新たな趣味発見。

久しぶりだけどまぁあんま書くことないっていうかひたすらインプットって感じなんだけどあれなんだよね、アガンベンみたいな現代思想寄りの人による聖なるものの概念とかさ、文芸的な宗教の扱い方とかまぁホモサケルを読んだのはだいぶ前なんだけどあとまぁデリダの宗教論とかね、そういうのも今の観点から読めば面白いだろうなっていう感じがあっていくつか買ったんだけどアガンベンのコンピみたいなのが出てて1300ページぐらいある電話帳みたいな本なんだけどホモサケルを筆頭に単著として出てたやつを一冊のオムニバスにしちゃいました!みたいなコスパ抜群のがあってそれ買ったりしましたね。

 

https://www.sup.org/books/title/?id=28469

 

あとまぁ前にも書いたけど西田が滝沢にバルト面白そうだからバルトのところで学べって言ってたっつーのがすげー示唆的でようはなんつーのかな、禅的というとまぁ語弊があるんだけど例えばハイデガーとかブルトマンとかが十牛図の概念に感嘆していたっていうこととかまぁなんつーか古臭い神学論争とか神がいるのかいないか?的な形而上学ではなくてエックハルトとかベーメみたいな意味での禅的な無としての対象というかまぁもはや対象ではない対象っていうことなんだけどこの辺の仏教っつーより禅に近いような感覚の神のオントロジーってのが個人的にしっくりくるっていうかまぁそれしかないでしょって感じがするんだけどまとめサイトでイコンをアニメ風にしたやつに対してロシア正教会が信仰を侵害するだったかなんだったかとりあえず不快だなんつーコメントをしていたっつーのを見てまぁようは大半のキリスト教関係の人たちが考える神ってのがようは偶像崇拝なんだよね。

 

例えば神道とかだったら祭られているのが鏡だったりするじゃん?それは神は実体を持たないからっていう意味でシンボリックにそこに鏡が置いてあるっていうことなわけで神性ってそういうことだと思うんだよね。でも宗教全般そうなんだけど哲学とかと比べてオントロジーの部分でもそうだし概念レベルでもすげー古いんだよね。感覚が。

 

ただそこでバルト世代みたいな神学者とかは当時は現代的だった哲学なんかも踏まえた神学を展開してたから現代的なんだけど世俗的な宗教の概念って本当に古いナイーヴなものばっかりででもまぁ宗教やるなら哲学は必須なんだけどこれってまぁ現実的に考えて無理なんだよね。まぁなんつーか単純に哲学を学ぶ時間が無いとかね、あとまぁ信仰っつっても世俗的な信仰っつーのは昔から形骸化しててまぁ基本的に教会に行くとかお祈りをするとかっていうプリミティヴな域を出ないっていうかね、ただでも神の神性とか真正ってのは洗練されたオントロジーの概念が必要でつまりはキリスト者としてあるということも現代思想も含めた哲学の集合体みたいなのが必要でそもそものロゴスの受肉という概念自体がかなり高度な哲学的概念なんだよね。でもそれは抽象的過ぎるから一般ではそういう理解はされないっていうね。

 

まぁだからアメリカの狂った右派の福音主義みたいなキリスト教のカルトみたいな独自の世俗化した形態ってのになったりするんだけどそれってオツムの問題だからしょうがないんだよね。まぁでもあれか、仏教にしても例えば日本にしても般若心経を理解してるのか?っていうと大抵の人は理解してないんだけどまぁ葬式とかは仏教の形式を取るとかっていう意味でまぁ宗教というよりカルチャーって考えたほうがいいんだよね。でもそこは凄い差があるよね。

 

別に出家したりするわけじゃないんだけど仏教を研究しているとか仏教に帰依しているっていう人のガチの仏教理解と形だけ仏教を取っている一応うちの家系は何々宗ですみたいな感じの場合と同じ仏教でも全然違うっていうかまぁそういう意味でヨーロッパとかでのデフォとしてのキリスト教とガチで研究して帰依しているという意味でのキリスト教ってのは差があって当然なんだよね。

