スーパーヒーローの超越性。

スパロボ関係の原作なんだけどバンダイチャンネルってのがヤバくてかなりの数見放題で見れるんだよね。しかも月額1080円と来たもんだから「やれやれ・・・」って感じだわ(笑)基本ネット関係の月額系のチャンネルってケーブルとかWOWOWとかが5000円とかもっとしてたけど全部合わせると月に何万以上になってたのを思うと体感すげー安いよね。

 

まぁそりゃ昔とコストが全然違うから安いんだけどさ、それにしてもまぁなんだろうね、ロボットアニメって若い世代にはウケが悪いらしいけどあれもまぁアーカイヴスだよね。図書館に行って「これだけの本があるのか!」とかって感動するのと同じで「これだけのアニメがあるのか!」っていう感じだよね。まぁんでとりあえず求道的にロボットアニメコンプリートを目指すべく色々と見てますよねっつか見過ぎで今見てるのはクロスアンジュダンバインダイターン3フルメタルパニックキングゲイナーって感じなんだけど基本富野由悠季とかがかかわってるやつとかって宮崎駿っつーかまぁあの世代のアニメーターと同じですんげー思想あるよね。

 

今のアニメに限らずっつーかまぁ良いのもあるけど基本まぁエンタメっつーか「こうこうこうすれば楽しいんだろう?」的な単純な感じを満たすっつーかさ、萌えアニメなんてのが最たるもんだし基本キャラ立ちしてるようなのってまぁそういう感じだよね。だからまぁバカにされたりダサい趣味とされたりするんだろうけどロボットアニメとかってモノにもよるけどすんげー設定細かかったり政治がかってて話が複雑で正直、バカには全然理解できないか物語の本質が全然理解できないだろうなってのが多いんだよねっつーかその昔の硬派なアニメって凄いなって改めて思うんだよね。ナデシコの話でも書いたけどSFの設定とかも完全にバカげたような感じじゃなくて結構ガチ科学に近いんだけどでも空想科学っていうただでもベースに科学があるっていうようなところが面白いんだよね。

 

まぁだからそういう意味でキャラ立ちだけしてるような単純なアニメと違って硬派なロボットアニメってマジで文芸だと思ったんだよね。まぁんでそんな語れるほど詳しくないけどエヴァ以降軸が政治とか世界っつーよりも実存になったりするんだけどおちゃらけた感じとかコメディ要素ってのが超絶鬱シリアスなバックボーンに糖衣するような感じになってて中身がすんげー苦いんだよね。ドロドロしててぶっちゃけ救いようがないというかさ、なんかそこでマイブームになってるもの同士を勝手に結びつけるっつーのが癖でもあるんだけど今読んでるサルトルとかカフカみたいな実存主義的な感じに通じるものがあるっつーかまぁ昔の世代の人たちなんてデフォで哲学とか文学読んでるだろうから基本的にリテラシーが高いんだよね。だからそういうのも恐らく踏まえてるというかだからこそあんなヘヴィーなものを描けるんだろうなって思うしね。

 

あとまぁレトロなリアルじゃないスーパーロボット系のアニメを見てて思うのはポストモダンになるかなりかけぐらいの頃に勧善懲悪というか、良い意味で相対化されてない絶対的な正義を描くっていうそれが単純すぎるとアレなんだけどただ結構悪役にも言い分があったりさ、一概に悪役が悪いとも言えるような感じじゃないところで正義とは何なのか?っていうのを描くみたいなさ、ガンダムみたいに露骨に思想臭くないものにしてもそういうフレーバーがあると言えばあるよね。逆にそこは相対主義が行きついたポストモダン以降の不毛なところにアツさみたいなのを注入するみたいな、でも別にアツいロボットアニメってまだ社会がそういうのを信じることができたみたいなところから生まれたわけじゃなくてそれこそ実存的には学生運動やった後でんでも結局何のために生きてんのかな?みたいなさ、そういう境地に至ってる人とかも多かったわけじゃない?

