に違うんだけどね、まぁたまたま親だと思うんだけど店にあった本でさ、読んでみようかなーと思って読み始めたら面白くてさ、まぁ内容っつーよりかはあれなんだよね、刺激と報酬みたいな話で、ようは何かを得ようとするときのプロセスが楽しいってことなんだよねっていつも書いてることだけどまさにそんなことが書いてあってさ、知らないとか知りたいって思うことを探索するってのがようは好奇心の刺激になるっつーか、俺で言うとさ、まさにこれじゃん?探索のプロセスが楽しくて分かってきちゃうとつまらなくなっちゃうんだよね。まぁ別にこの本には分かったらつまらなくなるとは書いてないけど動物のプリミティブな好奇心に関してやっぱそうなんだなぁーって思う部分があってさ、いや、まぁやっぱそうなんだよね。原理的に。


分かることが増えるとつまらなくなるって当たり前なんだよな。環境にしてもニューヨークで欧米全般の雰囲気に慣れちゃったっつーかニューヨーク特集!なんつって冬になると町全体がクリスマスムードになります!なんつってリトルイタリーの洒落た感じの写真とか見るとさ、まぁ改めて洒落てるなぁーとか思いつつやっぱ何にも思わないんだよね。こういう感じになれちゃうとパリのカフェの風景とかも特に憧れでもなんでもなくなるんだよね。まぁ欧米幻想が無くなったってのは良い経験だったっていつも言うけどまぁそうなんだけどさ、色々と経験すると幻想がなくなるからつまらなくなるってことなんだと思うんだよね。金融工学なんかにしてもなんかやっぱ期待してたんだろうね。色々と。で、あまりにも適当でっつーかまぁ予想はしてたんだけど学問といえるほどのレベルのもんじゃなくてガッカリなわけだよね。やっててもあんま意味ないじゃん!って思うところが多くなっちゃってつまらなくなったってのもあるし、まぁあとそれ以外ではただ単純に確率論的なことを株とか市場っつー媒体で勉強するってことでもいいんだけどね、ただまぁなんか燃えてないんだよね。すげー冷めてるのよ。あとまぁ所詮焼畑だって分かってるから確率論もある程度やれば色々と分かって飽きるんだろうなってのが目に見えてて冷めるのね。


んでも結局さ、いやね、ゲームにしてもやりつくしてそれでもまだ楽しむとすればすげープレイにこだわるとかめちゃめちゃ上手くなるとかさ、それぐらいしかないよねって前に書いたけどさ、いや、まぁFPS上手くなるっツーのはそういうことなんだってことなんだけど結局まぁ学問全般も同じだよね。そこそこ分かるようになって幻想とか無くなってリアルなものしかみえなくなるけどそんな中でハマり続けるにはなんかやっぱ変なこだわりとかがないと駄目なんだよね。でもまぁ天然の人ってそこを勝手にこだわってハマるってことなんだろうけど俺って概念が知りたいだけだから大体分かると冷めちゃうんだよね。んでもそれだとさ、FPSにしてもキャンペーンを問題なくクリアできるぐらいの腕前でいいのか?って話になるんだよね。特に理由はないけど単純に何かにハマりたいからっつー理由で上手くなりたいってのも別にいいんじゃないの?とは思ったって前に書いたけどまぁこれもまぁ学問全般同じなんだよなぁー。大体分かったっつーレベルでいいの?って話なんだよね。んーただまぁ正直いいですって話でもあるよね。


