躁鬱奇想天外さんへの返信。その2。

躁鬱奇想天外

 

まさに耳セミさんの言うとおりです。つらいですが、良い契機だと思ってがんばってみます。しかし失恋を初めて経験して思ったのが恋とは一体なんなんだろう、ってことなんですよね。前にウォール伝でも出てた坂口恭平さんっているじゃないですか?あの人は自分の電話番号のっけていのちの電話やってるみたいなんで「失恋で死にそうです」ってことで相談したんですよ。

 

そしたら、坂口さんは「今奥さんが二人いて二人目の奥さんはフィアンセがいたけど俺のとこにきた」って言ってたんですよ。それで不条理だなーって思ってしまったんですよね。

 

なんか宮台真司の奥さんもフィアンセがいたけど、とかって言ってたんですよね。それでまあ坂口さんは自信がすごかったんですよね。まああれだけのルックスと自信があれば二人も奥さんもてるし、フィアンセから寝取れるよなーなんて思ったんですよね。それで思ったのが恋人って友達とは全然違うなってことなんですよ。例えば一緒に住むことになっても友達ならわざわざ生活費を出してまで養おうとは思わないし、いくら親友でも経済的な理由でもない限りいっしょに住もうとはならないですよね。でも恋人は違う。友達だとよっぽどのことがない限り別れはこないですけど恋人の場合別れはつきものですよね。

 

結婚という社会的な契約を結んでも別れる人たちがたくさんいる。友達と恋人という、この二つの間には大きな隔たりがあるなあと今回の失恋を経験して思いました。うまく言語化できなくて申し訳ないのですが、耳セミさんはどう思いますか?

 

 

坂口さんに凸電するぐらいの行動力があれば今後の恋愛は大丈夫そうですね。いや、皮肉ではなくて電話をかけられるなんて凄いな!って普通に思ったからなんですよね。ただまぁ確かに坂口さんも宮台さんにしても元のスペックとステータスが高すぎるので全く庶民の尺度に合わないから彼らの言うことを真に受けてもダメな時もありますよね(笑)このお二方はちょっと庶民から離れすぎているので。

 

で、恋人と友達の違いなんですが、僕にとっては恋愛関係になることが無いだけで人を好きになることはしょっちゅうあるので(笑)といってもマジでってほどのは無いですけども違いは明白なので躁鬱さんにとってそれが明白ではなかったというのにちょっと驚いています。

 

あ、でも一概には言えないかもしれないですね。恋愛経験豊富じゃないやつが色々と言うのはあれなんですが恋愛を死ぬほどしたいと常に思ってるので恋愛について考えることはしょっちゅうなのでそれも踏まえて色々と話しますと、まずその恋人と友達の違いなんですが、先ほど一概には言えないと言ったのは友達のような関係から始まって全く恋愛対象ではなかった相手が恋愛対象になるということもあるからなんですよね。単純接触効果とかってのがありますけどそういうこと意外にお互いを友達として知ることで意外に合う部分が多いとか一緒にいて楽しいとか楽だなっていうことからだんだん仲が深まる場合もあるということですよね。

 

こういう場合、なんとなく上手くいきそうな感じがしますよね。それは一目惚れとかの一時的なドラッグ状態とは違って地に足がついているというか、生活感を共有したりなんかした末に出てくる恋愛感情なんで現実的というんでしょうかね。

 

それに比べて一目惚れの場合、見た目から入りますからまぁとにかく見た目が好きで付き合ってください!といって仮にオッケーでもお互いを知るようになって全然合わないとかってことが後から分かるようになったりして、んでまぁ統計的にも外見的なことって一か月~三か月ぐらいで慣れると言いますしこのぐらいの付き合った期間で分かれるカップルが多いというのもそういう裏付けもありそうですよね。

 

あ、んで経済的なことなんですけどそれはまぁぶっちゃけカップルによると思うんですよね。例えば僕の場合、養ってくれるなら大歓迎ですけど(笑)恋人だから養うという感覚は全くありませんね。そもそも男が払うというのはただの慣習によるものでそれは過去は女性のほうが社会的に不利だったり就職しづらかったりして男のほうが経済的に恵まれている場合が多かったからっていう昔の話で今は関係ないですよね。あと仮に夫婦になったとしても共働きだったりしてんで子供を作らない場合、お互いが経済的に自立をしたまま家計的なところだけシェアしてるということもありますよね。