 

そこでなんつーのかね、現代の萌え系の元祖ともいえるような萌え要素とアツいロボットアニメの要素ってのが相対化されてミックスされてるってのがナデシコだよねっていうかまさにポストモダンで作られたアニメって感じなんだけどそれこそ偏見で見た目ただの萌えロボットアニメっぽいからそんな思想があるなんて思えないじゃん?んでも実は超絶的に深いんだよね。若い人から見ればおっさん世代のうざいロボットアニメ論になっちゃうんだろうけど(笑)でもやっぱ根幹は思想ですよね。思想が無いもんってのはやっぱダメだわ。

 

まぁ単純なエンタメってのはありだしさ、それはそれでいいんだけどなんだろうね、こういう王道のロボットアニメを純文学とすると近年のは大体ライトノベルだよねっつってもライトノベルという体裁で実は究極的に純文学的だったりするのもあるしハルヒなんてその典型だけどまぁ別に一概に純文学だから価値が高いとかそういうものではないよね。ただなんだろうね、ジブリのアニメとかって好きでも引かれないどころか「私も好きなんですー!」みたいに好きであることがステになったりすることもあるのに対してロボットアニメのネガティヴな偏見ってやっぱ宮崎勤の影響とかもあるのかな?って思ったりね、なんか昔言われたことあるんだよね。バイト先でガンダムが好きってほどじゃないんだけどガンダムはそりゃ好きでしょうみたいなこと言ったらあなたぐらいの年齢でそんなこと言ってると完全にヤバいやつ扱いされるよ?みたいなことなんだけど
こういう偏見って根強いよね。

 

まぁんでもその後にサブカルってある程度地位を得た感じでそれこそアメトークとかでガンダム芸人とかエヴァ芸人とかエヴァ芸人ってのはなかったか(笑)ただオタクじゃない人が大っぴらにアニメへの愛を語るってことが可能になったみたいなのはあるよね。それでもまだ偏見はあると思うんだけど。やっぱまぁ近年の薄っぺらいアニメと昔の硬派なロボットアニメの違いはやっぱ根幹が物語だったり思想だったりするっていう文学的要素だったのが近年だとキャラとか声優とかっていうような本当に現代的なアイドル的要素っつーのかね?もしくは二次創作へのフラグだらけだったりとかっていう所謂オタクカルチャーだよね。

 

ガンダムガンダムオタクがいるしセリフを全部言えるみたいな人がいるからオタッキーだと思われがちだけど実は文学ですよねっていうね、まぁただ当然昔は分からないわけですよ。スペースノイドだとかジオニズムだとか相当政治学やらないと分からないよね。まぁなんか意識高い大学生ぐらいじゃないと分からないっつーかさ、でも俺にとってガンダムって再放送でやってるアニメっつー認識だし当時はさっぱりその言ってることが理解できなかったりとかさ、ただまぁロボットが出てきて戦うから楽しいから見るみたいなね、あとまぁ学校行く前に朝の7時とかにやってた気がするんだよね。それによって朝7時に起きることを促すことによって登校させるみたいな(笑)まぁその意図はともかくロボットアニメってそういう認識だよね。

 

逆にだからリアルタイム世代っつーともうおっさんか還暦近かったりするわけじゃん?ガンダムとかって。んでああいう世代って革命だとか学生運動だとかってのを知ってたりするから政治的なことにも敏感だったりするじゃん?で、それ以降の人たちってのが脱政治化していったりするわけでだからガンダムの政治臭さってある意味での時代精神っつーかね、ああいう世代特有のものだったりするんだけどそこでやっぱ俺の世代となると相当ギャップがあるんだよね。

 

当時見てたとしてもガキの頃でまずストーリー分かるわけなくてんでああいうのが分かるようになるのって相当政治に関心があったりそういうのやってないと分からなかったりするじゃん?だから相当なインテリカルチャーなんだよね。そういうのとは関係なくキャラとかガンダムの造形とかが好きとかっていう人もいるだろうけどディープに理解するってのはなかなか難しいよねっつーかよくテレビでやってたよなってぐらい深いよね。

 

俺はまぁ攻殻機動隊が死ぬほど好きなんだけどまぁやっぱああいうアニメとか漫画での思想とか政治の濃さってやっぱりガンダム的なところの原型があるわけよね。攻殻機動隊ぐらいになるとさすがにリアルタイムでもまだガキにしても小学校の頃に見てたガンダムよりかは理解しやすいわけでっつってもまぁあれも超絶インテリカルチャーだと思うけどただそこであえてガンダム見ようとは思わないよね。まずインフラ的にビデオで借りなきゃいけなくてガキの頃の小遣いの配分からすると相当なレンタル料払わないと見れないしそこまでして見るのか?って話なのとあとガンダムにそんな難しい思想的政治的背景があるなんて分からないわけでさ、だからまぁスルーするよね。

