PCの電源が死にまして。

パソコンの電源が死んでましてね、んで電源注文したのはいいけど全然届かないのよね。だからここ数日NoPC生活だったんだけどってことで更新してなかったんだけどNoPCいいよね。たまにはやっぱり(笑)あ、んで書いたか忘れたけどこないだ外出した時にフラッと寄った店にレコードが売っててそれで色々買ってきたんだけどっつーのがこのNoPC生活とリンクしてましてね、まぁPCっつっても映画見たり音楽聞いたりなんでもPCじゃん?で、使えなくなると不便どころの話じゃないんだけど何もかもを奪われますよね。そんな中でレコード聞いてたらっつーかレコードと本しかないのよね。超アナログなんだけどそれがなんだか良くてっていうか昔はこうだったんだよなーとか思いつつ買ったやつ以外に家からもレコード引っ張り出して来てずーっと聞いてたんすよね。


で、まぁそれはまたちゃんと電源届いてから色々書くけどその買ったレコードってのがなかなかお宝が多くてさ、頭脳警察セカンドが600円だったりとかっつーかまぁ今の市場価格がどんなもんか分からんけどあと守安祥太郎のモカンボセッションを1200円で買ったんだよね。で、まぁこのここ数日レコードばっか聞いて生活する毎日っていうこの毎日の密度足るや・・・って感じでんでまぁ例によって守安祥太郎のことが気になって自伝買ったりしてドップリだったんだよね。で、今はその自伝を読み終えて放心状態というかなんというかまぁまたこれについては色々書こうと思うんだけどあとまぁレコード以外にファッション関係の本ね。ロランバルトとか鷲田清一とかあとまぁファッション史だとかってまぁそれは前にも書いたか。


で、英米系の本で全然翻訳されてないんだけどカルスタ関係のファッション論みたいなのをまとめた本だとかファッションと流通みたいなやつとか結構文献あるのよねっていうか逆に日本語のやつだと全然ないんだよね。まぁ相当ニッチであることは確かだよね。バルトにせよ限られたファッション論の本にせよ異常なぐらい研究されていない分野だって記述をよく見かけるぐらいなんだけどまぁちょっと見た感じ2000年以降とかに結構まぁ分野として盛り上がるっつーと変だけど英米系を中心に結構本が出てるのよね。で、まぁそういうのをとりあえずまとめて買った感じね。


あとまぁあれなんだよね、バルトじゃないけどファッション史ならぬファッション誌を分析するのって面白そうだなって思ってさ、で、これこそまさに図書館で借りてくればいいじゃん!って思ったんだけど貸出やってない?と思ったら最新号だけでバックナンバーは貸出可能かもしれないんで今度借りてくるけどさ、メンズノンノとかね(笑)メンズのみならずノンノとかレオンとか今はもう雑誌なんてオワコンだけど全く読んだことなかったから読んでみようかなって思ってるんだよね。で、今はオワコンになってるんだなっていう状態も含めて読むって感じだよね。今は形骸化してると思うんだけど過去はこういうもんがイデオロギーを形成してたんだなとかモードっつーイリュージョンを形成してたのかーとかね、それとまぁ現在雑誌がオワコンになってるということとあとアパレル関係が相当厳しいっていうのもまぁ流れとして面白いんだよね。


で、ちょっとばかし調べてて思ったのはブランド離れってようは若者のサバイヴ術なんだよね。まぁ脱イデオロギー化ってのもあるし雑誌とかメディアが仕掛けようとする言説みたいなものの影響が少なくなったのと情報化によって情報が分散されたりメインストリームってのが無くなった結果、一つのモードとか今これが流行りですみたいなのを流通させづらくなったというのもさることながらファッション誌とかで紹介されている例えばOLさんだの学生だのっていうののコーデ!なんつってどっからその金捻出してんのさ?っていう浮世離れ感があるわけだよね。


それは俺も昔まだ美容院に行ってた頃に渡されるファッション雑誌なんかを読むつもりはないんだけど読んでると全身すげー金かかってるわけじゃん?っつってもまぁバカ高いもんじゃないんだけどでもまぁトータルでいったら結構いくっつーのを学生風情がどうやって出してんのか?って親の仕送りしかねーよなとか思いつつさ、まぁでもこの読者と雑誌とのリアリティの乖離ってのは恐らく昔からあったんだろうけどファストファッションとかが出てきてあとまぁ景気がクソみたいなのがデフォになった現在でもまだ相変わらずファッション雑誌は浮世離れしたコーデとかを出してるから全然参考にならん!ってことでファッション雑誌離れが進んだってのもあるんだよね。


