ロボアニメとナショナルなもの。

スパロボやり過ぎでちょっと飽きてきたからなんか他のを挟もうかなと思いつつPS3スパロボっつーかPS3自体持っていたことがないんで買ったんですよねっていうか中古がめっちゃ安くてソフトも大体ワゴンセールみたいな値段なんで本体は中古でもとりあえず何本かやりたいやつやれたらいいし使い捨てみたいな感じでいいかなと思ってっつーかこれでデモンズソウルとかもやれるなーとか思ったりあとsirenのリメイクとかね。まぁ届くのが楽しみですよね。

 

んなわけなんだが世間的な意味とは違うけどまぁある程度の文化的生活をしてると孤独は感じないよね。常にやることとか読むものとか見るのがあってかといってもそれを消費するだけというよりかは愛でる感覚を涵養するというか、ロボアニメに目覚めたのも文化を愛でるっていうところの一環でもあるしね、そんなわけでそろそろクリスマスなんだけどクリスマスを恋人と一緒に過ごしたことが無いというよりそもそも恋人っていたのか?っつーレベルで付き合いが無い俺としてはシングルがデフォだからもはやシングルであることに何も感じないどころか恐らくこれで色々他の要素が入ると全部自分のやりたいことリストの予定とか狂うから完全に無理だなとか思ったりして、やっぱりなんか人と接しなきゃいけないとか恋人を作らなきゃいけないなんてのも固定観念なんだなって改めて思うんだよね。

 

間違いとかじゃなくてなぜかアプリオリに良いとかしなきゃいけないとか人としてそれは普通だ的な発想ね。でもそれって人によるだろうって思うんですよね。ただでも外に出ることは必要なんだよね。グルメを究めたりとかファッションなりどっかに出かけるってことは必要だよね。それってやっぱ涵養だし経験だもんね。別に一人であるからといって引きこもる必要はないよね。

 

ただなんだろうこの引きこもるという概念ももはや意味をなしてないっていうか外出しない若者が増えているとかっていう記事とかたまに出るけどそりゃそうだろうなって思うんだよね。金がないというのもあるけど昔ほど出る必要が無くなっててまぁいつも書くけど俺は外に出たくなくてもなんか新しいCDとか映画とか見ようと思ったらレンタルにせよ買うにせよ外に出なきゃいけなかったわけなんだけど今はそれがないからね。なんでも通販で済むしそれこそ都市型生活みたいなのを謳歌してる実際のネイティブの都会の人なんてあんまいないんじゃないか?って思うんだよね。

 

こないだ久々に週末に渋谷に行ったんだけど色々と待ち合わせしてる人とかそのままナンパしてホテルに直行したい!って思うような子とか色々いたけど一体都市で何をやるのかな?っていつも思うんだよね。もはや街の特徴とかって無いし渋谷もただ一つのタウンになってるしそれで言うと他もまぁ同じようなもんだから本当に行くところが無いというかさ、飯とかもぶっちゃけ俺の場合、地元がすげー充実してるから他のところに行って食べるみたいな感じでもないし別に都市部だから良いところが多いっていうわけでもないし本当に都市ってどうなるんだろうな?って思うんだよね。

 

渋谷にしても原宿にしてもまぁどうしても俺はCDとか洋服目線になっちゃうけどそこでしかないセレクトショップとか頑張ってインディーズのアパレルブランドが店出しました的な感じのとかまぁ都市固有のものってあったわけじゃん?レコ屋なんかでもそこでしか手に入らないブートのミックステープとかCDとかもあったしっつってもまぁ別に今はね、そういうのがネットにアップされてたりするから全然今の方がいいんだけどまぁ都市の必然性みたいなのがあったと思うんだよねっつってももっと昔を知ってる人から言わせれば俺が渋谷とかをウロウロしてた時代ですらももはやつまらなくなっていたらしくてさっつってもまぁ渋谷行く度にすげー変なんだけど残念というか完全に死んだなー渋谷って思うんだよね。

