Badassな斧購入。

音源アップしました。


Pagan Prayers


https://soundcloud.com/mimisemi/pagan-prayers


AMPLIFi TT届いたけど思ってたのと違ったかもっつーかアンプシュミ系+オーディオインターフェース的なのが欲しかったんだけどっていうかまぁそうなんだけどどちらかというとギター演奏機みたいな感じなんだよねっつーか音いじりするやつがスマホでしか使えないってのがね・・・。BossのGT-001と迷ったんだけどGT-001は音作りがPCでできるからね。まぁでもやっぱ例のリグのクラウドのやつは面白そうだしまぁいいんだけどねっつーかスマホっつーかタブレットの充電器が見つからなくてまだソフトは動かしてないんだよね(笑)だからまぁ使ってから言えよって話なんだけども。


あとあれですよ、Rocksmithのケーブル届いたんだけど問題発生っつーかギターはSteinberger Spiritなんだけど出力が弱すぎて認識されないのかなんなのかあとまぁ元々ピックアップの調子があんま良くない感じはしてたんだよねってもうだいぶ前の話だけどさ、とにかく出力弱いんですよね。相当増幅しないと使えない感じで。まぁわからん、ピックアップが壊れてるのか元々出力が低すぎるのかあんまギター詳しくないからわからないけど試しにダンエレの12弦繋いでみたんですよ。そしたらちゃんと音出たんですよね。ただまぁ問題はノイズ専用ギターでアートリンゼイ真似してめちゃめちゃなチューニングと弦の張り方をめちゃめちゃにカスタマイズしてるんで当然チューニングなんて不可能だからRocksmithでは使えないっつーかまぁ張りなおせばいいんだけどダンエレはノイズ専用として使いたいから張りなおすなんてことはありえなくてだったらまぁ何気に景気づけに新しいギターでも買うか!って思ってたんだけど出費がありえないからやめるべって思ってたけど購入確定しましたね。弾けないのに3台もギター持ってるとかどこの関口だよって感じですけども。


で、買ったのがbadassなaxeであるメタル御用達のBC Richなんだけどね、いや、こんなギター買うときが来るとは!と思ったんだけど最初はまぁRocksmithのために買うようなもんだから安いやつでいいかーと思ってWarlock Revengeっつーのを買おうと思ったんだけどなかなかの上位機種っつーかまぁ中の上ぐらいだと思われるNJ DELUXE WARLOCKってのがなかなかリーズナブル価格で売っててさ、いや、もちろん中古ですけどね、それ買っちゃいましたね。色々と調べたところピックアップがBc RichのBDSMとEMGだと雲泥の違いがあるみたいでどのみち数万出すなら入門用でなおかつそのままアドバンスにも使えるやつ買ったほうがいいよなって思って思い切って買ったんですよね。



http://bcrichguitars.jp/njdlxwo.html


なんかもう見た目が「増幅してくれ!」って言ってるような感じでガチブラックメタラーとしてはこれしかないだろうっていうかガチだからこそ設備投資もガチなんですよねとかって言い訳をして買ったわけなんですけどもね。まだ届いてないっすね。死ぬほど楽しみですね。これ鳴らしたいってのもあってAMPLIFiいじってないんですよ。最初って重要じゃん?っつーかダンエレ繋いで鳴らしたけどなかなかいい感じだけどアプリ使ってないのはWARLOCKでAMPLIFiの処女膜突き破りたいんで届くまで精力溜めてる感じですね。


あと本はね、JBラッセルって人の悪魔の歴史っつーのをだいぶ読んだ感じなんだよね。古代から近代まで4巻ぐらいあるんだけどかなり読みやすくてっつーか退屈な歴史書というよりかはかなり哲学的な分析とか考察が入ってて面白いんだよね。もちろんクリスチャンバイアスがかかってて悪魔は悪魔って考え方だけど歴史は面白いですよね。ブラックメタラーとしてはそりゃこういうところも死ぬほど詳しくないといけないですよねってまぁ単純な好奇心からなんですけどね。で、あとあれなんだよね、俺の流れってまぁ色々あるけど基本ニーチェっつーかさ、で、ニーチェからある種の超越論とか神秘主義ってバタイユじゃね?とか思ってバタイユ読んでるんだよね。いや、まさに俺の思うサタニズムってニーチェスピノザをベースにした超越論みたいなもんだからバタイユとかばっちりですよね。示唆的なのはバタイユニーチェから神秘主義に至ったってことだよねってまぁ完全なキチガイでぶっ飛んでるわけだけどまぁ俺も似たようなもんだから別にぶっ飛んでるとかって思わないですけどね。