まぁだから逆に今の場合、読んでるのはマニアばっかってことだよね。ファッション雑誌の役割がインスタとかネットに置き換わったって話もあるらしいけどそれはやっぱインスタとかのほうがよっぽど地に足がついてる現実的なコーデだからなんだと思うよね。まぁ芸能人とかのはともかくまぁおしゃれな一般人とかの場合、そんな浮世離れしたもんアップしないわけじゃん?だからまぁそっちのほうがよっぽど参考になるっつーのとまぁあと雑誌関係全般っつーかメディア関係の産業とズブズブ関係の主に論理が資本主義的っていう構造がバレバレになっちゃってるからそんなまともに雑誌が言うことを真に受けなくなったっつーのもあるよね。まぁあと結局まぁ金ないってのが一番の理由だとは思うんだけど。


で、まぁ金ないけどないなりに一応気に掛けるってのが現在の風潮なんだよね。まぁ恐らく昔からファッションってのはさりげなくやるほうがいいんであってファッションファッション言ってるのはダサいっていうそのファッションに気を向けすぎる自意識がダサいっていう風潮はあったと思うしファッション雑誌とかをいくら分析のためとはいえ借りてみようか?って思ったときの恥ずかしさってまさにこれだと思うんだけど(笑)金かけすぎるのがダサいという風潮が断捨離やらミニマルスタイルやらなにやら節約やら貯金やらっつー昨今の流れの中でさらに加速されて恐らくノームコアみたいなのに落ち着いてるんだと勝手に思ったけどね。ファッションで競争もダサいし記号的なブランドもダサいしそんなもんもう威力無いよっていう意味でのそういうものを無力化させるようなそれもある種の象徴としてのノームコアだよね。まだファッションなんかに金かけてんの?ダサくない?的な感じっつーかね。まぁ全部が全部そうじゃないんだろうけどまぁでもそういう風潮はあるんだろうなって気はするよね。


だからこないだノームコアなんてありえねーだろ!なんてディスったけどここ数日色々と読んでてまぁ色々と思うことはあって考えは変わったよね。まぁそれも流れなんだなってことだし一概に日本的な目立たなさとかみんな同じ格好をするみたいなつまらなさだけではない色んな複合的な要素があってこんな感じになってんだなってのがよく分かったしね。まぁだからこそこんな今だからこそ着倒れするって最高!って勝手に自分の中で盛り上がってますね(笑)着倒れしつつレコード屋にもまた通うって生活ができたら最高だけどまぁそれはさすがに無理かなーって感じだね。いや、ここ数日レコードばっか聴いてて思ったんだけどレコードって大体30分〜40分ぐらいだから10時間とか聴いてると一日で何十枚も聴くことになるわけじゃん?それ毎日やってたら何枚あってもキリないよね。だからやっぱコスト的に考えてなかなか難しいなっていうかだとすればまぁ着倒れ具合を若干修正してレコードに若干振り分けるというのもありっつっちゃーありだけどそれだとちょっと中庸過ぎてつまらんなってのがあってさ、やっぱエクストリームなのがいいからやっぱ着倒れでいいかなって思ってるんだけどね。


外出ないのに服買うって面白いよね。数奇の極みだと思うわ(笑)まぁでももちろん「俺って変わってるよなー」みたいなナルシシズムではなくてあくまで今はそれやりたい!っていう衝動に感化されてるっていうことで着倒れなのね。まぁまたそのうちすぐ飽きるかもしれないしっつってもまぁ洋服だったら別に無駄にはならないしテンション上がり過ぎて変なの買わなければまぁずーっと着れるわけだしっつーかまぁそれも買う時のポイントなんだよね。そこそこするものだからこそすぐ飽きそうなのとか顔面が劣化して来たら一気に似合わなくなりそうなのとかは買わないわけよね。そういうところも考えてすげー熟考して選ぶっていうそのプロセス自体が楽しいよね。まぁなんだろう、眼鏡とかスニーカーにかけてはかつての本やレコードと同等のプライオリティがあったけど今はセカンドだった洋服がファーストランクになったって感じですねってそれは前に書いたか。


まぁただ着倒れ方丈記に影響を受けたってのはあるよね。ホント、かつての俺はこの着倒れ方丈記における洋服がレコードだったり少し前まで本だったりしたわけでっていうか着倒れ方丈記にも書いてあるけどそれがレコードとか本だと割と社会的に容認されるんだけど洋服だとなんかダメなのはなぜだろう?みたいなことなんだけどまぁでも道楽を極めるってことですよねっていうかまぁ買うということ自体に快楽を覚えるというようなジャンキー的消費ではなくてそれが道楽的な場合だったらそれはいいんだよねっつーかそんな全身全霊つぎ込むことができる対象があって幸せですねってことになるよね。まぁこれも前に散々書いたけど老後のために5000万貯めるだとかなんだとかもう最高にファックなわけですよね。