 

所謂、その最初に書いたような文化ってのが街とリンクしてたっていうようなことがあってそこに行くこと自体が文化に接するみたいなきっかけになったりもしてたんだけど今は良い意味でまぁネットでどうとでもなるから特定の場所に行かないと手に入らなかったり触れられないものってのがそんなに多くはないよね。うちの妹は俺みたいにあんま外に出ない割に俺以上の衣装持ちなんだけど買い物はほぼZozoだしんでもやっぱ直接行って買う方が色々と発見もあるでしょうって思うんだけど本人曰く触れられる絶対量が違い過ぎて比較にならないらしいんだわなって確かにそうだよね。まぁその辺の書店とアマゾンの差みたいなもんだからね。どういうのを見たいのか?っていうこっちから検索していける情報があればデータベースそのものにアクセスしたほうが便利っていうのと同じだよね。

 

どういうのがあるのか分からないから見に行くんじゃなくてどういうのがあるのか知ってて好きなブランドとかも固まってる場合、小売店じゃ物理的に一日じゃはしごできないようなのも一瞬でアクセスできちゃうからそりゃまぁ便利だよなって思うんだよね。古着屋とかにしてもいちいちネットに載せるほどじゃないようなもんでも全部ネットに載ってたりするし行こうと思っても行く前から店頭にあるやつ大体チェックできちゃうから興味無かったらすぐ興味ないって分かるしそれで行かなくなるよね。

 

なんかだから都市ってただうろつくだけのようなものになってるっつーかまぁそれはニューヨークも同じだったけどねってまぁいつも書いてることと同じになるな。慣れちゃうと本当につまらないしニューヨークの雰囲気とか都市の雰囲気ってまぁ最初だけだからね。それが普通になっちゃうとただの近所っつーかさ、何にも感じなくなるもんね。なんかでも本当に渋谷のあたりってなんかあの辺一辺同じになってるっつーか昔はその地名と共に街の個性みたいなのがあったけど今は周辺の場所も含めたところが合併して同じ都市になりましたみたいな感じだよね。どこ歩いても同じ。んであるのは大手のチェーン店ばっかっつーまぁただこの辺は飯という角度から打破できるかな?とは思っててね、飯のジオグラフィーを形成していけばまた違ってくるかもとは思うんだけど別にそれって都市である必要はないしそれこそ地元でうまい店があればそれで終わる話だしまぁなんかでもすげーつまんねーなって思うんだけどね。

 

外出離れってまぁ貧困化っつーか金無いっつーのもあるけどやっぱ都市が形骸化してんのと別に出る必要もなくなってるっていう理由もあってお金だけの話じゃないよね。ぶっちゃけ金あっても買おうと思うようなものがネットで手に入ったりネットの方が色々と在庫とかも多かったり値段とかも比較できたりして一概に金だけの話じゃないなって本当に思うんだよね。といってもまぁそれは便利になったっていうことだから良いんだけどね。

 

まぁんで「ヤリてー」と思う子ってのは必ずいるもんでまぁ性欲センサーは正常なままなんだけどまぁこれもなんつーかブラックボックス化してるっつーかさ、ナンパっつーやったことない領域を夢の国みたいに夢想してなんかすげーエキサイティングなもんだと勘違いするっていうただの錯覚なんだよね。知らないものが面白そうに見えるという錯覚なんだよねってのが分かり切っているから燃えないんだよね。というかそれで仮に見た目が良くてもすんげー音楽の趣味悪いとかクソみたいな映画を名作だと言ってるとか、別にヤルだけだったらそんなの関係ないんだけどやっぱり嫌だよねそれって。ファッションセンスって意味だとナンパしてる時点でそれはある程度見極めてるわけだけどまぁでもすんげー一張羅着てて張り切っててんでも普段のセンスゼロって場合もあるしね。盛ることなんていくらでもできるわけだから。

 

