深みの外出。その4。

一か月ぐらい永遠と書き続けるっつーマラソンをしたくなってきた(笑)目標7月までマラソン!にするかな。ということで続きです。


たださ、あ、今は原宿行ってから一夜明けてるんだけどっつーかすげー長くなってて途中まで書いて寝てんでまた書いてるんだけどね、やっぱ起床後がすげーつまらなく感じるよねっていうか今日もナンパしたい!って感じになるんだよね。すんげー外に出たくなる。これはすごいことですよね。脚とか筋肉痛が結構凄いけどまた行きたいなー!ってことになるんだよね。でもまぁ一応無職ではなくて年中無休で労働をしている身なのでそこまで自由じゃないからさ、また半日休みを取ってっていう感じになるからそんなに頻繁にはいけないんだけどね、でもまぁこれが休みを取るということの動機づけに繋がるんだよね。


今までは予定がないからどこにも行かないし休みも取らないからね。それだとまぁそりゃ精神的にもダメになるだろうってことでまぁなんつーのかな?あんま先のことは考えずにね、まぁいつかは飽きるっていうのはあんま考えずに現在の強度と得られているもののありがたみってのを味わうっていうことですよね。少なくともクソゲーが若干面白くなったのは確かなんだしそれは遠出したり出不精な自分がわざわざ外に出てなおかつ何時間も歩いて疲れている甲斐がありますよね。


まぁただ逆に毎日できたとするじゃん?まぁこうなったら飽きは早いよね。たまにやるから楽しいんであってさ、で、まぁある程度やったらまた読書生活に戻りつつも「次はいつ行こうかな?」とか「どこに行こうかな?」とかっていうことになるよね。まぁ本当にだから趣味だよね。神社巡りとか登山が趣味の人と同じっつーかまぁ同じにしたら失礼だけど「次はどこに行こうかな」って思えること自体がクソゲーからの脱却って気がするんだよね。まぁ持続性は分からないけど少なくともガッツリナンパしていた時期があったってのは後々後悔しないための生き方ではあるよね。やることはやったのだ!ということだよね。


あとまぁライフスタイルとして結婚しないとかガッツリ行かないとか女性への幻滅とか男子の草食化ってことがあってまぁ合理的にそれでいいと思うし俺もそれでいいとは思うんだけどようは自分にとってはそれがつまらないというのと全然草食系じゃないということで今の時代の合理的な生き方が恋愛をしないということにまったく異論はないんだけどそこをまぁあえてのオルタナティブとしてもはやプレモダンなナンパという手法を取ることでアグレッシヴに人生を攻めていくっていう感じだよね。


ただまぁ草食系で女性に興味なくて自分の趣味があって充実してるって人は全然それでいいんだよね。恋愛しなきゃいけない!なんてことはないし恋愛しないのはダメ!なんてこともないんだよね。ただ俺は刺激ジャンキーでケミカルドラッグ以外の好きそうなことは大体やっちゃったから恋愛とかセックスしか残っていないっていう切実な問題があるってことだよね。あとまぁレジャーがないってことだよね。やることはなくもないけどすんげーつまらない人生を送っているって意味でクソな自分を変える必要があるんだよね。そこは最近書いているように人生クソなのは社会とか他者のせいではなくて自分がクソだからいけないんだよね。それは人間的にということではなくて楽しさという意味でそういう人生しか送れていないということと何もそれに対して工夫をしようとしないということに対するクソという意味だよね。


まぁんで結局はセックスに行きつくだろうというのは今はフェイズ的にナンパに挑戦!というところだけで非日常感を得られて満足できているけどそのうち物足りなくなってくるっていうかまぁ声かけられたらそれでいいんだけどさ、まぁこれ繰り返しててもなー・・・っていう風になってくるのは目に見えてるよね。だから最終的に変性意識に陥るようなレベルのセックスをするっていうスピリチュアルなタントラっていうまぁなんつーか気を練る感じね。そういうレベルに行きつく必要があるんだよね。こればかりは体験の問題だから知識を増やせばいいとか数学の知識が深まればどうとかっていうそういうことじゃなくて具体的なアクションと性っていうプラクティカルな問題なんだよね。まぁんでほとんど性体験無いわけでへたくそだしそういうのもまぁ研究しなきゃいけないよねっつってもこれもなんか変なマニュアルとか読むよりかは具体的に場数を踏んで知識を得ていくしかないと思うんだよね。だからまぁ大恥をかくという連続だと思うけどいかにそれに屈せずに目標に達するか?っていうことだよね。


