精神浄化のプロセス。

弓こねーかなと思いつつまたゲーム癖が出てきてっつーかSniper Elite4買ったって書いたっけ?あ、んでまぁクリアしたんすよね。あっという間だわ。んでもうしょうがないからGhost Reconも買ったんだよね。まぁ別にどの道買うわけだしって思ってたらまぁーこれが神ゲーだのなんだのって。スカイリム並のオープンワールドっぷりでなおかつすぐ終わらないっていうね、いろんな場所に武器のアタッチメントとかが散らばっててさ、それ探すだけで楽しいのね。例えばスナイパーライフルは初期だとAcogみたいなサイトしかなくてロングレンジのがだいぶ奥のほうっつーか難易度が高いエリアに散らばっててさ、まぁそういうのを集めるのが楽しいですな。


んでまぁロングバレル手に入れてんでレベルあげてサプレッサーのダメージ低下無しにすればこっちのもんだな!とか思いつつさ、んでもまぁなんかSMGがクソ強いんだよねっつーかP90のバーストがほとんどリコイルゼロでなおかつ遠距離もそこそこイケて当然フルオートにすれば近距離も強いしこれで足りちゃう感じなんだけどまぁでもクエストごとにいろんな武器を試しつつやるってのが楽しいね。まぁ最初はガンガン進めててさ、ドローンとか使わないで近距離でやってたんだけど難易度が高いクエストとかになるとさすがに近距離のごり押しだとすぐ死ぬっつーかアドバンスドの難易度でやってるからっつーのもあるんだけどヘリとか増援呼ばれたらなかなか終わりな感じでさ、まぁそういうのも殲滅できちゃったらつまんないよね。だからこそまさにGhost状態でReconしながらサイレントにやるってのがベストな作戦になるわけなんだけどまぁでも自由度高いよね。別に正面からラウドにLMGとか乱射するのもありだし開発者も語ってるけどスクリプト化されてない自由度があるんだよね。


まぁやることは大体一緒なんだけどただクリアするだけじゃなくて毎回まぁいろんなやり方を試すっていうさ、まぁぶっちゃけ高難易度でもドローン飛ばしてシンクショットしちゃえば大体クリアできちゃうんだけどなるべくシンクショット使わないで自力で敵を落としていきたいよね。まぁなんかおっさんの人生のオワコン化じゃないけどさ(笑)なんかで読んだけど大体のおっさんが毎日つまらないと感じてるらしいけどまぁ自由人の俺ですらもそうなんだからなかなか人生の病理は深いよね。だからこenjoy a little thingsってことになるんだよね。だからまぁゲームにしてもただ淡々とやるんじゃなくてどんどん面白さを引き出していくっていうクリエイティブにやるんだよね。んでまぁたっぷり時間をかけて骨の髄までしゃぶりつくすほどやり尽くすっていうね、まぁこれしかないよね。マジで。


んでまぁある程度やったら「罪を感じるほど楽しみ過ぎたから今日はこの辺にしよう」っつってあとは映画見たりんで酒飲んで本読んで寝るみたいなね、別にまぁおっさんになるつもりはないんだけどまぁでも年齢を重ねるとこうなりますよねっていう(笑)まぁでも落ち着いてていいんじゃないかしら?とは思うよね。一方で極限を求める!っていうのを弓でやれてるしあとはまぁマーシャルアーツ全般だなーとか思ってまぁダイエットにもいいしっつーかだいぶ腹の肉落ちてきたよね。甘いのやめて食べるの減らしてまぁリフレックスもなるべく飲まないようにしたら体形戻ってきたでござるよ。七福神の布袋さんみたいな腹になってたからね。なんで「七福神の」って言わなきゃいけないか?っていうと「ボーイの」っていう布袋さんもありえるからだよね。でもまぁボーイの布袋さんはロックンローラーで腹出てないからだからまぁこの場合の布袋さんと言えば七福神だなってわかるんだけどそのプロセスを経ることなく最初から七福神って言っておけばボーイの布袋さんとの混同が避けられるでしょう。


まぁーでもなんかね、マジでまぁあれだわ、薬戻したからってのもあるんだけど性欲ゼロだね(笑)天然オナ禁になっててなんかまぁいいんじゃないかなって思うけどね。ただまぁ物欲は凄いよ。もうお買い物行きたくてしょうがない。服なんてほとんど着ないって裸ってわけじゃなくてね、まぁ外出ないから服着る機会もないんだけどまぁでも本当に数少ない楽しみなんですよね。目指すはローラ!っていう意味分からないコンセプトもあるわけだしこれはこれでいいよね。まぁただでもさ、なんかもっと楽しいことがあるに違いない!っていう青い鳥症候群とかにはもうならないにしてもまぁでも現状の快楽を維持するために現在の生活をキープすることの大事さってあるよね。