そういうのに反抗するためにもっつってもまぁ別に反抗が目的ではないんだけどアンチテーゼとしても好きなものに金をつぎ込むってのは最高に粋だと思うよね。いかに金をかけないか?みたいなのが美徳っつーか価値観みたいになってる中でそれの真逆を行く道楽をやるんだよね。んでもそれは余裕があってやるわけじゃなくて身銭切ってやるんだよね。まぁそのあれですよ、ヴァイナルジャンキーが三食カップ麺でレコード買うようなそういう感じだよね。これもある意味ストイックだからね。金を使わないストイックさってそれが不安ベースの貯蓄になると最低のものだと思うしどんだけそいつが勝ってようが本質的には負け犬なように勝ってようが負けてようが本質的に勝つってのはいかに道楽を極めるか?とか趣味を極めるか?っていうところだよね。だからそういう意味でアイドルにつぎ込むとかゲームにつぎ込むとか対象はなんでもいいのよね。生活が破たんしたり借金したり他人に迷惑かけたりしない限り本人がずーっとdriveしまくってるような強度を保てるものに全身全霊入れ込んでれば否応なしにそいつの勝ちなんだよね。


凝ることに関してはまぁ言わずもがなだけど俺はまぁ本当に異常ですよ。だからまぁそれをやっていこうかなってことなんだけどっつーかまぁ趣味が無さ過ぎるなーってまぁ趣味しかないとも言えるけどなんかないかなーって中でいいですよねこれは。ヴァーチャルからのメタリアル志向のコンセプトにも合致するしね。かといってもおしゃれを極める!ということではないんだよね。おしゃれをするってのは違うんだよな。おしゃれになりたいわけじゃないから。ただ好きなものを極めたい!とか好きなものをさらに好きになって泥沼化させたい!っていう没入感が欲しいわけよね。数奇の極みというやつだけどまさにそれだよね。そんな中でエンゲル係数が異常ってのはまぁ一種のバロメーターなんだよね。まぁ別に必ずしも金をつぎ込む必要はないわけだけどスリリングだよね。本当に。相変わらず自分が典型的な刺激追求型のジャンキーなんだなってことが分かるわけだけど生活の中で追求できる刺激って限られてるもんね。だからやれる余地があるものに関してはやり尽くすに限るよね。


医学とか化学とか生物学とかどうなったのやらって感じだけど(笑)あ、でもまぁ脳とか認識関係の本とかはずーっと読んでるのよねっつーかまぁその別に必ずしも繋げる必要はないんだけど俺が慢性的に刺激を求めてしまうっていうジャンキー気質だとか俺は買い物中毒ではないけど買い物中毒に陥ってしまうメカニズムとかさ、まぁそれって脳じゃん?何かに没頭しつつ「俺は何をやっているのだ」という客観的な目ってのは常にあるんだよね。で、そこでまぁ前にも書いたけどそれに没入したいからそれを買うのかただ買うということに快楽を覚えてるのか?とかっていう自己批判的な観点だよね。で、当然買うことでストレス発散!とかってやってる場合、それは麻薬と変わらないし数奇を極めるということにはならなくてギャンブルとかと同じレベルなんで無粋なんだよね。あくまで粋じゃなきゃいけないわけでそういう凄まじい強度と私生活とかお金の使い方のバランスってのを中庸にならずにエクストリームながらもそのバランス感覚を保ちつつモノにしていくみたいなそんなプロセスを経たいなって思ってるわけですね。


だからまぁ最近は割と楽しいですよ。あとまぁナンパとかどうでもよくなってきたしね(笑)いや、本当にモテとかどうでもよくなってきたんだよね。そんなもんのために洋服買ってるわけじゃなくて「これだ!」というものを身に着けて「おお!」ってなったときの感じとかね、それなんだよね。それが結果的に女子ウケしなくても全然そんなもんは関係ないわけね。っつーかやっぱ基本俺ってインナートリップが好きなんだよね。だからリアル志向になりつつもやっぱり自分の世界を構築したりそこで耽溺するのが好きなんだよね。まぁんでその外部を媒体としたインナートリップの度合いが上がれば上がるほどゲームみたいなヴァーチャルの世界に興味が無くなっていくんだよね。「いや、今はリアルが熱いでしょう!」って勝手に自分の中で盛り上がっていくっていうかね(笑)まぁそこに必ずしも確固たる論理的必然性が無くてもいいんですよ。