 

そこで!なんだよね。そこでスパロボってのがあるからゲームってのを入口にそういうまずデフォじゃ見なさそうなようなものに時代を巻き戻すっつーかさ、ガンダムの物語を知ったのもスパロボやったからなんだよね。それですげー凝ってんなっつーかこんな背景があったのか!って分かって意識的に見るようになるんだよねっつっても当時もまだガキでそこまで政治とか知らないからやっぱまだイマイチなんだよね。まぁ面白いけどね。んでまぁだから今なんですよね。改めてスパロボやってみてロボット系のアニメっていいよなーとか思いつつ見てみるか!っつって見てみるとようはまぁ今は昔と違って学があるから色々分かるんだよね。

 

ナデシコのSF的設定も不必要なぐらい凝ったものだってのが分かってすげー関心しちゃうわけよね。だからまぁこないだ書いたけどロボットアニメって基本大人向けっつーのもまぁそういうところなんだよね。アニメっつーエンタメの体裁を借りて実は文芸をやってたり深いSFをやってたりするんだよね。最近のハリウッド映画ではそういうの増えてきたけど言うまでもなくまぁ一部の例外はあるけどAIと人間の心とかさ、宇宙っつーのを舞台にして人類を描くとかそんなのやってたの日本のアニメだけでしょう。

 

そう思うと凄まじい文化的ヘリテージがそこにあるんだなって思うと冗談抜きでこれはリテラシーだなって思ったんだよね。夏目漱石は全部読んだっつーか文学はなぜか読破したっていうとリスペクトの対象になるけどロボットアニメはそうじゃないんだけどいや、ロボットアニメも文芸だなって思うとコンテキストのレベルとして同じだよね。むしろ逆に純文学とかであんなSFと政治が混ざったようなのをやってる人はそんなにいないだろうっつーかあ、そこでまぁアメリカの化け物みたいな昔のSF作家が出てくるのか。結局まぁSFってそういう舞台装置を使ってだからこそ展開できるフィクションのストーリーってのを使って結局は人類とか人間とか人間関係とか政治とかを描いてるわけで基本やっぱ文芸だよね。

 

なんつーかまぁ舞台装置があるみたいな意味でシェイクスピア的っつーのかな。所謂「劇」ですよね。俺は文学とか文芸に関しては相当な音痴だけど最近まぁサルトルとかカフカ再読してるっつーのとあとまぁこのロボットアニメの文学性ってのもあってなんかまぁ普通な意味とは違う意味で文学ってのを掘れそうな気がするんだよね。別に文学読もうと思って文学と言われているものを読まなくても別なものに文学性を見出すってことは可能だからね。というか物語を紡いでいくと自ずと文学的側面が不可避的に出てきちゃうみたいなところかもしれないよね。別に作ってる本人はこれは文学なんだ!なんつって狙ってなくても結果的に描きたい世界とか思想とか物語の背景とかを作ってると結果的に劇というレベルの文学作品になったりもするってことだよね。

 

逆になんだろう、村上春樹とかって何が良いのか分からないから「ブンガクって何だろう?」ってことになったりするけど群像劇とか架空なりSFなりの舞台装置を使って描かれる物語っていうもっと視野を広くすると文学的なものなんて色々あるよね。ただそれは文芸みたいなジャンルに置かれるからこそ文芸と呼ばれるようなものではなくてその文学性を自分で見出すっていう感じだよね。

 

で、それは当然「これは文学です」って提示されてるわけじゃないからそこに文学性を見いだせるか?ってのは読み手のリテラシーと地頭に依存するわけよね。だから哲学と言えばニーチェです!なんつってんでもそれで哲学だ!って思って高校生ぐらいで読んだって分かるわけないでしょう。まぁそれは予備知識っていう学もそうだしなにより人間であることの苦しみとか人生経験から得られるものってのがあるじゃん?

