naoさんへの返信。その2。

nao 2015/04/28 01:40


勢いでコメントしちゃって後悔してたんですが、まさかの「まさにその通り!」という返答に驚きというか、僕のイメージが合っていたのかとビックリというか単純に嬉しいです。


で英語力ないんでYouTubeのいい加減な字幕頼りに、Lurie先生の動画を見たんですが、まさにこれ!って感じです!!僕の数学のイメージそのものって感じです!数とかから抽象化とか認識の高次化によってイデア的なものを知覚できるっていう、これは数学の人間側からのアプローチを考えた場合ですが、でもゲーデルの言っていることも、おそらくこういうことだと思うんですね。で、このLurie先生のやつは別にスキーム論の講義とかってことじゃないんでしょうけど、でもまた勝手なイメージでこれはスキーム理論だと思ったんですね。望月先生の論文みたいなのも前読みましたがスキーム論ってまさに今言ったプロセスだと思うし、スキーム論のイメージってあくまでも代数幾何らへんの一分野だったんですが、数学そのものだな!ってっていうか数学の哲学だなって今回思いました。


あとドゥルーズなんですけど、正直意味不明です(笑)。こっちが理解しようと思えば面白いんでしょうけど。意味不明というか結局何言いたいかが分からないというか。あとDelanda先生のやつ見たんですが、これは完全に僕が知識不足過ぎて正直分かりませんでしたが、でも面白さは感じるんですね。分からないからこそ面白いっていいますか。あとその動画見てて、また勝手にドゥルーズとルネトムが自分の中で繋がった感じというか。形態形成理論なんかもろ生成やら微分、位相、多様体ですし。


いやなんというか数学的なものの追求と人間的社会的なものとかについての思考って別だと思っていたんですが、いや頭では分かっていてもでも別だろうって思っていたんですが、数学的なものが人間的実存というかオントロジーというかと一致してきたというか、これはなんか今回驚きなんですよね。なんでしょう、例えばそのオワコンシリーズとかと数学ってそこまで関連ないだろうって思っていたんですよね。でもヴァーチャルのオントロジーだの考えていくと数学的なオントロジーと結局一致していきっていうか、いや、こう書いていると当たり前なのかもしれませんが、でもなんかそれを今回ようやく分かってきたというか。前回のときに僕が言っていた数学的真理と社会や政治的な真理を同じイデアとする違和感みたいなのがようやくなくなってきたというか。


物凄く色々と猛勉強したりした結果、分かるようになったというよりかは直感的に「それなんだよね!」っていう知識よりも直感や感覚が「そうなんだ」って思わせるものってのが数学的な知だと思うんですよね。もちろん結局それが正しかったのか!って分かるためには知識が必要なので勉強する必要が無いということにはならないんですけどね。でもこれは常識とかとは違って直感的に分かる人には分かるとか当たり前のように分かっているみたいな感覚の世界だと思うんですよね。で、Lurie先生の動画なんですがこれをスキーム理論と言っても語弊は無いと思いますね。結局代数多様体ってことなわけだし、それを言い出すとそもそも代数自体がもうすでにスキーム論なんですよね。というかなんたら論とかって名前がついてるのは固有名詞をつけてブロック的認識をするためだったりまぁようは便宜的なものなんであって、数学全体として見るとそもそも全てが「数学自体」なんですよね。まぁそれ言い出すと
キリがないって話なんですが。


ドゥルーズは意味不明なのはしょうがないですね(笑)ドゥルーズはそれ以前に展開されていた色んな哲学を大体押さえてないと分からないというのとあとまぁ例えば元ネタがニーチェだったりスピノザだったり物理だったり生物学だったりするのでごちゃごちゃなんですよね。でも色々と知ってると「ようはこういうことが言いたいんだよね」って勝手に超訳できる感じですね。でもかといっても「ようはこういうことでしょ」って要点を押さえるみたいな、単純化して理解するのではなく、あの複雑なまま理解するのが正しい理解なんだと思っていますね。あの思想自体が有機的な言わば機械として動き続けるということが重要なわけなので要点をまとめたりした時点でアウトですねっていうか哲学全般そうなんですけどね。読むための入門書はありなんですけど「ようはこういうことだ」って要約しちゃってるような本ってありますけどああいうのはとんでもないですね。和書洋書限らずに。


あ、んでルネ・トムなんですけどホントにそうですね!っつーか構造安定性と形態形成は千のプラトーで展開されているような生成の感じそのままですねっていうかまぁ逆なんですけどね。ドゥルーズは科学的な知を文芸や存在論などにも適応しているという感じなのでまぁ当たり前と言えば当たり前なんですけどね。Delandaはその科学の部分をより厳密に精密に展開して議論している感じなのでドゥルーズの議論の強い補強みたいになってますね。でもまぁ科学的構造がそのままトポロジカルに文芸やオントロジーなどの分野でも成立するというのはまぁ所詮似非科学なんですが、厳密性というわけではなく、科学的な知や構造や数学的構造や構成や生成のようなものにインスパイアされて文芸やオントロジーの思想などが生まれるというのは普通にありえる話ですよね。


まぁようはこれって科学的な知とか理論とか構造みたいなのが芸術とか映画とか音楽にもインスピレーションを与えるというようなことと同じなんですよね。科学を出してきて「だからこれは科学的なのだ」って言えばそれは擬似科学ですが、科学にインスパイアされたものならそれは芸術なわけですし、ドゥルーズも自分の思想が科学だなんてことは言ってないので科学的概念の乱用というわけではないんだなって分かりましたね。表層的に捉えれば似非科学と知的詐欺という感じなんですが、実際のところは過去の哲学からの地続きでそこから現代的な科学や数学の知なども混ざったという感じですよね。それを言うとニーチェ永劫回帰なんかも物理学にインスパイアされたりしているわけですし。ライプニッツの哲学もそうですね。


ところでイデアなんですが、カール・バルトの著作を読んでいて思ったのがバルト的な意味での神学の意味合いで神が存在するかどうか?ではなく存在するということが前提になっているので信仰が可能になっているし考えることが可能になっているという論理に刺激を受けていますね。これってイデアと同じではないか!と。僕が執拗にイデアにこだわるのもそれが無いとニヒリズムになってしまうからなんですよね。「そんなわけない」で済ませば簡単な話なんですが、あえて存在すると仮定して思考を進めるっていうんでしょうかね。というかバルトに限らず神学的思考ってこういうものらしいので最近は神学に興味を持ってますねっていうか早速キリスト教関係の本を注文したんですけどね。ルターとか内村鑑三とかですけど。


そんな感じでまた色々と自分の中で色んなものが広がっている感じですね。