 

夫婦になると全部お金が一緒になる感じがしますがそれも一概にそうとは言えないですよね。そういうところで言うと逆説的に経済的に助け合う相手だったら友達でもありうると思いませんか?まさにルームシェアとかまとめて買ったほうが安いのを一緒に買うとかっていう助け合いをするとかってのは別に恋人同士だから起こることでもないですよね。

 

まぁでも恋人だからこそもう一緒になるんだ!みたいに思うというのは分かりますしそれは生物学的なことだと思うんですよね。ようはオスの観点から見て自分の子供を産んでほしいし育ててほしいので保護しようとするというか、あとまぁ完全に自分が扶養するということではないにせよ一緒に暮らすっていうことになりますよね。それはまぁ恋愛時のさっき書いたドラッグ状態みたいなもんで、普段は子供なんていらない!と思ってても死ぬほど好きになった女性とセックスしたら理性が吹っ飛んで中出ししたくなるかもしれないですよね(笑)それはもうオスの本能ですよね。まぁそれがあるから人類があるわけでまぁそれはそれでいいんですが、やっぱり恋というのはこういう本能的なものが多いと思いますよね。

 

なんていうか仮に全く自分のストライクゾーンではない女性でなおかつ年齢とかもめちゃめちゃ離れたギャルを好きになってしまったとしてもそれは好きになった場合、もうデフォルトの自分がどうなんてことは関係なくなりますよね。そういうのが吹っ飛んでしまうのが恋だと思うしそういうのが吹っ飛んでいる状態だからこそ金銭的なところでも相互扶助し合おう!っていうまぁ結びつこうとする本能が働くんだと思いますね。そこがやはり友達や誰かとルームシェアして金銭的なところも助け合える部分があったら助け合うみたいな合理性から来る助け合いと自分のためだし相手のためでもある!というような合理性を超えたようなものがあるというのが恋なんだと思いますね。

 

あ、んで書いてて気がついたんですけど合理性を超えたようなものが「愛」ですね。よって友達関係から恋人関係になるというのは友情が愛に変わったということですね。で、恋というのは凄く直感的に「あの子とヤリたい!」とか「付き合いたい!」とか、中身は分からないけど断片的な情報だけで勝手に頭がぶっ飛んでる状態ですね。なので恋と愛は違いますね。

 

モノで言うと恋ってのはスニーカーとかなんでもいいんですが「うわ!これかっこいい!欲しい!」って一目惚れするというやつで愛は履いてみて実際に自分の服装と合わせやすいし機能性も優れててしかも履きなれてきたから愛着が湧いてくるというような感じですよね。だから愛というのは近接性と不可避な感じがします。それと比べて恋は勝手な妄想も含めて勝手に頭がドライヴしている状態なのでさっき合理性を超えたものが愛だと書きましたけど恋も然りですね。

 

恋愛関係のことが不条理なのは当たり前でそれはリアルだからですよね。現実というのは不条理でコントロールしきれないところがあるのでだからこそそういうカオスの中で得られたり調和を得たりすると喜びの体感の強度も大きくなるんだと思うんですよね。そこがヴァーチャルとリアルの決定的な違いだと思います。

 

ただまぁ僕も恋って何なんだろうな?って常日頃から思っているので今でもやはり分からないし経験が圧倒的に少ないのでなんとも言えないというのが現状ですね。やはりこればかりは体感しないとなんとも言えないところもあると思うのでやはり実践あるのみだと思いますけどね。

 

まぁ今の状態で言えばそれは種の保存のためのイニシアチヴってことになるんですが、恐らくそれは経験によってそういった唯物論的な観点はいくらでも変わると思うんですね。そこを「種の保存のため」とかって言い切るとロマンが無くなるし人生のクソゲー化がより進むので僕はニヒリズムからスタートするロマン主義になるんですよね。だからイデアを信じるしロマンを求めるわけですね。それが無理だろうがなんだろうが関係ないんですよね(笑)まぁそもそもロマン主義的なものが歴史的にもニヒリズムから生じているということに生の強度のポイントがあるように思えますね。だから今言えることはずばり恋とはロマン!っていうそれに尽きますね。

 

そんな感じで今日はこの辺で終わりますけどまた何かあれば遠慮くなく質問してください。