 

だからぶっちゃけ哲学とか文学とかが体に染みて分かるようになってくるのってそこそこの経験を積んだアラサーとか30代以降なんじゃない?って気がしてるんだよね。実際今の俺がサルトルとかカフカを読んで「おお!」って思うのもやっぱ人生経験とか色々考えてきたことの結果なんであってさ、なんか場末感があるかっこいい感じみたいなのでカミュやらサルトルやらカフカをファッションとして読むってのは薄っぺらい大学生がやりそうなことだけど心から読むってのは装飾性も減ったくれもないような実存をそのまま投影するなり実存を感じながら読むんであって本質的に分かるようになるのはやっぱりある程度大人になってからなんじゃないか?って思うよね。

 

もちろん早熟だったり元々哲学病みたいなのを抱えてるやつとかはまぁ俺もそうだったけどそういうやつは割と高校とかの頃に読みだすとは思うけどやっぱり所詮は観念だし経験が伴ってないから実感がそこまで得られないと思うんだよね。色々読んで色々なことに遭遇して考えて経験してきたからこそ分かることってあるわけじゃん?だから薄っぺらい人生送ってたんじゃいつまでも人生は深まらないし実存も深まらないよね。結果的にドープな文芸作品とかに浸かれるってことも無くなるしまぁそんな趣味はいらねーっつーんだったらまぁそれはそれでいいけど悩んだら悩んだなりにやっぱ報酬ってあるもんですよね。より文化的なものに対する感受性や理解ってのを深められるっつーのかな。

 

ただまぁナデシコがあそこまでヤバいとは思わなかったね。所謂、昭和的なスーパーロボット的なアツさってのが相対化されてメタ的に俯瞰されてるんだけど何気に根幹の要素としてポストモダン的な要素の中で展開していくっていうどんだけ凝った設定なんだ?っていうさ、んでも例えばナデシコのDVDなり昔だったらビデオの表紙を見ただけじゃそれはさっぱり分からないしただの低俗なオタク向けのアニメとしか思わないよねっつーかまさにそう思うってのがさっき書いた昔のバイト先で言われたロボットアニメへの偏見なんだよね。それを自分も持ってたからこそ見なかったりするわけでしょっつーかナデシコぐらいになると萌え要素っつーか美少女が出てくるナンパな世界観っていう偏見があってこれってまぁそういうのに情熱を注ぐやつはヤバいやつみたいなオタクへの偏見だよね。

 

そういうやつが幼女を騙して連れ込んでバラバラにして食べたりするんだみたいなね、まぁでもあれなんだよね、文学として見ていたものとかキャラってのがゲームとか他の舞台でも活躍するって変な話、嘔吐のロカンタンとかがカフカの世界にいってKと喋ったりKの状況下で何かを言うみたいなクロスオーバーだよね。文学ってその世界で完結してるって思っちゃうけど何気にさ、ロボットアニメでも結局は実存を描いてたり政治を描いてたりするんだったら登場人物たちは純文学の主人公みたいなもんなんだよね。それが他の舞台の同じくロボットアニメの主人公として出てくるもの同士が抱えてる苦労を話し合うみたいな、まぁそこを深くし過ぎてもアレなんだけどまぁでもスパロボのシナリオの良さってそこだよね。そういうところが上手くクロスオーバーしてると良い印象を受けるよね。まぁゲーム性はいいんだけどシナリオがスカスカなものもあるからね(笑)

 

ただまぁなんつーのかな、抽象化すれば物語は虐げられたもの達とサバルタンの反逆だったりとかまぁそんなシンプルじゃないにしても根幹とかモチーフってそういうのが多いじゃん?んでまぁ例えばクロスアンジュとかを見てて思うのは最初は姫様凌辱!とかレズシーン満載!みたいなビジュアル面でも華やかさで注目度を高めておいてだんだん話がどんどんシリアスになっていくっていうこれもまぁさっき書いた糖衣だよね。物語がどす黒すぎるからキャラとかビジュアルを華やかにしないといけないっていうまぁその辺って商業的なところでもあるんだろうけどでもまたそのギャップがいいんだよね。ただの萌えアニメと思わせておいて話がシリアスってエルフィンリートとかひぐらしとかその辺の名作あるけどそこでシリアスになって見なくなる層は見なくていいんだよねっつーか思想面だけ見たら凄まじい反逆の物語だったりもするわけでああいう思想面がアツくて強いものをただのロボットアニメとして消費するのはあまりにも勿体ないよね。もっと根幹を理解しないとその重要なヘリテージは継承されないでしょう。

