Secondary Integration。

Plunderphonicsじゃ無くなるけどギター使うってのはあるね。いや、そういえば俺ギター持ってるしノイズ系なら一通りやったじゃん!とかってこないだ気が付いたんですよね。でもそうなるとあれなんだよな、ギター使いたいってときに使えないのがフラストレーションになるし自宅に帰るのも面倒だからやっぱラップトップオンリーでいいのかもなーとかって思ったりもするよね。ただまぁ帰る機会があったらやってみるけどね。まぁそりゃやっぱ触りたくもなりますわな。あとまぁその発展形で言うと帰国後にギターやり始めてから一度はスタジオで轟音で録音しようと思っててんで行くのが面倒でやってなかったんだけどスタジオで轟音インプロしたりしたのを素材として使うってのはあるよね。


まぁその辺のバランスかな。まぁただ例によってもう頭が完全にサンプリング脳になっててさ、映画見てても音的な意味で抜けるところが無いか常にチェックしてるような監視体制になってるんだよね。あ、んで性的な意味だとね、洋物ってサタン系っつージャンルがあるんだよね。ポルノで。それでなんかチープな悪魔の儀式やってたりするやつとかあってで、結構興奮するんだよね。「あ、こういうの好きなのか」っていうのに気が付いたんだよね(笑)っつっても特殊だけどね。儀式だっつって乱交するようなやつじゃなくて女が悪魔に取りつかれているっていう体のやつなんだよね。で、まぁ悪魔系のポルノで抜くのもいいし音を抜いてくるってのもいいしすげー世界が広がってて楽しいんだよね。なんかマジでこの世界観があると些細なことが気にならなくなるんだよね。なんかすげー大らかでいられるっつーかまぁある意味あれだよね、帰依できるバックグラウンドとか物語があってそれに浸かることで安心感を得ているっていうホメオスタシス的なものだよね。


結局まぁ音楽ってescapism的な要素もあるしっつーか実際にハマってるときなんて完全に没入じゃん?で、さらに悪魔的とかゴシックっつー世界観が入るとより世界に浸かれるようになるっていうかそこは素養もあるんだよね。多分。こういうの好きだったんだ!っていう発見がすげー大きいんだよね。元々ゴシックとかは好きだけどそんなにあえて凝るほどではなかったんだけど不思議なことに前触れがファッションから来ましたよね。で、色々と経てブラックメタルに繋がって実際にやっちゃってるっていうね、まぁ「やってます」なんて誰でも言えるけどガチでやってるってのがだいぶ音からわかると思うんだよね。もうマジで全力でやってるもんね。こっぱずかしいぐらい全力でやってる(笑)


まぁだからあれ以上のものは出ないしあれが限界っていう本当にそれそのままなんだよね。まぁそういうのをまた作りながら超えていくとかね、あとまぁ過去に自分がやったやつとかをセルフパロディみたいな感じで繰り返したりマッシュアップしたりして再生産するってのはあるよね。そういう色んなやり方で作れるよね。その中に自分のギターも入れるっていうのも一応あるかなって感じなんだけど。あとまぁ歴史だよね。サタニズムの歴史とかペイガニズム然りなんだけどすげー面白いんだよね。本はもう買わないって思ってたけど早速色々買っちゃったけどね。まぁでも簡単に言っちゃえばサタニズムってのも色々あるんだけど反抗として出てくるってのはある種当たり前でそれはデフォルトのキリスト教が抑圧的過ぎるからなんだよね。で、まぁどう解釈するか?によるんだけどそりゃコーランも一緒だけど異教徒は抹殺せよ!的な解釈もできたりしてさ、そんなジェノサイドを肯定する宗教って何なのよ?ってことでアンチとしてサタニズムとか反キリスト教ってのが出てくるってのはむしろマインドが健全であればあるほどそうなると思うんだよね。


ただまぁサタンってただの象徴なんであってさ、まぁ実際にカルトみたいなのが儀式とかやってたりするのもあればニーチェ的なwill powerを志向する精神的なものもあれば色々なんだよね。ただまぁでも調べると分かるのがキリスト教のトンデモさ加減だよね。なんかちょっとでもダメなのがあると地獄に落ちるとかってことになってたりもしてさ、あとまぁ不寛容さだよね。だからキリスト教原理主義者達は同性愛者達を悪魔の手先とかにするんだよね。すげー封建的な世界でそりゃ壊したくもなるわなーって感じだよね。前にも書いたけどそういう反抗的な意味でレディガガって悪魔的なデザインを取り入れてるんだよね。んでもそれはキリスト教的なダメな保守さ加減に対するアンチテーゼなんであってさ、基本的にこういう意味でのサタニズムが志向するのはあくまで自由だよね。で、まぁググってほしいんだけどウィッカっつーネオ・ペイガニズム的なのがあってそれの倫理ってのが最高で「誰も害さない限りにおいて、望むことを行え」なんだよね。おお!って感じだった。完全に俺と繋がったっつーか俺がブラックメタルをやるに至った必然性ってのを凄まじいスピリチュアルなレベルで感じたよね。そういう一致なのだなと。シンクロですよね。まさにタオからの流れと繋がってて完全にそのままだよね。マーシャルアーツもタオの流れからやるようになったわけだし気功然りだけど別にペイガニズムに目覚めたわけじゃないんだけど普通にそのまま素の自分だよねーって思ったりしてそういうシンクロだよね。