今はまぁ言っちゃえばそこそこ幸せなんだよね。つまんないけどやりたいことやれてるから楽しい!っつー実感はないけど客観的に見れば幸せじゃない?って思うわけよね。あとあれなんだ、小説を読もう!って思ってまぁ結局読まなくなったけど(笑)山本周五郎の時代物っていうか弓関係の本探してて短編で弓に関するやつがあるのがあるんだけどやっぱ時代物っていいよねっつーか昔時代小説を読んでたのを思い出したけどなんかさ、まぁクラシックな人情の話が多いんだよね。山本周五郎ってね。臆病な侍といっても勇敢な侍じゃできないことが臆病な侍ならできるでしょう的な話とかさ、そこそこブルージーで人情なんだよね。


ただまぁなんか人情で思い出したけどって思い出したってことでもないんだけどまぁ絶望的に人生がつまらないからこそ楽しめそうなことは死ぬほど楽しむってのとまぁ100パー以上楽しむみたいな感じだよね。ただ何かをやってるだけとかゲームやるだけってのはただの消費で能動的に楽しむっていうのがまぁパワーのいることだけどさ、まぁでも自分がパワー注げるのって楽しいことだけだからねーってことを思うとそういう「どうせつまらぬ」みたいな認識があると例えば弓なんかにしてもさ、「ある程度できちゃったらどうしよう!」なんて思えないぐらいの深みを目指すと終わりがないじゃないですか?それは極めよう!みたいなパワーっつーよりかは基本つまんないよねっていうところから来る能動的に取り組めていることは徹底的に極め尽くすっていうようなエネルギーが生まれてくるんだよね。まぁある意味でのハングリー精神だよね。強度に飢えているっていうことだよね。


結局なんつーかデフォだとどうしようもないけど能動的に働きかけることで全く違ったものが見えてくるっていうことじゃないですか?それってやっぱ普通にやってるだけじゃダメなんだよね。なんか物凄いものを渇望するというような欲望が無いとダメだよね。別にまぁ弓やって何になる?ってことを言いだすと別にゲームにしたってゲームのスキル上げたところでどうにもならないわけでんでもそこですんげー時間を費やすことで超絶的なスキルを得られるってことになるとやっぱゲームより武道とかになるよね。弓のスキルが超人的!ってそれだけで楽しいよね。


まぁ格闘技とかは対人やらないとダメだし知識だけじゃどうにもならないからやっぱまぁ一人で取り組めることだよねっつってもまぁ中国拳法と合気道はやりますけどもね、まぁ剣術にしても型できても対人どうなの?ってところになっちゃうんだよね。んで対人なんつっても切り合いするわけにもいかんだろうってことでまぁそこが現代の限界っつーかまぁ昔もそうだったのよね。剣術極めたところで世の中平和だからスキルを振るう場所がないっていうね、だからまぁ剣術やってるなんていうと怪訝な顔されるみたいな余裕でまだ侍とかがいて帯刀とかしてた時代ですらこれだからね。


まぁだから別になんつーかそれってテイストの問題で実益云々じゃないよね。やっぱその極みが茶道だよね。あとまぁ幽玄とか雅とか粋とかっていうような日本独特の概念ね。ここにある種の自分のテイストの答えがあるんだよね。客観的にどうとか実益どうのじゃない主観的なテイストの問題だよね。んでまぁそれって行きつくところはやっぱり快楽だし官能だよね。それはまさにリビドー的なものが他の形になって昇華するというようなカタルシスだよね。言わば道を究めるというところに付随する精神の浄化作用だよね。それがまぁ例えば酒飲んだら肝臓が体を浄化するように精神も言わばいろんなコンポーネントからなる内臓みたいなもんだよね。そういうまぁなんか必要不可欠な新陳代謝だよね。それはなんかこうすればいいみたいなマニュアルがあるわけじゃないしこういうところでハマれて結果的に人生の幸福度っつーかクオリティーがアップしますみたいなことって本当に個人的なことでなおかつその人の歴史に根差してないといけないから「これ!」ってのがあるわけじゃないよね。んでもそういうのが簡単に分からないからこそ追い求めるっていうかそれは快楽を追い求めるとかっていうことじゃない精神的な昇華を求めるっていうことだよね。