 

それこそ根幹はめちゃめちゃsubversiveなものがただのヒーローものだったりロボットモノだったりして無害なものとして消費されちゃうっていうのが凄まじい損失だよね。メインカルチャーってのがあくまで従順な本質的には人畜無害なものを「メイン」として定義するならサブカルチャーのサブはsubversiveのsubじゃないといけないよね。昔のロボットアニメで完全なる正義が正義として描かれていたってのが分かりやすい形で描かれていたとすればどんどん現代になるにつれて正義は曖昧になるんだけど何を持って人間とするのか?とかヒューマニズムとは?とか正しいこととは?っていうことを提示ってほどじゃないけど重要なものとして描いてるっつっても教条的な意味ではないし押し付けじゃないんだけどすんげーオプレッシヴな日本社会っつー中のサブですげーsubversiveなものは常に存在し続けてるってなかなかの希望だよね。

 

ただまぁヤバいのはその反逆とかサバルタンの反抗みたいなのもお決まりの定式として暴れん坊将軍的な感じでいつものパターンっつって消費されちゃうとダメだしそれは思想が無力化されるってことだからね。それはあまりに分かりやすいベタな勧善懲悪の物語ですらもやっぱりヒューマニズムって描かれてるわけじゃん?

 

それはめちゃめちゃナイーヴなんだけどポストモダン以降の何もない世界みたいなところでの座標軸というか起爆点というか言わば「種」ですよね。それを「アツいねー!」みたいなノリでカラオケでテーマソングを歌うみたいな人畜無害な扱いをするんじゃなくて思想としてヘリテージするってことだよね。まぁんでぶっちゃけそれって押し通すとそれこそ好戦的な右翼とかにもなるし反抗的な左翼然りなんだけど何より体制下において洗脳され続けるとか従順であり続けるということに疑問を持たないということのヤバさだよね。ベタに言えばwake up!なんだけどだからこそロボットアニメは現代社会では行使不可能な正義を描いているからカタルシスになっているみたいな面もあるとは思うんだけどなんだろうね、純文学をもってして例えば凄く特定の作家に入れ込んでるんだとすればそういう人間性なんだねーみたいな文化的コンテキストの位置づけってあるじゃん?

 

でもアニメって多様過ぎて曖昧だからね。ただまぁ入れ込んでても普通は偏見としてただのオタクと思われるでしょう。でも分かる人が例えばその人のフェイバリットアニメをあげたら全部がサバルタンの反逆だったりwake up!的なものだったりしてすんげー思想的な人なんだなってことが分かったりもするわけでしょ。まぁただそれがカルチャ的にコンテキスト化されてないからアニメ=オタクの娯楽なんだけど実は違うんだよねっていうか違うものも多く存在するんだよね。

 

そういう意味でさ、合理性とかじゃない情念みたいなものにコミットするっていう意味で反逆系のモチーフ=左翼的なモチーフってことで例えば富野由悠季とかもそうだけど日本のアニメ作家は左翼ばっかだみたいに見えなくもないけど基本は主意主義主知主義か?っつーのが左か右を規定してるんであって基本は正義へのパッションじゃん?だからぶっちゃけどうとでも捉えられるわけだ。226事件は右翼的クーデターとも言えるけど体制から見れば反体制ってことで左翼的とも言えるよね。でもヒューマニズムって意味では右も左も同じでしょう。軸をどう見るか?だよね。

 

最近見た記事かなんかでドラゴンボールがなんで黒人に人気なのか?っつーと異世界から来た人間が凄まじい努力で成り上がっていく姿というのが被差別人種にとってのヒーローとして映るからみたいな評論があったんだけどまぁその論の妥当性はともかくとして確かに構造として日本じゃない国で熱狂的に支持されるっていうか日本でもそこまで支持されてないだろうっつーのが他国とか異文化で評価されたり国民的なものになったりするってのが結構あったりするじゃん?