まぁいきなり中国拳法やりだしたら「なにそれ?」ってなるけどまぁちゃんと理由があるじゃん?で、まぁブラックメタルもそれなりに理由があるどころかすげー必然的で面白いなーって思ってるんだよね。それが何か始めようとして突飛なものを始めたりしてるのではなくて流れがあってその必然として実践の形としてそういうのが自分の中で出てくるってことなんだよね。まさに運命愛ってやつで暗黒面とかおぞましいことも含めて受け入れるってことだよね。それの気づきと表象みたいなのがシンボリックに一人ブラックメタルを始めたっつーことで出てきたっていうそのやっていることと考えていることとか思考がシンクロしていくんだよね。で、より深まっていく。だからブラックメタルもガチ化したんだと思うんだよね。でもそれって明らかに自分史とか自分の元々の思想とかニーチェとかスピノザからの影響とかタオの影響とかもあってのものでそういうのって蓋然性の中でたまたま一致したりするとそれがかちっ!とハマって何かしらの形で出てくるもんだけどそれが今の俺なんだよね。そういう意味で中国拳法からの流れってのがなかなか良いんだよね。ダークサイドに落ちてネガティブになったとかってことではない意味でのダークサイドの目覚めだよね。あとまぁ出さないように抑圧してたところもあるのかな。


ただまぁ自分にとって自然であるってことがダークサイドも包括するようなものなんであってそれが例えばわかりやすい形だとサタニズムと言えなくもないってことになるんだよね。そうなってくるとまぁ鬱状態になったりするのは辛いけどそもそも俺はそういうすさまじいダークサイドを持ってるんだから鬱になって当たり前なんだって思えるようになったんだよね。これって凄くない?治さなきゃ!って思ってたけどもうそうなるもんなんだって割り切れるっていうかそれが自分なんだっていうことに気が付いたんだよね。だからそういう意味でsuicidalなデプレッシヴ・メタルみたいなのにも凄く共感するようになったっつーかまぁスタイルとしてやってるのではなくてガチでやってるもののみだけどね。


まぁ俺がガチだからこそただスタイルとしてやってるんだなってのがすぐ分かるからね。そういう意味でダークネスって自分が持ってるか持ってないか?っていうそれだけのことなんだよな。だからまぁ前にも書いたけどサーストンムーアみたいなやつがちょっと人生狂ってブラックメタルに目覚めたぜ!とかっつってやったのを聞いても全く絶望もダークネスも感じないっていうさ、そういうところなんだよね。こんなんで済ませられるなんてどんだけ楽な人生なんだろう?って思っちゃうもんね。まぁサーストンムーアの軽さって常に彼にとってのハンデだけどね(笑)色々と恵まれているし何も不自由してないからこそそれが音に出ちゃうんだよね。質は色々あれどテクスチャーの部分ってやっぱその人間の部分だよね。だからやっぱ人間的にすんげー危ういとか脆いとか不安定だとか異様なコンプレックスがあるとかそういうほうが表出するものは面白かったりするんだよね。


むしろそういうのが無いとつまらないよね。まぁ職人的に本人はそういう気質じゃないけどそんな気質のようなものをあたかも本物のように作れる人ってのはいるけどね。まぁそういう意味で俺は天然でそのままでいいんだなって思ってさ、だから音に関して別に特にダークなものをやろうとか集めよう!って思わなくても勝手に音が集まってくるっつーかさ、だからこうやってハイペースで作れるんだよね。それはなんでか?っていうと作為的にブラックメタルをやろう!って思ってるんじゃなくてさっきも書いたように自然な流れとしてそうなってるからこそ特に意識することもなくやりたいことをやってればこうなるっていうもんが出来上がっているっていうアウトプットの結果になってるんだよね。それが凄く自分にとってドラマティックなことでさ、大げさかもしれないけど自分が好きになれるよね。本来はあんまり良くないデプレッシヴとかダークネスとかネガティヴっていう部分も自然な出力として出せてそれがいかにも作ったような感じではなく天然な感じでできているっていうのに感動してるんだよね。