何しろそれが知りたかったわけだから。金融工学って結局何をやってるわけ?ってのが分かったからだから冷めるって当たり前なんだよね。でもそれはまぁ数学全般を極めるって意味でハマるべきだとも思うんだけどそもそも衝動的にハマれてないって意味でもう情熱が無いよね。いや、だからやっぱこの求めるとか情熱ってのが本当に大事だなって思ったわけ。いや、その外に出て「あんな可愛い子とデートできたらなぁー」って思うことってまぁ情熱じゃん?っつーかまぁ欲望じゃん?まぁ実際は恋愛って面倒であんま良いことがないわけでまぁ別にさ、これ自体も恋愛経験が無いやつが勝手に抱いてる幻想なわけだけどさ、んでもなんつーのかな?求めるとか欲望するってことの重要さを凄く感じるよね。理由はとにかく「うわー可愛いなぁー。あんな子とデートできたらなぁー」って思うこと自体は特に理由はないじゃん?ってまぁ本能で言えば単純にヤリたいってことだけなのかもしれないけどなんかそういうのも否定しだすとマジで生きていけないよね。俺ってまぁなんかあまりにもニュートラルになりすぎてて「所詮それもまぁそういうことだよね」っていう話になっちゃってる気がするんだよね。何に関しても。結局これってニヒリズムなんだよね。ニヒリズムって知的退廃だと思うのよ。もしくは敗退。知からは意志のオプティミズムが生まれなきゃいけないって思ってるわけでさ、主知主義主意主義ってのが両立してる状態が知の理想的な状態なんだよね。両方が相互的に作用しあって成立してるっていう。


んでも俺の場合、まぁ主知主義とまではいかないけどまぁ下手に知恵をつけてニヒリズムに陥ってるっていうことなんだよね。だからまぁある意味での馬鹿なんだよね。こういう状態に陥ってるってこと自体が本当に馬鹿だなぁーって思うわけ。キルケゴールじゃないけどここからはもうさ、死に至る病にしかならないわけだよね。でもなんかね、なんつーか衝動的だったり特に意志の介在無く「良いなあー」って感じられることを一瞬で分析モードで冷めた感じにしちゃうってもうさ、思考の癖じゃない?んだからこれをやめるって難しいんだよね。いや、そこを分析しつつも「これぞ内発的な情熱なんだ!」って思える何かが必要なんだと思うわけよ。midlife crisisって考え方次第では大きな目的を達成するために必要な焦燥感とか不安感って解釈もあるんだよね。いや、俺ってこれだと思うのね。ギャグじゃなくて。結局なんかさ、「このままじゃヤバいよね」って感じてるってことはやっぱなんとかしなきゃいけないっつーサインなんだと思うんだよね。40過ぎとか50近くになると感じ始めるらしいけどまぁだとすれば俺の場合、相当経験が早いわけで次のステップへの道がもう開けつつあるってことなんだよね。肯定的に捉えるとそうなるよね。やっぱあれだよね、上昇志向があるからこそ出る悩みなんだよね。別にただ生きられれば良かったら特に問題はないんだけど上昇志向があるからなんか色々と頭打ちになってるって思うとそれに対してすげー敏感になるんだよね。だからまぁ悪いもんじゃないんだよね。んでもまぁ今はあまりに辛すぎるんでゲームやってないと精神的に不安定になるってのがあるんだけど、でもこのヤバいと感じる意識ってのは悪いものじゃないってことなんだよね。しつこいようだけど上昇志向があるが故の葛藤なわけで。


いや、んでさ、まぁ電車に乗ってるときは「こういう衝動的な感情って大事だよなー」ってまぁ恋愛がどうのってのを分析する前にプリミティブにある「可愛い子とデートしたい!」って言う気持ちの素晴らしさを感じてたわけなんだけどさ、んでまぁこうやって帰ってきて色々と考えてみると「それはただの性欲だ」で済ませない何かっていうのかな。別に性愛に溺れるってことじゃなくて「それはただの性欲だ」で済ませている俺ってのをもう古いタイプの俺として考えるっていうことが必要なんじゃないかって思えたのね。それは他のこと全般にしてもそうなんだけどね。大体分かっちゃったからいいやっていうのは古くて大体分かりましたってのが自明な上でじゃあどうするのか?ってのを次のステップとして考えなきゃいけない。そこを今の自分は古い自分の従来の自分の思考の枠組みだけで考えてるから「分かっちゃったからつまらない」っていうレベルで終わっちゃってると思うんだよね。そこからもっと高次な何かってのに至るためにはやっぱそういうレベルではない何かってのが必要なんだよね。だからそういう意味で何かまた新しいことを見つけようっていうのだとただの快楽主義を続けるだけだからさ、なんかすでに得たものとか分かったこととかにしてもまた違うアプローチで取り組んでみるとか、極めるという概念も昔の自分が考えてた極めるじゃなくて今の自分が考える極めるということで考えていけば違うアプローチが出来るかもしれないって思ってるんだよね。


