久々にと思ったら今年ももう終わりなわけで。

いや、完全に放置になってますね。いや、そんぐらいゲームばっかやってますよ。んでもやり過ぎで右手の筋が痛くなったのと目の奥の痛みが凄くなったりしたのとあと異様な倦怠感とか疲労感ってのはあるよね。で、それをカフェインで誤魔化してさらにやり続けるっつー完全にジャンキーな生活を送ってますね。でもここまで没頭できるとこれはこれでアリなんじゃない?って思うようにもなってきたよね。これでゲームのやり過ぎで死んでも本人は楽しんでやってたんだから別にいいんじゃない?って思うよね。それはマジで思うよね。基本的に本人の快楽のためにやってるんだったらさ、それが学問だろうがゲームだろうがスポーツだろうが関係ないからね。それ自体に意味はないし実益にもならないでしょう。あとまぁこの実益って考え方もどうなのかな?って気がしててさ、いや、金融工学って数学を駆使する割に結構実益がありそうだってちょっと思ってたんだけど実際はまぁレベル的に経済学とかの数学のレベルなんで全然厳密じゃないし苦労して理解したところでなんかの条件が変わったり時間が経てば意味なくなったりしてさ、まぁようは俺って求めるものがイデアじゃないですか?天変地異が起ころうが変わらない事実みたいなのに惹かれるわけだよね。


んでもそんなもんは滅多にないしあったとしても実益とは遠いわけだしまぁはっきり言ってどうでもいいことが多いのよ。でも俺の価値観的には実益があるようなもののほうがよっぽどどうでもいいんだよね。でも一応この世界で生きていくならなんかしらの現実とのコネクションがあったほうがいいだろうっつーことで現実味のあるものをやってみようかってことでもあったんだけどまぁ本当に空虚な世界ですねっつーかでもまぁいつかはあれだよ、まぁ量子コンピューターみたいな世界なんだけどさ、あ、んでも結局まぁ金融ってさ、まぁある程度予測するみたいなことって少なからず大体まぁラプラスの悪魔的なフレーバーを醸してるんだよね。そもそも無理だろうって話だしまぁいつかはできるようになるけど当分無理だろうって話だしそもそも金融工学がやろうとしてるモデル化って実際のコンセプトを厳密に定式化しようとしたらおそらく今の人類の知的レベルじゃ扱えないっつーものなんだよね。そもそも人間が考えたりできるレベルのものじゃないってことなんだよね。まぁようはカオスとかってことなんだけど。


まぁ一方でタレブなんかはカオスって部分をでかく見すぎているっつー批判もあるんだけどさ、ようはどこまでを真実とするか?って話なんだよね。実際は厳密に定式化できてないものを人間の知的レベルに合わせて簡易モデル化したものをベースになんかを考えててんでその脆弱な基盤が原因になってcrisisが起こるとかね、でもまぁ別にそれって金融に限った話じゃなくてそれこそ災害とかさ、いや、なんでもそうなんだよね。で、まぁ大雑把に言っちゃえば無理だろうなって話なのよ。まぁ研究に意味が無いとは言わないけどね。なんか結局確率論なんかも最終的にはやっぱりカオスってことになって人間が考えるには無理過ぎるレベルの複雑性の話になるって感じがしててどの道無理そうならやらないじゃん?努力すればできるようになるレベルだったらいいんだけどそういうレベルじゃないからね。んであとさ、現状のもんだと上辺だけは掬えるかもしれないけどんでもそれをやってるとあたかも凄く複雑なものについて研究しているっていう自己満足だけで実際は何の研究もできてないみたいなことになるんだよね。いや、実際にそうじゃん?現代から見ると例えば昔やってた物理の実験とかさ、いや、近年じゃなくて中世とかのやつとかってまぁホント無駄なことしてたんだなぁーっていう感じがするわけじゃん?