頭の良い真っ当な人から見ればぶっ飛んでるけどでも分かる人ならちゃんとそこに論理的基盤というか必然性があるっていうのが分かるんだよね。ただそれが出力として見るとバロウズみたいな様相を呈してるフレーバーがあるんだけどまぁでも基本的にちゃんとした学者さんだよね。バタイユは自分は哲学者としては不適格だみたいなことを言ってるけど逆なんだよね。むしろ哲学ってガチガチの論理じゃなくてワイルドな飛躍があってそれがダイナミズムを持って意味を持って言説を生み出すみたいな生成的なものじゃん?そういう意味でアウトサイダーのものなんだよね。アカデミックなものは哲学学なんであって哲学ではない。だからそういう意味でバタイユなんてのはphilosopher's philosopherだよね。学術的な基礎づけとか「誰々がこういっている」からそれがベースとなって「こうだと言える」みたいな学問的なのは哲学じゃないからね。ニーチェ然りバタイユ然りだけど出てくる言葉が内発的じゃん?なぜ?と言われても究極的に言えば「俺がそう思うに至ったから」ということがreasoningとなっているようなものだよね。あとは個人的な体験とか経験とか思考のプロセスってのがそのまま出力にフィードバックされてるものだよね。そういう意味で凄くまぁ出力としては芸術なんだよね。


まぁでも出力の形だけではわからないのがあって例えばシュトラウスなんかは「俺はこう言いたい」ってのを直接的に言わないであえて学術的な体裁を保って「誰々曰く・・・」的な感じでreasoningのバックグラウンドを担保しながら結果的に自分が言いたいことを遠回しに間接的に言ってるよね。esoteric writingというやつだけどまぁでも大体みんな少なからずそうなのよね。ネグリなんかも悪く言えばマルクスとかスピノザの都合の良いところだけ取ってきてそれを裏付けとしてたりするけどでもそれってまぁようは自分が言いたいことがあるからなんだよね。都合の良いところだけ取ってきてコピペしてるんじゃなくて言いたいことの論理的基盤みたいなものをマルクスとかスピノザを使ってやっているっていう感じだよね。そもそもマルクス曰く・・・」なんてことを言い続けててもそれはただのマルクス学なんであって哲学じゃないからね。バタイユの言う侵犯ってのもようはそのままサンプリング的な理論的背景としてそのまま使えるよね。まぁ別に禁止されていることを侵犯するという意味でのエロティシズムではないにしても、侵犯していくっていうプロセス自体が禁止されていることを侵犯していくような荒々しさがあるわけじゃん?plunderphonicってのはまさにそれだよね。かといってもただのコピーと出力されたものとかデザインとか音楽とかなんでもいいんだけどそれを取り込みながら侵犯していくってドゥルーズ的な脱領土化だよね。


それは俺が前に出力された音とか作られたものってのを素材として考えたときにそれは資本に対する侵犯というか仮に著作権ってのを資本の独占化として考えるとコモンズ化ってのは資本の共有ってことになるじゃん?まぁ凄くコミュニズム的なんだけども、いや、別にそういう考え方に同意してねーからっていうものも勝手に資本として使っちゃうってことなんだよね。ようは自分の金じゃない他人の金を使って何かやるみたいなもんなんだけど結果的にそれでコピーっつーよりかはそれなりのオリジナルなもんができたらそれはそれで良くない?っていうか創造のサイクルとしてはむしろカンフル剤みたいになってて良いじゃん?ってことになるよね。現実の金だと金は使われることで減るけど音楽とかデザインとかアイデアってのは使われたところで減らないからね。あとまぁ前に貼った「パクり経済」にもあるようにむしろコピーされたほうが経済効果があるなんて見方もあるわけでさ、まぁそういう意味であれなんだよね、哲学の話に戻るけど哲学においてマルクスとかスピノザを参照しつつ自分のアイデアも入れて出力するってようはリミックスなんだよね。もしくはもっとつまらないものだとハイデガー的な考えと禅の類似性を分析して混ぜてみようみたいなマッシュアップ的なものもあるよねっていうかまぁ大体つまらない学者とか大学院生とかがやってるのってこういう感じのもんだよね。全然哲学じゃない。


