休題しない閑話が眠気と共に休題。

Sound Studiesみたいな本を読んでるって書いたけど大体くだらないのばっかだったなっつー感じで残りは適当に読んで終わらせてるんだけどまぁ典型的なカルスタっつーかマクルーハンがどうのとかあと全然大した人だと思えないジャック・アタリが特にノイズに関する言説に関しては中心みたいになってるような感じとかまぁとにかくくだらないんだよね。

 

それがどうっつーよりただバタイユだのドゥルーズだのベルクソンだのってのを当てはめてるだけっていうかあとまぁラカンとかも出てきたりするしああいう界隈のライター崩れみたいな学者が書くくだらない論文とかの典型で佐々木敦とかと基本的に変わらない感じだよね。あああれあれ、池田亮司とかを0と1の間で・・・みたいな感じで真剣に評論しちゃうようなバカさ加減ね(笑)

 

なんか相当無理があるものでもドゥルーズとかベルクソンとかバタイユとか出しておけばとりあえずオッケーっつーか出してくる必然性が無いようなもんを無理やりくっつけるっていうかさ、哲学じゃなくて哲学学だよね。こういうのは本当にくだらない。変な話、ノイズなんてただの音のジャンキーみたいなやつが適当に出した音を音源化しただけかもしれないのにそれをポストモダン哲学とかで分析するとか本当にアホでしょう。

 

そのデジタルクリップが意味するものとは?とかもう書いてて虚しくならないのかな?って思うんだよね。まぁ若いうちはそういうの書いちゃったりもすると思うけど若い人ばっかじゃないと思うしましてや良い歳こいた連中がそういうの書き続けてるとかだからまぁ哲学ってオワコンって言われるんだよね。まぁでも哲学ってまた全部ロックに繋げるようだけど実際に哲学できてる人なんて少ないからね。

 

間章とかも今読むと中二病満載だけどまだ良いのがうわーこんな感じで語っちゃってるよーってのがありつつ実情としてのジャーナリズム的な面があるじゃん?どこどこのタイミングでこういうアルバムを出したとかこういうバンド結成の経緯があるとかなんとかね、まぁ音楽ライター的な面だよね。でもSound Studies系のやつは当然そんなのはなくてなんか書くネタのために無理やりシューゲイザーとかジミヘンをトピックにしましたみたいなところがあってそもそも書いてるやつがそんなにシューゲイザーに詳しくなさそうだったりとかまぁそれはノイズとかにしてもそうなんだよね。

 

まぁそりゃそうだわな。音楽ライターではないしどうでもいいくだらないことを教えてる助教授とかなわけだからだからまぁなんでも一般化してんでドゥルーズとかバタイユでまとめようとするんだよね。でもまぁ音楽って語るにはやっぱりなんだろうね、哲学どうのじゃなくてやっぱりあの例えばビートルズとかだったらビートルズ狂いみたいな音楽ライターが書いた本とか色んなバイアスがあってもやっぱりまぁ狂ってるだけあってスペシャリストじゃん?で、まぁディティール細かいよね。

 

この時のビートルズのサイケへの傾倒が意味するものは・・・みたいなのをビートルズ軸で語るのかそこを精神分析とか持ってきてアホみたいに型にハメるのか?っていうところなわけでビートルズ軸で語るのが正解なのは言うまでもないよね。精神分析とか持ってきたらもうそこでオナニーですよ。

 

でも結果的にそういうマニアックな音楽ライターが書いたビートルズ論とかが結果的に哲学的含蓄も含んだようなサウンド論になってたりするわけじゃん?でもそれはディティールにこだわった結果なんであって評論っつーより色んなディティール詰め込んだらサウンド論みたいになりましたっていう結果に過ぎないよね。ってここまで書いたのがだいぶ前っつーか数日前でそっからあれなんだけどヘンリーカイザーの音源を聴きたい!って思ってもCD集めるの大変そうだなって思ってたら前に書いたっけ?アマゾンMusicってやつがヤバくてまぁ大体聴けちゃうんですよね。

