ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/ジーザスの徒による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

卓球さんへの返信。

卓球

 

先日、東京駅のスタバにてこの話題を店員に元気に話しかけて、壮大に無視されている人を見かけました 笑

 

耳蝉さんが書かれるように、「やっててデフォルトだよな」というのはあります。一方、諸々の反応に対しては、「なんだか、大丈夫か?」と思わずにはいられない。

 

特に、マスコミとCD回収(99年の槇原氏以来の慣習らしい)に関しては、いつものこととはいえ萎えた気持ちになります。人々も、芸能人で違法薬物やってる人がそこそこいるのは、今までの逮捕騒動より自明なのに、忘却+無意識に葬る&逮捕時だけ騒ぐ、という方向性で嫌になります。

 

元号も変わりますが、新しい時代、頑張って生きていきましょう 泣!

 

本当にテンション下がりますよね。いつものこととはいえ萎えるってのはまさにそうなんですけどプロディジーのキースが自殺したりあとまぁちょっと前ではあるんですけどトレインスポッティング2とか見ると本当にデカダンスというか、自分の夢とか幻想みたいなのが音を立てて崩れていく感じっていうのを身に染みて感じていますね。ましてや瀧が逮捕された日というのが自分の誕生日だったりして色んな意味で忘れられない感じになってます。

 

なんかまぁ90年代って今後ヤバいんじゃね?っていう退廃ムードがありつつもまだ色んな夢がありましたよね。トレインスポッティングとかってまさにそういう退廃と夢みたいなのを象徴している映画だったと思うんですけどまぁトレインスポッティング2とかで描かれてるように90年代を懐古しても何にもならねーぜっていうかまぁ歳取ったよねーとかっていうまぁ生々しさっていうんですかね。刺々しさがあった時代っていうかまぁ普段もここで書いてるんですけどドラッグとかも含めてのカルチャーって90年代までは継承されていた感じがあるんですけど2000年代以降ってのはどんどん世界がフラット化していって異物みたいなのを排除するとかまぁ例えばぶっ飛ぶ!というようなイレギュラーなものを排除しようとする姿勢だとか不寛容さってのがネットとかも相まってハードコア化してますよね。

 

別にドラッグをキメてテクノを爆音でかけて踊りまくる!みたいなのがかっこいい!とは言わないんですけどまぁこれもカルチャーなんだよっていうような最低限のリテラシーとかって持っててほしいなって思うんですけどそういう背景とか無しにただ音源とか映像だけ当時のものとかを見るとか消費するっていうことのフラットさの過激化ですよね。実際はイレギュラーだらけのものがカルチャーなのにドラッグも含めた刺々しいような荒い部分っていうのが黒く塗られたように修正されてそういうコンテキストが排除された状態で音とか映像の断片だけが記号的にネットに浮遊しているっていうような感じというのは文字通りの骨抜きというか文化のデジタル化ですよね。

 

まぁただそれはリアルタイム経験をしていなかったりできなかった人たちはしょうがないだろうってまさにそうなんですけど良いことと悪いことみたいな恣意的な線引きをされたようなものに疑問を感じずにそのまま報道されたようにドラッグやる人間=悪みたいな構図をそのまま受け止めちゃうというようなモラルの感覚ってすげーヤバいなって思うんですよね。モラルの感覚ってこれは良くてこれはダメでっていうような決まり事なんじゃなくてもっと人間的なファジーなものですよね。だから法的に悪いことであっても果たしてそれはモラル的にどうであったのか?っていうことだとか逆に合法でもそれってモラル的というか人間的にどうなのよ?っていうところとか、こういうところの倫理感覚っていうのが全体主義的で怖いですよね。不寛容さをそのまま表すような感じですよね。

 

あとまぁウェーバーとかじゃないですけどプライベートとかはクソだけど政治家として有能だったらそれは政治家として有能というところを評価するべきだみたいなところなんですけどまぁこれって芸術全般そうですよね。プライベートはクズみたいな人間でも撮る映画は凄かったりするわけでまぁそんなプライベートがどうのってことを言いだしたら特に音楽なんてろくでなしだらけだと思うんですよね。まぁでもここがダブルスタンダードでロックとかのぶっ飛びエピソードとかドラッグのエピソードとかってロックスター的なレジェンドみたいな語られ方をするのにそういうレジェンド級のロックスターに比べたらほぼゼロに等しいぐらいのドラッグの摂取でもそれが現代となるとめちゃめちゃバッシングされるってめちゃめちゃですよね。

 

ドラッグやってたようなやつの音楽は認めるべきではないっていうことでそういうドラッグ関係のカルチャーとか芸術とか音楽とかが規制されてるっつー世の中だったらそんなのまぁ我慢ならない世の中ですけど一応まぁ基準としてはまだ正当性がありますよね。でもなんか名曲なんつってドラッグを謳歌してるような曲とかを聴いてるくせにそういう謳歌するようなガチの人たちに比べたら全然量的に摂取量は大したことないアーティストとかミュージシャンも断罪されるって矛盾してますよね。