んでもなんかこれも飯と一緒で経験したうえで飽きたとかもういいやって言えなきゃダメだろうとは思うんだよね。ニューヨークにしても経験したから言えるんであって都市部ってそういうもんだよねっていう知識だけで言うのとは違うからね。だからどの道飽きるにしてもやっぱ経験したいとは思うんだよね。最近は本当に自問するばかりだよね。来年あたりに仮に死ぬとしてまだやりたいことは残ってないか?ってひねり出してる感じだよね。それで言うとやっぱセックスって残ってるよねっつーかそれのみかもしれん。

 

いや、ぶっちゃけ今年もそろそろ終わりなんだよね。今年はなんでしょうね、弓に目覚めたのがちょうど去年の年末ぐらいだから一年か。なんかまぁ毎年年末になんかねーかなーっつってなんか目覚めて次の年それ一色になるみたいなパターン多いけどロボアニメって結構デカいよね。ただまぁこれも本当に日常化しつつあるんだよね。当たり前のように存在するものになってるんだよね。まぁこれはこれでいいんだけどさ、あとまぁあれだわ、本も読んでなくもなくて最近はまたね、保守というかまぁ日本の右翼関係の本を読んでるんだけど右翼っつーとアレだけど葦津珍彦とかね、だいぶ昔に一冊だけ買って読んだんだけどそれをまぁ出てるやつ大体買ってこないだも電車で読んでたかな。あとまぁなんかサルトル存在と無オントロジー関係がロボアニメに変わったからそんなにホットじゃなくなってきててっつーかやっぱより日本ってことを考えたいなっていうことにシフトしてるよね。だからまぁそんなに精読しないでササッと読んで終わりでいいかなとかって思ってるんだけどね。

 

あとあれなんだよね、保田與重郎だねっつーのは日本人のエシックスみたいなのが論理や表面的なものとかではなくて根源的な文化とナショナルなものに源流があるとするようなロマンっていうかまぁそれが日本の浪漫派だったかはともかく俺が最近ロボアニメで言ってることってつまりはこういう浪漫派的な主張なんだよなーって思ってそういえばこの辺の重鎮と言えば保田與重郎だけど昔何冊か買ってレトロな日本語で読みづらくて挫折したんだけど今なら余裕だろうと思って読んでるんだけど結構面白いんだよねっていうか危機感が凄いんだよね。

 

それも踏まえて橋川文三の日本浪曼派批判序説を読み直すのもいいかなっていうかすんげー昔に買ったんだけど保田與重郎を恐らく同時期に買って読まなかったから元ネタ知らないからイマイチ内容が頭に入ってこなかったんだけど今保田與重郎を読みつつまた読んでみるのもいいかなと思いつつただ俺が今感じるのは浪漫派が抱いていた危機感と現代へのアンチテーゼとしての反近代っていうのはその時代に流行った思想とか結果的に侵略戦争なんかにも繋がったっつー歴史的帰結とは別に見るべきだと思ってて、それは伝統への回帰というよりかは伝統とは知らずに当たり前のようにエシックスとかハビトゥスの一つとしてあるようなものが実は伝統によるものだということを再認識して再評価するということなんだよね。

 

そういう意味でロボアニメのああいう形式って極めて日本的じゃん?で、なんでああいうのが生まれてくるのか?ってロボアニメの大半は戦争反対だったり左翼っぽかったりするんだけどそれを踏まえても右翼左翼を超えた日本っぽさがあるっていうところにナショナルなものを感じずにはいられないんだよね。それは昔はテレビってのが大衆の当たり前の娯楽としてあったときはそんなのを意識することもなく当たり前にテレビで放映されてたようなものなんだけどこうやって今みたいに文化を相対化すると相対化されたロボアニメってのが出てきて、んで俺みたいな思考だとそのロボアニメに浪漫的な伝統的な意味での良い日本を感じずにはいられないっていうところがあるわけなんだよね。

 