 

おしんが途上国で支持されるみたいな現象なんだけどまぁようはさ、それがリアルなものであれドラマであれ喚起されるものってことだよね。あとまぁなんだろう、黒人にとってのカンフー映画とかもそうなんだけど、それで言うとウータンなんてぶっちゃけマジンガー一家っつー名前でラップユニット組んじゃったみたいな話でさ、それは黒人文化での独特なヒップなものとしてのカンフー映画ってのがあるわけじゃん?

 

そりゃカンフー映画作った側も全く意図しなかったような受け入れられ方なんだけどまぁ仮にさっきのドラゴンボールじゃないけどカンフー映画なんかも成り上がるってこととか修行して修錬するっていうことってのが抑圧されてる側としての理想的な成り上がり方みたいなのを体現してるみたいなのがあったりするわけだよね恐らく。


まぁそれもようはメインカルチャーへのアンチテーゼとしてのサブカルチャーだよね。でも別にそれは対立しあったりするわけじゃないんだけど本質的に敵対関係にあるっていうかね、簡単に言っちゃえばメインカルチャーって所詮は基本金によって規定されてるものであるのに対してサブカルチャーはインディペンデントなんだよね。それ自体が自律してメインカルチャーとは関係ないカルチャーなり思想を生み出していくっていうね、元が別にそういう思想的なものじゃないにしても結果的にそんな感じになってるっていう意味でのsubだよね。

 

何もかもが白けてるような現代にっていうかこないだ砂漠のリアルって書いたけどそんな中でスーパーロボットアニメを見てると大事なものを取り戻した感じがするんだよね。このプレモダンなナイーヴなまでのアツさと正義だよね!っていうね、これぞ日本の思想じゃねーか!って気がついて勝手に興奮してるんだけど(笑)ちなみに龍が如くなんかはスーパーロボットの人間バージョンといった感じだよね。構造は一緒でモチーフがヤクザとかっていうだけで基本的なアツさは同じだよね。ああいうアツさなんだよね。漢らしさみたいなのともセットだけど別にそれはマッチョである必要はなくて確固たる信念をもってそれをプリンシパルとして行動するみたいなところじゃないですか?

 

そういう意味で今の日本人が忘れてるようなプリミティヴな正義感とか正義の感覚ってのを感じるよね。それで言うと俺は昔から任侠映画が好きなんだけどそれもまぁなんつーか損得じゃない内発的なヒューマニズム的な正義とか行動っていうところだよね。もちろんそれは暴力とセットなんで社会的には正義とは言い切れないんだけどでもそんな理屈じゃない正義っていうか正しいあり方ってのがそこにあるわけよね。それはすげー日本の戦前の右翼思想とかに繋がるものがあってんでもそれって三島が学生運動やってる学生たちとの討論で君たちと考えていることは同じでただ違いは天皇制だけだなみたいなことを言ってたってのがあるけどそういうパースペクティヴの違いだよね。

 

国家感の違いっていうかさ、んでも何が何でも正義は通さなきゃいけないっていう道理みたいなのは同じだよねっつーかまぁイデオロギーとか運動自体が金になるとか生きがいになってるみたいなのとは違うプリミティヴな正義っていう意味で右も左もないでしょうってことだよね。変な言い方になるけど右翼的価値観というのに右も左もないんだよね。それこそ日本で任侠っつーと右って感じがするけどそんなの文化によって全然変わるからね。どこどこだとどういう思想を持ってこういう運動をしてる人たちは左と呼ばれるとか全然相対的なんだよね。

 

ただなんかそういう文化とかを超えたところだよね。究極的な右ってのはね。超越的というかまぁ実際にヒーローってそうじゃん?ロボットにしてもSFにしてもね。象徴的なのが映画の凶気の桜の序盤で山口が子供の前で飛び蹴りするときに一瞬仮面ライダーが出てくるじゃん?そういうのをヘリテージしろよっていうところだよね。それを山口が子供に言うっていうのが本当に象徴的だなと思って。

 

なんかやっぱさ、いや、ある意味俺は世代を超えて昔のスーパーロボットとかの思想を文化として受け継いでる最中なわけだけど間違いなくこれって日本的なものだよね。日本的な文化で日本的思想なんだよね。でもそれってのが一般的には左翼的と言われるアニメ作家達の作品ですらも凄まじく日本的なわけでさ、「日本的」というところに右も左もないんだよね。

 

なんかあんまりまとまらないんだけどまたなんか続きあったら書くわ。んじゃまた。