んでも当時はそれが研究として認められてたからそれに給料が出てたり本人はある程度の社会的地位を得てたりさ、でも今から見るとそんなもんが職業として成り立ってたのがありえないっつー話じゃん?これがまぁようは文明の進歩ですよね。で、なんかそれを考えるとなんとなく俺が知りたいと思ってるものとかって大体のもんは多分文明が発展すれば分かるようになるってものなんだけど今考えたところでどうにもならないってことが多かったりしてさ、んでそれってまぁ別に俺が一人で考えたところでどうにもならないじゃん?あとは必死にやってても中世の物理の実験みたいなレベルだったりするわけでまぁそれも本当に意味ないなぁーって思うしさ、んでまぁあれなんだよね、本当に研究として意味があるだろうなぁーって思えるのってやっぱフィールドワークとかさ、あとは実験が絡むものとかね、俺みたいに本とか知識だけでどうにかしようとしてるみたいなもんだとやれることなんて限られてるんだよね。もしくはまぁ単純に俺の地頭のレベルに限られちゃうからやれることが無いわけなんだよね。だからこそ自分一人ではやれそうもないことをチームでやったりでかい予算を使ってなんかやったりっつーまぁそういう集合知ってのが必要なんだよね。一人で考えるって本当に時代遅れだなぁーって思うようになりましたね。


まぁそんな感じなんだけどさ、いや、もう何気に年末になってるわけだけど今月はゲームばっかで何にもやってない感じがあったけどまぁゲームやってると一瞬ですね。この一瞬ってのが怖いですよ。こんなの続けてたら一瞬でおっさんになっちゃうんだなぁーって思う反面、じゃあ時間を何に使うの?っていうと当然もっと有用なことってことになるけどんじゃあそれって何なの?っていうと分からないっていうのが正直なところですよね。あとまぁ有用なことに時間を使えるってのは本人の有用さにも依存するってことなんだよね。ようはもともと何らかの実益に繋がるような有用性を持った人間が有用なことに時間を使えばそれが実って実益に繋がる可能性は高くなるけどそもそも有用性が無いやつが実益につながりそうだって思って何かをやったところで何にもならないんだよね。もちろんだからそこで自分自身を知るってことが大事でさ、で、現実的に自分がやれそうなことに関しての有用なものに時間を使うってことになるわけじゃん?あ、ようは有用性って話はね、明らかになれるわけがないアイドルワナビーの豚みたいな勘違い女が「いつかスターになる日が来る」って思い込んでいて歌のレッスンとかダンスレッスンを有用なことに時間を使うっていうことだと勘違いしててコミットしてるっていうことなんだよねっていうかこれはまぁようは本人は有用なことに時間を使ってるって思ってるけど実際は全然有用じゃないただの時間の無駄ってことなんだよね。


明らかにどう考えてもお笑いのセンスが無い漫才コンビが「いつか売れたい」って思って漫才をいくら稽古したところでそもそもセンスが無いんだから無理じゃん?いや、それが実は面白くてただ評価されてないって場合もあるかもしれないけど今では稀なんですよっつーのは面白いもんは勝手に人気が出るからね。情報の伝達が早いから「これ面白い!」ってもんはすぐ広がるからね。だからなんかそういうポテンシャルみたいな部分もリアルにすぐ反映されるから幻想って意味での夢が無いよね。常にリアルを突きつけられ続けるっていう状態にさらされ続けてるもんね。だからまぁ若い人はどんどんペシミスティックになるんでしょう。でもまぁそれはある程度利口ってことなんだよね。馬鹿はそこで馬鹿な夢を見続けるわけだから。


この夢ってのも問題だよね。明らかに達成不可能なものってのが多いわけじゃん?勘違い女がアイドルになれるわけがないのと一緒でさ、んでもまぁそういう具体的な話は別として夢を見るとかやりたいことをやり続けるってのは良いことなんだ!って言ったとしても仮にそれをこの豚女とかクソつまらない漫才コンビとかに置き換えるとやっぱ正当化できないじゃないですか?いや、ずいぶんと前置きが長くなったけどこの自分が勝手に有用だって思ってるってことの勘違いってのは本人には分からないってことが多いってことなんですよね。だから仮に俺がなんかね、それこそ現代の最高の知性が集まったところで解明できないような内容のことを知りたい!って思っててそれについて研究しててもまず無理じゃん?んでも本人にとってはそれが真理に繋がるエロスなんだ!とかって思ってるっていうさ、これってまぁ完全に自己満足の世界ですよね。で、まぁんでも本人が楽しんでるならいいんじゃない?ってことになるとまぁ有用かどうかはともかくとして本人は楽しいからいいってことなんだったらまぁようはその有用性ってのは功利性で考えるとまぁようは快楽ってことになるよね。んだからそういうことになるのよ。


