ポスト高等遊民の憂鬱。

ヤバいっすね。もう12月っすね。今年も一人でクリスマス確定だわ。今年はヤレなかったなマジで。思い描いていることが現実になる!ってのはあらゆる意味で信じてるけどセックスだけはそうはならないのは逆にそれで抜けてるから成就してるっていう情報処理になってるのかもね。いや、だからそうじゃないんだぜっていうのを発振していかないと。バイブレーションと共に。

 

まぁそんなわけでもう師走なわけですが、アサクリオデッセイのクエが膨大だったりっていうか同じことの繰り返しっぽいレベル上げの時とか飽きるからバックで色んなの流しながらやってたんだけどってまぁあれなんですよ、例の虚しさですよ。んでまぁ大体Tedみたいなのが出てくるじゃん?Depressionとかって調べると鬱には良い面もある的なこととかね、なんかこういうのってまとめて倍速で聴いた気がするんだけどまぁ改めてどれっつーよりまぁランダムに鬱とか虚しさみたいなのをキーワードにプレゼンみたいなのとかあとまぁオーディオブックとか聴いてたりしたんだけどすげー気になるのが「意味の病気」みたいに言われたりすることなんだよねっていうかまぁ前に書いたけどマズローで言うところの欲求のベーシックなのを満たされると別にまぁそれがある程度の成功の上にあろうがなかろうが基本的に虚しさに繋がるっていうことなんだけどこれって別に病気じゃないんだよね。

 

いや、まぁ病気って言い方は形容的な言い方なんだけど自分の若い時ってまぁまだ若いですけども青年期とかを思い出してみてもそれはまぁ知らなかったっつーか意味っつーよりなんか例えばDJになりたい!とかさ、なんでもいいんだけどなんかやった末にそれになれたり成功できればそれがゴールだみたいな考え方ってのがあるわけよね。今の若い人にはそれが無いっていうか情報化が凄まじいからデフォでもういきなり無意味みたいな無意味の部分がステーキだったら食欲満たせそうだけどいきなり無意味ってまぁ今の時代みんなそうですよね。

 

もちろんまぁ旨いものを食った後の満足感と言ったらまぁそれはもう観念っつーより脳のケミカルなレベルで気持ちよくなるわけだよね。セックスとかまぁ快楽系はそうだわ。でもそれを満たすっていうことと意味を満たすみたいなのって関係ないんだよね。でもなんか関係があるって思いがちなんだけど全然そうではないっていうかまぁあれですよね、金持ちになりたいなーとかあんな一族に生まれたかったわーとかまぁ羨む感じってあるじゃん?俺はリアルにないけどっていうのも別に金持ちだろうが大金持ちの一族に生まれようがいきなり無意味には抗えないっていうかそれはもうデフォで強制的に共有されちゃってるモードなんだよね。

 

色々と未熟なときにはなんかまぁ目指してるものとかがあったりこんなことをやってみたい!とか海外で暮らしたい!とかまぁなんでもいいんだけどまぁあるじゃないですか?で、問題はやった後だよね。やった後って言えるほどやりたいなーってことを実現できる人は多くないにしても実現できても別に意味は埋まらないんだよね。結局status quoになるっつーかだからどうなんだ?ってところは別にどうにもならないよね。

 

逆にまぁ病理的にそこが承認欲求とかに向かうとまぁなんだろうインスタでフォロワー増やしたい!とかまぁ認められたい!ってことだよね。でもまぁインスタのフォロワーが何万行こうが関係ないですよね。全く意味そのものとは関係がない。なんだけどまぁ関係があるかのように錯覚しちゃうっつーかいやーあんだけ人気者だったら最高だなーとかまぁ憧れたりするっつーのも恐らく背後にそんだけ人気者だったらさぞかし幸せに違いないみたいな論理があると思うんだけど実際は違うよね。

 

逆に夢があった時代ってのはなんかしらの成功を求めて成功したい!ってのを追求してればそれが人生そのものに成りえたっつーところだったんだけど今の場合、どうやら所謂成功をしても実存的問題とは全く関係ないらしいぜってのが明らかになっちゃったから目指す夢も無ければ一体この無意味の悪夢からどうやって自由になればいいんだ!とかって思ったりしちゃうんだけどそれは前にも散々書いたけどどんだけ環境変えようが肩書が変わろうが住所が変わろうが自分っつー主体はそのままだよね。もちろん色んなものに影響されて変わるっていうところはあるしこれってまぁ主体はそのままだって言い方をしちゃうとじゃあ何にもしなくても同じだっていうことになりがちなんだけどまぁ経験は大事なんですよ。