まぁでも自己肯定って何かしらのこういう形になるアウトプットとかってのが無いとなかなかできないんだとは思うけどね。ましてや俺みたいに人と接しないと人からの認証とかもないし。んでも誰に認証してもらいたいか?って何を隠そう自分なんだよね。自分が自分を肯定できるか?ということで今のところ出ているアウトプットを見ると凄くそれができているって思えて感動なんだよね。作ってる時も楽しいし作った後もまだやりたいことがいっぱいあって楽しいしあとまぁ付随するさっき書いた歴史とかのリサーチとかブラックメタル関係の音楽についても聞きまくって調べまくるっていうそれ自体がデュオニュソス的陶酔を生み出してるんだよね。こういう状態においては自分の精神はすげー健全でいられるんだよね。だから健全なマインドで病んだ音を作れるっつーのかな(笑)


いや、ホントに何のためのメンタルクリニックか?って俺のためのメンタルクリニックだからね。自分のための一種の音楽療法みたいな感じなんだよね。あとまぁ数学とかでは完全に挫折した何かを作り出すってことが音楽に関しては可能だからね。数学では無理だし可能だとしてもすんげー時間かかるしそれなりのものができるようになるとも思えないしそういう意味で何かを作りたいっていう欲求を満たせているからこそ余計に精神的に満足するんだろうね。まぁだからその辺はなんつーのかな?あんまり落ち込むほどストイックになり過ぎずに音楽療法として続けていけばいいんじゃないかな?って思ったよね。少なくともやっている間は夢中になれるし時間はあっという間に過ぎていくし強度はほぼ最高だし言うことないよね。まぁそういう意味で一昨年のassemblage以来だよね。こんだけ真面目に長期的に取り組んでるのって。ただあっちは作りたいのができちゃったからいいんだけどブラックメタルに関してはそうじゃないからね。むしろassemblageでやったようなこととかも包括してやってる感じだから今の自分の音楽の現在形なんだよね。まぁブラックメタルっつっても全然メタル要素が無いただのブラック音楽に聞こえるとは思うんだけどまぁでもコンセプトって大事だからね。あとまぁブラックメタルっていう形式美ね。


いやーでも本当に救われてるわ。マジで。さんざん神ディスっといてアレだけど本当に救いだわ。おかげでよく寝れるし余計なこと考えないし本当に健康なんだよね。毎日がそれ中心として動いてる感じっつーのかな?それが凄くなんつーか日々の充実というのに繋がってるんだよね。Dabrowskiで言うところのPositive Disintegrationが起こったんだと思うんだけどね。凄く認識のステイトが上がったっていう実感がある。そんぐらい崇高っつーかある種ハイっていうかなんか一つ突き抜けたっていう実感があるのね。DabrowskiのTheory of Positive DisintegrationのSecondary Integrationだよね。「個人的内省に基づく統合、創造、達成により、意識的、個人的価値観によって選択される統合。時に芸術表現として顕れる」っていうことだよね。まさにそれが顕在化したというのがぴったりでさ、それが偶然そうなったんじゃなくて色んな積み重ねの結果、形となって出たっていうそこなんだよね。それは音を作ってたっつー経験があるからすぐに作れるっていう瞬発性もあるわけだし思想的な共感とか発見も色々と読んできたからそれがシンクロするわけだしそういう意味で凄く示唆的なんだよね。


なんでそれをそこまで大げさに捉えるか?っていうのがようは記号論的な考え方でさ、こういう風な表象として表れているっていうのを記号として意味論として捉えるっていうことなんだよね。そういう俯瞰で捉えたときに記号的な意味が含まれていてその記号の重要さというのは自分の人生において強調し過ぎても強調し過ぎることがないぐらい重要なことなんだよね。思うに今までの経験から5年ぐらいの周期でそれが起こってるよね。なんかまぁそれが来たんだな!って凄く実感してるし前に進んでるんだなっていう実感を得られるしやっぱり俺が得たいのってこういう認識だからね。認識のステイトをどんどん上げていきたくてそれが思わぬ形でかなり面白い形で統合されたっていう感じがしてるのね。でもそれには個人的な記憶とか経験とか今までの流れとかってのが全部重要でさ、無駄なことが一切ないんだよね。それがあっての今だからだからまさにそれが運命愛ということになるんだよね。


まぁそんな感じですね。また色々と読んだり調べてたりするからそういう関係のことは書くと思うんでそんな感じでんじゃまた。