そもそも分かるわけがない問題について立ち向かったところでどうにもならないし、んでも楽しかったらいいじゃん!ってことで言えばまぁ別にそれは快楽の形態なわけでゲームだろうが学問だろうが関係ないって話になるんだよね。あ、んでちなみに俺は別に知りたい!って思う具体的なことがあるわけじゃないよ。まぁそりゃー簡単に書いちゃえばある意味で誰もが知りたいカオスのパターンとかさ(笑)カオスってパターンが無いからカオスなんだけどそれを大局的に全体像として見る方法はないか?とか無理じゃん?まぁすんげー演算処理のスピードが速くなればある程度可能になるかもしれないけど誰かが考えるようなことではないじゃん?あとはまぁこれも矛盾なんだけど数の濃度の段階とかね。分子みたいなのが存在できる範囲ってのがある程度決まってるんだったらその物理的制約みたいなのが階層ごとに変わっていって濃度が変わっていくみたいなさ、んでもその階層って何なの?って話だしそもそも階層を出してくること自体が意味分からないし、まぁこういうこと言い出したらいくらでもありますよ。それこそ素人が思いつきそうなものから結構齧ってる人が疑問に感じることまで色々とあるにはあるけど別にそれらに立ち向かおうとは思わないんですよね。別にそんなに気にならないからね(笑)


完全に理解するとか謎を解明するってことじゃなくてさ、色々と齧ることで大体どんなことが起こってるのか?とかそれはどんなものか?とか今の研究の段階がどんなものなのか?とかさ、そういうのってまぁ大体分かるようになるわけよ。そうなるとまぁ自分でやれそうなものってのも分かるようになるしそれで大体どんなことが分かるようになってどんなことが分からないままであるのかってのも分かるようになるから先が見えちゃうんだよね。もちろんその先にロマンを感じてやり続けるってのもありなんだけど今はもう完全に壁にぶち当たってる感じですよね。ぶち当たってるっつーかまぁ知りたいってことをある程度調べつくしちゃうからやりたいことがなくなっちゃうんでしょう。まぁそれはいつも書くように娯楽全般でも何もかも消費しつくすってことだし音楽にしても古今東西聞き尽くしちゃうみたいなことでもあるしゲームにしてもある程度やりつくしちゃうって話なわけじゃん?で、やることがなくなるからだったら今までやってきたことをもっと深く掘り下げようってことで細部について調べたり勉強したりゲームにしてももっとやりこむとかっていうまぁなんつーか狭いところに収束していくみたいな世界になるんだよね。


でもなんか俺はあんまそういうの好きじゃないんだよね。big pictureが好きだからあんまその分野でのディティールがどうってことにはあんま関心が無いのよね。んでもそれ言い出すと関心があることがなくなっちゃうからあんま生きてて意味無いみたいな死にたい病になっちゃうからなんかに関心を持ち続けなきゃ!って思うんだけどあんま続かないってのが現状ですよねっつーか金融工学は何気に凄いペースでやってたんだなって今分かったんですよ。実質的に半年ぐらいみっちりやってた感じだもんね。で、まぁ今はあんまり関心がなくなったからえらい時間がかかりそうなものとかをそんなに時間かけてもしょうがないってことで適当に読んでる感じですよね。おかげでまぁある意味でサラッと読むのは大体終わっちゃった感じだよね。そんなに別にディティールを勉強するほどのもんでもないってのが分かったから関心が無くなっちゃったわけだよね。


っつーかそもそもそのさ、変動性とかそれの予想とか振る舞いとかってこれ言い出すと結局はカオスの予測とかってことになるのよね。金融工学とかの場合、それを株っつー媒体でやってるってだけなんであって別にこの主題自体は何にでも通用する話なんだよね。まぁあれだわ、逆にまぁ株ってことに限定するからだからまぁなんとか雑でもある程度数学とか使ってモデル化をできるってことなんだけど結局まぁ限界はそもそも株自体を株だけに限定するのが無理な話で、実際に株価に影響してるものってのを言い出すとまぁ実際ほとんど何もかもが影響してるわけじゃん?それこそ金融工学で扱わないもんも含めて影響してるわけだよね。まぁそれを一応は変動性ってことで考えるんだけどこういう局所的なテクニカル分析とかって意味あるの?って話になるわけでさ、で、これってやっぱすげー色々意見があるのよね。永遠とテクニカルやってる人もいるしファンダメンタルしか意味が無いって人もいるしんでも実際のところ何がベースで変化が起こったのか?ってのが実証不可能だから科学にはならないんだよね。まぁでもバフェットみたいな会社の帳簿だか財政関係のデータを大量に読むみたいなことは明らかに有用なんだけど別にまぁそれに興味があるわけじゃないからね。いや、だからまぁあれなんだよな、ある種の株の一面には興味があっても完全に知ろうとするとあんまり興味が無い部分についても結果的に知る必要が出てきてあんまモチベーションが維持できないみたいな話になるんだよね。