 

経験しないでどの道同じっつーのと経験したうえでどの道同じって考えるのとでは違うからね。ただまぁ俺の話になるけどっていうかまぁここでは俺の話しかしてないけど(笑)何かを究めるって何回言ったか分からないけどとにかく究めたがるじゃん?それはいいんだけど今問題なのは究めた先なんだよね。

 

究めたと言い切れるものなんて結果的にないのかもしれないけど確かに色々やることでパースペクティヴは変わるし今の俺のっていうかここ数か月の認識の変化っつーのもこないだ滅多に外出ないけど歩きながら思ったんだけどレベルキャップ解放なんだろうなって思ったんだよね。色々と頭打ちだったのが解放されてよりアドバンスなレベルにレベルアップは解放されてそれはそれでいいんだけど今まで通りのレベル上げのやり方してても上がらないようになってるっていうかね、そこでまぁなんつーかな、いかに生きるか?っていうことがめちゃめちゃ問われてるわけなのよ。誰に?ってまぁ当然自分ですよ。

 

ようは刹那的な快楽は大体味わいつくしたとも言い切れるよね。何しろやりたいことはとにかくやってきたからね。だからまぁそういうのから得られる快楽は今でも楽しいけどもはやそういうフェーズではないっていうね、逆にあれですよ、俺が本当にダメだった時期って10代後半からアメリカ行く前ぐらいまでだけど本当にクソみたいにダラけた生活しててそれで何にも問題意識を持たないっていうかさ、思考停止っつーか逆にまぁ今成長してなきゃ相当マズいんだけどその頃みたいな生活ができなくなってるんだよね。

 

ダラダラ何かを惰性でやっているっていうことができなくなっているっていうかそれを俺は刺激が足りない!っていう言い方をしてるけど多分刺激っつーのを追求しだすと行きつく先はケミカルだと思うんだよね。ドラッグ的なもので感覚をエンハンスさせるかあとはもう脳をいじってずーっとハイな状態でいるかみたいなヤバい世界ですよね。

 

まぁでもそれは現実的じゃないし酒飲んで睡眠薬も飲んでエポケーも楽だけどまぁストロングゼロ世代のエポケーだよねってまぁエポケーってそういう意味じゃないんだけど俺のボキャブラリーだと思考停止的な感じっていうか言葉がエポケーってなんかボーッとしてそうな雰囲気じゃん?(笑)まぁそれはともかくあとあれですよ、一時期まぁヴァーチャルも現実も同じだっていうかそれに関して思考が可能であるとかインターフェースを通じて感じることが可能であればそれはリアルであるって言い切っててまぁ今でもそう思ってるけどそれに気がついたときはまぁ衝撃的だったんだよね。

 

だから別にそれがゲームの世界だろうがリアルみたいに感じてたらそれこそそれはヴァーチャルだろうがあんまり関係ないっていうかアウラ的なものをのぞいたらまぁ思考実験的に近未来のVRみたいなので「VRイタリア」みたいなのがあったとしてそれ買ってVRマシーン使えばヴァーチャルっつーよりリアルそのものなイタリアが経験できるみたいなっつーかまぁ今でもそうじゃん?単純にテクノロジーとかが追い付いてないだけでもう余裕で可能な時代になってるよね。

 

もちろんそこで実際にイタリアに行った方がいいでしょうっていうのはそりゃそうですよ。行くときに遭遇する偶発性とかも含めた旅行の楽しさってのはあるわけだからね。ただまぁあれですよ、俺が言いたいのは何がリアルで何ヴァーチャルか?っていうのがもうユルユルになってるってまぁこれもだいぶ前から書いてるけどまぁ予想通り加速してますよね。んでまぁそういうのに適応してるわけだ。でね、伝えるのが難しいんだけど俺は未来に生きている!って言い切ってるじゃないですか?頭の中では未来だけど現実が追い付いていないのだ!とかって狂人じみてるけどまぁ別にデフォで狂人だからいいんですよそれは。

 

で、まぁ俺が言いたいのはそのVRVRイタリアはもう可能になってるんだよね。俺の頭の中では。でも別にそれはなんでもないわけ。そのVRに浸っているときは楽しいけど別にんでリアルに戻ってきて楽しかったーとは思うだろうけど別にそれで人生の意味が満たされるわけでもないし虚しさがどうにかなるってことでもないんだよね。むしろそういう実存的な意味とかをいったん置いておいて刺激に走るっつーのはむしろその無意味さからの逃避を加速させるっていうかさ、まぁ逃避せよ!っていう考えもあるしありだと思うけど俺は結局逃避できなかったねっていう感じなんだよね。