なんかでもこれってさ、放っておけばもう腰が動いてるとか体が動いてるみたいな野獣みたいな人間じゃないからこそいかに自分をそういう性愛のモードに持っていくか?っていう自己革命なんだよね。本当に典型的な童貞の数学者とかと同じようなタイプだからやろうと思わないとまずやらないんだよね。あとまぁあれだよね、洋服とかに金をかけるってのもナンパってのが軸になると一気に自己投資になるからね(笑)あとまぁそこで好きだけど奇抜になり過ぎないようなマイルドさと自分の好みの中間ぐらいのものを選ぶとかさ、まぁ別に気に入ったら買えばいいんだけど眼鏡にしてもまたサングラスを買おうとしてももうデフォのサングラスあるし夜にもサングラスしてると怪しいからそこでやっぱ数必要になるのは眼鏡だよなっていうなんつーかその昼間のサングラスモードと夜のメガネモードの使い分けでなおかつバリエーションを増やしていくんだよね。でもそれで言うと結局、展開を考えたときに圧倒的に室内とか対面が多いわけで対面でサングラスしてるってのはあれだから外すじゃないですか?


そんときに色々と持ってると便利なのは眼鏡だよね。やっぱってまぁ眼鏡を買ったことに関する自己弁護みたいになっちゃうけどさ(笑)あとまぁ仮にスニーカー欲しくてもそれってただの物欲じゃん?実際は履ききれないぐらい持ってるわけだからっつってもまぁ洋服も結構持ってるし今年の頭ぐらいに馬鹿みたいに買ったけどそれでもまぁなんかいろんなバリエーションが必要でさ、んでそういう意味で持ってるやつを見ても本当に似たようなのが多いんだよね。だからなるべくいろんなバージョンを作ろう!と思うじゃん?で、そこで創意工夫が生まれるんだよね。あ、ファッション雑誌とかは読まないですよ(笑)


いや、ファッション雑誌のコーデそのまましてる人とか「なんなの?」って思うしオリジナリティがないのって本当にクソだと思うんだよね。だからそこも失敗したりミスったらすんげーダサくなるかも?っていうリスクも冒しつつ色々と試すんだよね。そこを守りに入ると無難なファッションがいいってことになってその辺の大学生みたいな恰好になっちゃうんだよね。まぁこれはまずありえないですよね。いろんな意味で攻めてないとダメなわけで。


あ、んでその自己投資とただの快楽のための消費との違いってデカいですよね。快楽のための消費ってまぁアイテムが欲しいから買うってことでまぁ例えば俺で言えばすでに持ってるスニーカーを何足も買っちゃうとか似たような形のサングラスまた買っちゃうとかっていうことなんだけどプラクティカルにいろんなバリエーションを作って外に出るときにそれを創意工夫しながら色々と作っていくっていうその変数を増やすってことなんだよね。アイテムを増やすってのは。そこも楽しめる余地があるところだし色々と磨けるところだよね。ただまぁ磨くっつってファッション雑誌を見て勉強!とかじゃなくて自分で「お、これいいな」って思えるバリエーションを作るってことだよね。そこは本当に創意工夫だよね。曲作りとかと同じだよねそこは。クリエイティブな余地を作るんだよね。そうなってくると無駄に量があって着る機会がない洋服も活きてくるからね。


あとまぁ前にも書いたけどだいぶ前に買ったやつは大体パターン決まっちゃってつまらないから新しいものを使って新しいバリエーションを作ってみる!っていう縛りを作るんだよね。それってまぁ単純にメンタルプロセスとして色々と考えるわけでこれ自体がまた非日常的な体験を生み出すんだよね。無駄に過ごしている時間とか「むなしいなー」って感じている時間があればナンパっつーコナトゥスに向けて常に何か前進する!っていうことだよね。そこでまぁサイクルが生まれると馴化も治るからねっつーか毎日本読んでるとそれだけになるじゃん?で、それ自体に飽きるんだよね。サブジェクトは面白いけどone of themとしてそれがあるぐらいがベストで他もやることがあるっていうことだよね。んでもそこで現実逃避的なこととかゲームとかに没頭してもどうにもならないし残るのは虚しさだけだからそこで長期的な意味での自己投資をするんだよね。


まぁいくらそこでナンパを軸に色々と磨いたところでリターンは保証されているわけじゃないんだけどただまぁいつか報われる日が来るって信じるしかないよね。あとまぁ「俺はやれる!」という良い意味での大きな勘違いですよね(笑)でも間違えちゃいけないのは「俺はいけてる!」って思うようなことはダメなんだよね。それは他人からの評価があればそれでいいけどそれが無い場合、基準を自分だけにしてそう考えてるとただのオナニーになるからね。まぁそれが音楽とかの趣味なら他人なんて関係なく自分のセンスを信じられるけど洋服とか見た目とか合っているかどうか?っていう意味にしてもやっぱりそれって印象ってことだし自分が「かっこいい!」って思っててもほかの人がどう思うか分からないからね。それは他はどうでもいいということにはならないってのがようはナンパって他者との関わり合いじゃないですか?だからオナニー的なものってのは極力排除しなきゃいけないんだよね。