 

教養として聖書は読まされるかもしれないけど歴史的な神学の蓄積みたいな意味での緻密で抽象的な理解ってのはまぁ無いよね。子供の頃に学校で読まされる聖書みたいなところに抽象性は無くてんでまぁ適当に愛の宗教みたいな単純化したり学術的に厳密ではない意味での教育が成されて形骸化したり間違った形での宗教的概念っつー感じで存在しちゃうっていうね、ただまぁ当然アカデミックにガチな神学者とかはいるから真の宗教的概念というのが断絶することはないんだけど世俗ではまた全然違いますよね。

 

まぁ哲学にしても超訳ニーチェ的なのとガチのニーチェの違いだよね。薄っぺらい新書でコンテキスト関係なくアフォリズム的に抽象される安っぽいニーチェとマジのニーチェってのは似て非なるものでまぁそれはもう思想自体全部そうだよね。まぁその俺が言う思想というのは宗教も含むんだけど基本的に歴史的に宗教が原因で殺戮が起こったとか戦争が起こったとか侵略戦争があったとかっつーのもまぁようは世俗的な宗教理解の産物なんだよねっていうのがよく分かるようになったよね。

 

んでもその侵略戦争をしてたのってガチの教会とかが絡んでたんでしょ?ってまぁまさにそうなんだけど今さら言うようなことでもないけどキリスト教の歴史とかを読んでて思うのはキリスト教が国家イデオロギー装置的な働きをするようになったっつーのが原始キリスト教が出来てからそんなに間がない内にもうそんなになっちゃったっつーわけでキリスト教の歴史っつったらもう大半はその国家イデオロギー装置としてのキリスト教だったんだなっていうまぁだから前も書いたけどルターはすげーなって思ったけどまぁその前で言うと火あぶりにされたフスとかプロテスタントのある意味での開祖とも言うべきジョン・ウィクリフとかってのもいたからやっぱり世俗化していってなおかつイデオロギー装置になっていったキリスト教に否!っつってた人たちはいたんだよねっていうかまぁその辺はどの宗教でも同じだろうな。

 

民間の信仰としてまぁ呪術的な意味合いも含めて信仰される宗教とガチでそれを実践したり研究する仏教者とか神学者とか牧師とかっていうのはまぁ別に昔からそうで今も変わらないっていうことだよね。まぁなんだろうさっき書いた禅にしても座禅体験コース!みたいなアトラクションとしての禅みたいなのはあるしまぁそれやったところで禅の教えが分かるわけでもないしまぁそりゃお寺巡りをするっていうような観光地巡りと仏教そのものはあんまり関係ないっつー意味で別に悲観する必要はないっていうかそこがまぁ文化としての宗教とかまぁ宗教関係のお寺とかヨーロッパだと教会だとか修道院の跡地だとかなんだとかってーのとまぁガチの思想としての宗教っつーところですよね。

 

ただ思想と違って宗教って例えば日本なら仏教ってのは意識せずに身近にあったりするものだからそれ自体を研究するっつーベクトルになりにくいっていうか、ただそんな身近にあるものなのに思想的に超奥深いっていうせっかく身近にあるのにエッセンスが無い!っていうのは勿体ないなーとかって思うよね。

 

まさにそれは俺がキリスト教に目覚めて思ったことですよっつっても日本はキリスト教なんて身近に無いしニッチも良いところだろうっていう感じなんだけど田舎のバカが信じてるような時代遅れのものっていう認識のままだとまぁそれって偏見の塊なわけでまぁ実際研究してみるといつも書くけど人文的知の結晶というか凄い集積なんだよね。んでまぁそれは文化に根付いてるから必然的に歴史とかも付随してくるから哲学と違って歴史を知ることが凄く重要になるっつーかね、逆にあれじゃん?哲学やるのに歴史の知識は必要ないっていうことではないんだけどそれに比べて宗教は歴史的な出来事とか流れと密接に繋がってるから必然的に歴史を知らなきゃいけなくなるっつーところがまた知的に刺激されてたまらん!っつーところがあるよね。