そこでまぁあれなのよ、ずーっとオナニー続けてるなんて揶揄される学者とかはまぁようは実地とか知らずにただ数式をいじくってるだけで何にも株について知らない割に永遠と研究続けてるみたいなね、まぁすげー虚しい分野ですよね。いや、でも現象の一面だけを掬って簡単なモデル化をして人間にとって考えやすい都合の良い捉え方をしてあたかもそれを分析してるように感じて満足するってまぁ本当に自己陶酔の世界なんですよね。これほど虚しいものはないでしょう。経済学とか大体こんな感じだよね。まぁ経済学全般意味無いとは言わないけど経済学がthe dismal scienceって言われ続けるのもまぁそういうところなんだよね。あとまぁあれね、数学が得意だった数学畑の人が経済学やって色々なものを数理的に解明したなんていわれてるものの数理的な雑さ加減ね。経済学では通用するかもしれないけど数学プロパーの人が見たら「冗談だろ」って思っちゃうような代物が平気でテキストみたいなレベルで扱われてるわけじゃん?まぁ本当に馬鹿馬鹿しいなって思うわけねっつってもまぁ大体のことが分かればいいっていう大局的なものとかね、近似が分かればいいっていうものもあるわけじゃん?近似と厳密に正しい数って全然違うわけだけどでも別にどっちが正しいか?ってことじゃなくてようはそれで何をするのか?ってのとそれを分析して何をしたいのか?って話なわけでしょ?


まぁそんな意味でピケティの本は話題になってるわけだよね。色々と知ってる人たちにとっては暗黙知になってたり色々なテキストやデータを横断して分かってるってことを一冊にまとめたわけだから。いや、例えば「格差が広がっている」ってのを新書とかだと数行で済まされるようなものを何百ページ使って歴史的な分析とか文献とか理論を駆使して徹底的に分析してるわけだよね。ある意味でネグリ=ハートの帝国のヒットと似てて大体の人が「こういうことだよねぇー」って分かってるってことを明確にまとめた本っていうさ、まぁ帝国自体が明確だとは思わないけどようは最初に結論ありきじゃん?内容はどんなのか分かっててんでこんな内容なんでしょ?ってことを期待して買うからまぁある程度ヒットしたわけだよね。んでもまぁ中身は分かりづらいでしょ。まぁ読んでないから分からないけどまぁその後に出たマルチチュードとかまぁ帝国関係の本は分かりやすくなってるわけだけどさ、まぁようはあれだよね、格差が広がってるよねぇーってことについてもうみんなそれを感じてるからだから売れるんだよね。こういうことについて告発してほしい!っていう願いがヒットに繋がってるっつーのかな?


だってそもそも帝国にしても21世紀の資本にしても素の状態じゃプロパーの人ですら読もうかな?とはあんま思わないレベルのボリュームだもんね。まぁ帝国と21世紀の資本は全然違うけどまぁヒットの経緯が似てるってことなんだよね。まぁその左翼的というか資本主義的なものへの人々の懐疑ってのがヒットに繋がったっつーのかな?だから多分実際に通読したって人なんてそんなに多くないはずなんだよね。普通の人馬鹿にしてんのか?って話なんだけどいや、普通に仕事してる人で限られた自由な時間をあの本の通読に費やす人なんてあんまりいないだろうってことなんだよね。だってすんげー分量ですよ?俺はオーディオブックで通して2回ぐらい聴いたけど本当におぼろげながらしか内容覚えてないからね(笑)でもこういうのって暗誦できるほど頭に入ってるわけじゃないんだけどテキストに戻ればあーそうだったなって思い出すっつーレベルなんだよね。まぁ浅いレベルですけど読まないよりかは読める方法で読んだほうがいいからね。まぁでもヒットしたのと内容が長いからまぁ要約本とか解説本とか関連書の類がすげー出てるみたいだけどまぁーそりゃー不況の出版業界では金脈みたいなもんだからそりゃーみんな必死になりますわな。あと要約みたいなのが求められる内容だしね。