 

仮にそのVRってのが何十時間やれば終わるっつーもんじゃなくてVR世界みたいなレベルで一生かけても細かいところまで体験し尽くせない!みたいなのがあっても関係ないよね。それってなんつーのかな、インベーダーとかに熱中してた当時の人たちが最初に書いたアサクリのオデッセイみたいなのを見たらなんだこりゃ!ってなるよね。まぁそりゃそうだわ。30年後に作られた近未来のゲームなんだからそりゃもうゲームってレベルじゃねーぞ!って話なんだけどでも別になんつーのかな、俺なんかの世代だとインベーダーは遡り過ぎだけどドラクエ3みたいなのから30年近く経って現代の大容量のゲームみたいなのを経験してるわけじゃん?でも別に関係ないよね。ドラクエ3やってるときはその時代としてめっちゃ楽しいことだったし30年後の今もゲームは楽しいけど結局まぁ楽しいっていうのは楽しさでしかないよね。意味を満たすこととは関係ないよね。

 

だからあれなんだよ、ハーレム状態で毎日美女とヤリまくれる!みたいなのがあってもまさに関係ないんだよね。色々とそれはもう考えて見るといいんだよね。美女と変態プレイも含めてヤリまくれるとかお金がアンリミテッドみたいな現実ハック状態とか身体的にも完璧でめちゃめちゃ強くて弱さが見当たらないみたいな状態を想像しても仮にそうなっても意味っつーのはついてくるからね。それがまさに主体であるからこそ逃れられないことなんだよね。それは快楽とかが満たされているとかベーシックな食欲とか衣食住的なものが満たされているっていうことと全く関係ないんだよね。

 

逆にまだあーこうなったら幸せになれるのになーなんて思えてるうちはまだ幸せなんじゃない?って思うんだよね。ヤバいのはこうなったら幸せになれるっつーフォーミュラが無いっつーことなんですよ。まぁでも金はあるに越したことないしモテるに越したことないんだけどでもそれと意味は関係ないからね。んでまぁ前にも書いたけどそれは利己的だから生まれるもんなんであってもっと利他的に生きなさいみたいな考えとかもあるけどまぁその利他的ってのも利己的じゃだめだ!っつーので自分のミッションみたいなのを作りたくて利他的に生きているっていう風に仕向ける利己性だったりするからね。カントっぽい話になるけど別に何が善か?とか道徳か?みたいな高尚な話じゃなくて結局もう主体がある場合、利己性からは逃れられないんだよね。だから常にそこに意味ってのがセットでついてきちゃう。

 

昔はこういう感じになると本とかまぁ心理学とか哲学に答えを求めようとしたりっていうか何なんだろう?ってなってそれについて調べるっていうことをしてたけど今思えばそれをすることで虚しさってのをカッコに入れちゃって対象化して例えばそれを論理で考えたり学術的に考えたりするっていうことをしてたんだけどそれは言い方を変えれば逃げなんだよね。もしくは大体まぁこういうのって仏教とかで話が終わるけどそうじゃないもっとリアルな虚しさだよね。対象化したり学術化しない日々のリアルな感覚としての虚しさだよね。

 

で、ハイデガー曰く・・・みたいなのに還元できないっていうそれを対象化しなくてリアルに考えるから例えばそれは自分のちんちんの大きさについて考えるみたいな、めっちゃ短いじゃなくて身近いものについて考えるというよりかはもう感じるっていうことですよね。例えばそれは酒飲んで酔いが回ってきて酔ってるなーっていうことを感じるというのとほぼ同じだわ。それを分析すればアルコールがどう脳に作用するか?っていうことになるんだけどそれを分析したところで別に酔っているっていうものは酔っているという感覚のままでしょう。

 

ただ酔っているってのは完全に医学的に説明がつく話なんだけど虚しさってのは分析しても分かり切らないところがある人間の心のめちゃめちゃファジーな面なんだよね。かつそれを対象化しないでリアルに感じるとなるとなかなか正気じゃいられないでしょう。でもそれをあえてストイックに考えるとかでもなくて色々と紛らわしたり逃げたり感じないようにするとかってのを虚しさを意識するしない関係なくやってきて色々とネタが尽きてきて虚しさと対面する時間が増えたっていうことだよね。だから忙しすぎる人の場合、忙殺される虚しさはあると思うけど究極的な虚しさには行きつかないか晩年ぐらいに気がついたりするものかもしれないよね。