 

んでまぁ今回書きたかったのって聖遺物のことなんだけどまぁ話せば長くなるんだけどあれじゃないですか、12月にクロスのネックレス買ったって書いたけどラッパーのブリンブリンみたいに肩からキリスト教関係アクセサリーをジャラジャラ下げるのって面白いなと思ってキリスト像を探してるんだけどあんまり理想的なのが無くてね、んで行きついたのがアンティークなんですよ!っていうかむしろアンティークだろう!っていうそう思ってまぁネットで色んなアンティークショップを見て理想的なキリスト像を買おうと思ってるんだけどなかなかないんだよね。

 

いや、100年ぐらい前の教会のお土産みたいなのはいっぱいあるんだけどもっと重厚な感じのやつってなかなかないんだよね。ただまぁそれで思ったのがフランスとかドイツの蚤の市ってキリスト目線で見たら楽しいだろうなーなんて思いつつアンティークサイトを色々と調べてて気になったのが聖遺物なんだよね。

 

まぁ聖遺物の説明は別にウィキとか見てくれればいいんだけどまぁあれですよね、ランクが三つぐらいあってファーストクラスになると聖人認定された人の遺体の一部とか歯とかでんでセカンドが身につけたものだったかな。んでサードが身につけたものとかファーストクラスの聖遺物に触れた何かっつーことでまぁ例えばその聖人が着てたやつじゃなくても聖遺物に触れたものならそれはサード認定されるみたいな、まぁ概念的に一番近いのがブルセラですよね。

 

本田翼がラインモバイルのCMで来ていたナース衣装!ってまぁ聖遺物みたいなもんですよ(笑)まぁそれで抜くとかっていうアダルトなものがブルセラなんだけどまぁあとJKのうんことかローファーとか靴下とかまぁ90年代には売買が盛んでしたよね。まぁそれの聖人バージョンですよ。まぁそれは霊験があって病気が治るとかとにかくご利益があるっつーんでまぁ聖遺物ってのはすげー流行ったり熱狂的になったりさえしたっていう歴史があってちょうどいま「聖遺物崇敬の心性史」っつー本読んでるんだけどめっちゃ面白いんだよね。

 

んでまぁあれなんですよ、アンティークだと割と近年の聖人とかのサード認定の聖遺物とかがアンティークとして売られたりしてるんだよねっつってもそれが本物なのかはさっぱり分からないわけでそれこそEbayとかで調べると世界で出品されてるからすんげー量出てくるんだよね。

 

ただまぁ中身が本物かどうかは別として昔のものとしての工芸品的な価値というかテイストがあったりするものがあったりしてただまぁそれが一概に聖人のものというわけでもなくて例えば身内の遺髪とかそれこそ幼いうちに亡くなってしまった娘の遺髪を使ったブローチとかまぁそれは亡くなった娘のものかは分からないんだけど誰かの遺髪のブローチとかも普通に売られてるんだよね。

 

まぁ念がこもってそうでまず買おうとは思わないんだけどそこでまぁ面白いなーって思ったのが真贋は明らかではないけどまぁサードレベルなら本物かもしれないよねっつーような聖遺物ね。そりゃファーストクラスとかセカンドクラスの場合、美術館かあとはコレクターの元にあるようなものでまず出回ることないんだけどサードの場合、結構あるんだよね。んでまぁそれってロマンですよね。

 

聖女が着ていたものに触れた布とかってまぁ本田翼が座ってた椅子みたいな感じだけど(笑)本当にそれがブルセラになると本当に気色悪いものなんだけどでも概念的な類型がブルセラと同じ発想なのが面白くてさ、すげーコレクション意欲が湧いてきちゃってめっちゃほしいなーと思っててんで集めたのを首から下げてブリンブリンにするんだけどそのブリンブリンが聖遺物っていうヒップホップファッションの脱構築的な感じですよね。