経済学に限らず政治哲学とか思想系とかにも相当絡んでるっつーかまぁそれ言い出すと本人がマルクス寄りっていうこともあってっつーかまぁそれが異色で受けてるってのもあるよね(\\あとまぁ経済学者ってなぜか保守が多くて大体まぁ資本主義を功利性から肯定しちゃうみたいな流れになるからね。まぁ実際に他にオルタナティブが無い中だと資本主義を批判したところで他の生産性のありそうな経済システムって無いわけだからさ、かといってもまぁ一気に左翼っぽくっつーかピケティが言ってたかどうかは忘れたけど高額所得者に場所かまわず課税しろみたいな話って受け入れられづらいわけじゃん?普通の人はみんなそう思ってるしそれこそタックスヘイブンみたいな場所に籍を置いてるヘッジファンドとかあるわけじゃん?まぁそりゃー反感買いますわな。あと高額所得者が税金逃れでタックスヘイブン的な場所に移り住むとかそれって愛国心無いわけ?って思うよねっていうまぁある意味で保守的な意味合いからしても税金逃れってそもそも自分は良くて隣人がどうなろうが関係ないっていう究極的な利己主義なわけでさ、左翼的にも右翼的にもアウトだろってのはあると思うんだよねっつーかまぁそういうのも含めて議論が最初から分かってるからね。


みんなもう頷いても頷ききれないぐらい納得するような帰結が約束されてるからこそヒットするわけなんだよね。まぁこれがようはみんなの望みがヒットに繋がったっつーことなんだけど。まぁようは世界的に世論がそうなってるってことだよね。まぁ当たり前だよね。そう思わないやつなんて頭がどうかしてるか愛国心の無い高額所得者のどっちかでしょ。とりあえずまぁ利権持ってる側だよね。んでもだって税金つったってさ、まぁ確かにちゃんと使われないっていうことがあるにしてもだってやっぱ医療とかさ、色々と問題はあるにせよ生活保護とかセーフティーネットとかさ、あとはインフラとか国家防衛にいたるまで色々なことに使われるわけじゃん?っつーかあとは教育とかそのための税金なわけじゃん?それを納めたくないからってことでどっかに移住するって刺されてもおかしくないレベルだよね。富裕層が他に移るっつーけどそんなやつはどっかに移住してくれて結構って話でしょ。だって嫌じゃない?生活してりゃどんな形ですら税金取られるわけだからそれだったら自分の国の納めたほうがいいじゃん?それをどっかに移ってそこの低い税率で税金を納めるとか頭おかしいですよね。タックスヘイブンでやりたい放題やってるヘッジファンドとかが反感を買う理由の一つがこれなんだよね。マネーゲームで金を作ろうが勝手だけど税金払ってくださいよって話なのに払わないでタックスヘイブンに籍置いてるって話だからね。


で、なんか失敗すれば打撃がその国に来たり世界に分布したりするわけじゃん?衝撃波みたいなもんよね。FPSで言うところの芋スナイパーみたいなもんでさ、自分は撃たれないところでずーっと伏せ撃ちしてて自分のチームにもゲームにも貢献してなくてただキルっつー利益のみを追求するとかね、まぁキルレってようは利益率みたいなもんだからそこにオブセッシヴになるとか基本芋スナイパーと同じ心理だよね。自分勝手すぎてなおかつ回りに迷惑をかけてるって意味で。まぁそれでもキル稼げばいいんでしょ?っつーけどだったら税金払えよって話なんだよね。まぁそういう意味でまだ芋スナイパーのほうがマシなのか。


まぁでもさ、制度的に芋スナイパー禁止とかにすると自由が制限されすぎるってのもあるしあんまり利点はないんだよね。ヘッジファンド然り。資本主義的なもんって害悪ではあるんだけど資本主義化ではそれが動力になってるからそれ自体を規制しちゃうと動力に抑制をかけちゃうみたいなことにもなりかねなくて危ないんだよねっつってもまぁ大抵は高額所得者に対する税率アップとかの提案に対する反対のロビーイングとかするのは利権持ってる連中だしまぁそれはinside jobって映画でも描かれてたよねっつーか映画も見たし本も読んだけどやっぱりあのハーバードの経済学の利権寄りっぷりっつったらドン引きするレベルだよねっつーかまぁそれ言い出すとシカゴ大学とかさ、まぁ保守の御用学者みたいなのってアメリカは多いからんだからまぁ経済学って駄目な感じが余計にするんだよねって中で左翼的な経済学者が今の世界のアンバランスを明らかにした本って意味でもまぁあれなんだよね、ピケティの本って面白いんだよね。んでもなんかね、ホント、金融工学の本を読んでて本当に思ったけどもうそもそも経済自体が資本主義的なものとか良い意味でも悪い意味でも金融に依存してるわけだし社会主義的な考え方しちゃうと資本主義をベースにした金融システムって回らなくなるかあとは利益を得るっつーインセンティブが無くなっちゃったりすると資本が流動化しなくなったりもするわけでまぁここが難しいところなんだよねっつーかさっき書いた資本主義である以上、資本主義的なものが動力になってるからそこに規制をかけちゃうとエンジン自体の抑制にもなりかねないってことになっちゃうんだよね。