結局それはいつも書くように抽象性の最たるものみたいなことでもあるし具体的なモノとか刹那的な快楽に身をゆだねるだけじゃ得られないようなものだよね。具体的なものであればあるほどそれは低俗なものでしょう。それは精神性の高級さだよね。別にだからセレブみたいな生活を送ることが高級ってわけじゃないんだよね。ただモノのクオリティが上がるだけじゃたかが知れてるしそんなもんで精神的な高みは目指せないわけでやっぱ精神の高潔さですよね。そこをなんかつまらないっつって燻るんじゃなくてひたすら人知れず磨き続けるっていうさ、まぁヴァーチューってそういうことだよね。まぁでも究極的なところで言えば心の底から満足できるようなものってのは具体的なものには内在してないってことだよね。それは抽象性の彼方にある観念的で精神的なものなんだよね。


でも普段やることなんつったら具体性があるものしかないわけでんでもそこで抽象的にアプローチしていくってのも言わばさっき言ったゲームの奥深い楽しみ方なんかにしてもようは抽象性を高めてゲームをやるみたいなことだしまぁそれはもちろんゲームの種類にもよるんだけど普段からまぁ癖のように抽象性を知らず知らず高めてしまうみたいな手癖みたいなもんでさ、それが作為的ではない自然の精神の反射運動みたいな感じになってると言いわけよね。それはまぁ具体的過ぎるものからなるべく身を遠ざけるっていう仙人みたいなモードが必要なんだけどでもそれは世捨てとは違うからね。厭世的になってそうなってるわけじゃないわけで。


なんかまぁいろんな意味でこのままじゃヤバい!っていうのがあってさ、でもそれは結婚してないだとか社会的地位が無いだとかそんなことじゃないんだよね。そんなもんは本当にどうでもよくて具象の世界にとどまっている限りこの苦しみは永遠に続くっていうことなんだよね。だからこそ解脱のための抽象性が必要になるっていうそこがやっぱ精神性とかっていうところに繋がるわけよね。まぁ別に具体的なものを捨てるわけではないんだけどより抽象度が高いものへと比重を高めていくっていうかさ、それは例えば数学みたいに対象自体が抽象的なものということではなくて自分が抽象化をする対象となって人生を生きるっていうことなんだよね。


まぁそこでなんつーのかな、何かと言うとなんでも哲学的概念に置き換えたりそれで考えたりすることが多いんだけどそれをやめるっていうことだよね。まぁもちろんさっき書いた日本的な諸概念には依拠するけど自分で抽象化するわけよね。んでまぁ結果的にそれがなんかの哲学とかに似ててもまぁあんま気にしないっつーかさ、西洋哲学ってやっぱ限界あるよね。あれに依拠してる限り所詮はあんな感じで終わっちゃうんだよね。諸悪の根源とまでは言わないけど守破離の離の段階なんだろうね。今の俺は。でもより何かを深めたい!っつって知識ばっか身につけてても意味なくはないしまぁある程度の知識があるから今みたいなアプローチができるようになっているというのはあるにせよ「深めたい!」と思ってそれが読書に行くっていうパターンをなくしたいよね。


そうじゃなくて能動的に自分が抽象化するんだってことだよね。自分で人生をやるみたいな感じか。なんかの概念に依拠してる限りそれは所詮有限の代数みたいなもんだからね。そうじゃなくて数で言えば無理数だよね。irrationalなものだよね。賢い意味で分別をしないということだよね。んで全てが抽象化されてとろけちゃうみたいな凄く概念的に実数に近いよね。カントール的な世界観だね。まぁ一歩間違えると完全にスキゾになるけどそこはまぁやっぱ持ち前のありすぎる理性のおかげで良い均衡が取れるんだよね。そういうある種の狂気と理性の間みたいなところだよね。でもそれは具体的に示せるようなものではなくて凄くirrationalなもので言語化が難しいような、精神的な行為そのものに内在するようなものだよね。まぁそれは言葉にしづらいから誰かと共有したり言語化できるようなものじゃなくても自分の中にそれが存在してればいいんだよね。それをどんどん耕せばいいわけだ。


まぁそんな感じですねっつってもまぁ五里霧中な感じではあるんだけどもまぁ今日はこの辺で。