 

日本語ラップとかでも大麻普段キメまくってるみたいなのがリリックで平然と書かれているのにいざ捕まるとめちゃめちゃ批判されるって何なんだろう?って思いますよね。まぁそれはリスナーと批判する人間は違うタイプの人間なんでしょうけどもアーティストの色んなものも含めたアウトプットってのを享受している世の中でプライベートのクリーンさまで求めるなんて不可能に近いと思うんですよね。まぁ逆に今の音楽がつまらないのはもうそういうドラッグとかっていう時代じゃないからこそまともな優等生みたいなタイプがやるような無難なものばかりが世に出回ってるんだと思うと実際の本質的な汚染度ってのはどっちがヤバいのか?って思いますよね。

 

なんかカルキ臭い世の中っていうんでしょうかね。消毒されきってるというかなんというか本当に毒が無い世の中ですよね。本当に魅力があるものとかってやっぱりまぁ異世界から来るものだと思うんですけどまぁそこで今書いてて思ったんですけどVRとか別にVR機器を使わなくてもヴァーチャルの世界に没入するっていうことが現代のぶっ飛びというか日常からの逃避なんだとすれば確かにそれは安全で害が無いものなのかもしれないですけど何も生み出さないですよね。極論ですけども結局、人間って知覚できるものからしか現実を認識しないのでそれが凄く限られているものでもそれが現実だと思うとそれが現実だと規定して勝手にそこでの認知的整合性みたいなのを作り出してその整合性に合わないものを排除しようとしますよね。

 

まぁでも古今東西、芸術家というのは色んな方法を試して意識の拡張を模索していたりしていたわけでまぁそれはドラッグ的なものが伴うかどうかは別として宗教でもそうなんですよね。ドラッグは危険性もあるけど例えばレイヴでドラッグを経験してそのレイヴ自体の場とか爆音の音楽とかっていうまぁ全てを体で感じるみたいな体験をしたおかげで考え方が変わったとか自分が現実だと思っていたものっていうのはほんの一部分でしかなかったんだ!とかって気づいたりするわけですよね。そういう意識の拡張とか体験ってまぁ人間の自由だと思うんですよ。そういうのを雁字搦めにして狭い素面の冷めた感じで感じる現実だけを現実だって思うように強いられてるってのは人間の精神に対する侵害なんですよね。

 

まぁそりゃ生きづらくなって自殺もしますよね。日本人の幸福度が低い理由の一つってまさにこれですよね。凄く前から書いていることですけど相互パノプティコン状態っていうやつですよね。法を守るのかそれとも幸福度を取るのか?っていうところで思考停止的に法を守ることが絶対だって思わされているっていう状態は本当にヤバいですよね。仮に法や社会の在り方が幸福度の低さにつながっているんだとすればそれってどうなの?って問わないといけないですよね。法を厳重するのはそりゃ悪いことではないんですけどそっちに行き過ぎていて盲点が見えてこないっていうところがありますよね。それがダイレクトに幸福度が低いクソなリアリティの中で生きていかなきゃいけないっていうようなことに直結してるのであればそれって考えなきゃいけないことですよね。

 

なんか気がついたらめちゃめちゃ長く書いちゃったんですけども僕が頑張って生きるというサバイブというよりやっぱり開拓していきたいっていうのがありますね。クソな現実を現実だと諦めることだけはしたくないんですよね。それを受け入れたら終わりじゃないですか。欧米とかって意識の拡張とかいかにぶっ飛ぶか?っていうところに常に昔から今も含めてどん欲ですよね。

 

だからまぁその辺って科学的なエビデンスも含めての幻覚剤とかの乱用というよりかは有用な使い方みたいなのが模索されていたり議論されたりしていてそれは宗教的にも再評価されたりもしているわけで、でも違法なんでしょ?っていうところよりかはまず法は置いておいてそれ自体どうなのよ?っていう人間の精神の可能性とかダメとされているものなんかの有用な使い方とかっていうのを見出すだとかっていう能動性があったりなんかしてそれって結局人間のためになるんだったら使うべきなんですよね。イエスじゃないですけど法ってのは守るためにあるんじゃなくて人間のためにあるわけですからね。

 

日本人はそういうところの異様なルールの絶対性というところに従属することを良しとするような誤ったパリサイ的な価値観が根強かったりするんでそういうのが根源的な幸福度の低さとか生きづらさに繋がっているんだっていう自覚が無いところがヤバいんですよね。せっかく年号も変わることなわけだしなんか精神的な革命性ってのが新しい時代に必要とされてますよね。自分はその礎となるべく烈士であり続けるということをやめないでなおかつサステイナビリティを維持しながら壊れない程度にやっていきたいと思っていますけどね。まぁまさに自分的にその道ってのが神の道っていうところに繋がるんですけどね。