能年ミックスVol.3完成!。


能年Trilogyのラストです!っつっても能年パワーによってハウスのやつも作りたくなってきたんでもう一個作るかもしれないけどまぁとりあえずTrilogy完結ということで。


https://www.mixcloud.com/Mimisemi/nounen-mix-vol3/


前の二作もよろしくーってしつこいか。


https://www.mixcloud.com/Mimisemi/nounen-mix/


https://www.mixcloud.com/Mimisemi/nounen-mix-vol2/


あと昨日の続きのメモ。


それが科学的に客観的にどうであるか?というよりかは善のイデアへのエロスの表現を目指すものが知的活動なわけだからそもそもそれは思惟活動なんであって科学ではないんだけどでも科学ではないということと論理性が矛盾することはなくて思惟活動の中での一貫したリゴリズムと論理性というのは存在しているしそれが存在していなければそれは思惟活動とはいえないわけだけど論理的思惟活動の結果の必然性としてのニヒリズムというのはその一貫したリゴリズムによる産物なわけでそれは思惟により生まれたものというよりかは観察された現象というような様相なんだけどその様相が表出するからこそそのニヒリズムの現前性を前にしていかに人間が生きていくべきか?という道徳と倫理が必要になるんだけど宗教の原型というのはまさにこれだと思うんだけど宗教の問題は見方によっては神に従属することで救いを求めるというような思考停止的なドグマとしても解釈できるわけだしことさら通俗的な解釈になるとそれが顕著だけどでもアダムとイヴが禁断の果実に手を出したというシンボリズムからも分かるように思考停止的なドグマに縛られずに自由を手にしながら自分たちの道徳と倫理を獲得していくというような絶対的なものからの自由性ということが人間が生きるということの活動の源となるわけでそこで自由を手にした人間がどう生きるべきなのか?というのを神のドグマ抜きにして自分たちで考えて実践していくというのが倫理なわけだけどスピノザが神と言いつつも既存の神とは違う神という概念で述べられている神というのは原理のようなものでブラフマンのようなものだけどその原理を知的に愛するというのはプラトンが言っているエロスとほぼ同一だと思うけどスピノザにおいてはそのエロスの実践というのが即日々の活動や思惟に反映されてそれが自然に政治的様相を帯びてくるという意味で実践的な観念的なプラグマティズムともいうべきものだと言えると同時に悪に対する徹底的な抵抗にもなるしそれが実存に影響を及ぼすという意味でその影響自体が政治的なものであるってことなんだよね。


で、何が善か?何が政治か?の現実的帰結としてシュトラウスの「自然権と歴史」があると思うんだよね。これを絶対的権力宣言として見做すと例えばイスラム国への宣戦布告とも読めるようになるわけで、何を隠そうネオコンの原動力ってこの善だからね。もちろんネオコンが正しいかはともかくとしてだけど例えばイスラム国のような特殊なルールを持っているようなところとどうやっていけばいいわけ?ってところで命がかかっているから多様性なんて言ってられないよねってことだよね。特にヤバい例外状態みたいになったら権力が行使されて然るべきなんだけどそれと民主制は矛盾しないからね。



さすが筑摩書房!文庫になってる!マストバイ!