まぁ結果的に偶然でまたレコード聴くようになってんでPCの電源ダメになってどのみちレコード聴く以外にないみたいな感じになってきた結果、また見えてきた違う次元みたいなのがあってまぁ偶然的な必然性というかフラッと店に入ったらレコードが置いてあった的な話もまぁそもそも外に出てないとありえない展開だしね。まぁかといっても別にゲームとかヴァーチャルの世界の否定とか「やっぱリアルでしょう!」っていうことではなくね、なんか「やっぱリアルでしょう!」みたいな雰囲気になってるけどまぁそうではないのね。前にも書いたけどあくまでもリアルとヴァーチャルみたいな二項対立が止揚された形での現在ってことだからね。そういう意味でヴァーチャルも内包されてるどころかヴァーチャルこそがコアだったりもするわけでっていうかファッションなんてそうだもんね。驚くぐらいこのファッション=ヴァーチャルみたいな話がファッション関係の言説で出てくるんだけどやっぱそういう意味で必然なんだよね。やっぱリアルだなっつって見た目に気合を入れようとかってことじゃなくてヴァーチャルの深淵からの繋がりなんだなってのをすげー感じるわけね。


まぁ簡単に書いちゃうと例えばまぁ普段着とは違うゴスロリでもなんでもいいんだけど特有の機能性には優れていない恰好をするってのはヴァーチャルだよねっていうか日常の中での非日常だよね。ハロウィンの仮装的な仮想だよね。まぁようはこれって現実を媒体をしたヴァーチャルなんであってさ、でもそれを極めちゃう人って生活までそうしていってゴスロリの恰好が普段着になるぐらいまでいくわけじゃない?それがライフスタイルを規定するものになるわけだよね。ようは世界観になるわけだ。そういう意味で日常というところからの断絶が無い連続性としてのヴァーチャルなんだよね。まぁでもそれが日常化してしまえばヴァーチャルですらも無くなるわけなんだけどそれはまぁ今現在起こりつつあることだよね。PSのVRが来月発売するけどヴァーチャルが生活圏により深く入って来てそれが日常化するようになるっつー過渡期なわけじゃん?でもそれは本質的には例えばファッション=ライフスタイルぐらいのレベルでファッションを実践してる人たちからすればそもそも当たり前の境界線の侵犯なんだよね。それはそもそもそんなデフォでそんな恰好はしてないでしょうっていう意味で素のあんたと違うじゃんっていうところでの差異が規定するヴァーチャルなのかさ、そもそもそういう差異の戯れが現実という構造を作り出しているわけじゃん?っていう現実のある種の一面性なのかさ、まぁどれをとってもそれはとにかくリアルなのよね。それは現前しているということにおいてリアルなんだよね。


そういう境界線みたいなのをどんどん曖昧にしていくっていうかアブストラクトにしていくんだよね。そんな中で欲望とかアイデンティティみたいなのもアブストラクトになっていくし、例えばあまりに日常がつまらないからナンパでもしよう!っていうような抽象度が低いナンパはしようとは思わなくなるっていうね、じゃあ抽象度が高いナンパって何なの?って話なんだけど別に抽象度を上げることで肉欲とかが解消されたりするということではないんだよね。それはそれとしてあるんだけど昇華の仕方が抽象化されることによって多様化するっていうかさ、何もそれはナンパからの射精に限ったことではないっていうね、むしろその抽象性に具体的な性愛の相手っていう具体性が入ることで抽象度に靄がかかるようであればその具体性はいらないんだよね。そういうレベルの性愛は全く意味無いなって改めて思ったってのはあるよね。それは本当に買い物自体に快楽を感じているレベルの低いジャンキー的な消費と同じなわけでそれを繰り返しても何も達成されないし何も満たされないんだよね。もっと根源的にギリギリまでラディカルに攻めて行かないといけないんだよね。そんな中だからこそ抽象性が低い性愛なんて本当にどうでもよくなるんだよね。その結果がまぁ今の着倒れというコンセプトなんだけどね。


なんかまぁここ数日色々と思うことがあってまぁ一気にまた色々と成長した感じなんだけど何分電源がアレなんで本腰入れて書けない感じなんでまぁこの心境の変化というかまぁ発展というかなんというかまぁそういうところも含めてまた改めて書くわ。あとまぁ貼ってるやつの続きもあるからそれもまた貼るけどね。


まぁそんな感じでんじゃまた。