んだからあれなんだよね、前にその辺の若者と変わらないような状態になってるって書いたけどこれは大きな間違いなんだよな。色々と経た上での焦燥感って何も見つからない若者と同じじゃないわけだから。いや、現にバックパック旅行するとか海外行くとかで解決するような問題じゃないわけじゃん?だからそこはこのなんつーのかな?今の虚無感をある程度の進歩の結果だと評価しないといけないんだよね。その辺の若者とは全然違うわけで。だから何もやりたいことが見つからないからゲームばっかやってるんだっていうのと俺がゲームをやってるのって客観的に同じでも違うからね。そこを同じって考えるのは卑下なんだよね。高次の悩みを抱えているのにも関わらずすげー低次元なやつらっていうとまぁ何も見つからないでゲームばっかやってる若者をディスるみたいになっちゃうけどそういうのと同じだって考えるのってさ、まぁようは自分の中でそれをラベリングしちゃうってことだから高次の悩みなんだっていう意識がないわけで次のステップに行ける機会がなくなっちゃうんだよね。


ようは間違った考え方によって成長が妨げられちゃうって話なんだよね。むしろめちゃめちゃ早熟なmidlife crisisにもう陥ってるんだって考えるとさ、成長が早いってことなわけだから良いことなんだよね。なんかさ、最近「あーホント今の俺は駄目だなぁー」っていう考えばっかになってたけどこの「駄目だなー」って感じる原因がこの問題そのものを捉える認知の歪みから来てるってことなんだよね。ようはその駄目っつーのがようはやりたいことが分からなくてゲームに逃げてるやつっていうレッテル張りをしてるから評価が駄目になるんだよね。客観的にそうでも実際は違うわけでしょ?っつってもまぁ他の人をそれで違うんですとは説得できないにしても自分は違うって分かってるんだったらそれは違うって分かってないと駄目なんだよね。そこを俺は分かってなかったんだな。


なんかまぁそれを知れただけでも凄い進歩だなって思ったんですよね。やっぱたまには外に出るべきだね。あとまぁマジで人生に強度を求めるなら恋愛に関してもっとシリアスに考えなきゃいけないなって思うよね。ただの性欲とか恋愛なんて時間の無駄ってマジで思ってるならいいんだけど実際はコミットしてみたいってのもあるんだとすればやるべきなんだよね。そこを無理に抑える必要は無いんだよねっつってもまぁ機会がないからどの道無理なんだけど、ただまぁ無理だって思うんじゃなくて機会が無いって思ってればいいんだよね。いや、そんなの絶対やらないって思う必要は無いんだよね。あとやっぱなんかプリミティブな衝動って滅多にないものじゃん?あとあれ、病院行くと必ずでもないんだけど時間があるときに寄るラーメン屋があるんだけどさ、そこでラーメン食うと「いやー旨かったなぁー!」っつープリミティブな感情がわきあがってくるんだよね。それを分析すればただの炭水化物を食べて満腹感を感じているだけってことになるんだけど、でもそうじゃないじゃん?やっぱラーメンが好きでそこのラーメンが好きだったらそこに理由は要らないんだよね。もう好きなんだったらそれでいいでしょ!って話なんだよね。


