今後はDJ路線?。その24。

では続きを。


あとまぁあれなんだよね、隠者とかについて調べてて思ったのはさ、いや、なんか隠者って一般的になんつーか世俗を超越した人たちって感じがするじゃん?でも実際に超越してた人なんてほとんどいないんだよね。「世俗を超越しているのだ」って詩とかで強がっててんで後世で「美しい・・・」みたいに解釈されて偉人みたいになってんのね。でもまぁほとんどルサンチマンだらけだよね。凄く世俗ってのを憎んでる人たちが多い。まぁようは凄く俺に似てるわけですよ(笑)


だからなんか本当に危機感を感じるんだよね。まぁでもぶっちゃけあれなんすよね、ルサンチマンってようは世俗を気にするから生まれるわけじゃん?「俺のほうが良い選曲できるのに!」とか「俺だったらもっと的確なコメントができるのに!」とかって思うのって嫉妬じゃないですか?なんであんなたいしたことないやつが活躍してるんだ!って感じること自体がルサンチマンなんだよね。で、それ言い出すとなんでもそうじゃん?結局、何かと関わる場ってのが世俗である限りはそこで活躍してる人たちってのがいるわけでさ、で、まぁ本当に尊敬できるっつーか「あんな風になりたいな!」って思えるぐらいの人ならともかく「なんであいつが・・・」って思うようなやつが活躍してるとムカつくわけじゃん?


女とかでもそうだよね。たいしたファッションセンスがあるわけでもないちょっと可愛いだけの読モみたいなのがちやほやされてると嫉妬に狂うわけじゃん?なんでここでこの読モを憎むのか?ってことなんだよね。それってやっぱり「こんぐらいだったら私だってできる!」っつーのと「なんでこんなのがちやほやされてるんだ!」っつーまぁ世俗への怒りじゃないですか?じゃあそんなに憎いんだったら自分もおしゃれしてファッション雑誌とかに載るぐらいになればいいじゃん!って話なんだけど、「あんなくだらない世界に入るつもりはない」みたいなプライドとかがあるわけじゃん?ここが矛盾してんのよね。「くだらない」ってはき捨てながら同時に怒りを感じているっていう。原理的にっつーか基本昔の隠者もみんなこれね。「もう現実オワコンだわ」っつー見限りがあるんだけど現実への未練があるんだよね。そこでまぁ仏教とかの場合、永遠と念仏を唱えるとかさ、まぁ結局現実逃避なんですよね。どうにもならない現実があってどうにもできない自分というのがいる。それを認めるというのが凄く大変だから何かに逃げるんだよね。


で、その逃避にも限界があるんだよね。ゲームとか映画みたいなコンテンツってそりゃ浴びるほど消費してれば消費し切っちゃうし、それはまぁなんだってそうですよね。結局まぁ消費って限界あるよね。当たり前なんだけど。で、いつも書くようにだからこそ能動的に何かをやって生み出すとか考えるってことが必要ってことになるんだけどこれも結構限界あるよね。限界があるからこそ常に何か見つけないといけないんだと思うんだよね。だからまぁ凝れそうなものに凝り倒すっていうさ、で、まぁ色々と考えてて思ったのはDJっつーのもまぁ一つの視点なんだよね。まぁやっぱレコード売りまくったからもう戻れねぇーなーとかって勝手に思ってただけでさ、まぁアナログってこだわりをなくせばやれるわけじゃないですか?


で、そのなんつーかやるってことに気負う必要が無いんだよね。あと年齢とかも気にしなくていいっていう。だからまぁやりたいと思ったらなんでもやるのが一番!って当たり前の話になるけどまぁ数学にせよ哲学にせよやれば視点って増えるからね。でもまぁよく考えてみると数学以降は特に新しいことをはじめたとかって無いんだよね。大体まぁ好きで手を出していたりしたものを徐々にやっていってるって感じで。で、まぁ悪い癖なんだけどまた先のこと考えちゃうんだよね。まぁ今はすげーいいですよ。っつーかきっかけ思い出したわ。ボーダーランズのpre sequelやりながらgianni basso quintet聞いてたんだよねっつーかなんで聞こうと思ったのかまぁ調べたんですよね。そしたらCDが再発で1000円とかで出てたから買って聞いたらまぁすげー良くてっつーかまぁコンピとかに入ってるからそりゃ聞いてたんだけどさ、改めていいなぁーっつーかジャズっていいなぁーって思ってからだよね。まぁそっからDJ復活!ってことで復活してミックスなんかも作ったんだったな。去年の現代音楽の流れと同じ感じだね。