でも明らかに金融っつーよりかは人々の生存権を金で買わせるようなさ、そこで金無い人は借金をして自分の生存権を買って一生それの返済に追われるみたいな世界って健全じゃないわけでさ、なんつーか人道的な意味だと明らかに資本主義って害悪なんだけどでも今やれている人道的なことっつーのも資本主義があるからできているものもあるからそこのバランスも難しいんだよねぇー。んでもまぁ明らかに富が偏在しすぎてるからもっと市民に流してそれこそ小銭がチャリチャリ小まめに行きかうみたいな経済が一番いいわけでやっぱ再配分は必須だとは思うけどね。そりゃ俺は理念的には完全なるド左翼なんでヘッジファンドとか基本的に金融的なもんで膨大な資産を作ってるようなところは強制的に金を撤収してもいいぐらいに思ってるけどまぁそれは現実的じゃないわけじゃん?だからだいぶ資本主義寄りに考えてるんだよねっつーかまぁ現実的に考えるとそうなるんだよね。だから資本主義的なものを告発するってすげー難しいんだよね。理屈では100パーセント通ってても現実味が無いと意味無いからね。まぁーでもそれにしてもあれですよ、今みたいなみんな金無いってのがデフォになるっつー感覚に慣れること自体は絶対に危険だから駄目なんですよね。貧乏だったり基本的に自分が接するような世界に関しては金回りが良くないみたいなのが当たり前になるとそれ自体に不満を感じなくなるじゃん?人間って適応能力があるから金無いなりのやり方ってのをやって凌いでいくっていうことに力を使うようになるんだよね。まぁ実際に若い人ってほとんどそうだと思うんだけど基本これには怒ってないと駄目なんだよね。そもそもこれはしょうがないことじゃなくて色々なことが重なって世界的におきている恐慌とかみんな金無いみたいな状態なんだから自分達が悪いわけじゃないしこれがデフォなんだってことではないんだってことなんだよね。


いや、そういうこれがデフォじゃないんだよっていう裏づけって意味でもまぁピケティの本って今にぴったりの本なんだよね。なんつーか教育的に良いっつーのかな?まぁあとあれだよね、政治哲学の話とかも出てきてるからこれからスタートして色々と政治哲学の本とかも読んでみるってのも良い入り口になるよね。そういう意味でなんつーか思想的にもすげー良い本なんだよね。これが売れているって言われれば悪い気持ちはしないわけよ。やっぱみんな怒ってるよねってのが感じられるっつーかさ、やっぱ希望はあるよね。希望は無くてもいや、これおかしいでしょって思えるってこと自体に希望があるんだよねっつーかそれすらなくなったら終わりってことなわけで。なんつーか俺もどんどん厭世的になってるけどやっぱ根本的な怒りってのは常にもってないと駄目なんだよなぁーって改めて思ったよね。なんつーか世界がある程度恒常化しちゃうと「こういうものなんだ」って理屈として理解しちゃうっていう性質があるっつーのかな?まぁそれがさっき書いた適応能力ってことなんだけど。でもこれって奴隷的な意味での適応なんだよね。これに適応しちゃったらもう人類終わりますよね。完全なるplutocracyになるでしょう。ようは利の部分で基本資本主義の動力を与えてるのって俺らだよね?っていう理屈で基本的に金持ちが待遇されるっていうのが永遠に続くってことだよね。まぁある意味で中世っぽいっつーのかな?貴族とか王族がいてすんげー貧しい庶民みたいな。