いや、このラーメンのこともあって余計に思ったのよ。まぁ客観的に見ればラーメンって食欲で女の子は性欲だけどさ、でもこの二つってやっぱまぁ動物にとってすげー重要なことじゃん?いや、ようはね、強度が介在するものには必ずこういう原始的な本能的なものが必ず根っこにあるって思ったんだよね。知識欲にしたって好奇心っつー欲求なわけでさ、まぁ動物的なんだよね。だからなんつーのかな?動物の本を読んでても思ったんだけど、なんかこの理由とか論理みたいな理屈っぽいところで得られたものをベースに考えるんじゃなくてまぁそれも必要なんだけどもっと動物的な直の自分と世界とのinteractionってのに目を向けるべきだって思ったんだよね。俺が感じている限界ってただの論理の世界の限界でもあるわけなんだよね。論理の世界はそれでいいんだけどそれだけで人生とか世界を判断するってのはおかしいんじゃないか?って思うようになったわけよ。なんかもっと野蛮な意味での人間的な部分に本質ってあるんじゃないか?って思えてきたんだよね。それは最近の俺が「これだ!」って思うことが悉くプリミティブなことに関することだったりしたからっつーことでもあるんだけどね。


ようはテイストだよね。ただ生きられればいいっつーんで胃に直接なんか流し込んでればそれでいいのか?って話なんだよね。ラーメンなりステーキなり刺身なりなんでもいいんだけどそりゃ栄養を取るためだけど食べるということ自体に存在する本質的なものってあるわけじゃん?っていうか人間にとっての本質的なものだよね。いや、なんかざっくり書くとまぁあれだわ、結局は快楽主義でもあるんだけどまぁようはそのね、動物的なinteractionってようは舌触りとかさ、食感とかさ、味とかさ、身体的な部分にしてもようはオナニーが便利っつっても所詮は自分の手でしごいてるわけじゃん?それとめちゃめちゃ可愛い子とヤルってこととどっちがいいのか?って絶対後者でしょ。なのにも関わらず排泄という意味では同じだって考えてオナニーが便利って考えるのって合理的で論理的ではあるんだけど人間としてのテイストってのを完全に失ってるよね。これが凄くダサいことだなって思うようになったのよ。本人は理屈があってそれが合理的って思ってるんだろうけど結果的にそういう理屈っぽい考え方をし続けて不幸になってるのは誰か?って本人だからね。そういう自分が一番ダサいわけだ。


結局そこからルサンチマンとかも生まれてくるわけだしそれでニヒリズムに陥ってるなんて最悪の敗者でしょう。認識的に完全に負けてるよね。理由とか合理性ではどんだけ勝っていても人生において負けてるっつーのかな?ようはテイストにおいて負けてるんだよね。その負け構造を作ってるのが自分の世界の認知の仕方なんだってことに気がついたわけなんだよね。これが多分ね、外で可愛い子を見たときに感じる自分への違和感なんだと思うんだよね。ただの幻想だって思うことにしてテイストとかっていうファジーな部分を飛ばしてるとか考えないようにしてるとかね、なんかもっとそのめちゃめちゃ人間臭い複雑な部分ってのにコミットしてないんだよね。それは論理でどうにかなる世界じゃないからあんまり触れたくないっていうところもあるんだと思うんだよね。んでもそういう論理でどうこうじゃないっていう世界があるってのが素敵っつーか救いっつーかさ、それを俺は今はテイストって読んでるけどなんだろうね、音楽で言うと用語は古いかもしれないけどヴァイヴスっつーのかな?いや、でも俺はそういう感覚の世界では音楽なんてヴァイヴスとかテイストの問題だろうって一番分かってるわけよ。もっとも直感的な部分だよね。でもなんで人生においては無味乾燥な、例えば「音楽なんて有限の組み合わせの所産にしか過ぎない」なんつってつまらない病に陥ってるのかな?って話なんだよね。いや、音楽は実際には理屈で言えば確かにそうなんだけどでもテイストの部分でやっぱり良いトラックは良いトラックなわけでさ、その良いということ自体に理由はいらないんだよね。それは良いということでもう完結しているわけで。まぁあとフレーバーとも言うよね。音楽で。


