音楽と言語と形而上学と。

音楽は言語って言うけど譜面大量買いしてちょっと弾いてみたりなんかしつつ色々と横断してみるとっていうか基本俺ってまぁサンプリングっつーか元がDJ的だから楽理的に音楽を分析なんてしてこなかったわけだけどまぁ最近色々と勉強する中で理屈っぽく色々やってたりするとっていうかまぁ音楽自体学問だよね。そう思うと今ってそれがどうなってんのか?っていう構造とか楽理的なルールみたいなのを分析するのが面白くて色んなジャンルの譜面を買っては見たり弾けないからまぁちょっと練習してさわりだけ弾いてみたりっていうことをやってるとなんつーかそのさっき書いた言語っていう意味が例えば言い回しっつーかギャル語だのおっさんっぽい言い方だの年寄りっぽい感じだのっていう方言なんだよね。

 

アクセントをどこに置くか?ってのは言わば方言なんであってだから例えば元がなんかの曲でもジャズなんかでも元はミュージカルの曲だったりブルースだったり映画のテーマ曲だったりしてそれの言語を変えてるってことなんだよねっつーか喋り方を変えてるっつーかね。だからまぁその元の曲があるとそれは実質何にでもアレンジ可能なわけでカントリー調だのロック風だのジャズ風だのEDM風だのって色々できるわけなんだけどそう思うとどこまでが音楽を規定するのか?っていうそれはメロディなのか音色なのかさ、例えばそれって全く譜面的にはほぼ同じでも鳴らすのがEDM風のシンセだったらEDMっぽく聞こえるし4つ打ちのドラムにするとかね、すげー安易だけどそれやるだけでそれっぽく聴こえるってのはなんかまぁ関東の人が真似る似非関西弁みたいなもんでっつってもネイティヴのEDMって何なのよ?って話だし音楽ってまぁ例えばメロディにしても分解していくとそりゃ最小限のフレーズとかなんかの音の音階の連続性ってことなわけでっていうかそれが自明になったからなんでも弾けるようになるだろうって思ったんだけどね。

 

まぁそんなのギターやらなくても分かることだけどどんなに複雑なものでもどんどん範囲を狭めていったら単純なちょっとした構造の羅列だったり繰り返しだったりするわけでまぁそこでやってて思うのがむずい!って思うのが単純にスピードだったりするんだよね。まぁ当たり前か。ゆっくりにすればぶっちゃけ誰でも弾けるんだよね。何をもって弾けるとするか?だけど何秒以内に弾かなきゃいけないみたいな制約なかったら一個一個音を確認していって順番に弾けばそれは成立するからね。変な話、それを後でスピードだけ変えれば速く弾いてるように聞こえるわけで。

 

まぁこういうのって味気が無い味方だけどそこでなんかテイストがどこに宿るのかな?っていうさ、速く弾けたら凄い!という印象はあるけど響くか?っつーとそうでもないしジャズにしてもピロピロ弾いてるだけだと全然味気が無いイージーリスニングみたいに聴こえてきたりもするしってことだとやっぱり構造の羅列じゃないんだよね。まぁ基本はそうでも何をもって音楽とするか?っていうところだとやっぱりそのテイストなんだなって思うんだよね。

 

ロックにしてもギター動画なんかを見る機会が増えたけど普通に上手く弾いてるだけだと本当にダサいんだよね。なんかやっぱアクションってことじゃないんだけど感情が入ってないとっていうかギターの弾き方もパワフルっつーか荒かったりしないと逆に変なんだよね。正しさだけ求めると本当にクズみたいなものになるんだよね。かといっても正しく弾けるっていう基礎テクニックって当然それは必要でそれが無くてフリージャズとか即興っつって適当な演奏してたりするっつーのはやっぱりただのテク無しのめちゃめちゃとジャズっつーボキャブラリーがある中でそれをフリー化していくっていうプロセスの違いだったりして下手くその即興演奏がつまらないのって技法っつーよりやっぱりボキャブラリーの少なさなんだよね。

 

つまりはそいつの人間性というかどんぐらい深く音楽をディグってるのか?ってのが演奏に出るからそれっぽくやっててもそれっぽくやればやるほど浅さが露呈するっていうかね、あと全然技術磨いてないんだなっていう悪い意味での荒さとかね、ようはまぁ言語ってさっき書いたけどボキャブラリーが無い中で適当に色々と意味のない言葉を喋っているっていうことと同じなんだよね。

 