 

まぁただあれなんだよね、アンティークサイトって見てるだけで楽しくてんで結構な量を見ると例えばキリストの磔の像とかにしてもよく見かけるお土産タイプのものっつーのに見慣れてくるんだよね。全く分からないとへぇー!100年以上も前のやつなんだ!って感動するんだけどネット時代の今だと画像検索とかそのままかけちゃうと似たようなのがEbayで大量に出てたりしてて日本ではものにもよるけどまぁアンティークだから相当盛った値段で売ってるんだけどEbayで相場調べると2000円ぐらいのものとかまぁ目利きっつーわけじゃなくてネット時代だからできる見分け方ってのができるって何気に凄いことだな!って思っててさ、いや、昔だったら骨董品屋とかアンティーク屋で価値があるかも!なんて買ったりできたんだけど今って検索できるからある意味でロマンが無いんだよね。

 

見た目が立派なアンティークバイブル!とかもあるんだけど調べると全然普通にフランス人のおばあちゃんの遺品レベルでゴロゴロ転がってるようなものだったりして無知だと感動するんだけど検索してこんなに出品されてんのかっつって幻滅するみたいなね、まぁこれって凄いことだよね。良し悪しなんて分からなくても調べればよくある土産品とかそんなにレアなバイブルじゃないってのがすぐ分かるっていうね。まぁここ数日ずーっとネットで見まくりましたね。アンティーク関係を。

 

んでまぁ聖遺物専門のディーラーみたいなのも海外にあるんだよね。本物かどうかは分からないけどただまぁEbayで買えるってのがある意味すげーなっていうさ、普通現地行かないと買えないようなのが直で買えるって凄いなと思ってね、んでまぁ送料とかも重くないやつだと2000円ぐらいだから普通にアンティークショップで買ったら相当上乗せされてそうなのが割と安く買えるっていうなんかそこが面白いなと思って今めっちゃハマってるんだよね。

 

置物とかと違ってブリンブリンとして首から下げるアクセサリーだって考えるとある意味まぁ実用品じゃないですか?アクセサリー用途じゃないけどリングがついてるから首から下げれるっつーものはもう首から下げちゃうんだよね。まぁ聖遺物ってカトリックのものでプロテスタントはそんなの否定するんだけどまぁ別にその際のカトリックだのプロテスタントだのってのはとりあえず置いておきましょうっていう感じだよね(笑)

 

あとまぁ本物か分からないんだけど10世紀ぐらいのビザンチンのクロスとかも出てたりようはすげー大きいものじゃなかったりするとまぁもちろん高いんだけど色々我慢して奮発すれば買えなくもない値段だったりするのが結構リアルなんだよね。だから逆にキリスト像にしてもよくあるお土産品とかを買うんじゃなくてアンティークとしてちゃんとした価値があるのを買いたいなって思ってるわけでだからまぁ気になるのがあるといろんなサイト見て相場を調べるってのがなかなか面白くてね、まぁここ数日ずーっとそんな感じなんだけどね。

 

なんかまぁこれもキリスト教に目覚めたからこそ開けた次元だよね。新たな趣味としてのアンティークっていうね、まぁ主に聖遺物なんだけどアンティークなんつってアンティーク全般やりだしたらもう泥沼ですよね。いくら金あっても足りないけど聖遺物縛りだったりキリスト像とか十字にしてもネックレスとしてつけれるもの縛りだと相当限られてくるから派手な散財をすることなくじっくり探せるってのがあって今後の趣味にしていけたらいいなとかって思ってるんですね。

 

キリスト関係への没頭は今後も続く感じで一安心なんだけどただやっぱあれだ、フロムから出る和製ダークソウルみたいなやつとディヴィジョン2が楽しみでしょうがないわ。楽しいことだらけでメンタル的にも最近は調子いいですね。

 

ってことで今日はこの辺で。