なんかまぁ結局性愛とかにしてもタントラとかってようはエネルギーの昇華だったりするわけじゃん?それを鍛錬するっていう感じかな。だから俺ってその人生の部分でエナジー的なもんってのを徹底的に否定してるみたいなことになっちゃってるんだよね。特にオカルトとかスピリチュアルとかが趣味の範囲では好きでもシリアスには捉えてないって意味でやっぱ嫌悪感があるってのもあるしさ、んでもそこをニューエイジとかに陥らない意味でのテイストとしてのエネルギーっつーのかな?結局なんかその鍛錬をしてないからエネルギーが枯渇してるんだと思うんだよね。っつってもいきなり生体エナジーみたいな話になるってことじゃなくてもっと生の生々しいところにフォーカスするっていうのかな?一方ではマトリックスみたいな世界観を持ちつつっつーかもうこれはそうなっちゃってるからデフォなんだけどさ、いや、マトリックスでも描かれてるように2だか3ですんげー肉体的な描写ってのが出てるわけじゃん?全部デジタルみたいな世界とその一方で原始的なダンスとか汗にまみれながらセックスするとかさ、で、俺の場合、全部デジタルっていうそれだけだから自分もいつのまにかロボットみたいになってたって話なんだと思うんだよね。まぁロボットでいいならいいんだけど俺はそれで納得してないし何もかも虚しく感じる理由の一つはやっぱりそこにあると思うわけよ。かといってももっと生々しいところにフォーカスすれば解決するのか?っていうと違うんだけど、んでもそれで全部解決しなくてもあんまり重要視してなかった部分に目を向けるってのはようはさ、そのさっき書いた次のステージに上がるためのプロセスとして必要な気がするっていうところなんだよね。ようはこういう分からないけど「なんとなく」って思ってる部分にインスピレーションを受けて色々と考えていくしかないんだよね。もうこればかりは本に分かりやすく色々と書いてあるとかっていう話じゃなくなってるわけだから。


なんかさ、JCとかJKの脚を見てて思ったんだけどあの完全なるエロさってやっぱ凄いじゃん?ほとんどの男があれに魅了されるわけだしさ、制服とのコンビネーションで本当にやばいことになってるよね。あれでスカートとローファーと紺のハイソックスとかもうそれ自体が性犯罪でしょうっていうぐらい完璧だよね。まぁ俺はめちゃめちゃスケベなんでそんなことばっか考えてるし外に出ればそういうところにしか目がいかないんだけどそこにやっぱ本質があるからなんだよね。いや、これは冗談抜きで。そういう質感の問題でしょ?JCとかJKのふとももとかっていう本とか知識とか論理とは関係ないレベルでの絶対的なテイストなんだよね。ちなみにさっきも書いたけど音楽とかだとこんなのは当たり前なんだよね。俺は元々感覚的だし視覚的なんでむしろこういうところに関しての感受性はめちゃめちゃあるしそういうところは元々得意なのよ。だから余計にドスケベでド変態ってのがあるんだけどそのJCとかJKのふとももとかさ、黒タイツの質感とかさ、それってまぁ音楽で言えば「あーこのスネアの音たまんねぇー」ってまぁすげーフェティッシュじゃん?黒タイツとかふとももってことになるとフェティッシュで音楽に関してはフェティッシュと言われないのはおかしいんだよね。むしろそういう質感とかテイストなんて芸術の領域ではデフォの世界だからね。