 

俺は前衛すぎるからポスト高等遊民なんだと思うんだよね。ようやく時代は高等遊民みたいな感じになってるけどもう俺はそれを越しちゃってポストになってるからまさにポストモダンに相対的な虚しさがあるようにポスト高等遊民にも遊び尽くした後の虚しさというのは存在するんだよね。だからまぁ常に前衛を切り開く俺としては次のフェーズとレベルキャップ解放で色々考えていかないといけないと思うんだけどなかなか日々大変なんだよね。高等遊民気取りでいられる時がある意味一番楽かもしれないよね。遊び尽くした後はグレートギャツビー並の虚しさがあるわけよ。別にギャツビー並のセレブ感が無くてもいいんだよねそれは(笑)

 

俺がさっき全世界VRみたいな娯楽があろうとも虚しさは虚しいままだろうって書いたのもまさにそれなんだよね。例えばそれは簡単で30年前ぐらいに金あったらあんなことこんなことできるなーって考えてたものの一部はまさに近未来化によって別にそんな金かかることもなくやれたりするようになってるんだよね。だからまさに相対的なんだよね。今金あったらこれできるなーっつーことも大半はとまでは言わないけど何十年後かには簡単にできるようになってるかもしれないわけなんだけどでもその何十年後でも虚しさは常に変わらないと思うんだよね。

 

なにしろヤバいわけよ。いや、思ってましたよ。金が有り余るほどあればレコード買いたい放題だなって昔は思ってたけどまぁレコードを買うこと自体の楽しさってのはあるにしてもまぁとりあえず聞けるっていう意味だとすんげーニッチなやつまで聴けるからね。夢が叶っちゃってるよね。EMSのシンセ欲しいなーでも100万とかするしなーなんつって今ではソフトシンセで余裕でシミュレートっつー別にそこで今EMSのシンセをソフトでいじれたところで感動はないわけだよね(笑)

 

大体娯楽とか快楽関係ってそんなもんだと思うんだよね。あ、んでいつも書くけど例の緑のやつが合法化されたら世界変わるだろうなーっていうところはマジで変わるのは保証しますけどね(笑)外部的なものってのは手に入らないか高価すぎるシンセとかがソフトで余裕でシミュレートみたいなあとまぁ全世界VR体験とかもまぁ外部的なものだけど意識自体が変わるってのはさすがにインジェクトするしかないからっていうかまぁ逆に古来からある意識の変え方ってのがこれなんだよね。

 

まぁ別にそこに答えがあるわけじゃないんだけどアルコールで体壊すよりよっぽどいい世界が見えるのは間違いないよね。まぁそっちの話はいいか。ただまぁ別にあれですよね、スラッカーっつーんだっけな。吸ってばっかのレイジーなやつってまぁ簡単に吸えるアメリカだとそういうやつ多いんだけどまぁスラッカーも基本的に虚しいでしょう。そりゃぶっ飛んでるときは楽しいけど素に戻ると虚しいよねってまぁこういうものが題材の映画は多いけどまぁそんだけ虚しさあるあるというかね、ハイデガーだかが虚しさの種類だかなんだかってのを言ってる中で手持無沙汰の例えばドイツの片田舎の駅で全然来ない電車を待つ虚しさみたいなのを言ってたりするけどようはまぁ近未来って片田舎だろうがなんだろうが基本的にモバイル的なものがあるといくらでもそこで楽しめるっつーかさ、いつでも電脳空間が展開可能で山奥に住んでようが娯楽の質は都市部と変わらないみたいなね、まぁでもそうなりつつあるよね。

 

まぁなんか色々長く書いてるけど娯楽の質が上がろうがそれは虚しさとは関係ないってことだわな。承認されても全然それも関係ないし金とか社会的地位とも関係ないよね。まぁ中にはそれで解決する人もいるだろうけどそうだとすればまぁ浅い虚しさだったってことで別にまぁそれはそれでいいんじゃない?って思うんだけどまぁもっとディープな根源的な虚しさに悩む人にとっての処方箋ってのは絶望的にないんだよね。近未来化してもそれは関係ないんですよ。今の我々みたいになんでも音楽ストリーミングで聴けちゃうとかこれって実写?って思うぐらいのグラのゲームやろうが関係ないでしょ?