 

あとまぁItuneのやつも入ってるからストリーミングで聴く派ではないんだけど便利すぎてっつーかCD持ってないアーティストを1から聴く場合ヤバいなと思ってさ、んでまぁあれなんだよね、オーディオブック方式でゲームやりながら聴いてるんだけどsteamっていつだったかPS4のコントローラーに対応したんだよね。知ってたけどそうなったときはPS4持ってなかったからさ、んでまぁそういやーPS4のコントローラーで出来るのかとか思いつつ散々やり倒したダクソってむしろブラボが初のコントローラーででもまぁ慣れると明らかにコントローラーのほうが操作性いいですよね。

 

まぁそんな感じでダクソ2のFirst Sinをコントローラーでやり直したら新鮮だのなんだのっつーかだいぶ前にやったときから時間が経ってるって中でFirst Sinのエディションでやると最初からグランドランス手に入ったり細かい調整入ってて面白いですよねって感じでハマったんだけどまぁそれよりヘンリー・カイザーに話を戻すとまぁなんか音楽ライターが書いたやつのほうがいいとか散々書いた割にカイザーの作品の中でまぁなんか色々喋りながらギター弾くっつーなんか独特のやり方があるんだけどデレクベイリーを題材にした作品があってっつーかまぁいくつかあるんだけどそこで前にも書いたけどベン・ワトソンの本について色々ディスってる語りのやつがあるんだけど(笑)

 

まぁなんか無理やりマルキストな解釈をしたりとか事実関係のことに関しても誤りが相当多いとかなんとか「ジョンゾーンがベイリーをアメリカに輸入したって?なんじゃそりゃ?」みたいなことを言ってたんだけどまぁそんな間違ってる本だったんだとか思いつつ音楽ライターなんつっても当てにならんなとか思った次第でありますっつーか途中まで書いたやつ貼ろうと思ったんだけど特に書くこともないんでいいかな(笑)

 

ただまぁあれなんですよね、ヘンリーカイザーを色々聴いてみると俺がやりたいとかって思ってることとかまさにこれ!っつーようなジャストなサウンド出しまくっててヤバいんだよね。全然イメージ変わったわっつーかなんでもできるのね。まぁやっぱこれなんだよね。難解そうなギターしか弾けない実際はテクが無い雰囲気だけの実験系のギタリストって本当にクソだって最近書いてるけどヘンリーカイザーは現代音楽みたいなのとか音響的なのとかんでまぁすんげースタンダードなロック弾き倒したりまぁとにかく理想的なんですな。俺が言いたいのはこういうことなんだってぐらい色々体現してる感じね。

 

なんかさ、いつも書くけどミニマリストって色々と手に入れた末にこれじゃあ幸せになれない!って気がついてやるもので何もないやつがミニマリストなんつってもそりゃミニマリストでも何でもないってのがまぁ同じことがギターに言えて色々とやった末に実験系とかより前衛的なのに行くのは分かるんだけど基礎的なのをロクに弾けないのにそういうのをやるってのはそういう正統なのがダメだったからなんじゃないの?っていうかさ、高柳とか違うわけじゃん?めっちゃなんでも弾けてノイズみたいなのもやってるわけなんだけどいや、まぁ前の繰り返しになるけどまぁ実験的なのとか前衛的なのはあくまで極北としてのものであるべきなんだよね。スキル無いやつの逃げになったらダメなわけで。

 

まぁただラリーズみたいな例外もあるんだけどね。まぁあれぐらい独特なもんになったらそりゃいいんだけど水谷考って別にギター上手いわけじゃないよね。歌は明らかに下手なんだけど(笑)お笑いの師匠クラス並に初期のギャグを永遠と何十年もやり続けるっつー芸が無い感じではあるけどそれがまぁ唯一無二っていうねっていうか珍しくクスリが効きまくって眠くなったから寝るわ。唐突だがな。

 

じゃ寝るわ。んじゃまた。