で、そういう感覚の部分っつーのかな?そこだなって思うのね。なんでそれが人生というか自分の生活に現れてこないのか?っていうのがむしろおかしいっていうところなんだよね。なんでそういうところを理屈に逃げて取り扱わないの?って話なんだよね。まぁ逃げてはいないのか。そういう感覚の世界で現実ってことになると音楽とか数学とか思想全般とかあとまぁバーチャルリアリティーっつーかまぁゲームとかってことになるんだよね。んだからまぁ俺の場合、バーチャルリアリティーからリアリティへって感じだよね。バーチャルリアリティとか現実に対するメタ視点ていうのはデフォでなおかつでもリアリティとテイストに戻ってくるっつーのかな?数学が高度に抽象化されてんでも最終的にまた具体的なものに戻ったりもするっていうそのプロセスと同じだよね。だから抽象化して終わりってことなんじゃなくて抽象化からの現実化なんだよね。もしくはメタ現実っつーのかな?俺が前から書いてるハイパーリアリティってようはこれなんだよね。自分で散々書いておいて自分で一番分かってないっつーかやっぱ生活の中で実践できてないっつーかさ、んでも今はそれが自然と具現化してるっていう感じなんだよね。


ただまぁ当然危ないのは質感だ!っつって生のJCとかJKのふともも触りたいから触っちゃう!っていうことだよね。まぁもちろんそれは倫理コードでアウトなんだけどでも現実の世界では危ないから妄想の世界だっていうことでもなくてそりゃ生で触っちゃいけないけどでも触りたい!という衝動はそれ自体として認めて否定しないってことだよね。それを否定し始めると全部がようは倫理コードによって規定されるみたいになって思考形態とかテイストの感じ方自体がシェイプされちゃったりするからね。んでも倫理がどうだろうがJCやJKの脚は最高だ!っていうのは事実なわけでさ、そこは認めるっていうことなんだよね。で、俺はそれをエロとしては認めてたけどやっぱり現実としては認めてないっていうところがあるわけよ。だからどんどん現実と自分が乖離してくるわけよ。でも実際の自分はああやって外に出ると最高に性欲が爆発するわけでさ、その衝動性の顕在化ってのを認めないってのが駄目ってことなんだよね。それは最高だ!っていうところを認めるっていうところが現実との繋がりだと思うのよ。ようはただ生きるとか電車に乗るとかってことじゃなくて全てを質感として感じるってことなんだよね。んーまぁ会社勤めしてる人とかには無理な話なんだけど。んでもまぁ五感を最大にビンビンにして生活するってやっぱこれ自体が強度だと思うんだよね。それをいかにビンビンにさせるか?っていうこととビンビンなままで生活を維持するのか?っていうことだと思うんだよね。そこからようは何をするか?とか何をするべきか?とか何がしたいのか?っていうのが生まれてくるわけだ。もっとその理屈とかではないプリミティブなレベルでそれを考えるべきだなって思ったのね。


まぁ簡単に書いちゃうと音楽とドラッグってその極地だよね。セックスとドラッグとかね。んでもそれは駄目だって倫理コードで駄目とされているということでそれ自体がいけないことだって思わされてるっていう。まぁもちろん法的に駄目なもんは駄目なんだけどさ、んでもまぁドラッグ云々っつーよりかは感覚の世界ってことになるとまぁそうなりますよねってことになるんだよね。それは別にシラフだろうがなんだろうがあんまり関係ない。理屈が優位なのか感覚が優位なのか?ってことだからね。あ、まぁそういう簡単な二項構造の話でもないんだけどね。それがどっちでもないっていう凄くファジーな世界ね。そこにもっと踏み込んでいくって話だよね。だからまぁ知識云々じゃなくて認識の話だよね。だからまぁそれの実践ってことだよね。なんかヤヴァい世界に踏み出しそうな感じがあるけどまぁそこは俺は根はまともなんでそこは大丈夫なんだよね。それがあるからまぁ踏み込んでいけるんだよね。ちゃんとした知があるからこそ危なそうな感覚の世界にも踏み込んでいけるっていう。んでもまぁこれって元々俺はそういう世界だったんだけどコントロールが効かなくなって中学ぐらいの完全にメンタルブレイクダウンになっちゃって、んでそこから知によってそれをコントロールしようとして、んで今はその知によって雁字搦めになってるっていう感じなんだよね。だからそこから精神を開放していくっていう話なんだよね。だからプロセスとしては色々と段階を経てるんだよね。だからこそこれが次のプロセスなんだってのが分かるわけよ。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。