っつーかなんかすげー長くなったな。いや、もう年末になっちゃったから今年はどうだったんだろう?みたいなことを考えてたらなんか話がピケティになったけどまぁなんか書いてて思ったのはこういう世界ってのが恒常化するっていう状態と最初のほうでも書いた大体のことが大体分かるようになることで自分ができることの予測もついちゃって夢が無くなるみたいな話とかね、あとはもっと他の自分にあった場所があるに違いない!的な別な世界への憧れみたいなのも情報の可視化と流通によってなくなるわけじゃん?まぁある程度の頭持ってたら普通は夢なくなるわけよ。っていうそういう意味での現代的な意味での実存だよね。それでもまぁ上の世代はバブルみたいな感覚だったり昔みたいな経済感覚でいたりもするんだけど今の若者って今までに無い夢の無い世界を生きてるわけじゃん?そういう世界の実存ってすげー重要だよね。夢が無いし世界的にも完全に暗いからこそやっぱ実存の問題って浮き上がってくるんだよね。とかいいつつそれでゲームに没頭してる俺ってなんか世離れする若者みたいな生活スタイルになってんじゃん?って話なんだけどさ(笑)まぁでも自分も含めてヴァーチャルな世界に魅力を感じてしまうってのがね、いや、それがやっぱり魅力が無さ過ぎるオワコンの現実との対比でもあるんだよね。


現実がクソ過ぎるからこそよりヴァーチャルな世界が魅力的に感じられるようになっちゃうんだよね。まぁ俺が前から書いてるメガテンのギメルみたいな世界にある意味で成りつつあるっつーかまぁまぁそもそもヴァーチャルと現実の区別なんて意味ないよねってところから始まるんだけどまぁこれが論理的に別にそんなに間違いではないってところがやっぱポイントだと思うんだよね。それは勝手にこれ自体がそもそもの論理を与えてるわけだから必然的にギメルの千年王国みたいな世界観ってのはある意味で形成されつつあるんだよね。まぁあとeスポーツとかなんかでよく言われることなんだけどヴァーチャルリアリティの良い面として身体障害者でもヴァーチャルな世界で体を動かすようなスポーツに参加できるっていう本来の意味でのフェアなスポーツに参加する権利を得られるってのがあるよね。ようは身体の障害とか衰えとか年齢的に若い人とは競えないみたいなそういう障壁が無くなるっつーのはあるよね。世界がどんどん不公平になりつつある中でヴァーチャルな世界は人々が求めるようなフェアな世界が形成されつつあるっていうさ、まぁ実際はゲームの課金とかDLC商法だとか資本主義で汚染しつくされてるわけなんだけどね(笑)


んでもなんつーのかな?まぁギメル的な世界観みたいに完全にヴァーチャルな世界に没入するみたいな極端な話じゃないしてもさ、んでもやっぱヴァーチャルな世界って現実との世界の均衡を保つ機構として機能してると思うんだよね。ヴァーチャルっつってもゲームに関わらずまぁなんらかの形で現実に自分がいる場所とかに規定されないような場所に存在できたりそこで存在をアピールできたりするって意味でのバッファ機能っつーのかな?それはなんかあたかもオワコン化が進む現実の中でコンテンツを増やしていってる仮想現実みたいな感じがするんだよね。で、そのうち比重が逆転するんじゃないか?って思ってるっつーか基本的に俺はそういう感覚なんだよね。そもそもあんまこの現実的空間ってのは自分が物理的に存在できる生存機能を担保するためのものであって主観がどこの世界にフォーカスするのか?ってのは自分がアクセスできる世界の数だけあるわけじゃん?これってこないだ書いた質感の話と矛盾するみたいに見えるけどむしろ逆でどこにフォーカスするか?によって世界が形成されるからこそ質感とかディティールの感じ方とか感性ってのが大事になるんだよね。それが世界のresolutionを与えるようになるわけだから。


自分の物理的空間に主観が左右されないって凄く強いことなんだよね。それはさっき書いた障害者にとってのeスポーツの可能性みたいなもんでさ、ようはリアルの自分の体ってのに動きが左右されない世界において人間に備わっているホムンクルス性をヴァーチャルワールドに投影できるっていうのはさ、まぁある種の究極の平等でもあるよね。そいつがリアルで金持ちだろうがマッチョだろうが仮想空間では関係ないしそこでスポーツをするなら左右されるのは純粋にそこにおいてのスキルなんであって元々恵まれた体を持っているとか物凄い体力を持っているみたいなところに左右されないじゃん?それ言い出すとあれなんだよね、ヘリで夜景を楽しむみたいなのが別に金持ちの特権じゃなくなるってことでもあるんだよね。ヘリに乗れるシュミレーターなんてのはあるわけだしまぁ夜景を楽しむかはともかくとしてオープンワールド系のゲームってようは自分の主観の拡張じゃないですか?GTAみたいな世界とかそうだよね。そこの中で生活できるからこそ永遠とハマっちゃうわけだよね。ただのパズルゲームとかだったらこうはいかないでしょう。まぁ相当なパズル好きかはともかくとして。