もちろんでもそれは一方でそういう日本的な部分があるからダメだっていうところもいっぱいあるしっつーかまぁ元々俺は度が過ぎた左翼だったからそういう日本批判ばっかしてきたしそういうのは知り尽くしてる感があるから今はっつーかだいぶ右寄りになってきてからは良いところにフォーカスしつつ実存的な意味でも政治的な意味でも絶望感を与える絶対的な相対化に抗えるものとしての根源的なナショナルなものっていうところを無理にでも掘り起こそうっていう感じになってるってのが実はこのグローバル化もさることながら絶対的相対化に抗える方法であってレジスタンス的でもあるんだよね。なんかまぁロボアニメに繋げるとコードギアスのゼロとかすげー近いかもしれない。

 

前も話したけどさ、アメリカにいたときにアフリカンアメリカンとプエルトリカンの元軍人同士と飲んでた時にアイデンティティって話になってまぁんでプエルトリコなんつーと色々と混ざってて何に帰依すればいいのか分からないっていうようなことを言っててまぁそれはアフリカンアメリカンもそうだしまぁ極端な例になるとアフリカ回帰とかになるけどそんなのはバカバカしいみたいなことを言ってて、まぁんでビルは日本人だからそんなのないよなっつーか俺らからしたら何千年も続く文化で断絶がなくてそのままそれがカルチャーとしてヘリテージされててそこに帰依もできるみたいなホームグラウンドを持ってるなんて凄いことだみたいに言われたのが今すげーフラッシュバックしててさ、でも結局現代日本だとそういうのがあるのに分からなくなってたり左翼的過ぎる教育によってナショナルなものが教えられなくなったりそれそのものが国粋主義的で危ないもんだみたいな刷り込みがあったりとかってのもあって結果的に文化的なアイデンティティみたいなのが断片化しちゃって相対化していき場所がないみたいなさ、そこでまぁネトウヨ的な安易な右翼になるのは簡単なんだけどまぁそれってアイデンティティがグラグラな元々ダメなやつがなるようなものじゃん?

 

あとまぁ知的レベルとかだよね。まぁそれは反日思想にべったりな韓国人とか中国人も同じだよね。別に全員がそうなわけじゃないからね。ただまぁ民度が低い人がそういうヘイトとか攻撃的なものに感化されやすいっていうことなんだけど、まぁそこで真にナショナルなものっていうとやっぱり日本の場合、情緒とその文化への愛だよね。

 

それがまぁつまりは愛国なんですよね。で、その系統にあるものは伝統的なものではなくても極めて日本的な土壌によって生まれてきたものとしてはつまりはそれもナショナルなもんなんであってロボアニメはその最たるもんだと思うんだよね。あとまぁあれは問題なんだけど風俗の求人のバーニラバニラバーニラとかって流しながら走ってるトラックあるけどああいうのも本当に日本的だなっていうかなんかすごく愛しく思えるんだよね。他の国にないもんね。あんなの。

 

あとああいうのが出てくる土壌が無いしどう間違えてもあんなトラックが走る国はあんまりないだろうって思うと凄く異様さと特異さを感じるんだよね。むしろそういうのだらけなのにイマイチグローバルなものとか生活とか国力みたいなところに反映されないって言うようなもどかしさがあるんだよね。異様で面白いんだけどそれで終わっちゃってるっていうねっつっても別にそこが必ずナショナルな国力に繋がる必要もないしっつーかそれやりだすとどんどん国粋主義的になっちゃうからまぁ今は今のままでいいのかなと思ったりね、でもまぁリアルな意味でのナショナルなものって似非右翼とかネトウヨみたいなのの影響もあって右翼自体がよりダサくなっちゃってるっつーかんでもナショナルなものに価値を見出すって右も左もないじゃん?そういう意味での真にナショナルなものを自分の血肉だと思えるような思考の形成をしたいって思うんだよね。

 

まぁそんな感じですね。んじゃまた。