まぁぶっちゃけそれはアウトプットがかっこよければ良くて仮にそういう薄っぺらい演奏でも仮にギターのやつがそういう薄っぺらいやつでも他の楽器のやつとか例えばドラマーが凄かったりドラマーとサックスの掛け合いが凄い!みたいなので演奏が成立したりもしてギターの奴はそれに乗っかるフリーライダーみたいな感じでドヤ顔できるんだけどそういうのって一人だと何にもできないっていうかね、特に前衛っぽいって言われるものの危なさってベースとドラマーっていう軸を作るやつらが上手いとそれなりに聞こえちゃうっていうことだよね。まぁその薄っぺらさというよりかはアマチュア臭さが良い方向に行けばいいんだけどそれっぽく聴かせるっつーフェイクも多いよね。はったりというかね。

 

まぁそれで言うと路上でアコギをずーっとジャラジャラやって叫ぶように歌ってるよく見る量産型みたいなやつも音楽的貧困っていうかオナニーを外でやってるみたいなことで今はあんまり路上とかでやれないみたいだから見なくなったけど一時凄かったよね。どれもこれも最初にジェイがつくようなダサさっていうかお笑いのネタとかでも「なにそのJ-Rockみたいな歌詞?」とかネタになってるぐらいだもんね。まぁそういうどうでもいい音楽は本当にどうでもいいんだけどそれが何もJ-PopとかJ-Rockみたいなのに限らないってことなんだよね。

 

あらゆるジャンルに薄っぺらさってのはあってJ-POPとかJ-ROCKは露骨なダサさだけど薄っぺらいようには一聴した限り聴こえないようなのでも実はすんげー薄っぺらいことをやってたりとか、そう思うと音響系なんてのも例えばなんかの音を増幅させて音響化するみたいなのもセンスが無いのを方法論に頼ってこういうコンセプトでやってます!みたいなところに逃げてるみたいなのも相当あるよなって思ったりそれが純粋に音響的だったらいいんだけどセンスのなさを補完するような音響ってのもあるしそれで言うとアンプのリバーヴなんかも大きめにかけるとそれっぽく聴こえるからあんまり使わないほうがいいっつーのもそういう薄っぺらさに陥らないようにっていうような自戒だったりするわけだよね。

 

バーヴってなんでも大げさに聴かせることができるしエコーとかディレイ然りだよね。そこを幽玄的な間とかってバカな音楽ライターとか書くとそれを鵜呑みにしたバカリスナーがありがたがって聴くんだけどやってることが本当に大したことないし何より薄っぺらいってところが一番アウトだよね。別にシンプルさが悪いわけじゃないしいや、これってあの音にリバーヴかけただけでこんな風に聞こえるの!っていうコペ転的なこともあったりするでしょう。で

 

もなんかこういうのもさ、アートリンゼイなんかもそうだけどシグネチャサウンドみたいなのができるとお笑いの特につまらない師匠クラスのがいつまでその売れた頃のネタとかギャグやってるの?っていう化石化してるようなのがあったりするじゃん?でもまぁ本人のネームバリューとかそいつがなんかのシーンのレジェンドだったりするとまたそこに付加価値というとあれだけどまぁようは聴くとっかかりですよね。それだったら見に行きたいっていっても所詮はネームバリューというかそういう意味でどんだけ音だけを純粋に聴いてるのか?って自分を含めて本当にそう思うよね。

 

ロックとかも本当に師匠化してるなっていうか微妙な最近の曲とか黄金期以降の曲みたいなのをやっても合間にこのバンドと言えばこの曲!みたいなのをやってればいいみたいなすんげー堕落してるよね。まぁそんな精密に神経が狂うぐらい音の追求なんてしてる人そんなにいないだろうなって思うけどそういう意味で音の追求と商業性ってまぁマッチする場合もあるだろうけど大抵そうじゃないよね。そういう極めて音楽的なことっていうのが商業性との相性が悪かったり世間的にはそんなのただの趣味の領域だろみたいに言われたりしちゃうみたいなところから見ても追求しづらいっていうかだからまぁ安易な方に流れちゃったり音楽の道って二つあるよね。一般的な言い方だとそれでやっていく的なそれで飯食う的なことでもう一つはそれを求道的に追及するっていう道だよね。

 

何かと言うとメジャーデビューだのライブだのってことになりがちだけど追求するタイプの道としての音楽ってのはインディヴィジュアルなことで完結しちゃってもいいしまぁそういう連中が集まって何かやれれば一番いいけどまぁあんまりないだろうしね。ただまぁ本当にそういう道タイプの人たちって大体アングラって言われるようなものばっかりでやっぱり商業性との兼ね合いの無さっていうかだからアングラって言われるだけで別に本人たちはアングラってつもりでやってるわけじゃないだろうからね。

 

ただまぁオーバーグラウンドっていうか商業性とかまぁ目立つとかバズるとか安易さと表裏一体で何がウケるのか?っていうのを軸に考えるものなんてただの商売で音楽じゃないよね。まぁそういう音楽もあるっていうことなんだけどやっぱり本筋ってのは追及なんだと思うんだよね。だから音楽でやっていくって別にそれで食わなくても求道的にやりたいことを追求すればもうそれは音楽家と言えるよね。