 

あとなんだったっけな?CODのBO3のキャンペーンだったと思うんだけど昔はこういうのを読んで勉強してたのに今ではダウンロードできるわねみたいなのあるじゃん?まぁマトリックスの例のアレみたいなもんですよ。で、まぁ人間にとっての学ぶプロセスってまさにそれの究める!っていうこと自体を楽しむみたいな要素だったりするじゃん?その割にギターのつまらない練習は嫌いなんだけど脳に直接ギターを弾けるっつー技能をダウンロード可能だったら学習プロセスとか無くなるからそれは便利なようで日々鍛錬していく!みたいな楽しみが減るってことなんだよね。あとまぁギターが弾けるっていうことの稀有さが無くなるよね。誰でもダウンロード可能だから誰でも弾けるわけだからね。

 

今はそうなってないっつってもまぁさっき書いたように俺は未来に生きてますから脳内ダウンロード可能っつー世界観で生きてるんですよね。だからギターやったところでどうなるの?っていうことに悩んだりするわけよ。別にそれは未来でダウンロード可能になるから今の努力も無駄になるっていうようなことじゃなくてもうダウンロード可能っつー考え方なんだよね。そういう脳内未来での生きる意味とは?っていうのを考えるとマジで分からないよ。ホント。思いつくようななんでもできちゃうとか現実をハックできちゃう!みたいなこととか全然関係ないってことが分かるからね。

 

多分まぁ金でなんとかなりそうなものには答えはないですよね。だからプライスレスってアメリカンエクスプレスだったかコマーシャルであったけどまぁ個々の意味みたいなのを満たせるのは結局プライスレスなものなんだよね。そこはもう合理性とかを超えたすげー人間的なものなんだよね。まぁそこを人間的なものなんだよねって言い切るのが俺的なロマン主義なんだけどね。いやいやーそんなのないですよーっていうとまぁガチのニヒリストですわ。もっと行くとシニカルにもなるからね。

 

虚しさを自虐してあざ笑いながら生きるってのは完全にメンタル歪むからね。そこはやっぱりヒューマニズムを信じるし追求し尽くすっていうところなわけですよ。それがまぁいつも書くけど俺が思うEthicsなんだよね。まぁスピノザとかドゥルーズがベースになってる基本まぁやっぱ哲学ガチガチの考え方ではあるんだけどまぁでもやっぱり俺なりのそれは実感も含めたところでそう思うんだよね。

 

よくまぁ心理学とかでは主体性を持つことが大事だとか能動的に生きるっていうことが大事だとかって言うんだけどそれと根源的な虚しさってのは全く関係ないからね。俺的には主体性を持ってまぁ自分が舵を取って生きることで満たされる意味だったりするとそれはまぁ浅い悩みなんだよね。浅いっていうと失礼だけどまぁでも軽症なんですよそれは。深いのは全知全能でなんでもできる神みたいな存在でも別にそれと意味は関係ないっていう意味の話だからね。まぁこういうところで悩んでる人はあんまりいないから例えば検索したり本を探そうとしても無いでしょう。仮に居たとしても1パーセントぐらいのものなんだとしたらめっちゃニッチな悩みってことになるんだけどでもまぁ何十年もすればそれはデフォになると思うんだよね。いやー今はみんなそうですよーっていうような類のは俺に言わせると軽症なんだわ。

 

ただそこでみんなそうだって書いてあってそうなんだと思って本なりTedのプレゼンとか最後まで聞いてみると似てるようで自分が感じてる類のものとは全然違う浅いものばっかだってことに気がつくんだよね。そこでまぁより落ち込むこともあるよね。みんなそうだって思う方が楽だからね。別にそれは特権的とかってことじゃないですよ。そういう境地の異次元な悩みを持っているってのは別に偉いとかそういうんじゃないんだよね。ただまぁ時代を先取りし過ぎてるのは間違いないと思うんだけどね。

 

ただまぁそれはあれなんだよね、色々読んだり聴いたりしてそうなんだーって思うのもいいんだけどどの道虚しさがあるにしてもやっぱりまぁ時間とか労力を注いでやってないことはやってほしいって思うよね。俺みたいな先人は(笑)色んなことにすげー金と労力と時間を費やして今こういう境地になっているわけでインスタントにこういう境地になられても困るっていうかそれはただの理屈だからね。やっぱり経験がモノを言わないとね。そうじゃないと結局は自分で解決っていう風にもならんしね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。