だからあれなんだよね、現実では友達ゼロでも仮想空間で人気ものとかさ、仮想空間ではめちゃめちゃリア充とかさ、いや、でもそれは所詮は現実で負けている人が仮想世界に逃げてるだけでしょって言い切れるかな?ってことなんだよね。そんぐらい仮想世界って別に負け犬の逃げ場ってわけじゃなくなってるんだよね。別にリアルでリア充の人も仮想世界が面白かったらそっちの世界でも生活するでしょうってことなわけなのよ。ようは本人のさじ加減だよね。どっちに比重を置くか?じゃん。仮想世界でワイワイやってるのが好きだったらそれは本人の好みだからそれでいいと思うんだよね。そもそもワイワイしてる相手が人間だからやっぱりそこでinteractionがあるって意味で空虚な世界とは言い切れない仮想空間のリアルってのがあるんだよね。その場で別な人と遊んでるって意味ではそもそもそこでinteractionが発生しているって意味でそこはもうリアルな場なんだよね。それはあたかもさ、目の前にあるテーブルの存在を自分が触って確かめてテーブルだって存在を認識できるようにその場で人とゲーム上ではあれなんらかの形でinteractしているって意味ではそこの場の存在って目の前のテーブルと同じぐらいの存在の比重を持ってるよね。ようはオントロジーってこの主観の問題なんだよね。まぁ客観的に言うと違うんだけどそもそも人間の性質から考えて主観しかありえないから人間の世界の実存って意味でのオントロジーだとそもそもの存在の物理性とかactualityみたいなのってどこにフォーカスするか?によって変わるんだよね。まぁ凄くポストモダン的なオントロジーだと思うんだけどね。


っつーかもう朝になっちゃったからやめるけどさ、まぁ最近はまたゲーム麦価やってるってこともあってこういうことを色々と考えてますね。まぁゲームだけやってるわけじゃなくてデフォで俺は色々と考えるんで色々と考えてはいるのよ。ただゲームばっかやってるんでこっちが放置になっちゃってるっていうさ、もうちょっと小まめに更新すればいいんだけどこれも俺のオントロジーの感覚の変化なんですよね。別に常にここで考えてることを書かなくてもそもそも自分の存在って色んな世界に分散してるわけだからここもただのone of themじゃん?だから別にここだけが俺の存在できる場所なんだ!ってことでもなくなってるんだよね。まぁそんだけ世界は広くなってるってことなんだよね。実際の俺のリアルな世界はどんどん狭くなってるんだけどそれとは逆に自分の主観ってのはどんどん広がってるよねっつーかようは感じ方とフォーカスってオントロジーになると必然的にそうなるよね。別に自分がパリのキャッフェーでこれを書いているということがイコールリア充なんだってことではなくなってるってことなんだよね。そんぐらいようは充実っつーかようはその満足感とか快楽とかね、何かを感じるってことが物理世界に限った話ではないってことになるわけなんだよね。いや、だからこないだ書いたように感覚とか感性とか質感みたいな世界を重視することで数学みたいな世界もまたより別な解像度で見れるようになったりするわけよ。まぁ元々感覚で理解してはいるんだけどもっと感覚っていうところに比重を置くっていうのかな?そこで何が感じられるのか?っていう自分の主観の感覚っていうのを客観的に見ている自分っていうところにフォーカスするみたいなまぁちょっとしたメタ構造なんですよね。


いや、なんかさ、毎年この時期になると大体なんかにハマってて更新してなくて更新せねば!とか思って更新しようと思って書き出したら1年のまとめみたいな感じになってるみたいなパターンがあるよね。まぁそれでいいんじゃないの?って感じなんですけどね。とりあえず毎年認識のフェーズが更新されてればオッケーですよ。まぁもっとレベルアップしたいんだけど今は具体的にどうレベルアップすればいいのか?ってのが分からなくなってるからそれは課題ではあるよね。それは知識というよりかはいかに認識のステイトってのを高くしていくのか?っていうところね。もちろん宗教とかスピリチュアル系は抜きでね(笑)


まぁそんな感じで今日はこの辺で。良いお年をって年末に言うのがproperな使い方なんだよね?ってことで良いお年を。