 

逆にアーティスト名乗っててただの商売しかしてないような連中もいるわけで音楽の定義の考え方を変えると追求したいなら誰でも追求できるものだよね。売れそうにないから諦めるみたいなのがあるけどそれってそもそも売るってこと自体が音楽の軸からブレてるんだよね。音楽品が作れそうになかったり売れそうにないから諦めるってことは別に追求したかったわけじゃないんだなっていうことだよね。追求したければやればいいわけで売れる売れないとかそもそも売る必要もなければアップロードする必要もないよね。

 

職業ではないけど料理を求道的に追及してる人とかいるだろうし別にでもそれって店とか出さなきゃいけないわけじゃないしそれこそインディビジュアルな活動ですよね。まぁとにかく音楽なんてもう金にならないんだからっていつも書くけどもっと個々が勝手にやっていい時代ですよね。でもあんまりそこまでやらないってのはやっぱり売れないとか成立しそうにないってのが自明だから最初からやらなかったり仮にやっててもどっちかというと音楽っつーよりキャラ的なプレゼンスとかSNSでのアピールとかに全力を注いでるような人とかなんでこうなのかなー?って思うことが多いよね。

 

まぁ勝手にやってますって人は人に知られないだけで結構いるのかもしれないけど勝手にやってこそ音楽だと思うんだよね。プロとかアマとかってあくまで商業ベースで考えられる金が取れるか取れないか?みたいな古臭いプロフェッショナルっていうことの定義だったりするわけでそういう言葉によって例えばプロになれないから諦めるなんてことがあればまぁそれって概念エラーなんだよね。

 

そんなの誰かが勝手に決めたプロっつー何をもってそういうのか分からないような言葉なんであってプロだろうがアマだろうが追求するっていうことにプロもアマもないんだよね。まぁそりゃもちろん高い水準を目指すのがデフォだからそりゃプロ並みのレベルってのはデフォだけどプロ並みでもプロとしてやっていけなくてもそれがプロ並みで追及を続けられてたらもうそれでいいんだよね。それを続けてくださいって話ですよね。クオリティって恣意的だし人工的だよね。これがプロ並みという基準みたいなのがあるんだけどだからといってそれが良いというわけじゃないしまぁなんか求道的にやってますっつって音源聞いたらクソだったみたいな場合とかあっても結局道なんだって考えるとアウトプットよりプロセスという感じがするよね。ホワイトヘッドっぽいけど。

 

ただまぁ大抵そうは思わないで短いタームでアウトプットなりある一定の結果みたいなのを求めるから結果的に辞めるきっかけが増えるっつーか突き詰めないまま終わるっつーかね、やり倒してさてどうなんだ?ってところまでいかないよね。まぁなんかそのフリージャズに限らずフリーの音楽ってその突き詰めた先にある気がするからまずやり倒さないとダメでんでもそれってアウトプットが保証されてないもので分からないんだけど分からないからこそ面白いっていうかね、いや、なんか俺が今こう思うからそんな感じでやっていくみたいな話で別に音楽全般の話じゃなくて個人的な話になったけどやり尽くされたうえで何があるのか?ってのを概念的じゃなくて実際に経験するってことをしてみたいっていうか例えばそれは決まったフォームなり展開ってのがあったりまぁ曲調だったりとかね、んでまぁそれを壊すとかアレンジするってのももはやそれもお決まりなんだよね。そういう意味で前衛とかも前衛って言えるのはもうそういうジャンルで実際全然前衛じゃないわけであとまぁフリーとかノイズとかでガーッ!とかってなるのもまぁ伝統芸能の域になってるよね。ロックギターでギュワーン!ってやるのと同じぐらいベタというか。

 

だから例えばデレクベイリーみたいなのが色々やり尽くしてフリーっつーか彼のフリーをやり始めたっつってもまぁデレクベイリーフォームみたいなのが出来て結局同じ事やってるだけなんだけどああいう突き詰めた感じのフリーもスタイルになっているって中でのフリーってのはあるのか?っていうね、なんかそれを追求していくと音楽である必然性があるのか?みたいな話にもなるんだけど結局まぁ比喩的に記述されたような既存のスタイルとかってのはまぁようは体系化された学問みたいなもんでその先ってのは形而上学なんだよね。思うにさっき書いたテイストってのも形而上学なんだよね。分析すればこういうところにテイストの要素があるって言い切れるかもしれないけど分析してる時点ですでにアウトっつーか取り出せない内在されてるものっていうかね、そういうのがジャンルに限らずどういうところに宿るのかな?っていうところに凄く興味があるよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。