まぁなんだろうね、資本主義を分析したり批判するうえでマルクスに依拠するってのはまぁすでにイデオロギーではあるんだけどその人がマルクスを選びつつそれに依拠しながら自分の論を展開していくってのはマルクスをベースにしたハイブリッドとかリミックスだよね。まさに。あとまぁあれだよね「今こそ読み返す」的な過去のものを今の視点で読んでみよう!みたいなものはまぁレアグルーヴ的な発想というか、あとはまぁ現在において過去に比べれば色々と解明されたり明らかになったことが多いという中で再読してみると再読するというその読む環境っていう情報のレベルが変わってるから読み方も変わってくるのでは?っていう解釈学だよね。これも言わばベースがあるリミックス的発想っつーかさ、んでもまぁそれでいいんだよね。高柳の汎音楽論集を再読してるけど高柳はむしろ何かのコピーを完全にしたうえで自分のが生まれるみたいなことを言ってるよね。ようはそのコピーってのが基盤を作るってことなんだよね。そこからのオリジナルでしょうっていうね、その基礎がない上でオリジナルなんてどうやってやるんだ?って言ってるんだけどまさにそれだよね。だからそういう意味でコピーって言葉に語弊があってfoundationみたいなもんなんだよね。基礎スタイルとかって意味でまぁ例えばロックやるにしてもなんでギター・ベース・ドラムなんだ?ってまぁロックっつーベースがあるからだよね。別にバイオリンと発振器とタブラとかでもいいはずなのにプリセットとも言えるような基礎スタイルってのを踏襲するじゃん?根本的に言えばそういう意味でなんでもコピーだよね。


まぁだからこそって言うとおかしいけどまぁそれが自明なんだからこそどんどん侵犯していくべきでしょ!って思うんだよね。クロスオーバーとかじゃなくて境界を取り払ってなんでも使うとか取り入れるってことだよね。そのセレクトこそが音のバリエーションを生み出すっていうことだよね。そういう意味で作曲ってのはセレクトでしかないよね。もうほとんどやり尽されちゃってるから本当に既存のもののセレクトしかないよね。あとまぁ「こんなのができた!」と思っても色々と調べると同じようなことがもうやられてたりとかね、まぁでもそこってなんか必死にある種病的にオリジナルを追求しても奇抜なものとか何かの基盤がないとそれってできないじゃん?そういう単純に「他とは違うこと」という意味でのオリジナリティってのは別にそんなに価値はないよね。本人は既存のものとかスタイルとかでやっているつもりでも結果的にそれがすげーオリジナルになったっていうそこだと思うんだよね。あとまぁ他と似ててもいいんじゃない?って思うよね。それが作りたいものなんだったらそれができて良かったじゃん!ってことだよね。それは音楽も哲学も同じだよね。作りたいものとか言いたいことがあるっつってそれをうまく言えればいいじゃんってことだからね。それが独特のオリジナルとか誰も気が付かなかったことであったとかって必要はないんだよね。それは結果的にそうなる場合もあるっていうことなだけでようはただの蓋然性の問題だよね。そういう蓋然性ってローティーとかが言ってたような蓋然性そのままなんだよね。オリジナリティなんてのも結局はそういうものなんだってことだよね。


仮にオリジナルなの作りたかったまさにその蓋然性を上げるしかないわけでまぁつまりは色々作るってことだよね。言論なんであれば色々言うっていうことだよね。体裁取り繕ってそんな改まる必要はなくてとりあえずなんかやったほうがいいんだよね。まぁそれってDIY精神ですよね。やることにそんなに気負いする必要はないしあとまぁ今の俺みたいにやることでどんどん調子が出てくるとか景気が良くなるっていうのはあるからね。そういう流れを生み出す感じっつーのかな?攻殻機動隊で素子が言う「未来を作れ」っていうのってまさにこれなんだよね。つまりは凄くプリミティブなDIY精神ってことだよね。それをいかに気負いせずに自然体で気張らずにマイペースでできるか?っていうところだよね。そういう色々な積み重ねとか実践の結果、創造性って養われるものだと思うんだよね。まぁ元々の才能みたいなところもあるけど後天的に色々と頭なり手を動かすことで生成されるものってあるからね。まさにそれも蓋然性なんだよね。


結局まぁ創造性にしろ想像力にしろ腐った日常からの脱却ってこれしかないよね。何もやらなかった場合か現状の場合、腐ったままでいるというところから逃避するっていう足掻きなんだよね。それをただの悪あがきのレベルに留まらせておくのか、未来を作るというDIY的attitudeに昇華させていくのかはモチベーション次第だよね。だからまぁ別な言い方すればやることはなんだっていいんだよね。やることのレベルとか次元とかもとりあえず放っておいていいと思う。重要なのはやることだからね。そうやって自分の未来をリアルタイムに生成していくっていう能動性だよね。まさにこれに尽きるよね。


あ、んで「蓋然性」ってずーっと書いてたけどローティーの場合、contingencyって意味なんだけど、俺がなんで蓋然性って言葉を使っているのか?っていうとcontingencyの場合、偶発性ってことだけど蓋然性の場合、何かが作り上げられるとか出来上がるっていうことの確立の度合いとか精度を高めていくっていう鍛練的な意味合いがあると思うのね。「まぐれ」なのではなくてcontingencyの中での必然性の確立を高めるという意味での鍛練ね。だからまぁ蓋然性なわけね。


まぁそんな感じですね。作業に戻るんでんじゃまた。