ヴァーチャル系の話。その15。

では続きを。


示唆的なのはそいつが覚せい剤やってたとか不倫してたとかそれももちろん拡散しやすいんだけどそれってまぁリアルでの不祥事じゃん?俺が言いたくてなおかつ示唆的だと思えるのはネットっていう次元で何かやらかしてそれが結果的に些細なことでも生物的に自滅するかの如く凄まじいダメージを残すっていうことだよね。それを極端に「淘汰」というとネットという観念も含めた色んなもんがデータ化されるデータの世界が生物に及ぼす影響って凄いと思わざるを得ないよね。だからこそ「いや、昔に戻れ」的ななんでもデータ化みたいな流れに抗うみたいなやり方がナイーヴだっつーのもそういうことだよね。そんな細かい個々のスタンスみたいなくだらないレベルではなくて環世界レベルでの影響を及ぼすものになってるってことだよね。


なってるっつーかもうなったんだよね。まぁだからこそ言えるのはっていうか俺が逆にそういうところ行き過ぎてリアルに回帰したっつーのも何でもかんでもデジタルってことになるとリスクがデカ過ぎるんだよね。だから何もかもデジタルなんではなくてあくまでリアルの自分をより生きやすくするために使うぐらいのものじゃないといけないっていうことだしだからそういう意味でデジタルの見栄えとかばっか気にしてても意味なくてそこはやっぱりリアルでしょうっていうことなんだよね。そういう意味でリアルがダメ過ぎたらどうしようもないっていうことなんだよね。


Fallout VegasのMr.Houseだよね(笑)ハンサムなやつが凄い財力と軍事力と権力を持ってるんだけど実態はっつーとミイラ化した老人がチューブに繋がれてるっていうね(笑)まぁそういうリアルのフィジカルな劣化というのはしょうがないにしてもさ、まぁ別に見栄えに限らずリアルって大事だよねっていうことにならざるを得なくなるよね。というかリアルに立脚したデジタルじゃないとどうしようもないってことだよね。それがつまりは根源的な人間的な主体ってことだよね。


ちょっといきなり結論っぽい話になっちゃうけど現代にどう生きるか?っていうのがようはそういう複合的なものになっているリアルにいる自分っていう主体の立ち位置と時代精神的な意味での世間とか社会とかと自分との関係性と折り合いみたいなところも含めて考えられなきゃいけないってことなんだよね。だからこういうデジタル要素とかね、なんでもデータになっちゃうとか近未来っつーかほぼ未来みたいな状態にいる自分のあり方ってのをね、いや、逆にそこでその存在とは?とかどうあるべきか?ってのを全くそういう生活圏の話を無視して文献だけで語るとか考えるなんてのはナンセンスの極みってことなんだよね。


そりゃもうそういう時代の流れとかテクノロジーの進歩とかが知識論とか情報論そのものに影響を与えているわけだから知識とかを扱う哲学とか人文系全般の事柄が影響を受けないわけがないんだよね。そこを遮断して本の世界に閉じるなんてファックもいいところだよね。あと恣意的にデジタル的なものを表層的なものとして本的なものを崇高なものとかにするっていうような偏見とか文学的賛美みたいなのは知識そのものの形骸化を生むんだよね。それがまぁさっき書いた謳歌してるのはいいけど花壇の中で枯葉剤撒いてるみたいなことになってるぜ?ってことになるんだよね。まぁそれは別に佐々木中みたいなのに限らず本の世界とかそういうもんに変なロマンを抱いていてそういうものを幻想化してロマン化するような考え方とか振る舞い全般そうなんだよね。そうじゃなくてリアルな知識っていつでも切れ味抜群じゃん?鋭いんだよね。本の世界だからかっこいい!とかではなくてそもそものマジの知識の世界ってのはやればやるほどエッジが効くはずなんだよね。まぁ一般的な通念とはどんどんかけ離れるけどね。


んでまぁその近未来的な現在の話ですけどね、あれだよね、生態系に与える影響ってまぁ外出シリーズの本編でも色々書いてるんだけどまぁここでも書くけど引きこもり化ってのがさ、病的であったりネガティブだったりっていう意味ではなくてオンライン化しているので外出する意味が無いとか外出しなくても家で色々と済むようになったっていう結果家に籠るということが多くなった結果、例えばまぁ人が外で会話しなくなるだとか出会いが無くなるとかまぁ色々言えるわけだけどさ、これもまぁすげーことなんだよね。テレビぐらいしかない場合、例えば日中なんてワイドショーぐらいしかやってないから外出てよりマシな刺激を求める必要があったりまぁ家にいてもしょーもないってことになるわけだよね。まぁ本ばっか読んでるやつは別としてね。んでまぁ今ってテレビの時間軸に見れるテレビ番組が限られるわけじゃないしそれこそネットでも色々見れるしっつーんでまぁなんでも家で済むよね。まぁ大雑把に言っちゃうとそれがもちろん消費とかにも影響するわけじゃない?単純に外に出なくなるってことでそりゃ外出たらなんか反射的にお金を使っちゃうってのが無くなるわけだからね。


まぁ金が無い時代には逆にそれが良いのかもしれないけどそういう意味で時代に適合してるんだよね。なんでも家で済んで別にそこまで求めなければぶっちゃけ金そんなにかからないっていうのがさ、これってもう生態系の変化じゃないですか?データベース社会とかエクリチュールとかそんな狭い話じゃないんだよね。だからそういう局所的なところばっか見てデータベース的だったりネット的だったりするのを語っても何にもならないんだよね。なんかまぁそういう意味であれだよね、水と電気が通ればそこに人が住めるようになるってのと一緒でネットも通ってればそこで生活できるようになるってことだよね。


まぁんでまぁ散々前にも書いたけど繰り返すけど実際はど田舎の何もないような場所なんだけどヴァーチャル機器とかネット環境はめちゃめちゃ揃ってる一軒家に住んでて家の周りには何もないけどヴァーチャル機器にアクセスすればヴァーチャルなもんから拡張現実やらなんでもやれる!ってことになると物理的制約が無くなるよね。田舎が退屈というステレオタイプが関係なくなるよねっつってもまぁ実際はそんなことないんだけどね。ただまぁ比率がデジタルに行けば行くほどそうなるでしょう。逆にど田舎だとデジタル化する以外やりようがないっつーんでそうなることもあるだろうけどね。かといっても別に都市部にいればリアルが充実するのか?ってそんなわけでもないしね。


ってことでまだ続きます。んじゃまた。