この辺の自信を持つということと他人の評価を気にするっていうところの絶妙なバランスは面白いよね。自分がやってきたのって確定してるもんばっかで自己解決できるもんばっかだったからね。そこがまぁ他者のことも気にしないといけないっていう他者に開かれているシステムって面白いよね。自分だけで解決しないというのは面白いよね。でもまぁ究極のところ我流でいいのよね。あくまで楽しむっていうことが中心で他人の評価を気にしてたらそれって音楽と一緒であとまぁ株でよく出てくる美人コンテストの話だよね。株価の価格は意見によって決まるっていうことだよね。だからまぁ単純に100人に会って見た目とかの評価を聞いてその平均を取れば大体まぁ一般的なものになるじゃん?そうなるとまぁつまらないよね。


そういう意味でナンパも辛くなったりつまらなくなったら終わりだからあくまで自分が楽しみ続けられるやり方を模索するべきだよね。そういう意味で全然数とか何人に声をかけたとかって問題じゃないしそこは体験の問題だからね。俺は100人に声をかけるよりもマジで「お!」って思った子に声をかけられてなおかつ無視されなかったらそんだけでとりあえず声を掛けた100人よりも深い強度を得られるからね。まぁただそれはすげー声を掛けない時間が長いということではないけどそこはずーっと書いてるように純愛ナンパだからよく考えるってことが大事だよね。可愛いけど明らかに反りが合わなそうっていうか恋愛に発展しなさそうって子いるじゃん?それはまぁ好みの問題だけど相性の問題もあるよね。あとまぁ単純に妄想というレベルではなくて純愛が実ったときに仮に結婚するってことになってうちの属性と合いそうか?っていうところもあるじゃん?(笑)いや、マジな話ですよ。


それは吟味するというというよりかは現実性だよね。長期的な視野も含めて考えるってことだよね。まぁそんだけ色々と考えているから慎重なのね。あとそういう意味で無駄なリスクは冒したくないからね。声を掛けまくるのもいいけど面倒な女だったら単純に自分の生活が面倒になるだけだからそういうのは勘弁だし「お!」と思ったけど近くで見たらそこまで好みじゃなかった場合とかって単純に今はいいかもしれないけど仮に次回会ったときとかに冷めてるじゃん?そういうのもダメだよね。ストライクゾーンのみを狙うというのは難しいし効率悪いし難易度は高いけどその分だけリターンも大きいよね。まぁその見た目で判断っつーのもまぁ分からないしどう見ても清楚だけどクソビッチってのもあるしクソビッチに見えて実はすげー純粋ってこともあるしあんま見た目だけで決めちゃいけないけどさ、まぁあと長期的な視野以前にすんげームラムラした!ってのがあったらそれはinstinctを信じていいかなとは思うけどね。明らかにセックスしたときに燃えるでしょう。それは。


そういう意味でまぁ純愛を求めてはいるが色んなバリエーションがあってもいいんだよね。そういう意味で視野は広いほうがいいけどただまぁやたら声をかければいいということじゃないよね。まぁでもこれって突き詰めればナンパっつーよりかはすんげー可愛い店員さんがいて思い切って声を掛けてみたらそれが交際に発展した!とかそういうもんですよね。何回も書くけどそういうのを常に求めつつ理想的になり過ぎずにただセンサーはギンギンな感じでアグレッシヴに攻めるっていうことだよね。声を掛けられなかったりニアミスしてしまったときの「あーしまった!」っていう感じに苛まされるよりかは傷つくリスクがあっても声を掛けたほうがいいでしょうっつーかまぁ断られるのが当たり前だからそんなんで傷ついてたらしょうがないからね。まぁそのhighly sensitiveなところをタフにするってことだよね。その感性はそりゃ生得的なもんだからしょうがないとして傷つくことに慣れるっていうことだよね。だからまぁあえて過酷な道を選ぶっていう自分に鞭を打つってのに喜びを感じるってのもあるけどね。で、相手が女性だと不毛じゃないよね。何かしら得られるものはあるわけで。


ってことで人生のクソゲー化を加速させないためにも頑張りたいと思いますってことでまだまだ続くよウォール伝な感じでんじゃまた。