まぁやっぱただ聞くだけとか見るだけってのには限界があるからね。学問にしてもただ知るだけってのには限界がある。それで何をするんだ?ってところなわけでさ、なんかまぁそれでどうするわけあんた?っていうフェーズに来てるんだよね。俺。もうあんた色々やり過ぎてあんま残ってないよって感じなんだよね。でもまぁこれはもうなんかさ、今回のDJっつーのが再マイブームになった後からの隠者系に関する文献の読書とか美学を体系的にやってみようって思ったりとかっていう、まぁそのなんかの取っ掛かりみたいなのがあってそこからまた広がるっていうまぁ例のアレですよね。で、それはやっぱDJやろう!って思わなかったら始まらなかったわけでさ、そう思ったから今があるんだよね。


まぁ全く予測できないことだけどまぁそういうことの連続なんですよね。人生って。ただまぁ自戒も込めて言うんだけどネガティブになって何もしないってのは絶対ダメね。そこからは何も生まれないからね。だからなんつーのかなー?数学にしても哲学にしても別にレジェンドみたいになる必要ないじゃん?やるならレジェンド目指す!ってそりゃ続かないじゃん?だから気が向いたらやるでいいんだよね。ようは放っておいてもなんかのきっかけでまた数学関係の本を読んだりまた哲学関係の本を読んだりするわけじゃん?そういうアンテナだよね。で、今回はDJのアンテナってのがビンビンに立ったってわけですね。で、まぁ音楽三昧でさ、いやー聞いてないのいっぱいあるよねぇーとか思ったりなんかして。あとまぁ前にも書いたけど昔聞いてたのとやっぱ違うよね。聞き方が。特にレコード買ってたときは短絡的だったからね。使えるか使えないか?みたいなさ、思えばそんなにじっくり聞いてなかったんだよね。今はもうなんつーのかな?まぁあれなんだろうね、黒人音楽に目覚めたって感じでもあるのかもしれないね。凄くそのファンクネスとかグルーヴってのが本質的な意味で分かるようになったって感じがするんだよね。


まぁなんつーのかな?表層的な音楽の聴き方じゃなくなったってことか。まぁでもやっぱこれってある程度教養が身についたからだと思うんだよね。音楽における社会的コンテキストとか歴史的背景もさることながら、自分の感覚に対して分析的であったりそんなに考えなくてもいいんだけど「なんでこんなに良いと感じられるんだろうか?」っていうところに自覚的になってるっつーのかな?まぁ特にブラックミュージック全般そうだろうね。あと英語分かるようになったから歌詞が分かるようになって理解が深まってるってのはあるよね。だからまぁソウルとかファンクも好きになったんだと思うわ。あとまぁ以前との違いはニューヨークにいたからまぁアメリカの音楽が海の向こうの音楽っていう感じじゃなくなったってのはあるよね。まぁあくまでやっぱ内面的に俺はアメリカンだし(笑)別にまぁアメリカにいたからアメリカの音楽を近く感じるとかって別にそれは日本に生まれたからっつって日本の音楽を必ずしも身近に感じるとは限らないわけでまぁなんかまぁ曖昧なことではあるんだけどね。


あ、んでさっきの話に戻るんだけどさ、ルサンチマンの話なんだけどさ、これって凄い難しい話なんだよね。世俗へのこだわりとか執着をなくすとリアル社会指向じゃなくなって厭世的になっちゃってそれでまぁ「今日もいい天気だ」なんつって生活を謳歌できればいいけど俺の場合違うじゃん?圧倒的につまらないんだよね。まぁ孤独感とかはないんですよ。そりゃ一人でいるほうが好きだから。でもまぁそろそろさすがにもうつまらなくなってきたなぁーってのがあるんだよね。


っつってリアル社会指向になってみるとやっぱまぁリアル特有のしがらみがあるわけじゃん?まぁただの金の問題なんだけどね。だったら家でやってるほうが経済的でいいやってことになるとまぁまた脱リアル指向になっちゃうわけじゃん?あとやっぱ現場無しのDJって何なの?って気がするし。現場でやってる人がネットでも配信してますって良いんだけどネット配信オンリーですってすげー違和感あるよねってまぁ俺なんだけど(笑)結局まぁそこで色々と分析するとさ、まぁ衝動的にやりたい!っつーかあとまぁこれぐらいしか社会との接点が無いってのもあるんだけど、やっぱテクネーの部分だよね。ミキサーの使い方とか音の繋ぎ方とかそういうんじゃない現場でしか培われない不立文字な部分がコアの部分じゃない?だから家にいてもそれは分からないんだよね。学問の場合、現場って無いじゃん?特に数学なんて常に直だから場とかが問題にならない。でもDJは場が問題になるからね。で、俺的に色んな意味でこの場ってのの重要性が凄く高くなってるから自ずとDJってのが色々な実践をする上での媒介になるよなぁーって気がしてるんだよね。


ってことで今後はこんぐらいのペースで。んじゃまだ続くので。